目の前の栄冠【クロヌ・ド・ローリエ】




 奴隷狩りは必死に森を走っていた。シラの渾身の一撃から逃れ、すぐにでも世間から身を隠そうと考えながら。


「ちくしょー! なんでこんな目に遭わなきゃいけないの?!」


 今になって、愚かな事を仕出かしたと後悔した。カールから渡されたダーインスレイヴを手にしたことで力に酔い、いつも以上に殺意を振り撒いて回った。

 まさか、自身を凌駕する相手がいたなんて夢にも思わなかった。それも二人も。

 一方的に痛め付けていた彼にとって、逆をされることはこれ以上無いフラストレーションであり、恐怖を抱くにはあまりにも単純な理由になりえた。

 しかし彼の命運は、二羽の兎に出会うよりも前、とっくに尽きているも同然であった。何故なら、決して名乗ってはいけない名を偽っていたからだ。

 そんなこともいざ知らず、無我夢中で逃走している最中、奴隷狩りの脚を鋭い何かが貫いた。転倒し、自身の脚に目を向ければ腱に穴が空いていた。痛みが遅れてやってきて、立とうとすると余計に響く。


「お前か? “花園の禍異獣ジャガーノート„を名乗る曲者は」


 途轍もない殺気を奴隷狩りは感じた。その幼げな声に心はなく、答えなければどうなるかを悟らせる気迫を放っていた。

 目前、森の奥から現れたのは魔帝候補第8位“蒐血姫カーミラ„の異名を持つ吸血鬼エリーゼ=ゲー・ボーンだった。彼女は艶のある黒毛の馬に跨がっていて、いつもは物々しい装飾をしたうぐいす色の軍服を欠かさないのだが、今日は気品に溢れた真っ白なセーラー服をしていた。首には水色のスカーフを巻いて、帽子もつばが藍色で服装に合わせた白いものだ。


「なに······なに······?!」


 恐怖心にかられ、、奴隷狩りは問う。

 エリーゼは、呆れた溜め息をついてから答えた。


「つい最近、この近くで運命の出会いをしてな。人探し、いや、兎を探していたのだが、どうやら別の獲物が目に入ってしまった。だから、お前をここで殺すとしよう」


 奴隷狩りを悪寒が襲う。

 彼の失敗は、エリーゼが何よりも憎む相手の通り名を名乗ることであった。これは彼女の逆鱗に触れることを意味し、理不尽にも殺す動機としては十分なのだ。

 少しでも噂が飛び交えば、十人の魔帝候補で最大の勢力を誇るエリーゼ=ゲー・ボーンの耳へとすぐに届く。どんな些細なことであっても。


「どいてよ! オレはきみなんか知らないよ!」


 片手剣を振り回して、奴隷狩りは威嚇した。だが、エリーゼは動じない。


「問答無用。貴様には報復が必要だ。紛らわしい真似をしておいて、このまま悠々と生を謳歌できると思うなよ? 紛い物に弱者風情が!!」

「ヤダ! イヤだ!!」


 翼をを広げてその場から飛び去ろうとするが、力を出せなかった。翼は徐々に渇れていき、羽毛が一本、また一本が抜け落ちる。さらに、シラに負わされた傷口から血がエリーゼの手元へと集まっていった。


「なに、こ······れ······ヤァ······ダ······――――」


 やがて全ての血が抜け切って、悲鳴と身体が枯渇した奴隷狩りの身体は見るも無残なミイラへと成り果てた。エリーゼが集めた血の塊を握り潰すと、奴隷狩りは砂となって風に乗って運ばれた。


「穢らわしい愚か者め――――はぁ、ジンテツに会いに来たというのに、憂鬱なことだ。帰って風呂でも浴びよう」


 エリーゼは解消できない残念な思いを抱えながら、森を立ち去った。




 ++++++++++



 ダーインスレイヴとの闘いから五日が経った。窓から朝日が差す医務室、ベッドから腰を起こしたジンテツの左目――――右目には包帯を巻かれている――――に灰色になった髪を通して、見知らぬ男が背もたれに両腕をかけて座っているのが映った。ベッドと向き合う形で。

 男は二十代後半で、端整な顔立ちと黒いマッシュでスカイブルーの瞳をしていた。特に、片眼鏡をかけた右目は雲一つ無い蒼穹のような清々しい雰囲気を漂わせる。

 袖の大きな白いローブを肩にかけて、その背には白金で三本の剣が刺繍されている。ローブの下は半袖の白いシャツに藍色の革ズボンといずれも高価そうな風体だ。

 そんな男はジンテツが目覚めてからというもの、ずっと微笑んでいる。目を細めて、ニコニコと。


「やあやあやあ、お目覚めは快調かい? ジンテツ・サクラコくん」


 男は右手を軽く振って言った。周囲には星屑じみたオーラのようなものがキラキラと輝いており、純粋友好度百パーセントといったところだろうか。

 危害を加える気を全く感じられない。しかし、服装といい挙動といい、怪しさ百五十点満点。いくら戦意も敵意も感じられないとはいえ、こうも理由の見えない態度をとられてしまうと、経験則から素直に受け取りにくい。

