性【マラディー】




 腐った果実の匂い、集ったハエの羽音、皮が剥がれてじりじりと痛みが絶えない。

 寒い寒い影の中で産まれた雛鳥は、日に当たれば焼かれるだけ。

 キレイなんて知らない。

 温かいなんて知らない。

 跳び方なんて知らない。

 眩しいなんて知らない。

 信じるなんて知らない。

 知らない、知らない、知らない。

 ············知らなかった。

 差し出された翼の柔らかさを。

 光へ導かれる心の昂りを――――。



 ++++++++++



 シルビエートは飛び起きた。周りを見渡して、司令本部の自室だとすぐにわかった。同時にベッドに寝かされている状態から、自身の敗北を覚って肩を落とす。

 事実に落胆し、近くにあったテーブルランプを殴り飛ばした。


「就任祝いの品をぞんざいに。高かったんだよ、それ」

「······団長」


 正面には、シャカラータが椅子に座っていた。彼の顔を見たシルビエートは、すぐに俯いて目を背けた。


「申し訳、ございません······」

「なんで謝ってんの?」


 シャカラータの素朴な疑問に、シルビエートは言葉を詰まらせながら答えた。


「······私が自ら提案したというのに、こんな無様な結果を」

「ふ~ん。で?」

「え?」


 シャカラータから拍子抜けした声が返ってきて、目を見開かせて頭を上げた。


「それのどこに謝るところがあるんだい?」

「どこって······どこの馬の骨とも知れない野蛮な兎に、区衛兵の代表たる王衛星将軍ギャルド・アステリズムが敗北を喫したんですよ! 面目丸潰れどころの話じゃない!!」


 シルビエートの叫びを聞いても尚、シャカラータは動揺の色も表さずただ呆れた風な溜め息を吐くばかりだった。その反応が、ひどく腸が煮えくり返る。


「まあ、そうカッカするな。今のお前は、兜を被っていないんだぜ」

「えッ?!!」


 自身の頭を触って確かめ、不安で形相が歪んでいく。


「そんな、どうして······?! 団長、あれは? あの兜はどこに! あれが無いと、私は! 私はぁ!!」

「【鎮心弾スパコイナ】」


 シャカラータは唐突に、シルビエートの眉間を狙って躊躇無く発砲した。すると、不安で不安で仕方がなかったのが瞬く間に落ち着いた。

 荒立っていた息はゆったりとなり、歪んでいた形相も普段のものに戻っていく。


「まあ、落ち着けシルビ子。確かにお前はジンの字に負けた。完膚なきまでにな。けど、それで俺らの面目丸潰れになるかどうかは別だろ」


 拳銃をしまいながらシャカラータは諭した。冷静にさせられた今なら、彼の心境を深く受け止められる。

 そもそもの話、彼は大義なんてものを持っていない。就任してから二年という付き合い、呆れる程に知っている。


「俺はシルビ子のそういうところは嫌いじゃないんだぜ。嫌いじゃないんだけどさ、真面目も度が過ぎれば大義も不義も無い。そんな奴に、サヴ子が育てた覚えは無ぇぞ?」


 低い声でそう言われ、シルビエートは俯いた。

 確かに、試合では途中からどうかしていた。最初こそは、ジンテツの力を見定めることしかなかった。

 だが、彼のペースに翻弄されていって、気づけばなりふり構わなくなっていた。仕舞いには、魔式まで取り出す始末。

 そこまでしておいて、結局、ジンテツに勝つことができなかった。

 不甲斐ない。情けない。特に、自爆して消耗したところに一振り。――――ああ、なんとも情けない。

 だが、それ以上に看過してはならないのは、己を制御できなかったこと。心身に刻まれた“呪い„を、律することができなかったこと。


「反省できるなら、まだまだシルビ子はシルビ子だよ。俺からはそれだけ。じゃあ、次の番だ」

「············」


 シャカラータの言葉にシルビエートは疑問符を浮かべた。まるで、他にも話したい人がいるみたいな口振りだ。

 惚けるシルビエートを置き去りにして、シャカラータは部屋を出た。その後に入ってきた人物を見た彼女は、驚きのあまりに「フェっ!!」と叫びながら咄嗟に布団で顔を隠した。


