繋がれざる魔物達【ドゥ・ソヴァージュ】




「君は神を信じるかい?」


 クレイとエレンが移動した直後、カールは唐突に疑問を投げてきた。ジンテツは急になんだと疑問符を上げた。


「何も難しい話ではありません。単に、君は神の存在を信じているか否か。それだけのことだよ。無論、私は信じている。何せ、この世界は神が作りたもうたのだからね」


 別に聞いてへんわ。と小言を漏らすジンテツ。

 カールの意図がわからず、疑問符が消えないまま淡々と答えた。 


「多分、信じてない。というか、信じたくないだな」

「ほほう、その心は?」


 顎を摘まみ、興味深そうにしてカールは促した。ジンテツは退屈そうに返した。


「だって、あいつ等はなにもしてくれないじゃん。そんな奴に、どうして身を預けることが出来る? てんでわからへん習性だよ」


 この答えに対し、カールの眼差しが一層鋭くなった。部屋の隅っこについたこびりついた染みを見るような目を、ジンテツに向けている。


「前々から思っていたが、君という兎は独創性に富んでいて、ある意味魅力的な存在だ。奴隷という身でありながら、まったく縛られていない感じがまさに、君という兎の在り方を示しているようだ」

「ふぅ~ん······」


 ジンテツは無関心に言った。

 カールがジンテツに見定めた印象は、『神を信じぬ不届き者』ではなく、『神を信じれない憐れな愚かな者』だ。しかし、これは些か外れている。

 別段、ジンテツ・サクラコは現実主義リアリズムを掲げているわけではない。そもそも、彼の遣ること為すこと、その内に秘めた思想すら、ことこの世界においては不相応の極みだ。非常識の体現者とも言える。

 これまで、彼を取り巻く環境は常に極端なものであった。目が合えば襲ってくるか逃げるか二つに一つで、大半は前者を選択してきた。

 そして悉くを自力で打倒してきたため、ジンテツにとって『神』とはいるようでいないもの。もしくは、いてもいなくても変わらないものとしか思えないのだ。


「そういうお前は、なんでこんなことしてるの? 同じ冒険者だろ? これってかなりの御法度なんじゃない?」


 ジンテツが指摘すると、カールは顔に手をやって大いに爆笑した。


「そうですねぇ、そうですとも。私のしていることは決して許されることではないでしょう。しかし、なんら問題ではない。私はただ、主の意向に身を委ねたまで。奇跡の一端を起こす助力が為せるとなれば、世情の罪など痛くも痒くもない」

「······」

「そう。これは教義に従事した聖なるお務め。天命となれば、法を犯すことに抵抗などありはしないのだよ」


 カールが言い終えると同時に、ジンテツは突如斬りかかる。咄嗟に反応してダーインスレイヴを向けて、ようやく最初の衝突を為した二人。


「君、まだ私の話は終わっていませんよ?」

「ああ、もうええ。耳が腐っちまう」

「ひどいな。実に」


 二人共に後退し、お互いに刃を向けて様子を伺う。そしてカールはここぞとばかりに続ける。


「まとめると、私にとって主の意向より優先すべきことは無い、と言っているのだよ。それを、どうしてか皆はわかってくれない。困ったことにね」

「で、お前はその神に従って、最終的に何がしたいの?」


 待ちわびた疑問をジンテツが投げ、カールは嬉々として返した。


「グラズヘイムの王座につく。それが、主が私にお望みになられた天命。主は『共生』という道を憂いておられる。人類と人外は、決して交わってはならない。――――混沌の排斥、そして永劫の対極――――これこそが、主が世界に求めておられる在り方だ。天命を全うした暁には、人類を間引き、人外の繁栄する大国へと変える。手始めに、私の手で姫様の身も心も浄化し、骨の髄に至るまで契りを交わす。あれ・・は巫女だ。彼女の魔力無くして、主の意向を完遂は為しえないからね」


