返化【ルヴニール】




 キャリバンから事件発生を聞き付けた区衛兵達が駆けつけた頃には、そこにジンテツとシラの姿は無かった。崩壊した橋、獣系人外の兵士による鋭敏な聴力から、この場で戦闘が行われたことは明らかだった。

 黒い霧はすっかり晴れていて、誰と誰が交戦していたかまでは判別が困難で、以降の調査は難を極めた。何故、難を極めたのかと言うと、戦場に必ずあって当然の筈の、血液が一種類・・・しか検知できなかった為だ。

 一方その頃、シラは身体の各部に包帯やガーゼを付けられた状態でベッドに寝かされたジンテツの前に座っていた。隣の事務室からタカネが出てきたのを見て、直ぐ様駆け寄る。


「サクラコさんは!?」

「まあ、落ち着け。ヨシノ。他に患者がいる」


 詰め寄るシラに手のひらを向け、制止させてタカネは続ける。


「一先ず、命に別状は無い。呼吸も安定していて、脈も正常。かなりギリギリなところまで行きかけていたがな。今でも良くないが、ヨシノが彼の“血液„を持ってこなければ、恐らくはより最悪な状態に陥っていたことだろう」


 タカネはそう称賛したのだが、シラは複雑そうに俯いていた。服の裾を強く握り絞め、悔恨の念が表出している。


「ボクは何もしていない。あの御方の血液だって、不自然に球体となって近くに浮いていた。ボクは、何もしていない」

「知っている。血液を収集してくれたのは第三者だ。それも、相当お人好しな目に見えない誰かさんさ」

「ならば、その方のお陰。ボクが何もしていないことに変わりない」


 どうしても、自分を責めないと気が済まないと言うようなひどい様子だった。

 注意していた筈なのに、間に合わず重症を負わせてしまった。不甲斐ない。それだけでは飽きたらないと、シラの重そうに首を垂らしている様からタカネは感じ取った。


「まあ、その。気を落とすことはないと思うぞ。お前がいなければ、ジンテツは手遅れになっていたかもしれない。ヨシノに頼っていたから、辛くも生き延びれた訳で――――ようするに、頼った相手が正しかったということだ」


 シラはゆっくりと首を上げた。


「あの子は、いい友を得られたということだな」

「い、いえ! ぼ、ボクなんかが友だなんて、そんな······」


 一瞬、タカネは訝んだ。

 シラとは顔馴染みで、学園側スクールサイトに通っていた時には剣術の指南をしていたことがある。

 風のように爽やかで、清々しく激しい太刀筋をしていた。クールぶっているが、素直で芯が強い印象だ。そんな彼女が、ここまで自分を卑下するところは初めて見る。

 理由は会話の内容からしてなんとなく察しがつく。しかし、タカネはシラのデリカシーとプライバシーを尊重して触れることはしなかった。

 ジンテツのことは自分に任せてほしいと言い、深夜ということでシラを帰した。その後、今一度彼の痛ましい容態を指先でそっとなぞりながら一通り目を通す。

 済ませたら、水瓶を中心に波線で囲んだ魔法陣を描き、その上に水を満たした小皿を置いた。

 タカネが発動させようとしているのは召喚魔術だ。何かしら媒介を用意し、相応の魔力の容量、濃度、密度を設定し特定の存在を呼び出す。

 この時、タカネはジンテツの血液を回収したお人好しな第三者を招こうとしていた。


「【招来承認インヴァイト・サイン】」


 唱えると、魔法陣は青白い光を放った。小皿の水が震え出し、急激に溢れて人の形を成していった。

 タカネの前に現れたのは、全身が水でできた長髪の美女だった。周囲に水滴を浮かばせ、魔法陣の光が収まっても尚、神秘的な気配が絶えない。

 閉じていた目蓋を開け、タカネと美女の目が合う。


「まさかとは思ったが、あなたが彼の血を集めてくれたのだろう? まったく、あの子はつくづく強運の持ち主だな」

「そんなことはありませんよ」


 水の美女は柔和な優しい声で言い返した。


「彼には細やかながら恩があったので、それを返したまでのことですよ」


 美女の正体は、精霊属スピリッターと呼ばれるかなり特殊でそれ故に貴重な人外だ。中でも、彼女は“四聖加護フォース・マター„に数えられる【流水】【悲哀】【清浄】を司る“水精女ウンディーネ„。

