一角闘兎【アルミラージ】
小説とかを読んでいるとさ、男女が二人きりで出かけるシチュエーションをよく見かける。俗に言う逢い引き、デートって行為だ。
道中のドキドキやらキュンキュンなハプニング。二人の行く手を阻むトラブルとか、正直言って訳がわからない。
お姫様に服や装備を買う為に二人で出掛けたこともデートと仮称するなら、俺はこの先一生ドキドキとかキュンキュンに恵まれないと断定できる。だってそう思ったことが一度たりとも、微塵も無いのだから。
そんな評価になった要因は、俺がお互いにその気でなかったことだろうな。お姫様も平然としていたし。
緊張のきの字――――と思っていたが、よくよく振り返るとまあ最後の方はドギマギしっぱなしだったっけ。あれはゴーシュの護衛をしてた冒険者が俺の呟きに逆上したからだ。
ハプニングに変わりないが、物騒な感じはノーカウントって『恋愛マスターのキューピッド
取り敢えず、俺が女と二人だけでいようと、デートにはならない。これは決定的断定、断定的決定だ。
――――そう思っていたのに、なんで見てくる奴どいつもこいつも老若男女問わずに頬を赤くさせて惚けた眼差しを向けてくるんだ? しかも女の方は陰からきゃっきゃと耳をつんざいてくるわ、男の方は妙に嫉妬めいたものを込めて睨んできやがる。
原因は多分、俺の騎士としての評判に加えて、隣にいるシラだと思う。
今朝に寮を出たら待ち構えていて、それからずっと俺の腕に肩を寄せ付けてくる。チラリと目を向けると、時折耳を周囲に傾けて警戒しているようだった。
「なんでそんなピリピリしてるの?」
「何かあるといけないので、こうして常に注意を払わなければ」
なにに対してそうしとるんだか。
「あんまし近づかれると、動きにくい――――」
軽く除けようとしたが、シラに腕をガシッと掴まれてしまった。太い縄で固く締め付けられているようだ。半端な力では逃げられそうにない。
視界の外から、キャーッて甲高い女の声が聞こえたのは取り敢えず無視するとして。今日、というか昨日からシラがおかしいのは明らかだ。
「なぁ、シラ?」
「何か?」
「なんでそんなに近いん?」
「何か不具合でも?」
「不具合というか、なんか調子狂う」
「そうですか。なら、なにも問題はありませんね」
平然と何を言っているんだ、この雌兎は? まさか、今日この調子を続けるつもりなのか?
「あ、着いた」
依頼主の店『ドーインの鍛冶工房』。石垣で組み上げたカマクラのような外装で、大口を開けた玄関の奥をよく見ると、一組のドワーフの男女が丁度作業をしているところだった。
髭モジャの男が熱した鉄棒を支えて小鎚で打ち、それに続いて若い女が大鎚でぶっ叩く。その繰り返しだ。
「見事な鍛錬ですね」
シラの評価には同意だ。防音結界で音こそは聞こえないものの、積年で培われた職人の風格ってやつがが強く伝わってくる。見る奴が見る奴なら、芸術作品を手掛けていると言っても過言ではない。
鍛冶師のドワーフ二人は、俺達のことに気づいていない。取り敢えず、店内へ足を踏み入れる。
ガツーン――――ガツーン――――
たった一歩、結界を越えただけで鼓膜どころか身体全体が震え上がる程の、爆音と衝撃が覆い被さってきた。
小鎚による鍛錬の微調整が一拍挟み、また大鎚による無慈悲無加減の歓迎の音が鳴り響く。
「――――い――せーん。サ――――すけどー?」
これだけ音がデカいと、自分の声すら聞こえない。
もう少し張ってみるか。
「すいませーん! サクラコですけどー!」
まだ返事が来ない。
もっと息を吸って、腹に力を込めてと。
「スゥ~······すいませーん!! サクラコですけどー!!?」
「あぁ?! なんだってー?」
やっと、髭モジャの男が答えた。
「
「取材なんざ受け付けてないぞー?!!」
「記者じゃありませーん!! 冒険者でーす!! 依頼を受けてやって参りましたー!!」
「お菓子屋さんは三件先だー!!!」
「違ぇー!! でもありがとー!!」
あまりの耳の悪さと会話の成立の無さにムカついたから、少し茶々を入れてみることにした。
「耳が捻れてんのか? バーカッ!! バーカッ!! ブルァ~~~~~~カ!!!」
どうせ聞こえてないだろ。と思っていた矢先、突然左目の視界が真っ暗になった。同時に重い衝撃に襲われ、気づいたときには地面に背中を付けていた。
あのずんぐりジジィ、他人の顔にトンカチ投げつけてきやがった!? なんつうコントロールの良さだよ!
