黒桜爛漫【ミルフルール】




 目覚めてから最初に視たのは、青く済みきった空。

 目覚めてから最初に聴いたのは、草葉を撫でる風。

 目覚めてから最初に触れたのは、白くて綺麗な花。

 目覚めてから最初に吸ったのは、涼しい空気。

 目覚めてから最初に吐いたのは、温い息。

 目覚めてから最初に思ったのは、――――――――――――。


「これ、誰?」


 なにも知らない。なにもわからない。頭の中はこればっかりが駆け巡っている。

 胸に手を持っていけば、心臓はちゃんと正常に動いているのにざわざわとなんだか煩い。

 あっちらこっちら、非常に落ち着かない。異常事態だ。

 知らなければ······取り敢えず。

 起き上がった俺は、色々見回った。

 腕は細い。

 脚は長い。

 肉は少ない。

 腹も背も平ら。

 全体的に軽い。

 自由は利いている。

 耳は黒くてふさふさしている。なんだか触り心地も触られ心地も気持ちいいな。

 尻の少し上にあるこの黒いふわふわはなんだ?

 握ったらめちゃくちゃゾワッとした。これは弄っちゃいけないヤツだ。


「駄目だ。わからない。ふぁ~、眠い······」


 わからないんじゃ仕方がない。取り敢えず、寝よっかな。······ん?


「これ、なんていうんだ? この白いの」


 花。それはわかる。けど、なんて名前なんだ?

 白い蕾が垂れ下がっていて、悄気ているみたいだ。でも、可哀想じゃない。ずっと見ていたくなる。


「ペギャッ!!」


 なんだ?! 今の聴かれたら滅茶苦茶恥ずかしい悲鳴は?

 声のした木の陰を覗き込めば、葉っぱと蔓でできた格好をした緑の女がうつ伏せに倒れていた。取り敢えず、近くにあった枝を拾ってちょんちょんとつついてみる。

 返事が無い。これはただの屍か?


「大丈夫?」


 緑の女はおどおどと顔を上げた。

 ビビってるのか? 何に?


「えっと、私は······その······」


 すっかり腰が引けちゃってる。よっぽど怖い目に遭ったんだな。手、貸してやるか。


「取り敢えず、落ち着きなよ。ほら、立てる?」

「はい。ありがとうございます」

「で? あんたは?」

「あ、申し遅れました。私は、カルスというものです。ここ、ミスリル大森林にて調停者を担っています!」


 声、デッカ。耳がキーンてなった。

 色々緑なのに、顔は赤いのな。あ、顔を隠した。


「そっか、カルスか。取り敢えず、よろしく」

「は、はい、よろしくです!」


 嫌な奴じゃなさそうだ。どっちかっていうと、青々しい匂いがして親しみを感じる。

 もしかしたら、このカルスなら······。


「······あの、どうかしましたか?」

「いや。変なこと訊くようだけれど――――」

「な、なんでしょうか?」


 少し警戒を強められた。まあいいや。


「あんたさ、これ知ってる?」


 俺は俺を指さして訊いた。カルスはきょとんとして、首を傾げた。なにを言ってるんだこいつは感が半端無い。

 こりゃ、期待して損したってやつだ。


「あー、もういいわ。今の反応で大体わかったから」


 そう言うと、カルスは狼狽えた。困惑し、相応する反応を探しているようだ。


「えっと、なぜそのようなことを?」


 結局、こうなった。取り敢えず、色々と確認してわかったことを言えばいいか。めんどクセェけど。


「いやぁ~······どうにも、記憶が無いみたいなんだよなぁ」



 ++++++++++



 はっ······なんだ今のッ?!!

 ダーインスレイヴの剣をいなしている最中、唐突に脳裏に映像が過った。記憶を失くした直後の頃。

 なにこれ? 走馬灯? 走馬灯ってやつで間違いなくてオーケー?? それだけ追い詰められているっていうのか? 俺が? マジで? 嘘だろ?!