「ななな、なんで貴様がいる?!」

「俺が来ちゃおかしいの?」


 ジンテツだった。大きく欠伸をかきながら近寄ってくる彼を、シルビエートは大きな声をあげた。


「来るな!! こ、来ないで!」

「なんだよ。折角、様子を見に来たのにその反応って」


 シルビエートの拒絶は空しく、ジンテツは構わず歩み寄ってシャカラータが座っていた椅子をベッドの横に持ってきて、腰を下ろした。


「いつまでそうしてんの?」

「············」

「おーい、シルビ子ぉ~」

「············」

「もしもし~? 生きてるぅ~?」

「··················」


 一向に返事を返さないシルビエートにしびれを切らし、ジンテツは部屋に入る前にシャカラータから避けろと言われたことに、迷わず触れた。


「案外、つまらない面してんだな」

「くっ!?――――貴様、見たのか! 私が気を失っている隙に!?」


 やっと出できたシルビエートの顔を、ジンテツは間髪入れずに捕まえた。そして、まじまじと見詰める。


「な、なんですか? 離し、て······」


 今にも泣きそうな弱々しい声で、シルビエートは促した。だが聴かない。

 つまらなそうな表情で、ずっと顔を見続けている。お互いの鼻がつきそうな程に近く、恥ずかしくなる距離で。


「王子さんから聞いたよ。お前、悪魔憑きなんだって?」

「イヤァ!!」


 シルビエートは、悲鳴を上げながら振り払った。顔を両腕で隠して、その下では目の端に涙を浮かべていた。

 身体も震わせて、まるで怯えきった小動物のようだ。


「私を、嗤いに来たんですか?」

「わらう? なんで?」


 先程のシャカラータと同じ調子で、ジンテツは訊き返した。


「知らないわけではないのでしょう?」

「まあ、なんとなく。囓った程度」

「そうですか」


 諦めた風に、シルビエートは腕を下ろした。シャカラータの弾丸のお陰で、取り乱すことが無いことには安心したいが少々複雑だ。

 こんな気まずくなるなら、試合のときみたいにどうにかなっていたままの方が断然マシだ。


「“悪魔憑き„――――現代での正式名称は、『過剰魔力補填症候群』。生まれながらにして、高濃度、高密度の魔力を持った者に発症する大変稀有な“疾患„。端からすれば、魔力を豊富に授かった天恵のように聞こえるかもしれませんが、これは決していいものではありません。他よりも魔力の扱いに長け、氷と炎の二つの属性を有している理由も紋様これによるものです。別に、魔術的影響だけなら良かった。良かったというのに······最も厄介な点、天恵と言い切れない点は、精神的に悪影響をもたらしてしまうことです。ほんの些細なことで癇癪を起こし、酷いときは衝動のままに暴走してしまう。先程の試合、私はそこまで行きかけていました」


 自身の右頬に触れ、声のトーンから怨みや寂しさが伺える。


「悪魔憑きという蔑称は古い因習から来ています。今でこそ、殿下のように力有る者は慕われている。しかし、古代では全くの逆。悪魔に魅入られた存在として疎まれてもいました。ひどいときは人権も何も、動物扱いもされない程に、死んだ方がマシと思う待遇だったといいます。――――あの、聞いているんですか?」


 シルビエートが鬱屈とした調子で解説している中、ジンテツは足を組んで週刊情報誌『クロニクル』をじっと読んでいた。


「なんでこんな話を貴様なんかに······。話したところで、誰一人としてわかりやしないのに」

「せやな」


 聞いていないと思っていたのに、と顔に熱がこもる。


「俺にはお前の悩みはわからん。だって俺の問題じゃないんだから。要はお前がどうしたいかって話やろ?」

「それは······」


 身も蓋もない。シルビエートは話したことを後悔し、羞恥を覚えた。


「悪魔憑きだからどうした? こっちは魔術が少しも使えないんやで? この世じゃ、魔力でもなんでも、ちょいとでも持っとる方が得なんでしょ? だったら、祝えばいい。私は恵まれたんだって、胸を張って矜持すればいい」