 よって、ジンテツが選択した行動は――――取り敢えず布団を被って二度寝する。


「ちょいちょいちょいッ!? そんな反応されるとスンゴイ困るんだけど?!!」


 ジンテツは不動を貫こうとしていた。構ったら絶対に面倒臭いことになると悟って、きっぱりしかとする腹積もりだ。

 男は伸ばした手を肩ごとぶらんと落とし、頭を掻いて重い溜め息を吐いた。


「まずは自己紹介からだったね。わたしとしたことが、失敬失敬」


 男は背筋を上げて、続けた。


「共生国家グラズヘイム第一皇太子にして、王位継承権暫定一位――――トマス=ジーロフィクス=フードゥルブリエ。そこでよだれ垂らして寝ているクレイの、“兄„だよ」


 男――――トマスと名乗った彼は、人差し指を伸ばした。目でなぞれば、ベッドの傍らに自身の腕を枕に突っ伏して寝ているクレイがいた。トマスの言う通り、だらしなくよだれを垂らしている。

 そして、聞き捨てならない発言『クレイの“兄„』というのが引っ掛かって、ジンテツはトマスに顔を向けた。


「聞いていた話より、五倍は容姿端麗だね。これで男性だと言うのだから、最初は驚かされたものだよ」

「聞いたって、誰に?」


 訊ねると、トマスは向かって左のベッド向いた。ジンテツもついていくと、カーテンがシャッと開いた。アリスだ。彼女は静かに一礼をしたら、またシャッとカーテンを閉じた。――――成る程、こいつか。とジンテツは即座に理解した。


「アリスは、クレイの専属メイド兼監視役なんだよ。三日に一度、クレイの動向を報告させている」

「ふ~ん」


 ジンテツはトマスに視線を戻した。


「他にも、君の武勇伝をいくつも聞いてるよ。優秀すぎる問題児だってね。しかも、クレイが君を騎士にしたっていうのがね。頑なだったのに、なんの風の吹きまわしだって、驚かされたものだよ」

「············」

「昔からクレイは意地っ張りでさ。何かと強がって、張り切った結果、空回りすることが多くて。その度に泣くのを我慢して、誰でもいいから支えてやってほしいって思いはあったんだよ。まさか、とうとう自分から選び出していたなんてね······ほんと、他人の成長はわからないものだね」

「で、なんの用だ?」


 ジンテツは単刀直入に核心に迫った。トマスの目は一度冷静なものになり、閉じた口をニコッとさせた。


「別に、用って程でもない。単に、妹がどんな輩を騎士に迎えたのか純粋に気になってね。少々、気にかかるところはあるけど、まあ、クレイが選んだ騎士だ。少なくとも、悪い奴じゃない」


 不思議と、ジンテツはトマスの右目に目が行った。何かを見透かしたような視線に刺され、背筋がゾワッとする。


「まあ、そう身構えなくていい。わたしは君の味方だ」


 トマスが今最後に口にした一言に、ジンテツの両耳の先がぴょこっと跳ね上がった。男だから差異はあるが、口調、声質、それらの雰囲気が傍らで寝ている少女ものと重なった。

 この感じは知っている。信用していいものだ。

 ジンテツは警戒を解いて、身体中で張り詰めていた力みをすーっと落とした。


「ありがとう」


 トマスは嬉しそうに感謝した。ジンテツの方は、不覚をとられたことをやや悔しく思った。

 クレイが「ん~」と、一際大きく寝息を立て、二人は同時に目を向けた。さらに首だけ寝返りを打ったところで、また二人して同時に噴き出しそうになった。


「「子供だな」」


 同じことを口にしたと気づいたときには、またお互いに目を合わせていた。ジンテツは複雑そうに眉をひそめて、トマスは我慢できず噴き出した。


「ごめんよ。わたしを前にそんな反応するのは、身内と親友を含めても少なくてね」

「別に、あんたがどこのなんであろうと、俺が一々態度を変える義理がどこにあるよ」

「······へぇ~。成る程ね。確かに、これは興味深い。クレイが懐くわけだ。」


 トマスは小声で感心していたが、ジンテツは聞き逃さなかった。面倒な予感を察知して、再び警戒心を視線に乗せる。


「サクラコくん、いや、この際だから、わたしも腹を割るとしよう――――ジンテツ、君のことを少々誤解していたよ。もっとこう、ギラついた猪みたいな奴だと思っていた。心から謝罪する」

「ケツ、蹴っ飛ばすぞ」

「メンゴ。というわけで、だ。君には正式な『騎士』になって貰う」


 ジンテツは首を傾げた。


「一応、俺はお姫様の騎士ってなってるんだけど?」

「ああ。確かに、君はクレイにのみ・・任命された“仮の騎士„だ」

「仮の?」

「そう。実質的に騎士ではあるが、公式では未だに君は奴隷だけの肩書きしか持っていない。勘違いされがちだけど、騎士になるにはちゃんとした手順があるんだよ。まずは王族の誰かからの推薦に始まり、さらに他の王族や国の要人達からの同意を得て、御披露目を済ませたらようやく『騎士』という栄冠が授与される。君が寝ている間、海外視察から帰還したそのすぐ後に、わたしと現皇帝、そしてグラズヘイムの政権、国防、ギルドとそらぞれの頂点達の賛成を以て、君の叙勲式を執り行う運びになった。これがその証印だ」


 トマスは【収納空間ストレージ】から一枚の巻物を取り出して、ジンテツに投げ渡した。開いてみれば、今さっきトマスが言った通りの文章が記されていて、一番下には十四の捺印が押されていた。

