竜魔女【ヴィーヴル】
ジンテツが突入した後、シラと奴隷狩りは睨み合っていた。火花を散らし、しのぎ合いの音が絶えず反響している。
「もー、邪魔しないでよ。オレはあっちの黒い方としたいんだからさ~」
シラは静かに、向かってくるだけだった。殺意満点の刃を振るい、確実に首を斬ってかかってくる。
狭い洞窟は奴隷狩りの好む舞台。未だに掠り一つつけられていないことに、シラは苛立っていた。
「ねえねえ、なんか言ってよ! きみ、静かすぎてなんか怖いよ!」
無言の攻撃を続けられ、奴隷狩りは我慢の限界を迎えていた。今までに、いろんな相手を手にかけてきた彼だが、ここまで静寂な輩は初めてだった。
いつもであれば、苦々しい表情を向けられ優越感に浸っている頃だというのに、この小柄な白兎の女剣士ときたらただただ静か。最初に剣を交えてから、一切顔色が変わっていない。
絶えず睨みながら襲いかかってくるシラは、奴隷狩りにとっては以前に立ち会った野兎とはまた異質に思えた。
「もー、ホントにヤダ! 黒いお姉さんはどこ!?」
一方、シラは喚き散らかす奴隷狩りに憤りを覚えていた。自身が最も尊んでいる人兎を傷つけた憎き仇敵。それだけでもストレスが溜まっているというのに、先程からずっと我が儘な子供のように喚かれては、苛々が募るばかりで剣筋も鋭さが増すというもの。
こんなふざけた奴にジンテツの身が傷つけられた。この現実が受け入れられないのもあって、シラの刃には荒んだ殺意が込められていた。
ちょこまかちょこまかと洞窟の空間を最大限に活用する奴隷狩りに、シラの癇癪はさらに酷くなって柄を強く握った拍子に刃に暴風が巻いた。それで一振すれば、洞窟の壁の岩肌は大きく囓られたように抉られた。
「うぅ、こっわ」
奴隷狩りは震え上がり、大きく距離をとった。
「なんなの? もー!」
もういっそのこと、逃げてしまおうかと思い始めていた。彼はカールに雇われただけの無名の殺し屋だ。報酬は前払いで既に貰っており、とっくに役目を終えているため居座る理由など無いのだった。
せめて心残りを拭おうと、仕留め損なったジンテツ・サクラコに再戦を願っていた筈が、なぜだか今相手にしているのは全く別の雌兎という実状。
奴隷狩りからしたら、あまりに理想と乖離した現実で逃げたくなるのは必然的な思考だった。
シラは是が非でも仕留めようと躍起になっていた。五感に全神経を集中させ、逃がすまいと奴隷狩りの逃走を許さないでいる。鋭い深紅の眼光は、一瞬の隙も見逃さない。
「ねえ、きみさぁ、オレのことが怖くないの?」
唐突に、奴隷狩りは訊ねた。それを聞いたシラは、暫し攻撃の手を止めた。
「それはどういう意味?」
「オレってさ、世間でなんて呼ばれているか知ってる?」
「奴隷狩り」
シラは淡白に、そしてうんざりそうに即答した。
「そうだけど、そうじゃなくて!」
シラは律儀に答えるのが面倒臭くなっていた。溜め息をついて、刀に魔力を込めて風を巻く。しかし、奴隷狩りが咄嗟に両の手の平を向けてきて、制止を促された。
「ちょっとちょっと、よく見てよ! 白い髪に、色違いの目、わからない?」
「······?」
「ウソでしょ? わかんないの? 怖く、ないの?」
先程から何を言っているんだこの変人――――シラの中にはそれしかない。奴隷狩りが『奴隷狩り』以外の何と呼ばれているのかなど、心底どうでもいい。
例え、彼がこの世で最強最悪の十名の
シラ・ヨシノの目に写るは尊き御方に仇なす賊軍の一員。シラ・ヨシノの耳に入るのは聞くに耐えない雑音。
『敵』の一文字で済ませている相手に、それ以上の認識も印象も懐く謂れは無い。
敵は斬り伏せる。ただその一心のみ。
「理解に苦しむ。あなたの一体何を怖がればいいと?」
「ヒッ······」
困惑する奴隷狩り。
じりじりと歩み寄ってくるシラに、まったくの恐怖を感じられない。彼女の涼しい言動が、冷たい態度が、熱を感じない雰囲気が、奴隷狩りの恐怖を煽り返す。
「所詮は小物。あのときの妙な気配は、やはり本命の得物の方。だとしても、少し複雑。お労しや、御子息様。八つ当たりは雅でなく不道徳的で嫌だけど、やむを得まい」
シラは刀の柄を強く握り締め、一度鞘に納めた。ただし完全には納めていない。鞘の縁と鍔に指一本分程の幅を空け、その隙間から刃に魔力が凝縮する。
空気の流れがシラのもとへ集っていくのを肌で感じた奴隷狩りは、即座に透明マントを被って逃走を図った。
「敵を前にして背を向けるか。これ些か、腹が立つ。――――"
見えざる的の動きを見据え、シラは足を強く踏み込んで瞬く間に壁を伝って抜刀する。
足のつく場所全てを土台として踏み抜き、四方八方の空間を自在に駆け巡る俊足の移動技法。これに剣と風が加われば、より鋭く、より
いくら姿を眩ませようが、目をつけられた時点で奴隷狩りは負けていた。シラの振るった一陣の風は明確に的を捕らえ、背中を右脇腹から左肩へと袈裟斬りにかけた。