 シルビエートは、どういう気分になればいいのかわからなくなった。悪魔憑きと知られても尚、まったく態度を変えない。こんなことは初めてだ。

 大抵は気色悪がられ、距離を取られてしまうというのに。この野兎はなんとも思っていない。――――というか、興味も関心も無さそうだ。

 なんだか、灰汁が抜けていく感じがする。強張っていた身体は解れて、感情がいまいちうまく働かない。

 これは期待しているのか。と、よからぬ情動に流されてしまいそうで、意識するとより顔が火照ってしまう。


「貴様という野兎は、悩み無く生きているのでしょうね。あったとしても、特に気にしないでのうのうと。はあ、ある意味では羨ましく思います」


 顔を両手で仰ぎながら、冷静に紛らわせる。すると、クロニクルのページが捲られなくなった。


「半々、やな」

「え?」


 ジンテツはクロニクルをばしゃっ! と閉じて、天井を仰ぎ見た。


「悩みが無いって言うのは、まあ正解。っていうか、そもそも悩むのめんどクセェから、つまらないことはなるべく考えないようにしてるんだよね。変に疲れるし」

「それはそれでお目出度いように思えますが······。もう半分は?」


 間を置いて、ジンテツは答えた。

 

「俺だって、悩むときは悩むよ。つい最近まで、寝付けないくらいに悩んでた。あんなの初めてだったよ」

「それは、意外ですね。ちなみに、一体どんなことを悩んでいたので?」


 話している姿が、試合とうってかわってシリアスな雰囲気を醸し出しているのが見ていて落ち着かなかった。

 好奇心もあって、シルビエートは考え無しに突っ込んでいた。


「俺ってさ、お姫様とか他の奴らみたいに、大した理由無しで生きているなって」

「············え?」


 思っていたよりも、凡庸な答えが返ってきたことに驚かされた。

 傲岸不遜な性格をしておきながら、己の意義を自問し続けていたのかと、意外を通り越して呆気に取られる。同時に、奇しくも親近感シンパシーも感じた。


「取り敢えず、今は俺が居心地のいいって思える場所を守る為に騎士を目指しているわけだけど。どうにもその場限りのやり過ごしに思えて、どこか物足りないんだよね」


 贅沢だ。と、口に出そうになったシルビエートであったが、直前で唇を閉めて押し黙った。

 かつて、彼と同じ心境になったことがあったからだ。

 暗がりの記憶――――もしも、仮にそうであったとして、自分はどう聞き入れるべきか頭を悩ませた。

 真っ先に思い付いたのは、満面の笑みで向けられたこと。あれだけは無理、と歯噛みしてすぐに選択肢から除外。


「なに変な顔してんの?」

「放っておいてください」


 そもそも、こんな緩い輩になにを言おうとあまり意味が無い気がする。············――――なにを言おうと、あまり無い気がしている。


「私は、とある国にある貧しい村落で生まれました。そこはつい最近まで内乱をしていて、食べられるものなんてその辺に生えている草花か虫の死骸。ドブネズミなんて、御馳走でしたよ」


 ジンテツは背凭れに身を預け、ぐったりとした様子でいる。


「毎日、四、五人は必ず死ぬ。そんな劣悪も劣悪な環境で生まれた私は、早くに両親を亡くし、この紋様のお陰で引き取り手も現れず、路地裏の陰で身を縮ませて生きていました。そんな暮らしを送っていたある日、騎士と出会ったんです。名前は、サヴァルノーイ=C=スピカ。ガチョウの人獣で、私に最初に笑顔を向けてくれた素敵な女性でした。私は彼女に連れられてここに来ました。サヴァルノーイ様の指導のもと、私の性根は見事に叩き直されて、今に至ります」


 満足そうに語り終えたシルビエート。恩師サヴァルノーイとの日々を思い出して、心が安らいでいく。

 そして、服の下から銀の十芒星の首飾りを取り出して掌の上に乗せ、ジンテツに見せる。


「新生テオス教会への入信も、サヴァルノーイ様の薦めです。私は、彼女と会うまでただ生きることだけしか考えられなかった。だから、意義を見出だせず迷っている貴様の気持ちはわからないこともないです」