++++++++++
取り敢えず、シラが髭ドワーフに斬りかかろうとしていたから、なんとか宥めて仕事の話に移った。俺達は店の奥にあるドワーフ達の家に招かれて髭モジャドワーフと向かい合い、もう一人の女ドワーフから緑茶を振る舞われた。
「いやー、先程は失礼つかまつった!!! なにしろ、勢を尽くして作業をしていたものなので、手汗で滑ってしまった!!! ほんとに、申し訳ない!!!」
なんてほざいているが、皮手袋を付けてたの見逃してないからな。ていうか絶対に聞こえてたよな、このジジィ。
「申し遅れました!!! 私共は、見ての通り鍛冶を営んでいるドワーフの兄妹でして!!! 私が兄のドーイン!!! 隣にいるは、妹のデーインと言います!!!」
あとうるさい。超うるさい。耳の利く俺達には特に不快だ。今すぐジジィの口を縫って閉ざしたろうか。
「早速ッ、依頼の内容に移りたく思います!!! ですが!!! その前に、そちらにおられる見目麗しきお嬢様はどなたでしょうか!!! 私はクレイ嬢が騎士に任じたというサクラコ殿に頼んだのですが!!!?」
「ああ、こいつはシラ・ヨシノ。俺の馴染みだよ。急遽、この二人で当たることになった訳だけど。問題ある?――――緑茶うま」
「いいえ、いいえ!!! サクラコ殿がお連れになったということは、相応の手練れということの何よりの証明!!! 当然、異論はございませぬ!!!」
ドーインは首を横に振って、自身の疑問を排して了承してくれた。目を横に向けると、シラがなにやら嬉しそうだった。
「で、この羊皮紙の内容を見るに、盗られたものを取り返せってことだが、一体何を盗られたんだ?」
俺が疑問をふっかけたとき、なぜかデーインが一瞬震えた気がした。
「ええ!!! その事ですが、デーイン!!! あれを持って参れ!!!」
気迫たっぷりにドーインが言い、デーインはさらに奥にある棚から自身の三倍はあろう長方形の木箱を持ってきた。埃を被っていて生臭く、蓋と思われる面には封印の魔法陣の書かれた紙が破かれた状態で張ってあった。
これが来るなり、デーインはさっきからだが、ドーインからも尋常でない緊張感が漂ってきた。
いよいよ、些事ではなくなってきたな。
「あなた方に依頼したいのは、こちらの箱に入っていた先祖の“遺物„の奪還でございます!!!」
「先祖の?」
「はい!!! こちら、その銘を――――『ダーインスレイヴ』!!!」
ドーインは木箱の中に入っていた紙を広げた。それには、今口にした先祖の遺品とやらの絵が描かれていた。
片刃の片手剣。色は無いが、ゴツゴツとした岩みたいな峰に、ギザギザの鋸刃が揃っている。
剣というよりは、獣の顎のようだ。
「なんというか、不気味」
俺もシラと同じ感想だ。絵図だが、とても無生物とは思えない。形状の歪さは勿論のこと、描いた奴が達者なのか生々しい迫力がしてならない。
なんとなく、封印されていたのが理解できた。
「ドーイン、この剣はなんだ? ただそういうセンスの奴が打った、なんて冗談は利かないよ?」
ドーインは今さっき、この奇形の剣を“遺物„と称した。
幸運を呼ぶタリスマンから、見た者の命を刈り取る呪いの絵画など。何かしらの曰くを持つ物品。
特に持ち主の情念を強く孕んでおり、長く存在する程に人智を越えた力を持つ。特に千年代に及べぶと『特等』を冠し、中には意志を持つ物まで現れるという。
「ええ!!! 私共も、あなたの腕前だけでなく、本物の持つ強者の勘を頼りにさせて戴きたく依頼した次第であります!!! その反応は、正しく私共の望んだ通りの人材であったようで!!! それでいて、懸念も募るばかりですが!!!」
「懸念?」
「ええ!!!」
ドーインと同じタイミングで緑茶を含む。
苦々しい嘆きはまだ続く。
