戦う事【ディニテ】




 街役場――――四階、休憩室。

 アリスは呆気にとられていた。理由は、シラが一人でダガーテールと張り合っていたからだ。

 銀の装備により魔術が効きにくくなっているとはいえ、動きが見えれば対応できなくない。見えればの話。

 暗い部屋を克服するために魔力で目を慣れさせようとするも、ダガーテールに妨害されて防戦一方を余儀無くされていた。それを解消したのが、なんとシラだった。

 彼女は魔術を発動させた様子も無く、ダガーテールの奇襲に対応している。滞りなく暗視魔術を付与したときには、互角の勝負が繰り広げられていた。

 ダガーテールの軽やかな身のこなしに混乱すること無く、シラは涼しい顔で捌き、隙を見つけてはカウンターを仕掛けて鎧に刃を当てている。

 剣に腕のある冒険者は、スタンダードなスタイルであり人気なことも相まって特に多い。アリスは数多くの剣士を見てきたが、その中でもシラは十指に含めてもいい程に見事な腕前の持ち主であった。

 小柄だと十分な腕力を発揮できないだろうと思っていたが、彼女の注目すべき点はずばり『腕全体の振りスナップ』と『脚捌きフットワーク』。身体が柔軟なのか、シラの腕はしなる程に速く振られていた。

 なだらかな反りを持つ東洋剣故か、得物は剣である筈なのに宛ら鞭のように一閃が煌めく。

 何より、ダガーテールに対応できている要因は後者、見ていると目が回りそうになるまでにシュッ、シュッ、と軽快に変幻する脚の運び方だ。一点を見ているとすぐに消えて別の場所に移っている。

 そんな軽快で俊敏なステップは、ダガーテールの襲撃に向き合うように常に立ち回っている。速さだけなら、剣速に定評のあるクレイ以上だ。

 挙げ句の果てには、あれだけ早く動いているにも拘わらず魔術を一度も行使していないのだ。

 即ち、純粋な武術のみで渡り合っている。流石は獣系人外といったところか、体力が無限にあるのかとツッコミたくなるタフさもまた、シラ・ヨシノという剣士の凄み。


 私、要らないのでは?


 そう自分の存在意義を内心で疑うアリス。だが、ただ観戦しているわけではない。

 シラの動き方をある程度把握して、最適の付与バフを挙げて一斉に発動させる。


「"強化魔術グロウアップ剛腕三倍アームズ・サード】"、"付与魔術エンチャント切味特攻スライサー】【軽量化ロー・グラビティ】"」


 アリスが唱えると、シラの足下に魔法陣が四重に折り重なって光り出した。発光が消えると、自身の身体に変化が生じているのに気がつき、刀を強く振るった。すると、身体はいつも以上に軽くなり、ダガーテールに浴びせた一撃は重さが増していた。

 最早、刀というよりは金棒に殴られた勢いで、ダガーテールは壁を突き抜けて隣の部屋へと消えていった。


「凄い。こんなの、初めて」

「御満悦なようで何より。ですが、まだ終わりではありませんよ」


 注意を促され、シラはダガーテールの飛んだ先に刃を向ける。アリスは魔法陣を展開し次の一手を準備する。


「片や小っちぇくせして剣の腕が立ち、片や魔術のセンスがピカイチ。いいなぁ、バランス」


 ダガーテールが穴から這い出てきたところを、すかさずシラが刃を振り下ろす。手応えがなく、すぐに殺気の元手を辿って天井からの反撃に対応。払い除けて、待ち構える。


「そうだよな。迂闊に前に出れないよなぁ――――"身体操縦アビリティーズ速攻スピーディー】"!」


 ダガーテールは瞬発力を向上させて、屈折した機動をとってアリスに飛びかかった。

 すぐにシラが対応しようとするも、急に強化、付与が解けて身体が重くなり、出遅れた。

 自然に解けたのではない。シラはアリスに目をやった。しかし答えはすぐにわかった。

 他の魔術を行使する際、付与や強化等の補助類の魔術は停止する。即ち、アリスは自ら反撃に出るつもりなのだ。シラは敢えて動きを止めた。


「諦観か? メイドさぁーん!」


 ダガーテールの銀爪がアリスに振りかかる。しかし彼女の表情は、いつも通りの冷たい表情だった。


「いいえ。楽観です」


 そう言って、アリスはスカートを小さくたくし上げた。内側に魔法陣が両足を挟んで二つ開いており、そこから黒紫の鎖鎌が射出。ジャリジャリと音を立てて、鋭利な鎌刃が豹の喉元に迫る。