 他人から、陽光から避け、誰も知らない場所で細々と息を潜めつつ、その実、命に並ぶ程の目標を掲げたいという強欲。

 『生きる』に次ぐ本能を刺激され、追い求めることを覚えた感覚は、水浴びから上がったように清々しく爽やかで、枷が外れたように軽やかだ。


「何かを言える立場でないのは重々承知しています。その上で、貴様には伝えておきたいことがあります」


 いつか誰かが口にした言葉を借りるなら、それは正しく『幻想』を見据える瞬間――――。

 性格に難は有り。されど、突き進む心は健在。


「大いに悩んで、悩んで、悩み尽くしてください。その先に、真に貴様の追い求めているものの形がはっきり見えるようになり、やがてはその手を掴むでしょう。私は······応援しますよ」


 そう語りながら、シルビエートは顔を背けて横になった。布団の中は、熱くて熱くて堪らなくなっていた。



 ++++++++++



 シルビエートの部屋を出ると、トマスと出会した。


「や」

「なんか嬉しそうだね」

「そんなことは無いよ。少し、歩こうか。うちの庭園にわはラインナップが豊富なんだ」


 と、言われるままに城砦の庭園に連れられた。トマスの言う通り、ツバキの廊下にパンジーの通路、プリムラの床にクロッカスの環状線と歩けば歩く程、色が変わる。

 お姫様が来てたら、一々膝を抱えて眺め倒したりするのかな。今俺がやっているみたいに。


「君は花が好きなのかい?」

「なんだか、他人のように思えない感じがしてさ。ついつい見ていたくなるんだよ」

「ロマンチックだね」

「別にそういうんじゃないよ」


 めんどくさそうだけど、取り敢えず本題に移ろう。


「で、なんの話?」

「まずは、あの試合を見ていた貴族達の反応だけど。半々だよ。君に怯えを覚える者もいれば、好感を示す者とで別れていたよ。スタートダッシュにしては、まあまあいい出だしなんじゃないかな?」

「······」

「どうした? 浮かない顔だね」


 喜ぶべきなんだろうが、興味無い。

 

