忘却口【マウス・オブリビオン】




 目蓋を開ければ洞窟の中にいるようだった。ゴツゴツとした岩肌に囲われ、所々に松明の炎が浮かんでいる。

 私、どうしちゃったんだっけ? 確か、アリスを襲った輩を見つけて、追い詰めて――――あぁ、頭がボーッとして記憶がはっきりしない。

 腕を上に引っ張られているような、強引な浮遊感が。とにかく、足が地についていないような······あれ?


「本当に私、浮いちゃってる?」


 どう見ても、私の素足がぷらーんとしている。

 ん?――――······え?――――······は?――――はぁ?!!


「ちょ、なにこれ!?」


 私の格好、なんでシーツ一枚?!

 真下にあるあの紫の魔法陣はナニ?!

 何この手錠ッ?! 全然魔力が練れないんですけど!?


「もしかして、私、誘拐されちゃい、マシタ······?」


 完ッ全に、囚われの姫状態。鎖で吊り下げられているとか、マジでそれっぽい。――――っていうか、そのものだわ。

 まさか、こんな惨めな思いをする羽目になるなんて······ドジったにも程がある。笑い話にできないよこんなの。

 ジンくんに見られたら、「なーにやってんだぁ?」みたいな感じで、憐れまれるどころか呆れられる。

 取り敢えず、脱出しないと――――――――


「うぐぅッ?!! ぐァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ――――!!!?」


 魔力を強引に練ろうとしたら、身体が引き裂かれそうな尋常でない痛みに襲われた。

 下の魔法陣の影響? なんなのよ! もー!?


「あまり、無理はなさらない方がいいですよ。姫様」


 聞き覚えのある、爽やかな男の声がした。目を向ければ、岩に腰掛けているカールがいた。


「この魔法陣は、あなたの為に私が用意したものでね。その効果は、【魔力の凝固】。無理矢理に魔術を発動させようとすれば、風船のように凝り固まった魔力が内側から膨れ上がり、肉体に想像を絶する強烈なダメージを与える。あなたの身に内包された魔力量は膨大ですからね。その気になれば、あらゆる拘束を破られかねない」


 私は驚愕して、頭の整理が追い付かなかった。

 そうだ、思い出した。意識が途絶える直前、ぼんやりと男性の声が聞こえた。よくよく思い返してみれば、あの口調といいリズムといい、カールのものと酷似していた。

 でもまさか、そんな。


「なんで、あなたが······。カール?!」


 カールは黙って、得意気に礼儀正しくお辞儀をした。

 

「なんで、どうして!?」

「口で言わなければおわかりになりませんか? あなたという御方は本当に、お気楽な羽虫ですよ」


 カールとは思えない言葉が出てきて、思わず愕然とさせられた。

 私たち妖精属フェアリーにとって、『羽虫』という呼び方は紛れもなく最大限の侮辱だ。

 カールのことはしつこくてちょっと苦手だけれど、紳士的で真面目な男性だと思っていたのに――――あり得ないことが次々に起こって、私の頭の中は真っ白になって、もうなにもかもがわからない。


「だって、あなたは冒険者で、仲間だから! どうして!?」

「まさか、そんな風に思っていただけていたとは、光栄の限りですね。ですがご安心を。私は何者かに洗脳されているわけではありません。ただ、神のおもしめしに従っているのみ。あなたも私も、ただ天命をまっとうする者として選ばれただけのこと。そう疑問に思うことは無いのです」


 そう言いながら、カールは懐から銀の十芒星を取り出して見せた。新世テオス教会のシンボル――――また、それかよ。まさか、カールまで······――――。


「カール、あなたを動かしたのは誰?」

「ふむ~、それは難しい質問ですね。神の名を口にするなど、信徒としてあるまじき行い。私なんぞが恐れ多い」

「ふざけないで。いるでしょ。あなた達を仕切ってる統率者トップが」


 ここまで言っても、カールは尚も首を傾げてしらばっくれた。

 私は知っている。新世テオス教会が、なぜ他の宗教と比べ最大規模を誇っているのか。その訳の一つは、『教会を取り仕切る教皇が十人いる』からだ。

 しかも、その内の一人は魔帝候補第1位に君臨している。前魔帝が死去してから数えられた、十人もの飛び抜けて危険度の高い白金級魔物レベルプラチナム。それらの中で、最初に名が挙がった化け物の中の化け物。