何もない空間から血飛沫が飛び散って、一瞬、苦痛で涙と鼻水で歪んだ顔をした奴隷狩りが見えた。シラは刀を下方で振り回しながら探した。だが、何も当たらなかった。
「まんまと逃げられたか。しかし、あの傷なら長くは持つまい。早く御子息様のもとへ――――」
と、振り返った瞬間、迷宮の奥から凄まじい圧が通り過ぎていった。全身がビリビリと痺れ、指一本動かすのに苦労する程感覚が鈍くなった。
「なんという魔力密度······!? ここまで重厚なのは初めてだ。まるで御子息様の威嚇――――けどこれは、明らかに魔力の波動。まさか······」
魔力の性質からシラの思い付く限り、先程の衝撃の発生源はただ一人しかいない。
クレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエ――――あまりの意外性に、驚愕を隠しきれない。あんなお気楽な妖精が、殺気と言っても差し支えない重苦しい気配を放つことができたのか。
シラは止められた歩みを再び踏み出す気概を持てなかった。これより先は魔境が広がっている。そんな本能的危険に従い、一人、迷宮の外で待つことにした。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
エレンの後をついていった先は、殺気までいた空間と比べて平坦な地形の広間だった。見下ろせば、踏んだところを中心に青白い妖しい光が広がって、見上げれば天井から鍾乳洞が伸びている。その先から水滴が垂れ落ちて、地面に着いたら私達の足元みたいに光った。
「神秘的でしょ。
フン! とエレンが力むと、足元の光が全身を照らすサークルになる程強さが増した。
「この通り。比例して光の強さも増す」
「キレイだけれど、何が言いたいの?」
「ここなら、半端はできないってことさ」
益々意味がわからない。
「なんで納得いってないって顔してんの?」
「ごめんなさい。どうにも、あなたみたいなタイプの価値観には同調できなくて」
エレンのような、戦闘に矜持を見出だす輩の気持ちはわからなくはない。スヴァルもそれに近しい思想を持っているから。曰く、実際に手合わせをした方がその者の真意が表れる、だったっけ? エレンの狙いも、多分これだ。
「要は、本気でぶつかり合いたいんだよ。ここは、手を抜いていないかどうかを審判してくれる。かの“魔人„を降したその腕前、見ないで帰すわけにはいかないね」
やっぱり。
カールとは別の理由で、何かと私に執着しているみたいだったし。目の付け所が不本意でしかないのだけれど······まあまあ、彼よりはわかりやすい動機だと思う。
「無視してもいいけど、そうなったらウチは黒兎の方に行ってカールに加勢する。あいつは弱いが、魔剣があるならそれなりに張れるんじゃないかな?」
「それは脅しのつもり?」
エレンは鼻で笑った。
「どうする? 今こそ、“
これまたどこで聞き付けたのやら、私の黒歴史を好き放題にほじくりかえして。ただでさえ、アリスのことで腹の虫の居所が悪いのに······。
「誘いはお断り? じゃあ仕方がないね。あっちの黒兎の方も中々に面白そうだし、今のアンタよりかは楽しませてくれるだろうさ――――」
考えるよりも先に、私の身体は勝手に動いていた。細剣ブランディーユを手にしてエレンに向かって突撃し、彼女の頬を掠めていた。
エレンは流れ出る血を指で拭き取って、まじまじと見た。嬉しそうに微笑んで、まるで子供みたい。
「
拳を構えたエレンに、私も剣先を向けて答える。お互いの足元の光が強くなり、サークルが繋がった。
さて、どう攻略しようか。
エレンの能力を改めて考える。
素の身体能力が私より上なのは明白。接近戦はなるべく避けた方がいい。魔力の総量では私が上回っているから、遠距離攻撃で削っていける。――――というのが常套手段なわけだけれど、ただの格闘かであれば大抵これでなんとか凌げる。しかし、エレンは私と同じく魔式を会得している。
魔式"
攻略は困難を極める。
「そんな難しい顔をしないでよ。気楽にやろう。社交ダンスとでも考えればいいからさ」
「こんな物騒なダンスパーティーなんて、ごめんよ」
「そう言うなって」
スリーステップで距離を詰められた?! なんて軽やかなフットワーク。ギルドでの一戦は、全然本気じゃなかったんだ。
「遅いよ!」
咄嗟に切り上げるも、余裕で避けられてお腹に深い一撃を撃ち込まれた。バックステップして威力を軽減したとはいえ、やっぱり強烈。
一旦退いても、そう簡単にエレンは息つく暇を与えてくれない。すぐに間合いを詰めて確実に仕留めにくる。
このままでは一方的に削られるだけ。まずは攻めに転じる為に、隙を作らないと。いや、その前に次の攻撃をやり過ごさないと!