 俺からしたら、シルビエートに売られた喧嘩を買っただけ。それを見ていた観衆共にどんな感想を懐かれようと、なんの好奇心も沸いてきやしない。


「面白くない話を聴かされて騰がるかよ」

「それもそうだね。じゃあやめよっか」


 本題、すんなり終わっちゃったよ。ほんなら、今度は俺から行こか。


「なあ、王子さん」

「なんだい?」

「馬車で訊いたこと、まだ答えてないでしょ」

「ああ······それね」


 あんた、翅はどうした?――――馬車の中で、俺はトマスにそう問うた。直後、途中の村に着いた所為で答えが聴けずじまいだった。

 正直、気になって気になって仕方がなかった。ここなら邪魔者もいないし、逃げ場も無い。

 トマスは困ったように頭を掻いた。


「参ったね。あんまり、深掘りしてほしくないことなんだけど······シルビエートを知った君なら、まあいいか」


 トマスは目眩ましの結界を張ってから、肩にかけていたローブを思いきりよく取った。

 俺の予想、というか目測は見事に当たっていた。

 お姫様はカゲロウ、カインならミツバチ、スヴァルの場合は無しと、妖精属フェアリーは一部の近縁種を除いて大抵は虫の翅を生やしている。

 お姫様と王族に血の繋がりが無い。だからと言って、親子で違う形の翅が備わるかというとそうでもない。隔世遺伝とか突然変異とかがあるからな。

 大前提として、翅の無い妖精なんていない――――賢者ジルド・マーチ『人外目録』より――――だが、今俺の目に写っている光景はそれを真っ向から否定した。


「先天性の欠損症だよ。トマス=ジーロフィクス=フードゥルブリエは、生まれつき翅を捥がれた妖精なのさ」


 トマスはまるで自慢するような調子で言った。


「妖精にとって翅とは獅子の鬣に同じ。特に、王族にとって個人の威光を示すのにこれに代わるものは無い」

「大袈裟だね」

「そうかもしれないけど、現実はシビアなものだよ。翅が無いというだけで、王も民も関係無い。わたしがここにいられるのは、ある意味幸運の連続があってだよ」


 シルビエートと同じタイプか。背中に手を回しているのを見るに、トマスの生まれ持った苦悩ってやつは相当に苛酷だったことが伺える。

 だがなんだろう。トマスの顔に一点の曇りも無いのは。


「何か腑に落ちないって顔だね」


 トマスはローブを肩にかけて、結界を解いた。


「わたしのような種族の恥さらし、ひいては王族の看板に泥を塗った男が、こうして堂々と皇太子をやっていけてるかって」


 俺の懐いていた疑問を、トマスは一言一句違わずに言い当てた。


「答えは実に簡単だよ」


 ここまで来ると、俺の中で出た答えも――――。


「「強かったから」」


 また同じ意見が出たからか、トマスは嬉しそうに笑った。つくづく、気が合っちゃうな。


「そう。結局のところ、民の心を動かすのは“強さ„なんだよ。『こいつだけには勝てない』『なにがあっても逆らえない』。種族的不利を覆すには、そう思わせる絶対的な威光を名実共に放つ外無い」


 わかる。自分より立場も力も弱い奴に付いていくなんて、自滅に等しい愚行を進んで犯すバカはいない。

 それが国レベルとなると、下らない考えを持つ下衆も現れる。そうなっていないってことは、トマスという絶対的強者がグラズヘイムという縄張りの頂点に君臨しているからだ。

 種族的不利が介入できない程に、どうしようもない高みにまで登り詰める。単純明快な解消法だ。


「強さがなければ生き残れない。わたしの生まれた時代はそうだった。だが――――これからは違う」

「············」

「これから先、世界を統べるのはクレイのような未来に希望を見出だす“幻想„なんだよ。それが実現すれば、力なんて必要無い。人類人外の間には義理と仁情にんじょうが行き通い、いずれは憎悪も争乱も世界から消えてほしい。稚拙で甘過ぎるこの夢が叶った世界を生きるのが、わたしの幻想だ」


 ああ、この感じ。やっぱり、お姫様のお兄ちゃんなんだな。血の繋がりは無いけれど、想いの繋がりってやつがこの二人を“兄妹„にしているのか。

 自分の弱さを口にしていながら、その顔が気に入らないって思わないのは、幻想ってやつを確立させているからか。――――――――なんか、いいな。


「それに当たって、君に頼みたいことがあるんだ」

「ん?」


 なにを改まって、と思ってたら何故だかトマスの表情が悪巧みしてるみたいにヒッヒッヒ、と不穏なニヤけ顔になっていった。


「一応、聞いてやる」

「なぜ引くんだい?――――君には、ここにいる間は一つの象徴になって欲しいんだよ」

「象徴? なんの」

「“義理„と“仁情„のだよ。君は良くも悪くも純粋だ。他人の空気を読まない、胸の内に構うこと無く平気で土足で踏み入ってくる、されどこれ以上無い安心感を与えてくれる英雄的存在。損得は二の次に考える、野生の権化足る君にしかできないと思っている。やってくれるね?」