 名はオネット・ホライゾン。

 タカネは、彼女の謙遜を鼻で笑った。


「よく言うよ。あなた達は、精霊の中でも世界の支柱に選ばれた特異な分類。基本的に、下界こっちには不干渉が暗黙の了解ではなかったのか?」

「いいのです。最終的にバレなきゃいいので」


 とサムズアップを上げながら言いつつも、オネットの目は泳いでいた。

 タカネは密かに、心中で気の毒にと武運を祈った。


「まあ、なんでもいい。あの子を助けてくれて、ありがとう。心から感謝する」


 タカネは深々と頭を下げた。それからすぐに、空気を切り替えて訊ねた。


「それで、見たのか?」

「······はい」


 オネットは、タカネの発する静かな怒りの重圧に耐えながら、間を置いて答えた。


「おぞましい気配でした。間違いなく、あれは忌まわしき遺物そのもの。そして、その使い手は『奴隷狩り』と呼称されている醜悪な輩でした。あんなものを見てしまっては、黙ってはいられませんわ」

「そうか······」


 部屋の温度がじりじりと上がっていく。オネットは、自身の身体から水泡が浮かんできたことでそれを認識した。

 ジンテツの寝ているベッドを哀しげに目を向け、タカネの方へ戻す。


「あなたにとって、かの子兎は特別なのですね」


 オネットがそう言うと、タカネは挙動不審に辺りへ目をやった。まるで照れているような反応だ。


「気持ちはわかる、とまでは言いません。ただで手助けをする程、私はお人好しではありませんからね。彼にはこの後も、“アレ„のお相手をして貰わなければ······」


 憂鬱そうに額に手を当て、重い溜め息をつくタカネ。

 彼女としては、公私混同を抜きにしてもドクターストップをかけたいところだったからだ。オネットは優しい。されど、そこには精霊属スピリッターとしての意志が絡んでいる。

 そしてその意志と言うのが、彼女が“忌まわしき遺物„と称した魔剣ダーインスレイヴの撲滅である。


「彼の力はしかとこの目に刻み込みました。しっかりと、治してくださいね」


 オネットは最後にそう冷たく言い残して、元の小皿の水となって消えた。タカネはそれを拾い上げて、窓から水を捨てた。



 ++++++++++



 翌日の朝一、窓に日が差し込み始めた時分に、医務室の扉が軽く三回叩かれた。起きたばかりでまだ意識がはっきりしていないタカネは、白衣を着忘れたまま開けた。

 その先にいたのは、濃紺の羽織を着たドワーフの少女だった。鍛冶屋を営むドワーフ兄妹の妹の方、デーインだ。

 予定外の来訪にタカネは首を傾げ、目蓋を擦り、眼鏡の位置を整えてから訊ねた。


「どちら様?」

「その、あの······」


 デーインは弱い声で、組んだ両手を何度も組み換えてもじもじとしていた。見ていていたたまれなくなったタカネは、「まあ、入れ」と優しく招き入れた。

 紅茶を淹れ、デーインに手渡す。


「それで、何用かな?」

「その、さ、さく······」

「もしかして、サクラコのか?」


 タカネは驚いた咄嗟に訊ねた。デーインは、激しく首を縦に振った。


「そう言えば、鍛冶屋から彼に指名の依頼が来ていた、と聞いていたが、まさか――――」


 タカネの疑問に、デーインはまた激しく首を縦に振って答えた。


「成る程な。それで、見舞いをご所望かい?」

「······はぃ――――その······」


 再び、デーインはもじもじとし出した。何か伝えたいことがあるのに、どう口から出せばいいのかわからないと言った様子だ。

 彼女の挙動不審な態度を見て、タカネの中ではある構成が構築されていた。鍛冶屋の娘、という要素から考えられる依頼内容は主に二つ。

 一つは、素材の回収。大体はこちらの方が多い。

 そしてもう一つが、盗品の奪還。実際、今回はそうだと聞かされていた。

 鍛冶という職種は、区衛兵にとっても冒険者にとっても、切っても切り離せない要職。よって、後者の依頼であったのなら、場合によっては彼女等は責められなければならなくなる。