 私は一度そいつに会ったことがある。見た目は人類ヒューマンそのもので、優しい笑顔を振り撒いていたけれど、内に秘めた底知れない不気味さが際立っていてとても怖かった。次代の魔帝と呼ばれる由縁が、気配だけでわからせられた。

 私と新世テオス教会で何かしら因縁があるとしたら、奴以外に考えられない。


「魔帝候補第1位――――“逆天世界リヴァーサル„。あなたを動かしているのは、こいつなんでしょ?」


 カールの眉間にシワが寄った。口角を上げていたけれど、余裕が一瞬だけ失せた。図星のようだ。


「私の行動が誰の意思なのかなど、関係無いでしょう。最早、私個人としての目的は、残るところ十パーセントなのですからね」


 カールは【収納空間ストレージ】を開いて、歪な形をした赤黒い剣を取り出した。刃が牙のようにギザギザしていて、まるで動物のアゴだ。気色悪い。


「こちらは、悪食の魔剣ダーインスレイヴ。斬った者から、血と魔力を半永久的に吸い続ける悪魔のような剣です。これを使って、あなたの全てを私のものとします」


 ダーインスレイヴ?!

 その存在と伝説は本で読んだことはあるけれど、まさか実在していたなんて······――――ちょっと待った、カール、今なんて言った?

 血と魔力を半永久的に吸い続ける? それが、カールが今手にしている剣の効果? じゃあ――――。


「これを盗むのには苦労しましたよ。何せ、あのドワーフ兄妹、鉄臭い腕をしていながら封印魔術に多少の心得がありまして、中々封が解けなかったのでね。まあ、私にかかれば五分で破れましたがね」

「ぐぅ······ヴぅッ!!」

「おや? さっき教えたでしょう。無理に魔力を巡らせようとすれば痛みを伴うと」

「あなたが······」

「ん? なんですか?」

「あなたがッ!! アリスをあんな風にしたのはッ!!」


 許せない許せない許せない許せない許せない!!!――――落ち着け。落ち着け、クレイ。怒りに任せたら、魔法陣に身を焼かれる。 けれど、やっと見つけたたんだ! じっとなんかしていられるか! でもダメなの! 今の私は自分で自分を攻撃するだけ! それがなによ?! とっとと破ってしまえばいいじゃない! 頭を冷やせ! 機会を待つの! 待っていられない! 折角見つけたのに、苦汁を嘗めさせられてばかりじゃない! ダメ、ダメ、ダメ! 冷静に、冷静に······なれるわけがないでしょーがッ――――!!?


「ぐぅぅぅ······うぅァァァァァァ――――――――!!」


 私は痛みに耐えながら、耐えながら、魔力を振り絞ろうと全神経がはち切れるのも厭わないではたらかせた。みしみし、と身体の節々が軋み、筋肉の裏側からヒビが入るような苦痛が走っても、アリスの仇が目の前にいるのに、じっとしていられる余裕なんて持てる訳がない。

 今すぐにでも制裁の雷を浴びせたいのに、すぐそこに手を伸ばせば届くのに、私の魔力が向かってくれない。

 結局、私の身体は自身の制限を選んだ。準備運動無しで全力疾走をした後のような、疲労感で肺が締め付けられる。息も絶え絶えで、抗う気力を一気に削ぎ落とされた。

 カールは嬉しそうに笑っていた。私の苦しむ姿を見るのが、楽しくて堪らないといった様子だ。

 こんなゲスに手も足も出ないなんて、悔しい······悔しい······悔しいよ············。


「何度やっても無駄です。痛い程理解したでしょう――――おっと、本当に苦痛を味わっているのでしたね。失敬、失敬――――今のあなたは、蜘蛛の巣に掛かった蝶。じわりじわりと内に秘めた豊潤な魔力がより高濃度且つ高密度の、天然な魔石と遜色無い品質になるまで残り半日。それまで、大人しく過去の栄光でも振り返っていてください。その方が、多少は気が紛れるでしょうし、ね?」