 そう言って、トマスは手を差し伸べてきた。

 いい具合に取り込もうとしている気がしてならないが、さっきトマスが言った“幻想„ってやつにそれが必要なら、悪くぁねぇか。

 俺は差し伸べられた手を掴んだ。


「上等だよ」

「結構だ」


 途轍もなく気分がいい。だが、視線を感じた所為で少し萎えた。

 城砦の方を振り返るも、それらしい奴はいなかった。



 ++++++++++



 取り敢えず、トマスと別れた後は部屋に戻ってベッドに横になっている。が、シルビエートの最後に向けてきた顔がちょくちょく脳裏にちらついて、中々眠気が起きない。

 結局のところ、シルビエートは認めてくれたってことでいいのだろうか。あんな何の淀みの無い微笑み。

 あいつみたいな堅苦しい奴でも、やっぱりあんな顔出来るんだな。

 シャカラータから、明日から職務に参加してくれとのことで、それまで俺は途轍もなく暇だ。なんで、取り敢えず街の散策に行こうと出向くことにした。

 特に、外に出るなとか言われてないし。このままだと息が詰まって死にそうだ。

 廊下を歩いていると、区衛兵に避けられた。視界の隅っこには、ひそひそと呟く声が聞こえてきた。

 十中八九、シルビエートに勝った所為だな。ま、手を出してこない奴を相手にするのはめんどクセェ。

 門を出た風景は、やはり何度見ても興味深い。妖精属フェアリーの興した国の首都ともなると、種族的文化の特徴が所々に見受けられる。

 例えば、蔦が這っている家々。これらはツリーハウスの代わりだ。妖精属フェアリーは低所に住み処を作らず、木の幹に穴を掘ってそこに暮らしている。あくまで昔の話だから、今のこの風景はグラズヘイムの発展と平和を如実に表している気がする。

 妖精属フェアリーだけじゃない。歩いていると、貴婦人をエスコートしている燕尾服姿のハスキーの獣人、重そうな箱を箒にかけて飛んでいる魔女、交通整理をしている人類ヒューマンと、馬車磨きをしているゴートマン、と例に漏れず共生国家としての姿も見かける。

 王族達への貴族達の態度といい、全体的に信頼感で溢れている。どこに目を移しても、笑顔が見えて大変居心地がいい。これは一度棲んだら離れられないな。

 取り敢えず、腹が減ったからメシにでもしようか。というわけで、通り掛かった『ロン・ツァンティン』に入店。一番近かったっていうのもあるけど、東洋風の社殿のような外観が妙に気に入った。

 内装も東洋チックで、天井は骨組みが丸見えで提灯が垂れ下がっている。あちらこちらから鼻腔を刺激され、俺の口はあっという間に唾液で満たされた。


「ハイハーイ、いラッしゃまっセー! 一名さんマですネ! おスキな席へドーゾ!」


 頭に龍の被り物を被ったウェイトレスに言われるままに、俺は奥の席に座った。取り敢えず、店のオススメ欄に載っていた『ロックバードの棒棒鶏』を注文した。

 一見すると、切り分け盛り合わせた鶏肉に赤みがかったタレにぶっかけたという一皿。だがわかる。俺の鼻はわかるぞ。辛味は勿論、その裏からフレッシュな果実が後押ししている。ほんのりとしたこの甘味はブドウだな。隠し味か? 一口含んでみれば、じゅんわりと口内が刺激的な幸福感に満たされた。熱と辛さに滲んだ甘味がクセになる。

 こりゃあええ。帰ったらお姫様に食わせてやろうっと。

 昼飯を済ませたら、街の散策を再開する。どこに行っても空気がウマイウマイ。

 時折、小妖精ピクシー達の怪しいものを見るような目を向けられる。ミスリル大森林に棲んでたときも、同様に警戒されたから慣れっこだけど。

 中央から離れていくと、自然味が増していった。家の外観なんか、樹木と見分けがつかない程に一体化が著しい。ここらの通りはあまり派手じゃないな。それでも、人通りはまあまああるし。格好に貧富の差は感じないから、単に外側に行くに連れ文化がまだ発展しきっていないってところか。もしくは敢えて遺してるのか。歴史とか伝統云々のことはよくわからないけど······。


「もし、そこの人兎の御方」

「ん?」


 唐突に女の声がした。その方向に首を向けると、紫の生地に星屑模様の日傘の下に黒い水晶玉の乗った卓を前にベールを被った女が座っていた。

 うっすらと、青紫の紅をさした唇が覗いてくる。妙な存在感だな。


「呼んだのはあんたか?」

「如何にも、貴方を呼んだのはわたくしです。人兎の御方、貴方からは興味深い流気オーラを感じたもので、呼び止めさせて戴きました。わたくしはこの通り、占いを生業としておりまして。お時間に余裕があれば、じっくりと見させて戴かせてもよろしいでしょうか?」


 道理で、と思った。

 占い――――世間一般的に“占星術„と呼ばれるかなり特異な技能。未来や過去、更には個人の“流気オーラ„とやらからその時の気分や暮らし、果ては誰も知らない自分だけの黒歴史まで見通すという。仕組みは未だに解明されていないから、胡散臭さがえげつない。