 ジンテツの胸中に静かな怒りの炎が灯った。耳の先を擦り、少し自分の気分を確認する。

 整理が済むと、ふぅ、と軽く溜め息をついてカールを睨み付ける。


「そんなくだらないことの為に、お前はまたいろんな奴を虐め倒すのか?」

「虐めるとは人聞きが悪い、と反論したいところだけど、あれは彼の悪癖が働いただけだ。残念だが、どうしようもなかったさ。彼の犠牲者にお知り合いが?」


 そう問われて真っ先に思いついたのは、最近知り合った女奴隷のサキュバス、アンジーだった。

 紆余曲折あって彼女とは後日また会う約束をしていたのだが、運悪く奴隷狩りの被害に遭ったらしく凄惨な死を遂げていたのを気紛れに拾った新聞から知った。


「もしいたというのであれば、代わりに謝っておくよ――――すまなかった」


 瞬間、ジンテツは駆け出して横一閃を振るった。あまりの力強さに押され、額から冷や汗を流すカール。

 さらにジンテツは追跡し、何度も何度も、執拗に斬撃を浴びせた。反撃してくれば即座に一歩退いてはまた接近し、距離をとろうものなら逃がすまいと一瞬にして詰める。

 カールは動揺を押さえられなかった。予想外の野兎の猛攻に辛うじて耐えるのが精一杯だった。

 わざとだ。ジンテツならもっと速く動ける。が、それでは早くに終わってしまう。どうせなら、じっくり苦痛を味あわせてから首を獲ろう。

 ジンテツは今、グローリーのとき程ではないが、それと同じ類いの気分の悪さを感じていた。何がなんでも、このカールという徒花を摘み取らなければ――――


「埒が明かない! あまりしたくないが、やむを得ない!」


 カールは魔剣に魔力を注ぎ込んだ。


「ダーインスレイヴよ! この私、カール=カイオスの魔力を糧として、魔剣足る畏怖されし力を解放せよ!」


 接近していたジンテツは、魔剣の気配が強まったの気取り、すぐさま背後に回って強襲した。ノールックで防がれ、また速やかに移動してダーインスレイヴの向いている方向とは逆、正面から斬りかかった。

 しかし、カールの背後から彼を包むようにして赤黒い鋭利な管を伸ばしてきた。さらに管はジンテツを壁際まで追い詰め、先端が届きそうになったものの真上へ跳躍され逃げられる。追おうとしたが、カールが「待て」と命じたことで刀身へと戻っていった。

 ジンテツは岩肌に白鞘を突き刺し、足場にして留まっていた。


「深追いすれば、飛び掛かって来たでしょ。君のような野生動物が考えそうなことだ」


 当たっていた。ジンテツは少しはやるな、と内心でカールを評価した。だが、まだ足りていない。同じダーインスレイヴを使っているにしても、奴隷狩りのときよりは生温さを覚えてならない。


「さあ、存分にかかってきなさい。私は逃げも隠れもしない」


 さっきまでの動揺が嘘のようで、カールは自信過剰にジンテツを煽った。手のひらを上に向けて、クイ、クイ、と得意気に指を曲げている。

 お望み通り、とジンテツは誘いに乗ってやることにした。得物の柄頭に手を起き、両足は壁に張らせ、刀を引き抜いたらか間髪いれずに一気に飛び出す。カールを両断しようと、両手で握り締めて振り被る。

 速さにして猛禽類が急降下するときに同じ。全身の筋肉に鞭打って、渾身の力で振り抜く。


 ガキン――――――――


 期待していない音と手応えに、ジンテツは舌打ちしながら華麗に受け身をとって着地した。


「このダーインスレイヴは、持ち主の魔力を一度でも口にすればあらゆる障害から身を守ってくれるのだよ。武器としてこれ以上ない優秀さだと思わないかい?」


 カールの自慢染みた疑問を、馬鹿らしいと舌を出してしかとする。状況を整理すると、ジンテツからしてみれば二対一という数的不利を強いられている。だからといって、たったそれだけのことで苦悶する程、この野兎は柔くはない。

 そもそも、ダーインスレイヴに何かしら不穏な意思が宿っているのはとっくに看破している。闘い方は奴隷狩りので予習済み。実質的な状況など、とっくに把握している。

 されど、ダーインスレイヴの適応力にはジンテツも悩みどころだ。普通なら反応しきれない筈の際どい奇襲。事実、奴隷狩りもカールも捉えられていなかった。

 ジンテツの攻撃は大胆巧妙にして正確無比。故に、これまで付け入る隙を与えず勝利をもぎ取ってきた。

 しかし今回に限っては、勝手が違う。全てを見透かされている。宛ら、一度されたのを全て覚えているかのような――――············。


「ああ、そういうことか」


 ジンテツはようやく理解できた。

 とどのつまり、ダーインスレイヴは歴史の生き証人であるということ。意思が宿っているという前提が事実であれば、自ずと導き出せる真相。

 完成してより、長年に渡って使い手を介してあらゆる戦場を転々とし多くの血を浴び続けてきた結果、ダーインスレイヴというただの剣には怨念に似た『何か』が蓄積され、悪食の魔剣と称される残忍で獰猛な生物へと成った。