 ダガーテールは寸でのところを身体を縦に捻って避け、壁に張り付いた。


「っぶねぇ······」

「チッ」


 アリスは下品に舌打ちした。


「なんだよ、それ······」


 鎖は意思があるかのように、アリスのもとへ戻った。うねうねと彼女の周りで待機する様は、鎌首をもたげる蛇を彷彿とさせる。


「自分で考えてください」


 アリスが手を翳すと同時に、二本の鎖鎌は一斉にダガーテールを強襲する。

 避けても追跡してきて、銀の爪で薙ぎ払っても立ち直って来る。そのままアリスに向かうも、もう一本、またもう一本と鎖鎌が伸びてきて悉く防御。

 最終的に、八本の鎖鎌がダガーテールを捕捉していた。


「いくつあんだよ!――――"強化魔術グロウアップ脚速二倍レッグス・セカンド】"」


 速度を上げ、縦横無尽に駆け巡っても鎖鎌は勢いが沈むこと無く、しつこく追いかける。次第に他方向から挟み込まれ、段々と範囲が狭くなっていく。

 ダガーテールは刃が届く前に、再びアリスの方へ向かって鎖鎌を返そうと狂笑して迫る。――――この動きこそ、“優秀な傍役メイド„の狙いだった。

 ダガーテールは彼女の目前でワンステップして頭上。飛び越え、鎖鎌を仕向ける。だが、アリスに届く前に消失した。


「いいこですね、子猫ちゃんギャルソン


 アリスに嘲笑を向けられたダガーテールは、刹那に悟った。その予感は当たっていて、後ろではシラが腰の刀を握り締め、深く構えていた。


「くそ······」

「"風信子ひやしんす抜刀ばっとう虎顎之型こがくのかた"!」


 瞬く間に抜かれた刀身に風が渦巻いて、白虎が咆哮をあげて表出する。シラの振りに連動して荒ぶる白虎は、ダガーテールに牙を剥けて鎧を粉々に噛み砕いた。

 血潮が風に乗って無秩序に飛び散り、瞬く間に部屋全体が真っ赤に染まる。

 ダガーテールは壁に激突して床に落ちた。白目を向いていて、起き上がる気配も意識も感じられない。

 斬撃は鎧の下にまで届いており、肉を深く削ぎ落としたような荒々しい裂傷が刻まれていた。


「【防魔】の鎧を粉砕とは、途轍もなく高密度な魔力ですね」

「恐縮。どうせなら、自分で始末をつけたかった?」

「······いいえ。仕返しならとっくに済んでいるので、特に」

「そう。これからどうする?」


 カーテンを小さく捲って外を眺めながらシラは訊ねた。


「そうですね。そろそろ増援も着く頃でしょうし、そちらの助力ヘルプに入りましょう。賊は私達を驚異に思い、臆した雑兵は外に出て結界に妨害されているでしょう。懸念はありますが、まずはそちらの処置を――――どうかしましたか?」


 シラの横顔が曇っているように見えたアリスは、気になって反対側から外を覗く。すると、異様な光景が目に入った。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 ジンくんに会ってからと言うものの、私の感覚はバグってきていたんだなと今さら自覚した。最初に対面した時、あまりにジンくんが余裕そうに張り合っていたものだから、私、カイン、スヴァルという私の知り得る限り最高の組み合わせなら対処できると思っていた。

 けれども、完全に侮っていた。

 クリオは三人がかりで相手しているというのに、平気な顔をしている。私とスヴァルで気を引きつつ、隙を見てカインが狙撃するという常套戦術が難なく防がれ、スヴァルの氷柱による圧倒的物量攻撃も全て切り裂いてあっさりやり過ごされてしまった。

 私の武器を変形させる魔式"雷の皇帝星ペンドラゴン"。剣から槍、また剣にしてからの弓と次々に変化する攻撃も平然と対処してみせ、私達が心身共に疲弊するばかりだ。


「なんだか、ジンくんを相手にしているみたい」


 対応力だけなら、多分、彼に並ぶかもしれない。

 恐るべし、クリオ・マカイロドゥス。


「へッへ、もう弱音? クレイ嬢らしくないよ」


 そういうスヴァルも、額から汗を流していた。――――厳密に言うと、体温が上がったことで少し溶けている。

 無理しているのが見え見えだ。


「そんなこと言ったって、ぶっちゃけあなた達はどう思ってるの?」

「帰ってアイス食べたい」

「スヴァル様ぁ! それは私の魔力が暑苦しいという遠回しの苦言ですか?!」

「······半分」

「ぎょーッ!!?」


 はぁ~。この二人って、なんで仲が良いのに属性の相性が最悪なんだろうか。変な不条理。

 カインとスヴァルが緊張感無くすようなやり取りをするものだから、クリオが攻撃していいものなのかと、サーベルの柄頭で頭を掻いて迷っている。

 なんて律儀な。もしかして性根はいい人なんじゃと思いたくなる。


「あんた達って、いつもこんな空気で戦ってるの?」

「······なんか、ごめんなさい。緊張感が無くて」

「はぁ、少しは真面目にやろうよ。こっちがバカみたいじゃん。流石にしょんぼりしちゃうんだけど。あぁ、これだから綺麗なとこ生まれ綺麗なとこ育ちの綺麗な綺麗なお子ちゃまってのは······もう······」


 どうしよう。本気で頭を下げたい。石床に頭を擦り付けてでも、この胸のうちでチクチクする罪悪感を綺麗さっぱりに削り去りたい。


「飽きた」

「え?」


 私の聞き間違い? 今、クリオはなんて――――。


「飽きた。あなた達とちんたらちんたら殺り合ってても、全然面白くない。っていうか、面白くなる気配が一向に無い。もう静電気娘へのイライラも萎えて、やる気が出ない。寝たい」


 クリオはだらんと猫背になった。脱力感満載の態度で、威圧感が一気に失せた。


「なにを勝手な――――」

「カッ!」


 カインの言葉が、歯を噛み合わせたような音で遮られた。クリオの口元から鳴った気がした。


「蜂って嫌い。ブンブンブンブンと、羽音がうるさくて寝られやしない。氷って嫌い。触ると冷たくて、食べるとお腹が痛くなる。雷は一番嫌い。ピカって光って、ゴロゴロゴロゴロ。一番邪魔。なんでそうなの? どいつもこいつも、嫌なのばっかり」


 クリオの気配が険しくなった。一睨みされただけで、背筋がゾッとする。彼女の瞳孔が縦に細くなって、吸い込まれるようだ。

 ダメだ。臆したら、ダメだ。


「なにその顔、いいよ。怖いなら逃げても」


 臆しちゃダメ。臆しちゃダメ。臆しちゃ、ダメ!