「あれは色物でも、傑物でもない!!! 何一つ、誇ることのできない!!! 我が一族、最大最悪の!!! 汚点!!! 何を心持ちにして生み出されたか、資料は一切ございません!!! ただし!!! 一つわかるのは、あれは明確に意思を持った生命体であるということだけ!!! もし、これと対峙した際、所持者ではなくこの魔物に注意してくだされ!!! 奪還が無理だと判断したときは、迷わず破壊しても構いませぬ!!! ただくれぐれも、喰われぬよう用心してくだされ!!!」
畏れ――――ドーインの騒音でしかない言葉からは、それしか感じなかった。どっちかっていうと警報、警鐘。いや、挑戦、宣戦布告か。
怖いくせして、中々に滾ることを言ってくれる。態度からして、無意識みたいだが。
緑茶の苦味を味わいながら、俺はドーインの言葉を繰り返し鼓膜に刻み付けた。
喰われぬよう用心してくだされ、か喰われるわけがないだろ。
「俺は常に捕食者だ」
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
今朝、起きたときには、ジンくんはもう出掛けていた。セーラに聞いたら、彼に
喜ばしいことだ。とうとう、個人で依頼されるようになった。私の付き添いではなく、ジンテツ・サクラコという一人の冒険者として見られ始めている。少しずつ、皆が認めてきているんだ。
もう、彼を私の都合に巻き込むわけにも行かなくなってきたな。早く
私は、アリスが襲われたという資料室に来ていた。ここには両手で数えられる程度しか来ていないけれど、変わらずがらんとしている。最近、手入れしたばかりみたいで、ニスの匂いがまだキツい。
「ここね」
惨劇の舞台に着いた。
代わり映えしない。数歩歩けばわからなくなってしまいそうな、棚と棚の間の人三人分の通路。
血痕はきれい除去されていたけれど、魔力の残滓がもやとなって見える。ここでアリスは、痛い思いを味合わされて、あんな惨い姿にされて······。
「落ち着かなきゃ」
一度、深呼吸する。まだ私は冷静だ。ここで自棄になったところで、襲撃者が見つかるわけでもない。
取り敢えず、なぜアリスが襲われる羽目になったのか、考察した。
彼女個人が狙われたのか。それとも、彼女がここに来た理由に何かあるのか。
そういえば、アリスはなんで資料室なんかに。しかも、ここら辺の棚には戸籍票しかない。
当たっていた依頼に、誰かしらの情報が必要だったのかしら。棚を一つ一つ確認してみるも、やはり怪しい気配は無い。
「あ」
唐突に納得した。
アリスは依頼に当たっていたんじゃない。ジンくんを調べていたんだ。
驚きはしなかった。彼女の性格を鑑みれば、当然の行動だ。アリスなりの品定めのつもりか、いい思いはしない。
とはいえ、やはり襲撃される謂れがわからない。こうなると、アリスが一人になるのを見計らってか。
宛が外れたと残念に思いながら、棚の引き出しを閉める。
「······本当に、そう?」
漠然とした疑問が湧いた。
なんだろう。この釈然としない感じ。なにかを見落としている気がする。
アリスが狙われていること。多分、これが引っ掛かってる。彼女は性格上、恨みを買いやすい方だと思う。私も、小さい頃はどうやってぎゃふんと言わせるか悪戦苦闘したものだ。
けれど、身体中を切り刻まれるに飽き足らず、呪いまでかけるまでの恨みを買うなんて、流石にあり得ない。
タカネさんは言っていた。アリスがやられた方法は、いつかの女奴隷のようだったと。それで新聞を漁ったり、情報管理課の方で調べたら、『奴隷狩り』という存在がヒットした。女性の奴隷だけを執拗に殺して回っている、気の狂ったシリアルキラー――――――――
――――『
「いやいや、まさかそんな······」
あまりに不本意。けれど、
襲撃者、奴隷狩りが狙っているのはアリスじゃなかった。ジンくんの方だ。
でも、待って。だったらなんでアリスは襲われた? ジンくんを狙っていたのなら、彼に牙を向ければいい――――いや、よくないけれど。
人も場所もチグハグ。奴は一体、何がしたいの?