 ダーインスレイヴの正体は、幾星霜の果てに現れる無生物から生物へと変異を遂げた超希少な人外――――死霊系人外特異無生物科“付喪仮神属ポルターガイスト„の一種。


「なんだよ。それならそうと······言えたら苦労あらへんか」


 カールは自信満々に講釈を垂れ、二対一であるという絶望を突きつけたのだろうが、実状は違う。

 この闘いは最初から、野兎と魔剣しかいなかったのだ。カール=カイオスという名の救えない邪魔者ヒラヒラヒラッピーは、空気を害する部外者でしかない。


「どうかしたのかな?」

「あ?」


 カールは不振に思っていた。


「仮にも皇女に騎士と見入られた身。であるというのに、なんなのかな? その不適な笑みは······」


 ジンテツは口に手を当てて、その形を触感で確かめた。カールの言う通り、口角は上がっていて上下の唇には隙間が開いていて歯に当たった。


「やはり獣。首輪を繋いで見世物にしておこうかと思ったけど、遠くに売り飛ばしても君ならすぐに追いかけてきそうだ。やはり、ここで殺処分するとしよう。主のお求めになる世界に、君のような醜い獣は存在してはならない!」

「ケケケ、だってよ。とことんお前、ついてへんなぁ」

「なんだい突然」

「お前じゃねーよ、ヒラヒラヒラッピー」

「まだそう呼ぶかッ?!」


 当然、ジンテツが「ついてない」と憐れみの言葉を送ったのはダーインスレイヴに対してだ。

 何せ、カールも奴隷狩りも魔剣の使い手にしてはあまりに実力が足りていない。いっそのこと、自分が使ってもいいと思える程に、ダーインスレイヴは使い手に恵まれなかったと、気の毒でならなかった。

 初めてだ。物に対してここまで深い同情を覚えるのは。


「取り敢えず、それ。偶然にも盗まれたとかで困ってる奴がいるんだよね。だからさ、返してくんない?」


 ジンテツは無邪気な笑みを浮かべて言った。


「······君は何を言っているんだ?」

「何って、言った通りだよ。その剣、返せ、今、すぐに」

「······は?」

「······はぇ?」

「は?」

「はぇ?」


 お互いに意見が食い違い、妙な空気が流れた。

 ジンテツとしては、どさくさに紛れて冒険者の仕事を遂行しようという『ついで』を働こうとしたのだが、カールはその意図に気づいていない。よって、思わぬところで彼の怒りを買ってしまった。


「解除に五分を擁したとは言え、割りと苦労したのだよ。この魔剣を手にするのに、割りとね」

「だからどうした。もう十分楽しんでしょ? ほら、とっとと返し」


 カールはダーインスレイヴを力強く握り締め、構えた。


「こんな素敵な代物を手に入れたというのに、返却などくだらない選択肢だ。まるで、この魔剣は私にそぐわないと言っているように聞こえる」

「いや、そうやろ」


 あっさりとジンテツから全否定され、深みも重みもまったくないあまりに軽薄すぎるたった一言に、忌まわしき過去がフラッシュバックする。

 自身に向く家族の顔はいつだって、虫けらを見下ろす冷徹なそれだった。その眼差しには、期待も、希望も、微塵もありはしなかった。――――カールの怒りは振り切った。


「ふざけるなァァァァァァァァァァァァ――――!!!」

「······」

「君ごときが、主に選定されたこの私を計るなど愚の骨頂の極み! 野を這いずるしか能の無いケダモノ風情が、身の程を知れ!! 私は、この国を治めんとする高潔なる使徒だ!! 頭が高い!! 頭が高いのだよ!!!」