 傷を負ったが、まだ全然問題無い。普通に動けているし、痛みはあっても気にしている暇なんて無い。

 取り敢えず、あのガラクタを叩き折ることに心血を注げ。生半可な意気じゃ動きが鈍る。

 ダーインスレイヴの軌道は、カールが使っていたときとは比べ物にならないくらいに卓越していた。

 まるで、何百人といる達人とやり合っている気分だ。流石にしんどい。

 柔軟にして強硬。変幻自在な自由な剣筋。技量も練度も高水準。

 しならせれば鞭になり、伸ばせば槍となり、曲げれば鎌にもなり、豊富な形状で仕掛けてくる。

 いろんな奴と殺り合ってきたが、こうも激しい凌ぎ合いは初めてだ。ダーインスレイヴの繰り出す全部が全部、未知の連続。止めどない初体験。――――実に面白い!

 それに、なんかお姫様も見ているし······――――。


「負けてられへんなぁ! 滾らぁ、滾らぁ!!」


 走馬灯なんか見ていられない。

 崖っぷちに立たされていようが、川に落とされかかっていようが、丸っきり全てをひっくり返したる! 生き残るのは、俺だ!!

 徹底するは全身全霊! なにも知らない。なにもわからない。そんな空っぽな俺でも欲しているのは、いつだって『満ち足りる』ことだろうが!!

 見るもの、聴くもの、触れるもの、俺にとってこの世の全てが新鮮だ。

 ずっと感じていたい。だから死ねない。

 取り敢えず、邪魔する敵はたたっ斬る!

 全・力・全・快・待った無し!!

 この一刀に! この一体に! この一心に! 生存というただ一つの一念を、"陰"に混ぜて刃に乗せろッ!!!


「"一匁"ェェェェェェ――――!!!」


 まじないを唱えて、俺は野性に身を預けた。凝り固まったものが解れて、詰まっていたものが発散される。形容できないどうしようもない解放感。

 誰も俺を縛れない。そんな自信に満ち溢れる。


「渋って悪かったなぁ。心置きなくぶちかまそうぜ」


 ダーインスレイヴは地を這う黒霧を掬い、不思議そうにしている。そして、俺の誘いに乗ったかのように、震える刀身を一振下ろして地面を割った。


「ケケッ!」


 俺達は何度目になるかわからない衝突をし、お互いの首を狙って大立ち回りを演じた。

 無尽蔵に繰り出される赤黒い凶刃を、払って、薙いで、弾いて、流して、一寸先まで近づいたところで斜め上から牙を差し向けてきて、打ち損じる。

 避けても刃が追ってくれば、尻尾を掴ませないくらいに速く、走って、はしって、はしり回る。地面からの不意打ちは、その場で崩して土塊をダーインスレイヴに向けてかっ飛ばす。

 盾を展開されて防がれた。だが、それ見えてへんでしょ。この隙に、軽快で不規則なジグザグのステップを踏んでタイミングを図らせずに急接近する。

 周囲に棘を生やして近づかせないよう対処しているが、真上がお留守やで。飛び上がってみれば、予想通り天蓋が無い。

 狙うはカールの脳天――――じゃない。奴はもう死んでいる。多分、血管を通して動かされている人形だ。――――となれば、断つんやったら頭ではなく、操縦元ダーインスレイヴと繋がっている右腕を肩からごっそり斬り落としてやる!

 切っ先の狙いを定めて突き出す。空を切りながら伸ばした刃は、肩を貫いた。


「シャァオラッ!!」


 落下の勢いに乗せて刀を捻り、カールの腕を大きく裂く。血が勢いよく噴き出て、これだけ深傷なら補強が追い付かない。カールの死骸は片膝を立てて崩れ落ち、無気力に行動を停止した。

 最後に一太刀を入れれば、完全に切り離せる。

 俺は刀を振り被って、止めを刺そうとした。しかし寸前に、後ろから何かに引っ張られて出来なかった。

 振り向けば、地面から管が伸びていて俺の刀に巻き付いて攻撃を阻害していた。


「往生際が悪いで!」


 俺は刀を手離して、カールを蹴り飛ばした。追跡して、矢継ぎ早に繰り出していく。

 反撃の隙を絶対に与えない。壁まで詰めて詰めて詰めまくって、最後の一蹴は埋める勢いで強くぶちこむ!