「戸籍登録票」
ありえなくもない。私が知らないだけで、彼に何かしらの因縁を持っている可能性。
狙いはまだわからない。けれど、そうとわかれば急がなきゃ。今度はジンくんが危ない。
そう思って、私はその場を後にしよう――――とし直前、一瞬何かの加配を感じた。
空気の揺れ? って言うのかな。小さな虫が横切ったみたいな、明瞭と曖昧の境界線に触れた感覚。
景色は変わらない。けれど、確かに何かが動いた。ジンくんと一緒に居続けて、私の中で何かが変わったのか。無性にそうとしか思えないって、勘が騒がしく神経を撫でてくる。
「出てきなさい!」
疑問より先に確定が口から出てきた。私の身体は迷うことなく構え、右手は魔法陣から細剣ブランディーユの柄を掴んでいた。
姿が見えないけれど、多分、私が感じた気配の持ち主は奴隷狩りで間違いない。そう思うと、落ち着かせていた怒りが段々と煮え滾ってくる。
「三つ数える内に出てこないのなら、この一帯に魔力を放つ! これは脅しじゃないわよ! 今の私は、物に当たりたいくらい気が立っているからね!」
既に
「一つ――――二つ――――」
「もう、待たないわよ!――――みっ」
「待った待った待った! 出る。出るからちょっと待ちなって。――――ったく、とんだ安もんじゃんか。このぼろ雑巾」
ようやく返事が来た。気の強そうな女性の声だ。そして空間が歪み、そこから一人の女性がフードをとるような動作をしながら姿を現した。
腰まで伸びた長い銀髪で褐色肌の、鋭いオレンジ色の瞳を持った女性だった。額から一本の螺旋状の角を生やし、さらに特徴的な耳を見て彼女の種族がわかった。
「
「へぇ~、この辺に棲んでない種族なのによくわかったね。まあ、わかったところでなんでもないんだけど」
これは少し予想外。
それにしても、彼女をどこかで見たような。気のせいかしら。
違う。そんなことよりも、訊きたいことが山程あるんだ。
「あなた、一体どうやってここに入ったの? この部屋はしつこいくらいに強力な結界がいくつも重ね掛けされてる。アリ一匹も通さないわ。それなのに、あなたは――――」
「ああ、それ?」
女は気だるそうに、ローブの裾を掴み上げて答えた。
「裏モノって知ってる? 表社会じゃ使いようのない代物さ。これはその一つ、『透明マント』って言ってね。これを被ると、気配が完全に消えて感知されなくなるって聞いたんだけど。不良品を掴まされたか、アンタの勘が鋭すぎるのか。効果は微妙ってところなんだけど」
透明マントか。鳴る程、それなら府に落ちる。
「で、他に何かある? アンタが訊きたいのはそんなことじゃないでしょ?」
「······なんで、そう思うのかな?」
「ククッ。だって、アンタの今の顔、きれいなのにすんごく台無しになってるからさ。ウチを殺したいって、逆鱗に触れられたトロールみたいになってるんだもんさ」
おかしいな。私の顔は今、戸惑いで強張っている筈だと思うのに、そこまで酷くなってるわけないじゃない。
「冷静じゃないね。ギリギリ正気を保とうとしちゃってさ。我慢は体に悪いよ?」
さっきから挑発するみたいに言葉を並べて、なんなんだか。
「おかしなことを言うわねぇ。私は至って冷静だよ。我慢はしているけれど、我慢ができてるってことはそれぐらい自制できてるってことだよね? ん?」
「そう。質問タイムが終わりなら、ウチはアンタを
「······それは――――」
仮定が確信に変わった。
やっぱり、こいつの狙いはジンくん。アリスを狙ったのはそのついで? どこまでも軽薄なクソッたれが!!