 カールは、ダーインスレイヴに恍惚とした表情で頬擦りした。子供が誕生日に買って貰ったぬいぐるみにするみたいに。

 下手物みたいな剣に触れていて、なんで平気でいられるの。アリスもあんな悪趣味な骨董品に痛め付けられて、かわいそうに。私もあれに······。


「······ねえ、カール。私に、何をする気なの?」


 カールはダーインスレイヴの切っ先を私の喉元に向け、歪んだ微笑みを浮かべて答えた。


「“妖精の果実„を手に入れる」

「は? なんですって?」

「知らないわけがないでしょう。あなた方の知る、種族的に価値のあるもの。秘宝と言っても差し支えない産物ですよ。妖精属フェアリーの納めるここグラズヘイム、その第二皇女ともなれば、その詳細など知っていて当然ですよね?」


 どうしよう。カールは真剣に訊ねているようだけれど――――······全っ然、知らないわ!


「妖精の果実。ほんの一口含むだけで莫大な魔力を与えてくれるという、まさに神秘の遺物。文献はほとんど無く、詳細は歴史の闇の中ではありますが、このダーインスレイヴと同じく特等遺物の一つに数えられているというだけでも、その価値は想像に難くない。私の予想では、高密度の魔力によって変異した器官なのではないかと見ています」


 カールの説明を聞いても、心当たりが全く無い。父様や兄上、私の知る限りではあの人達がそれに関することを話していたのを見ても聞いてもいない。

 だから、多分都市伝説レベルの与太話だ。


「その、妖精の果実を手に入れて、あなたは何がしたいの?!」


 訊くと、カールはきょとんとした。


「愚問ですね。そんなもの決まっているでしょう。――――この国を頂戴させていただくのですよ。現皇帝、そしてかの聖王トマス=ジーロフィクス=フードゥルブリエを降し、王座をこのカール・カイオスのものとする。当然の野心! 自然な欲求! あなたの身に凝縮された聖王に次ぐ膨大な魔力をダーインスレイヴを用いて抽出して私に移し、この国の全てを簒奪する!! これこそ、主が与えたもうた啓示!! カール・カイオスの天命!!」

「······?!!」


 私は魔力の昂りを必死に抑えた。

 カールの奴、本気だ。目の瞳孔がとても鋭い。今口にしたことに全てを懸けているというような、力強い決心が伝わってくる。

 けれど、本当に呆れた落ちぶれ具合だ。実際に目にしたわけでもないのに、影も形も無い真偽不確かな話題を信じて、関係無い人達を傷つけて、最早救いようがない。


「そんなの、出来るわけがないでしょ」

「ほほ~?」

「大体、私を拐ってる時点であなたはもう取り返しのつかないところまで行きかけてるんだよ。こんなの馬鹿げてる」

「馬鹿げている? この私が?」


 カールの雰囲気が変わった。

 こんな重苦しい気配を出せただなんて、意外。


「あなたは学生の時分から、幻想、幻想と、蚊の羽音のように煩わしく騒ぎ散らしておりましたね。確か、世界をこの国のように――――いや、この国よりも人類人外、個々の種族に隔たりの無い“真に平等な世界„をつくりたいと」


 確かによく言っていた。それは今でも変わらない。


「ご立派ですよ。第二皇女として、一人の純真無垢な少女の感慨にしては百点満点の絵空事だ。――――だから羽虫なんですよ。あなたという御方は、その辺を飛び交う塵芥となんら変わりの無い、愚かな、御伽噺の主人公様。世界は常に統治者を求めているんですよ。特に、あなたの思い描く幻想にはね。現に、ここグラズヘイムも、他二つの共生国家も、『共存共栄』を掲げておきながら、王政を建てている。結局は、礎を無くして国すら運営できやしないんですよ。お分かりいただけるでしょう?」