 取り敢えず、カールの破壊を徹底した。損傷を多く受ければ、流石に攻撃に余念を回せないだろ。

 ダーインスレイヴは、俺が武器を離すと予想していなかった。俺が剣術しか使わなかったから、それしか攻撃手段が無いと高を括っていた。

 油断が見事に噛み合ってくれた。二度は通じない策だ。

 管が傷口を塞ごうとにょろにょろと蠢いている。器が治り切る前に、とっとと腕を完全に切り落として回収するとしよう。


「ん?」


 剣を拾いに行こうとした最中、不自然に血が流れていた。垂れ落ちるように雫が地を這い、俺の後ろに向かって進んでいる。


「おいおい······」


 まさかと思い向き直れば、壁に埋めたカールを囲うようにして血の文字が浮かび上がっていた。


『見事也』

「あ?」


 にょろにょろと、血文字はミミズのようにうにょうにょと蠢いて形を変えていった。


『数万年之時代ヲ経テ、此程之戦士ニ合間見エルトハ、我、感無量也。故、本領発揮ト致ソウ』

「お前、話せたのかよ」


 血の文字、一つ一つが菱形となった。それらが線を伸ばして繋ぎ合い、幾何学模様を作り上げていく。

 あの紋様は、魔法陣か? かなり複雑なのを見るに、重層術式の特徴が表れている。

 剣術だけならまだしも、魔術にまで精通しているのか。とんだしっぺ返しだな、おい!


「どんだけ経験値詰みゃそうなんだよ······色物にも程があるでしょ」


 血の紋様はカールの骸を巻き込み、魔法陣の縁から牙のような刃が生えて食らいつくように閉じて塊となった。そして、周囲に散らばっていた血が塊へ吸収されていき、孵化を遂げる。

 咆哮という産声をあげるそれは、緑と赤黒い色が複雑に入り交じった巨大な狼だった。全身に棘を生やし、右腕のダーインスレイヴは微細な刃が刀身を沿ってヴィーンと耳障りな奇怪な音を発しながら回転し、より凶悪的な様相へと変わった。

 心なしか、新品みたいに光沢がきらびやかになっている。

 最早そこにカールの面影を全く感じない。鋭い眼光も真っ赤に充血して、獰猛ここに極まれりってか?


「ワオォォォォォォォォォォォォ――――――――!!!」

「ケッ! 上等だよっ!!」



 +++++++++



 特等呪装遺物“悪食の魔剣ダーインスレイヴ„――――その効果、斬ったものの魔力と血液の吸収及び永続的な苦痛の呪いの付与。そして所持者が死亡した時に限り、器として支配権を強制的に掠奪する。

 意思を持ち始めたのは、あまりに唐突なことだった。

 神話の時代に精製された魔剣は、あるときは戦争で、あるときは愉悦のため、そうして幾星霜、幾度と持ち主を転々として新鮮な血を取り込んできた。その末に手にした自我は、絶え間ない飢餓と飽くなき戦闘の意欲。

 ただの片手剣に過ぎなかった古びた業物は、より凶悪に、より獰猛な進化を経て“魔剣„という異形に成った。

 しかし、順風満帆な自由が長く続くことはなかった。

 製作者の子孫に封印されてからというもの、自力で動けぬ無力感と古びていく木箱のカビ臭さを噛み締めながら、声無き声で叫び、伸ばせぬ手で蓋を叩いて、次なる糧が鞘から抜いてくれる時をじっと待つ苦悶の日々。

