不遇【ポルワ】




 状況は最悪。

 前には、エフィーちゃんを人質にしている虎の人獣クリオ・マカイロドゥス。

 後には、アリスの状態異常魔術から脱した豹の獣人ダガーテール。

 対して私達の現在の戦力は、平気そうにしている満身創痍のジンくん。

 【病魔】によって意識が薄れているアリス。

 そして、無傷だけれど逃げる手立てが見据えられず混乱している私。

 紛ごう事なき絶望的展開。最悪すぎて、胃液が喉まで逆流している不快感が。


「それで、どいつにやられたの? ダグ」

「背負われてる金髪眼鏡」

「わかった。じゃあ、片腕貰うわ」


 クリオは、両手にサーベルを持って構えた。彼女の目は、私に背負われているアリスを貫いている。

 ――――まずい!

 私は咄嗟に、細剣を向ける。


「"雷帝の【盾兵ブークリエ】"!!」


 雷の盾を作り、クリオの強襲に耐える。


「盾? 少しビリビリする。ヤな感じ」


 クリオは後退して、私達への攻撃に戸惑い始めた。


「気を付けろよ、クリオ。そのねーちゃん、雷の魔式使いだ」

「マジ? 先に言ってよ」


 ダガーテールからアドバイスを受けたクリオは、嫌そうに眉をひそめた。

 これはしめたぞ! ダガーテールの銀装備は対魔術戦対策特化だけれど、今のやりとりと反応からしてクリオは純粋な武術特化の戦法を得意としている。彼女が相手なら、少しは優位性アドバンテージを得られる!


「マジ最悪。私、静電気でビリって来られるの本当にヤなの。だから雷属性の奴は苦手。もう本当に苦手」

「そう。お気の毒。パチパチって光ってて綺麗なのに」

「綺麗? バッカじゃないの?」


  旋回しながらクリオは接近し、私の後方に回り込んで低姿勢からサーベルを振り上げた。

 速い!? 対応しきれない! アリスっ!

 殺られる――――そう危機感に駆られ、私は目を閉じた。けれど、背後からしたのは剣と剣がぶつかり合って火花が散った衝撃だった。遅れて振り向くと、ジンくんが防いでくれていた。


「あなた、なに?」

「手負いから殺るとか、ハイエナみたいにこすいな」

「弱い奴から消えていく。摂理では当然の行く末でしょ」

「し~らんぺっ!」


 ジンくんが押し勝って、さらに追撃した。クリオは華麗な身のこなしで回避して、ダガーテールの隣まで退いた。


「なんなの、あの野ウサギ。変な気配。妙に鋭い」

「どっちかの奴隷だろ? 気を付けた方がいいぜぇ。レオの伯父貴を殺りやがったからな。ただもんじゃないのは確かだ」

「マジで」

「後ろ見てみ」

「ええ? あ、ホントだ。死んでる。やっと死んだんだ。あの無駄毛巻き雄」


 は? クリオ、少し笑ってる?


「あなた達、仲間じゃないの?」


 ダガーテールとクリオは同時に私を見た。


「そうだね。仲間と言えば、確かに仲間」


 クリオが淡々と答えた。


「じゃあ、なんでバカにするの? なんで!」

「悲しめないのってぇ? それこそ、こっちとしてはなんでなんだよ」


 ダガーテールが不満そうに問い返してきた。言っている意味が余計にわからない。


「あなた達にとって、仲間というのがどれだけきらびやかなものなのか知らないし、知るつもりもないけどさ。誰にでも当て嵌めようとするの、後で傷つくからやめた方がいいよ」

「そうそう。俺達パークは、自分で仕留めた獲物を喰う。そこに上下の融通とか順位は存在しないの。実力を以て他を屠って自己を生かす。パークの根本的な摂理は、『弱肉強食』これ一つ。欲しいものはテメェ自身の力で奪えってぇな」

「死んだ奴は等しくゆっくり塵となる。一々、情なんか湧かせようって思う器量なんか持ち合わせていないし、寧ろ――――邪魔」


 なんなの、この二人······てんで話が通用する気がしない。

 純粋な悪意とは違う。ダガーテールとクリオ、この二体の野生動物から漂ってくる感じは、どことなくいつかのジンくんを彷彿とさせる。


 “危険„だ。


 私の中で警鐘がうるさく鳴り響いている。逃げろ逃げろと、立ち向かうことを必死で止めようとしてくる。

 得体の知れない恐怖が、足元から這い上がってくるようだ。怖くて怖くて、細剣を握る手の震えが止まらない。


「おいおい、見ろよクリオ。あのねーちゃん、怖がっちゃってら」

「あらまぁ、なんとも可愛らしい。正直、殺す以外無いと思ってたけど、少し惜しい顔」


 逃げよう。エフィーちゃんは敵の手から離れた。全力で逃走を謀れば、何とか逃げ切れる。

 ジンくんがついてこれるか、それだけが懸念なのだけれど。彼は――――······私の前に出た。


「面白いね。わかるよ、それ」


 愉快そうにジンくんは言った。


「勝手に産まれて、勝手に生きて、勝手に死んで、勝手に朽ちる。取り敢えず、喰ったら寝て、起きたら狩りに出かける。サイクルは成り立っていても、そこに組織的秩序の有無は関係無い。生き方は習っても、矜持を押し付けられる謂れも無い。いつだって、開放的な方がいいもんね?」