 厳正な評議のもと、決定されたものであるのがよくわかる。されど、ジンテツは国政に全く興味が無いため、特に何かを思うことはなかった。


「で、俺にどうしろと?」

「しばらくの間、君には一度王族のお膝元である首都に来て、ある者達と行動を共にしてもらう。その際の常々の品行、活躍等々を以て、クレイの騎士に相応しいか否かに厳正な最終判断を下す。これが大まかな叙勲式の流れで、口うるさい重役達を黙らせる最適な方法だ」

「なんだよ。全員が承認しているんじゃないのか?」

「紙の上ではね。彼等には君と違って、立場と体裁がきちっとしている。わたしと現皇帝は賛成だったから、反対派は強く出づらくなっちゃっているのさ。まあ、君の戸籍票を見たら当然だろうけど」

「で、条件付きで追い打ちした結果、穏やかじゃない儀式をやることになったと」

「まあね。皇太子権限プリンスパワーってやつさ。あとは、君が力を存分に見せつけてやればいい。それと、うちの叙勲式はこんなもんだよ。人徳云々はともかく······とは言い切れないけど、根幹は実力主義だからね」


 ジンテツは渋い顔をした。自慢気に説明される事柄に、全面的に面倒臭さを感じて嫌に思っている。


「なぁに、君が王族の騎士となりえる実力を見せつければいいだけの話。なにも難しいことじゃないだろ? なんだったら、ご自慢の黒霧を出せば即納得するかもしれないよ?」


 思わずジンテツは目を見開いた。薄々予想していたが、トマスにも素性を知られていた。情報源は明らかに、隣のベッドにいる金髪メイドだ。


「わたしは目が良くてね。一見しただけで、相手にどんな能力が備わっているのかがわかるのが売りなんだけど、どうしてか君からは何も感じない。何も、感じなさすぎる・・・・・・・。影絵、とでも形容するべきか。まるで、切り抜かれたみたいに君からは一切の魔力を全く感じないんだよ。かといって、呪術、錬金術、占星術等々に長けているわけでもない。果たして、ジンテツ・サクラコはどんな力を持ち合わせているのやら。この聖王の右目を以てしても、判別し難いという異例」


 トマスの口調は、低く落ち着いたものになっていった。自身の右目に手を掛け、指の隙間からジンテツをじっと覗かせる。彼の瞳には、野兎の輪郭がはっきりしていない。


「とにもかくにも、ジンテツは得体が知れないわけだ。それを有用価値と判断させるには、わたしという世界最強の人外が出払わなければならないのさ。お分かり?」


 張った胸に手を当て、自信満々な様子でトマスは言った。「世界最強」の辺りを強調したのには少々鼻についたものの、ジンテツは視線を落として彼の提案の意義を考えに考えた。

 以前、騎士についてアリスに訊ねたことがある。そのとき、彼女は「『騎士』に任じられた者は主の所有者となる」と言っていた。奴隷にされた時点で、既にクレイの管理下にあると思っていたジンテツは、それを聞いてそんなものか、と気楽に受け取った。しかしながら、トマスの説明からすると、騎士になるには他に認めさせなければならない者から認められなければならない必要があるという話になっている。

 なんとも難儀で、ややこしくて、面倒臭い話だろうか。考え疲れて、目蓋が重くなってあくびが出る。


「今日はここまでにしよう。目覚めたばかりで、立て込んだ話をしてすまなかったね。この事は改めて、後日じっくり相談するとしよう」

「一ついい?」

「ん? なんだい?」

「認められなかったらどうなる?」


 ジンテツは目蓋を擦りながら訊ねた。

 あくまで素朴な疑問。ジンテツにしたら、他意の無い興味だった。騎士になれなかった場合の、考えられる可能性の参考として。

 それに憐れみを懐いたトマスは、瞬きを挟んで答えた。


「君は奴隷のままだろうね。肩書きというのは良くも悪くも、しがらみになるものだ。いくら、栄えある称号や実績を誇ろうとも、全てと言わずも多くの民が君を前科者として密かに蔑むだろう。下手をすれば、恐怖の対象として笑顔を見られぬ生涯を送るかもしれない」

「············」

「『めい』とは飾りだが、また厄介な染みだ。取り除くのに、何本の骨を折ることになるのやら······――――しかしだ」


 気の毒そうだと俯かせていたトマスは、一転、途端に顔を上げ明るい表情を向けて続けた。


「クレイは何がなんでも、君を騎士にするだろうね。何度却下されても、めげずに推し続ける。そんな必死な彼女の姿が浮かんでこないかい?」


 トマスに促されるままに想像してみる。確かに、クレイが色々と悪戦苦闘する様が簡単に思い浮かべられた。また、成功したときの喜色満面まで。

 思わず、笑みが溢れる。


「ったく、世話が焼ける」


 クレイの頭を撫でるジンテツの表情、手の緩やかな動き、まるで寝る子を愛でる母親のようであった。それを見たとき、トマスは満足そうに歯を見せる笑顔を浮かべて、椅子から立ち上がった。


「ま、そういうことだ。今後とも、妹のことをよろしく頼むよ。そして、いずれは彼女だけでなく、万人に憧れる騎士となること願うよ。精々、頑張りたまえよ」


 エールを送ったトマスは、医務室の入口まで行って、ドアノブに手を開けようとしたところで「あ、そうだったそうだった」とジンテツに首だけ振り向く。


「愛する家族いもうとを救ってくれて、ありがとう」


 そう言って、トマスは音を立てないよう配慮しながら出ていった。一瞬だけ、背の三本の剣が光に反射する。

 ジンテツは自身の右耳の先をいじくりながら、先程までトマスの言っていたことを繰り返し、繰り返し頭の中で流し続けた。

 思考に一息つけたら、まだ起きる様子の無いクレイの寝顔を眺める。気の抜けきった無防備なお姫様。顔に落書きするのも、髪型を弄くり回すのも容易い。実際、前者は既に実行したことがある。