もう、歯止めは要らない。抑えつけたくない。
そう思った瞬間、私は
お陰で、中身の気配がわかりやすくなった。行儀が悪く、棚の上に乗っかっている。
「訊きたいことならあるわ。最近ここで、メイドさんに会わなかった?」
冬なのに、腕と腹を曝した服装。下半身は青い革製のズボンだ。筋肉質で、とてもよく鍛え上げられた体。
「メイド? えっと~······あぁ、なんの話?」
「······そう。いいわ」
なにそのフワッとした答えは。こっちは真剣なのに、まるで真摯じゃない。
少し痛め付けてやろうかと思っていたけれど、やめにしましょ。存分に黒焦げに焼きまくって、全治一年くらいは動けない身体にしてやる!!
私は翅を広げ、強化魔術を全体へふんだんに掛け、アルミラージの眼前へと向かった。
「速っ」
アルミラージは私を侮って混乱していた。その隙に切っ先を彼女の眉間に突き立て、そのまま腕を伸ばす。銀髪を素通りしただけで、紙一重で避けられてしまった。
そこから蹴り上げて反撃してきた。身体を反らして、なんとか回避する。
今のって、戦士の勘か。やっぱり、狩猟と戦闘に長けた人外は動きが読めなくてやりづらい。
「アンタ、お姫様だよな? 顔といい剣の扱いといい、雑にも程があるよ?」
「ろくでなしにたしなめられる筋合いは無いわ! とっとと剣に当たってよ。痛め付けるのは趣味じゃないから」
「だったら、少しは躊躇ってほしいものだね。っていうか、なんで魔術使えてんの? そっちが驚きだわ!」
「なんでもいいでしょ――――"雷帝の砲兵【カノン】"!!」
ブランディーユを大砲へ変え、アルミラージに向ける。
「ちょっとちょっとちょっと、タンマタンマ!!」
「ブッ飛びなさい!」
「もう! 色々話が違いすぎんでしょうがッ!?」
間髪いれず、私は砲撃した。けたたましい轟音と舞台が弾け、壁に大きな穴が開いた。
目映い陽光が埃を透かして差し込んでくる。あの女はいない。今開けた穴から外に出たか。
「いけないわね」
やりすぎた。学生や他の冒険者に危害が加えられたら······いや、問題無い。目立つのは不本意でしょうからね。
「けほっ、ごほっ! なんなんだよいきなり!」
警備をしている区衛兵達が来た。職質で足止めされる暇はないから、悪いけれど突破させて貰うとしよう。
崩れた壁の瓦礫を乗り越えてくる区衛兵の頭を飛び越え、アルミラージを探すために空から感知魔術【
頭の中に、たくさんの人が止めどなく右往左往して搔き乱される。取捨選択を速やかにこなし、該当する魔力反応を検知するべく脳内で奔走する。
「見つけた」
まだ学園ギルドの敷地すら出ていなかった。
余計に魔力を使ってしまったけれど、なんてことはない。
丁度、人混みが薄れてやりやすくなった。
「"雷帝の【
「だから速すぎんでしょ!」
渾身の急降下刺突攻撃も避けられた。背中から窓に飛び込んで棟に入り込んだ。
後を追って私も窓枠を潜る。
「反撃、開始!」
「っ······!?」
魔力の高ぶりを後方斜め上から感じた。咄嗟に背後を向いて、槍から盾へと作り替える。
「"雷帝の【
「ソラァァッ!!」
【
なんてバカ力。なんら工夫の無い、魔力を込めただけの単なる打撃がここまで重い一撃に昇華するなんて素からしておかしいレベルだよ。咄嗟に魔力で全身を補強していなかったら、骨折は免れなかった。
「くぅ、かったいねー。ウチの一発なら、どんな防護魔術も粉々なのに。まったく、魔式使いは厄介だね」
次の攻撃が来る前に、態勢を立て直す。【
アルミラージは徒手空拳で応戦してきた。私のほとんど全力に近い速さに対応して、私の剣を全て拳や脚で悉くを受け止めた。
後方からの袈裟斬りも、斜め下からの切り上げても、見透かしたようにやり過ごした。
なんて肌の固さなの。魔力密度が半端ない。全然刃が通らないし、鉄の塊でも相手にしているみたい。
「そう言えば、名前、聞いておかないの?」
