ディナータイム
食べられるものを探すと言って去っていったユンシーはさほど時間をかけずに戻ってきた。
川魚を三匹と小粒な赤い果実と硬い皮の内側にたっぷり水を蓄えた茶色の実、そして大量の枝や枯れ葉を周囲に浮遊させて。神力ってそんな使い方もできるんだ……鞄いらずで便利だな。
「ユンシー! 早かったね」
私はユンシーに駆け寄った。そしてお礼を言おうとしたのだけれど、それより先にユンシーが川魚とどこかから取り出した鞘のついたナイフを押し付け……渡してきた。前置きも何もなかったから危うく取り落としかけたくらいだ。
ユンシーは私の反応を待たずにさっさと移動していた。
近くに茂っていた大きな葉っぱがひとりでに数枚千切れて私が椅子代わりにしていた倒木の上に広げられる。続けて果実と硬い実がそこに並べられた。神力だとは分かっていてもついつい見入ってしまう。
「魚は」
「! さ、魚がどうかした?」
ぼけっと突っ立ったままの私にユンシーが何を思ったのかは分からない。
神力を使って倒木の前に枝を集めて重ねながら、ユンシーは未だ上に何も乗っていない葉っぱを指差した。
「魚はそこに置くといい」
「ぁ……う、うん!」
大急ぎで魚を葉っぱの上に乗せる。ユンシーに何もかもさせている自分が情けなくて恥ずかしくて仕方がなかった。
次はどうしよう。このナイフを使って魚を捌いていいのだろうか、と思ったところでユンシーが言った。
「君はそれをそのまま食べないだろう」
「まあ、普通は食べないかな……」
生臭いし、中に何が寄生しているか分からないし。
ユンシーは得心したように何度も頷いた。
「俺はそういう細かいことには詳しくない。だから、自分でどうにかしてくれ」
「このナイフ……使っていいの?」
鞘から抜くと、白銀に輝く刀身が現れた。何だこれ。こんな刃物は見たことがない。引っかき傷一つない刃には所々に色々な形をした薄黄色の模様のようなものが入っている。これは石? そんなわけないか。
刀身は私の手首から小指の先に届くか届かないか程度の長さだった。兵士が装備しているものとも神官が儀礼用に持っているものとも違う。異質で、場違いで、だからこそ人を惹きつける美しさを帯びていた。
鋭い刃は指先を触れさせただけで切り裂いてしまうだろう。そう確信していながら手が動くのを止められない……。
「ああ。もう君の物だ」
その直前でビタッと動きが止まった。今のは聞き間違いだ。そうであれ。
「え!? 貰えないよ!」
力いっぱいお断りするとユンシーは首を捻った。何故? じゃないのよ。
「私が持っていい物じゃないよ」
「? これがそう言ったのか?」
からかわれている? いやいや、ユンシーはあくまで真面目に言っているはずだ。だからこそ返答に困るのだけれど。
「そ、そうじゃないけど。すごく綺麗だし……貴重な物でしょ」
「俺の役には立たない。君が使うべき物だ」
と言い切って、ユンシーは枝の方に向き直る。
強引に会話を打ち切られてしまった。黙々と作業を続ける背中に追いすがりたくなるけど、そこまでするのも変だろう。
ユンシーが使っていいと言ってくれているのだから素直に受け取っておくべきだ。刃を鞘に戻し、両手でそっと包み込む。
「ユンシー」
「どうした」
「ありがとう。大切に使うね」
「ああ」
ユンシーは振り返らなかったけれど、不安にはならなかった。
◆◆◆
夜が近付いていた。
生い茂った木々の僅かな隙間から注ぐか細い光はいつ途切れてもおかしくない。夜の獣や虫たちが騒がしさを増し、今にも狩りが始まる。
身一つな上に夜目のきかない私なんかは本来であれば格好の獲物だった。でも、今夜の私にはユンシーがいる。
「……もういいんじゃないか?」
再び倒木に腰掛けた私の左隣にユンシーが座ってい(るように浮いてい)た。
私とユンシーの間には甘酸っぱい赤い果実と上部から割れて中身が飲めるようになった茶色い実が置かれている。一個はすでに飲みきってしまったからこれは二個目だ。
茶色い実の硬い皮を割る、あるいは切るのには少々コツがいる。先ほど貰ったナイフで挑戦しようとしたら早々にユンシーが素手で実をこじ開けていた。あれは……神力を使ったんだろうか。それとも並外れた膂力もまた神力の一つなのだろうか。
「まだ焼けてない部分があるからだめかな」
「…………」
それくらい食べても平気だろう、とでも言いたげにユンシーは焚き火を睨みつけている。無表情だけど。なんとなく視線が鋭いような気がする。たぶん。
焚き火は周囲をぼんやりと照らし獣を遠ざけるだけでなく川魚も焼いていた。下処理をして即席の木串を通した三匹の魚は香ばしい匂いをさせている。