 充血した目でジンテツを睨むカール。

 否定、それは彼にとってこれ以上ない侮辱であり屈辱。首を絞められるよりも辛い辛い苦痛。

 それをさも平然と、息をするようにされた。決して赦せることではない。

 カールの憤り対して、ジンテツはどんな表情でいるかというと。――――――――暢気に大欠伸をかいていた。

 なお、ダーインスレイヴの刀身も気が抜けたようにゆらゆらと揺らめいていた。この魔剣も退屈で溶けそうになっているのだ。


「ぽっ――――お前、なんでそんな必死なの?」

「なん、だと······?!」


 最早ジンテツがなにを言おうと、カールの憤りが収まることはない。汗は止まらず、一時間かけてセットしたオールバックがチリチリと跳ね上がるばかりだ。

 ジンテツはまた一つ欠伸を挟んで言った。


「お前さ、誰かに望まれないと自分を決められないの?」

「フン! 君がそれを言うのかい? 騎士である前に奴隷である君が! 君のような存在こそ、誰かに必要にされたいと常日頃から願っている落伍者の筆頭だろう!?」

「俺が?」

「そうだ! 過ちを犯し、暗がりに身を追いやられ、投獄され、厳格な環境で己を律することを覚え、日の目を浴びる頃には渇望する! 何者かになりたいと! 誰かの為のなにかで在り続けたいと!! 当然だ! 誰もが根底ではそう願っている! 望んでいる! 例外無くだ!!」

「あ~、そうだな。そうなんだろうな」


 ジンテツはのんびりと受け答えた。


「ほら、どうせそうだ! 自分は違うと堂々と言ったところで、何も変わりはしない! 所詮は君も――――」


 刹那、ジンテツはカールの首元に刃を突きつける程、目にも止まらぬ速さで急接近していた。今までにない距離感に、カールの口は開いたまま止まった。


「勘違いするなよ? さっき『そうなんだろうな』って言ったのは、俺以外・・・の奴のことだ。『俺がそうだ』なんて、一度も言ってねぇよ」

「う、嘘だね······そんなのは強がりだ!」

「別にええで。“虚勢それ„でも。俺を決めるのはいつだって俺だ。一々、そこら辺の目やら小言やらに義理なんか無い。めんどクセェ。お前みたいななんでもかんでも欲しがって駄犬が、一番腸が煮えくり返りやがるんだよ! 捨てるものさっさとしてて、消え失せろや!!」


 カールは無意識に飛び退き、ジンテツから大きく距離を取った。

 力強い眼差しを向けられ、力強い言葉をぶつけられ、思わず全てを委ねたくなってしまいたくなる。野生のカリスマと言うべきか、これまで創造神、またその代言人である十教皇にのみ許していた心が、熱く煮えたぎるようだった。

 今になってようやくわかった。なぜ、絶体絶命の局面にいても尚、クレイが絶望のどん底に落とすことができなかったのか。このケダモノが、良くも悪くも調和を乱しているのだ。本来であれば崩れる筈の精神的均衡、絶対的な揺らがぬ信念が、ジンテツ・サクラコという異物は意図も容易く捩じ伏せる。


 常識外れの極み――――――――常識が壊される。


 違う。そんなことはないあり得ない。あってはならない。どうして反論できない。そうしなければ、不敬で無粋な野兎の身勝手さが罷り通ってしまう。

 それはいけない。それだけはあってはならない。

 主の意向に逆らうことは新世テオス教会最低最悪の禁戒。抵触してしまえば、社会的死は当然、いずれは処分され冥界に落とされる。

 言い知れない恐怖が、カールの判断力を鈍くした。


「ダーインスレイヴよ! 私の魔力を全てくれてやる! さあ、私にありったけの力をッ!!」


 カールは魔剣を掲げて声高らかにして命じた。歪なギザギザをしていた刀身は、両刃のロングソードのものへと変わり、持ち主を含めて高濃度の魔力を纏った。

 カールの緑髪が逆立ち、瞳孔も鋭くなって攻撃的な様相に変貌し、ジンテツは警戒心を強めた。


「死人に真理を語る権利は無い。君という存在を無きものにさえすれば、姫様は挫ける他がなく、君の豪語した持論も霞と消えるだろう?」

「まあまあ、悪くぁねぇけどさ。せやからお前は徒花なんだよ。ド阿呆アホウが」


 カールが突撃し、ジンテツは迎え撃った。

 初めて自ら攻めてくるカールの闘志は鬼気迫るもので、剣術の程は基礎からやや発展させた程度。しかし感情に身を任せた太刀筋なため、拙さが顕著に出ている。

 現状、"陰"は要らない。

 それよりも、ジンテツはダーインスレイヴに注意を払っていた。形状を変化させる性質はとても厄介極まりない。カールの剣術に乗じていつ不意を突いてくるか。十六と続いた剣戟の末、大人しくしている内にカールもろとも壊してしまおうと判断を下す。