 カールの目的はめちゃくちゃだ。けれど、痛いところを突かれているのもまた事実。

 平穏はただでは買えない。そこには必ず指導者が必要なのはわかってるよ。

 だとしても、誰になんと言われても、私は幻想を諦めない。それを手離したら最後、なにもかもが跡形もなく消えてしまいそうになる。そんな恐怖で全身の肌がピリピリする。

 それだけじゃない。

 私が幻想を懐くのはある種の『誓い』だ。一方通行の想いを募らせた結果の、こっ恥ずかしい日記みたいな幼い頃からたてた絶対に破れぬ『誓い』。

 喉元に刃を突きつけられても、羽を千切り落とされても、絶対に破ってはならない、決して破られてはならない、私の指標······存在意義。


 白いウサギさん――――あの日に見た目映い憧憬。ただ傍にいただけで、私の心を癒してくれた身近な光。


 あらららら? ······なんで野兎あなたが出てくのよ?!――――あ~、そっか~。そーなのね~。


「なんですか? その間抜けた表情かおは······」


 カールは気に入らないというような、ひどく機嫌の悪そうな表情を浮かべていた。多分、今の私は相当場違いな顔をしているんだろうな。

 ジンくんの顔を思い浮かべたとき、つい気分がほっとしてしまったのだ。


「なんか、ごめん。最近の私さ、変なのよ。いつもなら、皆と同じように接せられる筈なのに、調子を乱されるというか、存在そのものがアクシデントみたいで対応しきれないというか――――あ、別に悪い意味じゃないんだよ? いや、良くも悪くもあるかな? とにかく、今、私はそれを考えてたの」

「一体全体、姫様はなんの話をなさっているのですか?」


 カールは眉間のシワを深くして訊ねてきた。


「私の“騎士ナイト様„だよ」


 答えると、「はっ!」とカールは鼻で笑った。


「まさか、あれが助けに来てくれると本気でお思いに?」

「カールはどう思ってるの?」

「そんなの決まっているでしょう?! 無いですね。絶対に、無ぁい!!」

「どうして?」

「どうして?! またまた愚問ですね。彼はこのダーインスレイヴに斬られ、今頃峠を彷徨っているからですよ。もしかしたら、あの魔力が極端に乏しい身体ではとっくに衰弱死しているかもしれませんけどね!」


 是が非でも私を絶望させたいらしいカールは、ダーインスレイヴを振り回すオーバーリアクションを決めながら醜悪な笑みを向けた。

 けれど、不思議と私の心は動じなくなっていた。カールに裏切られたショックもいつの間にか晴れてるし、なんなら首を絞められても平然としていられる気さえしてきた。


「クレイ姫、あなたは素晴らしい御方だ。素晴らしく、清々しく、甚だしい。空虚な希望に寄り縋って、尚も自分はまだ大丈夫と根拠の無い自信を打ち立てる。ここまで来れば、見苦しいを通り越していっそ憐れみを覚えますよ。幻想に生きようとするあまりにあなたは、現実を切り離してしまったようですね。非常に憐れだ。事が済み次第、この私の手で主のもとへと送り届けて差し上げましょう」


 カールは勘違いしている。

 私は幻想を望んでいる。そして、現実も受け入れている。危機的状況なのもわかっているし、端から見れば気が動転していると思われる態度をしているのもわかっている。

 それでも私が余裕でいられるのは、私の中で最も程遠く、尚且つ最も近しい幻想の体現者が現れたからかもしれない。

 自分でもおかしな思考だ。けれど······――――あの野ウサギの方がもっとおかしい。

 願わなくても、望まなくても、祈らなくても、どこからともなくそれは、不意に訪れる唯一無二の好機。私にとってそんな吉兆へとなっていたのだから――――。


 ドゴーン!!!