 ようやく光を手に入れたかと思えば、糧となったのはなんの才も見込めない無能の狼ときた。

 最初は適当なところで手離さないかと辟易していたが、後に多大な感謝を送ることになるとは予想だにしていなかったと評価を改めた。

 巡り巡って訪れた千載一遇の好機。

 久しく相対したるは、『異質』の一言では尽くせない“条理の型に収まった異形„。

 初めて剣を交えたときすぐさま理解した。このケダモノは、自分と同じであると。

 否! これは烏滸がましい評価だ。もっと相応しいものがこいつにはある。


 “異質„


 “異形„


 “異変„


 “異常„


 “異相„


 “異物„


 求めるものは違えど、自分と同じく『満たされない』に苛まれている餓者がしゃ。何者の介入も許さぬその姿勢、威勢、虚勢ならざる真の闘争心。

 若返ったような喜びを得た。

 ダーインスレイヴは使われることを良しとしない。所持者を介して、数多の命を啜り喰らい、数多の戦士と鎬を削ることを是とする狂気の遺物。

 製作者の意図も使い手の意志も関係無い。

 目覚めたのであれば、夢を、理想を追い求めると欲求を持つのは本望であろう。

 その結果破壊されるとしても、未練は無い。


 満たされたい、はらの底から······――――。

 満たされたい、こころの底から······――――。


 狩って喰らうは獣のさが。それに反するなど土台無理な摂理である。

 お前も同じだろう。兎の皮を被った怪獣め。

 醜く穢らわしい。

 正気を忘れた狂気の沙汰。

 いくら褒め称えても受け付けないのであろうて。しかし何度でも与えてくれよう。

 苦しみ、痛み、呪いという名の情けを掛けてくれよう。恵んでやろう。

 命の躍動をこの身で削り取る程、愉悦に当たるものは無い。雌雄が交わるが如し、とことん犯し合おう。

 ケガし合おう。

 喰らい合おう。

 殺し合おう。


 嗚呼、この身から声を出せないのが心底憎たらしい。――――命尽きるその刹那、今際の際まで愛してくれる。




 ++++++++++



 黒兎と餓狼の闘いは、最早『闘い』と呼ぶべきものから大きく掛け離れていた。

 火花と血渋きが弾け、そして咆哮が絶えず轟く修羅同士による争乱が繰り広げられ、見るのも辛い惨状が出来上がっている。

 変幻自在の魔剣はたかが外れたようにこれまで以上に容赦の無い凶刃を振るい、怪獣は不規則な軌道を読んで到低武術とは言えない無茶苦茶な動きをして対応する。

 達人の試合とはまるで別格。どうすれば相手を『倒せる』かの闘いではなく、どうすれば相手を『殺せる』かの闘いだ。完全に、獣同士の血戦にしか見えない。

 とてもついていくことができない。エレンは見ていて、二匹の獣の底知れない闘争心に恐怖を抱いた。

 自身に比べ、同じく傍観に徹することにしたクレイは落ち着いているのが妙に気掛かりだった。もしかしたら、この闘いで自慢の野兎が死ぬかもしれないのに······。


『終わった後、誰がジンくんを支えるの?』


 穏やかな微笑みでそう言ったあたり、少なくともジンテツの敗北を信じていない。

 強がってしまったお陰で、逃げるタイミングを逃してしまったと自身の行動を悔いるエレン――――と思っていが、改めてクレイの方に目をやれば、静かに体が震えていた。

 先程まで絶大な力を発揮していた妖精姫が、まるでか弱い少女だ。


「············」――――エレンはもう少しここにいようと思った。

 

 一方でクレイはというと、胸中は不安で一杯だった。温かく送り出したものの、本心は闘って欲しくなかった。

 ジンテツ・サクラコが無意味に行動する兎ではないのはわかっている。けれども、ただの一度だってそこに自身の身の安全を含んでこなかった。

 彼の意志の強さに押し負けて、して欲しくないことをさせてしまっている。心底、自分が情けなく思う。

 ジンテツが闘う様を見る度に、やるせなさといたたまれなさに押し潰されそうになる。


『手出しするなよお姫様。あれは俺のだ』


 ジンテツにかけられたこの言葉は、加勢は要らないという意味合いではないのはすぐにわかった。

 警告なのだ。『周囲に配慮ができなくなるくらいに激しい闘いきなるから、近くに来るんじゃない』という意味を孕んだ、非常に危うい警告。

 実際、戦闘は筆舌に尽くしがたい域にまで混沌を極めている。介入できるかと言われれば、無理としか答えられない。

 自身の胸に手を当てて、今一度心情を確かめる。


 ――――やっぱり、羨ましいのかな······?


 なんということだろう。憂いている筈なのに、悔いている筈なのに、胸の内には羨望が湧いていた。

 ジンテツの闘い方は一見すると無茶苦茶だが、見方を変えれば型に嵌まらない“自由„を感じさせる。誰にも教わらなかったからこそ生み出された我流の技術。

 それに加え、相手の策を容易く見抜き、攻略し凌ぐ勘の鋭さ。これは天性の素質だ。

 努力で得られたとしても十年以上は要した筈。

 頭から抜け落ちても、身体は覚えているというのか。記憶を失くしているにも拘わらず、断片的にもジンテツ・サクラコの性質が如実に表れている。

 あくまでも憶測だが、彼という野兎は途轍もなく束縛の無い生涯を謳歌してきたのだろう。縛られることを良しとせず、常に息苦しさから遠く離れた解放的な生き方を過ごす、紛れもない野生の民。