私の失せた食欲が息を吹き返すほどには。けれども、まだだめだ。あと少し待たないとせっかくユンシーが捕ってきてくれた魚の一部分を生焼けで食べることになる。
◆◆◆
遠慮なく魚の背に食いつく。パリパリに焼けた皮とふっくら火の通った身は噛みしめるほどに味がする。淡白だけどしっかりと魚の脂も感じられた。
「美味しすぎる……」
お腹から体が温まっていく。生きる気力がもう一度私の中に根を張っていくようだ。しらずしらず滲んでいた涙を手の甲で拭った。
そうやって自分のことに集中していたせいで、魚一匹を食べ終わるまで私はユンシーが未だに何も口にしていないことに気付けなかった。
「……あの、ユンシーは食べないの?」
「必要ない」
にべもない返事に眉が寄る。ユンシーは魚どころか赤い果実だって一粒も食べていない。茶色い実に口をつけた様子もなかった。かと言ってやせ我慢をしているふうでもないのがもどかしい。
ユンシーは私とは違うから、言葉通りいちいち食事をする必要はないということなんだろうか。
「食べられないってわけじゃないよね?」
「もちろん。だが、今は必要がない。君が食べるべきだ」
あなたも食事は必要なんじゃない! と叫びそうになった口に赤い果実を数粒まとめて放り込む。じっくり咀嚼をし飲み込んでから言った。
「全部ユンシーが取ってきてくれたのに、一人で食べるのは気が引けるんだけど……」
「調理をしたのは君だろう」
「いやでもナイフも貰っちゃったし……あんなに切れ味がいいの初めて使ったよ」
「俺が勝手にしていることだ」
最初に助けてもらってから同じ話をずっとしている気がする。そして、ユンシーの態度もずっと変わらない。
ユンシーは自分がしたいことをしているだけで、私がそれをどう思うかについては興味がないんだ。興味がない、は捻くれた言い方かもしれない。
そんな余裕がある立場でもないのにどうして助力を拒むのだろう、くらいは思ってそうだ。
「そうだね……とは言いにくいってば! どうしてそこまでしてくれるの?」
「迷惑か?」
そのまま頭が吹っ飛んでいくんじゃないかっていうくらいに首を横に振った。
「全然! まったく! でも、私を助けてもあなたは得るものがないでしょう?」
「それが問題なのか?」
ユンシーが気にしてないならいいけど、と答えそうになった。私とユンシーの間に置かれた二匹の焼き魚が視界に入る。どことなくそわそわと魚が焼き上がるのを待っていたユンシーの横顔を思い出した。
得るものがないだとか偉そうなことを言っておいて何だけれど、私はただユンシーと一緒に食事をしたいだけなのかもしれない。ユンシーが魚を食べてどんな顔をするのかが見たいだけなのかもしれない。
「私の中では……問題……かな……」
自分本位な心のうちを吐露する勇気はやっぱり持てなかった。曖昧に言葉を濁すだけ。すぐにこの状況をどうやってごまかそうかと考えてしまうのだから救えない。
ごめんなさいと空っぽな謝罪をしかけたときだった。
「俺がこれを食べたところで、君の問題が解決するとは思わないが」
そう言いながら、ユンシーが木串を掴んでいた。口を開けて頭から噛み砕く……直前で止まる。ちらと私を横目にしてから、私と同じように木串の両端を持って魚の背に噛み付いた。木串ごと魚を丸呑みしてしまいそうな勢いだった。
一口が大きいからか、みるみるうちに魚はユンシーの腹に消えていく。細かな骨も頭の骨もお構いなしだ。残った木串をしばらく眺めてから、葉っぱの上に戻した。
私は無言でその様を凝視していた。何も言えなかったし、何も言いたくなかった。傍から見ればとても気味が悪かったと思う。
けれどもユンシーは平然とした態度を保ったまま、最後の一匹を私の口元まで運んできた。神力を使わず、自分の手で。
「君が食べろ」
私は唇にほとんど触れている魚とユンシーの顔を交互に何度も何度も見た。不自然な沈黙が続いてもユンシーは瞬き一つせずに私を見据えていた。
「……味、どうだった?」
「そのまま食べるのとは違ったな」
そっか、と呟いて魚に齧り付いた。
でもそこは頭の部分で、私がユンシーのように骨ごとバリバリと食べられるはずもなく。ふふふ、と今度こそごまかしの微笑を作りながら私は魚から一度口を離した。
何気ない素振りで木串を掴み、当然ですけど何か? の態度を崩さないまま頭に歯型の残った魚を受け取った。ユンシーが素直に渡してくれたことに心底安堵していたことは言うまでもない。
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