「ジン、くん······」


 ジンくんは掌を私に向けて言葉を遮った。

 何かがおかしい。そうだと思ってた、私の中にあった彼への何かが、音を立てて亀裂が走る。

 なんなの、この泥沼に脚を突っ込んだような整理のつかない気持ち悪さは······。


「あなた、なんなの? 察するに、真珠の冒険者でしょ? なのに、その言い草はお仲間があんまりなんじゃない?」

「おいおいおい。お友達どころか、仲間選びも失敗してるじゃぁん」


 クリオとダガーテールは、気の毒にと言うような同情を含んだ言葉を口にした。私は思考が追い付けずすぐに返せなかったけれど、ジンくんは違った。

 彼等の言葉にケケケと失笑してから、彼は答えた。


「お前達こそ、大層に力説しておいて偏見が過ぎるで? 目の良さ、そこで呆けてる馬鹿と一寸とも変わんないんじゃないの?」


 ジンくんの嘲弄に、ダガーテールとクリオは腹を立てて目付きを鋭くした。

 さらっと私までディスったきたものだから、余計にショックが増す。同時に、ジンくんから感じるものが変異していく気配が段々と明瞭になってきた。


「お前達さ、何か勘違いしてるみたいだけど。俺が“正義の味方„に見えるか?」


 ジンくんの投げた疑問に、誰も答えなかった。私自身、どう答えればいいのか以前に、なぜそう言葉を紡いでいるのか意味がわからないでいる。

 理解に苦しい、答えたくない疑問だ。今はなにより、一刻も早くこの場から去りたい。


「じゃああなた、なんの為にここにいるの?」


 クリオが不思議そうにして訊ねる。


「お前みたいな奴を見つけてとっちめる為だよ!」


 ジンくんは唐突に二人に飛び掛かって、衝突した。


「過激だねぇ」

「ホント、考え方だけならそこらのチンピラと遜色無いよ」


 三人は交戦を開始して、私だけ勢いに取り残されたみたいになった。

 時間稼ぎ? 今のうちに逃げろってことなの?

 ジンくん、レオナルドとの闘いを終えたばかりで体力を使い切って、傷だって痛む筈なのに、黒霧無しで同程度の強さを持つだろうダガーテールとクリオを相手に拮抗している。

 信じられない。なんて馬鹿げた不屈タフさなの。立っているのも辛いだろうに。

 周囲に敵の気配は無い。応援は二人だけか。······アリス、ごめん。もう少し我慢しててね。

 私は細剣ブランディーユの柄を改めて強く握った。


「ジンくん、加勢するわ!」

「邪魔っ!」

「はぁ!?」


 どう考えてもこの状況は共闘タッグプレーしなきゃ打開できないでしょ?! なんてわからず屋!


「いいの? あなた、平気な顔してかなり疲れてるでしょ?」

「ヤだね。間違って斬っちゃうかもしんないから」

「心配してるのそこかよ?! とんだ狂暴ウサギだな! どっかの誰かとタメ張れるよ!」

「へぇ~、やっぱいるんだ。そいつ、どんな奴だ!」


 ジンくんはダガーテールの尻尾を強く踏みつけた。「ひゃん!!?」と短く悲鳴をあげたところに、剣を振り下ろして右肩から袈裟斬りを浴びせた。ダガーテールの胴鎧に、綺麗な斜め一閃の跡が刻まれた。

 即座に、クリオが反撃してジンくんを退かせようとするも、彼は退くどころかクリオのサーベルの刃を掴んで動きを制限して右足を左のめかみに回し蹴りを撃ち込んだ。

 クリオは辛うじて首反らして致命傷を避けていたみたいだったけれど、蹴られたところから血を流していた。動きも鈍い。


「素の腕っ節で銀に傷つけやがんのかよ!」

「頭が、クラクラ、する······くぅ······」


 凄い。

 どう見ても劣勢なのに、あっという間に覆した。ダガーテールとクリオ・マカイロドゥス、私の場合どちらと闘っても勝てるかどうかわからない。

 多分、僅差。私が介入したら、こうはならなかった。

 このままなら、最優先討伐対象を一挙に倒せる。結局、私は置いてけぼりじゃない······。


「ケケ。――――さあて、暇潰しは済んだし。取り敢えず、帰るか」


 え?


「ひま······」

「つぶ、し······?」


 ダガーテールとクリオも、私と同じ様に呆気に取られた顔になった。ジンくんは、また一つ大仕事を終えたというような調子で気持ち良さそうと背伸びした。


「帰るぞー。エフィーは俺が背負ってくから、お友達の方、よろしく」

「え? あぁ······うん······」


 袋のネズミ同然の敵二人と周囲に隠れている住民達からあっけらかんとした視線を浴びながら、私達は宿の前まで戻った。後から追ってくる気配は無く、呆気ないというかなんというか、さっきまでの張り積めた緊張感が嘘みたいに霞んでいった。

 それよりも、宿を目にしたら別のことが心配になってきた。とんでもなく事を荒立ててしまった。敵を一人倒せたことは、まあ儲けと言えば儲けだけれども······。


「ジンくん、二人を放ったままでよかったの?」


 訊ねると同時に、ジンくんは無気力に倒れてしまった。


「ジンくん······??」



 ++++++++++



 ······わからない······


 ―――――奴等は見た目が他と変わらなくとも、普通とは違う動きをするから何をしでかすかわかったものじゃない。大抵の生き物の動きには必ず考えがある。だが、狂ってる奴にはそんな思考を感じられない。


 ······わからない······


 ――――お前にあるのは、狂気と殺戮の才能だ。


 ······わからない······


 ――――お前は、任意で気分スイッチを変えることができる。故に頭の回転が速く、対応力、適応力、いずれもずば抜けて高い。


 ······わからない······何度も······何度も············何度······考えても――――


 そうして俺は、見た夢を忘れて現実に還る。



 ++++++++++



 目を開けると、いつもと違う天井があった。一番新しく憶えた、檜の天井。若干、空気が蒸せてる。外は少し薄暗いな。

 そっか、取り敢えず宿に帰ったんだった。帰って、なんか吹っ飛んだんだ。


「キツい······重い······」


 覚えのある窮屈。身体中、包帯を巻かれているな。

 右足のすぐ横にかかっている重みを確かめるために、腰を起こす。シラが頭の下に腕を重ねて寝息を立てていた。顔は俺の方に向いていて、目元が赤くなっていたのが見えた。

 泣いたのか。――――なぜ?


