兎起兎落【コリシオン】




 クレイ達がグローリーに遭遇する直前、宿では一悶着が起きていた。

 突如として、宿屋にがらの悪い三人の獣人が押し入ってきた。向かって右から、ピューマの獣人、ハイエナの獣人、ジャッカルの獣人。三人とも、粗の目立つ鎧を付けていて、腰に細曲剣タルワールを差していた。

 ジンテツ、エフィー、コンスタンは一目でパークの構成員だと見破り、気配を消してロビーから死角になる隅へ身を潜める。


「どうしてここに奴等が?」


 コンスタンが疑問を溢す。

 こちらが戦力を割いている内に潰しに来たのか。しかしそれにしてはと疑問が残る。

 まず、パーク側からこちらを見張られている感じがしなかったこと。敢えて見逃し、住民から情報を得て隙を伺っていたと考えればわかる。

 動きが甘かったか。ビルアの街はそう広くはない。村落をやや発展させた程度の規模だ。情報の拡散力は高い。対し、街ぐるみで漏洩防止を徹底すれば、こちらの目を背けさせることも出来る。

 やはり、目だたないだけで住民達の中に奴等の構成員が紛れ込んでいて、且つ陰で調査されていた。

 一歩遅れをとった。そうコンスタンは悔恨の念を懐いた。やはり環境がドアウェイ。占領するだけでなく、住民達を最大限利用する悪どい手腕。パークには、かなりの作戦式能力に優れた人材がいる。そんな情報、何も聞いていない。

 リーダー格であるレオナルド・ネメアは、ジンテツの手によって討伐されたとクレイから報告があった。それでいて尚、パークは目立った動きを見せなかった。

 考察した結果、最優先討伐対象に指定された三人の他に、未だ知らぬ真のリーダー格がいる可能性が浮上した。


「斥候の連絡が伏せられていた?」


 コンスタンは再認識した。

 パークには隠し球がいる。それは冷静且つ、単純で暴力的なレオナルド以上に厄介な相手かもしれない。

 宿に来た三人は、従業員の女性に酒をねだっている。今はここでやり過ごすとジンテツとエフィーにハンドシグナルで伝え、クレイ達が帰還したらすぐに改案を用意することにした。

 構成員達は、ボトル瓶を八本持って待合室目前の食事用の席にどっと腰かけた。


「はぁ、クソ、全然外に出れやしねぇ。なんだっていきなり規制しやがんだ。あの野郎」


 ジャッカルの獣人が早速愚痴を漏らした。

 貴重なパークの近況が聞けるかもしれないということで、コンスタンは隔てに付けて耳をそば立てた。


「仕方ないだろ。レオナルドが殺られたんだ。そいつがいなくなるまでは、極力面倒沙汰は止せって言われてるんだ。我慢しようぜ」

「けどよ。マジなのか? あの力だけは一番のレオナルドが、たった一羽の人兎属ワーラビットに殺られたってのは。未だに信じられねぇ話だ」

「あの二人が言うんだぜ? そんな冗談つくかよ?」

「つーか、冗談言うタイプでもないだろ」

「「確かに」」


 二人と言うのは、豹の獣人ダカーテールと虎の人獣クリオ・マカイロドゥスのことだ。


「手負いでありながらあの二人を相手取って、しかも逃げ延びるとは運のいい奴だぜ」

「なあ、その野兎以外にも冒険者が他にもいるんだろ? そいつらは探さなくていいのかよ」

「ああ。今のところ、重要視してるのは野兎の方だ。あとは、仮に他の冒険者に出くわしたとしても知らんぷりして距離を置けってさ」

「ったく、こそこそこそこそと。こそばゆくなっちまうぜ」


 話の内容から、パーク――――現状の指揮官――――はジンテツをご所望のようだ。

 目的はやはり報復か。それにしては、構成員から懐疑的な姿勢が見受けられた。いつに無いような慎重さに、辟易している様子でもある。

 できれば尋問したいところ。構成員らしき住民を見つけてはマークしているものの、追跡の途中で消息が途絶えてしまう。転移魔術を装備に施しているのだ。

 この撹乱が相次いで、コンスタン達は未だにパークの詳細な根城を掴めていない。あくまで憶測のみで探索している。

 これは、チャンスかもしれない。


 ――――いや、待って。わざわさ武装している辺り、探索の仕方が露骨すぎる。なぜ住民に扮さない?