 何故なら、盗まれたものが『裏モノ』の類いである可能性がかなり高いからだ。所持しているだけでも厳禁な処罰が課される『裏モノ』。

 恐らく、そこまでの情報をジンテツに伝えていなかったか、もしくは伝える前にジンテツが早くに取り掛かってしまったが為に遅くなったか。

 どちらにせよ、デーインの態度の真意をタカネは見抜いた。


「魔剣ダーインスレイヴ」


 何気なく口にしたこの一言に、デーインは思わず身体を強張らせた。


「成る程、これは中々に大変なことをしてくれたようだな」


 タカネは呆れた様子で言った。


「“魔剣ダーインスレイヴ„。知る人ぞ知る、特等危険遺物。一度抜けば、最低でも一人分の血と魔力を喰らわない限り、決して鞘に納まらない“悪食„。使用は勿論、所持しているだけでも厳罰は免れまい」


 冷酷に言うタカネに、デーインは恐怖を感じずにはいられなかった。口元を震わせ、謝罪しなければならないのに言葉が喉元につっかえている。

 次第に涙が滲み出てきたが、タカネが指を口元に当てたことで泣き声までは発せられなかった。


「すまなかった。怒りの矛先は別にあるというのに。しかし、お前達のやったことを、素直に看過する私ではない。この件が済み次第、然るべき処置をとらせて貰う」


 待って!――――と、デーインは腰を起こしたが、すぐに椅子に戻した。タカネが言った通りの処置をとれば、確実に兄妹は逮捕され、刑期を終えたとしても鍛冶師としてやり直すのは絶望的。

 自分達のした行いは、鍛冶師としての誇りに自ら泥を塗ったに等しく、報いを浮けるべきなのは当然。そう考え、抗議を諦めた。

 デーインは席を立ち、深々と頭を下げて医療室から出ようと扉へ振り向いた。その瞬間、一つのベッドのカーテンがシャーっと開かれた。


「よ」


 ジンテツが平然と起きていた。

 二人は驚いた。特にタカネは、医者故にデーイン以上に驚愕していた。


「サクラコ!? なんで起きている!」

「起きたいのに起きて何が悪いの」

「起きたくても重傷を負っているのだから起きるな!」

「やーだ。それより、俺にも紅茶くれ。リンゴ刻んだやつね」


 無邪気にねだってきたため、タカネはキュンとして直ぐ様アップルティーを淹れて差し出した。


「うんめぇ~――――でだ、デーイン。取り敢えず、お前は何も悪くないよ」

「······ッ?!」


 あまりに唐突な赦免に、デーインは茫然とした。タカネも同様のリアクションをしていたが、デーインとは別のところに注目してだった。


「サクラコ、わかっているのか? 謀らずも、お前はこの娘に嵌められたようなものなのだぞ? どれだけの危険性を孕んだ劇物なのかも詳細に伝えず、ただ取り返してほしい、と言って送り出した。何か間違いがあれば、死んでいたかもしれないというのに――――」

「あー、あー。そういうの聞いてるのめんどクセェから、取り敢えず赦す。今はそれだけ」

「おい! お前はもっと、事の重大さというものを――――」

「わかったところで、結果までは誰にもわからないのは同じでしょ」


 気圧され、タカネはこれ以上の口出しをしなくなった。

 未だかつて、ここまで凄まじい気迫を発する者を見たことがなかった。勇気とも、暢気でもない。決して、阻んではならない気配をジンテツの眼差しから強く感じた。

 一見、睨んでいるような鋭利な目をしているようだが、タカネは知っている。あの目と同じ輝きを宿すものを。


「あの野郎、剣に生まれて不憫な奴だよ。だとしてもアカンなぁ。喰われずに済んだのは結果オーライだけど、このまま泥水啜らされてお終いとか、ざけんじゃねぇよ」


 それは刃だ。どれだけ破片を落とそうと、どれだけ血で錆にまみれようと、磨耗しない鋭さを誇る業物。

 本質は飽くなき欲望と、それを何がなんでも満たさんとする底無しの執念。殺されかけたにも拘わらず、まったく恐怖を懐いていない。

 それどころか、まるで悪戯をされて悔しかったから、仕返ししてやろうという子供染みた不適な笑みを浮かべている。そんな余裕綽々の態度が、恐ろしくも清々しいものに思えた。