「起きましたわね」


 正面のベッドにカインが座っていた。読んでいたらしき赤茶色の分厚い本を閉じて【収納空間ストレージ】にしまうと、ベッドから降りて左側に歩いてきた。


「どこまでも気色の悪い。――――あなたが意識を失っていた間の事柄を、僭越ながら私から説明させていただきますわ」


 カインは、前まで喰いかかってきた態度とは売って変わって、冷静且つ淡々とした調子で話した。


「あなたが意識喪失していた期間は二日。その間、敵襲はありませんでしたわ。住民に紛れ、聴取を実施、情報を集めた結果、パークの根城と思われる箇所を割り出し、手分けして見張っておりますわ。現状、まだ目立った動きは見せておりませんが······」

「アリスは?」

「【病魔】を祓うことは叶いましたが、術の干渉影響が予想以上に強かったらしく、部屋で寝ておられていますわ」


 報告を終えたみたいだ。

 伝達だけかと訝しくして身構えていたのだが、すんなりと話してくれただけで安心した。取り敢えず寝よう。


「その方、シラ・ヨシノと言いましたわね。ずっとあなたに付き添っておりましたのよ」

「······」

「血塗れのあなたを見て、顔を青くして駆け寄って。まるで、戦争帰りの家族を迎えに来たようで、なんとも感傷的でしたわ」


 言うて、声に涙は含まれていない模様。疑心暗鬼のプレッシャーが漏れ出ている。


「なにが言いたい?」

「あなたとシラさんは、つまるところそういう仲にあるんですの? 彼女に訊ねたら、一睨みされまして」


 その時のシラの態度を再現しているのか、カインは目を細めて睨みつけてきた。


「そんなの、俺が知るかっての」


 フン、とカインは軽く噴いた。

 嫌見返すのめんどクセェし、手っ取り早く済ませるか。


「別に、俺とこいつはただの顔見知り。それ以上の繋がりは無い」

「それにしては、額の撫で方に妙な親しみを感じますわ。慈しみも取れますわね」


 くどいな。


「なんなんだよ。さっきから」

「あなたはやはり、クレイ嬢の近くに居座るべきではありませんわ」


 言いながら、カインは俺に掌銃デリンジャーの口を向けてきた。引き金に指を掛けている。


「あなたは作戦を聞かずに自分勝手な行動をし、そればかりか賊軍に要らぬちょっかいをかけて場をこれでもかとかき乱しました。敵にとってはおろか、味方にも迷惑千万になるようならば、いてくれない方がどれだけ利になるかわかっていただけますわよね? 昨夜にあなたの言った、妄執とも言える信念には依然として腹立たしさを覚えますわ。見ていたいと言いながら、あなた自ら大事の渦中に飛び込み、起爆剤となって周囲を巻き込む。これ程までの蛮行を、同じ冒険者として見るに耐えません」


 ··················――――。


「あなたにはパークの頭目を倒した実績がありますわ。なので、悪いことは言いません。ギルドは【真珠兵団パール】だけではありませんし、他に十一ヵ所もある。あなたの気性にあった相応の場がきっとありますわ。ですので、この依頼を達成した後、すぐに去ってくださいまし」


 取り敢えず、ムカついたからカインの両手首を押さえ、右手に持っていたデリンジャーを盗んで左足で押さえ込み、額に突きつける。隣のベッドに倒したから、そんなに大きな音は出ていない。


「叫ばないんだな」

「私の扱うべーべ達は、例外無く全て魔力を用いていますの。ですから、あなた程度では型だけ立派なオモチャにしかなりえませんわ。それに、叫んだら後が面倒になるのではなくて?」


 カインの険しい顔に影が掛かる。外はもう夜か。

 扉の開く音がして振り返ると、頭巾を被った若い人類ヒューマンの女が顔を赤くして突っ立っていた。両手で配膳を持っていて、蓋のされた石のお碗が一つ乗っている。

 宿屋の従業員か。


「しゅ、しゅしゅしゅ、しゅいま、せん······!」


 従業員は部屋に入るのを妙に躊躇している様だった。

 蓋とお碗の隙間から微かに湯気が上っていて、香ばしい卵の匂いが漂ってくる。


「卵粥か」

「え、は、はい! ここに置いておきますので、お済みになったら召し上がれ!」


 そしてバタリと扉を閉めていった。


「騒がしい奴だな。寝ている奴もいるのに、慌ただしく走り去ること無いだろ。躾が全然なってない」


 と思いつつ、シラに目を向ければ、何事も無くぐっすりと眠り続けている。


「にしてもさっきの従業員の奴、なんであんな挙動不審だったんだ?」

「この状況を見たら、誰だってあんな反応すると思うのですけれど?」

「は?」


 カインに目を戻すと、拳銃を突き返された。取り敢えず、退く。


掌銃ラルブ、返していただけます?」

「あ~、はい」


 差し出された手に得物を返した俺は、置きっぱにされた配膳を拾ってベッド横の小さな棚に置いた。


「それを食べたら、大人しくしていてくださいまし。決して軽い傷ではないのですし。クレイ嬢に心労を与えない為にも、努力なさってくださいますよね?」

「平気」


 包帯を引き裂いて捨て、コートを着る。


「え?! ウソ······?!」

「お前に俺を止める権利あらへんでしょ?」

「待ちなさい!」


 部屋を出て扉を閉めると、内側からドン、と大きな音がした。気になって開けてみたら、カインが仰向けで倒れていた。額にたん瘤が出来ていた。

 頭を打っただけだから放っておくか。

 一階に降りると、まためんどクセェ匂いがした。玄関から右にある待合室、木製テーブルを挟んで、乾燥して固くなった黒パンを食べている二人がいた。コンスタンとエフィーだ。


「よー」


 呼び掛けると、エフィーはビクッと震えて、コンスタンはにこやかにして応えた。


「怪我の具合はいかがって、なんで大丈夫そうなんですか? うちで一番固いムクソンでも、全治に一ヶ月はかかるレベルだった筈」

「お前も忙しいな」

「え?」

「なんでもない。ところで、他の奴は? まだ帰ってきてへんの?」


 コンスタンは、コーヒーを淹れながら答えてくれた。


「そろそろ帰ってくると思いますよ。あなたの暴挙に対して、パークは未だに何の行動も起こしていません。静かすぎて不気味なくらい。あなたもコーヒーいかが?」

「砂糖ある?」

「ええ、どうぞ」


 茶色い角砂糖を十粒混ぜて、喉に通す。

 口の中がトロロロロォ~ン、ほいで、身体の芯からほわほわわぁ~。


「あー······ウミャイ。至福。舌と頬と胃が溶けそ」

「フフ、コーヒーをそんな風に楽しむ人、初めて見ました」

「喰うも寝るも、生きてるからこそ楽しめるってな。つまらないことはしない主義なんだよ」

「そう、それは素敵ですね。楽観的で道楽的。うちのグリフェールも、後先考えずに自分勝手を働く子です。いつも私を困らせる。クレイ嬢がお悩みにられるわけです」


 なんでお姫様が出てくるんだ?