 しかし、そんな気は更々起こらなかった。一体どんな夢を見ているのか、仄かに赤い頬は緩んで時折「にゅひひ」と微笑を溢す。


「なあ、アリス。聞いてる? 聞け」

「なんでしょうか」


 隣のベッド、そのカーテンの後ろからアリスが淡白に返事した。


「俺は強いよな」

「そうですね。凶悪なまでに」

「お姫様はどう?」

「······強いですよ。しかし、心までは」

「俺、要る?」

「············。本人は、それを望まれているでしょう。であるならば――――――――貴方は成るべきだ。······成らなければならない」


 平静を装いながらも、微細な呼吸の差からアリスに戸惑いが見られた。だが、そんなことはどうでもいい。戸惑っているのはジンテツも同じだったからだ。

 野生動物は、己の損益しか考えられない。特に、単独で行動するタイプであるジンテツとなれば、今の今まで自身が平穏であれるかどうかにしか重点を置いてこなかった。

 トマスとの対話によって『騎士』という存在が明瞭になった。今、ジンテツの中で何かが覆されようとしている。

 異常事態を検知し、ざわつく胸を押さえる。



 ++++++++++



 二日後、ジンテツは退院した。アルフォンスやピットから労いを込めた祝いの席を用意されていたが、行きたいところがあるとして時期を改めることにした。

 ジンテツが向かったのは、彼にダーインスレイヴの奪取を依頼したドワーフ兄妹の工房だ。

 店先の結界を越えると、珍しく静かだった。釜戸に火も焚いておらず、外よりは若干温い。

 香ばしい茶の匂いがして、断りなく奥の住居まで足を踏み入れた。そのとき、丁度紅茶を運んでいるデーインが通りかかって、お互いに目が合う。


「あ······に、兄さん!」

「デーイン!!? 何事か!!!」


 ドーインが慌てて出てきた。デーインの指差す方に首を向け、ジンテツが目に入る。


「こ、これはこれは、騎士様!!! よくぞご無事で!!!」

「や」

「ささ、どうぞ上がってください!!!」

「ああ」


 ドーインに促され、ジンテツは紅茶を振る舞われた。兄妹二人は、それぞれ反応が違っていた。

 ドーインは安堵で胸を撫で下ろし、デーインは右目にかけられた眼帯を見ておどおどと怯えている。

 ジンテツからしたら、空気の微妙な違いに紅茶を濁されている気分で快くない。


「この度は、我々の無茶なお願いを聞いていただいただけでなく、達成まで!!! 誠に、誠にっ、ありがとうございます!!!」

「ああ、気にしなくていいよ」

「それで、この度はどうされたので!!? 依頼の件でしたら、諸々の始末はお姫様が代理でお済みになられた筈ですが!!! 報酬もそのときに!!!」

「聞いてる。俺がここに来たのは、ダーインスレイヴのことで話したいことがあるからだよ」


 ジンテツがそう言うと、デーインの不安が伝染したようにドーインの顔色がやや曇った。ギリギリのところまで膨れていた懸念が、安堵の殻を決壊させた。


「この度はァァァァァァァ!!! 大っ変っ、もーしわけございませんでしたァァァァァァァ――――!!!」


 床に穴が空きそうな勢いで、ドーインは凄まじい土下座をした。デーインも、ささやかに彼に続いて頭を下げる。

 ジンテツは兄妹の突飛な行動に、思わず茶器を口から離した。


「なんのつもり?」

「姫様が代理で依頼達成の処理に訪れたときより、我々は不安が絶えませんでした!!! 姫様は大丈夫だとはぐらかされておりましたが、やはり騎士様とてあの忌み物相手には無事では済まされず、相応の苦戦を強いたことは明々白々!!! 我々兄妹は、改めて大変な失態を犯してしまったと心より恥じました!!! 末代に至るまでの!!! 取り返しのつかない失態を!!!」


 ドワーフ兄妹の体は震え、目から涙が浮かんでいた。彼等が一族最大の汚点と評した魔剣を易々と盗まれ、その所為で多くの犠牲者を生んだ。

 道具、道具を作る心根、遺志、信念、在り方。ドワーフは生まれつき、本能的な誉れを有している。十人十色ではあるものの、この兄妹にとって武器とは守る為の手段だ。

 鉄を打つ度に込めるのは、いつだって誰かの安寧と戦士の無事。しかし先祖の生み出してしまったダーインスレイヴは、正しく異端そのもの。

 悔いているのは盗まれた恥だけではない。破壊できず、封印するしか手立てを講じられなかった恥も含まれている。本来ならば身内で解決しなければならない不祥事を、ほとんどなにも知らない他人に委ねてしまった。

 臆病風に吹かれた結果が、また更なる悲劇を起こす手前まで行った。生き延びてくれたとしても、逆に最悪の事態が起きたかもしれないと想像してしまう。

 情けない。なんと情けない。兄妹は、ジンテツの顔がまともに見れなくなっていた。


「お前ら、なんか勘違いしてない?」

「か、勘違い、ですと?!! それは、どういう······」


 ドーインは頭をゆっくり顔を上げた。

 