 ジンテツ・サクラコ、攻めの姿勢に移る。迅速な足運びに細かな剣裁きで翻弄する。

 魔剣によって、カールの身体能力は格段に向上していた。しかし、ジンテツの不規則な動きには辛うじてついてこれる程。激流の如く猛攻に防戦一方を強いられ、反撃の隙がまったく見られない。遂には、ダーインスレイヴを手離させられ、深く下から斬り込んでくる。

 逃げられない。そう思った次の瞬間、ダーインスレイヴが刀身を伸ばして防いでくれた。


「チッ」


 打ち損じて舌打ちするジンテツ。やはり、持ち主からダーインスレイヴを離したところで差して意味は無い。

 ひとりでに手元に戻ってきた魔剣を見て、カールは笑った。持ち主を絶対に守護する忠実な武器。これさえあれば、例え百人、千人の軍勢が来ようとも勝てる気がした。

 実際は、折角手に取ってくれた愚かな餌を早々に損なってなるものかと、縄張りを侵された熊のような習性を働いているだけだ。そんなこと知る由もないカールの自信は、うなぎ登りしていく。


「君では私に勝つことはできない!!」


 改めて宣戦布告を叫びながら、狂喜に取り憑かれたカールは無我夢中で襲い掛かる。それに呼応して、ダーインスレイヴも唸りをあげた。刀身に細かな突起が生え、カールが振るうと弾丸となって飛ばされた。

 ジンテツは全てを弾き落とし、己の刃を凶刃にぶつける。

 瞬間、ダーインスレイヴが管を伸ばして野兎の得物に絡み付き、自由を奪った。カールの力強い振りに引っ張られ、体幹を崩されたところを速やかにほどいて凶刃を顔に目掛けて振り上げる。

 なんとか首を反らし、左頬の皮一枚だけで済んだ。

 地を転がり、態勢を立て直すジンテツ。大きく回り込んで助走をつけ、大きく飛び上がって斬りかかる。

 カールは怯んだ。野兎の追撃が来て焦るが、ダーインスレイヴが鞭となって寸前で防いだ。その後も、鞭となった魔剣を振り回して、なんとか拮抗状態にもつれ込む。

 しなる凶刃はジンテツの血を得る為に牙を生やした。ぶつかり合う度に引っ掛かり、手元から持っていこうとする。

 ジンテツは巧みに手首、腰、脚を駆使して、ダーインスレイヴの牙を軽快且つ流麗に掻い潜ってカールの鳩尾みぞおちに痛烈な肘打ちを繰り出した。

 呼吸が一時途絶え、意識が失いかけるカールにジンテツはさらなる猛攻を仕掛ける。が、ダーインスレイヴはそれを許すわけもなく刃を湾曲させて首に向かって伸ばした。

 しかし、凶刃が切ったのは何もない空気。ジンテツは額が地に付きそうな程に、低く低く前傾姿勢を取って避けていた。そして、この時、この瞬間、この態勢こそ、ジンテツが最も狙っていた好機。前後に置いた両足の爪先に力を入れ、踏ん張ると同時に腰に深く構えていた白鞘を精一杯振り抜く。

 カールの腸に一閃が走り、鮮血が飛び散る。

 ジンテツはカールの背後に通過しており、びちゃっと後ろから聞こえた瑞々しい音で自身の勝利を確信。振り向けば、血溜まりに腹から倒れた敵の姿があった。


「すぅー、ふぁー······」


 一度深呼吸をしてから、白鞘を鞘に納める。"陰"を出すまでもなく終えた死闘に不満足を覚えているかと言われれば、全くそうではない。妥当な戦果。

 魔剣は静かに握られたまま。形は元の形態に戻っていて、闘いが終わっても尚異質な気配を漂わせている。


「どんだけ貪欲なんだよ」


 ジンテツはカールの死骸にゆったりと近寄った。ダーインスレイヴに手を伸ばして、当初の目的であった回収を済ませる――――――――――――············。


 直前、ジンテツは危機を察知して後ろへ大きく飛び退いた。だが遅かった。カールの血溜まりから無数の刃が出現し、ジンテツの身体中を貫いた。

 腕を交差させて心臓への一突きは免れたが、横腹までは無理だった。着地すると、血が溢れ出てきて地面に溜まる溜まる。


「おいおいおい······、冗談じゃ済まされへんぞこりゃあ······」


 苦痛の中、視線をあげた先では異様な光景があった。カールの死骸が痙攣しながら起き上がっているのだ。ゆらゆらと足元は覚束無く、骨でも無くしたようにぐらぐらと大きく仰け反らせて、力無げにジンテツの方へと向いた。