 コーヒー、おかわりしよ。


「不憫ですよね。あなたのその気性は、良く言えば自由闊達、悪く言えば勝手気儘。どれだけ良いことをしても、結果を無視して過程を批評される。私も、最初はそうでした」


 妙に声色に寂しさを感じるな。気のせい、じゃなさそうだな。

 コンスタンの目は俺を写していない。窓の外、遠くの方を見ているようだった。

 森に棲んでいたとき、迷子になった小鹿を探す鹿を見たことがある。あいつも似たような目をしていたっけ。


「グリフェールの話?」

「はい。彼女の武勇伝は、三騎獣パイユトラス結成前からよく聞いていましたから、初めて会ったときはもう怖くて。野犬に会った気分でしたよ」

「実際は猫だけどな」

「フフフ。まあ、そうなんですけど」


 一度コーヒーを挟んでから、コンスタンは話を続けた。


「グリフェールは、最初会ったときは本当に一匹狼といった具合で、言うことをろくに聞かず、それどころか周りも見ない。コミュニケーションも儘ならず、元から友好的だった二人と比べて段違いに苦戦しました。自分で言うのもなんですが、よく頑張りましたよ。正直、何度も挫けかけました。彼女の見ているものを知らないままでいたのなら、私はここにいませんでした。ホント、世話を焼けさせるったらありゃしない」


 愚痴を言っているにしては、懐かしみと嬉しさが溢れている。我が子を自慢するような、羨ましい限りの母性がコンスタンから漂っていた。


「グリフェールはいい親に会えたってことだな」

「······っ!? そ、そんな、恥ずかしい」


 羞恥心を爆発させて顔を赤くしつつも、満更でもなさそうなんだよな。

 グリフェールは、コンスタンの今の顔を見たことがあるのかな? そうだったらいいんだけど······。



 ++++++++++



 ビルアの街――――酒場『長靴を被った猫亭』

 ここには、旅商人に扮したグリフェールとムクソン、そしてこの二人の護衛というていで一緒にいるクレイがいた。クレイは憂鬱そうにジャガイモのスープを食べていて、グリフェールはそんな彼女のしみったれた様子にムカムカしていた。


「なあ、いつまでしょげてんだよ?」

「だって、私が制御できなかったばっかりに······うぅ······」


 クレイは泣きべそをかきながら小さく嘆いた。

 ジンテツを連れ帰ったその日、皆から感嘆と叱責の視線を一心に浴びたことで、彼女のメンタルは今までに無いくらいに削られてしまっていた。

 二日間、ずっとこの調子である。


「ったく、酒が不味くなる。店長! この店で一番度数高いやつ出して。この女、酔わせてぶっ倒したいからなるべくキツいのだと樽ごと買っちゃうけど?」

「ちょっと、グリちゃん!? 悩んでる人にお酒はダメってコンスタンさんに言われてるでしょ! 店長さん今の注文無しで!」


 ムクソンの訂正は既に遅く、ゴブリンの店長は無言で一本の酒瓶をグリフェールの前に出していた。


「よっしゃ、おい! 口開けろ!」


 酒瓶を握りしめ、グリフェールはクレイに迫った。しかし、背後からムクソンが羽交い締めして阻止する。さらに酒瓶も没収。


「コック! 放しやがれ!」

「いやいや、グリちゃんダメだって! そっとしておこう! ね?」

「うるせぇ! 陰気振り撒く奴は嫌いなんだよ! こいつだけでもうんざりするのに、この街はいけすかねぇで溢れやがってからに!! あァァァァァァ、もー、イライラが止まらねぇ!!」

「あー、もう! 他に客人いるのに――――連れがすいません! 今すぐ大人しくさせますので! ほら、これ飲んで! 飲めっ! 飲めー!!」


 ムクソンは瓶の蓋を指で弾き飛ばして、強引に中身をグリフェールの喉奥に注ぎ込んだ。「やめろ!」と抵抗していたグリフェールであったが、力比べでに勝てた試しがなく溜飲はを許した。すると、頬を赤くしてうとうととし、遂にはカウンターに突っ伏して寝てしまった。

 嵐が鎮まって、安堵の息をつくムクソン。しかし、彼の心労は休まらない。

 元気を取りこぼしたようなクレイを見ていて、どうしてもいたたまれなくなったムクソンは、元気付けようと思案した。


「クレイさん、大丈夫ですよ。皆許してくれたんですし、ね?」


 ムクソンは優しく語りかけた。


「あぁ~、私って奴は、本当にダメダメだ~。なんでこーなっちゃうかな~」


 スープをちょびちょびすくい、口に運び終えれば香りも味も冷めてしまって、折角の料理が台無しだ。ただでさえ、高貴なお方の隣にいるというプレッシャーが常に掛かっていた。ムクソンには荷が重すぎると、心の底からSOSを叫びたい気持ちでいた。


「ムクソンさん」

「は、はいッ!」

「皆さん、なんの前情報も無く組まされたんですよね?」

「は、はい。あの時の驚きは、今でも鮮明に頭に残っています。今にも牙を向けてきそうなグリちゃん、口を開かなくて不気味なバシューくん、正直、みんな近寄りがたくてどう接すればいいのか······」


 ムクソンは結成当時のことを思い出して、顔を青ざめさせた。


「そんな空気で、最後に合流したのがコンスタンさんでした。出会い頭に躓いて、第一声が『ぎゃふ!』ですよ。もう、また変なのが来たって思うじゃないですか。けれど、彼女はすぐに立ち上がって、鼻血を垂らしながら挨拶したんですよ。もう、これだけでわかっちゃいました。あ、この人類ヒト、責任感のある絶対いい女性ひとだって」


 クレイは感銘を受けたように目を開いて、またすぐに俯いて底に具が沈んだスープに映る自分を見下ろした。


「コンスタンさんは本当にスゴいな。それだけで皆さんを和ませちゃうなんて。率いているときも堂々としていて、尊敬しちゃうな」

「いいえ。僕が単純なだけですよ。バシューくんはいつの間にか適応していたし、一番時間が掛かったのはグリちゃんですよ」


 ムクソンは、クレイと反対側にいるグリフェールを見ながら言った。彼女は酒を抱き抱えながら、グーグーとだらしなく喉を鳴らしている。


「まったく、最初はこんなかわいい寝顔を見せることはありませんでした」

「そうなんですか?」

「はい。いつも何かにイライラしている様子で、正直、怖い人でした。目は獲物を求めているかのように常にギラついていて、尻尾は落ち着きが無く、口を開けば暴言しか知らないのかと言わんばかりの悪態の数々。兵士というより、蕃族っ気が強く出ていました」