「"
エレンの拳が深い鼠色となり、光沢を放った。私は剣を逆手に持って、全身全霊で魔力を練った。
「"雷帝の【
攻撃は防いだ。けれど、衝撃は消しきれなかった。そこは身体強化でフィジカルを補強し、なんとか耐えきった。
「前よりは頑張るじゃん。じゃあ次は、連続で!」
「えッ?! ちょっ――――!」
「"
今度は矢継ぎ早に、鉄拳を繰り出し続けてきた。一発だけでも辛うじて耐えれる衝撃が、絶え間なく押し寄せて来られたら、限界なんて優に越える。
凌げたのはたったの六発程度。そこから先、感覚が一気に消えた。次に覚えたのは、背中から岩肌に衝突した粗い痛覚。後から全身に酷い痺れが追ってきた。
「情けないね。せめて、二十発は耐えてくれないさ」
無理を言ってくれる。
すぐに魔力で感覚を沈めないと、いきなり無理矢理に起こしたら余計に身体が鈍くなる。速やかに回復を済ませたら、細剣ブランディーユを拾い上げてエレンに向ける。
「緩急をつけてスマートに痛覚を和らげたね。流石は魔力の扱いに長けた
肩をすくめて、エレンは退屈そうに言った。
「さっきからうるさいよ。あなたの中で私がどう写っているのか知らないけれど、これが今の私だよ。変な期待を懐かれても、迷惑なだけ。勝手な印象を押し付けないでよ!」
私はもう、二年前のようなことはしたくない。あのときの私はまだまだ未熟で、覚えたばかりの魔式を扱いきれなかった。荒ぶる魔力を制御できず、結果、倒さなきゃいけない相手をみすみす逃してしまった。
力に溺れてまでも私は勝ちたいとは思わない。二年前のような失敗を犯すくらいなら、真っ当に闘って負けた方がマシだ。例えそれが、クレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエ最大の失態になっても厭わない。
「"雷帝の【
今の私にはこれが精一杯。魔力を武器の形に固定して闘う。あらゆる武具を用いて国の脅威を妥当するなんた、我ながら一国のお姫様らしい力だと思う。
この身に王の血が流れていなくても、私にはこの力を持てただけで十分だ。悔いはない。
――――――――··················――――――――
今、何かが脳裏を過った。
不安? 何かが胸につっかえてる。不快な違和感。
考えるな。今はとにかく、エレンを倒すの!