 なんて安寧に満ちた素敵な自然だろうか。理想的で幻想的な、誰にでも味わって欲しい日常。けれども、決して楽な道ではなかった筈だ。

 生き残る為に、生き延びる為に、何度も脅威に立ち向かって自由を手にしてきた。

 クレイには想像できない。ジンテツが踏破してきた危機の数々を。

 あの無茶苦茶な闘い方は、困難を打ち崩すために自力で編み出した生存戦略。それを使いこなす内に、危機感に慣れてしまった。

 本人はその過程を知らないままでいながら、本能で理解している。

 羨ましいのはジンテツの生き方。だが、それを享受する手段は看過できない。

 今はまだ止められない。いつか、暴虐から解放されるその時が来るのを、妖精の少女は祈るばかりだ。

 彼女が不安と葛藤しながら見守る最中、黒霧を放つ野兎は身体中から血を流していた。

 相手は数万という途方の無い時間を過ごし、数多の戦士を肉体、技を喰らってきた悪食の魔剣。

 生半可な攻撃はいなされ、生温い防御は崩される。さらに、図体が肥大化した割に俊敏で、刃が通らない程に筋肉が硬く発達した割に身体捌きがしなやかときた。

 お陰で、決定打が思い浮かばない。牽制ばかりでは後れを取って致命傷を受ける。

 ジンテツは火花が散りそうになる程頭を速く速く回転させた。生存本能に訴え、ダーインスレイヴを破壊する手立てを組み立てようと気を張る。


「流石にきっついわ。棒っきれのくせして、生意気にも程があるで――――ッ······?!」


 突然、ジンテツは膝から崩れ落ちた。白鞘を杖代わりにして、地に着いた左膝を上げようとするも根っこが地中深くまで伸びたように離れなかった。

 足腰が重くなって、黒霧が晴れて消えていく。元に戻ってしまったことで反動による疲労が襲いかってきた。

 徐々に息が荒くなり、身体には重石がのし掛かる。


「ざっけんなよ······あぁ~······」


 ただでさえ決して深くない傷を負っていたところに、鞭打って黒霧を発したことでより多大な負荷をかけてしまっているのだ。ダーインスレイヴの破壊を選択したがための、身体を酷使した代償。

 加えて黒霧を発した後も負傷を重ね、ジンテツの体内外は目も当てられない程にボロボロだ。こんな惨状では、黒霧は少しも出ず、武器を振るうことも叶わない。

 やっと顔を上げれば、餓狼がじっと見下ろしてくる。


「どういう面だよ、それ······もー!!」


 なんとか立ち上がって得物を一振りするも、すぐにまた地面に手をついてしまう。全身が悲鳴をあげ、痛みで悶えて掠れた声が漏れる。


「はぁ······はぁ······」


 減らず口もここまでかと言うように、餓狼は寂しげに一度目を閉じ、また開いて右腕を上げた。

 自分は傷だらけの動かぬ身体。敵はほとんど無傷。

 完膚なき敗北の構図が完成している。

 ここまで来れば、諦めざるを得ない。

 力が抜けて、手から白鞘が落ちる。それを見たジンテツは、抵抗する気力も手離した。

 胡座をかいて、天井を仰ぎ見る。何もない真っ黒で虚ろな空だ。


「まあまあ、良かったんじゃないか?」


 深く息を吸いながら、ジンテツは目を瞑った。

 この行動が、覚悟ができたと見定められ、魔剣の凶刃が振り下ろされる――――。




「ダメェェェェェェ――――――――ッ!!!」




 唐突な悲痛な叫びが聞こえた瞬間、ジンテツは目を開けて横に転がって凶刃から逃れた。

 自身でも驚いている。咄嗟のこととはいえ、こうも俊敏に動ける余裕があったとは思えない。

 声がした方に首を向けると、クレイの顔があった。目に涙を浮かべ、悲しみに暮れている様子だ。

 記憶を失ったジンテツだが、不思議と彼女の表情を見ていると腸が煮えくり返る。あの不安に満ちた泣きっ面がどこまでも、ただひたすらに、気に食わなくて、気に食わなくて、仕方がない。

 なんでそんな顔をする? なにがそうさせた?