 突如として、カールの後ろの壁が崩壊した。そこからは黒い霧が噴出していて、さらにけたたましい咆哮をあげる黒い“なにか„が一閃の煌めきを振るいながら飛び込んできた。



 ++++++++++



 約束の一晩が明けた。お姫様の匂いはまだ帰ってきていない。

 藍鉄のコートの袖に腕を通し、ショートデニム、革靴を履いて、二振りの得物を腰に差す。


「取り敢えず、準備完了っと」


 いつ身に付けてもはまりが良い。職人様々だな。

 取った血塗れの包帯をベッド横の卓に置く。

 問題無い。痕は残っているが、傷口は塞がっていて苦痛も全く感じない。

 あとは、どこにお姫様がいるのか探さないとだっけ。めんどクセェ。まあ、なんとなく読めてはいるんだけど。


「まったくもって、妬ましいですよ」


 隣のベッドから女の声がした。

 これは、アリスだな。やけに掠れていて、弱っているみたいだな。


「風邪引いた?」

「私にその手の冗談は通じませんよ」

「真面目に言ったんだけどな。で、なんか用?」

「ええ、ありますとも。大いにね」


 カーテンをバッと開けたら、奇天烈な状態になっていたアリスが寝ていた。二本の管を胸に刺して、それぞれから青紫の泥が抜かれ、赤黒い液体が注がれている。

 片方は血で、もう一つの方は――――。


「呪詛か」

「ええ。ホント、クレイ嬢の次に見られたくありませんでしたよ」


 アリスは平然としているが、無理しているのが普通にわかる。


「喋るのもキツいくせに、俺を止めようってのか?」

「······その、つもりでしたよ」


 布団の下から、力無げに左手が伸びてきた。寂しそうだったから、取り敢えず掴んでやった。

 部屋の中は暖かいのに、冬場の地面みたいに冷たいな。


「悔しいですが、今の私は見ての通り無力です。八つ当たりであなたを殴る気力も体力もありません」

「さらっと喧嘩売ったね」

「それ程までに、私にも余裕が無いんです」


 私“にも„、とな?


「クレイ嬢はお優しい方です。しかし、同時に愚かしい方だ」

「············」

「普段は誰にも分け隔てなく接している彼女ですが、あれは単に自分を後回しにしているだけなんですよ。バカみたいだと思いませんか? 自分を二の次三の次にして、もっと自分の為に時間を割けばいいものを······折角、冒険者になれたというのに、あの娘ったら······」


 弱ってるのになんで圧が強いんだよ。どんだけ腹が立って――――············。


「アリスはお姫様に、独りになってほしいのか?」

「······」


 あ、目が合った。鋭い眼差しが、睨まれている気がしない。

 アリスって、結構淀んだ奴だと思っていたけど、以外にもその青い目は快晴の空のように澄んでいて、瞳の奥は海のように深い。――――俺、海を見たことあったっけ?

 いつも目を反らされて、ちゃんとアリスの目を見たことが無かったな。成る程、こんな感じなのか。


「なんか似てるよな」

「······誰と、誰が?」

「お姫様と――――アリス」


 アリスはきょとんとした。その珍しくしてやられたって反応に、思わず笑みが溢れる。


「安心しろ。あのバカは絶対に連れ戻す。後の始末は世話係のアリスの仕事だから任せる。精々、言いたいことを仰山考えときなよ。羽交い絞めして逃げなくしてやるからさ」


 俺は医務室を出た。いいものを見れたが、まだ足りない。まだまだだ。全然足りやしない。

 そのまま扉の向かいにある窓を開ける。冷めた空気に触れているのに、不思議と寒くない。

 窓枠に足を掛けて――――と、その前に、なんか後ろで気まずそうにしているの奴に一つ訊ねておこうか。


「一緒に行く?」


 振り向くと、扉の横にシラが立っていた。日陰から歩み寄ってきて、なんとも言えない寂しそうな面を拝ませてきた。――――ここのところよく見るな。実に気に入らない。


「なんなら、代わりに行きますよ?」

「敵は二人か、多分それ以上だよ。しかもお姫様を拐えた辺り、一人は相当の手練れだ。まあ、あいつのことだから、惚けているところをポカンとやられただけかもしれないけど――――シラも十分強いんだろうけどさ、一人で片付けられる程易い話じゃないのもわかってるでしょ?」