「
有る限りの魔力を全身に巡らせ、さらに雷を付与して臨戦態勢を完成させる。
「わからせてあげるから、かかってきなさい」
「頑固だなぁ。でも、いいよ。否が応でも引き出させるからさ」
エレンの魔力密度がさらに増した。負けじと私も出力を上げる。
ここから先は持久戦だ。私の魔力が尽きるか、エレンの防御を剥がせるか。
持って二十分。この状態で、絶対にエレンを倒してやる。
私から先に走り出して足元から切り上げる。エレンは軽く避けて、踵落としをしてきた。私も身体を反らして、地面を横転しつつ立て直して追撃する。
お互いに一歩も退かない攻撃と回避のせめぎ合い。剣が届いても、エレンの鋼の体表に傷一つ付きやしない。
このままでは私の方が先に倒れてしまう。
武器を【
さすがは狩猟民族と言うべきか。凄まじい対応力で難なくいなされた。
「へっ! 動きは悪くないけど、ウチを仕留めるにはまだまだ鈍いね!」
「"
「おっと!」
蹴って来ようとしたところを放電して遠退かせる。この一瞬は無駄にできない。魔力を溜めて、私の持つ限り最高の火力のある武器を構築する。
「"雷帝の【
「それかよ!!?」
一点集中させた魔力の大砲を、エレンのお腹に目掛けて放つ。ドォーンってうるさいのと魔力消費量がえげつないのに目を瞑れば、鋼鉄だって破る私の秘密兵器だ。
これならエレンでも無事では済まないだろう。
「早く、ジンくんのところに行かなきゃ」
「バァー!!」
「はぁ?!」
振り返ったら、エレンが立っていた。
「いやー、ギリギリだったよ。見て、ウチのへそ。ちょっと焦げちゃってる」
私は速やかに空中へ逃避した。
転移魔術での
あの土壇場でそこまでの余裕は無かった筈。
「空に行ったか。まあ、妥当な判断だね。フゥー······――――」
エレンは、息を深く深く吸いながら身体を大きく仰け反らせた。足元の光の範囲が広がっていき、彼女の体内で高密度の魔力が練られているのが目に見えてわかる。
肌がざわつくこの感じは、ホバリングも儘ならないくらいにヤバい
「"
エレンの口から鼠色の竜巻が吹き出された。範囲が広く、射程外に逃げるまでに掠めてしまった。傷を見ると、小さな粒が付着していた。
「なにこれ? 砂利?」
「正解」
「ヴッ!?」
脇腹に強烈な打撃の感触がして、私はあっという間に地に蹴り落とされた。地面に激突して、転倒する。
まただ。またいつの間にか背後を取られていた。どういう仕組みなのか、皆目わからない。
「強化魔術を施されたら、クリティカルヒットでも効きが悪いな」
「そんなことはないわよ。ちゃんと骨まで響いているから」
「そう。それは良かったよ」
とにかく目を離さない。エレンの瞬間移動は難解だ。単に目にも止まらぬ速さで疾走しているだけなら、慣らせばなんとかなる。
私はなるべく瞬きしないように努めた。加え、どこから来ても対処できるよう全方向を警戒する。
「そんな小鹿みたいにガチガチになるなよ。可愛くて手が出しにくくなるじゃん」
「そうして貰えるととっても助かるかな」
「ゴメン、むり」
そう言うと、エレンはフッと消えた。影も形も残さずに。辺りを見ても、エレンの姿は無かった。
私は考えながら構えた。
前か、後ろか、右か、左か、上か――――どこから掛かってきても、対応できる。
突然、足元からサラサラサラと軽い音がなった。これを聞いた瞬間に、私はしくじったと己の見解の間違いを嘆いた。
「やっほー!」
突如、地面からエレンが生えてくる形で現れ、アッパーカットを撃ち出してきた。私は急いで翅を羽ばたかせ、空中へ退く。その後もエレンは追いかけてきて、身体を捻って繰り出してきた回し蹴りを【
「よく反応できたね」
エレンは、自身で"
砂利の攻撃をしている時点で気づくべきだった。エレンの魔式の、本当の概要は――――
「自身、または魔力の鉱物化?!」
「······マジ? わかっちゃった感じ? スゴ。大正解」
そう言って、エレンは手の平から砂を出した。
「アンタも知ってると思うけど、魔式は身体そのものが魔法陣に成ったようなもの。だから、平常時でも魔力による干渉影響は皮膚より少し外にも及ぶ。要は簡単な話、ウチがしているのは魔力を砂粒に変えていたってわけだよ」
知っている。常識だ。
あまり出会う機会が無いからたまに忘れそうになる。魔術と魔式は似て非なるものだ。
単純な能力面でもそうだけれど、魔法陣という鍵がなくなったことで、魔力の用途の幅が格段に広くなる。それが魔式使いにもたらされる恩恵。
そして、魔式同士の戦闘において重要視されるのは、洗練度。いかに己の力を熟知し、扱いきれているかという技能の解像度。それ次第で同じ魔式でも天と地程の差が表れる。
「············」
ふと、笑いが込み上げそうになった。エレンの言ったことを反論しておきながら、魔式戦の重要度を自分から手離しているような気がして、皮肉が利いてて滑稽に思えた。
だからって方針は変えない。私はこのままで行く――――。
――――本当に、それでいいの?――――
どこからか、”ざわめき„が響いてくる。すると、私の意思に反して剣を握る手が弱まる。
なんでそうなるかな。別にいいでしょ。何をおかしなことを。
――――でも、どこか気持ち悪い――――
そんなわけ、ないでしょ。なのに、なんでムカムカするの? なにがこんなに気に入らないの?!
