森林道中ー昼ー【ドゥミ・コンフィアンス】
冬も折り返して、春に備える時期となった。霜が溶けてぬかるんだ地面に馬と馬車の轍が深く刻み込まれる。
久しぶりにお姫様から仕事に誘われたが、正直来たことを後悔している。何せ、今朝に学園ギルドの前で待ち合わせしていると知らされた矢先、その相手がカインとスヴァルだったからだ。
アリスは野暮用らしく、連絡がとれなかったらしい。
あいつ、メイドだよな?
カインとスヴァルは俺が黒霧の怪物であることを知っている。何かまた面倒事を吹っ掛けてこないか気が気でならない。――――と、思っていたのだが、今のところその気配が全然無い。
カインは相変わらず仏頂面で睨み付けてくるが、スヴァルの方は馴れ馴れしく接してきた。出会い頭に満面の笑みで、「やっほー、
元から距離が近い奴だったが、ここまで突然だと少し不気味だ。だが、その時のお姫様は安心したように温かな目で見ていたから、恐らくはスヴァルなりのいつもの調子なんだろうと
依然、油断できないけど······。
俺達は馬車に乗ってミスリル大森林の北部に来ていた。依頼内容は【★★★:オウゴンオウカブトの保護】。
オウゴンオウカブトとは、このドラグシュレイン区では絶滅危惧種に指定されている、極めて希少な昆虫だ。
その名の通り、日に照らすとそれはそれは美しい黄金に光輝く外骨格を持っているという正に生きた宝石なのだとか。しかも、創世時代より姿形が変わらない生きた化石とも称されている。
「生きた化石ねぇ」
改めて依頼書を手に取る。それには、オウゴンオウカブトのイラストが同封されていた。見た目は角の短いカブトムシで、大きさが人差し指程度と隅っこに記載がある。
「こんな派手な奴、本当にいるのか?」
「依頼書に従ってるだけだから確証は微妙。だから何か心当たりがあるかなと思って、あなたを連れてきたつもりなのだけれど」
お姫様がごもっともな意見を返した。
確かにここは俺が棲んでいた付近だが、残念ながら見たことがない。そう応えると、お姫様は「そう」と言いながら肩をがくんと落とした。
「まあまあ、手掛かりなら現場に着いた後でいくらでも探せばいいんだし。そんなに落胆することはないんじゃない? クレイ嬢」
スヴァルがお姫様の肩に腕を回して励ました。
「そ、そうだよね」
「そうそう。っていうか、
急に振ってきたな。お姫様は気まずそうに顔が微笑んだまま硬直した。
訊かれた俺より動揺するなよ。
「どうなの?」
「そうだね」
お姫様は隠し事をしていたことにまだ後ろめたさを感じているようだが、勿体ぶっても余計に警戒心を煽るだけ。いっそ清々しく素直になった方が、
「フン、道理で節操の無い態度が目立つわけですわ」
ただし、カイン。こいつだけは別。
「ちょっとちょっと、カイン? そんなこと言ってると、
「お言葉ですがスヴァル様。私はその野蛮な兎さんに、これっぽっちも敬意を払いたくありませんの」
「もう、融通が利かない子なんだから。ごめんね、
スヴァルがフォローするも、カインは「しょんなバカなッ!!?」と即座に否定して脳天から噴煙を上げた。
「私が、こここ、こんな野蛮人を頼るなどあ、ああ、ある筈がございませんたらァ!!」
急に立ち上がって、俺を指差しながら息も声も荒くさせて、なんてわかりやす過ぎる狼狽えようなんだ。
面白くてもっと見ていたい。
「そんなこと言って、グローリーの前に
「あれは来るのが遅かったから出た呆れの溜め息ですわ! 別に安心してたわけでは、あれくらいの賊も相手に出来なければクレイ嬢の傍にいる資格なんて――――」
急速にカインは声を弱らせていった。お姫様の方をばつが悪そうに一瞥して、上げた腰をシュンと落とした。
言い過ぎたとでも思っているのか、いきなり黙り込まれると罵倒された身としてはリアクションに困る。