 初めて、タカネはジンテツ・サクラコという獣の真相をしかと見た気がした。


「······んで――――」


 デーインが何か口ずさんだのを、ジンテツとタカネは聞き逃さなかった。


「なん、で······そん、なに、悠長にいられるん、ですか!」


 デーインは語気を強めて言った。片言で、声量もやっと出した様ながら、一般的な程度。しかし彼女の言葉からは、必死な訴えであるのが二人には聞き取れた。


「やっと引きずり出した。それが聞ければ十分だよ」

「え······?」


 ジンテツの言っていることがわからず、困惑して固まるデーイン。

 

「お前の兄貴は言ったよね? 取り返すのが無理なら壊してもいいって」


 デーインは小さく頷いた。


「ってことは、前々からあれをどうにかして手離したかったわけだ。あんなじゃじゃ馬、いくら造る手がこなれていようが使う手を知らないんじゃ、他に頼るしかない。だからと言って、生半可な奴を差し向けたところで餌を与えるだけ。だったら、餌にも贄にもならない毒の花を手向けることにした。その役が俺になった。俺がここにいなかったら、そうだな。お姫様辺りに回ってたかもね」


 デーインの顔に、さらなる影が降りた。兄と相談して企てた思惑を見抜かれ、なんと残酷な使命を強いてしまったのかと再認識させられ、情け容赦の欠片の無い恨み言を言われていると残念無念が極まっていた。

 先程の「お前は何も悪くないよ」という赦しの言葉もまた、「傷つくのは俺だけだから」という皮肉に思えてきた。

 タカネも、流石にここまで抉られてしまったら最早立ち直ることも儘ならないだろうとデーインに同情した。だが、違和感が一つ。自分達に反して、ジンテツは嬉しそうにしていたのがなんとも気がかりだった。

 タカネから見たジンテツ・サクラコという獣の真相に則れば、彼の口からでた言葉はその通りでしかなく、何かしら深い意味は無い。恨み言でもなければ皮肉でも、嫌味でもない。

 ならば、その微笑みに含まれた真意とは、訊ねたら答えてくれるかもしれないが、タカネはそうしようとは思わなかった。

 デーインは力無く医務室を去った。タカネはその背中を見送って、最後になんの慰めの言葉を掛けられなかったことを悔いながら後ろ手に扉を閉めた。

 ジンテツはまだ起きていた。デーインが去った瞬間から、また雰囲気が変容しているのをタカネは感じた。

 さっきまでの軽快さは微塵も残っていない。

 胡座をかいて、左手で頬杖をついて、空いた右手は寂しそうに握る開くを繰り返していた。

 表情に至っては、さっきとは売ってかわって静寂。瞑目していたのが、タカネが目の前を通るとゆっくり開いた。


「お姫様はどこ?」


 たった一言の素朴な疑問。静かで、淡々とした穏やかな語気。されど、込められた怒りの濃度が凄まじく高い。

 タカネの足は思わず止まり、首も頭を掴まれたようにジンテツの方へ向いた。


「ど、どうしてだ?」


 額の汗を指で拭って、震えた声で訊き返すタカネ。


「アイツは何かあるとしつこいから。依頼に向かってるならまだええよ。けど、なんだかな~。しないんだよ。あの間抜けたお花畑の気配ニオイがさ」


 タカネは驚愕した。

 昨夜より、密かにクレイが行方不明であるという報告が協会指導者ギルドマスター、及び協会守護者ギルドガーディアン達に伝えられていた。

 即座に対処案を出し、カインやスヴァル等の少数精鋭を選抜し、緊急依頼として捜索に向かわせた。他の冒険者には、騒動を気取られないように最小限の要員のみで動いていた筈が、この野兎はどこでそれを聞き入れたのか。

 否、ジンテツはまだ何も知らない。単なる野生の勘のみで、些細な差異を気取けどったのだ。

 気味の悪さを感じざるを得なかった。タカネは、自身が動揺していることに遅れて自覚し、リアクションを誤ったと悔いたときにはもう、ジンテツは呆れた風の重い重い溜め息を吐き散らかしていた。