唐突に、つばぜり合いの最中にアルミラージが投げ掛けてきた。
「それどころじゃないでしょ」
「しきたりなのさ。
アルミラージは私を押し退いて、ポケットに手を忍ばせた。ようやくアリスを傷つけた武器でも取り出すのかと身構えたけれど、彼女が手に持っていたのは武器でも、ましてや嫌な気配のする道具でもなかった。
鎖で繋がれた銀の十芒星のネックレス――――それを目にしたとき、寒気を感じた。
「あなた、まさか······」
「新世テオス教会【
私の顔を見て、アルミラージ――――エレンは期待通りと言うような、嬉しそうに笑みを浮かべて銀十芒星を見せつけてきた。
「世界にはいろんな宗教組織が存在している。中でもウチのいる新世テオス教会は、最も信者数が多く、唯一世界中全ての国に分布している。あまりの規模のデカさに、国によっては政治を左右する権限まで持ってるときた」
「それくらい、知ってるよ」
噂では、非道徳的な行為に及ぶ悪魔が集った組織だってことも。そう危惧されている理由は、新世テオス教会の重役に魔帝候補第1位が座しているからだ。
どういうわけか、私は初めてこの名前を聞いたとき、今みたいに寒気を感じ、吐きそうになる程の不快感に襲われる。
嫌いなんだ、根元から。理由はわからないし、別になにかをされたという暗い因縁があるわけでもない。けれど、私は――――。
「俄然、やる気になった」
「そう。じゃあ、ウチもそれ相応の態度を示さないとだね」
エレンはそう言うと、両の拳を付き合わせた。すると、彼女の魔力の気配が急に転換した。
全身を埋め尽くす勢いでエレンの身体は魔力が充満していき、やがては押し固まった。
この流れの波長には覚えがある。魔力が外ではなく内へ内へと染み込んで象られていく感じ。
「あなたも魔式を!?」
「"
エレンが正拳を突き出そうとしてきて、私は【
「"
放たれた拳は、先程とは段違いの威力を持っていた。防御ではなく回避に転じればよかったと、吹き飛ばされながら思った。
壁に激突し、お腹の底から何かが這い登ってくる感覚がした。地に伏せて咳き込んで、床には血飛沫が散っていた。
「どう? 防御を意に介さない圧倒的なパワー。ウチの魔式"
「かはっ······」
確かに。今のはとっても痛かった。
背中を撃ったことで翅が利かなくなった。お陰で、全身の感覚が鈍って仕様がない。四つん這いで倒れないようにするので精一杯だ。
「あんまり無茶しない方がいいんじゃない?」
「余計な······お世話、だよ······」
喉が焼けるように痛い。身体の節々が悲鳴を上げて、少しでも動いたらバラバラになりそう。
「アンタの評判は予々聞かせて貰ってるけどさ、随分と雰囲気が違うね。二年前のあれは嘘だったのかな?」
「なんの、話よ······!」
「とぼけないでよ。アンタが冒険者に成り立てのとき、凶悪な
私はその時のことを思い出した。あんまり、自慢したくない出来事だ。
「グラズヘイム始まって以来、類を見ない悪魔達による
美談らしくまとめているけれど、真相は違う。確かに、私は奴に一人で立ち向かった。しかし、その前に多くの仲間を失った。挙げ句、公にされていないけれど、当のゴエティアにはあと一歩のところで逃げられてしまった。
かなりのダメージを与えた手応えはあった。死んでいてもおかしくない程に。それでも私にとって、あれは敗戦だ。
「今、どんな気持ち? 平和ボケで翅が硬くなった気分は。本来なら余裕で倒せる相手に、地べたから見上げることもできないってさ、どんな感じ?」
意地が悪い。殺りたければさっさと殺ればいいものを。焦らされると、煽られている怒りといつ殺されるかわからない恐怖でどうにかなりそうだ。
「あ、そうそう。さっき訊いてきたメイドって、金髪碧眼でメガネを掛けている奴?」
いきなりエレンが、さっきの私の質問を蒸し返してきた。
「今思い出したんだけどさ、そいつ虐めたのウチじゃないよ?」
······え?