取り敢えず、反論するのめんどクセェから相手にしないつもりでいたのだが。そこはお姫様が気を利かせようとして言い返す。
「大丈夫だよ、カイン。ジンくんはちょこっとおかしなところはあるけれど、実力は確かだし。ほんのちょこっとだけ性格に問題があるかもしれないけれど、基本的にいいウサギさんだってことは、わかってくれ、た?」
ヘタクソ~······。
カインへの弁解が前に出過ぎて、俺への配慮が一切無い。今日のお姫様は調子が悪いようで。
「まあ、決めたのはクレイ嬢ご本人ですし。そもそもの話、私なんかが横から口出しすること自体がおかしな話だったわけですし。私は嫌ですけども、クレイ嬢がいいって選んだのですから」
「ああ、もー! カインったらかわいいなー! かわいすぎて、スヴァルおねーさん抱き締めちゃう!!」
「ぎゃアアアアアア!! やめてくださいましィィィィィィ!! 冷たいですわァァァァァァ!!!」
「ちょっと、二人共!? 馬車の中で暴れないで!
馭者さんとお馬さんが困るでしょ!」
眠れない程、退屈しない環境だな。そう思う反面、俺は、時偶にこいつらがよくわからなくなるときがある。
疎外感、は当然だな。俺よりも三人の仲が深いのは当たり前なんだし、この胸の燻りは多分······錯覚だな。
ああ、ただの勘違いだ。
++++++++++
現場に着いて、早速カブト探しを開始――――と行きたかったが、直前にお姫様が「ちょっと待ってて」と言って一人馬車に残って中でごそごそし出したかと思ったら、ブッシュジャケットを着た姿になって降りてきた。頭には丸みのある帽子を被っていた。
「お姫様、その格好、何?」
「何って、カブトムシ採りに相応しい勝負服をと思って······」
空気が凍りついた。
「似合って、ない······?」
「ぜーんぜん! めちゃくちゃ似合ってるよ! すっごい意気の込みようだね、クレイ嬢!!」
泣きそうなクレイ嬢をスヴァルが頭を撫でて宥めた。横からカインが、「いつものことですので、お気持ちはわかりますわ」と呆れた様子で注釈してくれたお陰で、なんとか対応できそうだ。――――多分。
気を取り直して、カブトムシ探しを始める。
因みに、依頼したのはカルスだった。なんで森の調停者たるあいつがわざわざギルドに依頼を出したのか、その理由は依頼書に記してあった。
『お手数お掛けして大変申し訳ありません。私は······恥ずかしながら、虫が苦手でして』
いや、調停者にあるまじき爆弾発言――――全員が思った。
この上でさらに、『自分、
取り敢えず、二人一組になって捜索することになった。お姫様は俺と組みたがっていたが、間にスヴァルが割って入ってはカインを強引に押し付けてきた。
なんの意図があるのかはともかくとして、二人きりにされるとかなり空気が重たい。馬車の中ではお姫様経由で信用するみたいな言い草だったが、正直煮え切らない。
あの三人の中で実力は一番大したことなさそうだが、頑固さは抜きん出ている。果たして、お姫様抜きで俺の話を聞いてくれるのだろうか。
まったく、スヴァルの奴にまんまとしてやられた。カインといると、あの砲弾を喰らわされたことがフラッシュバックして全身がざわつくんだよな。これがトラウマってやつか。思ってたより屈辱だ。
森の様子は至って穏やかだった。木漏れ日に照らされた木々は白みを増して、時折鳥の囀りや枝を蹴って飛び立つ音が聞こえてくる。それが終われば、また静寂に包まれた。
つまらなすぎて、不意に欠伸が出る。
「ちょっと、サクラコさん?! ちゃんとお探しになって? そんな暢気にされていては、カブトムシどころかキノコの一本も見逃してしまいそうでしてよ」
「やかましいのは羽音だけにしろ。蜂娘が」
「な! 私はそんな下品な飛び方しませんて!」
「つーか、なんでドレスで来てんの? 馬鹿なの?」
「ドレスとは貴族令嬢にとっていついかなるときにも勝負服。この外気に一切捕らわれていない華やかさと麗しさの
「バッカじゃねーの~」
「ちょっと!? その気だるげな返しはなんですか、情けない! 少しは真面目に対抗しなさいよ!! もー!」
お姫様達と別れてからずっとこの調子だ。何かとカインは、俺をああだこうだとしつこくいちゃもんつけてくる。
もう一々反応するのが面倒臭くなってきた。取り敢えず、とっととカブトを見つけて帰って寝よう。
「それより、あんたお得意のスコープ索敵はどうした?」
訊くと、カインはプイと外方を向いた。
「冬とはいえ、ここまで木々が並んでいてはさしもの私であっても、
「まあ、わかってたけどな」
「なっ! この野ウサギめ、とことん他人をこけにして!」
どっちがだよ。貴族ってのは、お姫様とまではいかずとも呆けてるものじゃないのかよ。
カインからは全然そんな気しないし、俺の前でだけそうならちょこっとだけ悲しくなる。
「前々から気になってたけど、その銃はカインが作ったのか?」
訊ねると、カインは自慢気に答えた。
「ええ、いかにも。私の用いる
「珍しいからね。遠距離武器と言えば、弓とかパチンコだからな。他に使ってる奴はいないみたいだし」
「あなたも、なにか思うところがありまして?」
カインの声が冷たく聞こえた。機嫌を損ねたか。
「確かに、威力は高いですが弓と比べ重く隠密性にも欠け、単独での戦闘では限界点が低いでしょうね。しかし、自らの手で改造改善し欠点を補う。そうして私は、武器を私自身に合わせてきましたのよ。使えるか使えないは、持ち主ではなく武器が決める。強引に従えようとして、腕前に合わず自滅したなんて軟弱な話はよくあることでしょう」
カインが不機嫌なのは、銃という存在に偏見を持たれて侮辱されたと思い込んだからか。
理解できなくはない。武器だって全部が全部親切設計じゃない。オーダーメイドならともかくとして、そんじょそこらで拾った小石にどう有効性を見出だせるかは本人の目利き次第。
どっかで似たようなことをガリガリドワーフが言ってたな。
「使えるか使えないは武器が決める、か。大層な試論だな。お嬢ちゃまにしては立派な方なんじゃない?」
「知った風な口を」
「ああ、知らない。所詮は消耗品。しかも使い手よりも寿命が短い奴に、あれこれ決められる筋合いなんか持ち合わせたくないものだよ」
「もー!! やっぱりあなたなんか、大ッ嫌いです!!!」
どれだけカインに怒られようが厭わない。武器とは環境だ。環境は誰かを選ばない。ただ“其処に居る„だけの奴に、決定する意思も権利も義務も何も無い。
だが、こいつなりに譲れないものがあるのには感心した。本当に、立派だよ。そこんところは――――
「俺は嫌いじゃないけどな」
「え?」
カインの羽音が一ヶ所に止まった。振り返って目をやると、顔を赤くしてホバリングしていた。
「なに固まってんの。早く行くぞ」
「あ、待ってくださいまし! 今のはどういう――――ちょっと! 私より先を行くんじゃありません!!」
一時間半は経ったか。カブトは依然、俺達の前に姿を現さない。耳を澄ましても、カインの羽音以外でそれらしい音は聞こえない。
土か木に潜っているのか? だったら切りが無い。ただでさえ、自然って奴は大人しくしちゃくれないのに。
「めんどクセェ。こういうときはアイツの手を借りるか」
俺は目蓋を閉じて、耳を澄ませた。
どんな場所にも完全に静か、なんて事は無い。必ず、絶対に何かしら居る。居るから気配が在って、感じ取れる。
前々から利かせていた習性だが、
呼吸を忘れそうになる程に集中させれば、帳の下りた鬱蒼とした森の中でも半径約百メートルは聴こえた。今では、息を整えるだけで五倍にまで拡大した。
「いた」
思い切って五百メートルもやっちまったが、運が良いことにほんの二百メートルの距離にいた。
調整できるようにしないとな。感覚が慣れていないと、頭がボーッとして酔いそうになる。
森に棲んでいた頃は、カルス以外にもいろんな
そいつは森の中でも隠れるのが得意で、カルスでも見失うくらいだ。見た目も、匂いも、そこらの木々となんら変わらない。
――――というか、そいつは樹木そのものなんだけどな。
「よ、ラグ。取り敢えず、起きろ」
高さにして俺の胸元にも至らない低木。空気椅子して項垂れている老人に見えなくもない。
低木はかさかさと小さく揺れた。
「わしはただの木じゃ。話しかけても何も返さん」
「ただの木じゃないから話しかけてんでしょうが」
こいつは、カルスからラグ爺さんと呼ばれているグリーンマンだ。趣味は昼寝。
「ひやはや、折角森が静かになったというのに、また害獣が寄って来よって」
低木はカタカタと固い動きで姿勢を解いて、杖を突いた老翁になった。
「して、長らく森を出とったようじゃの。なんでも、冒険者になったんだとか。カルス様から大体聴いとる」
「まあね」
「元気でやっとるのか?」
「ケケ、まあね!」
ラグはしかめっ面で見上げてきたが、答えに満足したのかほー、と軽く溜め息をついた。
「そうか。楽しんでおるようなら何よりじゃ。して、何用じゃ?」
「いくつか生やしてほしいんだよ。出せ」
「ん~。壁の中に入って、少しは丸くなったかと思うたが、害獣なのは相変わらずか。何を出せばええ?」
伐採したろかこの老木。
取り敢えず、俺はバナナと他幾つかの野菜、そして大きめの葉っぱを注文した。
グリーンマンの特性は、魔力の許す限り植物を生み出すことが出来る。
ラグは注文通り、頭から伸びた枝の内の一本からバナナを五房と、ニンジンやジャガイモといった野菜を出してくれた。回収した後は、バナナのみをその場で輪切りにして大きめの葉っぱで軽く包む。そんでもって、生糸で木にくくりつける。
そうこう作業を続けていると、カインが不満げに降りてきた。
「さっきから見ておりましたが、一体何を為さっているので?」
「バナナトラップ。虫採りと言えば、やっぱりこれでしょ」
「果物の匂いでカブトを釣ると? なんと原始的な」
「チッチッチッチ。これが案外バカに出来ないんだな」
時期が時期だから、本領発揮には至らないだろうが、効果は見込める。俺も甘いものは好きだからな。明日になれば、どこかしらに止まっている筈だ。
懸念があるとすれば、変なのが余計に寄ってこなきゃいいんだけど――――あぁ······。
「おい、カイン。少し休むぞ」
俺は面倒な予感がして提案した。カインはうんざりそうに眉間のシワのほりを深くした。
「なにを言い出すのかと思えば、もう弱音を吐いて。森育ちのくせに、情けないですわね」
カインのこの罵倒を俺はなんとも思わなかった。
どっちかっていうと、逆なんだよな。
「別に構いませんわよ、あなたは休んでいても。その間に、私が目標を保護してしまえばいいのですからね」
「強がりはやめとけ。恰好の獲物になる」
「なにをおかしなことを」
そう言うカインの背後から、バキバキと木の枝を掻き分ける音が響いた。翼を含め体長三メートルはあろう白面茶体の巨大な鷲が、黒い嘴から女の悲鳴のような方向を上げながら鍵爪を開けて襲いかかってきていた。
カインは反応が遅れていて反撃するのにもたもたしていたから、木々を伝って速やかに抱き抱えて回収する。
「ほら、火取虫みたいに俺にばっか構ってるから、あんな
腕の中のカインは体が痙攣していた。
「ロックバードの息吹に当てられたか。奴の咆哮を正面から喰らっちまうと、身体が岩みたいになって身動きが取れなくなる。“
「か······かッ、は······」
カインは何かを訴えたが、声帯が機能せず声が掠れてしまっている。あんな間近でやられたら、直に意識もすっ飛ぶな。
俺はカインを近くにあった木に横向きに寝かせ、黄色い瞳孔を縦長に細くして睨視してくるロックバードに刀を抜いて向かう。
「さてと。俺今結構苛々してるから、取り敢えず八つ当たられろや」
俺の挑戦状を受け取ったロックバードは、首を荒げて高らかに吠え散らかした。
これだけ活きが良ければ、さぞかし肉も旨いだろうな。
++++++++++
耳がキーンと響鳴して、頭がくらくらする。薄れ行く意識の中、微かに入った視界には憎たらしい野兎の背中が映っていた。
あぁ······情けないですわね。なんとも情けない······。あんなことをされては、嫌でも胸が高鳴ってしまうではありませんか······――――
カインがジンテツに何かと当たりが
クレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエ。彼女との出会いは十二歳の頃、学園ギルドに入学したてのときだった。
当初は、冒険者になろうとは思っておらず、自家ナッツレールの稼業である武具の製作と整備のノウハウを学ぶ為――――というのは家族の意に沿った建前であり、真意は自作の武具を親の目の届かぬところで試作する為だった。
家に秘密にしてまでもカインが手掛けようとしたのは、その昔、大禍『神話大戦』時にとある人外が実際に使用したとされている武具“銃器„だ。
遠距離に対応した代物で、一言で表せば短縮版の砲台。
偶然、実家の書庫で隠すように納められていた古びた羊皮紙を見つけ、そこで銃器に関する情報を得た。
その時、カインは大層感動した。遠距離武器と言えば、弓、投石、大砲のいずれかだ。
しかし銃器は、元来の遠距離武器をよりコンパクトに、よりスムーズに収められている。なぜこんなものが普及しなかったのか、とカインは純粋な疑問を父に訊ねた。すると、カインの父は血相を変えて銃器の資料を強引に奪取し、諭すように告げた。
『カイン、こんなものは知らなくていい。お前のお祖父様も、そのお祖父様も、先祖代々そうしてきた。だからいいね? カインも忘れるんだ』
父に「造らないのですか?」と訊ねたら、しかとされた。
その日以来、銃器の資料をいくら探せど見つけることが出来なかった。別の場所に移したのか、処分したのか。どちらにせよ、あのような芸術作品にもう出会うことは出来ないのかとカインは落胆――――しなかった。
構造、仕組み、用法。父の注意は空しく、彼女は資料の内容をほぼ記憶していた。
今まで親に逆らったことのないカインであったが、このときは己の欲に忠実になった。
家の工房では見つかる。だから、学園ギルドにて密かに組み上げることにしたのだった。
昼は真面目に授業を受けつつ、夜間には自習目的なら使用できる
綺麗に掃除しても拭えない程の、身体の感覚神経に鉄と火の感触を染み付ける。そんな生活を繰り返していたある日、その瞬間は唐突に訪れた。
「うわー、これ全部あなた一人でやったの?」
すぐ後ろから、少女の感心の声があがった。完成間近で特に熱が入っていたため、完全に油断していた。
振り向けば、そこにいた声の主こそがクレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエであった。
「ひ、姫様······?!」
カインは唖然とした。
「なぜ、ここに?」
「私もね、最近から武術の夜間稽古を始めてね。それよりさ、なにをつくってたの?」
軽快な調子で詰め寄るクレイに、カインはひどく戸惑った。式典などで遠目からその姿は拝んでいたが、実際に、しかも手が届く距離で口を利くなんてことは初めてだった。すぐに自分の身なりを確認して、汚れがあれば叩き落とそうと苦心した。
だがそんなことは気にしないとでも言うように、クレイはまたさらにカインとの距離を縮めてきた。
「ねえねえ、教えてよ。これってあなたがつくったの?」
クレイが指差す作業台の上には、まだ試作段階ながら形になっていたデリンジャーがあった。
一度そちらに向き、見られた、と内心穏やかでなくなったカインであったが、目を戻したときにキラキラと目を輝かせているクレイを見て騒がしかった動悸が収まっていった。その為、カインは落ち着いて答えられた。
「はい」
すると、クレイの目の輝きようが増した。
「スッゴーーーーーーい!!!」
「え······?」
「スゴいじゃん! 私とあんまり歳変わらなそうなのに! 天才じゃん!!」
絶賛された。それも、幼稚で大袈裟な大絶賛。
悪い気はしなかったものの、反応に困った。第二皇女に喜ばれたことは、国民としてとてもとても光栄なことだ。
喜べばいい筈なのに、なぜだか素直に出来ない。
「ん? どうしたの?」
クレイは首を傾げた。
「いえ、その······これは、実家ではあまりよろしくなさそうで、特にお父様にバレたら確実にお冠になるだろうものでして······」
自分がやっているのは、父の、先祖代々語り継がれてきた言いつけを破る背信行為。衝動に抗えず、為しているわけだが······そんなことが、果たして許されるのであろうか。
カインは隅に弾き出していた疑念を、声を震わせて吐露したのだった。
言って、後から後悔した。すぐに訂正しようと口を開くも、それより先にクレイが応えた。
「そんなの、いいじゃない!」
「······え?」
「あ! けれど、だけれどだよ!? あなたの家の事情はよくわからないから、あんまり偉いこととか責任を持って言えないけれど、私はあなたのやってることっていいことだと、思うの!」
「いいこと、なんですか?」
カインは片言で繰り返した。
クレイは「うん!」と強く頷いて続けた。
「誰にだって、自分でも止められないものことがあると思うんだよね! 息苦しいし、追い詰められているみたいで胸が締め付けられる感じがしてさ、嫌になってついやっちゃうって気持ちスゴくわかる!」
カインの中で、何かが解れつつあった。
あわてふためくクレイの一言一句は、人前で言えば見苦しい子供の我が儘としか捉えられない。だがしかし、それは間違いなくカインの情熱を確かに突いていた。
「私、応援するよ! あなた······名前なんだっけ?」
「カイン・ナッツレールです」
「カイン!」
クレイは両手を包み込むようにして、ぎゅっと握り締めた。
「私、応援してるから! 将来は一緒に頑張ろうね!」
期待に満ちた熱烈な眼差しだった。新緑を思わせる瞳は宝石の耀きを放っていて、目が離せない。それどころか、満天の星空を眺めているようで吸い込まれる。
「あ、私、ごめんね! 熱心に取り組んでたのに、邪魔しちゃって」
「いえ」
カインはぼんやりと返したが、クレイはさっさと工房を去っていった。
一人残った赤い妖精に灯ったのは、容認されたという仄かな実感。家に黙ってやってきたが、漠然とした自信――――いや、ナッツレール家が手を出してこなかった、実家が隠していた歴史に光を差し込んでやろうという、大雑把で子供らしい壮大な願いだ。
ようやく明確になった。なぜこんなにも銃を造るのに執着しているのか。
寂しそうに思えたからだ。資料があったということは、本来ならばこの世に誕生する筈だったというのに、埃にまみれた日陰にポツンと。
可哀想で、哀れで、どうしても見過ごせなかった。
父はその情けを認めてはくれない。だが、
カインの火は、強く燃え上がっていった。
今まで以上に造作意欲が強まり、それに伴って意気も強く、性格も逞しくなっていった。
"
同時に、ここまで押し上げてくれたクレイには一方的な感謝を捧げていて、彼女の事となると沸点に達しやすくなっていた。よって、カインが情緒の均衡を崩すときは、己の尊厳を犯された時と、クレイに関係した事情に限られ、特に後者に至っては、場合によって前者以上に根を持つこともある。
例外はメイドのアリスと親友のスヴァルのみ。それ以外には、容赦なく並々ならぬ嫉妬の炎を燃やす。
無論、最近のストレスの種であるジンテツ・サクラコ。彼には寮の私室に不法侵入されただけでなく、風呂上がりの無防備な肌身を見られた。
ここまでなら、私的に罰を与えて自然と忘れられた。しかし、ぽっと出のくせに自分を差し置いてクレイに最も近いところを陣取り、今までつけようとしなかった信頼の代名詞『騎士』に採用された。
これだけは認められない。
赦せない。
絶対に駄目。
空前絶後の不平不満が募りに募って、歯痒い熱が増していくばかり。
奴隷と言えど、元はどこの馬の骨とも知れない野蛮で粗悪な不良畜生。
分不相応な輩は排除しなければならない。その筈なのに――――そうしてしまうことに、カインは迷いを感じ始めていたのだった。
++++++++++
涼しげな風が髪を撫でる。
目蓋を開ければ、横に倒れた視線が広がっていて、胡座をかいているジンテツの後ろ姿があった。
重い身体を起こして、周りを見渡す。
木々の群れは薙ぎ倒され、斬り倒され、凄惨で残酷。それでも、青々とした清爽な空がよく見える。
空っぽの小瓶が地面に置かれていて、拾い上げればラベルには『
立ち上がれば、ジンテツの前には首を切り落とされたロックバードの無残な死骸が、何故だか毛皮は剥ぎ取られ、肉は残らず取り出されて骨と別けられて山のように積まれていた。
「これは······」
ジンテツは寝ていた。右手には刀を持ったまま。
状況は明白。
ロックバードは
それをたった一人で討伐した。
魔術を使えない。補いようの無い致命的欠点を抱えていながら、なんたる常識外れ。最早、固定観念が跡形もなくぶち壊されて収拾がつかない。
しかも、
「無茶苦茶なのは風の噂で存じておりましたわよ。だからこそ、私はあなたにクレイ嬢の近くに居て欲しくなかった。ペットにするにしても、あなたのような兎は可愛げどころか危険でしかない、とばっかり――――」
羨ましかった。
妬ましかった。
恨めしかった。
言い訳がよく並ぶ。
恥ずかしい。
見苦しい。
情けない文句がまあ浮かぶ。
意識が薄れて目蓋が閉じる寸前、一番弱った時に見せられたあの背中は、中々どうして頼もしく映ってしまった。
カインは『整心薬』を胸元に持っていき、ドキドキとやかましい心臓の代わりに握り締めた。
この時、自分がどんな顔をしているのか知りたいと思っていた。もし鏡でも見せられてしまったら、心底自分が嫌になるから。
その内、ジンテツが起きて目蓋を擦りながらフラフラと立ち上がった。
カインは急いで背を向けて、頬を揉んで表情を整えてからまた彼に戻す。
「よ、よくお眠りでございましたわね!」
思わず声が上ずってしまった。即座に口を手で隠す。
「あ、なんだ。先に起きてたの?」
「ええ。これのお陰様で」
カインは
「この
しかし素直さが遠退いて、余計な苦言が先走る。
不敬を働いているとわかっていた。一応は恩人、ここはきちんと感謝を告げるべきところであるというのに、この口は何も通してくれない。
この場はそういう文句は要らないのに――――。
「まったく、あなたという方は。野生育ちだと、ものの価値もわからないのですわね。ほとほと、呆れてなんとたしなめればいいのやら――――」
「別にいいよ」
「え······?!」
ジンテツは納刀しながらカインに歩み寄り、彼女の手から
「殺し合ってるときに、うーうー他所で魘されられていたら、集中できないでしょ」
「······あ"ッ?!」
カインはこの野兎に、少しでも思いやろうとしたことをひどく後悔した。やはりケダモノはケダモノでしかない。熱かった顔と胸が急速に冷めていく。
そんなそっぽを向くカインに、ジンテツは彼女の顔色を目線を合わせて確かめ、気が済むと頭を撫でた。
「ま、さっきより顔色良くなってるから、ええか」
あっさりした言い方だったが、撫で方には気を遣っているように感じた。まるで母親に褒められいるかのような、不思議と安心させられる。
言葉と行動の落差は滅茶苦茶。突っぱねるような言動をとったかと思えば、きちんと心配してくれている。
こうもすれ違った態度を前にされたら、どう反応すればいいのかわからなくなってしまう。
また熱が灯る。
今度は顔を見られたくないから、深々と俯く。
「急に黙りこくっちゃった。腹でも壊した? 賞味期限はまだだったよな? ああ、まだだよな」
空気を台無しにする台詞が、聞いてて気が楽になる。
クレイもこの気持ちを体験したのだと思うと、不躾で無礼で分不相応な胡散臭い野兎を側に付けた理由がよくわかった。
「その、一応は礼を言っておきますわ。恩人に対して何も無しでは、ナッツレール家の娘として名折れですもの」
張った胸に手を当て、カインは堂々とした威厳を放っているつもりで言った。ジンテツの反応は希薄で、気になって「どうしましたの?」と訊ねたら――――
「さっき、嫌味から言ってきたのはのはなんかのマナー?」
「はぁぁぁぁぁぁぁ!!! そ、それは、その~、なんと言いましょうか······」
カインは言葉を詰まらせた。
お礼を言い慣れていないから、ついいつもの調子で反対の文句を唱えてしまった、なんて色々と恥ずかしくて言える訳がない。
この野兎を相手にするととことん狂わされる。
自分にとって良い方を選んできたつもりだったが、今度ばかりは迷走してばかりで自分に嫌気が差してくる。
「その節は、大変失礼な態度をとって申し訳ありませんでした」
「······」
「わたしは、あなたのことが羨ましくて······」
「羨ましいって?」
ジンテツはのんびりとした口調で訊ねた。カインは顔を赤くして、腰の前で両手を何度も組み換えながら弱い声質で答えた。
「あなたが、クレイ嬢の騎士になったことが」
ジンテツは疑問符をあげた。
「それって、カインが騎士になりたかったってことか?」
「いいえ! そういうことではなくて。ただ、私達は長年の友情といいますか、それなりに期間があって今の関係が成り立っているというのに、どこからともなく現れたあなたは、ほんの半年もしない内にすんなりとクレイ嬢の一番近いところに居座ってしまわれたので」
「······悔しかっ、たん?」
確認しながらのジンテツの問いに、カインは静かに頷いた。
「なんだ。そんなことか?」
「そ、そんなこととは?! 私にとっては、割りと深刻な悩みなんですのよ!」
「要するに、カインは俺がお姫様との距離が自分よりも近いことが気に入らない。自分の方が先に出会って、仲良くなったのに」
ジンテツは腕を組んでつまらなそうに言った。
「俺からしたら、アンタらの方が羨ましいって時々思えるよ」
カインはきょとんとした。ジンテツの言っていることが、一瞬理解できなかった。
「あの、それはどういうことでして?」
「アリスから聞いたんだけどさ、『騎士』って雇い主と一蓮托生なんだって。しかも、それ以前に『奴隷』だし。
嘲笑されて一度はムッとしたカインだったが、ふとジンテツが今言ったことを頭の中に浮かべたとき、言い知れない違和感が生じていたことに気づく。
それを確かめようと呼び掛けるも、より早くジンテツが先行してしまったため、出来ず仕舞いとなった。
その後は何事もなく、クレイとスヴァルとの合流を果たした。
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