――――じゃあ、思い出して。“あの夜に見た光景„を――――
あの夜に見た光景。真っ先に思い出されるのは、荒ぶる黒霧の中で激しい咆哮を上げる怪獣の姿。
群がる敵を悉く塵へと変えていく様は、清々しく残酷で、ある種芸術的な地獄絵図だった。
破壊、爽快、奇々怪々。
見れば見る程引き込まれて、快楽的な気分になった。
ひどくズルい。まるで流麗なダンスのような、奇しくもキレイに見えてしまった。不覚にも、憧れてしまった。
――――だったら、いいじゃない。もう縛らなくても――――
前に、興味本位半分、単なる暇潰し半分のつもりでジンくんに訊ねて見たことがある。あれだけの力を身に付けていて、怖いと思うことはないか?――――って。
彼は間を空けずにこう答えた。
『取り敢えず、めんどクセェ』
あまりに簡単にそう言ったものだから、私は思わず目をぎょっとさせてジンくんを見た。
『お姫様は自分の得物を使うとき、一々怖い怖いって踏み止まるの? 俺はしない。だって死にたくないもん。怖いとか、嫌だとか、負けるとか、生きるか死ぬかの瀬戸際でそんな余裕なんか持てるわけないでしょ。マジで考えるのめんどクセェ。二度と訊くな』
当然だろ? と言うように、ジンくんは呆れた風な溜め息を吐きながら答えた。
正直、スゴいと思った。当然と言えば当然。ましてや、日頃から命のやり取りをしていたジンくんからしたら、愚問であることこの上無かったでしょうね。
今思えば恥ずかしい。
――――ね? だったら、いいでしょ?――――
そうだね。
エレンは強い。勝てる保証が無い。この闘いが終わったとき、どっちが立っているかもわからない。生きているかどうかもわからない。その敗因が手を抜いたからだったなんて、ジンくんはなんて思うかな······。
――――ダメだな。あの野ウサギが来てから、色々と調子を狂わされてばかりいる。今だって、ずっと忌避していた筈なのに、彼を思い浮かべると私も私もってなってしまっている。いけないのに、嫌なのに、堪らなく解き放ちたくなっている。
このまま勝てたとしても、なんだか······気持ちが悪い。
「"
++++++++++
魔術とは繁栄の力なり。同時に、己を蝕む病でもあり。――――とある教本にはこう記されている。
森羅万象全ての生物は、自壊を防ぐために無意識に力をセーブしているという。魔力も同様、脳が働きを低下しないようその廻りには十分なセーフティラインが敷かれている。
魔力とは万物に宿っているもの。よって、魔術を行使した際に消費した魔力は空気を取り入れることで供給される。そうやって循環を繰り返すことによって、身体は徐々に魔力に適用していき、やがては身体そのものを魔法陣として発動させる“魔式„を体得するに至る。
だがしかし、得られる恩恵はそれだけではない。魔式を覚えてもなお、過分に魔力の廻りを働かせれば干渉影響の侵害範囲は身体の外へはみ出し、そして空間までへと一気に拡大する。
エレンは不穏な空気を感じ取った。クレイが剣を両手に寝かせ、瞑目してから迷宮の床、壁、天井に至るまで青白い電光が走り、瞬く間に外と勘違いする程に明るくなった。
空間全域の
密度だけでなく、濃度まで凄まじく上昇しているのだ。
エレンは理解した。クレイを中心に、領域が形成されている。今この場を、クレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエが制圧し、支配している。
とうとう、満を持して現れたのだと身体の震えが収まらない。エレンの前にいるのは、温室でぬくぬくと育てられた可愛げのある花ではない。目につくものを貪るために、牙を向ける歪な進化を遂げた“怪物„。
翅を広げたクレイを、彼女自身から発せられる青白い雷電は、妖精の少女をまったくの別物に象った。その様相は正しく、猛々しく獲物に襲い掛からんとする超生物――――
「遇いたかったよ。“
興奮が抑えられないエレンは、考え無しに突撃した。願って願って願った末に、遂に現れた最高の目標。
絶対に逃さない。逃がしてなるものか。死んでも仕留める。そういった野生を、エレン・グルントは止めることができない。血走った目は瞬きを忘れ、とにかく硬化させた拳を一心不乱に突き出す。
「あれ? どこ?」
