選択肢
私の考えなしの発言にユンシーがついに激怒する。
ということはなく、ユンシーはこれまでと同じ落ち着いた調子で喋ってくれた。それはそれで決まりが悪いというか何というか。
「フェックは君を捕らえるまで諦めないだろう。そうでなければ都市神のあり方が揺らぐからだ。彼らは生贄を喰うことで強くなろうとしている」
……何て? ユンシーは当たり前のことを当たり前に話しているだけという態度を崩さないけれど、私には初耳だった。
生贄が都市神様に食べられるのは知っている。食べられて死ぬのが嫌だから私は逃げたわけだけど、どうして都市神様が生贄を食べるのかをよく考えたことはなかった。
生贄は私たちを守ってくれる都市神様へのお礼? 感謝の気持ち? そういうものを示すための手段なんだと思っていた。そして何より、私たちを決して見捨てないでくださいという懇願のための。
「生贄を食べれば強くなるってどういう仕組みなの?」
ユンシーはぎこちなく首を左右に振った。
「さあ。ここではそうなっているとしか。必要なのは君たちからの信仰だ。生贄は信仰を形あるものとして摂取するための手段なのだろう」
無知な私にも伝わるようにユンシーは言葉を選んでくれているのだろう。だけど、それでも全然ピンとこないのが私という人間なんですね。
ただ都市神様も私たちから何かを(ユンシーが言うには信仰か)必要としているというのは意外だった。そんな立場にないことは分かっているけれど、喜びすら抱いてしまう。
そうして黙ったままの私にユンシーが「続けるぞ」と告げた。
「生贄に逃げられたなどとモーティスの住人や他の都市に知られれば信仰が弱まる。逃げてもいいんだと次の生贄が考えないとも限らない。だから絶対にフェックは君を野放しにはしない。何としてでも捕らえようとするだろう。そして君を教育するだろうな。自ら喜んでその身を捧げるように。街中を引き回して君がいかに都市神に従順であるかを見せつけてもおかしくない」
「うええ……」
もはや言葉らしい言葉も話せない。でも、さっきの話よりは理解できた。
二人目三人目の私が出てこない可能性が絶対ないとは言い切れない。そんな状態が続けばモーティスの人たちの心が揺らいで平穏が乱れてしまうことも。教育とか街中を引き回すとかも理解はできるけど深く考えたくはない。
情けない声を上げたところでユンシーは手加減しなかった。一つ一つ私の選べる道筋を潰していく。
「フェックから逃れるためにモーティス以外の都市に身を隠すのもおすすめしない」
「それもだめなの!?」
思いの外大きな声が出てしまった。
慌てて口を閉じても遅い。遠くで鳥が一斉に羽ばたき木の上から猿が吠えているのが聞こえた。ユンシーが物静かだから余計に自分の過剰な反応が浮いていて恥ずかしい。急速に熱を持つ顔を手のひらで扇いだ。
そしてユンシーは何事もなかったように説明を続ける。
「戦争を仕掛けることになったとしてもフェックは君を奪おうとするだろう。そして、他の都市神が君の素性を知れば必ずフェックを弱らせるために利用する」
ユンシーは断言した。
私のせいで他の都市との戦争にまで発展してしまうなんて。足が小刻みに震えている、と自覚したときには手も同じように震えていた。
「…………あなたがデタラメを喋っている可能性は……」
「ないと断言したところで君は信じるのか?」
素早い切り返しだった。煮えた頭で反射的に信じないと答えかけたところで舌の動きが鈍くなる。
ユンシーは私を助けてくれた。そして今も、物分りの悪い私を放り出さずに話をしてくれている。死にたくないから逃げたという共通点があるというだけで。
その大振りな感覚は私にはちょっと掴みづらいけど、信じないなんて乱暴な言葉をぶつけるのは嫌だった。
「信じる……かも……」
しかしいざ出てきたのはぼそぼそとした声。