「ああ。別に俺は予想外な厄介さで死にかけたって愚痴を吐きに来たんじゃない。ダーインスレイヴの末路を、伝えに来た。お姫様、言ってないでしょ? まずは耳をかっぽじって聞きやがれ」

「は、はいッ!!! デーイン、お前も直れ!!!」


 兄妹は二人して正座し、ジンテツの言葉を待った。

 語られたのは、ダーインスレイヴから感じた気配を野兎なりに解釈した真意だった。血に飢え、戦いに飢えた魔剣は魂を宿しても尚、己の存在意義をその貪欲さで全うしようとした。

 全身全霊で命のやり取りを渇望し、ジンテツと相対したことでようやく叶うことができた。所有者を道連れにするというたちの悪さはありつつも、未練は残らなかっただろうとジンテツは穏やかに締め括った。

 聞き終えた兄妹は、また涙した。付喪仮神属ポルターガイストという種族のことは知っていた。薄々そんな気がしていたが、まさか本当だったとは。

 複雑な気分だった。道具、武具を生み出すドワーフにとってポルターガイストとはまさに己の信条が真の意味で形を成した究極の頂。それを生み出した先祖の血を引いていることは嬉しく思う反面、やはり魔剣の被害には悔恨が沸く。――――だが、これだけは言っておかねばと、兄妹はまた床に額をつけた。


「騎士様ァ!!! 我等が先祖の忌み物、いえ、延々と続いた辛く過酷な未練をこの世から解放していただき、誠に感謝致しますぅ!!!」

「ありがとう、ございます······」


 ドーイン、デーインと咽び泣きしながらの精一杯の感謝を、ジンテツは静かに受け取った。同時に兄妹の様子を見ていると、胸のざわめきが波打つのを感じた。



 ++++++++++



 散々、ドワーフ兄妹の涙ながらの感謝を受け、ジンテツは鍛冶工房を後にした。特に何を思うわけでもなく、壁内領を歩き回った。

 時に子供と戯れ、時に老人に道を尋ねられ、また時には酒屋の荷物運びを手伝いをさせられ、文句一つなく機械人形のように区民の相手をして回りながら、いつもの昼寝ポイントである並木道橋のにあるベンチに座った。

 日は傾いて、空は茜色に染まっていた。やがて日は沈んで、賑やかな人通りはそのままに周辺の街灯や建物から光が溢れ、夜空に満月が昇った。

 景色を綺麗と思ったことはない。だが、時折こういった星があまり見えない月夜は静寂が過ぎると不快に思うことならあった。森に棲んでいたときはそうだった。

 今は違う。なんか、違う。なんでそう思うのか考えた。


「··················――――――――」


 結果、わからなかった。いくら頭を捻っても、痒くなるばかりで煩わしい。

 このまま眠ってしまおうか······それもいい。それがいい。それでいい。


「とことん、めんどクセェ」

「あ、サクラコさん?」


 聞き覚えのある女性の声がして、その方に目を向ける。私服姿のコンスタンだった。紙袋を抱えていて、買い物帰りのところらしい。


「奇遇ですね。隣、いい?」


 ジンテツは中央から少し右にずれ、コンスタンに譲った。


「ビルアの件以来ですね。元気にしてましたか――――なんて、見ればわかりますよね」


 ジンテツの状態が痛ましく、様子が妙に重苦しそうだから、コンスタンはすぐに言葉に詰まった。久しぶりでどういう調子で話せばいいのかもわからず、親指を組み換えて迷走する。


「なあ、隊長さん」

「は、はい?」


 ジンテツから話しかけられ、思わず驚いてしまったコンスタン。変な反応をしてしまい、困惑させていないか心配なるが、ジンテツは構わず訊ねる。


「あんたらの仕事って、何?」


 今更な疑問。しかし、ジンテツにとって何か重要なことと関係していると察したコンスタンは、疑念を払って答えた。


「国民の平穏と安寧を護ることです」


 少し間を置いて、ジンテツはまた訊ねた。


「それって、楽しい?」

「難しい質問ですね」


 コンスタンは苦笑して答えた。


「護るというのは、それなりに危険が付き物です。嫌に思うことなんて、今でも山程あります。正直、何度も挫けそうになりました」


 この瞬間、コンスタンはグリフェールのことを思い出した。


「護るというのは大変です。大きいものも、小さいものも、いつ消えてしまうかもしれない恐怖と闘いながら日々を過ごすわけですから。でも――――それでも私は、ずっとここにいるんだなって思います」


 コンスタンの顔が明るくなった。街灯の灯りの所為じゃない。彼女の表情が明るくなった理由を、ジンテツは目にしたと同時に褪せないうちに何度も何度も考えた。暗がりの中を、草の根を分けて正解を欲した。


「なんでだ?」


 静かな質問。されど、余裕が無いのをコンスタンは察していた。そういう思考回路を持つ者の心象はよく知っている。


「そうしたら、私の平穏も護られる気がするから」


 答えを聞いたジンテツは、胸の奥に言い知れない重みを感じた。払い落とそうとして手を胸に押さえつけるも、落とすどころか掴めてもいない虚しさも湧いてきた。


「私からも一つ、お訊ねしても?」

「ん」

「サクラコさんには、何か護りたいものはありますか?」


 コンスタンは瞳の奥を見通すような眼差しをしていた。質問に答えたお返しを待っている。

 ジンテツは迷った。問いの意味からわからなかったからだ。

 護る――――ジンテツにとって、その対象に該当するのは自身の平穏のみ。程々の騒動はありつつも、なんとなく緩やかな、精々昼寝する暇ができる程度のまあまあ平和な日常。そう答えれば済む筈が、どうしてかコンスタンのとは違う気がして口が動かない。