殴りかかったところに、クレイの姿は無かった。どこを見渡しても姿が見えず、警戒を高めて構えるエレン。
そこに一閃が駆け抜ける。辛うじて反応し、頬を掠めるに止まった。その後も繰り返し繰り返し、光が身体を切り裂く。瞬きする暇もない襲撃にエレンは苛立ちを募らせ、足元に両の拳を振り下ろした。
割れた地面に足を振るって、破片を周囲へ蹴り飛ばす。散弾が四方八方へと着弾するも、肝心のクレイには当たらなかった。
「なんだよ。結局使うんじゃん。なんだかんだ言って、アンタの方こそ自分を押さえつけられないんじゃんか! ザマァないね!!」
エレンは罵倒して叫んだ。
「うるさいわね。別にあなたが理由じゃないわよ。とりあえず、そういう気分になったってだけ。勘違いしないで。まあ、言い訳にしか聞こえないでしょうけれど」
目の前に、クレイがゆっくりと高度を落としてきた。彼女の翡翠の瞳は淡い光を宿していて、表情もさっきまでの狼狽さは微塵も無く、落ち着いていて大人びていた。
エレンは思わず、自身の野性を疑った。何度も目を擦ったが、眼前にいるのは確かにクレイで間違いなかった。
「アンタ、何をしたんだ?!」
エレンは強い語気で訊ねた。
「単純な話。魔力の廻りを速くしただけ」
「······は?」
「供給と消費を繰り返すことで、魔力は身体を廻り、馴染んでいく。なら、その循環を速めたらどうなるか。結果はこの通り、全体能力が爆発的に上昇するの」
エレンは益々理解できず、疑念が湧いた。
「ありえない! どれだけ身体が頑丈でも、無限に空気を溜められる風船が無いのと同じ! 魔力の急速な循環?! そんなことをしたら、神経が磨り減って脳が耐え切れずにぶっ壊れるでしょうが!」
「そうね。そうなんだけれどね。けれど、特異体質ってやつなのかしらね。平常時でも、私の魔力の廻りは普通の人より五、六倍くらい速いらしいのよね。だから、魔力を少し消費したところですぐに供給される。みんなは量が多いって評価してくれているけれど、実際はそういうこと」
驚愕を抑えられないエレン。全身から汗が流れ出て、まるで猛獣を前にして身がすくんでいるげっ歯類の様だ。
無理もない。クレイが行っているのは、常軌を逸した自傷行為と同じ。どれだけ自分に厳格でも、ここまでスパルタな追い込みはしない。
また、クレイの方も内心ではかなり驚いていた。
二年前、世紀の大悪党たる魔人ゴエティアを相手に偶然発動させた"
しかし、今はこうして成功している。以前と違い、頭の中は冴え渡り、胸の奥底から多大な自信が沸き上がってくる。
今なら何でも出来そうな気がする。漠然とした可能性が、妖精の少女をさらなる延長線上へと導く。
「今度は何をするつもりだ?」
エレンを前にして、クレイは剣を立てて瞑目した。深く息を吸い、吐いて、開眼と同時に全身に力を入れる。
するとどうだ。クレイの魔力の波動がまた膨れ上がり、鼓動のように波打っていたのが刺々しいものへと変容した。
「ちょっと、ちょっと······一体、何が起きているんだよ!?」
全身の肌がピりつく感覚に襲われ、エレンは困惑を通り越して半ば恐怖していた。
「私の中で、魔力の調和を崩した。あなたの言う通り、無限に空気を溜められる風船なんて無い。けれど、私は違う。知ってるだろうけれど、私の魔式"雷の
「············」
「うん、決めた。この技は、『騒がしい』を意味する古い妖精の言葉からとってこう名付けることにしましょ――――"
またしても、クレイは無茶苦茶な行為に打って出た。
普通ならば身体が内部から爆発四散していてもおかしくない。魔力の高速循環以上の危険を孕んだ自殺行為。
ここまで来れば、エレンのリアクションのキャパシティーは限界を突破し、最早笑う他無い。
「まさか、ここまでとはね。ようやく理解したよ。ウチはとんでもない見間違いをしていたみたいだね。この、とんだ猫かぶり姫が!」
「もう、人聞きが悪い」
クレイは呆れた風に、残念そうに言った。
「まあいいさ。とにもかくにも、今の
エレンは猛々しく雄叫びをあげた。すると、彼女の魔力が急激に上昇し出した。拳から腕まで施されていた硬化が全身に広がり、さらに地味な鼠色から派手できらびやかな光沢を放つ透き通った宝石へと変質を遂げた。
「"