 シラは軽く俯いた。よくわかってる反応だ。


「今回は流石に面倒過ぎるから、一人くらいは任せるよ。その代わり、邪魔立て不要。ここから先は、俺の戦場なわばりだから。いい?」


 ――――てな感じでシラを承諾させ、勘に従って森まで来たわけだが、流石に懐かしい空気で染々とさせられるね。

 俺が暮らしていたところは、すっかり森の景観に染まっていて面影が無くなっていた。あったところで、もう用は無いからなんとも思わないが。

 思い返せば、初めてお姫様と出会った場所なんだよな。俺が居眠りこいているときに、アイツが勝手に入ってきて、驚いてつい腹にドスッと掌底ぶちこんだったっけ?

 住処跡を過ぎた後は、森に棲んでいた頃から妙に胡散臭さの漂っていた洞窟に行くことにした。すると、うっすらと血の匂いが漂ってきた。

 これは当たりだな。

 駆け足で進み、樹々や茂みを飛び越えた先に、四人の男女が血を流して倒れていた。内二人はカインとスヴァルだ。エルフの男と人狼の女は知らないな。

 直ぐ様、シラが掛けよって一人一人の状態を間近で確認した。


「全員、辛うじて息があります」

治療薬ポーション、いくつあったっけ?」

「今使ったら、残りは一人分。負傷次第では二人でやっと」

「じゃあ大丈夫だね」

「でも!」

「要は無事で済ませればいいんでしょ。早くしないと蝿と蛆が集ってまうで?」


 シラに治させている間、俺はスヴァルの元へ向かった。微かに、こいつからパキパキって音がした。

 近づいてようやくわかった。スヴァルは指先から、一筋の氷の線を伸ばしていた。その先は洞窟だ。

 面倒事が一つ消えて助かった。

 応急手当を済ませたら、通信で助けを呼んでから洞窟へ進行する。暗がりを進んでいく度に、最近憶えた緊張感が再燃して、俺の左手は白鞘の鞘を握り締めていた。

 確実にいるなぁ。匂いじゃなくて、肌をざらざらとした感触が撫で回してくるこの感じは、間違いなく奴だ。奴の方も、そろそろ俺を感じ取ってくれているだろうな。

 五分くらいして、ようやく敵と対面した。松明の炎の下、奴隷狩りが尻餅ついて座っていた。


「あー! 会いたかったよ。ウサギのおねえさーん!」

「お前じゃねーよ」


 奴隷狩りは軽快に立ち上がっては尻についた砂埃をぱっぱと払い落として、浮わついた様子で片手剣を抜いた。

 対して、シラが俺よりも前に出て抜刀の構えを執った。


「お前、ダーインスレイヴはどうした?」

「あれぇ? えっとー、返したよ? オレにくれた奴に」

「そうか」


 見たところ、奴隷狩りの背景は行き止まり――――のように見えているが、微細な空気の流れが耳を伝って感じ取れる。

 あるな。向こう側。

 こいつの相手をしている暇は無いし、場所としても丁度いい線引きだな。


「シラ、任せる」


 ポン、と軽く肩に手を置いて俺はお願いした。

 シラは嬉しそうな語気で「はい!」と答えて、一目散に奴隷狩りの元へ突っ込んでいった。二人の得物が衝突して、そのまま鍔迫り合いに発展した。

 その隙に俺は横を素通りさせてもらう。


「え?! お姉さんがるんじゃないの?」

「貴様の相手はこのボクが務める。あの方の邪魔はさせない!」


 シラの奴、張り切ってるな。俺も励まないとな。

 壁を蹴飛ばすと、下り坂があった。勢いに乗せて滑り込み、流れに身を任せてまた行き止まりが見えてきた。


「"一匁"」


 白鞘を抜き、一瞬だけ"陰"を発生させ全力全開の一振で二枚目の壁をぶち抜く。開けた空間に出て、中央にお姫様が吊るされているのが見えた。

 白鞘を振りかぶって、腕に繋がれている鎖を断ち斬る。解放したお姫様は、翅を広げて俺の手を掴み取り、そのまま二人同時に地面に着地。


「遅いよ」

「助けに来た奴に最初に言うことがそれかよ」

「はいはい。助けに来てくれてありがと」


 お姫様は満足そうな笑みを浮かべていた。目の端には涙が溜まっているのが見え、結構ギリギリだったのが伺える。