 背を丸めて、地面に映る自身の影を見つめる。こんなことしても、なにも見つけられないのに。


「あなたには、少し難しかったでしょうか」

「そう、だな」


 コンスタンは目を見開いた。ジンテツの考え込む様子に、戸惑いを感じられた。

 何事もきっぱりと即断即決できる猛者と思っていたが、この問題に関しては苦手、というか触れてこなかったというような印象だ。


「俺は、俺が生きられればそれだけでいいと思っていた。喰わなきゃ生きられない。だから殺す。俺を生かすその為だけにね。······でもさ。最近、お姫様に会ってからどうにも調子がおかしい気がするんだよな。妙な気分になるんだ」

「それは、どういった気分ですか?」


 コンスタンの胸は期待で高まって、喰い気味に詰め寄った。


「なんていうか、触れて欲しくないっていうか······踏み入って欲しくないのとは違う。なんだろ?」


 ジンテツの迷走ップリを見て、コンスタンはもどかしい気持ちになった。身体では理解しているけれど、心がそれに追い付いていないようだ。

 コンスタンはジンテツの素性を知らないが、奴隷という身であることから何らかの罪を犯した咎人という認識でいる。その設定のまま、内心で解釈した。

 彼はとっくに気がついている。周囲の環境の変化に伴って、自身の心身も適応しつつあると。

 教えるのは簡単だが、言ったところで整理するのは結局ジンテツ本人だ。変に諭したり示したりしても、彼の中で、彼自身を確立させているものを鈍らせてしまうだろう。これ以上は無用だ。


「もういいですよ。その答えは、後々わかったときに聞かせてください。私はこれで」


 余計なお節介は止めようとして、コンスタンから切り上げた。柔らかく一礼してから立ち去る彼女の背中を、角を曲がるまでジンテツは見送った。

 ベンチでまた一人、静かに夜空を仰ぎ見る。

 人の通りがなくなって、一つ、また一つと家の灯りが消えてきた頃、壁際の方から、やたら騒がしく活気のある潮騒が聞こえてきた。そっちにも行こうかなと思ったが、最近面倒沙汰に巻き込まれたのを思い出して断念した。

 まだ帰る気分になれない。だからと言って、ろくに暇潰しも思い付かない。


「············――――すぅー······すぅー······」


 取り敢えず、寝ることにした。



 ++++++++++



 次に起きたときには、街灯だけが灯っていた。腹時計からして、一時間と少しくらいが経っただろうか。夜虫の唄が空を流れ、吐いた息は涼しい空気で白く色付く。

 数匹の小妖精ピクシーが街灯の灯りに依り集まって寝ている。そこからまた淡い緑や青といった色取り取りの光の塵が降ってきて、これに混ざって街灯の灯りもまた怪しい色に変わる。


「行くか」


 ジンテツは立ち上がって、街の暗がりを歩いた。時には家と家の間の路地を行き、ゆったりした足取りで屋根から屋根へと渡った。そうしていく内に、気がつけば壁の上に停まっていた。

 真っ暗闇の先には、約一ヶ月も前まで棲んでいた森。うっすらとした点だが、小さな光が灯っているのが見える。


「あんなとこにも棲んでる奴がいるんだな」


 暗転しきった壁外領を一望しながら壁の上を歩く。途中に、区衛兵の見張り番に驚かれるも、なんらリアクションを取らず、それどころか関心も無く過ぎ去る。

 半分まで来て、今度は壁内領に首を回した。

 壁際の区画が一際激しい光を放っている。内側にいく程にそれは暗くなっていき、区庁は所々の部屋にまだ灯りがついている。住まいのカーズ・ア・ラパンは見えない。


 トマスの勧誘。

 ドワーフ兄妹の涙。

 コンスタンの理由。


 いずれに対しても抱くのは同じ。絡まった糸みたいに、胸の奥で引っ掛かる重い重い何か。

 その正体を知ったところでなんというのか。

 何も知らなくていい。何もわからなくていい。

 ただここに居る。ただここに在ることこそが、全てでしかない。

 だって何も憶えていないのだから······。


「あぁ、めんどクセェ······」


 結局、ろくな解消も叶わず、億劫のままジンテツはカーズ・ア・ラパンに帰宅した。

 らしくもなく色々と考えすぎた所為で、先程仮眠を取った筈なのにもう疲れている。これ以上は頭を使いたくない。とっとと風呂に入って、ベッドに沈みたい。

 そう思いながら、重々しく玄関口を開ける。


「ジンッくーーーーーん!!!」


 瞬間、腹部に強烈な衝撃が叩き込まれた。後ろに大きく吹き飛び、腹に目を向ければ黒いものがもぞもぞと擦りついていた。


「なんや?!!」

「えっへへへへ、ジンくんだぁ~! ジンくんの匂いがするぅ~! ヒッ!」

「お、お姫様ァ?!」


 顔を真っ赤にしたクレイだった。頬は今にも溶けそうな程に緩みきっていて、吐く息からは濃密な酒の匂いがする。今すぐ起き上がろうとしても、クレイはどくどころか離れる気配が微塵も無い。


