新参者は恵まれない【パ・ドゥ・シャンス】~(3)~




 ビルアの街で一二を争うとされる酒場『繁栄の渓谷亭』。

 胡椒と芋を用いた郷土料理が自慢のこの店に、一羽の武装した野兎と一人の歩く死体の少女という一風変わった余所者が入店した。

 住民達は、彼等に注目する。

 見慣れぬ風貌。そして、野兎の腰にある二振りの物騒な棒切れを目にして、空気は静かになった。

 そんなことを意に介さず、野兎――――ジンテツは強引に連れてきた少女エフィーを隣にカウンター席に腰を落とす。続けて、酒場の店主、無精髭を生やした壮年のオークに注目する。


「生野菜、ある?」


 店内の空気が固まる。


「あるにはあるが、そのまま食べるのか?」

「うん。ドレッシングは無しで。ニンジンは細切りにして、イモは輪切りに、レタスとキャベツがあるなら、葉っぱを剥ぐだけでええよ」


 店主のオークは一旦店の奥に行き、注文通りの品を木製ボウルに盛って出した。


「飲み物はいるか?」

「麦茶」


 ジンテツは無邪気に答えた。

 隣にいるエフィーは、なぜ連れてこられたのか訳がわからずにいる。部屋に着いて、皆が通信で話し込んでいる隙に声を出す暇もなく引っ張り出されてしまったのだ。

 店全体から感じる異様な威圧感に臆しながら、ジンテツの自由気儘な散歩が終わるのをじっと待つ。静かに座すことによって、こちらには敵対意思が無いことを示す。

 だが、エフィーのそんな慎重な配慮もこの街では通用する筈もない。

 兆しは、店主オークの設問に。


「あんたら、さっき来たばかりの商団キャラバンの人達だろ?」

「そうだよ。麦茶おかわり」

「悪いことは言わない。ここには商売できるような場所はどこにもない。面倒事に巻き込まれる前に、とっとと出ていきな。旅の箸休めって言うなら、夜になる前がまあまあ“安全„だ」

「随分と穏やかじゃないな。野菜、こんなに旨いのに。あむ」

「俺達は全員平和主義者なんだよ。だから、あんたのその腰の物を見ると、落ち着かないのさ」


 店主オークは、ジンテツの得物に指差しながら苦言を呈した。


「さては冒険者なんだろ? ろくに事情を知らねぇ荒くれ者がいていい場所じゃないんだよ。この街は」

「そう言うなって。あと三杯は麦茶を飲みたい」

「ここは酒場だ。静かに飲み食いしてくれ。食事のマナーぐらい守れよな」


 店主オークの眉間のシワが濃くなっていく。彼の低い声からは、終始ただならない感情の渦巻きめいたものがジンテツの耳を浮き上がらせた。


「生憎と、俺は森育ちだ。街のあれやこれなんか知ったこっちゃあないんで」


 ジンテツの瞳孔が鋭くなっていく。こちらに関しては、純粋な煩わしさに苛々している。

 これ以上はいかんと思い、エフィーが割って入る。


「サクラコさん、そろそろ戻りませんか?」


 彼女の提案に、ジンテツは耳を貸す気など微塵も無かった。止まらず、店主オーク、引いては店全体に多大な圧力をかけ続けている。

 仲間達はとっくに自分達の不在に気づいているだろうと、クレイ辺りが騒ぎ出していそうと悪い想像が働いて、腕を引っ張ってでもジンテツを連れ戻そうとする。


「本当に、看過できません。もう、十分、でしょ?」


 ジンテツと目が合い、びくびくしながら自分なりに厳しく注意するエフィー。

 厳酷を知る野兎にしたら、風船のような柔らかさでしかない彼女の叱咤など構うことのない細事だ。しかし、ジンテツは従うことにした。

 理由は、面倒そうな気配が近づいてきていて、情報収集する余裕が無いと判断したからだ。加えて、エフィーの今の表情を見ていたくないというのもある。


「かんじょ」

「銀二枚だ」


 収穫は不十分だが仕方ない。

 代金を払い、なんでもないような雰囲気を醸し出してジンテツ達は店を出ようと入り口に向かう。

 面倒事はすぐ近くまで来ている。

 早く立ち去らなければ――――


 ――――ドガッシャーン!!!


 突如、何かが吹き飛ばされて酒場の木製扉が破壊された。店内の目前には、ヤギの角を生やした長身の青年が転がっていた。

 頬には青アザができていて、体の至るところに擦り傷を負っている。見るからに、非情な何者かから暴行を受けた痛々しい有り様だ。


「エリ、サ······くっ······」


 青年は小さく唸って、動かなくなった。

 その後から、豪快な嘲笑が響いてくる。


「ぐひゃひゃひゃひゃ!! 無謀だったなぁ、リチャードくぅーん? これでこのエルフは俺のもんだ」

「そんな、やだ! リチャード! リチャードぉぉぉ!!」


 店の外では、濃い茶髪、もみ上げ、顎髭が一繋がりになっている猫背半裸の大男が、エルフの女性を片腕で抱き抱えていた。その周囲には、醜悪な笑みを浮かべる獣人の取り巻きが四名程度。