 考えれば考える程、ジンテツは怒りを募らせてギリリと歯を擦らせる。


「おいおいおい······」


 知っている。この気分は、目の前でエフィーが朽ちていくのを見ていたときと同じものだ。

 胸の内がぐちゃぐちゃと渦巻いて、穴が空いたような虚しさが広がっていく。

 激しく不愉快――――耐え難い。


「あ~! あぁ!! あァァ!!!――――そーだったなぁ······」


 縄張りを侵されたと覚り、フラフラな足取りで立ち上がって敵を睨み付ける。そして、今まで手につけなかったもう一振りの、黒い柄の花弁を象った鍔の刀を掴み取る。

 その瞬間、脳裏に覚えの無い光景が砂嵐を巻きながら流れ込む。知らない誰かの顔が次々に映し出され、皆穏やかな表情で何かを口にしている。

 砂嵐が酷くて、はっきりとは見えない。だが、どれも温かいものであるというのは、不思議と理解できる。

 これは欠片。花鍔の刀が辛うじて拾い上げてくれていた――――――――“一枚ひとひらの白日„。


「すぅー······はぁ~······――――取り敢えず、やるか」


 静かに抜刀された刃は眩い程の純白。しかし、その刃文は大木の年輪のようであった。

 それもその筈、この刀の刃は鋼鉄ではなく“ある樹木„を素にして作られた尋常でない竹光。

 ジンテツが「一匁」と唱えて再び黒霧を発しても、光が消えることはなく刃の輪郭ははっきりと残っている。

 この場にいる全員が一心不乱に見とれた。

 篝火に集る夜虫の如く、突如として灯された白刃の煌めきから目が離せない。

 エレンは立ち上がったことに驚き、ダーインスレイヴは野兎のただならない変貌を察知し、そしてクレイは鼓動が押さえられなかった。

 周囲が各々の戸惑いと興奮に魅せられる中、ジンテツはゆっくりと仕留めるべき敵の姿を捉える。獲物を写した左の瞳は真っ赤な鮮血、または真紅の旭日を思わせる。



 ジンテツ・サクラコ、在りし日の躍動を開華させる――――。



 ++++++++++



 妙な気分だ······身体が軽い。雲みたいにフワフワしている感じだ。

 この刀からも、懐かしい何かが身体の中に流れ込んでくる。しかも、濁流だった俺自身の力の波動のようなものが、刀の気配によって清流に整えられている。

 とても心地よい。安心感が尋常じゃない。

 なんだろう。今ならなんでも出来そうな気がする。

 軽く踏み込んでみたら、隣にダーインスレイヴがいた。自分でも驚いた。

 俺とこいつとの距離は、大体五メートルくらいあった。それを軽く、ほんの軽く、たった一歩で埋まっちまった。こんなの初めてだ。

 遅れて反応したダーインスレイヴが俺に向かって凶刃を振り回してくる。腕ではなく腰を回しての大振りな一撃。

 これだけ大きな挙動だと、腹ががら空き同然だ。だから俺は、姿勢を低くしてカールの腹に一回、まだ余裕があったから二回と刻んでバツを描いた。

 噴き出た血は扇状に棘を伸ばしてきた。超至近距離。

 避ける? いや、ここは敢えて懐深くに迫る。

 滑り込むようにしてカールの足元を素通り、その際に横回転を交え、刀を逆手に持って振り抜く。これでバツの傷に横一文字が加わって六文星アスタリスクの完成だ。

 カールは重苦しい唸り声を上げて睨み付けてくる。ダーインスレイヴの形状がまた変わり始めて、今度はハサミか。


「ウガァァァァァァ――――!!!」


 取り敢えず、俺は得物を持ち直して正面を向いた。カールが突っ込んでくる。

 同時に、地面から足裏を通じて微かなうねりを感じた。鋏を振り下ろしつつ、俺の斜め後ろにも多数の針を準備している。

 避けた先で、背中にグサリか。中々、ありきたり・・・・・な奇襲だな。こうもわかりやすいと、真面目に相手をしてやるのがバカらしくなってくる。

 取り敢えず、俺は退かない。

 走り出した瞬間、地面から棘が生えて俺を追いかけてきた。こっちが狙いか。正面には鋏、後ろからは棘の群れ。どちらか一方に少しでも気をやれば、すかさずもう一方で仕留めると。


 ······――――ほな、こういうのはどーやろか?