「いい。もう、いい」


 不穏。ただならない寒気がタカネの背筋を這い上がった。なにを思うよりも先に、「止めなくてはッ!!」という衝動に駆られた。


「大丈夫だ! 心配することは無い。もう、精鋭を出した! だから、サクラコは安心して、ここにいてくれ!」


 駆け寄り、懇願にも聞こえる制止を言い聞かせるタカネ。危機感、焦燥感が募り、額から頬へ伝う汗の量が増え、不安で押し潰されそうな気分に陥っているのが見てわかる。

 しかし、ジンテツにそこまでの猶予は無い。設ける余裕なんて更々無い。首を大きく反らして天井を仰ぎ見て、歯を剥き出してまた溜め息を吐き散らかす。


「一晩」

「······??」

「一晩待つ。それまで俺は寝てる」


 そう言って、ジンテツはカーテンをシぃー、と閉めた。

 タカネは全身の力が急激に抜け、立ち上がる気力が回復するまで数分かかった。



 ++++++++++



 急遽、クレイの捜索任務を任されたカイン、スヴァル、他多数。街は区衛兵が担当し、冒険者達は壁外領を手当たり次第に探し回っていた。

 一夜明けた現在、未だに見つけられていない。ミスリル大森林にまで範囲を広げ、カインは飛行しながら狙撃銃の遠視筒スコープを覗いて、スヴァルは地上で見て回っていた。


「まったく、クレイ嬢ったらどこ行っちゃったのかな?」


 スヴァルが憂鬱そうに呟く。


「魔力の残滓も残さず消えるとか、どうやったらできるんだか。教えてほしいものだね」

「喋っている余裕があるのでしたら、目を凝らしてよくお探しになってくださいまし! スヴァル様!」

「それさぁ、アタシだけにじゃなくてあっちの目立ちたがり屋くんにも言ってくれない?」


 スヴァルはうんざりそうに返した。

 彼女達の他に、クレイの捜索を任された冒険者は三名いる。エルフの剣士マルカスと人狼属ワーウルフの女武道家エリルリ、そしてスヴァルが『目立ちたがり屋』と蔑称を掛けたカールだ。

 捜索が始まってから、皆最悪の状況を想定して緊張状態に陥っていた。クレイを心配するあまり、敵対勢力と思われる類いが現れれば問答無用で殲滅せんぴりつきようであるというのに、緑髪の人狼属ワーウルフカールだけは鼻唄を口ずさんでは手鏡の見て自身の髪型を整えてとなぜだか余裕に満ちていた。


「スヴァル嬢、あんな奴のことは放って置きましょう。今は、クレイ姫を捜すことだけを」


 マルカスが厳格に言った。


「カールの奴もそうだけど、私は姫様御抱えのメイドと騎士様がいないことが気掛りなんだけど」


 エリルリが樹から飛び降りて疑念を呈した。


「メイドの方はともかく、騎士様がここにいないのってどうなんだか」

「口を慎め、エリルリ」


 マルカスに静止され、エリルリは肩を竦めて口を閉じた。

 誰も口にしてこなかったが、スヴァルもこの場にジンテツがいないのには不可解と思っていた。特任斡旋ニュータイトルに出ているという話は聞いているが、それでもあの本能に忠実な縛られざる野生動物が、クレイが消息を絶ったという異常事態に反応しないわけがない。

 知らない、ならばわかるのだが······。

 スヴァルは最近のクレイとジンテツを見ていて、妙な違和感を覚えていた。不和ではない筈。しかし変に距離があるといった様子。

 以前、ジンテツに対して如何わしい印象を抱いていて、その事でクレイに嫌な思いをさせてしまった。一度不振に思うとすぐに疑り深くなってしまう悪癖は自覚している。事情を知らなかったとは言え、あれは生涯で上位に当たる黒歴史となった。