 エルフは涙を流して悲痛な叫びをあげ、リチャードと呼ばれているヤギ角の青年に手を伸ばしている。


「今日はすこぶる気分がいいぞ。久しぶりの生娘、それも若年のエルフ。魔力が多分に実ったいい出来の良い子らが産めそうだな。五匹、いや、七匹は欲しいな」


 大男は下品に絶望に溺れたエルフの頬に追い討ちするように、ザラザラな舌で舐め、荒い息を吹かせる。


「リチャード······」

「安心しろ。お前にとってあの男がどれだけ大切なのかは重々承知している。剥製にして俺の部屋に飾って、そいつと向き合ってしてやるよ。野郎共、回収してこい」


 エルフの想いを丁寧に汲み取った鬼畜外道の極みな提案をし、取り巻き達が店内に侵入する。その間、大男はエルフを連れて帰ろうと歩み出す。

 彼は頭の中で、これから行おうとしている淫靡な酒池肉林の構図を思い描いていた。既に身体は昂りに昂って、舌を伸ばして軽快に踊らせ、涎がダラダラと気色悪く溢れ出る。

 しかし、そんな高揚は一瞬にして萎えることとなる。

 店内に入っていったばかりの取り巻きが、悲鳴をあげて吹き飛ばされてきた。「あぁ?」と、大男はゆっくりと首を後ろに向ける。


「おいおい、竜巻でも起きたのか?」


 無様に転がっている取り巻き達を見て、呆れる大男。彼の視界の横、店の中から見知らぬ黒髪黒目の人兎属ワーラビットが出てくる。

 さっと、大男は警戒心を強めて睨む。


「おー、こんなところにも上玉がいるじゃないか。それも人獣型とはな。新顔か?」


 大男は、包み隠さずジンテツに欲情した。顎に手をつけ、舐め回すように見て吟味している。


「けっ、野郎のケツを見て楽しいかよ」

「あ? は?! お前、男なのか?! その成りで?!」

「なんか久しぶりだな。嬉しないけど」

「なんだよ。男じゃガキを産めないじゃないか。肉付きは抱く分には最高級だが、食うにしても全然良くない」


 彼が刃毀れの酷い刀を持っているのに気づくと、すぐに怪訝も懐く。


「ところで、お前の持っているそれは武器か?」

「面白いだろ。見てくれはナマクラなのに、切れ味抜群なんやえ?」


 惚けた調子で刀を見せびらかすジンテツ。

 その様子を見て、予想外の人物が動揺し、声を荒立てる。


「武器を捨てなさい!」


 一人の住民、ゴブリンの老婦が叫んだ。

 彼女に続いて、酒場の客達、周囲に往来していた通行人達、果ては家にいた者達からと、次から次に騒ぎ出す。


「あんた、お願いだ! 武器を捨てて頭を下げてくれ!」

「そうだ! そうした方がいい!」

「すぐに謝るんだ!」

「頼む! 君の為だ!」

「武器を捨ててくれ! 早く!」


 老若男女、一人として悲観そうにして警告、忠告を絶えず叫んでいる。その様はとても重圧的で、なにより皆揃って恐怖一色に染まっていた。

 まるで、この状況の悦び方を知り尽くしているように、極上の料理を噛み締めたように、大男は不適な笑みを浮かべる。――――彼が含めるは、至上の愉楽。


「そうだぜ、ピョン吉くん。お前、見たところ冒険者だろ? お仕事なのか知らないが、ここでは武器を持つことは原則禁止だ。暴力的な魔術の行使も同じ。平和第一がここビルアの訓戒なのさ。他人の平和を脅かすことは、例え兵隊さんだろうが、お貴族様だろうが、ましてや王族様だって許されない。わかるか?」

「······」

「この街は信じているんだよ。いつ何時においても、暖かい部屋で、暖かい家族の輪を組んで、暖かい飯を食う。そんな平和な毎日を送れるってな。お前だって、そうだろ? なあ?」

「······」

「お前からしたら、俺が悪逆無道の糞野郎に見えてるんだろうがよ。実状は、俺はこの街の平和を守る正義の自警団。で、お前がこの街の害悪糞野郎なんだよ」


 ジンテツは首を左右に向けて周囲を見回した。視界に写った住民一人一人の顔をシワの数まで正確に覚え、大男の方に戻すと大きく溜め息をつく。

 大男や、住民達はジンテツが観念して相応の態度をとってくれると、各々に安堵を得る。

 しかし、この野兎は――――――――街のあれやこれなど知ったこっちゃない。況してや、空気の読み方なんて教えられてもやらない、悪辣なる悪童なのである。


「めんどクセェな」

「······あ?」


 ジンテツは小さく「正義ね、正義」と呟き、一旦視線を真下に向いて、不愉快そうに頭に爪を立てて緩やかに掻き回した。


「取り敢えず、俺は俺で平和を執行すればいいわけね」


 一言溢したジンテツはゆっくり身を屈め、武器と手を地面につけて降伏をする――――と思いきや、瞬時に飛び出して大男の顔面に足をめり込ませて蹴飛ばし、倒した。その拍子に、エルフが大男の腕から放れ、地に落ち着く。