 何より、俺から声をかけたならともかく、何も無しに寄ってくる奴にろくなのがいなかった気がする。


「そう警戒しなさんな。別に、とって喰らおうなどとは考えてはおりませんよ。わたくしは、貴方の命や力に微塵も興味はありません」

「だったら、なんの用?」


 女は微笑んだ。


「ただ、占い師として貴方の巡りに興味が湧いただけです。ここで会ったのも何かの縁。これは経営ではなく、わたくしの趣味嗜好ということで、代金は支払わなくても構いません。如何です?」


 両手を広げ、女は俺を引き込もうとしていた。

 胡散臭いは置いておいて、俺は占いに興味が無い。魔術や呪術とは違い、占いもとい占星術は才能が十割物を言う。

 運勢を当てる程度ならともかく、他人の物事を覚るディープな占いは無理だ。付き合う筋も無いし。

 だが、まあ······――――


「暇潰しには、丁度ええか」

「よかったです。ささ、そこにお着きになって」


 椅子に座って女と向き合う。


「では、始めます」


 女が水晶玉に手を添えてから、静かに空気が流れた。ただ座っているだけだから、気が抜けて眠くなる。

 暇潰しにするにはこれはのんびりしすぎだ。ちょっと、失敗した。

 十五分は経っただろうか。目蓋が重くなって、ほとんど視界が塞がってきたところに女から「いいですよ」と終わりの合図があがった。


「フフッ」


 女は怪しく笑った。


「なんだよ」

「いいえ。やはり、わたくしの目に狂いは無かったな、と思いまして」


 自画自賛かよ。


「貴方は大変興味深い。これまでも、これからも。恐らくは、わたくしの占い師としての生涯始まって以来の、空前絶後の宿命が貴方を待ち構えています。詳しくお聞きになられますか?」

「······」


 正直、気にはなった。俺は俺を知らない。だから、ふと俺自身のことを考えるときがある。

 どうせ思い出せないしで、無益だとすぐに振り払ってきたのだが。

 こればかりはどうしようもない。そう思って、最近は考えないようにしていたのに、思わぬところで掘り返されちまうなんて······俺、弛んでるな。

 女はワクワクしている様子だった。

 お姫様とか、度々俺の記憶喪失を気にかける奴はいたにはいた。失くしたところで別段困ることは無かったから――――おかしいな。今、なんか胸がざわついた。


 ······本当は、知りたいのか?


 嫌々、バカを言うな。俺は俺だ。俺なんだ。だから過去まえも俺で、未来さきも俺のままなんだよ。

 そもそも、先のことなんて今知ったところでなんだっていうんだか······。考えるだけ、めんどクセェ。


「いいよ。聴かなくて」

「そうですか。それは少し、残念ですね」


 俺は足を早くして女から離れた。断念、どっちかっていうと拒否か。

 聴くことに、知ることのどこにそうする理由があった?――――つーか、なんで俺は、逃げているんだ?



 ++++++++++



 その占い師は、人知れず店を畳んだ。確かに在ったそこには、裏路地へと続く陰った道が続いているだけ。

 誰も近づかない、ひっそりとした都の裏道。角を幾度と曲がって奥の奥へと進んでいくと、無人の家宅の裏側の壁に扉の無い枠が立てられているところに辿り着く。

 枠の内には炎を象った魔法陣が刻まれており、更に足を踏み入れると、唐突に夜景が広がる。

 道路はろくに舗装されておらず砂利と泥とよくわからない残骸が固まった様で、建造物に至っては木材を適当にそれっぽく組み立てたたきぎばかりが並んでいる。

 ここは決して昼の訪れない常夜の都。世界に隣接しているはみ出し者達の跳梁跋扈する異界――――『魔都ゲヘナ』。

 名も無きチンピラや反社会勢力、更には高等級の野良魔物クリーチャー達が表世界の法から身を隠し、平然と蔓延っている悪意と暴力が支配する裏世界。

 希望という光が排斥されたこの裏世界にて、占い師は星屑模様の日傘を手に迷うこと無く道を進んでとある酒場に立ち寄った。

 店内は惨憺たる有り様で、壁と床、天井にはいつからついたものか血の染みがついており、酔っ払った柄の悪い黒豹の獣人とドワーフが苛烈に殴り合っている。拳が眠っていたトロールに飛び火して、また誰かにとを繰り返して事態は悪化。