「おい、離せ! 邪魔!!」

「ヤーら~! ギューしよ! ねえ? ギュゥゥゥゥゥゥ――――」

「ウゼェ!!」


 煩わしさが頂点に達し本気で蹴り飛ばそうとした直前、また別の知っている女性の声が聞こえてきた。そっちに向ければ、スヴァルが慌てた様子で寮から出てきた。


「ああ、もうクレイ嬢、ダメだよ! 騎士ナイトくんが嫌がってるでしょ! ほら、こっちおいで」

「ヤらヤら、ギュってしてる!」

「もー、いつも以上に頑固だな。騎士ナイトくん、悪いけどそのまま入って」

「はぇ?!! ちょっ、おい! 待て!!」


 スヴァルは先に行ってしまい、ジンテツは渋々クレイを引き摺りながら玄関口を潜った。それと同時に、目が、耳が、鼻が、食堂から漂うものに反応した。歩みを進めていくと、より強く、より明瞭になっていく。

 ジンテツは、クレイの重みを忘れて向かった。

 テーブルには豪華な料理が並べられ、それを見知った顔達が囲んでいる。


「あ、やっと帰ってきましたの? まったく、あなたという方はどこをほっつき歩いてましたの?!」


 ――――カイン。


「まあまあ、カイン。騎士ナイトくんだって病み上がりで疲れてるんだから、あんまりうるさく言っちゃダメだよ」


 ――――スヴァル。


「どうも、お邪魔してます」


 ――――アルフォンス。


「帰るの遅いから心配したよ」


 ――――ピット。


「どうも」

「お邪魔してます!」


 ――――さらには昼に会ったばかりのコンスタンに、セーター服姿のムクソンとバシューまでいた。


 ジンテツは何が起きているのか、状況の把握に手間取った。そうしている内に腰の重みが取れて、アリスがクレイを剥がしていた。


「姫様、一旦離れますよ」

「これ、どういう······?」


 この疑問には、距離を置かせるようにして割り入ったシラが答えた。


妖精姫フェアリープラントが突然、お泊まり会をしたいと言い出したもので、こうして皆で集まったんですよ」

「また? で、なんであいつは酔っぱらってんの?」

「ジュースと間違えて含んでしまったようで。たった一口であの調子です。ささ、料理が冷めないよう温めておきました。早く食べましょう」


 流されるままにジンテツは席に着き、シラにブドウジュースを酌まれる。主催者のクレイがでろんでろんになっているため、代わりにスヴァルの乾杯の合図で宴が始まった。

 皆から労いの言葉や退院の祝いをかけられ、スヴァルには酒を飲まされそうになり、それを止めようとしてかはたまたおかわりを望んでか、クレイが割って入って代わりに飲むと言って聞かずグビッとジョッキを傾け、結果絡みの勢いが増した。それをシラとアリスが必死で羽交い締めにして強制的に眠らせた。

 アルフォンスとピットからは平凡な世間話を聞かされた。ピットを含め、学生時に悪絡みしてきたハウフィ、エイミー、キッテルセン等の停学処分が取り下げられ、現在は冒険者になる為に勤勉に学業に励んでいるらしい。試験に受かり、晴れて冒険者になれたらアルフォンスとパーティを組む約束をしたようで、いつの間にかそこまで仲良くなっていた二人にジンテツは驚いた。

 カインからは理不尽な説教を貰った。経緯はシラから粗方聞いたらしく、その所為か今回はかなり口煩い。だが、ジンテツは反発することも聞き流すこともなく、ただ静かに聴いた。いつもなら煩わしいと思うのに、それどころかカインが騒がしくしていることが妙に気分が良い。

 よくよく聴けば、クレイに心配させるなんて何事かという旨の内容だった。――――だからか? いや、違う。カインは煩い方が良いのだ。

 ムクソンからはキャンディー、バシューからは酒を貰い、清々しく同時に口にした。爽やかでトロピカルな味がしてどんなものか訊ねたら、キャンディーはライチで酒はグレープフルーツを使っていると答えた。いずれも、グリフェールの好きな組み合わせだったと教えられ、ジンテツは「もう一回」とねだった。

 時間は早く過ぎていき、お泊まり会という催しだった筈が、宴が最高潮に達して揃いも揃って騒ぎ疲れて寝てしまった。ただ一人、ジンテツだけはまだ起きていた。暗くなった部屋を、月明かりだけが照らしている。夜目にも慣れていたから、皆の寝顔が一望できる。


「俺って、こんなだったっけ······」


 ジンテツは、椅子を枕にして寝ているクレイの頭を撫でた。すると、翅をぴょこんと弾ませて「うみゃ~」と鳴いた。思わず、笑いが込み上げてくる。

 森にいた頃は、いつ死んでもおかしくないと思いながら生きてきた。それが今はどうだ。平和で惚けきった者達に溢れた、豊かな環境に身を置いている。

 摩訶不思議でならない。だが、悪い気はしない。


「これが毒されたってやつか」

「医務室でも思いましたが、あなたでもそんな顔ができるのですね」

「起きてたの? アリス」

「メイドは、四六時中働くものですから。暇なら手伝ってくれますか?」


 アリスは転移魔術で、一人一人を部屋に送って寝かした。その間にジンテツが皿と酒瓶を回収してはキッチンに運び、テーブルをタオルで拭いた。

 洗い物を終える時にアリスは戻ってきた。


「お泊まり会なんてのは名目です。真意は、あなたに労いと感謝を兼ねた宴の席。あなたに縁のある人物を探すのは疲れましたよ。もう少し、友人関係を築けなかったんですか?」