 一抹の不安がコンスタンの判断を鈍らせた。

 構成員達のあからさまな格好。加えて、聞かせるように会話している。

 何かおかしい。そう違和感を懐いたときには、遅かった。


「ところでよ、お前らってコーヒーは好きか?」

「ああ、そうだな。俺は苦いのが嫌いだからな。砂糖をガンガン入れて飲む派だな」

「そこにパンも入れたらさ、それだけで贅沢な感じがするよな?」


 三人の声がこちら側に向いていた。

 コンスタンはスカートの下に忍ばせていたナイフを取り、待合室の扉を開ける――――と同時に、ジンテツが壁に蹴り破ってジャッカルの顔面に直撃し、吹き飛ばした。 


「やっぱりここにいやがったか!」

「黒髪黒目の女みたいな兎。間違いねぇ。奴だ!」


 残るピューマとハイエナは大きく飛び退き、細曲剣タルワールを抜く。

 危険と判断したコンスタンは、空いている右手を斜め下に伸ばしてジンテツより前に出た。


「サクラコさん。あなたは周囲を警戒してください。もしかしたら、他にも仲間がいるかもしれません!」


 ジンテツはまだ起きたばかりで万全でない。そう思ったコンスタンは、エフィーにアイコンタクトで側につくよう命じた。エフィーは頷いて、ジンテツのすぐ後ろに回る。


「おいおい、そんな成りで俺達に勝てるのか? 女ぁ」

「これでも、猛獣の躾には慣れているのでね。ご心配は無用です」

「そうかよ!」


 ピューマが迫る。床から壁、天井を駆使した立体的な機動力で撹乱し、上から細曲剣タルワールを振り下ろす。が、防がれる。

 コンスタンは魔法陣を開いて、無防備な脚へカウンターを仕掛けようとする。しかしそれよりも先に、ジンテツが飛び蹴りを喰らわせたことで奥の壁に衝突してピューマはノックアウト。