 助けられた彼女は放心状態となっていて、自身の現状になんら反応しない。無気力に項垂れて、色を失った瞳を下に向けている。

 周囲が衝撃で騒然とする最中、ジンテツはエルフを見下ろして言った。


「おい女、一人で歩けるか?」

「······え?」


 エルフが見上げる。涙が流れた後が照って、みすぼらしい面相だ。

 生きる気力を失くしてしまったような彼女に、ジンテツはのんびりと告げる。


「選べよ。あの糞野郎とじゃれ合うか、リチャードを拾うか」


 エルフの瞳に、小さく光が灯る。


「早く行かないと、冷たくなっちまうよ? 傍に寄って温めてあげなよ。まだ、お前がお前を棄ててないなら、早よ行け」


 ジンテツの言葉に希望を見出だしたエルフはまた涙を浮かべ、腰を上げてリチャードの元へ駆け寄っていった。

 その後すぐ、大男が鼻を押さえて起き上がった。


「いってーな。お前、これがどういうつもりかわかってるのか?」


 眉を寄せて大男は訊ねた。

 ジンテツは特に気にしてはいないおろか、何が問題なのかというような首を傾げて言う。


「俺は、俺の平和を乱した奴の面を蹴っ飛ばした。それがこの街の流儀なんでしょ?」


 ························――――――――。

 静まり返るビルアの街。屋根の積雪が落ちる音がよく響き、誰もが呆然とする中で大男が身体を小刻みに震えさせながら笑い出す。頭に手をつけて、大口を開けての大爆笑。

 そして、瞳孔を鋭くしてジンテツを睨む。


「ガハハハハハ――――!!! マジかよ、お前、この空気で!? 正気の沙汰じゃねぇぞ、おい!」

「なんか嬉しそうだな。最近、やなことあった?」

「はっ! 随分と余裕だな。だがまあ、嬉しいってのはそうかもな――――」


 話ながら、大男の身体が段々と変化していく。濃い茶の体毛は黄土色に変わり、四肢は膨れ上がり、歯は鋭くなって牙となり、瞳は血走って赤い光耀を宿す。

 変貌を遂げたその姿は、まさに豪快なる獅子の獣人。首を天に仰向いては轟々と雄叫びをあげ、空気が叫ぶうに震えて降雪と積雪が一瞬にして払われた。

 一目見て、ジンテツは簡略的に判断した。そうした上で、冷静に大男だった獅子に問う。


「えーっと、お前、名前何て言ったっけ?」

「俺か?」


 獅子は再度ジンテツを捉えて、答える。


「俺はレオナルド、パークを統べる首領ドンレオナルド・ネメアだ! ところで、長い耳のあんちゃんよ、お前の方こそなんて名だ?」


 野兎は不適な笑みを浮かべ、答えた。


「ジンテツ。通りすがりの冒険者ジンテツ・サクラコだ。取り敢えずよろしく。無駄毛のおっさん」



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 ジンくんを探す為に宿を駆け出た私は、ビルアの街全体が見下ろせるくらい高く飛んでいた。因みに、アリス、シラ、グリフェールさんを頼んで手分けして探して貰っている。けれど、まだ発見の朗報は聞けていない。

 そんな中、街の入り口から何やら物騒な連中が街に入ってきたのを目撃してまい、どう考えてもパークの連中だろと思って建物の陰に隠れて様子を伺うことにした。

 一番前には風格のある中年の大男が歩いていて、恐らく集団を率いている彼が三名の最優先標的の内の一人だ。人類ヒューマンに化けていて、パッと見じゃわからない。

 暫く進んで、集団は二つに別れて大男の方に四人がついていった。

 大元の方はそのまま帰還だとして、大男あっちは何しに行ったんだろう。気になった私は、大男の方に向かうことにした。

 その内、カップルなのかゴートマンの青年とエルフの女性を目につけて、唐突に女性に腕を掴んで強引に引き寄せた。ゴートマンの青年が掴みかかるも、体格差がありすぎて抵抗虚しく一方的に仕返しされ、酒場に投げ飛ばされた。拍子に扉が突き破られ、大男は高らかに失笑した。

 エルフの女性は泣き叫んで、見るのも聞くのも耐えられなくなった私は、奴等を倒してやろうと魔法陣を開いて細剣ブランディーユの柄を掴んだ。


「待ってください」


 寸でのところで、右腕を掴まれた。振り返ると、頭巾を巻いたアリスだった。


「アリス、放して?」

「いけません。ここは耐えてください」

「でも!」

「ここで手を出せば、作戦に支障を来します。それよりも、抑えるべき問題があるでしょう」


 アリスの言う通りなのはわかってる。けれど、あんなゲスを見逃せるわけがない。一発殴らないと気が済まない。

 私はアリスの制止を振り切って、人込みの間を縫って真っ直ぐ大男達に向かう。けれど次の瞬間、店に入っていった大男の部下が吹き飛ばされて出てきたのを見て、思わず止められた。続いて、その現象を引き起こしたであろう張本人も登場して、私は目を疑った。