 けれど、ジンテツは案外人懐っこいということがわかって、曇り続けること無く晴れた。今ではもう、スヴァルの中では彼はきちんと仲間だ。

 だからこその不可解。


「あっちもこっちも、なにしてるんだか」


 一行は、避けていた大森林の北東部まで来ていた。

 ここへ足を踏み入れた瞬間、マルカスとエリルリの緊張感が増した。この二人はまだ、ここに黒霧の怪物がいるかもしれないと警戒しているのだ。

 正体も居場所も知っているカインとスヴァルは、当然平然としている。残る一人、カールも清々しく平常運転だった。

 森の様子は、変わらず恐ろしく静かで小妖精ピクシーが飛び交っている姿も無く、鳥の囀ずりも聞こえない。エリルリは髪の毛の先から尻尾の先までの毛を逆立たせていた。

 対して、異様な空間にいるというのに同種のカールには何ら反応が無い。

 ここまでくると、流石に猜疑心が強まるというもの。スヴァルは彼に向いて、単刀直入に訊ねた。


「カールくん、随分と余裕そうだけど? 今どういう事態かわかってる?」


 カールはスヴァルに向いて、爽やかに答えた。


「ええ、ええ。わかっておりますとも、ストライク嬢。クレイ姫が失踪した。それ以前には資料室、また無人の教室にて大破が起き、目測では激しい戦闘が行われたとのこと。そこらでは、クレイ姫と何者かの魔力の残滓が確認され、結果、姫様はその何者かに拐われてしまったという結論に出ていますね」

「そ。だからアタシ達がほぼ秘密裏に動いているわけだけど、それだけかなりマズイってことは重々承知してるんだよね?」

「勿論ですとも」


 柔らかに頭を下げるカール。状況に合わないこの態度が、余計に癇に触る。

 カールのこの嫌に爽やかな振る舞いは、今に始まった事ではない。彼はクレイ、カイン、スヴァルと学生時代の同期で、その頃から何かとしつこかった。

 目を合わせずとも、姿を見るや否や声をかけてきては矢鱈滅多に求婚を仕掛けてくる。しかも、標的はクレイ。

 カインとスヴァルは危惧して、早々に冷めた扱いをして距離を取ろうと持ちかけたのだが、クレイの性格上それはできず、反ってカールを増長させることになった。

 挙げ句の果てには、クレイと同時期に冒険者となったのもあって、一時期【真珠兵団パール】を離れるなんて珍事も起きた。

 ようやく諦めたかと思えば、千載一遇のチャンスを握り締めたというように捜索隊に参加した。

 なんでジンテツではないんだ、と筋違いでも苛立ちが湧いてくる。

 気を紛らわす為にも、スヴァルは耳元に魔法陣を開いてカインに通信を掛けた。


「調子どう?」

《まったく。ここも見当たらないとなると、もうここら辺で人がいるような場所と言えば》

「“忘却口マウス・オブリヴィオン„か~」


 ミスリル大森林にある迷宮。中に入った者は、誰一人としてその内容を覚えていない。故に、『忘却口マウス・オブリヴィオン』という名がついた。

 二年前まで野良魔物クリーチャーが根城にしていた場所であったが、一掃された現在では何かが住み着いているという情報も気配も無い。それでも誰も覚えていないというのだから、黒霧の怪物がいた所為で霞んでしまっているが、北東部の異常として気味悪がられていた。

 クレイが単独でそこに行く理由がないため、まったく納得がいかない。しかし念のためということで、一行はそこに向かった。

 人工的な石造りのトンネル。奥は真っ暗で、人の気配はを一切感じられない。


「どうだ? エリルリ」

「ダメだね、マルカス。全然匂わない」


 ここもダメだったか、と一行は引き返そうとしたが、スヴァルは歩みを止め、またカインに通信を掛けた。


「カイン、アタシ達の周りになんかいる?」


 数秒の間が空いて、答えが返ってきた。


《ええ。不審な影が二つ程、それぞれ北と南から挟み込んできていますわ。私の遠視筒スコープを熱源感知に変換してようやく見えたところを見るに、相当上等な隠匿魔術で潜んでいるようで》