 傷一つ負うこと無く、トラブルに遭遇することも無く、無事に一日を終えられる確率は限り無くゼロ。これが魔都ゲヘナのありふれた日常だ。


「おい、そこのねーちゃんよ! おじさんと、遊ばねーか? ん~?」


 そう生臭いゴブリンに声をかけられたならば、すかさず壁を突き抜けるまで吹き飛ばす。そうして暴力の湿原を躱し切って、占い師は店の裏手へと移った。

 後ろ手に扉を閉め、深い溜め息をついて日傘を広げる。


「言われた通り、接触してきてあげましたよ」


 灯りは奥にある蝋燭が一本だけで、怪しげながお香が焚かれていた。長居していると肺を痛めそうな重苦しい薫りが立ち込める中、蝋燭の横から占い師の報告にしわがれた男の声が応じる。


「そうかい。で、どうだった?」

「ええ。とっても魅力的な兎でしたよ。正直、お誘いを戴いて少々感謝しています。佇まいは温風に撫でられる草花のように穏やかながら、その身の内には凄まじい獣を宿している。あれなら、貴方の願いに添うのではないのでしょうか? 詳細は、このように――――」


 占い師は漆黒の水晶玉を出し、光の塵を撒き散らした。これを浴びることによって、占い師が見た事象や占いの結果が他者の脳内に映像化される。

 男は、満足そうにうっとりとした溜め息を吐いた。


「いいね。うん、とてもいいよ」


 男の声は掠れていながらも、歓喜がこもっていた。女は声のする方を、気色悪そうに見ている。


「お気に召したようでなにより。言っておきますけど、わたくしが協力するのはここまで。まだ付き合わせようというのであれば、追加料金は五倍吹っ掛けさせて戴きますので」


 女が低いトーンでそう脅すと、男はヒェッヒェッヒェッ、と渇いた笑いをあげた。


「安心してよ。そこまでワガママは言わない。キミはボクの頼み事を全うしてくれた。十分だよ。これ以上、大物をこき使うのは忍びないしね。魔帝候補第2位"女災司ザラーム・ビッラウラ"アルフライラ・ワライラ様ともなれば、尚更ね」

「その肩書きは好ましくありません。二度と呼ばないで。では、わたくしはこれで」


 占い師――――アルフライラは不機嫌な表情のまま転移魔術を使って去った。

 重圧的な空間に一人残された男は、指で地面に四本の牙を中心にギザギザの線で囲んだ魔法陣を描き、その上に蝋燭を置いた。


「【招来承認インヴァイト・サイン】」


 ひっそりと呪文を唱えたと同時に、蝋燭の火が猛々しく盛って魔法陣を覆う程に炎上した。火花を散らし、赤い鱗の革ジャンを羽織った赤毛の青年が現れた。

 彼は四大精霊の一角、【火焔】【愉楽】【運動】を司る精霊である“火精雄サラマンドラ„ナキュイユ・ジールだ。

 

「お? 早かったっスね」

「ああ。仕事が早いと助かるね」

「そっスか。で? 収穫の程は?」


 ナキュイユは腕を組んで訊ねた。男は包帯で巻かれた顔をにこやかにして答えた。


「うん。予想以上だよ。もしかしたら、キミの仮説が正しければ、あの兎こそそうかもしれないね」


 男がそう答えると、ナキュイユの顔は享楽を覚えたように笑みを浮かべた。


「で、どうするんスか?」

「どうもこうもないよ――――」


 男は立ち上がって嬉々として続けた。


「――――決行だ。精々頼むよ。魔帝候補第10位"燐廻フレア・リング"くん」


 この男、名をテールギア。魔帝候補に次ぐ脅威として知られる、五人の病的害悪の内の一人である。





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ケモノガカリ~ファンタジー世界の嫌われ者~ 南無珠 真意 @kakeluyamato

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