「マジ、で······?」


 問題児ジンくん······見つけた······。


「クレイ嬢、こちらへ」


 アリスに手を引っ張られて、近くの建物の裏手に連れ込まれた。あまりの事で整理できてない現状を確認するために、陰からひょっこりと顔を出す。


「これ、一体どうなってるの? ねえ、アリス、どうなってるの、これ?!」

「クレイ嬢、一旦冷静になってください。恐らく、適当にほっつき歩いていたところを、偶然トラブルに巻き込まれたものかと」

「いやいやいや。前々から思ってたけれど、ジンくんのトラブル遭遇率高すぎでしょ!」


 挙げ句にあの野兎ったら、事を余計に荒立てるから擁護しきれないのがなんとも。今正に周囲が異様なまでに警告しているのに、まったく聞く耳を持たず。


「どうしよう······惨事になる前に彼を止めないと。このままじゃ作戦がどうとかの問題じゃないよ」

「クレイ嬢、残念ですがもう手遅れだと思いますよ」


 アリスの言う通り、ジンくんが渦中に身を置いた時点で早いも遅いもない。一秒一秒が過ぎる毎に状況は、最善の解決から離れていっている。

 ジンくんと大男が対面してしまったこの危機的状況を、二人の間に割って入ったところで良化する気がしない。寧ろ、水の泡。

 どうするどうするどうするどうするどうするどうする――――そう悩んでいる間に、相対した二人は名乗ってしまった。

 ジンくんが冒険者と堂々と名乗って、大男の招待がよりにも寄って最優先標的であるパークのリーダー、レオナルド・ネメアだった。

 はい、水の泡。


「アリス、これどうしよ」

「私に言われましても。ここは、高みの見物といたしましょう」

「アリス?」

「今のサクラコ殿は無敵。適当な名乗りで相手方を欺いていますし、見物人の中に敵の気配がしない。となれば、可能性薄気味で打算的ではありますが、彼がレオナルド・ネメアを単騎で討伐してくれることを祈りましょう。下手に動けば、サクラコ殿の配慮フォローが無駄となって今度こそこちらが危うくなる」


 私は考えるのに苦しくなって、アリスの提案に従う他無いと思った。ジンくんがジンくんなりに動いているとなると、彼の予定外になるわけにはいかない。

 ここは、慎ましく静観しよう。



 ++++++++++



 クレイの心配と信頼を知らずに受け、ジンテツは得物を握る手を強める。

 レオナルドは両手を地につけて姿勢を低くし、咆哮をあけながら突撃してきた。手足の爪で地面が割れ、迫力だけで吹き飛ばされそうになる獅子の突貫を、ジンテツは左手で襟首を掴み、右手は刀を握ったまま鎖骨に押し当て、腹に右足を踏みつけるように支えて、あとは勢いに任せてレオナルドを後ろに投げ飛ばした。

 あまりに鮮やか且つ流麗ないなしに、投げられているレオナルドは最中に驚愕しながらもろに顔から墜落。しかし、起き上がった彼は鼻血を出してはいるもののダメージを感じている様子は無い。フン! と鼻血を強く噴き出して息苦しさを解消してからジンテツに振り向く。


「中々、ちゃちい事をしやがるじゃないか」

「お前みたいな奴とは、森で何度も殺り合って慣れとるさかいに」


 森に棲んでいた頃、ジンテツは野生の熊やトロール等の野良魔物クリーチャーと散々殺し合いをしてきた。彼は自身の戦績から、レオナルドの対処法を確立させていたのだ。

 敵の有利点は剛力、加えて強靭な筋力により直線的な瞬発力も決して馬鹿にできないが、まだ対処できる範囲内。懸念があるとすれば、文化的な抵抗手段を有しているかどうか。要するに、武器や魔術を用いた場合、それ等によって戦局は大きく変わってしまう。

 懸念とは思いつつも、ジンテツには些細な誤差でしかないのだが。


「取り敢えず、恨みは無いけど八つ当たりさせて貰うで? 最近の俺は、すこぶる機嫌が悪い」


 言って、ジンテツは斬りかかる。

 見たところ、レオナルドは魔術を得意としない。先程の突撃で、魔術を施した様子が無いと推察しての判断だ。殴る蹴るの単純な近接格闘型。

 ジンテツの殺り易い獲物だ。


「ぐん!」


 ザクッ、と鈍い感触がジンテツの手に伝わってきた。レオナルドは、両腕を交差させて防いでいた。

 出血しているが、断ち斬るつもりで振り下ろしたというのに、ナイフを斬りつけた程度の浅い切り傷しか与えられていなかった。


「自慢の毛皮だ。多少斬れた程度じゃ――――」


 ジンテツは感触に違和感を覚えた。すぐに飛び退こうとするも、刀が引っ掛かったように離れずに動作が遅れる。

 その隙に、レオナルドは右腕を振り上げてジンテツの頬に拳をめり込ませて力強く殴り飛ばした。地面を二、三、バウンドして転倒。ジンテツの視界は眩み、身体はバランス感覚を失ったようで足腰が立たない。


「見ろ」


 ハッキリとしない眼前で、レオナルドの腕が治っていくのが辛うじて確認できた。


「これくらいじゃ、掠り傷にもなりはしないんだよ!」


 レオナルドは、ジンテツの怯んでいる内に今度は腹を殴打した。身体の中枢。心臓と鳩尾みぞおみの間を確実に射抜いた、嘔吐不可避の決定的致命打クリティカルヒット

 観戦していた住民達の大半は、反射的に目を背けた。また新たな犠牲者が出たと悲しむ者までいた。

 殴られたまま掲げられたジンテツの口から、唾液と胃液が溢れ出る。


「無残なものだな。どれだけ勇ましく立ち回ろうと、どれだけ粋がっていようと、絶対的強者の前では全て雑草と変わり無く毟り獲られる。最後にはなぶられ、弄ばれ、貪られ、身も心も腐るまで骨の髄までしゃぶり尽くされる。なんとも残酷で、甘美で心地ののいい顛末だと思わないか?」