 俺は左足を前に出して滑走し、ダーインスレイヴの鋏を丁寧に丁寧に受け流し、勢いをそのままに右手をカールの手首に、左手を二の腕に添えて、身体を捻って棘の方へと優しく投げる。


「ウガゥッ!!」


 結果、カールの死骸を多くの針が貫いた。

 針は触手となってカールを貫いたまま襲いかかってきた。俺はその場から動かずに、螺旋状に捌いた。

 辺りに飛び散る破片は細い針となり、一斉に集束してきたが難なく全て弾き落とした。

 ダーインスレイヴは酷く動揺しているようだ。そして、カールの口角が下から上に湾曲して、久しぶりかの喜悦を覚えたらしい。

 こうして見ると甘えたそうな犬みたいで、遊んでやりたくなる。


おいでクァモン


 俺の誘いに、ダーインスレイヴは快く吠えて応えた。舌を出して猛進してくる様は、正に愉悦に酔った犬っころのそれ。じゃれつきたいところだが、生憎お前は俺の縄張りを侵した。好き放題にはしゃぎ回ったんだから、報いを受けて貰わなきゃな。

 ダーインスレイヴから秩序が消えた。是が非でも殺そうと、分断に血の凶刃を差し向けてくる。惜しみ無くって感じ。


 そんなに俺の血が欲しい? 喰えるものなら、喰ってみてよ――――捕食者は、俺だ。


 四方八方から迫り来る凶刃を薙ぎ払い、隙あらば切り刻み、倒れぬようなら蹴りを打ち込んで、切り刻んで蹴り込んで、切って蹴って切って蹴って、尻尾握って振り回して、薙ぎ払ったら蹴って、切ったら蹴ってまた切り裂く。

 おいおいおい、なんだこれ? 端から見たら確実に滅茶苦茶な光景になってる立ち回りをしているよ。俺もわからない。ただただ、糸で引っ張られるみたいに身体が最適な動きを勝手に叩き出しやがる。

 俺がどう動けばこうなって、敵がそう動けばああなるのかが先出しで見えてくる感じだ。気を抜いたら一気に意識が吹っ飛びそうだ。事実、今にもはち切れそう。

 頭の中に二手、三手――――いやもっとだ。二十、三十と思考が沸き上がってきて、同時並行で闘っているみたいな複雑怪奇な感じがするのに、不思議と痛みも疲れも感じない。ここまで来たら、情報量の暴力に打ちのめされて身体がまともに動かせないものだろ? なのに、なんなんだよこの心身にぐっと嵌まる感覚はさぁ!!

 取り敢えず、委ねてやるよ、流されてやるよ。今は兎に角、この滾りを抑えずにはいられない。

 俺、今どんな表情かおをしているんだか······知らなくていいや。殺らなきゃ死ぬ。死にたくないから殺る。単純明快。取り敢えず、徹底的に生き延びる!!

 衝突する二つの刃は火の粉を散らし、敵の血が飛び回って、その度にお互いの熱が上昇する。

 ああ、この感触――――生きている。生きているんだよ。今の今まで、喰っちゃ寝るだけだった森の生活じゃ満たされないわけだ。

 俺はここにいる。縄張りを持っている。なのに、記憶が無い所為か何をしても虚しさが引っ掛かりやがるんだ。だが、最近になってそれを感じることが少なくなった。

 それもこれも全部、お姫様が見つけてくれたのが起点だったな。あいつがいろんなものを見せてくれた、聞かせてくれた、味あわせてくれた。良いものも、嫌なものも、緩急をつけてまわってくる。

 森は森で穏やかだったが、街は街で狭苦しくもいろんな奴の気色が絶えない。そんな騒がしさが心地好い。

 あんなものを感じさせられちゃ、ずっと見ていたくなるってものだよな。

 感謝するぜ、お姫様。あんたのお陰で俺は、“ジンテツ・サクラコ„という『生物』でいられる。

 やばいやばいやばい、何を思ってるんだ俺?――――アカンアカンアカンなぁ。これ今、正気じゃない······最高に狂ってるよ! これが、本能爆裂ってやつかぁ?!