 色々言いたいことがあったのに······。この顔に免じて叱るのは後回しにしてやる。


「っていうか、なんで布一枚なん?」

「ちょっ! あまり見ないでよ!? エッチ!!」


 なんだよ。てっきり悄気ているものかと思っていたのに、わりかし元気やん。

 お姫様がいつもの装備に換装して、さて帰ろうってところを緑髪の男が行く手を阻んできた。


「おっと、このまま帰すわけにはいきませんね」

「カール?!」

「どうやってここを突き止めたのかはわかりませんが、姫様を連れて行かれては困るんですよ」


 冷や汗を流している男の右手には、ダーインスレイヴが握られていた。奴も俺の方を感知して、音の無い唸りを上げている。


「成る程。取り敢えず、敵はあのヒラヒラヒラッピーってことでいいんだな」

「ひらッ?! ――――うッフン! まったく、サクラコさん、あなたという方は、どうしても他人をこけにするのがお好きなようだ。実に腹立たしい」

「えっと~······――――」


 ····································。


「お前、誰だっけ?」

「嘘でしょォ!? 嘘ですよね!!?」


 何を喚き散らしてるんだ? こいつ、情緒大丈夫か?


「ねえねえ、二人って知り合い?」


 お姫様が首を傾げて訊ねてきた。


「そうなのか?」


 俺は緑髪の男に訊ねた。


「だからそーでしょッ!? カール・カイオス! 以前に一悶着あったでしょうが!!」

「······。そうなんやって」


 そうお姫様に返すと、呆れた感じで苦笑いされた。

 仕方無いでしょ。どうにも憶えが無いんだから。――――まあ、それは置いといてだ。


「取り敢えず、敵でいいんだな?」


 俺は威嚇した。緑髪は一歩退いて臆しているが、俺の狙いはこいつじゃない。手元にいるダーインスレイヴの方だ。こっちは前と変わらず殺る気満々で、威嚇し返してきやがった。

 よかった。森では時々しか得られなかった平穏が常となって、忘れそうになっていた感覚が段々と思い出される。

 ぬるま湯だったのが、熱湯に変わる滾り。

 心臓がバクバクと今にも弾けんばかりに劇的な旋律を刻み、血管を流れる血が急激に沸騰し、細胞の一個に至るまで震え、身体の奥底から熱が上がってくる。

 左手を見下ろすと、うっすらと黒い気体が出ていた。


「お姫様、先に帰っててええよ」


 これは警告だ。今の俺は正気を失いかかっている。

 原点回帰ってやつか。《記憶を失ってから》初めて、"陰"を出したときの感覚そのまんまだ。

 意識が消えそうになって、周りの景色がボヤけて敵しかはっきり見えなくなる。

 こうなったら、あんまり近くにいられると流石に困る。


「いや。私も闘う」

「はぇ?」

「やられっぱなしで悔しいんだから。解消しないで帰れるわけないでしょ――――エレン、いるんでしょ? 出てきなさい!」


 誰?――――と思っていたら、上からドン! とマントを羽織った奴が飛び降りてきた。フードを上げたそいつは、ウサギの耳と額から一本の角を生やしていた。


「アルミラージ?」

「うん。私が決着をつけたい相手。惜しいけれど、カールはジンくんに任せるわ。この際、欲張りできないし」


 なんだかよくわからないが、取り敢えず対戦カードは揃ったらしい。


る前に場所を移そうか、姫様」


 エレンが提案して魔法陣を開いた。お姫様は「いいわ」と快諾してついていった。

 二人がいなくなって、ようやく場が整った。お互いに、得物をグッと握り締める。


「それでは、参りますか?」

「ああ、加減は要らねぇな? アンコール無しの正真正銘、これが最終局面ラストゴングだ! さぁ、派手に打ち鳴らそう!!」





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