 ジンテツはレオナルドの腕を掴んだ。しかし、特になんら影響は見られない。


「いいか? 長い耳のあんちゃん。これが“正義„なんだよ。摂理に則った始終を、自らの手でもたらす者にのみ赦された絶対不屈の権利。お前程度の雑草じゃ、他人に使われることでしか生きる術を見出だせない弱者なんかじゃ、根の太い樹木には痒みしか与えられない。無駄! 無駄! お前の遣ること為すこと全て、何の利益も生まない“無駄„でしかないんだよ!!」


 レオナルドは、最後の一文を終えるとジンテツを容赦無く地面に叩きつけるように振り落とした。地面は軽くへこんで、典型的な弱者の生々しい現物モニュメントだけがそこに在る。

 住民達は改めて目に焼き付けた。反逆した場合の過程と結果、そのいい例となって。

 中には、片隅に希望を抱いていた者もいたようで、挫折して膝から崩れ落ちた。

 静観を努めるクレイも、目を疑う光景に飛び出す気合いを持てず、口を押さえて挫けた。

 レオナルドは眼前に広がる景色を絶景として、堪能していた。彼にとって、絶望に溺れた弱者の顔色はジューシーなステーキ肉と同等の御馳走なのである。

 憂さ晴らしを終え、喜色満面でレオナルドは告げる。


「誰の差し金かは知らんが、冒険者を雇ったところでなにも変わらない。まったく、理解に苦しいぜ。ここの安寿は俺達パークが保証しているんだぜ。なのに、なぜ冒険者を雇うんだ? どこか不満なのか?」


 レオナルドの唸りの混ざった問い掛けに、住民達は皆震え上がる。


「そうだよな! 冒険者は存在そのものが武器すなわち抵抗意識だ! それを雇ってるってことは、俺達の保護下にいる生活が『嫌だ』ってことなんだろ? なぁ? そうなんだよな!? せっかく守ってやっているのによ! この仕打ちはあんまりなんじゃないか――――」


 怒号が突然、遮られた。ほんの一瞬に起きた現象を簡単にまとめれば、レオナルドは蹴り倒されたのだ。

 下手人は、先程打ちのめされたばかりの野兎、ジンテツだった。彼は背後から、レオナルドの頭に目掛けて渾身の上段蹴りを浴びせた。

 横になったレオナルドは、四つん這いでジンテツを見上げる。先程までの喜悦は一転して、屈辱へと塗り替えられた。その現実を認識すると、獅子は野兎に牙を向いて襲いかかる。――――が、ジンテツは軽々と避けて、過ぎ際に喉を切り裂いた。

 ボタボタと多量に流れ出る血を押さえ、冷静に傷を超再生させて治すレオナルド。そして、すさまじい剣幕でジンテツを睨む。


「お前、なんで立ってられるんだ?」

「······えぇ?」


 ジンテツは聞き耳を立てた。

 あまりに舐めているとしか思えないふざけた態度に、レオナルドは憤慨して吠える。


「お前はなんで立ってられるってんだよォォォォォォ――――!!!」

「うっさいなぁ。そないに叫ばんでも聞こえとるわ、ボケェ~!」

「ぐぅぅぅぅぅぅ!!?」


 怒髪衝天。レオナルドの鬣は逆立ち、揺らめく様は燃え盛る猛火を彷彿とさせる。

 一声上げれば風が巻き、一息凄めば雪は溶け、一瞬にして周囲に猛威を振るう。正に、レオナルド・ネメアの現状は一目瞭然な怪物。これ以上刺激を加えれば、たちまち爆炎となりそうな勢いだ。

 観戦者は悲鳴を上げ、安寧を求めて子供をつれて家に帰ったり、現実から逃げるように意識を手放したり、その者等を連れて物陰に隠れたりして、段々と姿を消していった。

 寂然となったビルアの街。尋常でない環境下となった不自然な只中でただ一人、ジンテツだけはいつも通り――――否――――日常いつも以上に平然としていた。

 殺意を剥き出しにし、憎悪をその身に浮かび上がらせた怪物を前にして、この野兎ときたら口を開けば――――


「なんか広くなったな。これなら楽に動ける」


 解放感を覚えていた。

 とこまでも泰山自若の態度を崩そうとしない野兎に、レオナルドは怒りのままに突撃した。

 向こう見ずの直行を回避するのは容易い。ジンテツは横に大きくステップして攻撃を掻い潜る。が、レオナルドは即座に方向転換し、追撃する。

 少し驚きながらも、これも楽々と回避。しかし負けじとレオナルドは追ってくる。

 襲撃は依然成功する気配が無い。大口を開け、腕を伸ばして、脚に力一杯込めて速く距離を詰めようと、霞みのように隙間を通って掠める事無くすり抜けられる。反撃してこないことも合間って、レオナルドのストレスは溜まっていく。

 舞台は大きな無人の食堂に移って、障害物が増えた。レオナルドは構わず暴走。自棄糞でテーブルをひっくり返し、椅子を砕き、床を割ってジンテツをじわじわと奥へ追い詰める。そしてついに、大きく振りかぶった右手が獲物を捕らえた。胴体丸々覆い被せた痛烈なラリアットにより、ジンテツの身体は軽々と壁を破って反対側の街路へと放り出された。