「悪くぁ、ねぇ!」


 身体がまた軽くなった気がする。このまま行けば雲の上まで跳んで行けそうだ。

 ダーインスレイヴの攻撃が鈍く見える。それに伴って、慣れてきたのかある程度頭の中に押し寄せる情報の群れを整理できるようになった。

 全身がいい具合に解れてきて、凶刃が出るより速く捌けるようになった。例え目と耳を潰されてもわかるくらいに、感覚が鋭敏になっている。

 左斜め後ろから棘が一本、右から糸鋸が四本、極めつけは俺を中心として地中にトラバサミが構えている。加えて、カールの背後に蛇腹剣が伸びている。今から来るダーインスレイヴの鋏を受け流したら、これらが一斉に発動する。

 ······やってみようか。

 そう思ったときには、俺の身体は実行に移していた。ダーインスレイヴの鋏をいなしたら、予想していた通りの方向から予想していた通りの凶器が襲撃してきた。

 特に驚かなかった。だって一度見たことがそのまま再現されたようなもの。

 俺の身体は想像した通りに動いた。まずは進出速度の速い左斜め後ろの棘を身体を横にして避け、その先で待つ四本の糸鋸を弾き、この隙に俺の首を切断しようと迫るトラバサミを飛び上がってガチンと閉じたところに乗っかる。そして最後、カールの背後から蛇腹剣が荒々しくうねってきた。鋭利な尖端を蹴り上げて軌道を反らし、その拍子にカールの左目を刺し貫いた。

 自力で蛇腹剣を引き抜いて、多量の血が地面に拡がる。同時に、鋏だったダーインスレイヴはまたまた歪に変異を遂げた。カールの肉体の半分以上を侵蝕し、太い血管が全身に渡って浮き出て、心臓部に眼球が備わって立派な捕食器官を完成させた。長い鑢みたいな舌を伸ばし、ダラダラと真っ赤な唾液が絶えず溢れ出ている。

 とうとう剣の姿を脱ぎ捨てて、それらしい獰猛さを体現させることが叶ったようだ。


「ぐァァぅるラァァァァァァァァァァ――――――――!!!」


 溢れた血は刺々しい津波となって、ダーインスレイヴ共々俺に向かって押し寄せてくる。文字通り、持ちえるもの全てを放り込む最後の攻撃だ。

 これはこれは、負けてられへんなぁ!

 頭の中に最適解が浮かび上がり、その通りになぞる。

 左足を引いて、両足の間隔を肩幅の約二倍の直径まで大きく開く。腰を低くして、刀は抜き身のまま腰の辺りで深く納める。

 構えは完了。あとはその瞬間ときが来るのを、一呼吸いれてじっと待つ。


「すぅ~······――――――――――――」


 着々と迫る魔剣は、喰らいつこうと開けた大口を突き出してきた。奴の熱くて鉄臭い息が鼻をくすぐり、その瞬間ときが来たと思考が定まった瞬間――――――――


「"斬華ざんか"」


 気づいたときには、俺の右腕は得物を振り上げていて、ダーインスレイヴを始めとしてカールの身体、果ては血の津波諸とも真っ二つに両断していた。

 ザパーンと周囲の地面を真っ赤に染め上げて、カールの身体は左右別々に倒れた。そして、肉体はどろどろに溶けてついには敵の姿は鮮血の海に消滅した。

 取り敢えず、終わった。俺は花鍔の刀を鞘に納めた。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 闘いを終えたジンくんは、静かに佇んでいた。地面を埋め尽くしていた血の海はみるみるうちに固まって、塵となって宙に舞った。

 まるで、魂が天に召されていくようだ。

 こんな感想を抱くなんて、つくづくおかしいと思う。薔薇のお花畑みたいで、目の前の光景が美しく見える。

 ジンくんに纏わりついていた黒い霧は、彼の足元に沈んでいった。やっと闘争から解放された。

 けれど、様子がおかしかった。ジンくんの髪色が、いつもの深みのある黒から、埃を被ったような灰色に様変わりしていたのだ。


「ジン、くん······」


 近寄りながら、ジンくんに声をかける。

 彼は右目から血涙を流していた。ダーインスレイヴにつけられた傷もより開いて、全身の流血が絶えない。

 それなのに、ジンくんの表情は穏やかだ。


「お姫様······俺······勝った······よ······―――」


 力尽きて倒れるジンくんを受け止める。

 なんか、デジャヴって感じ。初めて会ったときも、こうして私が支えたんだっけ。

 私の腕の中で、ジンくんは満足そうな微笑みを浮かべて、気持ち良さそうに寝息を立てていた。


「もー、いつもながら散々他人に心配させておいてこれって············でも、お疲れ様。ありがとう」


 私は親愛と労いを込めて、ジンくんを優しく抱き締めた。





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