「逃げるわけないでしょ! あなた達の所為で、この街に住む人達がどれだけ苦しんでいるのか、知ってて逃げるなんてするわけない!」

「またバチバチって、いつまで勘違いを続ける気?」


 クリオは呆れた調子で言った。


「勘違い?」

「そう。勘違い。あんたみたいな甘い連中は、口を開けば皆の為に皆の為にって馬鹿の一つ覚え。本当にバッカみたい。どれだけ大きな群れを作っても、個は個でしかない。だったら、自分のことだけを考えて生きるのが当然の摂理。いや、そうしないと生き残るなんて土台無理な話。あなた達がなぜ他人の為に戦えるのか、私は心の底から疑問に思うよ」

「何を言って······」

「はぁ、やっぱりあの野兎くんの方がよかったなぁ。素直で純粋で自分に正直。その時の気分で動いてさ、まさに『自分の為』のいい見本。なんであんな獣が冒険者そっち側にいるのか、いくら考えてもわからない。あれになら、抱かれてもいいのに」


 何を急にハレンチな!――――じゃない。なんで、奴らはジンくんに対して妙に評価が高いんだ?

 ジンくんの気性は確かに、どちらかと言えば野良魔物クリーチャー寄りだ。思想も思考も、とてもじゃないけれど善人とは言えない。

 元々、野生で暮らしていたのだから、悪人というよりかは動物みたいな気が強い。それもあって、あんなにも勝手気儘が過ぎる性格になっている。


「なんでそう言うの? あなた達に、ジンくんが何に見えているの?」


 私は思わず問い掛けていた。私は今まで、ジンくんを否定する言葉しか聞いてこなかった。それはクリオの言う、綺麗なとこ生まれ綺麗なとこ育ちだから、頑なに認められなかった。

 逆を言えば、彼と同じ四六時中命懸けの境遇であったのなら、少なからず共感できるところがある。

 ジンくんは野生の権化。純粋であるということは、善でも悪でもない。故に、ジンテツ・サクラコはどちらにも偏らない行動理念を持つ。それを良い、悪いで分別をつけるのは考えればおかしな話に聞こえてくる。

 クリオにそう言わせたのは、私達にわからないことがわかっているから。そんな不満が口から出てきたのだ。


「何に? さっき言ったでしょ。自分に正直なところ。異様だけど、中々に惚れ惚れさせられた。初恋のときを思い出したよ。グローリーの奴が野兎くんを仲間に引き入れたいと言ったときなんか、迷わず同意したね。ホント、あれはあんた達には勿体無い」


 聞いているだけで、ただただ不快を誘われるだけだった。結局はクリオやグローリーも勘違いしているだけだと、そう反発したかった······筈、なのに――――。

 なぜだろう。どうしても、否定しきれない。もしもここで否定したら、私達もやはりジンくんのことを認めていないんじゃないかと、そう思っているようで怖い。

 実際、後ろの二人の反応を振り返って覗いたら、どっちも難しい顔をしていた。カインもスヴァルも煮え切らないんだ。まだそこまで関係が深いわけじゃない。どころか、まだ警戒していて溝が埋まらないから。

 二人がそうなら、私はどうなの?

 この場の誰よりも彼に近づいている私なら、皆の意識を変えられる?

 わからない。できるかどうか。私もまだ怖いんだ。

 ジンくんに黒霧を使わせないようにしたのなんか、周囲にバレないようにするのは勿論のことだけれど、あの状態の彼を見ると身がすくんで近寄れなくなるからだ。

 安寧な暮らしを確立する手助けをする。そうカルス様と約束までして······いや、これは建前。そうでなかったら、私は適当なところに振り分けてそのままなるようになれと楽観的になって放置したと思う。

 我ながら、なんてあまりに無責任な。そんなので、一国の皇女を名乗れるわけがない。父王や兄上は、口癖のようによく言った。


『王族足るもの、如何なる民の声も聞き入れて然るべし』


 国籍がどうとか、思想がどうとかそもそも関係無いんだ。大事なのは、個人の“尊厳„なんだ。

 いろんな人が如何に嫌な評価を下して、突っぱねて、無視したとしても、私は味方であり続けなければならない。当人の“尊厳„を尊び、受け入れ、抱擁する。

 正解か不正解なんて一々考えちゃいけない。その時点で見方は他と変わらない。

 寛容とは少し違うけれど、私が取るべき態度はこと。天秤の皿が傾くようなら、持ち上げて均等にする。

 だから、クリオの言い分も、ジンテツの在り方にも、私なりに応えなきゃいけないんだ。私が一番嫌いなのは、みんながバラバラであることだから。

 まずは冷静になって、私から“ひとつ„になろう。


「ふぅー、勿体無い、か。確かにそうかもしれないわね」


 後ろから、カインが「クレイ嬢?」と動揺している声が聞こえた。今はクリオに集中したいから、一旦置いておく。


「ジンくんは、とてもじゃないけれど冒険者向きの人格とは言えない。それには正直、同意してる」

「ふぅーん。少しは見方が変わってくれた? いつでも歓迎するよ」

「違う」

「ん······?」


 クリオは不機嫌そうに、眉間にしわを寄せた。険しかった視線が、瞳孔がより細くなって一層鋭さが増す。


「ジンくんは他とは違うし、善人とは言い切れない。自分勝手で気分屋で、一向に私の言うことを聞いてくれないし、ワガママだし、じっとしてくれないし、身分そっちのけでぶってくるし、ただでさえ色々と扱いづらい立場にあるって言うのに、こっちの苦労を一切配慮しないで気づけばどっか行ってて、かと思えば空気を読んで、本当にわけがわからなくて困らせられることばかりだよ。――――でも、一つだけ確実なことだけはわかる」

「へぇ~。なに?」


 ひしひしと、クリオの中で怒りがこみ上げているのを感じる。今にも襲い掛かってきそう。


「あなただって言ったでしょ? 自分に正直なところ。素直で純粋なところ。もっと深掘りして言わせてもらうと――――」


 自然と浮かんだのは、ジンくんの寝顔。安らかで、穏やかで、悪戯するのも憚れるような、まるで子供みたいな愛らしさを覚えさせられる。

 多分、私がジンくんに対して一番安心するのは、彼が寝ているときだ。でないと、こんなときに出てこない。


「あのウサギは、縛られるのが一番嫌いなの。そもそも組織に合う気性でもない」

「じゃあ、なんであいつはあんた達緩い連中と一緒にいるの? それもただの気紛れ?」

「さあね。それは本人の口から聞かない限りはわからないわ」


 クリオの顔が歪んだ。隠れている口元も、きっと歯噛みしているかもしれない。

 私は細剣ブランディーユを強く握り締めた。


「······はぁ、顔色が良くなったね。なんかもうキラキラしてて、ウザいを通り越して憎悪固め殺意マシマシって感じ。綺麗に殺して、剥製にしちゃお。あと氷の方は分解してかき氷屋に高値で売りつけてやろっと。豆鉄砲は······どうしよっかな?」