 手応えに確信を得て、埃の中でレオナルドが豪快に嗤う。


「ガハハハハハ――――今の感じ、確実に胸骨は粉砕したな!! 肺もズタズタだ!! さあ、見せてみろ! お前の敗北が決定した姿を!!」


 邪魔な木材を払い除けて、獅子は狩りの成果をその目にしようと店を出る。その先に待っていたのは、崩れた青果店らしき残骸に腰掛け悠々とリンゴを齧っている血塗れの野兎。


「むしゃむしゃ――――お前も喰うか? 新鮮で美味しいよ?」


 更にはリンゴを差し出して奨めてくる始末。最早、戦闘中であることを理解しているのかどうかも怪しくなってきた。

 レオナルドの怒りは自分でも到達したことの無い粋にまで達し、血管がはち切れんばかりに赤く浮き上がり、上下の歯が砕けそうに成る程ガリガリと軋ませた。


「コケにするのも大概しろよォォ!! この毛玉がァァァァァァ――――!!!」

「ん?」

「お前達、人兎属ワーラビットは数多ある人外の中でも最弱種筆頭!! 対して俺は神代の頃より君臨し続けた魔獣レオス・ネメアの血を持つ獣系人外最強種っ!! 絶対強者である獅子おれと永久弱者の野兎おまえとじゃ、天と地以上の差が生まれてンだよ!!」


 ジンテツは「あぁ」と呟きながら、どこかで似たような文言があったのを思い出した。

 小屋に棲んでいたときに読んでいた『奇想天外な種の起源』。内包頁九百九十九、巻数五と大変読み応えのある本だとして、愛読書の一つに数えていた。

 レオナルドの話を聴いている中、ついでにネメアの欄で興味深い記述があったことも浮上した。


「“英雄の試練„だっけな」

「あ?」

「そうだ。ネメアと言えば、半神半人の英雄と三日三晩戦い続けて育成に一役かったんだよな。最後には絞め殺されて、毛皮と肉を獲られたんだっけ?」

「それがどうした?」


 レオナルドは唸りをあげ、声を低くして威圧しながら訊ねた。ジンテツは、感情の一切を振り払ったような無表情で答えた。


「お前、先祖と違ってとことんつまらないよね」


 吹っ切れた。自分の中にある、知らない何かがプッツンと音を立てて吹っ切れた。

 レオナルドは、自身がネメアの姓を持って生まれた事に、特に誇りも感銘も受けなかった。

 故郷は年中暖かい森林にある村。両親はごくごくありふれた木こりと主婦。兄が二人、妹が三人。家族皆で助け合って、自給自足の生活を送っていた。

 幸福と不幸に差の無い平凡な毎日。しかし、レオナルドはそんな平凡に『飢え』を感じていた。

 十五歳の頃だった。珍しいものを見たという次兄に連れられ、レオナルドは森の奥にある湖に来た。そこに居たのは、一人の人魚属マーメイドの少女だった。

 途轍もなく美しかった。水浴びから上がったのか、瑠璃色の鱗に包まれた尾びれ、瑞々しい人類ヒューマンによく似た女肢、サラサラした長い緑髪、いずれにも水滴が張っていて、宛ら四体のの精霊属スピリッターが一柱、水精女ウンディーネのように思えた。

 次兄は、顔を赤くして声をかけようかなやめようかなと一人で盛り上がっているその傍ら、この時、この瞬間に、レオナルド・ネメアは『飢え』を凌ぐ方法を本能的に見出だした。

 家族が寝静まったのを見計らって、人魚属マーメイドの少女を見た湖に一人向かった。狩ったイタチと道中で採った木苺を手土産に、彼女に近づいた。最初は警戒されたものの、手土産と会話で少女と親しくなった。

 接していく内に、レオナルドは段々と少女に惹かれていった。柔らかな笑みは上品で、反応する毎に尾ひれを細やかに跳ねさせる様は、愛らしいの一言に限る。

 甘い一時、心地よい気分、何よりレオナルドを満たしたのは――――――――口の中でほぐれる、人魚属マーメイドの柔らかな食感。初めて得る刺激的な快感で身体が震え、鼻腔は血の匂いが癖になって鼻周りに塗りたくるまでして、そこで自身は『捕食者』であると認識した。

 後日、次兄は人魚属マーメイドがいなくなったことを残念に思っていたが、真相を話したらどんな顔を浮かべるのだろうと興味を持ち、二人きりになったタイミングで打ち明けた。次兄は当然、憤った。レオナルドに掴みかかり、何度も何度も殴り付けた。

 最中に見えた次兄の泣き顔は、とても心を揺さぶれた。この優越感もまた、レオナルドには初めての感慨だった。更には衝動に任せて次兄を手にかけたことで、自身は『略奪者』であると理解した。

 次兄の死は不幸にも遭遇した熊に殺されたと家族を欺き通して、レオナルド・ネメアは翌年十六歳の時に家を出た。しかし、その後真っ当な生活を歩んだかどうかと問われれば、否である。

 『奪う』という快感を覚えてしまった身体は、時が経つにつれて抑制を知らぬままに育っていった。結果、行く先々でレオナルドは本能のままに犯罪を犯した。

 やがて自身の姓であるネメアの逸話を知ってからは、自尊心に拍車がかかって蛮行をより激しくしていき、遂には『パーク』という巣窟を作り出すに至った。こうして、自身は『絶対強者』であることを理解した。

 強盗、強姦、殺害――――己の手でできる事は全てやった。飽きることはなかった。止めるつもりも止められる気配もしなかった。阻まれようものなら、悉く破壊してきた。抵抗してくるなら、根こそぎ屈服させてきた。