「マジかよ······」


 刃を向けていたハイエナは驚愕し、困惑した。それはコンスタンとエフィーも同じで、「よっしゃ!」と小さくガッツポーズするジンテツの肩を掴む。


「サクラコさん?」

「ん?」

「私、前に出ましたよね?」

「うん」

「一応言っておくと、手負いのあなたを退かせたつもりだったのですが?」

「俺は下がるって言うてへんよ?」


 会話が通じず、眉間にシワが寄るコンスタン。

 その隙に、ハイエナが逃走を図っているのが足音で聞こえ、ジンテツは側にあった椅子を投げつけてぶつけた。


「いってぇ~······は?」

「おやすみやす」


 見上げてくるハイエナの頭にジンテツが踵落としを繰り出し、床が抜けて決着。


「ここまで事を荒くしたのに、敵増えねぇな」


 窓の外を見てジンテツは言った。コンスタンも激しく同意なのだが、それよりも看過できない事項に溢れていて話題を変えざるをえなかった。


「サクラコさん、敵を無力化してくれたことにはまあ感謝はいたします。けれど、少しは場所を考えてください!」

「あ?」


 ジンテツは首を傾げた。


「あ? じゃないですよ。ここは他人の住居、それも宿屋なんですよ。あなたの家ではないのですから、少しは配慮というものを心得てください。いいですね?」


 常に穏和な態度を崩さなかったコンスタンが、怒気を放った。まるで保護者が子供を窘めるように、厳かな空気を散布させた。


「ほら、まずは私と一緒に宿の従業員の方々に頭を下げて謝罪してください! 『お騒がせして申し訳ありませんでした』って。さあ!」


 コンスタンは怯えている従業員の女性を差して促す。

 女性の後ろには弟なのか、鼻面にそばかすがある子供が隠れていた。女性の腰までと小さく、ジンテツを睨んでいる。目が合うと、従業員のスカートを軽く引っ張って隠れた。


「なんだあの弱虫。あんなのに頭下げるの? なんかヤダ」

「ちょっ!?」

「それよりそいつらの意識が失せてる内にとっとと縛っといた方がええんとちゃうか? なぁ、エフィー」

「ふぇッ?!」

「コラ! エフィーちゃんに逃げない!」


 コンスタンにまた説教されそうになったとき、ジンテツは背中に些細な衝撃を感じた。

 すぐ後にコロンと床から固い音がして、見てみれば小石が転がっていた。さらに視野を前に持っていくと、隠れていた子供が涙目で小石を持っていた。

 即座に、顔を青くした従業員が子供を守るように抱きつく。


「コリン! ごめんなさい、うちの弟が失礼を!」

「はなして姉ちゃん! すぐにこいつを置い出さなきゃ!」

「やめなさい! コリン!」


 コリンと呼ばれた子供は、従業員から放れようと踠くも、力が敵わず中々振り払えない。

 悔しそうに歯噛みして、泣きっ面を浮かべる子供に、コンスタンは気の毒さと悲痛さと複雑な心境になった。エフィーも辛そうに俯いた。

 だが、ジンテツだけは目を離そうとしなかった。彼の瞳に苛立ちは無く、ただただ静穏だ。無言で従業員とコリンに近づき、腰を落として目線で合わせた。

 コリンは後退りした。従業員は身震いの勢いが増した。

 そして、ジンテツは真顔で淡々と問う。


「ガキ、なんで投げた?」


 コリンはすぐに答えようとしたが、恐怖で口元が震えてしまい、中々答えられない。

 待つのを面倒臭がりながら、ジンテツは続ける。


「いいか? お前は今、俺に攻撃したんだ。だからお前は、俺に反撃されても何ら文句が言えない。わかる?」


 ひっ、と小さく悲鳴をあげたのは従業員の方だった。すぐに土下座して「すいません! すいません!」と釈明を求めた。


「この子は悪くないんです! その、奴等が来てから街中がピリピリしていて······それで――――」

「そうだな」

「え?」


 従業員の顔が上がる。


「お前ら、いや、この街はあいつらのものなんだよな。だから、言うなればお前らビルアの住民全員漏れなくパークの下っ端。つまりは俺達の敵だな」


 ジンテツの言動に、震え上がる従業員。彼女の頭の中に、血塗れのイメージが浮かぶ。手を伸ばされ、また地に伏せて腕で頭を覆う。

 その様子を見ていたコンスタンは、背後にナイフを構えた。だが、予想していた展開とは全く違う光景となった。


「そ、お前らは奴等の味方。で、俺達は敵。だから攻撃した。でしょ?」

「え?」


 ジンテツは、少年の頭を優しく撫でていた。小動物を愛でるように、毛並みを整えるように、親切に扱った。

 周囲は思わずきょとんとした。


「泣き虫にしちゃ、まあまあ勇ましいんじゃない? さっきの見てただろうに、力の差を無視して攻撃してきやがった。間抜けた馬鹿だが嫌いじゃないで、そういうの。だからこそ俺は容赦しない。取り敢えず、受けて立つよ」


 依然、瞳に怒りは宿ってはいないが、真面目な声調だった。

 コリンの涙はいつの間にか止まっていて、ジンテツの瞳に釘付けになっていた。


「それ、どういうこと······?」


 コリンは怯えを残して訊ねた。


「お前らがあいつらのこと気に入ってるのか?――――ってこと」


 端的に纏められたジンテツからの選択肢。

 コリンは目を見開かせ、それから項垂れた。そしてまた声を震わせて訊ねる。肩と拳も微かに震動していて、力んでいるのが見て取れる。


「ち······ちがうって言ったら、やっつけてくれる······?」


 コリンの涙で潤んだ瞳は、一握りの期待に満ちていた。


「そうだな。そうしたら、お前らは俺の味方だな。お前らの敵は俺の敵。取り敢えず、徹底的にやっつけてやる」


 ジンテツは眩しいくらいの満面の笑みで答えた。

 今まで、気が休まる日など無かった。パークが来てから、絶望以外の感覚が無くなり、毎日毎日、奪われて、奪われて、いつしか希望を抱くことを拒否してきた。

 そんな災いの最中に、目の前の野兎は平然と笑顔を向けてきた。まるで、希望を捨てるなと言うような真っ直ぐで柔らかな、とてもとても温かい表情。

 今一度、コリンは希望を抱くことにした。彼の姉も然り、今まで何もできなかったことを赦されてたような、筆舌に尽くしがたい解放感を得て大粒の涙を流した。

 その様子を見ていたコンスタンは、そっとナイフを持つ手を下ろした。


「さてと、まずは情報収集といくか。隊長さん」

「主導はあなたに任せます。尋問はあまり得意ではないので」


 言われて、嬉々としてジンテツはエフィーによって縛られた獣人三人の前に立つ。左からピューマ、ジャッカル、ハイエナの順で横一列に並べ、一人ずつ納刀したまま頭を小突く。結局、最後のハイエナの意識が戻った。