クレイは微笑んだ。エレンの煽りに答えるべく、先程名付けたばかりの技を改めて行使する。
「"
青白い雷光がクレイから周囲約三メートルまで放電。
エレンも負けじと構えをとり、それだけで地面が割れる程の高出力の魔力を解放させた。
数秒後にはどちらかのみが立っている。それは自身であるとお互いに未来を見据え、いざ、終幕の
「"
「"
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
はっきり見えた。
私の
勝ったんだ、私。
「ふぅ~······」
ゆっくりと魔力の調和を取り戻して、状態を平穏にする。
発動時間ざっと一分と四十五秒。体感的には三十分くらいだけれど、現実はこのぐらいかな。過分に魔術を施した状態から即刻切り換えた所為か、身体の負担が半端ない。
「流石に魔力を廻し過ぎちゃった。まだまだ慣れが必要みたい。ごめんなさい、ジンくん。そっちには、すぐ行けそうにないよ。もう少し、待ってて」
私はエレンを仰向けにして治癒魔術を施した。私がつけた傷だから、残滓が反応して簡単に治ってくれる。まったく、便利な仕様だよ。
「うぅ······」
エレンが小さく唸った。そして、間を置かずに目蓋を開けて私を見た。
「なに······してんの?」
「治してる。あなたの傷を」
「······呆れた。さっきまで殺しにかかっていた敵を治すとか、どこまであまちゃんしてんだよ」
これは聞き捨てならない。
「別に、殺す気なんて最初から無かったよ」
「はぁ?」
「悪党は生きて捕まえて、きちんと反省して改心してもらうって決めてるの」
「······へぇ。ご立派なことで」
エレンは下らないと言うように外方を向いた。
「傷が治りきったら、すぐにアンタに殴りかかるよ?」
「エレンはそんなことしないでしょ」
「なんでそう思うの?」
「なんとなく」
「即答!?」
「はい、治療終わり。私は無事です。殴られていません。ね?」
そう笑みを向けたら、エレンは呆然として起こした腰を戻した。目を腕で覆って、悶々としている。
なんか、ちょっと可愛い。
「アンタ、ヤな性格してるよ」
「ひどくない? で、
単刀直入に訊ねたら、エレンは起き上がって私を見た。
「カールの奴が言ってたでしょ。お姫様を使って国家転覆を――――」
「それはカール個人の狙い。私が知りたいのは、あなた達――――新世テオス教会の狙いだよ」
エレンは目を見開いた。この反応からして、カールの悪巧みは
「最初に会ったとき、あなたは言ったよね? 『おたくの騎士様はどこにいるか』って。最初からあなた達はジンくんを狙っていたのは明白でしょ」
「チッ、しくったなぁ~」
悔しそうに胡座をかいては天井を仰ぎ見て、観念したようだ。
「新世テオス教会には、十人の教皇がいるってのは知ってる?」
「ええ。有名な話だから」
「そう。その内の一人、ウチの所属している宗派の教皇がさ、どうにもあの野兎にご執心みたいでさ」
「入信させたい、わけじゃなさそうね」
ジンくんはそんなタイプじゃないし。ましてや、神の存在すら信じているかどうか。――――っていうか、彼に一番似合わない環境だ。誘われても即断即決で「めんどクセェ」の一言で断る様子が目に浮かぶ。
「ウチも詳しいことはわからない。ただ、『あれの素性を調べてこい』としか言われてないからね。正直、あまり乗り気じゃなかったんだけどさ」
新世テオス教会はなにかと噂が絶えない。冒険者や区衛兵とは違って、大々的に動く組織ではない。
だからこそ、理解に苦しむ。
今まで、ジンくんにアプローチをかけてきた輩は大抵の理由が懐疑的なものばかり。エレンの言動を見るに、宗教的観点からの断罪、というわけでもなさそうだ。
そういう理由なら、それっぽい態度をとっている。なにより、命じられた側が詳しい事情を知らされていないというのが気掛かりだ。
「エレン、あなたに命令を出した教皇って、もしかして
「······まったく、驚いたね。どこまでお見通しなんだよ」
「あくまで憶測だけれどね。奴なら、納得がいくの」
ボロボロの黒い修道服に身を包んだ姿は静かに立っているだけでも不気味で、しかし襟元につけたエメラルドのブローチが手入れが行き届いていてキレイで、なんとも不可思議な出で立ちをした優しそうな若い男性。
けれど、胸の内は底が計り知れない。