そこは堂々と信じるって宣言するところじゃないの? こんな中途半端なの信じないって言うよりたちが悪いんじゃない? せめてユンシーの目を見て言いなさいよ。次から次へと自分自身への罵倒が浮かんでくる。
決めるところで決めきれない情けなさに身を縮めていると、ユンシーの掠れた呟きが耳に飛び込んできた。
「俺が君の立場ならそうは言えないよ」
「!」
これまでで一番柔らかな物言いだった。急いでユンシーの様子を窺う。しかしながら、表情に変わりはなかった。何だかものすごく惜しいことをした気がする。
そして、ユンシーはこの件について話を広げず本題に戻ることに決めたようだった。
「どれだけ隠そうとしても君の話はいずれモーティス中に、それから他の都市にまで広がるだろう。それを機にどこかの都市神がフェックを喰ってしまえば逃げる必要はなくなる」
ユンシーが一度言葉を切ったところでおずおずと手を挙げる。するとユンシーは瞬きをしながら僅かに頭を動かして私が質問するのを促した。
「あの、都市神様は生贄だけじゃなくて他の都市神様も食べるの? 何のために?」
「生贄を喰うのと同じ理由だ。強くなるため。生贄を百人平らげるより都市神一体を喰った方がより強力になる」
都市神様が都市神様を喰らう。その光景を思い浮かべることすら難しいのに鳥肌が立った。思わず二の腕を擦る。
「強くなって……都市神様は何をするんだろう」
ただの人間にすぎない私からしてみれば都市神様は今でも十分に強くて、できないことなんて一つもないように思えた。
疑問というより独り言に近かったそれをしばらくしてからユンシーが拾い上げてくれた。
「……それは俺には分からない。彼らはそれぞれの理由のためにずっと争っているんだ。はっきりしているのは都市神の庇護がなくなった街はいずれ滅ぶということだ。勝者に蹂躙されるか、住人が自ら去っていくかの違いはあるかもしれないが。君たちは都市神がいなければ生きていけないのだろう?」
「…………」
モーティスの大人が子どもたちに何度も言い聞かせてきたことだ。都市神様を失えば私たちは全てを奪われる。そうならないように都市神様に尽くすのだ……。
実際にそうなった街を私は見たことがない。そもそもモーティス以外の街に行ったことすらない。だから自分には関係のない別世界の出来事だと余裕をもって恐ろしいと感じられていたんだろう。けれど、もうこの恐怖は知らない誰かのものではない。
木の幹から勢い良く立ち上がったまま口を閉ざす私をユンシーが無感情に観察している。
「君がフェックを殺してもその結末は変わらない」
「そこまでして……私が逃げる意味ってあるのかな」
モーティスに住む全ての人たちと、私一人。命の釣り合いは到底取れていない。
血の繋がった家族も、特別に親しい人も私にはいなかった。でも人と関わらずに生きてきたわけじゃない。そんなことできるはずがない。
食べ物を分けてもらった。森で怪我をしたときに街まで運んでもらった。祭礼の日に着る特別な服を作ってもらった。これまでたくさん親切にしてもらってきたのに。
地面に影がかかる。いつの間にか腰を上げたユンシーが私の眼前に立っていた。
「モーティスに戻ると言うなら連れて行くが」
「……っ……!」
そう言ってユンシーが手を伸ばす素振りを見せただけで私は腰を抜かしてしまった。木の幹に逆戻りして呆然とユンシーを見上げる。くすんでいるのに煌めいている黄緑の瞳が醜い私を真っ直ぐに映していた。
見つめ合っていたのはほんの数秒だろう。ユンシーは静かに後ろへと下がった。
「戻りたくなったら言うといい。ひとまずは食事をしようか。腹は空いているか?」
「……うん」
深く頷く。食欲はすっかり失せてしまっていたけれど。
青い顔でその場しのぎの嘘をつく私に言及しないまま、ユンシーは食べられるものを探してくると言ってどこかへ行ってしまった。
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