 眼前でにこやかにしている野兎を見て、全てを覚る。


「成る程な。これじゃあ、レオナルドが殺られたのも裏付ける」

「取り敢えず、手っ取り早く済ませようか。まずは、今のお前らの統率者あたまは誰だ?」

「答えない。って言ったら?」


 ジンテツは「えへっ」と笑顔のまま、親指で首をかっ切る動作をして、さらに指先を下に向けた。


「······なんか、容赦ねぇな」

「容赦する必要無いもん」


 ハイエナはジンテツの清々しいまでの態度に諦観し、失笑してからあっさりと答えた。


「俺達を束ねてるのは、レオナルドのせがれだ。名前はグローリー、種族は角付き兎ジャッカロープ

「で? そいつは今どこにいるか、知ってる?」


 ジンテツの声に険しさが混じった。

 ハイエナは言い知れない危機感に背筋が凍りつくのを感じ、これも易々と答えた。


「この時間なら、『長靴を被った猫』って酒場で呑んでいる筈だ。普段は赤毛の中年男の人類ヒューマンに化けてるから、見ればわかる」

「ケケ。オッケー、オッケー。ご協力感謝いたみいるぜ。取り敢えず、その酒場はどこ?」



 ++++++++++



 そうして、ジンテツは屋根を飛び伝って到着した。早々に、気分は最悪に陥った。

 まず最初に目に写ったのは、着地ついでに蹴り飛ばした枝角を生やしたがたいのいい赤毛兎。ハイエナから聞いた特徴を照らし合わせて、それがすぐにグローリーだとわかった。

 次に彼の後ろに転がっている血塗れのグリフェール。出血多量により肌色はすっかり蒼白くなり、最早どうしたって回復の見込みを感じない。

 さらに後ろの壁が抜けた酒場の中から、この場の誰のものでもない血の匂いが漂ってくる。

 そして、自身の後ろで情けなく尻餅をついているクレイ。彼女からも、苦痛の気配を感じた。

 総括、一瞬で状況を把握した。


「取り敢えず、お前を殺せばええわけだ」


 ジンテツは、抜刀しながら判断した。この結論の矛先は、グローリーに向けられている。


「黒髪黒目の人兎属ワーラビット隷属輪具スレイブリング、刃がボロボロの東洋剣――――そうか、お前がくだんの野兎か。会いたかったぞ」


 表情は変わっていないが、グローリーは嬉しがっている。ようやく現れた強敵を、快く歓迎するように両手を軽く広げた。


「ジンくん、待って――――」


 クレイの制止を聞き入れること無く、ジンテツは間髪入れずに突撃。飛翔して、勢いよく獲物を振り下ろす。

 グローリーは余裕な様子で回避してカウンターを仕掛けるが、見切られて互いの刃が衝突する。

 薙ぎ合って距離が開く。

 ジンテツから追撃し、苛烈な猛攻が繰り出される。

 難なく防ぐグローリーだったが、勘が働いて足元に視線を落とすと野兎が下段蹴りを仕掛けるところだった。

 見えていながら、敢えて回避を選ばず、姿勢崩しの一瞬を平気で受け止める。脹脛ふくらはぎから鈍い音と強烈な痛みが全体へと渡っていく。


「細い割には、中々いい蹴りだ。次のステップと行こう」


 グローリーは鍔迫り合いから退き、ジンテツのバランスを崩した。前のめりになったところへ、アッパーの要領で下からの差し込みを狙う。

 一見、ジンテツが無防備に見えるようであるが、全くそうではない。彼の地についている面は軸である左足の爪先。これだけでは咄嗟の動作に移行できない。それが当然の認識。しかしジンテツにとって言えば、不意に躓いた程度の些末なアクシデントと同じ。

 切り替え、持ち前の跳躍力を左爪先のみで実行し、さらに横回転を加えてジンテツはグローリーの一撃を躱しつつ、尋常でない体幹を以て捻りを利かせ、鳩尾みぞおちに痛烈な後ろ蹴りを撃ち込んだ。

 カウンターに集中していたために防御が疎かになっていたことが災いし、グローリーは押し負けて軽々とノックバックを受け、地に膝をつける。ここへ来て、初めて彼の顔が曇った。


「中々動けるな。これは親父が勝てるわけがない」


 すかさず、ジンテツが斬りかかる。

 先程より膂力が上がっていることに攻撃を防いでから気づいたグローリーは、刹那に焦った。

 その動揺した瞬間を見逃さなかった野兎は、一歩退いたと同時に再度突撃して刀を振り上げ、通り抜けながらグローリーの左腰から右肩までを袈裟斬りにかけた。


「ヴぅ······」


 グローリーは唸りを上げ、意識が薄れ、打つ伏せに倒れた。

 ジンテツが到着してから二分四十三秒。あまりにも速すぎる、裏ボス討伐完了。

 クレイは呆気に取られていた。ジンテツの強さはある程度把握していたつもりだった。グローリーの力量も、黒霧を出さなければ肩を並べるのが難しいと思っていた。それを、ジンテツは通常時の状態で圧勝した。