 手にあるダーインスレイヴは血管のようなものを伸ばしてカールの腕を飲み込み、鼓動を打ちながら刺々しく変異した。


「こいつ······マジかよ」


 憶測、しかし確定的な事実。

 カールはダーインスレイヴに寄生されてしまったのだ。いや、寄生では生温い。吸収という方が適切か。


「馬鹿野郎が。得物にものにされるとか、笑い話にできないぜ」


 痛みに堪えて苦笑を浮かべながら、ジンテツは再び抜刀した。これより先、相手はカールではなくなった。正真正銘、ダーインスレイヴとの決死の闘争の始まりだ。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 全身が凍りつくような感覚に襲われた。ボロボロで、血で真っ赤に染まった彼の姿は、いつにも増して酷く惨たらしい様だった。

 すぐに治癒魔術をかけようと、私はジンくんに駆け寄った。


「大丈夫だから! すぐに治すから!」


 ジンくんの身体に両手を向けるも、弾かれた。


「なにするの?」

「要らねぇ······」

「バカを言わないで! そんなひどい怪我して」

「んな暇無ぇんだよ!」


 突然、ジンくんは私を抱えて飛び出した。次の瞬間、私達のいたところに赤黒い鋭く巨大な何かが叩きつけられて砂埃が舞った。


「なんなの?」

「敵だよ。かなり、超めんどクセェ奴だ」


 ジンくんから降りて、彼が睨む方向を見る。そこには、半身が赤黒い棘に覆われた男の姿があった。無気力な顔には見覚えがある。それが益々衝撃的だった。


「あれって、カール? カールなの?!」

「············」


 ジンくんは答えなかった。けれど、この反応だけでそうなんだというのがよくわかった。

 一体何があったというのか。右腕が鋭い何かに飲み込まれていて、生気を全く感じない。


「カールは、どうしちゃったの?」


 ジンくんに訊ねると、彼は前に出て答えた。


「あの馬鹿、ダーインスレイヴに喰われやがった」


 ダーインスレイヴって、カールが持っていたあの気味の悪い剣?! 喰われやがったって言うことは、カールのあの姿は剣に無理矢理動かされているってこと?


「いや、意味がわかんないよ!」

「わかんなくていい。取り敢えず、あいつは敵だ」


 傷だらけなのに、戦意が異常だ。カールを見る鋭い眼差しは、横から見ていても私に向けられているみたいな感じがした。止めても止められないのがよくわかる。

 それでもやっぱり、回復しないと――――。


「手出しするなよお姫様。あれは俺のだ」

「············」


 私が制止するよりも先に、ジンくんはさらに前に出てカールと闘い始めた。全身傷だらけで今にも倒れそうなのにも拘わらず、ジンくんの動きは疲れ知らずでカールの振るう赤黒い刃の猛攻を凌いでいる。

 苛烈を極める二人の抗争に、私は加勢する勇気が持てなかった。止められなかった不甲斐なさからもあるけれど、それとは別にまた不謹慎というか、不相応な感情が胸の奥で燻っていた。

 邪魔してはいけない。止めたら彼の為にならない。――――自分でもわからない。なんなの? このかき乱されるような迸りは······。


「アイツら無茶苦茶だ。姫様、巻き込まれる前に逃げよう」

「エレンは先に行ってて」

「はぁー?! なに言ってんだよ! こんなところにいたら無事じゃ済まないよ」


 エレンが焦る理由もわかる。ここは戦場。慈悲も遠慮も無い残酷な環境。だけれど、そんなところにジンくんが······私の騎士が身を粉にして闘っている。


「終わった後、誰がジンくんを支えるの?」


 そう言うと、エレンは静かに私の隣に立った。


「せめて壁役にはなってあげるよ。それくらいなら今のウチでも上等だ」


 エレンの頬が赤くなってる。無理して付き合わなくてもいいのに――――。


「ありがと。案外、世話焼きなんだね」

「一言余計!」


 エレンが照れた次の瞬間、轟音が鳴り響いた。ジンくんカールの二人は距離を開けて睨み合っていた。

 まるで、お互いがお互いを認識して、今か今かと仕留め時を狙っているみたい。

 空気が張り詰め、緊張感が増す。

 固唾が喉を通り、瞬きをする事も許されないこの感覚は、よく知っている。――――最終局面だ。





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