そんな胡散臭さの塊みたいな奴が裏にいるのなら、不思議と腑に落ちる。
「まあ、こうしてウチは負けちまったわけで、どうしたものかね~」
エレンは軽く言った。
なんだか、そう言われると変に罪悪感が······。
「あの~、私が言うのはおかしな話なのは承知の上で言うけれど、大丈夫なの?」
「まあ、うん。ウチはこのままブタ箱行き決定は揺るがないかもだけど、だからって教会にはなんら損にはならないからね」
「どういうこと?」
そう訊くと、エレンはポケットから銀の十芒星を取り出した。前に見せられたときは煌めきが走っていたのに、すっかり黒ずんでいてまるでガラクタだ。
「くすんだ星は無価値の象徴。このシンボルはね、教会の方針そのものを表しているんだよ。――――『光輝く星は創造神の最初の奇跡であり、それと共にする信徒は運命ではなく天命を全うする者とする』――――ってね。天命は神の意向であり己の存在意義。それを完遂できなければ、神と共にする資格を失う。すなわち、星は汚れ、色がくすむ」
らしいと言えばらしい。清純な厳格というのか、規律を重んじるその心構えは理解できなくもない。
けれど、たった一度の失敗で排斥するなんて、どこか逸れている。
大変、不愉快だ。
「あれ? 姫様、怒ってるの? 部外者なのに」
「関係無くても、嫌なものは嫌って思うわよ。エレンはそこを抜けていいと思う。相手が私じゃなかったらどうなっていたかわからないし、どっちかが倒れている結末なんてそれこそ嫌」
「教義だよ? 抗いようの無い絶対遵守の制約」
「だからなに?」
聞けば聞くほど、気分が悪くなる。新世テオス教会の教義もだけれど、エレンの諦め具合がとにかく気に入らない。
「たった一度の失敗で何もかもが無かったことになるの? そんな逃げ道は絶対に許さない。無価値な存在なんてどこにもいない。意義だって、誰しもが持っている尊厳でしょ。それは誰にも定められない、自分だけの絶対なんだよ。エレン・グルント、あなたはこれからずっと責任を取らなきゃいけないの。自分の行いを悔い改める為じゃない。見つめ直して、新しい自分を見つける為に。価値とか意義とか、無くなったのならまた見出だせばいい。幻想を抱くのは、誰にも咎めることのできない“自由„なのだから!」
私は神を信じている。けれど、頼ろうとは微塵も思わない。いつだって、『やる』のは自分なんだ。そこに神の意向もありはしない。
何かにすがり付きたくなる気持ちはよくわかる。子供は困ったときに親に解決を求めるように、私も誰かに頼って生きてきた。その人が、私の持っていないものを持っているから。
まだはっきりと言葉には出来ないけれど、“それ„がきっとその人の存在意義であり、価値なんだと思う。
そうして、やがて見えてくるものが『幻想』というゴールなんだ。
「フッ。傲慢ここに極まれり。今まで、色んな講釈を口煩く垂らしてくる奴はごまんといたけどさ、ここまでガツンと来るのは初めてだよ。たまには、説教を真面目に聞くのもいいもんだね。しかも姫様から直々となると、光栄の至りってやつだよ。生意気だけど」
エレンは温かな笑みを浮かべた。晴々しく無邪気で、とっても幸せそう。
二人の空気が和んできたところに、突然地面が丸々崩れ出した。いきなりのことで、対応が遅れた。と思ったら、エレンに受け止められて悠々と着地した。
「ありがとう」
「いいよ。流石に暴れすぎたね。魔力密度の耐久度が限界に達していたっぽい」
「マジか······。で、ここって」
「姫様が捕まってたとこ」
え?! じゃあ、何? 私達、ずっと上で闘ってたの? だったら、ここにはジンくんが――――。
私は辺りを見渡した。瓦礫が落ちた拍子に埃が立ち込め、視界が悪い。
「ジンくん!! どこ?!」
声を張り上げて呼んでも、返事が無い。そっか、カールもいる筈だから、慎重にしないと。
徐々に埃が晴れてきて、周囲の状況が見えるようになった。それで再度見渡して、ジンくんの黒髪が目に入った。
よかった。彼は立っている。
嬉々として彼のもとに駆け寄る。けれど、すぐに全身の血の気が引いた。
ジンくんの身体は、血塗れになっていた。
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