 先程までの苦労はなんだったんだ、と。そう思う暇も無い。


「頭から締めまで気色悪い奴だったな。取り敢えずのしてしもたけど、なんだったんだかこの角野郎」


 ジンテツは刀についた血を振り払って肩に乗せた。クレイに近づき、腰を下ろして目線を合わせる。


「生きてる?」


 その一言を聞いただけで、クレイは泣きそうになった。視界が涙に溺れ、不確かになった。血に濡れた手で拭っても止まらなかった。

 クレイはただ嬉しすぎて、顔が歪むのを堪えられなかった。


「なに? 痛いの? 泣いてるってことは、生きてるってことでいいんだよな?」

「バカァ······」


 絞り出すようにして幼稚な悪口を返すクレイの頭を、ジンテツはそっと撫でた。


「そうだ、グリフェールさん!」


 クレイは叫び、拍子に口から血を少し吐いた。倒れそうになったところをジンテツが受け止め、支える。


「早く、グリフェールさんを治さなきゃ!」


 鬼気迫る勢いで治療に向かうクレイであったが、ジンテツが肩を抱いて止めた。「止めないで! 早く行かなきゃ!」と悲痛な顔を浮かべて払い除けようとするも、身体に力が入らなかった。


「この程度も抜け出せない今のお前じゃ無理だ。自体の治癒に魔力がまわってる。余所にくれる余裕が無いんだよ。それに――――」

「うるさい!!!」


 荒げた声で、是が非でも現実を見ようとしないクレイ。

 この時、ジンテツは彼女に対し何ら思いやりを働かせようとは全く思っていなかった。

 グリフェールは死んだ。冒険者をやっているなら、これくらいは日常茶飯事でもおかしくない。いつまで後ろを振り返っているつもりなのかと、怒りが込み上がってくる。

 命を亡くした生物など、ただの肉塊でしかない。あとは時間をかけて腐敗していくか、野生動物に貪り喰われるだけだ。

 ジンテツは後者を執ってきた。クレイの気持ちが毛程も理解できないわけではないが、ここまで頭の中がお花畑であったことに正直、心底呆れた。


「治せれば気が済むの?」

「······ッ?!」

「それで治るのはあいつの死骸だけだ。だがお姫様はどうなんだ? 無駄に整えようとしたところで、あとになって余計抉れるだけ。気休めでも、俺は勝手にいなくなった奴にそんな気ぃ遣いしたないし、そんな面を見せたくもない」


 クレイは静かに怒り、ジンテツの襟を掴んだ。悔しさと悲しみが入り雑じった彼女の表情は、強く歯を食い縛っていた。小さく唸り、声にならない叫び声をあげて、挫けて、ずるずると地面に膝をつけ、涙で濡れた顔を両手で覆い隠し、ようやく現実を受け入れる。

 悲しみに打ちのめされ、クレイの翅先の下りた背中をジンテツは優しく擦った。

 彼こそ、残虐な言葉を並べて死体蹴りしたいわけでは毛頭ない。ジンテツだって、グリフェールが死んだことが素直に気に入らないだけだ。『一晩でも二晩でも一緒に酒を飲む』という約束を無理強いさせておきながら、果たすこと無く叶わなくなった。

 これに怒っているのか、それともただの強がって悲しみを押し殺しているのか。彼自身、他人が死んだだけでこうも気分が落ち着かない理由がわからず、困惑しているのだった。

 ふと、何かの動く気配がしたジンテツはグローリーの方へと振り返る。気のせいか、一瞬殺気を感じたのだが――――


「······チッ······」

「ジンくん?」


 ぐずりと鼻を啜りながらクレイが訊ねる。

 ジンテツは彼女の口元に人差し指を立てて、静かにさせた。野生の勘は頼るが然。感じた気配は微かなものであるが、突然生じた小さな亀裂は、そう簡単に拭い去ることができない。

 ましてや、命のやり取り――――


 ――――“血戦„では決まって、最初に動けなかったものから潰される。


 どこかで聞いたような一文を思い出したジンテツは、納めた刀に手を掛け、即座に抜いた。彼の瞳には焦りと疑念、そして警戒が混濁しており、コンディションは良くない。

 切先はグローリーに、背面にはクレイと、できるだけ現在の座標が変わらないようゆっくりと近づく。

 人兎属ワーラビットの聴力は、人類ヒューマンのおよそ三倍。生物の出す周波数を補足する程度に優れている。さらに、生粋の野獣生活を送ってきたジンテツの場合は約五倍にまで上乗せされ、例外的に突出していた。

 彼にしてみれら、地面と毛が擦れた際の限りなく無音に近い微細な音すら拾い上げる。そして、ジンテツは自身の直感を一度たりとも疑ったことが無い。

 理由は当然、予感も予想も予測も、外れたことがないからだ。


「死んだフリって、めんどクセェ真似しやがって。立てよ。呼吸すれば肺が動く。臓器が動けば筋肉も引っ張られる。立ってたらわからなかったけど、そんな風に伏せて寝てたら、面がついてるから擦れる。よぉ聞こえるで。好機を待ちかねてる、狡い音がさぁ!」


 無容赦に、ジンテツは刀を目一杯振り下ろした。咄嗟にグローリーは起きて弾き、二回跳んで距離を開けた。

 再起した彼の状態を見て、ジンテツは苦笑を浮かべる。


「傷が塞がってやがる。流血の音が消えたのはそういうことかよ」

「親父譲りの回復能力さ。見覚えはあるだろ?」

「あぁ~?」


 グローリーの説明から、自然と該当する人物が頭に浮かんだ。


「お前、あのタテガミマンのせがれ? 似てなさすぎだろ。マジかよ」

「ああ、マジさ。だから、復讐なんて性に合わない親孝行をしてやろうかと思ってお前を探していたのだが······気が変わった。まあ、元よりあまり怨恨があったわけでもないから、ただの暇潰しのつもりだったが」


 グローリーは構えを解いてジンテツに真正面を向けた。含み笑いを挟んで、今一度、野兎の全身を見据える。自身の顎を摘まみ、まるで品定めをするかのような態度で――――。


「お前、名前はなんといった?」

「ジンテツ・サクラコ」

「そうか、いい名だな。俺はグローリー・クリムゾン・ネメア。ジンテツ、俺のものになれ」

「······はぇ?」


 唐突なグローリーの勧誘に、ジンテツは唖然とした。あまりにおかしな変事で、頭が困惑させられる。

 視線を左下に下ろし、そのまま上げて、整理がついたところでグローリーに戻す。


「······お前、頭大丈夫か?」


 結論、グローリー・クリムゾン・ネメアは頭がおかしい奴――――という認識となった。


「フン。俺からすれば、お前の正気を疑うがな」

「どういう意味だ?」


 グローリーはこの問いに答えることなく構えた。地面に膝かつきそうなくらいに姿勢を低くし、腕を交差させた縮こまった構え。

 それを目にしたクレイは、咄嗟に叫ぶ。


「ジンくん、気を付けて! グリフェールさんを倒した技だよ!」


 聞いたジンテツは、「そうかよ」と得物を両手で持ち、切先をグローリーの顔に向けた。

 グググ、と筋肉の収縮していく音が耳に入ってきたとき、右足を後ろにやって体の半面を向け、右腕を峰に添えて刀を下向きにしてと構えを変えた。


「目の付け所がいいな。だが、そんなに甘くはないぞ」


 親切な忠告を受け、ジンテツはさらに気を張った。何をされても驚かないし、何が起きても即座に対応できるよう対策は万全となっていた。

 そんな野兎を嘲笑うように不適な笑みを浮かべたと思ったら、グローリーの姿は音も無く瞬と消えた。残ったのは地面から舞い上がっている雪の塵のみで、気配が完全に絶たれていた。

 グローリーが立っていた地点によく目を凝らすと、何かが擦れたような後が向かい側に伸びていて、ようやくジンテツは現状を理解した。


「あぁ~、やってもぉたわ············――――――――」


 気の抜けた一言を漏らした次の瞬間、彼の胴からX字に血が噴出した。膝から崩れ落ち、無残に倒れた。

 クレイは全て見ていながら、何が起きたのか皆目理解出来ないでいた。グローリーが構え、力んだと思ったら時分には既にジンテツの背後にいた。

 速力を強化する魔力を使ったというのは一目瞭然だが、構えてから攻撃後までの流れがまったく見えなかった。気づいたときには、ジンテツが倒れ、そのまま動かなくなっていた。

 希望が一転して絶望へと塗り替えられ、最早感情が追いつけない。ジンテツが駆けつけてきた時、クレイはこれ以上無いくらいに感動した。

 お伽噺にあるような、英雄の参戦を彷彿とさせる自身の奴隷の登場に、屈しかけていた心が忽ち立ち直った程だ。このまま勝利のムードで終わると思っていたのに、グローリーはまさに絶望の権化であったといたく知らしめられた。


「さて。選択のときだ、ジンテツ。俺と来るか。土に還るか。ん?」


 グローリーはジンテツに向き直り、訊ねた。

 今、私は完全に注意から外れている―――そう思ったクレイは、細剣ブランディーユを拾い上げて、魔力を剣先に込めた。バチバチと小さな電気を宿した刃をグローリーに向け、翅をはためかせて滑空する。


「"嵐の突撃タンペット・ラピエル"ッ!!!」


 クレイの好きなやり方でないが、グローリーが相手ではこれくらいしなければ届かせられない。そう後ろめたさを押し殺しながら、渾身の一突きを角兎の太い喉へ――――。


「フン!」

「あっ······!」


 刃は届かなかった。到達するよりも速く、グローリーの左脚のハイキックがクレイの横腹に直撃した。

 攻撃に意識を裂いていたために、防護処置を全くしていなかった。よって、肉が破裂したかのような思い激痛がクレイを襲う。


「ぐあぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!!」


 地面に叩きつけられ、悶え苦しむクレイ。横腹を震源地として、全身に痛みが廻る廻る。あまりの苦痛で力が入らず、ブランディーユを握ることすら敵わない。

 涙で朧気だが、目蓋の隙間からグローリーが見下ろしているのが見える。


「どこまでも邪魔な羽虫だな。先に摘んでいくか」


 グローリーは右足の裏を天に掲げ、クレイの頭に向けて勢いよく振り下ろした。

 今度こそ終わった······何もかもどうでもよくなったのか、クレイがそう思うよりも先に体は抵抗力を手放した。無意識に敗北を受け入れ、死を迎え入れ、一切の悔恨も覚えること無くクレイの感覚が目蓋と共に落ちる。

 しかし、彼女は悪運だけは達者であった。


「"強化魔術グロウアップ最硬防御エストガード】"ォォォォォォ――――!!!」


 必死な声がクレイの上に覆い被さった。目蓋の裏から光が薄れたのがわかり、恐る恐る開けてみる。

 眼前には、ムクソンの歯を食いしばって、汗にまみれた形相があった。


「大丈夫ですか、姫様!」


 苦痛で顔が歪むムクソンの問いを、クレイはすぐに答えられなかった。返事をされなくても、不安で一杯の彼女に安堵をあげようと、ムクソンは無理矢理に笑った。


「大丈夫ですよ。こんな奴······僕の手にかかれば······」

「死に損ないめが」


 見下し、冷淡な一言を放ったグローリーはムクソンを頭の上まで蹴り上げ、さらに蹴り跳ばした。ムクソンは鎧を着ていたが、二撃目の蹴撃であえなく粉砕され、至るところな広く濃い青アザのできた肌が露出した。


「そうやって寄り合うから駄目なんだよ、お前達は。助力したところでなんだ? 自分で苦しみ、あまつさえ仲間に艱難辛苦を重ねて動きを鈍らせる。まったく、首の絞め合いもいいところだ」


 グローリーはクレイに向き直った。


「どうだ? なぁ? 民の命で永らえるとは、なんとも贅沢で恵まれた皇女様だな。羨ましいぞ」


 クレイには、もう戦意を取り戻す気力が無い。自分だけ生き永らえている現状が、先程横腹に極められたグローリーの一蹴よりも重く彼女を痛めつけたのだ。

 自身の抱く幻想と真逆。共存共栄どころか、血みどろにまみれた戦い、争い、殺し合い。

 決して容易くない願いであるのはわかっていた。けれど、ここまでの惨事になるなどついぞ想像できなかった。

 これでもかと叩き落とされたクレイが辿り着いた決着は――――――――『諦観』であった。

 力は完全に抜けきって、ブランディーユの柄に指がかかることはなかった。


「安心しろ。俺は優しいからな。首を落として一瞬で楽にしてやる。まあ、虫は首をもがれても多少は生きているらしいから、しばらくは我慢が必要かもな?」


 グローリーは周囲を見て、他に助け船がいないかと気配を探った。感じ取れるのは、住民達の畏怖のみ。それがわかったと同時に、すかさずジャマダハルを握る手を振り下ろそうと握力を強める。


 バシュッ――――!!!


 頭の上から小さく肉が弾けたような音がしたと思ったら、次の瞬間、握りしめた筈のジャマダハルが血の雫と共に自分の横を落ちているのが見えた。

 遅れて、手に痛みが生じる。血の溢れる傷口を見て、自身に傷を負わせた手段に見当がつく。


「狙撃か。どこから」


 グローリーを撃ち抜いたのは、外で待機しているバシューだ。街に潜入する直前、コンスタン以外の人物から合図を出したら敵の手を撃つよう取引していたのだった。

 静かな怒りを弾丸に込めて、仇敵に一泡ふかせるという彼の出番はここで終了した。同時に敵の注意を反らし、十分すぎる間を与えるという野兎の思惑からクランクアップしたのだった。

 ザザッ――――足が引き摺る音がして、振り返る。そこには倒した筈の野兎が、凶刃を振り抜くところだった。間一髪で顔を反らして避けるが、左耳の膜を掠め、切り裂かれた。

 ジンテツの方は、クレイを護るように覆い被さって着地した。


「死んだフリはめんどくせぇ真似ではなかったのか?」

「休んでただけだ。勝手に殺すなよ」


 余裕そうな態度をしているジンテツだったが、グローリーによって付けられた『Xの傷口』から血が出続けている。


「今にもポックリ逝きそうだな」

「うっさいッ!! 知らんわボケ!!!」

「なんてキレ方してんだよ。寿命が縮むぞ」

「なんのこっちゃ! こちとらいつだって死ぬ気で全力全霊尽くしてンだよ!! 腕捥がれようが内臓引きずり出されようが、俺は死なない!!! っていうか、死んでも殺しにいくけどね!!!!!」


 吐血しながらも、確固たる意志を示すジンテツの目には猛火が激しく燃えていた。

 情熱的で狂気に満ちた戦闘思想は、無情なグローリーの脚を無意識に小さく退かせた。

 その事を足下を見て理解したグローリーは、不適な笑みを浮かべる。


「死の縁を前にしている猛者程、威勢極まれりか。気圧されたのは初めてだ。出来れば、もっと早くに味わっておきたがったが」


 ジャマダハルを拾い上げ、グローリーは銃撃を警戒しながら近づく。


「同時に貫いてやるか、あるいは――――」


 得物に付着した自身の血を舐め取ってから、刃先を向けて構えるグローリー。先の一発から銃による奇襲が一向に来ないのを不振に思いつつも、脚に力を込めて駆け出す。石畳の雪を弾きながら進み、ジンテツ達に届く距離まで来たタイミングでジャマダハルを振り下ろす。

 寸前、間に突如として氷の壁が反り立った。グローリーの攻撃は壁に激突して阻まれ、さらに壁から氷柱が伸びて射出した。

 アクロバティックに躱され、氷壁の反撃は敵を後退させるだけに終わった。

 横から滑り込むような出現だったのを見逃さなかったグローリーは、その方向に首を向ける。長い青髪と水色の瞳を持った高身長の女が、白気と霜の纏った手を翳していた

 クレイの親友、スヴァル・ストライクだ。


「なんでこう、君って兎は死に急ぎムーブをかましてくれちゃうかな?」


 いつもは何事も滑稽そうに微笑を浮かべているスヴァルだが、今回ばかりはつまらなそうに、哀感で曇っていた。

 彼女の横には、ホビットとエルフの区衛兵も共に駆けつけていた。


「少し暴れすぎたか」

「安心しなよ。アタシ達は帰りの遅い仲間をお迎えにあがっただけだから。看過したくないけど、こっちとしてもこれ以上ややこしくしたくないんだよね。ここらへんでお開きにしない?」


 スヴァルの投げた提案に、グローリーは軽く顎を引いた。

 これは賭けだ。スヴァルは、枝角を生やした赤毛兎を一目見ただけで驚異であると察知した。グリフェール、ムクソン、そしてジンテツの痛々しい様からも、グローリーの強度レベルが容易に測れる。

 是が非でも押し切ろうと、スヴァルは更なる脅迫ハッタリを付け加えた。


「もう気づいてるんでしょ? 君の手を撃ち抜いたのは、街の外にいるアタシ達の仲間だ。今もスコープ越しで君を見ているよ。さっきとは別の位置からね」


 かなり無理のある脅しだ。

 犬の獣人二人はパークの拠点捜索で手一杯。アリスはまだ再起していない。カインとシラとは連絡がつかない。調査がほとんど進展していない状態では下手に応援を呼べない。

 今出せる戦力は全て出し切っている。最早、戦闘続行を選ばれてしまえば数の暴力で押し潰される。

 スヴァルは内心で必死に祈った。


「はぁ、中々に使いやすい脅しだが、いかんせん素材が不揃いだ。無謀な博打は帰り時を見失うからお勧めしないぞ。霜の妖精」


 やっぱダメか······――――スヴァルは苦笑し、応戦することにした。

 グリフェールは手遅れのようだが、ムクソンはまだ微かに息がある。ジンテツの元気を信じてクレイを任せるとして、ムクソンの方はキツそうだが区衛兵達に運んでもらうとしよう。そしてスヴァルは、グローリーの対応。

 即席の逃避構図を脳内で組み上げ、実行に移そうと動き出す。――――だが、その前にグローリーが一瞬ふらつく。足下が地面を捉えられていないようだった。

 ジンテツから受けた一蹴が、思っていたよりも深刻に響いていたのだ。それを見ていないスヴァルは何が起きているのかわからないながら、好機であるとして氷壁をグローリーの周囲に廻らせた。

 小癪な、とグローリーが蹴り破った時には、既に敵影は微塵も残されていなかった。


「諦めないぞ。ジンテツ、お前だけはな」





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