「いてもいなくても、変わらないものだと思ったから」

「クレイ嬢が聞いたら泣きますよ」

「かもね――――だから、ちょっと悔いてる」


 思わず、アリスは手を止めた。まさか、骨身にまで野生が染み付いたジンテツの口から、「悔いてる」なんてある意味不相応な言葉が出てくるとは微塵も思わなかったからだ。


「悔いてる、とは?」

「いや、深い意味は無い。ただ、ああいうのは多い方がいいって、思ったんだよね」

「それは、もっと友人が欲しかった、と?」


 訊ねられたジンテツは、顎を掴んで考えた。


「そう、なるの、かな?」

「············」


 アリスは呆然とした。なぜそんな優柔不断な疑問文が返ってくるのか、こっちが訊きたいくらいだ。


「それは良かったんじゃないですか」

「そうなんだよなぁ······」


 二人して皿を洗い終えた。


「なあ、アリス」

「なんですか?」

「お姫様は俺のことどう思ってるのかな?」

「············――――······はっ!!?」


 今までであまりに突飛。予想外過ぎて、反応が遅れた。


「なにを、何をどう捻り回したらそんな思考になるので?」


 動揺して声の震えが止まらない。なんとか冷静さを取り戻して、出来る限り落ち着いて訊ねた。


「あいつに世話になって、一緒にいるとさ、たまに温かくなるんだよな。ここがさ」


 そう言ってジンテツが差したのは自身の胸、心臓の辺りだった。その答え方から、アリスは込み上げる怒りと十二鎌脚縛魔鉄鎖パンデュル・ブリュームを抑え込んだ。


「どうした?」

「なんでもありません。ホットココア、飲みますか?」

「いる」


 ありえない。何かの間違いだ。そう願いながら、アリスは耳を傾けた。


「俺はさ、今まで俺を生かすことしか頭になかったんだけど、お姫様と会って、森から出て、それは単に住処が広くなっただけだと思ってたんだ。けど、違かった」

「······」

「お姫様は俺を保護したって言ってた。あいつなりに、俺を自分の縄張りに招き入れたわけだ。そこには、喧しい奴、冷めた奴、馴れ馴れしい奴、ずっと訝しんでくる奴、うじうじしてる奴、因縁をつけてくる奴、仲良くしたいのかしたくないのかわからない奴、仲良くしようと思ってる奴、嘘をつく奴、しつこい奴、自分を活かそうとしない奴、他人を使う奴、退屈な奴、何を言ってるのかわからない奴、かわいそうな奴、胸糞悪い奴、憐れな奴、惨めな奴――――お姫様に見つけられてから、いろんな奴と出会って、いろんな事をした。俺は、そういうのを求めてたのかもしれないんだ。森に居たままじゃ味わえなかったものを、俺は仰山味わった。けど、それなのにお姫様はなんか不満そうなんだよな。俺が何かするとすぐに騒ぐし、別にお前が痛い目に遭ったわけでもないのに喚くし――――しまいにはなんか寄行に走るし」


 この瞬間、二人してなんとも言えない表情になった。


「取り敢えず、知りたいんだよ。お姫様の幻想で、俺はどうしているのか。もしかしたら、それなら――――そうなれたら、良いって気がしてる」


 最後にまだ不明瞭な部分を残しつつも、大体のジンテツの話をアリスは理解した。これでは、さしもの野生動物であったも独力解決とはいかないと納得しながら。


「とどのつまり、貴方は苦悩していらっしゃるのですよ」

「苦悩?」

「はい。貴方にとって、縄張りとは即ち単なる区画のことではなく、己の気分を主軸にしている。それを如何に刺激されるかによって、貴方の中での縄張りの在り方が絞られる。この場合、クレイ嬢に拾われたことによって得た経験。森に居たときとは比較にならない刺激を浴びて、最初は感覚が麻痺していた。しかし、今になって適応した。無意識の内に、貴方なりにこの、クレイ嬢の縄張りに味を占めたということです」


 アリスに解説されたことで、ジンテツの中で合点がいった。間違いの無い確信だ。なんの引っ掛かりも感じない。寧ろ、ほどけた気がしている。


「そっか。俺はこっち・・・が良かったんだ」

「······――――と、言いますと?」

「そうと決まったら――――アリス! 今すぐ呼んでほしい奴がいる」


 ぐっと両肩を掴まれ、アリスは一瞬困惑した。だが、次にジンテツが口にした名を聴いて、彼の真っ直ぐで澄んだ意志を汲み取り、段取り通りにことを進めるに至った。



 ++++++++++



 後日――――


 早朝5時、薄暗い晴天の下、【真珠兵団パール】のギルドセンター正門前に葦毛の馬二頭が引く馬車が停まっていた。その周辺には、青藍の甲冑に身を包んだ男女の騎士が三名が構えていた。中心には、なにやら嬉しそうに微笑んで腕を組んでいるトマスの姿があった。


「正直、半々だったんだよ。君がわたしの誘いを受けてくれるのは」


 トマスの目が向く先、ギルドセンターの奥から一羽の野兎が歩み寄ってくる。


「さて、見せて貰おうか。野生動物ジンテツ・サクラコの、騎士道というものを」





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