 クレイは、ムクソンの言ったかつてのグリフェールを想像してみた。奇しくも、どこぞの野ウサギと初対面したときのような感覚を思い出された。


「なんだろう。笑い話にするには、身近すぎて笑えません」

「もしかして、ジンテツくんですか?」

「······はい。彼も、まあ、最初は似たようなものでした。こっちは仲良くなりたいのに、どうしてか警戒されて。当然と言えば、当然なんですけどね」


 クレイの頭は、ジンテツとのファーストコンタクトの場面を再生していた。初めて見る何かに、怯えと興味を抱えた野生動物の様。

 その時のクレイも、警戒をしていた。だから、真正面から身構えて対峙した。

 ジンテツ・サクラコという本質を目の当たりにした後からというのもあったが、今思えば即刻喉をかっ切られてもおかしくはなかった。けれど、実際はサンドイッチ程度で衝撃を受ける程に、常識に疎い森育ちなだけの野ウサギ。

 これを加味すれば、些か可愛げに思えてくる。


「最初は確かに怖かった。でも、単純に環境が変わっただけで狼狽えていただけなんですよね。話してみたら、割りと面白いし、ちょっと危なっかしいところもあるけれど、親しみをもって接してくれるしで······でもいざってとき扱いが難しすぎて困るんですよ。あいつぅ~」


 溢れ出る、野ウサギの起こした凶行奇行の数々。

 初めに目指していた華々しい平穏な生活は、一体何処いずこやら――――。


「もう、ホント、わけわからんて」

「うぅ······なんか余計にへこんじゃった。冒険者の方も、大変なんですね」


 鬱屈した空気がムクソンに伝染する。二人して深々と溜め息をついて、重苦しい空気の濃さが増す。

 これを嗅ぎ付けて、グリフェールが目蓋を開く。隣二人の様子を見て呆気にとられ、どう切り返すか頭を掻いて苦悩する。

 二人の話はうっすらとだが聞こえていた。グリフェールにとって、三騎獣パイユトラス結成当時の思い出は決して良いものではなかった。

 彼女にとって、チームという存在は何よりも邪魔なものでしかなかった。一人の行動が全員の責任となり、一人の失敗はチームの失敗と見なされる。束縛されているようで息苦しく、一緒にいるだけで気持ちが悪くなる。

 区衛兵になって二年、グリフェールの気性を理解する者は現れなかった。適応も対応も叶わぬ彼女に、誰もが辟易していた。そんな折に、唐突に下されたドラグシュレイン区本部への異動命令。これは焼きが回ったな、自分の行いについて然るべき処断が下される、と、自他共に嘲った。

 特に、所属支部に対して思い入れなんて無い。寧ろ楽になる、そう無理矢理に考えてグリフェールは赴任した。

 向かった先で出会ったのは、無口な紳士風の鳥男とおどおどしている図体のでかい猪男。そして、最後に合流したとろそうな人類ヒューマンの女。

 グリフェールは悟った。これまでとなにも変わらない。場所と人が変わっただけで、尻尾の立たない日々が続行される。

 三騎獣パイユトラスと命名された部隊での活動は、異動前とは比較にならない程苛烈な任務ばかりで、性に合っていた。不満を挙げるとすれば、やはり団体行動であることだ。

 ムクソン、バシュー共に実力が高く、一緒にいる分には別に構わない。だが、それによって倒せる敵の数が減ってしまうのが気に入らなかった。悩みの種は自分等を率いる隊長に任ぜられたコンスタン・ダルトにある。

 情報処理をしていたにしては、彼女の作戦指揮者としての手腕は意外にも高かった。三人よりも就任時期が長かったからか、如何なる状況においても冷静さを欠かず、臨機応変に大事に対応してみせた。

 結成から半年頃には、冒険者で話題となっている真珠三卿精トロワ・ペルルに並ぶ最強の部隊として名が挙がるようになっていた。

 名声やら、歓声やら、栄誉やら、そんなものを得たところでグリフェールの中ではなにも変わらない。

 空虚で無色。嬉しさも温かみを感じない。グリフェールが欲しいものではなかったのだから。

 唯一、気づいてくれたのはコンスタンだった。部隊長といのもあるのだろうが、彼女と話すこと――――というよりは一方的にだが――――が多かった。

 自分のことは知っているだろうに、まるで気にしていないかのように、距離感が全く感じられなかった。誰もが自分を危険視してきて、コンスタンだけは所謂『普通』に接してくれたのだ。

 決して自分を邪険に扱わず真摯に向き合ってくれる、特別に掛けない隔ての無い関係。親愛に満ちた真心。

 気づけば、グリフェールの尻尾は唸らせられていた。その時から、コンスタン・ダルトにだけはなにがあっても牙を向けないと誓った。少々の甘えを添えて。

 クレイとジンテツの関係性は、自分達とどこか似ているとしてシンパシーを感じていた。確信を得たのは、街に着く前の夜に聞いたジンテツとカインのやり取りにある。


『俺はあの妖精がどんな道を行くのか近くで観ていたい』


 感激したのか自身でもわからないが、、これを聞いた時、奇怪と思っていた野兎が別のものに見えた。

 友人にしては低く、また奴隷にしては高過ぎる視点。それはまさしく、親のような純粋な温かみを感じた。

 てっきり通じ合っているものだと思っていたが、見ていてとても残忍でならない。

 グリフェールはぼんやりと言葉を浮かべながら、ダラダラと綴った。


「お前ら、案外いいパートナーになれると思うんだよなぁ」

「グリちゃん、もう起きたの?!」

「もう飲ませねぇよ。まあ、コック。あとで覚えとけよな?」

「ひっ!」


 目をムクソンからまだ突っ伏しているクレイに移して、グリフェールは言った。


「最初からお互いにわかってることなんかありゃしないんだ。だから躓いたりすんのは当然。問題はその後だぜ、お姫様よ」


 クレイがグリフェールに向け、ゆっくりと顔を上げる。そしてグリフェールは、意地悪な笑みを浮かべた。


「躓いたらどうすんのか。起き上がるか、躓いたまま置いていかれるだけだ。一緒にいたけりゃ、とっとと起き上がれ。じゃないと、野兎アイツの堪忍袋の緒が切れて、見捨てられちまうよ?」


 クレイに体を起こして、具や出汁が底に溜まったスープを見下ろした。次第にクレイの表情に苛々が浮上したように眉間に浅く皺を寄せ、途端にスプーンを稚拙に握り締めてスープを勢い良くかき混ぜた。そして、細かな具と出汁が渦巻く冷めた汁を器を持ち上げて一気に飲み干した。


「······嫌に······決まってるじゃない――――あれを見つけて、誘ったのは私なんだよ! あー、もう、ムカつく!! 他人の気も知らないで、あんの野ウサギぃー!!」

「ヒヒッ。で、どうすんだ?」

「まずは叱る! で、謝って、いつも以上にくっついてやる! あっちが好き放題してくれてるのだから、こっちが勝手にどうしようが関係無いってことなんだもんね! ならそうしてやるわよ!」

「そーだ、そーだ! かき乱したれ! あの野兎を逆にぎょっとさせちまおうぜ!」

「やったるわァーッ!!」


 ムクソンの「二人共、おさえて、おさえて」という注意も聞かず、クレイとグリフェールは騒いだ。

 クレイが更なる注文を出そうとしたとき、横からスラーっと一杯のグラスコップが滑走してきた。中には泡だった小麦色の液体が注がれていた。

 来た方向に三人共目をやると、上は白シャツ一枚で袖、襟のボタンを開けていて、下は漆黒の革ズボンと渋い出で立ちの男がいた。髪は赤みがかった茶色で肩まで伸びていて、水気を含んでいるかのように艶やかに照っていた。顔はよく見えないものの、口髭が確認できた。


「いいものだな。若人がそうしてはしゃぐ姿は」

「あ、すいません。うるさくしてしまって――――」


 すぐにクレイが謝るが、男は掌を無気力に向けて遮った。


「構わないさ。何か悩み事があったのだろう。解消したなら喜ぶべきことだ。許すよ。そのシャンディは俺の奢りだ。この街の生姜を使っている。香りも味も、スッキリしていて心地好いぞ。酒は嗜めるだろ?」

「は、はい、ありがたくいただきます」


 戸惑いながらも、クレイはコップの取っ手を掴んだ。


「そうそう、君達の会話で少し気になることを聞いたのだが、答えてくれてもいいか?」


 男はクレイ達に首を向けた。依然、顔の全容が見えないものの、今度は目が見えた。黒い瞳で、底の見えない洞穴のような不気味さが三人の背筋を凍てつかせた。

 クレイは、コップを持ち上げないで「はい」と小さく了承した。


「二日くらい前だったか。俺の友人達が酷い怪我を負って帰ってきたんだ。どうした? と訊ねたら、友人達は口を揃えてこう答えたのだよ。――――『隷属輪具スレイブリングを付けた野兎にやられた』とね」


 男はゆっくりと立ち上がり、クレイ達に歩み寄ってきた。


「さらにその日、他所の国から馬車三台分の商団キャラバンが来たというではないか。その中には、二振りの東洋剣を腰に差した、黒髪黒目の『野兎』の冒険者が同行していたらしい」


 男はクレイのすぐ横にまで来ていた。歩みを止め、トン、とクレイの前に軽く握り拳を置く。

 男の拳からは、気色の悪い匂いがした。


「なぜ黙っている。聞こえているだろう? それとも耳が悪いのか? なら、と付け替えてやろう」


 クレイの耳元で囁きながら、男は拳を開いた。中から、エルフ、人類ヒューマン、犬の左耳が出てきた。

 驚いたクレイは短い悲鳴を上げて椅子から落ち、尻餅をついた。ムクソンも仰天して叫び、立ち上がった。

 咄嗟に攻撃行動を執ったのは、グリフェールのみだ。服の下に忍ばせていた尖短剣スティレットを取り出し、男の喉元に目掛けて切っ先を伸ばす。

 だが、男は速やかに避け、グリフェールの腹に膝をめり込ませ、勢いに乗せて蹴り飛ばして壁に激突させた。

 客と従業員が騒ぎ、即座に店は四人のみとなった。


「俺は質問しただけだぞ。最近の若いのは物騒でいけないな」

「グリちゃん! クソー!」


 今度はムクソンがハルバードを突き出した。怒りのままに両断しようと、振り回す。

 これにも男は諸ともせず、距離を詰めて柄を受け止めた。


「なっ!?」

「驚いていないで、次の一手に移ったらどうだ? 例えば――――倒したと思った仲間が横から奇襲する」

「ドゥルァッ!」


 男の予想通り、グリフェールが横から尖短剣スティレットを振り下ろしてきた。男は余裕で後退した。

 奇襲が失敗して舌打ちするグリフェール。自棄糞に追撃して、男を壁に追い込む。


「"強化魔術グロウ・アップ攻撃向上レイズ・アタック】"――――"四重牙猫サムタック・フォース"!!」


 赤い魔法陣を尖短剣スティレットに通過させ、攻撃力を飛躍的に上昇させる。さらに、魔法陣を重ね掛けし、刃の廻りに四本の刃が追加。

 グリフェール渾身の一撃が男の腹部にクリーンヒットし、壁に打ち付けられて磔状態となった。


「悪いなおっさん、こちとら正義で動いてるんだ。邪魔しないでくれよ」


 グリフェールはザマァ見ろと言わんばかりに、陰湿な笑みを向けて警告した。その後ろから、ムクソンが駆けつける。


「グリちゃん、無事でよかったよ」

「へっ。あれ程度でやられてたまるかっての。にしてもコイツ、何者だ? あの耳、アイツらのなんてわけねぇよな?」

「こ、怖いこと言わないでよ!?」


 鼻で笑って、グリフェールは男に魔法陣をかけて拘束した。そこへ、クレイが感心して合流する。


「す、スゴいですね。あっという間に終わっちゃった」

「いや、本当ならアンタが対処しなきゃいけないところなんだけどな。どっちが護衛役かわかりゃしない」

「ハハハ、面目ございません」


 頭を掻きながら苦笑するクレイをグリフェールは「へぇへぇ」と軽く許し、話題を移した。


「にしても、派手に騒いじまったな。こりゃあ、コンスタンにどやされるよな?」

「かもね。早く離れよう。敵の増援が来るかも。でも、どうやってこの人を運ぼう」


 悩む二人にクレイが提案する。


「私の【収納空間ストレージ】なら、人一人分は大丈夫だと思うのですけれど」

「じゃあそれで」


 グリフェールの即断即決で、早速実行する。だが、直前でムクソンが男の首が僅かに動き、魔法陣にヒビが入ったのを見てすかさず前に出る。


「グリちゃん、危ない!」


 突き飛ばされ、苛立ったグリフェール。しかし眼前に広がる光景を前に、怒りはすぐに沈んだ。

 拘束したと思っていた男が魔法陣を破壊し、ムクソンの蟀谷こめかみに拳をめり込ませていた。ムクソンは口から薄黄色の吐瀉物を垂れ流していて、驚愕と苦痛で整理のつかない表情を浮かべている。

 男は拳を離し、咄嗟に頭を掴み上げた。


「贅肉に救われたな、猪。だが、頭蓋こっちはどうだ?」


 男を止めようとグリフェールが尖短剣スティレットを掲げて駆け出す。だが、それよりも先にクレイが細剣ブランディーユを抜剣し、下から斬り込んだ。

 回避されるも、拍子にムクソンが解放され、グリフェールが受け止める。

 クレイは男を追って、得物を振るう。


「見事なだな、お嬢ちゃん。どこでそのを覚えたんだ?」


 追われているにも拘わらず、男は余裕の態度を崩さないどころか、最中にボトル瓶を手に取り口へ運ぶ始末。見事と言っておきながら、まるで苦にしていない様子でいた。

 クレイは「"雷帝の【剣兵エペイスト】"――――【刃増加戟ブレード・インクリース】」と唱え、細剣を剣に変えつつ、更に魔法陣を掛けて刃を十に増やした。ばらばらに飛び交う刺突を浴びせ、服を裂いて、男の頬に届く。しかし、その直後に大きく距離を置かれ、以降にダメージを与えること叶わず。

 カウンターから、酒を挟んで男が訊ねる。


「流石は妖精姫フェアリープラント。真珠最強候補と名高い青雷の第二皇女。さっきまで腰を抜かしていたお嬢ちゃんとは思えない過激さだ。感心させられるよ」

「正体を知ってて近づいてきたの?」


 クレイは怒りを覚えながら訊ねた。


「このドラグシュレイン区で、雷属性の魔式を扱う女剣士なんてそうはいない」

「そう。じゃあ、その耳は?」


 クレイは、テーブルに置かれた耳数枚を見ないで訊ねた。男は滑稽そうに歪な微笑みを浮かべ、答えた。


「あれは前からコレクションしていたものだ。最初から狙っていたのは野兎の方だったんだが、まさか探している途中で手掛かりを見つけてしまうとはな。偶然とは恐ろしいものだ」


 まんまと乗せられた。クレイは内心でそう悔やみ、どうこの悪党を凝らしめてやろうかと思考を巡らせた。

 先程、捕縛魔術を解いた当たり、男の魔術耐性はかなり高いと見える。生半可な魔術攻撃は逆に隙を与えるだけ。

 クレイはやりにくさを歯噛みしながら、対抗策を練った。

 男の身のこなしは、ジンテツに比肩するまでに洗練されている。魔術抜きで、純粋な剣技だけで対当できるとも思えない。


 ――――あれ?


 クレイはふと、男の顔に既視感を覚えた。他人を見下したときの歪な微笑み、髪の裏から覗く瞳からは貪欲さが感じ取れる。男の雰囲気には、やはり初めて会ったとは思えない感覚がしてならない。


「まさか······」


 思い当たるなかで自然と浮かび上がったのは、二日前にジンテツに倒された獅子の獣人。


「レオナルド・ネメア······」


 クレイが呟くと、男は笑みを沈めてカウンターから降りた。危険な気配を漂わせ、言い知れない威圧感で妖精姫の翅を震わせた。


「そう言えば。俺が野兎を探している個人的な理由を言っていなかったな」


 クレイはすかさず構えた。剣先に青雷を弾かさせ、威嚇した。

 男は構わず続けた。


「理由は二つある。一つはまあ、親の仇討ちだな。俺はアイツの十三番目の息子で、現状唯一の血縁者だ。他に兄弟姉妹が多くいたが、皆いつの間にか死んでいった。或いは病で、或いは殺され、或いは餓えて。半分しか血が繋がっていないし、特に仲が良好だったわけでも無かったからな。だが、親父は特別だった」

「············」

「所業こそはとても誉められたものではない。俺は身内贔屓をしない性分だ。だからハッキリ言う。親父は碌でなしだ。俺を産ませた母も、どこぞの部族の若い族長の番だったか――――昔、酔った勢いで溢した自慢話だったと思うんだが、忘れた。とにもかくにも、そんな親父にも俺は尊敬していることがある。それは、自分を偽らないところだ。俺はさっきみたいに回りくどかったり、一々遠回りしたりするが、親父はいつだってまっしぐらだった。清々しいまでにな。だから俺は、親父を殺した野兎とやらに然るべき報復を与えようと思っている」


 男の口調は穏やかだった。まるで自分のやっていることは正しく、当然で、なんら間違いの無い行動であると自負しているように。

 実際のところ、彼のやっていることに不可思議な点は無い。要約すれば、『身内を殺られたから仇を討つ』至極平凡な動機だ。

 クレイは少々複雑な気分になった。悪党とは言え、家族を失ったことには同情を抱えてしまう。彼女が割り切るには僅かに間が空いた。

 その油断を利用して、クレイの緊張が解けた隙を突いて強烈な一蹴を喰らわせる。寸前で魔法陣を開いて防御を図られるも、構築が半端だった為に勢いを殺されること無く吹き飛ばした。

 クレイはテーブルや椅子を巻き込んで店の壁を貫き、外まで転がっていった。


「改めた名乗らせて貰うよ、クレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエ第二皇女様。俺はグローリー。グローリー・クリムゾン・ネメア。ちなみに母は、“角付き兎ジャッカロープ„だ」


 男の声は野性的に野太くなっていった。服がビリビリと裂け、足音も重く、大きくなっていく。壁の木材を踏み砕きながらクレイの前に現れた声の主は、筋骨隆々な肉体を持ち、獅子を彷彿とさせる鬣に鹿のような枝角を一対生やした赤い兎だった。


「さあ、まだ質問の答えを聞いていないぞ? カゲロウ娘。お前達の会話に出てきた、『野兎』とは一体誰だ? そして、そいつはどこにいる?」


 クレイは血反吐を吐きながらも立ち上がり、細剣を構えた。

 角兎――――グローリーは二度首を縦に軽く振って「そうか」と呟き、両手に魔法陣を通してジャマダハルを装備した。


「ならば、死ね」


 グローリーは自身を抱き締めるように両腕を交差させて、姿勢を低く低くして構えた。

 言い知れぬ危機感を覚えたクレイは、即座に"雷帝の【盾兵メルセネール】"を発動させようと細剣を地面に突き立てる。が、苦痛で口が回らず、焦る。


「待ちやがれや! 筋肉ウサギ!」


 突如、グリフェールがグローリーを背後から襲いに飛び掛かる。逆手に持った尖短剣スティレットを、脳天に目掛けて振り下ろす。


「くたばれェェェェェェ――――!!!」


 攻撃対象ターゲットは完全に技を溜めている状態。グリフェールの攻撃は、完璧に意表を突いている。

 クレイは内心でナイスと叫び、勝利を確信した。そうとしか思えない、決定的状況であった。

 グリフェールは何にも阻まれず、グローリーを仕留める――――――――そうなる筈だった刹那、尖短剣スティレットの刃は地面に半分程突き刺さっていた。

 持ち主は片膝立てて着陸。

 そして、攻撃対象ターゲットはその後ろで、両腕を振り抜いたように広げていた。彼の手にしているジャマダハルの両刃は、瑞々しい黒みのある紅に染まっていた。

 あまりに予想から大きく外れた展開に、クレイは困惑せざるをえなかった。


「グリフェール、さん······?」


 息が絶え絶えなままで絞り出したのは、目が合った人猫じんびょうの名前。

 しかし彼女は答えること無く、無気力に、鈍く天を見上げた。空には波打つ雲、その中に朧月が浮かんでいて、なんとも物足りない、侘しい夜闇の天涯だった。


「······やだ············――――――――」


 呟いて、グリフェールは血を噴いて背から倒れ落ちた。胴には、心臓部を交差するようにして斜め十字の裂傷が深く刻まれていた。やがて、ドクドクと溢れ出た鮮血は彼女の身なりを濃い紅に染め直し、雪白の街路に痕を残す。

 毛は柔らかく、肌は蒼白に、そしてグリフェールの眼は瞳を喪った。


 そん······な······――――


 全身から力が抜け、クレイの手から細剣が離れる。早く駆けつけて治癒魔術を施さなければならないのに、身体が動かない。

 今行けば、まだ間に合う。そう頭では理解しているのに対して、クレイの身体は現実を受け入れていたのだった。

 冒険者になって二年、片手で数えられる程度は同僚の死を見てきた。あるドワーフの斧使いは大雨の土砂崩れに巻き込まれ、ある魔女ウィッチは強力な魔術を使おうとして残り少ない寿命を使い果たし、ある人類ヒューマンの剣士は野良魔物クリーチャーに殺された。

 冒険者の死は珍しいことではない。ましてや、国を防衛する為に組織された区衛兵の方が近しい。

 理解したくなくても、グリフェールの終わり方はとある意味当然の成り行き。だからといって、割り切っていい道理は無い。

 しかし、グローリーにとってはなんら珍しくない日常茶飯事。よってグリフェールに向ける視線には、歓喜も哀れみもまったく感じていない。


「猫のくせして、気配を絶たずに掛かってくるとは。愚かな女だ」

「――――っ!!?」


 クレイはグローリーの苦言に怒り、必死に念じた。


 動け、

 動けよ、

 早く、動いてよ――――!!!


 息が荒くなって、喉にざらざらとした痛痒つうようが走る。

 身体が段々重くなって、地面に埋まっていく虚無感が肌を這いずり回る。

 吸い込む空気が冷たくなって、熱が薄れて今にも意識が沈みそうな感覚に陥る。


「辛いか? 人の姿になっていたとは言え、おれの蹴りを喰らったんだ。中途半端な防御は意味を為さない。内臓が半ば潰れたかもな。待っていろ。今すぐ楽にしてやろう」


 グローリーがグリフェールを跨いで、クレイの元へ歩いて行く。べちゃ、べちゃ、と乾いていない血がモフモフの足に付着して、地面に肉球の跡が残る。腕を一振りしてジャマダハルに付いた“汚れ„を落としたら、次の獲物に向けて攻撃する箇所を選ぶ。


「首はやめよう。お前の叫びを聞けば、来てくれるかもしれないからな。まるで、囚われの姫君を助けるべく存在する、英雄様ヒーローのようにな」


 凶刃が振り上げられる。


「さて、どこなら大きな叫びをあげてくれるのか。やはり妖精。一枚一枚、翅をむしってやるのがいいか?」


 クレイは、重い腕を背に回して抵抗の意思を見せた。これを受け、グローリーは口角を僅かに上げ、ジャマダハルを握る手を強めた。


「そうだ。それでいい。そうして抗ってくれれば、恐怖がよりよく実ってくれる。精々、大袈裟に叫んでくれよ?」


 言って、グローリーは固く閉められていた縄が断たれたように、腕をスッと振り下ろす。

 クレイは思わず目を閉じて、自身の終息を悟った。





 ····································································································································································································································――――がしかし············






 目蓋の裏しか見えないクレイが覚えたのは、自身の身が切り裂かれる苦痛ではなく、ドン! と何かが何かにぶつかったような、鈍く生々しく、そして反射的に身震いしてしまう程の、痛々しい音だった。

 戦々恐々としながらクレイは左目をゆっくりと開け、遅れて右目も開かせる。

 眼前に広がっていたのは、見慣れた藍鉄色のロングコートの丈長の背姿。棚引く裾が地面につく寸前に短パンと皮ブーツが見え、目を上にやれば短い黒髪と兎の垂れ耳。そして――――――――


「取り敢えず、お前を殺せばいいんだな?」


 聞き惚れるまでに透き通った女のような声で、どこか軽薄で物々しい口調。クレイの中で、これ等の特徴を揃える存在は、たった一人しか知らない。



 ジンテツ・サクラコ――――――――緊急到着。





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