「成る程、ね」


 スヴァルはエリルリを見た。気配を感じ取った様子は無い。人狼属ワーウルフの鼻を掻い潜れる程ともなると、ただ隠匿魔術で隠れているとは考えにくい。

 カールの挙動も気になった。彼は北の方へ離れて、変わらず微笑みを浮かべている。

 考えすぎならいいのだが、どうにも胸騒ぎがしてならない。今はとにかく騒がずに身を引こうと歩を進めた瞬間、突如頭に重い何かが落ちてきた。


「な、なんなんだよぉ~も~······!?」


 物音を聞いて引き返してきたマルカスとエリルリの冷めきった表情を見て、スヴァルは狩人に撃ち抜かれた鳥じゃないことだけはわかった。


「か、カイン嬢······?!」


 マルカスの口から出た一言に、スヴァルは思わず耳を疑った。

 カインは頭から血を流していた。見たところ、小石か何かに頭をぶつけられて昏倒しているようだ。


「なんだってこんな······」

「治癒魔術を使えますので、私にお任せを」


 カインをマルカスに任せている間、スヴァルは今後の動向をどうするべきか迷った。

 攻撃してきたのは十中八九、隠れている奴等だ。報復に出向くか。いや、感情に任せてはならない。数で勝っていても、看破できないまま無闇に突っ込むのは悪手中の悪手。愚行中の愚行。

 冷静に一考する。

 相手は見えない敵。詳細がわからない以上ここは逃亡が先決――――そう思った刹那、スヴァルの背中が血が噴出した。痛みの感じから、切り裂かれたのだとすぐにわかり、傷口に氷を張って止血。


「敵襲ッ!!」


 即座に、一声あげたタカネであったが、無情にも無意味だった。マルカスとエリルリは不可思議な力に頭を地面に叩きつけられて、既にノックアウトされていた。

 首を回して状況を把握したスヴァルは、魔力を解放して霧雪を煙幕代わりに放った。


「カールくん! 君だけでも帰って援軍を――――」


 最後の望みを託そうとした瞬間、スヴァルの口から血が流れ出ていた。胸に尋常でない痛みを感じ、視線を下ろす。しかし、そこには刃物で貫かれたらしき傷口しか見えなかった。


「これっ、て······」


 血が、魔力が、傷口から吸い上げられているような感覚に襲われ、身体の自由が利かなくなってきた。

 そんな時、薄れゆく霧雪の中をパン、パン、と鳴り響く拍手が近づいてくる。晴れた眼前では、カールが佇んでいた。


「苦しそうですね。手伝いましょうか?」


 痛みの所為か、頭が回らないスヴァルは自身の目を疑って困惑するばかりだった。


「ここは私にやらせてください。私も、直に“それ„の使い心地をこの手で確かめなくては」


 何を言っている?

 まるで他に誰かがいるみたいな調子でカールが言うものだから、余計に情報量が重なって最早収拾がつかない。

 カールが話し終えると、傷口から歪な形をした赤黒い剣が姿を現した。


「ありがとう」


 そう言うと、カールは赤黒い剣の柄をゆっくりと掴み、思いっきり引き抜いた。支えを失ったスヴァルの身体は、力無く横に倒れた。


「成る程。これが『悪食』ですか。微々ながら、力が沸き上がってきます。なんとも、前菜オードブルにしては勿体無い程に、甘美な感触ですね~」


 カールの表情は、今までの爽やかさは微塵もなく溶けてしまったかのように醜悪な笑みを浮かべていた。

 その手にした赤黒い剣から、不思議と異様な空気を感じ取ったスヴァルは魔力を振り絞って氷筍ひょうじゅんをカールの手元を目掛けて伸ばした。だが、届く前に砕かれ、凶刃はカインの腹も切り裂いた。


「ん~、こちらは辛みがありますねぇ。――――ほうほう、やはりエルフの魔力はエレガントで香水のようですね――――ふーむ、同じ人狼属ワーウルフとはいえ育ちの違いでここまで脂っこくなるのですね。少々、がっかりです――――ひやはや、とにもかくにも中々どうしていい拾い物でしたね。試食会は済んだことですし、あとは本番メインディッシュへ向け、一日かけて仕込みをしなくては――――ん?」


 歩み去ろうとするカールの足元を、霜が張っていた。


「はぁ、やれやれ。ストライク嬢、あなた達の役目は終わりました。いい具合に参考資料サンプルは録れましたし、もうそのまま楽になっても構いませんよ。傍にいるかわかりませんが、お二方、行きましょう」


 足止め叶わず、カールは楽々と歩みを進めて忘却口マウス・オブリヴィオンの闇へと消えた。



 ++++++++++



 ゆったり、ゆったりと一晩が明けた。

 終わらない脱力感に苛まれ続け、今にも息絶えようとしていたスヴァル達に向かって、二つの影が伸びる。





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