 輝かしくワイルドなレオナルド・ネメアの生涯。

 だがしかし、順風満帆な瞬間は唐突に遮られてしまった。目の前にいる野兎の放ったたった一言の文句。


 ――――お前、先祖と違ってとことんつまらないよね――――


 否定。

 侮辱。

 苦言。

 退屈。


 弱者は大人しく奪われればいい。

 強者だからこそ全ての事柄が許される。

 弱い奴は糧になる以外になんの意味も持てない。

 強い奴が絶対である。

 これが至高。

 揺らぐことのない摂理。


 それなのに野兎は逆らった。

 それなのに野兎は抗った。

 それなのに野兎は叛いた。

 それなのに野兎は反した。


 野山を逃げ回るしか能の無い弱者の代表格が、まるでじゃれるようにかき乱すな。

 絶対なる支配者はただ一人。

 獣系人外最強種、

 獅子の獣人、

 レオナルド・ネメア、

 ただ一人のみ――――――――


「とっととブッ壊れろ、この埃がァァァァァァ――――!!!」


 屈辱に耐えられなくなったレオナルドは我を忘れ、大きく飛び上がって襲ってきた。凄まじい威圧を放って腕を伸ばし、確実に仕留めようとジンテツの喉元を狙った渾身の突撃。


「ケケ······」


 と、不適な笑みを浮かべたジンテツは、刀を頭よりやや上で横一文字にしてレオナルドの豪腕を受け止めた。

 熊が覆い被さってきたのが可愛く思えるぐらいに、とても重く苦しい一撃。自分が細枝だったらと想像すると、簡単にポキッと折れていた。

 折角、レオナルドが全てをさらけ出してくれたのだ。早くに折れたら、面倒臭い誘惑なんか仕掛けた意味が無い。

 野兎は、叫んだ。


「そうだよなァ······お前が溜め込んでるのは、の方だよなァ? じゃあ取り敢えず、励み合おうぜェェェェェェ――――!!!」


 ジンテツが押し切り、人が変わったように狂乱怒涛の反撃を繰り出す。強靭なレオナルドの体躯に深い裂傷をいくつもつけ、俊敏に攻撃を回避しつつカウンターを喰らわせる。

 レオナルドは激情から強化したパワーによるごり押し一辺倒。

 対して、ジンテツは身軽さを活かした連続攻撃。

 両者共に稀な運動量によって体力が底を尽きつつある。だが止まらない。止まれるわけがない。

 これは完全な殺し合い。どちらかの息が確実に絶えるまで、決して終わらない猛獣同士の闘争。

 ジンテツは流れるような動きで、レオナルドの腕と脚を重点的に切りつけた。攻撃をしてこようものなら、切り込みつつ毛皮を削いでいなし、分厚い胸筋に横一閃を刻み込んだ。

 激情により、痛みを感じないレオナルドは獲物を知覚できておらず、殆んど反射でこうして襲撃している。身体に当たった感覚から無意識に剛腕を振るう暴走状態。

 ジンテツの後を追う獅子によって、障害物が配慮の無い破壊に巻き込まれる。それに生じた残骸に紛れ、野兎の凶刃が細かく裂傷を加える。

 そして大きく後退したジンテツは、レオナルドの暴れている様を顎を触りながら眺める。レオナルドは獲物を見失い、吠えながら当たり散らしている。

 歪に毀れた刃の尖端を荒れ狂う獅子に向けて、ジンテツは言った。


「ケケケ――――もう、十分でしょ?」


 刃の峰に手を添え、照準をレオナルドの胸部に定める。


「来いッ!!」


 一声叫ぶと、レオナルドは耳を傾け、首を向け、獲物の位置を把握。咆哮を一つあげてから、血を撒き散らしながら真っ直ぐ疾走してくる。


「いい子、いい子。そのままこっちにおいで~。ケケッ」


 ジンテツはじっとしてその時を待った。

 誰もが損じる生物が最も無防備になる瞬間。彼にとってのその時とは、「確実に仕留める」「絶対にぶち殺す」と純粋な殺意で頭を一杯にした時。なりふり構わず完了させることに心血を注ぎ、熱中し攻撃を実行した直後という刹那の時。

 飛び掛かったことで身体は伸び切って、腕を広くして、大きく口を開いた、その時――――。

 ジンテツは地面を力一杯踏み抜きながら刃を突き出して、レオナルドの眉間を貫いた。その勢いに押されて、レオナルドの身体は半回転して後頭部から墜落し、そのまま動かなくなった。

 刃は持ち手に至るまで真っ赤に染まっていて、手応えからも確実に脳髄をぶち抜いたのがよくわかる。

 その証拠として、レオナルドの頭から血が止めどなく流れ出ていた。赤黒い水溜まりから、血が石畳の隙間を伝ってくる。靴の裏に付着して、歩くと道に真っ赤な足跡が残った。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



「はぁ、終わった終わった」


 歩きながら、ジンくんは剣を鞘に納めた。悠々と背伸びして、まるで畑仕事を終えた農夫みたい。

 実状は、そんなのんびりとした様じゃないのに。なんてお気楽なんだろう。

 ジンくんとレオナルドの闘いを、一部始終見ていた。黒霧を出さずに済んだ事は、素直に嬉しく思う。けれど、今の彼には近づきづらい。

 酷い怪我をしていてすぐに労ってあげたいのに、どうしても足が踏み出せない。

 なんで、なんで、なんで――――私、ジンくんのことが怖いのかな?