「よく考えれば気づくと思うけど、アルミラージの使う武器は己の肉体のみ。武器を使うなんて、自分はそうしないと戦えない軟弱者だって風潮しているのさ。そのメイド、もしかしてここであの部屋で血塗れになって倒れてたんだよね? だったらあれはウチじゃないよ」
私は愕然とした。
それが事実だとしたら、エレンは奴隷狩りじゃない。彼女の言う通り、少し考えればわかることだった。実際、エレンは武器を使っていない。手にしたものと言えば、新世テオス教会のシンボルである銀の十芒星だけ。
情けない。私はいつの間にか、······違う。憎しみに駈られていたのに気づくことなく先走っていた。
ただその場に居合わせただけで、勝手に決めつけて。どうしようもないじゃない······。
「あれ? 急に覇気が無くなった。なんか、ごめんね。アンタが狙ってたのって、多分ウチの相棒だわ。今は奴隷を探させてるんだけど、アイツ、サド畜生だからな。殺さないかどうか、心配なんだけど」
奴隷を探している――――聞いた瞬間、嫌な想像が頭を過った。
「しかも、あの馬鹿と来たらおつかいもまともにできやしないものだから、ウチと交代したんだよね。夜な夜な探し回ってって言ってたけど、あんなわかりやすい特徴の奴、なんでまだ見つけられてないんだか。『黒髪黒目の東洋面の
エレンの口にした、彼女達の狙っている奴隷の特徴。嫌な想像が、徐々に砂嵐が薄れてより鮮明になっていく。
澄んだ黒が、汚い真っ赤に塗り潰されていって、掻き分ければ――――――――吐き気を催す、最低最悪の未来が見えた。
「なんで、また······」
痛みが、苦しみが、邪魔だ。私を妨げる障害は、底の底から排除しなくちゃ――――。
「痛っ!? こりゃ、ヤバイね」
傷んだところは魔力でとことん補強する。麻痺して動きたがらない筋肉も、骨も、神経に至るまで、無理矢理に叩き起こす。強引で、一時凌ぎでしかないハリボテ治療。
三日は筋肉痛が響く。けれど、反動なんか気にしない。気にしていられない。気にするのは、面倒臭い。
私は何がなんでも立たなきゃならない。エレンを倒して、彼を狙っている奴の居場所を聞き出して、駆けつけなきゃならないんだから。
「なんで立ててんの······」
「どうでもいいでしょ。そんなこと」
「こりゃあ、本気でヤバい。いや、こっちが本性か!」
エレンはさっきよりも固く身構えた。隙が見られない。
残念だけれど、あんまり意味は無いよ。じっとしていたら、余計にね。
私は深く息を吸い込んで、翅を広げてエレンの背後へ回り込んだ。
「あれ、どこに行って――――」
彼女の目にどう写っていたのか知らないけれど、私の目には今のエレンがとてもとてもゆっくりに見える。芋虫の這いずりよりも、亀の歩みよりも、とっても遅い。
「"雷帝の【
狙いは定まった。左の肩から右の横腹まで一直線に切り伏せる。かなり痛いだろうけれど、私だった痛いのを我慢してるんだから、これでお互い様だよね――――。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
剣を振り下ろそうとした瞬間、唐突に視界がはちゃめちゃにボヤけた。全身の感覚が無い。
私は、倒れている? なんで? どうして?
誰かが話しているのがうっすらと聞こえてきた。
エレンと、爽やかな、男の声······誰?
ああ、これがジンくんの声だったらよかったのに······――――なんておかしなことを思いながら、私は目蓋が閉じるのを抑えられなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます