満ち標【シュバリエ】




『これ、遅くなっちゃったけれど。晴れて冒険者になれたお祝いに······』


 と、頬を赤く染めたお姫様にネクタイを渡された。いや、こういうのは贈られたっていうんだっけか。

 緋色の布地に白薔薇が刺繍されている。

 お姫様のデザインらしいが、まあまあ、悪くないんじゃないの。あいつにしてはセンスはいいと思う。

 飾りは邪魔で苦手だが、付けてなかったらいじけそうでそっちの方がめんどクセェ。取り敢えず、ベルトに巻いといてやろ。

 街の賑わいを耳にしながら、今日の昼飯を求めて散歩に出る。四方八方から旨そうな飯の匂いが漂ってきて、腹を何度も鳴らされた。

 そろそろ決めないと、空腹が行き過ぎてぶっ倒れそうだ。

 お姫様は一人――――――――で仕事に出掛けているから、めんどクセェことに自力で調達しなきゃなんだよな。いつも通りパンにしようか、スープにしようか、肉にしようか、野菜の炒め物にしようか。

 こういうとき、迷うから地味に苦手なんだよな。


「ねえ、あれ見て」

「あれって、姫様の」

「よく見かけてたけど、スゴいよなぁ」

「どうしよう。前にめっちゃ気安く声かけちゃった」


 最近、妙に注目されている気がする。ここに来るまでも、似たようなひそひそ話が耳を掠めた。

 お姫様から“騎士„に任命されて、それが公に宣言されて、新聞が出回った当たりからだな。

 信じがたいが三、期待が六、残りは警戒か。

 アリスから聞いた話では、俺の評価は随分と良い方に転がりつつあるらしい。『ビルアの街の惨劇』で、俺が首謀者を押さえたという話が転機になった。

 お姫様は嬉しそうにしていたが、果たしていいことばかりなのだろうかね。少なくとも、周りの反応はよろしい。目がキラキラしていて、まるで人気者に向ける憧憬。

 敵意とか嫌悪よりかは幾分マシだけど、なんだか面と向かいにくいな。あとうるさいし。


「麺にしよ」


 取り敢えず、キュクロプスのオヤジが営む麺もの専門店にてトマト煮こみの細麺をいただくことにした。

 そう言えば、なんか大きく変わったなって思うことが一つだけあったっけ。


「こちらの品、喉ごしがスッキリしていて大変人気があります。トマトとオリーブがベストマッチしており、チーズの溶け具合も絶妙に麺とよく絡み合って、茹でたての熱もあって冬を越すならこれを食べなきゃと称される程の一皿を、我等が第二皇女の騎士様は昼食に選ぶ、と」


 俺の隣でカシャカシャと映写機を光らせ、カリカリとメモ用紙に何かを熱心に書き記している女がいた。エルフ以上に長く尖った耳に、ゴブリンと同等の小柄ながらも肌の色はこいつの方が濃い緑をしていた。

 スーツの上に乳白色のベスト、下半身は黒いズボンと清楚な服装で、目がすっぽりと収まる程にデカい縁の丸眼鏡をかけているこいつは、ドワーフとゴブリンの混合種ハイブリッド、グレムリンだ。

 気づいたらなんか後ろからついてきていたこの女、さっきからぶつぶつと言うだけで危害は加えてこない。


「はい、一枚撮りまーす」


 前言撤回。映写機の光がチカチカすんのが超煩わしい。


「お前、誰?」


 訊ねると、グレムリンの女はハッとして右手を頭の斜め前に持っていき慌てた様子で答えた。


「これはこれは失礼いたしました。なにぶん、自分は取材の事となるとそれ一辺倒になってしまいます故。私はキャリバン・ヨークシャーといいます。【真珠兵団パール】は情報管理部収集課に所属している者です」

「情報管理部収集課?」

「はい。簡単に申しますと、学園ギルドへ情報を供給する為に方々へ出向く裏方部署とでもいいましょうか。まあ、要するに取材記者ですね。ハイ。例に挙げると、新聞に記載されている内容等が、我々の働きによって得られた情報ですかね」


 取り敢えず、このキャリバンって奴がなんなのかはわかった。

 学園ギルドには、冒険者とは別で区切られている部署があると聞いたことはある。所属はギルドだが、活動の幅広さと区衛兵とも連携することも多いことから第三勢力として別枠扱いされている。国中の出来事を一通り把握、掌握している部署。それが情報管理部らしい。


「で、そいつが俺に何の用だ?」


 大体予想はつくが。


「実はですね。あなた様の特集を組みたいという話があがりまして、私が担当する運びとなりまして」


 キャリバンは目を輝かせて言った。

 やっぱり。


「それにしたって、いきなり過ぎない? こういうのって、事前に話が来ているものだと思うんだけど?」

「突撃取材の方が足が速いので」

「なんで俺なんだ? 他に取材することくらい、ぞろぞろあるだろ?」

「ここ最近の評判を独占しているのはあなた様ですので」

「言うほど需要も価値無いだろ?」

「いえいえいえ、そんなことは滅相もございませんよ」


 キャリバンは満面の笑みで迫ってきた。


「ジンテツ・サクラコといえば、私達情報管理部の間では常に話題の中心。訳あり、曰く付きと、隠しネタに溢れた人材は我々にとってまさに特ダネの宝物庫。内情だけでも魅力的であるというのに、外見ビジュアルもよくよく拝めば美麗で映えそうと、これほどそそられる素材を前にして動かずにいられるとお思いでッ?!」


 話す内にギアが上がっていったようで、キャリバンの目は瞬きを忘れたみたいに血走っていた。

 めちゃくちゃ強引な奴だった。

 放っておいている内は気にならなかったが、今の熱量を聞いてしまうと途端に落ち着かなくなってきた。

 取り敢えず、面倒な事になりそうなのは決定的だな。情報管理部に目をつけられたとなると、冒険者や区衛兵等に探られた時以上にしつこく追い回されるかもしれない。

 警戒しておくべきか。


「さらには第二皇女様が直々にお選びになった騎士!! やはり、これに尽きますね!!!」

「え?」

「え?」


 ちょっと待てよ。


「キャリバン」

「はいはい?」

「お姫様に騎士にされたってだけで、動いたってこと?」

「まあ、前々から目を付けてはいたのですけれど、あまりに裏が深そうってことで敬遠され続けていたんですよ。今か今かと待っていたところに、姫様からの騎士任命宣言」

「そこだよ」

「え?」

「なんで騎士にされたってだけで、一気に注目が集まるんだ? 別に、そこまで特別なものじゃないでしょ」


 そう疑問を投げると、キャリバンは首を傾げた。その反応でさらに疑問が増す。


「もしかして、ご存じないんですか? 姫様に、騎士として選ばれたことの意味を」


 俺も首を傾げた。

 身分とか評判は、俺にとっては名前や看板と同じだ。それをそうと認識させるためのもの。だから、誰にどんな名前を与えられたところで、興味も関心も無い。理不尽に酷い時は流石にキレるが。


「その様子だと、理解されていないようですね。――――一旦、外に行きましょう」


 ひそひそと言ったところで、俺は代金を払ってキャリバンの後についていった。人気の無い路地裏の奥へ入っていった。日が射さないから昼なのに薄暗く、少し生臭い。


「ここなら大丈夫でしょう」


 キャリバンは、注意深く周囲を見回しながら俺の方に向いた。


「サクラコ様、あなたは噂に聞く通り世情、というか常識に少々疎い部分があるようですので、ここは情報管理部の中でも特にフットワークが軽く実力のある私からご説明致しましょう」


 耳をピクピクとさせて自慢げに言った。


「いいですか? 『騎士』という身分についてご存知で?」

「ああ」

「では、姫様が今までに騎士をお選びになったことは?」

「知らないな。なんで?」

「成る程」


 キャリバンの目が眼鏡の後ろで光った。「これは、予想以上かも」と、メモ帳で口を隠して呟いたのは取り敢えず無視してやろう。


「歴史上において、『騎士』を取らなかった王族はいませんでした。ただ一人、クレイ姫様を除けばね」

「それがそんなに珍しいのか?」

「はい。貴族ならまだしも、王族の騎士任命は義務でありますからね。姫様の妹君だってつけてらっしゃるのに、姫様は頑なに騎士を抱えようとしませんでした。理由はわかりませんけどね」


 キャリバンの話の雰囲気からして、お姫様が益々異端児のように思えてきた。前に王族と血の繋がりが無いことを気にして卑下していたくせして、一人だけ違うムーブを噛ますとはまあまあ大した奴だよ。

 取り敢えず、それは置いておいて。

 俺からすれば差程重要でないのに反して、お姫様が幼い頃から知っている国民からしたら劇的な変化であるのに違いないらしい。

 ――――妙に気になるな。


「というわけで、姫様に騎士に任じられるということは、姫様に最も信頼されている勇士と同義。よって、必然的に人々の注目を浴びるのは当然なのです」


 キャリバンからの解説は終わった。まだ納得できないところはあるが、そういう事情があるなら目を瞑って放置しやるとしよう。



 ++++++++++



 ――――と、決め込み、耐えられていられたのもたったの一時間だけだった。

 散歩の続きをしていたのだが、言わずもがなついてきたキャリバンから聞こえてくる映写機のシャッター音とメモの筆記音があまりにうるさかったため、屋根伝いで逃走を図った。

 気持ちよく昼寝しているってところで、構わずカシャカシャ、カリカリと音を立ててきやがって。我慢できるわけがない。

 フットワークが軽いとは言っても、冒険者相手に張り合える身体能力までは持ち合わせていないか。そこまであったら、なんだか引く。

 取り敢えず、バラバラの方角に向きを変えながら跳んだから、すぐには追い付けない。勢いのままに逃げてきたから、現在地がすぐにわからない。

 区を囲う外壁が高く見えるってことは、かなり端っこに来たみたいだ。人気が無くて静かだ。

 お姫様から、『一人で壁際に行かない方がいい』と警告されたのを思い出した。なんでも、壁際に行くにつれて柄の悪い連中が多くなるとのこと。区衛兵の巡回があまりないから、ほぼ無法地帯となっているんだとか。別にスラムというわけではなく、単なる“そういう繁華街„らしい。

 正直に言うと、警告される前に夜中に一人で見物しに行ったことがある。確かに、荒れてんなって感じの無頼漢が多かったし、昼間には無かった様々な臭ささが蔓延していた。

 昼は内側が栄え、夜は外側が騒ぐ。平和であることがドラグシュレイン区の自慢らしいが、ここまで混沌としていて平和を気取るとか······いや、昼夜で区切られているから別にいいのか?

 ――――って言うか、一応、第二皇女のお膝元も同じだろ。なんでそんな穏やかじゃない場所が存在しているんだよ。

 そう言えば、話しているときのクレイはどういうわけか頬を赤らめていたな。恥ずかしそうにして。


「暇だし、取り敢えず行ってみるか」


 流石に夜からが本番なだけあって、昼間はシーンとしている。風景は軒並み貧相なもので、焦げ茶色の木造しかない。綺麗とも汚いとも言えない外観は、いずれも見分けがつきにくくなんとも物寂しいものだ。

 俺としては、自然感が残っている雰囲気でまあまあ丁度いいけど。

 微かに酒と煙草と香水の匂いが残っている。夜が明けて半日以上も経っているのに、ここまで残り香が濃いとかどんだけどんちゃんしたんだか。


「ここで昼寝は無理そうだ」


 場所を移そうとしたところで、背後から酒の匂いが流れ込んできた。振り返れば、パンツ一丁のトロールが突っ立っていた。白目を向いていて、なんだか頭がフラフラしている。

 匂いからして、酔っ払いか?


「ぬぅ~······アァーーーー」


 大あくびしたと思えばゲップを出して、トロールの口からむせ返る程の悪臭を浴びせられた。お陰で俺まで気分が悪くなってきた。

 とっとと退散しよう。構われると絶対めんどクセェ。


「ぬぅ~、おーんーな~?」

「はぇ?」


 トロールに呼ばれたと思って首を向けると、腕を大きく上げて突然振り下ろしてきた。なんとか避けて、家の屋根に飛び乗る。


「おい、おっさん。いきなりなんだよ?」

「オメェー、俺の金かえせよなぁ~」

「金だ? そんなの知らないよ。って言うか、俺ら初見なんだけど?」


 否認したが、トロールは受け付けずに憤慨して一つ足踏みした。


「オメェの所為で、俺はいい笑いもんだ! 金だけじゃねぇ! 服も装備もりやがってぇ! かえせ!」


 白昼堂々、冬にパンツ一丁でいる奴となると、そういう習慣を持つ文化人、ただの変態、あとは博打で自滅した馬鹿。しかし、トロールの言い種からして、いずれも違うな。

 女に搾られた口か。だとしても、赤の他人と勘違いするとかウザいことこの上ない。

 俺は屋根から降りて、穏便に説得することにした。


「取り敢えず落ち着け。まずは水でも飲んでさ、ゆっくり話をしよう」

「く言い逃れするか! この泥棒猫めが!!」

「うぉーい、ボンクラ猿ッ! その目玉抉り取って新しいのに換えたろか?!」


 腹立つ! 俺は兎だ! 例え比喩だろうが慣用句だろうが、他の生き物で呼ばれるのは我慢できない!

 取り敢えず、とお灸を据えてやらぁ。


「脳髄、激震させてやる! 覚悟しぃよ、エテ公が!!」


 トロールに向かって直進する。左腕の大振りを伏せて避け、空いた腰に後ろ蹴りを喰らわせる。

 怯ませる程度の軽い打撃だ。真の狙いは、痛みに悶えて片膝ついたその瞬間。顔の位置がいい具合に低くなってくれたところに、痛烈な上段回し蹴りをぶちかます。

 地面に頭が落ち着いて、トロールの意識は派手に吹き飛んだ。


「次、猫っつったら喉噛み千切るからな! 猫嫌いじゃないけど、俺は、ウ・サ・ギ、だからねッ!! あ~――――よし! 取り敢えずスッキリした! 俺、帰る!」


 家路につこうとしたら、騒ぎを聞き付けた住民が家から続々と出てきているのに気づいた。同時に鎧の擦れる音も聞こえて、区衛兵が来ていることもわかった。

 この場を見られたら絶対にめんどクセェことになるな。路地裏からとっとと逃げよ。

 顔は、見られたかもしれない。

 まずいな。この事をお姫様が知ったら、あとでこってり叱られること間違いない。そろそろ戻ってくる頃だろうし、今日は帰れそうにないや。


「しゃあない、適当に暇をもてあそぶか」

「だったら、うちに来るのはどうだい?」


 女の声がした。首を向ければ、家の壁に寄りかかって興味深そうな目をして俺を見ている女が立っていた。

 年齢は、二十歳前半程度。赤紫の髪は波打っていて腰まであった。丈長のワンピース姿で、肩には半透明の水色のストールをかけている。端正な顔立ちやスタイルだが、香水臭い。

 あまり近づいてほしくない。

 そして、手首には隷属輪具スレイブリングを付けていた。


「さっきの見てたよ。強いんだね」


 女は喋りながらにじり寄ってきた。


「そうかい。じゃ、俺はもう行くから話しかけんな」

「待ちな。そう急いでも、あんたに得は無いよ」


 女は、俺の肩を軽く掴んで歩みを止めさせてきた。耳を立てて周囲の様子を探ると、近くに区衛兵の気配がした。足音の微妙な不規則さからして、何かを探しているようだ。

 ······俺か?


「あれだけ騒げば、一人か二人に顔を見られてるかもさ。落ち着くまでしばらくは、私の家でゆっくりしていきなよ」


 俺は女の態度に違和感を感じた。


「なんでそこまでするの? あんたの方こそ、メリット無いでしょ」

「今のあんた程じゃないけどね。まあ、寂しがり屋の暇潰しに付き合ってくれても別にいいじゃないか?」


 区衛兵の足音が近づいてきたのが決定打となり、俺は女の家でやり過ごすことにした。

 その矢先、区衛兵が聞き込みに立ち寄ってきたときにはひやひやさせられた。女がなんとかしらばっくれたお陰で、家宅捜索されることはなかった。

 ようやく息を整えられる。


「汚いところでごめんよ。客人なんて中々招かないからね。まあ、ゆっくりしていきなよ。茶でも飲むかい? 安物だけど」

「あぁ」


 女の家は、見てくれは綺麗な方ではないものの片付いている方だった。家具もベッド、テーブル、二人分の椅子、クローゼットだけと物が少ない。

 昼飯を食べた後だろう塩っぽい残り香のある皿が一枚。それを隠すように、女は横から紅茶を淹れたカップを置いた。渋みの中にほんのりと甘い香りが嗅ぎ取れる。

 あったけぇ~。


「お気に召したようでよかったよ。名乗るのが遅れたね。あたしはアンジー。この辺の酒場で働いてる。さっきは災難だったね」

「あぁ、まったくとんでもないのに絡まれた。お陰でのんびりする気が失せちゃった」

「そうかい。この辺は中央程治安が良くないからね、壁の外と比べたら幾分マシだけど、お姫様お抱えの騎士様が来るには少しばかり刺激が強い。早く帰った方がいい、と言いたいところだけど。まだ少し待った方がいいね」


 カーテンから外の様子を伺いながら、アンジーは注意を促した。それを聞いたら余計に気分が下がった。

 一悶着起こしただけでもうるさいのに、帰るのが遅いとさらにガミガミと叱ってくる。そんな想像をしていると、重苦しい溜め息を吐かされる。


「そう沈むことはないさね。一晩明ければあのトロールも忘れてるし、区衛兵だって諦めるよ」


 他人事だからって、のんびりした言い片しやがる。めんどクセェから、いっそ観念した方が楽か。

 取り敢えずの決着を済ませて、このまま寝てしまおう。だが、背凭れに背中を預けて眠りにつこうとしたところで、アンジーの方からマッチを擦った音が聞こえた。


「煙草は外で吸って」

「なんだい、嫌いなのかい?」

「鼻が利かなくなるから嫌なんだよ。落ち着かない上にムカムカするし」

「そう。わかったよ。じゃあ、少し外に出てくるから、ゆっくりおやすみ」


 扉の開閉を最後に聞いて、俺は小さく開けていた目蓋を閉じた。



 ++++++++++



 真相を明かせば、トロールが追っていた泥棒猫というのはアンジーのことだ。昼は酒場で働き、非番の夜は娼婦として冒険者や区衛兵の相手をし、事が終われば金銭や売れそうな私物を盗み取っている。そんなことを繰り返して、日銭を稼いで暮らしていた。

 過去の標的のしつこさに頭を悩ませていたのだが、お陰で願ってもない大物が現れてくれた。

 今世間で話題の第二皇女の騎士、ジンテツ・サクラコ。

 間違いなく、アンジーにとって現状最大最上級の金蔓カモ。絶対に逃すわけにはいかない。

 まず家に留めるという第一段階は完了した。次は、どうやって奴を堕とすか。

 これに関してアンジーは、家に誘い込むよりも簡単だと思った。何せ、次の段階はベッドに誘い込むのだから。

 であるアンジーにとって、情事への然り気無い移行はおままごとと同じ。経験で得た順序シナリオを組み立てて、自然な流れで実行する。

 性欲も金欲も満たす最高の快楽。相手も溜まったものを吐き出させて貰い開放的な気分になるのだから、相互利益ウィン・ウィンであろう。

 とはいえ一抹の不安が残る。顔もスタイルにも自信がある。故に、これまでアンジーに向けられた男の視線は、は正に雌を眺める惚気た気色の悪い眼差しばかりだった。

 最初は泥の湯に浸かっているような、ただただ尋常ならない気持ち悪さでしかなかった。しかし、男を出し抜くことで感じる優越感に味を占めてから、一変してアンジーも面には出さないしろ内心では見てくるもの達を全て蔑み、いずれは標的にしようと顔を覚えて舌舐りをするようになった。

 なのに、あの騎士兎はどうだ。アンジーを見てもなんとも思っていないようだった。それどころか、避けられている気がする。


隷属輪具このわっかにも特に言及無し。荒っぽい割に、案外初心なのかいね」


 それはそれで、愛らしさが芽生えてくる。

 アンジーが訪れたのは、ドラグシュレイン区でも人通りの少ない東端の通りにある『悪魔ダマシの開き直り』という雑貨店。季節でもないのに、店前にカボチャ頭の案山子かかしを看板にしている風変わりな店だ。

 さらに、この雑貨店は面白い仕様が為されている。それは、正面の入り口と裏口で通じる場所が違うのだ。アンジーは裏口の扉を開けた。

 店内は窓が無いので夜でも訪れたように暗く、灯りは中央に佇む見上げる程に高いカボチャの燭台の中にある蝋燭のみでしかも仄かだ。棚には隙間無くクモの巣が張っていて、床は埃まみれと入るのも憚れる廃墟ぶりだった。

 しかしアンジーは、この情景に慣れていた。店に入ろうとすると、空中に文字が焼き入れるように浮かび上がった。


『恵みか、裁きか』


 アンジーは不適な笑みを浮かべてから答えた。


「"恵まざるは絵空事、裁かれざるは冗談事"」


 文字は火の粉となって消え、扉はひとりでにバタンと音を荒立てて閉じた。そして、静まり返ったと思えば、中央に佇むカボチャの燭台がギザギザの口をニタリと笑った。


「いー、ドキョーだ! そー滑稽な生意気を垂らすのは、どこの誰だと思ったら、アンずィーじゃないっか!」


 燭台は軽快な口調で喋り出し、細い体を捻らせて段々と人型に近づいていった。目と口から緑色の炎を出して、店の主である人外は全容を露にした。

 体は枯れ木のように細くしなやかで、頭はカボチャのランタンそのものが生きている。悪魔を騙したことであの世に行くことができなくなった永遠の浮遊霊を起源に持つ、死霊系人外――――“ジャック・オ・ランタン„だ。


「ハロー、ターニック・B。早速だけどいつもの棚、出してくれる?」

「イーよ、イーよ! アンずィーは貴重な御得意様だからね! このターニック・Bはいつでも力を貸すよー! それ、我が眷属達よ! “魅惑の棚„だよ!」


 ターニック・Bは軽快に叫んだ。すると、店の周囲からカサカサと何かが無造作に蠢く音がして、棚に詰められていたクモの巣が引っ張られるように変形し、向きを百八十度反転させた。

 棚からは試験官が幾つも並び、それぞれから色とりどりの光が怪しく発せられていた。床下からも隙間を縫って煙が立ち込めてきて足元が包まれ、より愉快な胡散臭さが増した。


「で、アンずィー、今度はどんな奴をカモにするんだ? いつもの若い区衛兵に貢がせるのか? それとも、荒くれ者の冒険者に一泡吹かすのか? はたまた、“善良„な貴族からをいただくのかな?」


 ターニック・Bはウキウキとした様子で、両手をこ擦り合わせながら訊ねた。アンジーは自慢気に答えた。


「姫様のとこの騎士様さ」


 聞いた途端、ターニック・Bは目をぎょっとさせた。――――実際は、目と口の炎を一瞬だけボッと噴出させて火の粉を散らした。


「アンずィー? 正気か?」

「正気って?」

「姫様の騎士と言やー、あのジンテツ・サクラコのことだろ? やめといたほーがい一んじゃないか?」


 アンジーはターニック・Bの忠告に、呆れた様子で目をぐるんと回した。


「なにを言ってるんだい? これはチャンスかもしれないんだよ? 一攫千金を儲ける千載一遇のチャンス」

「そうかもしれないが······」


 頭を掻いて憂鬱そうにするターニック・B。


「前に言ったよな? 貴族相手ならまだいーが、王族の関係者には手を出さない方が身の為だって」

「吊り上げた大物をみすみす放棄リリースしろと? あんたにしちゃ、随分と奥手じゃないか? 何かしてやられた因縁でもあるのかい?」

「別に無い、けど······けどだな――――」


 ターニック・Bは、怪しげな商品の売人であると同時に裏社会ではそこそこ名の通った情報屋だった。眷属と達と呼んだ小型の人外を操り、何気無い事情から新聞に取り上げられない事件も彼の耳に届く。

 よって、ジンテツ・サクラコという異常事態に関しても既に八割方把握していた。彼が学園ギルド【真珠兵団パール】に現れた時から、その身に宿る危険性が露呈するまで。


「あいつだけは、“冗談„抜きでやめておいた方がいい」


 アンジーは顔をしかめた。

 ターニック・Bは常に冗談を欠かさない。そんな彼が、『冗談抜き』と言うのがどうにも納得がいかず、理解に苦しんだ。


「あんたらしくないね。怖じ気づいてるのかい? 今更そんな臆病風吹かせて、情けないね」

「アンずィー······」

「今まであたしが、堕とせなかったオスがいたかい? 怪物だろうが、姫様の騎士だろうが、あたしの前ではみんな一緒さ」


 舌舐りをしながら、アンジーは自信満々に息巻いた。清々しく、成功体験からなる絶対的な自己への信頼がひしひしと感じられる様だ。

 実際、ターニック・Bは幾度と後始末に追われたことはあっても、アンジーが男を丸め込むのにしくじったところを見たことがない。だから御得意様として、ご希望のサービスを提供してきた。客の要望に答えるのが仕事、理解したご利用に水を差すのは野暮。危険な賭けでしかないが、この商売はそれでしかない。

 ターニック・Bの忠告を掻い潜り、買い物を終える頃には日が傾き始めていた。

 紙袋を抱え直し、ストールを被って帰路につく。壁際に差し掛かろうとしたところで、後ろから若い女の声に呼び止められる。


「すいません、ちょっといいですか?」

「ん?――――ッ?!」


 声の主はクレイだった。慌てた様子で、走っていたのか息が荒い。


「その、く、黒髪の女の人みたいな人兎属ワーラビットを見ませんでしたか?」


 どうやら、ジンテツを探しているようだった。昼の騒ぎを区衛兵から伝えられたのか、やけに足が速い奔走ぶりだ。


「いいえ。騎士様のことは、見ていませんよ。お力添えできず、申し訳ありません」


 アンジーは無難に、平然としらを切ることにした。


「そうですか。いきなり呼び止めてごめんなさい。――――もう、あの野ウサギったらどこをほっつき歩いて」


 クレイは壁際から走り去っていった。

 安堵の溜め息を吐いて、アンジーは住み処のドアノブに手を掛けた。ジンテツは椅子ごと倒れて床に寝転がっていた。静かに寝息を立てて、起きる気配は無い。

 アンジーは支度を始めた。

 ターニック・Bから買ったキャンドルをテーブルに置いて火を着ける。これから発せられる香りには、獣系人外の意識を鈍らせる効果がある。一度嗅げば、一晩の間は酔ったように頭の中が混濁する。事後は忘れていることが殆どだ。

 カーテンを閉めて、コルセット姿を無遠慮に晒す。下着にも、見たものに扇情的な気分に誘って強制的に発情させる【魅了チャーム】が付与されている。

 極めつけはコルセットと同様の効果を持つ上に、触れたものの心を一定時間奪い、意のままに操る裏モノ"惚れ口紅フレイヤ・リップ"。

 これらでどんな男もイチコロにしてきた。


「今日も星の映えるいい夜になりそうだね。さあ、早く起きて全部あたしに捧げなさいな」


 準備は整った。あとは、ジンテツが香りに誘われて起きるのを待つのみ。しかし、日が暮れて壁際の繁華街が湧いてきたというのに、野兎は全然起きる様子が無い。

 キャンドルを二本追加して、香りを強くする。あまり増やすとアンジー自身にも影響を与えかねないため、これ以上は勘弁してほしいと願うところ。

 ここまでお膳立てして起きなければ、金を得られても消化不良で終わってしまう。アンジーにとってやるだけやって捨てるという下卑た優越感が嗜好であるというのに。


「寝込みを襲うは趣味じゃないんだけどね」


 あまりにジンテツが起きなさそうなので、仕方なく懐から盗むだけにした。発散は別の獲物に出会うまでお預けだ。

 そっと上着をつまみ上げて右手を忍ばせる。姫様の騎士ともなれば、金貨三十枚は期待していい。

 この時、アンジーは完全に油断していた。ジンテツはしばらく起きないと高を括り、大胆にも彼に触れられる距離まで接近したのは全くの誤った判断だった。

 探らせているアンジーの右手は突如掴まれ、瞬きする間に視界が反転。次には、ジンテツに跨がれていた。

 あまりの俊敏な形勢の変化に驚きつつも、アンジーはすぐに冷静になった。


「なんだい? あんたはこういうのが趣味なのかい?」


 アンジーは挑発気味に訊ねた。


「別に」


 ジンテツは不機嫌そうに返した。


「兎は耳がいいってよく聞くけどさ、鼻だって飾りじゃないんだよ。お前からは、うっすらとトロールから同じ煙草の匂いがした。渋みの利いた、神経によく障るヤな匂いだったよ」

「成る程。ちゃんと洗い落としたと思ってたのに、あたしとしたことが詰めが甘かったね」


 即座に観念して、無抵抗の意を力を抜いて示すアンジー。ターニック・Bの言う通り、ジンテツ・サクラコに手を出すのは間違いであった。念入りに準備した裏モノ達が通用している気配はなく、平気で理性を保っているようだった。

 こうも展開があっさりしていると、最早驚きを通り越して敗北が明瞭に感じる。


「で? どうするんだい? 昼のトロールにつき出すのかい?」


 諦観から気の抜けた声でアンジーは訊ねた。

 煮るなり焼くなり好きにしろ。そこまで言う気は起きなかった。彼女の中では焼きが回ったの一言で尽きていた。

 今までろくなことをしてこなかった。いつかこんな風に、罰が下るのだろうと覚悟はしていた。

 欲求不満ではあるが、決着がついてしまえば何をしても無駄。覆せない事柄に泥を投げる程、諦めの悪さを持ち合わせていない。そんな醜い終わり方こそ散々だ。

 そう思っていたアンジーは、唐突に頭が真っ白になった。ジンテツが何も言わずに退いたのだ。

 呑気に欠伸して、怒りをまったく感じない。それどころか、椅子を立て直して座り、眠そうに頬杖に顎を乗せた。


「なんのつもりだい?」


 ジンテツは答えなかった。言うのがめんどクセェと、代わりにまた大きく欠伸した。


「バカにしているのかい······? 一旦諦めて、また期待させるような真似をさせられるのは、女でなくとも一番嫌な屈辱だよ! あんた、わかってるのか!?」


 アンジーは立ち上がって訴えた。しかしジンテツは、呆れたものを見る風に溜め息をつく。


「仕掛けておいて、その言い草かよ」

「······?!」


 顎から右頬に頬杖を置き換えて、ジンテツはアンジーに首を向けた。

 視線に鋭さはなく、冷たさのみがじわじわと伝わってくる。怒りではない。けれども憐れみとも違う。


「なんだい、その目は······」


 いつかの気色の悪さが甦ってきた。


「アンジーだっけ? お前ってさ、なんかかわいそうだよな」

「······は?」


 かわいそう――――その一言を聞いた途端、今までの遍歴が脳裏を過った。

 色仕掛けに簡単に嵌まる馬鹿な男達。彼等の末路を、一つ一つ全て覚えているわけではない。······が、やるだけやって、十分に満たされていた筈なのに、どうにも満足しない自分がいたことに疑念が湧いた。

 サキュバスの性を利用した暇潰し。皆もやっていることだ。なのに、なぜ、どうして············。


「虚しい、だよな」


 俯いていた顔を上げると、ジンテツの顔が眼前にあった。

 ジンテツは、アンジーの隷属輪具スレイブリングを指差して続けた。


「その腕輪、俺のと同じ代物やつだよね?」

「あ、あぁ······」


 弱々しい肯定をしたアンジーの手を、ジンテツは優しく拾い上げ、まじまじと見つめた。

 あまりに澄んだ瞳で注目してくるものだから、アンジーはなんだか恥ずかしくなって振り払った。


「なんなんだい、まったく」

「いや、いい爪だなって思ってさ」

「え?」


 アンジーはきょとんとした。

 彼女の爪は、鮮やかなピンク色をしていた。化粧をしていない誰にでもある普通の爪だ。


「俺の爪さ、結構鋭いんだよな。だから、たまに不注意で物を引っ掻いたりしちゃうんだよね。伸びも早いしで、ちょっとうんざり。でもアンジーの爪ってさ、手入れが行き届いているって言うか、なんか女らしいって言うか、なんてんだかなぁ」


 ジンテツは不思議そうに顎を詰まんで首を傾げていたが、アンジーの爪が綺麗なのは単なる情事で支障が出ないための配慮だ。何か素敵な理由があるわけでも、女として磨き上げているわけでもない。

 ただの勘違い。感性がずれている。

 思わず、笑いが込み上げてきた。


「ンフフフ」

「どうした? なんか変なことを言った?」

「いや、そうじゃないよ。そうじゃないんだけど――――成る程ね。こりゃあ、あたしの手に負えそうにないね」


 アンジーはワンピースを着て、キャンドルの火を消して代わりに普通の蝋燭を立てた。そして、椅子に座ってジンテツに向かって人差し指をくいっ、くいっと上向きに曲げ伸ばしした。

 素直に応じて、二人は向かい合う。


「少し、あたしの話をしてもいいかい?」

「うん。寝るの飽きたから、いいよ」

「ありがとね」


 話す前に、アンジーはテーブルに重ね合わせた両手に顎を乗せて蝋燭越しにジンテツを見た。揺らめく炎の向こう側では、眠そうな野兎の顔が見え隠れしている。

 陽炎でボヤけてもまた出てくるところが、そこにいてくれているんだと現実味が溢れて妙に安心させられる。


「あたしはね、親子で奴隷だったんだよ。しかも廃棄奴隷。知ってるかい? 文字通り、主に棄てられた奴隷さね。母親はあたしが産まれたから見限られた、ってさ、子守唄代わりに寝ているあたしの耳元で囁いてくるんだ。我が子相手に腹いせなんて、物心がついていない頃からあたしの人生は終わっていたんだよ。けど、今更気にしちゃいないさ。面倒だったのはその後だったからね。少し大きくなって、物事がわかるようになったら一方的にポイ棄てされた。自棄だったのには間違いないね。いろんなところを引っ掻き回したものさ。生き延びるために出来ることはなんでもやった。最初は正直、辛かった。怖くて、悔しくて、自分が惨めで、ウザいって言ったらありゃしない。ホント······酷いものさね······」


 顔を上げて、目を瞑れば、愚かで汚い泥にまみれた日々が思い浮かぶ。

 罪を犯すことに抵抗なんてなかった。生きるために、誰だって悪事に手を染める。

 精一杯。

 必死。

 言い訳は幾らでも思い付く。だが、最大の文句が赦されるのならば――――


「こう言うのは身勝手でしかないけどさ――――あたしも姫様に拾われたら、もっと楽になれたのかね」


 かわいそう。

 そんな一言でよかった。

 そんな一言がよかった。

 情けをかけられる。

 憐れまれる。

 慈しまれる。

 遠くにあるものだと思っていた心地好い熱が近くにいる。

 それはアンジーがずっと欲しかったもの。アンジーがずっとそうして欲しかったこと。

 幾らねだっても、絶対に手に入らないと思っていたから。


「そんなにキツいなら、来いよ。お姫様ならまず拒まないし。そうしなくても、他にやりようはある。所詮は一人でしかないだけで、道は選ぶのがめんどクセェくらいに沢山あるんだ。相談なら、暇なときに乗ってやる」


 誰かに寄り添われるのは初めてだった。

 ジンテツ本人にとっては何気無い助言でしない。だが、アンジーにとってはこれ以上ない奇跡。救いの手を差し伸べられているような気分だ。

 胸の奥がどんどん満ち足りてくる。


「そうだね――――もう遅いし、あんたは姫様のところに帰りな。あんまり待たせちゃ悪いでしょ。そのお誘いの答えは、今晩中にじっくり考えてから返させてもらうとするよ」

「そ。じゃあ、忘れないようにしておくよ」

「自分で誘っておいてそれかい? 最後に一ついいかい?」

「ん?」

「なんであんたは······いや、やっぱりいい。止めて悪かったね。さっさと行きな」


 ジンテツはなんだよ、とおもむろに家を出ていった。アンジーはその後ろ姿を、肩まで上げた手を振って見送った。

 以後、ジンテツは未だに彼女の答えを聞けずにいる。



 ++++++++++



 数日後、不穏な記事が出回った。

 壁際の路地裏にて、一人の女性が凄惨な姿で発見された。全身を切り刻まれていたため、身元は不明。だが、両手首に隷属輪具スレイブリングが填めていたことから奴隷であることしかわからなかった。

 犯人は、未だ逃走中――――。





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