「ちょーい! アタシの後始末だけなんか惨すぎない?!」

「誰が豆鉄砲ですって!!?」


 クリオが強襲してくる。私が受けて、カインとスヴァルがそれぞれ弾丸と氷柱で挟み撃ちする。

 クリオは即座に私を弾き飛ばして、側方倒立回転で後退して紙一重で避けた。

 着地の膠着を狙って下から斬り込む。これにもクリオは後方宙返りで掻い潜り、壁に着地して間髪いれずに突撃してきた。


「"雷帝の【盾兵ブークリエ】"!!」


 瞬時に盾を作って、ギリギリで防ぐ。

 スヴァルが横から一蹴してクリオは距離を離し、そこにカインが機関銃を取り出して連射。私も盾から弓へ変形させて加勢する。

 豪雨のような弾幕が無秩序にクリオに注がれる。前にジンくんに仕掛けたときは、森ということもあって広くて遮蔽物が多かったために身体能力の高さで負けた。

 けれど、今回の環境はまったくの正反対。広くもなければ、遮蔽物も無い。この好条件に最適なタイミング。確実に仕留められる。

 しかし、クリオの能力は私達の想像の上を行った。サーベルの護拳に人差し指を通して旋回させ、それで即席の盾にして私の矢とカインの弾丸を防ぎきったのだ。

 これには、驚愕を隠しきれなかった。私よりもカインの方がショックを受けているみたいだった。


「甘い、緩い、易すぎる。あんた達、冒険者やって幾ら? こんな戦術、今までに何度もあった」

「じゃあ、これはどう?――――"Kー1=ケー・ワン貫脚フット】"!」


 スヴァルがその場を踵落としをして、瞬く間に床を氷が張ってクリオの周囲に頭を越す程の氷柱が伸びて氷の格子が出来上がった。

 すぐに意図を汲んだカインが、拳銃に取り替えて氷の格子に向かって四発の魔力弾を打ち込んだ。


「なんの真似? これで拘束したつもり?」


 クリオは飛び越えて脱しようとしていた。

 別に舐めているつもりは無い。これは私達のチームワークを象徴する連携技の一つ。

 スヴァルが囲い、カインが付与し、締めに私が弓から雷を一点に放出する。


「"合成魔術ユニオン三色真珠のトロワペルル・拷獄プリゾン】"ッ!!」


 スヴァルの強固な氷の格子には、カインが属性魔術の伝導性を高める【伝導コンディクション】を付与した弾丸が撃ち込まれている。そこへ私の雷が加われば、忽ちなんの変哲の無い氷の囲いが、バリバリと青い雷光が激しく迸る光の檻と化す。

 迂闊に脱出しようとすれば、雷に直撃してよりダメージを受けることになる。この魔術戦法にクリオは対応が遅れ、ようやくまともに攻撃が当たった。

 痛ましい悲鳴が耳を打ち、雷光が部屋全体を包んだ。収まったときには、クリオは膝立ちになっていて肌が黒く焼けていた。


「死んでない、よね?」

「いつものことだけど、締めにやった本人がそれ言う?」


 スヴァルから苦笑を受け、代表して見に行く。肉が焼けた匂いがして、鼻を腕で覆う。

 脈を計ろうとして首筋に手を伸ばす。触れようとした寸前、クリオの瞳孔が私を貫いた。

 反射的に後退して距離を開ける。


「いやいやいや、大変よーくできましたぁ~。あんた達は、見事に虎の尾を踏み抜いたよ。剣でバラすのはヤメだヤメだ。この"剣牙キバ"で、肉の節々を骨の髄から食い破ってやるぅ!!」


 クリオは目から下の黒い布をぞんざいに外して捨てた。顎まで届きそうなくらいに長い犬歯と、大きな口があらわになった。

 虎、いや、獣人にしてはあまりにも大きい。まさか、クリオ・マカイロドゥスって――――。


「古代種サーベルタイガー!?」


 私の予想は当たっていたようで、クリオは嬉しそうに牙を掻いて微笑んだ。


「物知りだね。そうだよ。私は、神話の時代を生きた古代種の血が通ってる。隔世遺伝ってやつで、最初はこの牙が気色悪いだのって、子供はおろか親にまで気味悪がられてな。おかげで友達なんか一人もできなかった。私もこいつが嫌で嫌でねぇ。けど――――」


 クリオは近くにあったソファーに向かって大きく口を開け、カッと大きく牙を鳴らした。するた、ソファーは噛みつかれたように派手に引き裂け、中身から白い羽が飛び散った。


「これできるって知って、一気に好きになったよ。私を見下した奴らに見せたらさ、揃いも揃って目の色変えて、媚び売るようになって。あのときの恐怖でガクブルしてる顔ったら、もう優越感に満ち溢れたなぁ」


 クリオは恍惚とした表情を浮かべていた。なんて歪で、暴虐的な性能。

 牙に魔力を込めて攻撃範囲を広めた強引な拡張魔術。それもかなり研鑽されている様子だ。

 魔法陣単体では呆気なく破られてしまうかもしれない。余計な凶器が加わってしまった。


「じゃあ、その自慢の牙、どれくらい強いのか試してみちゃおっかな!」


 スヴァルが氷柱を射出した。いつものよりも硬度が高く設定されている。しかしクリオは、ソファーにしたのと同じ様にあっさり噛み砕いた。


「マジ? 今の、剣が折れるやつぅ~」


 スヴァル、困惑しすぎて声が沈んでる。

 私もまさかこんな簡単に防がれるなんて思ってなかったから、改めてクリオの厄介さに鳥肌が立った。この分じゃ、さっきの技はもう通じない。


「要は固形物でなければよろしいのでしょう? ならば、私の連雀罸グジロコプで」


 カインが機関銃をクリオに向けて発砲した。


「見えてるんだよ。あんたの豆鉄砲は!」


 クリオは、連射される弾丸を弾きながらカインの方は突進した。到着寸前に私は二人の間に割りいって、凶刃を防ぐ。


「ちっ!」

「カイン、離れて! 【過身鳴サージ】!」


 体内の魔力を振動させて一方へ放ち、電気の衝撃波を撃ち出す。クリオに直撃し、一瞬硬直した。その隙をついて、スヴァルと一緒に追撃する。


「本当に、これだけは気に入らない!!」


 なんて奴だ。身体が痺れてろくに動けない筈なのに、強引に振り切った。けれど、流れはこっちにある。このまま勢いを崩さずに押し切る。

 そうしたいのに、クリオは私達の猛攻に屈するどころか徐々に調子を取り戻しつつあり、対応が早くなってきている。

 スヴァルの冷気を纏った蹴りを避け、私の電気の刃を受け止め、同じ攻撃をして押し返される。

 私はすぐに立て直して、槍に変えて反撃した。息つく暇を与えないように、攻撃の手を緩めない。

 体力も魔力も私達の方が上なんだ。クリオだって、もうギリギリの筈。

 しつこく攻め続ければ、きっとすぐに崩れる。


「本当になめられたものだね」

「ッ?!」


 クリオは私の槍を牙で受けた。瞬時にマズイと思って、彼女から距離をとろうとした。けれど、クリオはついてきてサーベルを伸ばしてきた。

 このままではお腹を貫かれる。

 咄嗟に腹部に魔力を集中して防護魔術を施す。しかし間に合わず、サーベルの切っ先がお腹に刺し込んでくる――――


「【射撃シュート】!」


 背後からパァーンと発砲音が聞こえ、鼓膜に来る刺激で目を瞑る。床に放り出された感じがして目を開けると、頭から血を噴き出して体を仰け反らせているクリオが写った。

 刺されたお腹は傷が浅く、触れると少し血が出ている程度だった。振り返れば、カインが狙撃銃を構えていた。


「クレイ嬢、まだですわ! 咄嗟に狙撃したので、きちんと狙えていません! まだ、仕留められていません!」


 カインの注意ですぐに向き直る。

 フラフラしながらクリオが起き上がってきた。


「頭はやめてよ。血で前が見えづらくなるんだからさぁ」


 額の流血を拭ったと思えば、クリオの姿が消えた。次の瞬間、景色が瞬く間に一変し、気づけば廊下の壁に激突していた。遅れて横腹に激しい痛みがやってきた。

 この感覚、殴られた? いや、蹴られたのか。


「いった~」


 完全に油断した。防護魔術をしていないから余計に痛い。体を少し傾けるだけで骨が軋んでジンジンが強まる。

 二人は? スヴァルとカインは――――。

 心配していると、私が飛ばされた部屋から氷が爆散してきた。さらに険相を浮かべたスヴァルが、カインを抱えて飛び出してきて、私の横に止まった。


「クレイ嬢、大丈夫?」

「なんとか。クリオは?」

「あのブスね、とんでもないよ」


 スヴァルが珍しく『とんでもない』って言った。彼女は狩猟民族の出身だから、生物の機微に敏感だ。

 私の中での評価は、クリオのタフさと精神性が尋常でないこと。いろんな悪党の中でも群を抜いて。私でその程度だったのに比べて、慎重に見定めるスヴァルが『とんでもない』と口にした。

 相当なことだ。早く意識を改めないと、追い付けなくなる。

 そう思った矢先にクリオが突撃してきて、スヴァルが即座に氷壁を立てて防護。クリオは凄まじい剣幕を立てていて、まさに獰猛な獣のそれだ。


「ここでは場所が悪いです。お二方、奴を倒すにはまだ火力が足りません。暫し相手を願えますか?」


 カインから提案が出て、私とスヴァルはすぐに首を縦に振って行動を開始した。


「鬼さん、こっちら!」

「手の鳴る方へッ!」


 私とスヴァルはそれぞれ逆方向に向かって散会する。その際、置き土産に雷撃と氷柱で挟み撃ちしてカインの姿を隠す。

 クリオは本能的に私を追ってきた。


「"雷帝の【弓兵アルシェ】"――――"雨の射撃ブリュイ・フレッシュ"!」


 秒速五十本、廊下を埋め尽くす程の雷の豪雨。どれだけ俊敏に動けても、この規模なら何発か絶対に当たる。


「邪魔!!」


 ――――と思っていたときがありました。

 さっきまでの緻密な剣術がいずこへと、まるで別人になったかのような野生的で荒々しい剣捌きで私の矢を振り払った。というか全て払い切れなくて、数本は体に刺さっていた。

 それでも足取りは変わらず、突進は収まらない。荒れ狂う様はジンくんを彷彿とさせる。

 っていうか、理性ある? 無いよね!?


獣系じゅうけいってみんなそうなの?!」


 弓の牽制は最早無駄だ。こうなったら、全速力で逃げるっきゃあない!!

 軋む体に鞭を打って、全力で翅を動かす。

 捕まったらぐちゃぐちゃに握り潰されると思って、私の翅、超動いてェェェェェェ――――!!

 私は息が止まっているのを忘れる程、速く速く飛んだ。角を曲がるときは勢い余って壁にぶつかったり、床に転んだりしても痛みそっちのけで翅に魔力を集中した。

 翅が千切れそうで痛い。顔も引き釣りそう。

 クリオとの距離なんてわかりたくもない。一々振り返っていられないし、そんな余裕あるわけない。辛うじて、グァァァ、って猛獣が怒って吠えているような声が聞こえてくる。それで一応はクリオの存在が確認できる。

 階を跨いで追跡劇はしつこく続き、再三、二階へ続く階段を降りて曲がったところで、待ち構えていたスヴァルが見えた。

 私はやっとか、って目の端が熱くなった。


「"Kー2=ケー・ツー貫脚フット】"!!」


 悪戯な笑みを浮かべたスヴァルは、強く踵を振り下ろした。すると、一瞬で廊下の全体が氷で包まれて冷気の洞窟へと変貌した。

 私はスヴァルに受け止められ、一息つく。

 廊下に目を戻すと、クリオは氷に巻き込まれて足元を凍らされ身動きが取れなくなっていた。踠いて脱出してあるようだけれど、氷はびくともしていない。


「魔力密度70%で張ったんだ。熊十匹で殴ろうが傷一つつかないよ。カイン、今の内に派手なのいっちゃって!」

了解オントンデュ!!――――"機煌士ヴァーミリオン=第三次幻奏トライディメンスィオーネオーバ"」


 カインが構えたのは、ジンくんとの試合で使った大きな狙撃銃だ。既に弾は装填済みのようで、銃口から熱気と赤い光が溢れている。


「お二方、耳を塞いでくださいまし! "超収束【発射バースト】"ォォォ――――!!」


 カインに言われてすぐに耳を両手で塞いだけれど、それが意味を成さない程にキーンと酷い耳の奥まで響いてきた。スヴァルの建てた氷の盾を通して目映い閃光で、視界は白一色に染まった。

 少しして目のチカチカが収まって、耳鳴りも落ち着いてきた。感覚が正常に戻って、目の前の光景が鮮明に写る。

 白氷で埋め尽くされていた廊下が一転して黒く焼け焦げ、最奥には大穴が空いていた。

 クリオはというと、同様に真っ黒になってうつ伏せで倒れていた。酷い火傷にまみれていながらも微妙に痙攣していて、まだ辛うじて息があるみたいだ。


「すごい······」


 なんて一撃。自分がこれを食らったらと思うと、全身の肌がピリピリしてくる。


「火炎ではなく、それから抽出して限界ギリギリまで収束させた熱線を放ちました。あれだけのものをまともに浴びれば、さしものタフネスを誇る彼女であっても、もう動くことなどできないでしょう」

「それぶっぱなすときは、アタシに一言言ってよね?」


 スヴァルの声がやけに幼いと思ったら、五歳児くらいになっていた。


「す、すいません。私も初めての試みだったので、まさかここまで高温だとは思わず······」

「いいよいいよ。学生時代に君の実験で巻き込まれたときなんか、一歳にまで戻ったときに比べればね」

「その節は本当に申し訳ありませんでしたー!!」


 とにもかくにも、これでクリオの無力化が達成された。もう動ける身体じゃないから、放置してもいいだろう。

 拘束は後から来る区衛兵達に任せるとして、これからの動向を話し合うことにした。


「とりあえず、地下に戻ってジンくんに加勢したいのだけれど、二人はいける?」


 私の質問に対して、スヴァルは悩ましい顔をした。


「悪いんだけど、アタシは無理かな。雑魚を相手するくらいはなんてことないと思うけど、外に行くわ」


 今のスヴァルじゃ仕方がないか。それでも大人と張り合う自負があるのは、流石にどうなんだか。


「そう。カインは?」

「無茶苦茶に魔力を使った反動か、流れが不安定のようで。これでは銃器ベーベが耐えられそうにありませんわ」


 カインは自分の手を見て言った。

 確かに小さく震えている。やっぱりあんな風船を押し込むような力業、平気で済むわけないか。

 正直、私もクリオとの追跡劇で魔力も体力もかなり削ってしまった。提案しておいてなんだけれど、私も今行って二人の闘いについていけるか不安だ。かといって、ジンくん一人にグローリーを任せられない。怪我だってまだ治っていないのに。


「クレイ嬢、もしかして野兎くんのことが心配?」


 スヴァルが私の手を握りながら訊ねてきた。

 私は「うん」と小さく頷いた。


「割りと動けてたから、心配しなくてもいいんじゃないかな? それに、狙ってかどうかわからないけどさ、クレイ嬢を奴から離したんだとアタシは思うな」


 スヴァルの言う通りかもしれない。それでも、胸のドキドキが余計に強まる。

 これは不穏なやつだ。


「なんだか、外が騒がしくありません?」


 言われてみれば、廊下の奥の穴から喧騒が聞こえてくる。恐る恐るクリオの横を通って、私達は穴から外の様子を眺めた。


「これって······」


 異様な光景が広がっていた。

 区衛兵の進軍を街の住民が妨害していたのだ。

 皆必死の形相で、まるで屋敷を守るような立ち回りだ。区衛兵の方は負けじと押し入っているものの、相手が守るべき国民であるために強く出れていない。

 一体全体何が起こっているのか、皆目検討がつかず私達三人は混乱して顔を見合わせた。


「二人は、どう思う?」

「どう見ても暴動だよね」


 私も、スヴァルと同じ見解だ。


「しかし、何故に皆さんはこのような行動に? 私達は皆さんを賊から解放しようとしているというのに」


 カインの疑念は尤もだ。

 なんで味方である筈の私達の邪魔をするような真似を?

 考えながら見ていると、住民の中に明らかに不適切な輩が紛れ込んでいるのが見えた。奴は住民の中央から一つ、壮大な咆哮をあげた。

 区衛兵側も住民達も、もみ合うのをやめて音源――――グローリーの方へと一斉に首を向けた。


「今夜はやけにデカイ満月があるというのに、月見もしないでなんの騒ぎだ? ええ? 住民諸君、そして区衛兵の諸君」


 声の調子から、双方を嘲っているのがわかった。

 グローリーの前に一人の区衛兵が向かい、腰から一巻きのスクロールを取り出して広げた。


「これを見」

「なんだ? それは」


 グローリーは自分の顎を詰まんで訊ねた。


「お前達、パークの討伐依頼だ。これは、国防委員ケルビム及び第13号学園ギルド【真珠兵団パール】によって正式に手続きされたものだ。この羊皮紙の意味知るところは、わかるな?」

「それはすなわち、この街にがいるということですかな?」


 なんて言い草、とぼけるにも程がある!

 我慢できず、私はグローリーのもとへ急ぎ飛び立った。


「あなた達が、この街を占領して好き放題やってるから、捕まえに来たって言ってるのよ!」

「ほぉ~」


 あくまでしらを切る気つもりなの?!


「この暴動だって、あなた達が脅迫したからやらせてるんでしょ! 止めさせてよ! これは私達とあなた達の闘いでしょ?! 街の人達は関係無い!!」


 私はグローリーを指差して糾弾した。

 ここまでしておいて、とぼけるなんて許さない。これもだけど、私は他にどうしても釈然としないことがあって、気分が収まらずにいる。


「それに、ジンくんはどうしたのよ! なんであなたがここにいるの?!」


 出来れば訊きたくなかった疑問だった。悔しさと、認めたくないって現実逃避から、抑えられず声に出てしまった。

 目の前にほとんど無傷のグローリーがいるということは、そういうことなのに······。


「フッ、最近の小娘は何かとピーピーピーピー、小鳥が求愛するように喚き散らす。一つ一つ話題を絞ればいいものを、自ら余計に苦痛を求めるとは、大した物好きな第二皇女よ」


 グローリーが嗤った気がした。まるでこれから先にあることを、楽しみにしているように。


「まず一つ、別に脅迫なんざしていないさ。むしろ、これは彼等の恩返しだ」

「恩返し、て」

「ああ。偶々この街に訪れたとき、彼等は盗賊団に支配されたいてな。それを救ってやったのが俺達だ。謂わば、俺達は褒め称えられるべき側。お前達は遅れていたんだよ。それが羊皮紙にある『パーク』という名の集団だったやもしれないな」


 グローリーの言っていることがわからない。

 パークはあなた達でしょ?

 なんでしらばっくれているの?

 ここにきてそんな嘘に意味は無いのに――――違う!


「兵士さん、その羊皮紙がいつ発足されたものかはわからないが、それが出来たとき既にお目当ての賊はとっくに俺達、“自警団„の手によって壊滅した。よって、ここにパークはいない。強いて、今悩まされている脅威と言えば、そこの女性の率いる集団だ!」


 グローリーは私を力強く指差し、声を大きく張り上げた。


「彼女達が来てからというもの、ここ数日で街では乱闘騒ぎが絶えない。現に今、彼女の仲間が街役場で暴れ回り、破壊の限りを尽くしている! どうだ、区衛兵? あなたの目からは、どっちが悪党に写っている? 住民達の叫びを聞いて、とくと判別してくれよ?」


 グローリーがそう言うと、街の住民達は私や区衛兵に向けて、石や野菜、陶器の皿を投げてきた。口々に「帰れ!!」「疫病者!!」と罵詈雑言も吹っ掛け、完全に私達が『敵』になっていた。

 無茶苦茶だ。

 こんな馬鹿げた茶番がまかりとおるわけがない。と、普通ならそう思うのが当然だ。けれど、今は場所と状況が最悪。

 グローリーめ、なんて姑息で卑怯な! 住民達を怖がらせるだけじゃなく、その気持ちをも利用して、ついには自分の代わりに攻撃させて! どこまで道徳心から外れたらこんな真似が出来るんだよ!

 住民達の顔は、怒りを表しているように見えたけれど、かなり曇っていた。悲しみ、歯痒さが投石を介して痛みと共に染み込んでくる。

 本当は反論したい気持ちでいっぱいなのに、グローリー達が怖くて従うしかないんだ。かといってここで私達まで怖じ気づいたら、誰が彼等の背中を押してくれるの!?

 思考を巡らせる。――――ダメだ。思い付かない。

 この場を納めるには信用が足りない。奴らの、グローリー達の恐怖を払拭させる程の信用が無いと、住民達を救えない。


「さて、判決を下そうか――――ん?」


 突然、一個の小石がグローリーの肩にコツンと当たった。元を辿ると、男の子がいた。

 まずい、グローリーが目を付けている。このままじゃ男の子が危ない。注意を引き付けないと。

 私はグローリーに向けて【過身鳴サージ】を放とうとしたけれど、投石が頭に当たって崩された。

 血で視界が赤く滲む。こんな惨めな気分は初めてだ。

 頭がクラクラする。身体が重い。

 意識が暗いところへ沈みそうになる。それを感じ始めたとき、爽やかなそよ風に髪を引っ張られた気がした。


「クレイ嬢!」


 アリスの声? 彼女にしては、いつになく悲しげな感じ。

 頭から心地いい温かさが伝わってきて、沈みそうになっていた意識も回復する。

 目の前には、やっぱりアリスがいた。声色から涙を一粒、二粒くらいは流しているものかと思っていたけれど、お叱りムードのしかめっ面だった。

 その傍らには、東洋剣を携えたシラが立っていた。

 アリスは私の意識が戻ったのがわかると、立ち上がって周囲を見回した。


「あなた達、恥を知りなさい! 一体誰に向かって物を投げているのか、わかっているのですか?!」


 アリスが眉を寄せていたのは、街の人達に対してか。

 調子が戻ってきて、私はアリスの肩を掴んで止めさせた。


「いいよ、アリス。みんなだって、本意でやってるわけじゃないから」

「ですが!」

「この人達だって必死なんだよ。私達は遅かったんだ。もっと早く来られていれば、余計に苦しまず、今頃いつも通りの平穏な街でいられた筈なんだよ。だから、謝るのは、気づいてあげられなかった、私達の方なんだ」

「クレイ嬢、あなたというお方は何故、そういつも······」


 アリスに落胆させて悪いとは思っているけれど、どうしても私にはこの人達を責められない。

 グローリーは怯える住民達を盾にするだろう。冷静に考えて、彼等にも逆らえない事情があっての行動。

 ここは、なんとしてでも奴の首に剣を届かせる――――。


「そうだ!」


 今の声は、さっきグローリーに石を投げた男の子?!


「みんな、なんであいつに投げないんだよ! ぼくたちの敵は、あいつの方だろ!? 」


 男の子は、グローリーを力強く指差して訴えた。


「何を言っているんだ、コリン!」

「そうよ! 早く訂正しなさい!」

「いやだ! 黙らない!」


 周りの大人達が必死で押さえようとするも、負けじとコリンと呼ばれた男の子は言い返した。


「あのが約束したくれたんだ! ぼく達の味方になってくれるって! おまえ達の敵を、あいつをやっつけてくれるって! ちゃんと約束してくれたんだ!!」


 黒い、ウサギの、お姉さん······って――――当てはまる人物の顔を思い浮かべると、笑いが込み上げてきた。

 いつの間にかそんな事があったなんて、本当に油断ならない身勝手さ。だけれど、お陰で自信が湧いてきた。

 帰ったら何かご褒美をあげよっかな。


「少年コリン、お前の便りにしているその兎はこの街の秩序を最初に乱した張本人だぞ? わかっているのか?」


 グローリーは語気を強めてコリンを見下ろした。コリンは身体を震わせて怯えきっていた。けれども、一歩も退かない態度だ。


「それでもいい! 今の街より良くしてくれるなら、ぼくは、乱してくれた方がいい!!」


 コリンの叫びで、周囲は静まり返った。グローリーは不愉快だというように眉間にしわを寄せ、あと一歩というところまでより距離を縮めようと足を出した。

 同時に、シラが駆け出してグローリーの背を斬ろうと東洋剣を振り上げる。奇襲は躱されてしまったが、シラはコリンを背後にして守るように立ち回った。こっちが狙いか。


少年ぼく、よく言った」


 シラは嬉しそうに微笑んで、コリンを褒めた。


「まったく、どいつもこいつも、身の程を度外視した希望をみやがって」

「何かおかしい? 期待することは悪ではない。過信すれば苦しくなることもあれど、思うだけなら誰にも咎める権利は無い」

「······」


 シラに言い負かされ、グローリーは静かに怒りを滾らせた。

 改めて周りの様子を伺うと、全員の目がグローリーの方に向いていた。街の真意をコリンが叫んだことで、共振し始めているんだ。

 いける。この調子なら。


「フッ。自由の尊重か。確かにそこまでは手が届かないだろうな。だが、いいのか? お前達の生活は、俺達の“活動„によって成り立っていたのだぞ? すなわち、俺達とお前達は一蓮托生。全てが終えられたとして、後々の始末を受け入れられると言うのか? あ?」


 グローリーが言うと、住民達の士気は一気に下がった。

 この卑怯者! どれだけ住民たちを苦しめれば気が済むんだ!

 私が出ようと思った瞬間、先に誰かが「構いません!!」と力強く答えた。今度は若々しい女性、私達が泊まっていた宿の女従業員さんだ。

 彼女はコリンの肩を掴んで一度微笑み、またグローリーを睨み付けて続けた。


「確かに私達は、あなた達によってささやかながらも豊かに暮らしていました。ですが、その代償はあまりにも大きかった。あなた達がどこからともなく仕入れてくる物品が全て、略奪品だったと気づいたときにはもう遅く、それを出汁に脅されたときは、絶望する他ありませんでした······。ですが、もう怖がらない! 街のけじめは街の住民である私達がつけます! もう二度と、あなたのような邪悪に屈しない! 私達には区衛兵様と、冒険者様が来てくれましたから!」


 自信満々な笑顔だった。挑戦的で清々しい。

 他の住民達も、段々と波紋が広がって反逆精神に火が着いていった。共振は同調へと変わり、心で燻っていた本音はやがて表層に向かって爆発する。

 さっきまで私に向けられていた拒絶の言葉が、今度はグローリーに投げられた。

 形勢逆転。もう、ここに絶望は無い。

 街総出で非難を、グローリーは無言で受けるばかりだった。溜まりに溜まった不平不満、搾取されたことへの怒り、街を好き勝手に荒らされた憎悪、私のときとは比べ物にならないおぞましいまでの恨み言。

 正直、気の毒とは微塵も思っていない。街一つを苦しめた報いだ。精々、私の受けた百倍は精神的苦痛に苛まれてしまえ。


「はぁ、これだから弱者というものは。結局のところ、他人頼みではないか。うざったい」

「まだ何か言うつもり? 何を言っても、もう利かないからね」

「そうか。なら、とっておきの報告をしてやろう。お前達の頼みの綱、あの野兎のことだが――――」


 ああ、なんだ。そのことか。


「いいよ、それなら」

「あ?」


 場の雰囲気に流されてるからかもしれないけれど、不思議と不吉を感じない。まっさらな安心感が満ちていた。


「あのウサギさんはね、あなたが思ってるよりもしぶといんだよ」

「フン。ここまで楽観的だと、呆れてバカにする気も失せる。奴の息の根はとっくに止めた。残念だが、もう起きることはな――――」


 グローリーの言葉を遮るように、突然、街役場からドーンと何かが屋根を突き破って出てきた。

 私はそれがなんなのかすぐに理解した。

 期待で胸が高鳴る。

 乱暴で野蛮で型破りな、常識ぶっ壊れの野ウサギさんがようやくのご到着だ。





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