「少し待ちましょう。どこからか賊が見ているかもしれませんので」


 アリスが私の背中を撫でながら言った。私の心象を察しての提案だろう。撫で方が柔らかで労りを感じる。

 今どんな顔をしているのか私自身わからないけれど、今の私をジンくんに見られたくないかな。


「ありがとう、アリス。先にエフィーちゃんを見つけて、戻ろう」

「はい」


 気分が落ち着いてきて、足が動くようになった。

 そうだ。エフィーちゃんも街のどこかにいるんだ。多分、ジンくんに無理矢理連れられたんだ。あの野兎ったら、面倒臭がり屋のくせして自分で面倒事を増やすなんて。


「もう、世話が焼けちゃう」

「おいねーちゃん、なんの世話が焼けるんだ?」


 唐突に頭上から男の声がした。

 いつの間にそこにいたのかわからなかった。ジンくんの闘いに気を取られていたとは言え、気づくのが遅くなるなんて。

 意識した途端、溶けた足がまた固く凍りついて、動けなくなった。途轍もなく鋭い殺気だ。少しでも頭を上げれば刺されそうな、実際に刃を突き立てられているような寒気のする気配。

 これ、ガチでヤバい。


「おいおい、ねーちゃん等よぉ。無視するなよ。っていうか――――」


 気配がぬらりぬらりと近づいてくる。声なんか、耳元で囁かれている具合だ。


「知らねぇ匂い引っ提げちゃって。どっから来たぁ?」

「早くお逃げをッ!!」


 アリスが即座に、魔術で頭上を爆破した。同時に強風に飛ばされて、私は街路に放り出された。

 すぐに体勢を整えて元いた所に目を向ける。そこには、アリスの腕を掴みあげる青い豹男の姿があった。長身の肉食系獣人で、手足が細く、肩、胴、手足に銀の装備を装着している。その隙間から、青地で豹柄の毛皮が覗ける。そして、十指全てに片刃のナイフを括り付けていた。

 それでアリスの腕が掴まれているから、血が出ている。


「危ねぇ、危ねぇ。問答無用で爆破吹っ掛けるとか、ねーちゃんや、お友達は選んだ方がいいんじゃねぇの?」

「放しなさい」

「あ?」


 私は細剣ブランディーユを魔法陣から取り出して、雷を纏わせた。


「放しなさいって、言ったのよ――――"雷帝の【剣兵エペイスト】"!」


 剣にして斬りかかった。私は男の腕を切り落とすつもりで、本気で力強く攻撃した筈だ。なのに、男の腕を斬れなかった。それどころか、尻尾に受け止められた。男の尻尾は銀の装甲に包まれていて、先端に短剣を付けていた。


「魔術じゃねぇな。ねーちゃん、魔式使いか?」


 しまった······。

 危機感を感じて即座に飛び退く。

 私は完全に見誤っていた。

 魔力が練れない。男の銀装甲には恐らく、【防魔】が付与されている。魔術に対する抵抗力が高くなっているんだ。

 まずい、これはかなりまずい!


「レオの伯父貴を探しに来てみれば、お友達といいねーちゃんといい、こいつはとんだ収穫モンだなぁ」


 男は歪んだ笑みを浮かべて、私の方に歩み寄ってきた。アリスは逃げてと言ったけれど、私にその選択肢は無い。近くにジンくんがいるから――――そう思考を巡らせて横を見ると、ジンくんが切り込んできているのが見えた。

 男は私の視線に不振に思ったようで、ジンくんの襲撃にアリスを手放して対応した。剣を掴み止めて、不意討ちは失敗に終わってしまった。


「見ない野ウサギだな? こいつも友達、じゃ、なさそーだなぁ。どっちの奴隷?」

「そのままですよ、サクラコ殿」


 ジンくんの傍らから、男を睨むアリスが手を翳して魔法陣を開いた。


「【過重麻痺エスト・パラライズ】」


 魔術は露出している顔面にヒットして、全身の体毛をびくつかせて膝から崩れ落ちた。そこに、ジンくんがさらに男の顔を思いっきり蹴飛ばした。


「ザマァ、みろ······」


 腕の痛みを我慢しながらアリスは嘲笑した。けれど、弱々しく挫けて両手を地につけた。

 私はすぐにアリスに寄り添った。

 様子がおかしい。顔が赤くて、息を荒くしている。まるで熱が出ているみたいだ。


「アリス、大丈夫?」

「どうやら、あの爪には【【防魔】】以外に【病魔】まで付与されてるようですね、はぁ······」


 【病魔】って、付与したものに発熱を引き起こさせる負荷術デバフ。魔術耐性が低い程、熱の苦しみが高くなる。アリスは私以上に魔術の扱いに長けているから、耐性が低い。まったく、とことん嫌な相手だ。

 私は負荷術デバフを打ち消す術を持っていないし、セルフで解けそうにない。二人の状態を鑑みて、ここは戻った方がいい。


「行こう」


 私はアリスを背負ってジンくんに命じた。けれど、ジンくんは渋い顔をしてその場から動こうとしなかった。


「どうしたの?」

「エフィーを置いてきたまんまなんだけど、どうしよ?」

「はぁ!?」


 忘れてた!

 どうしよう。逃げることばかり考えてたから、エフィーちゃんを探す余裕が――――


「エフィーって、この子のこと?」


 私達の逃げる先に黒装束の女性が立っていた。麦藁色の髪を後ろに一つに纏めていて、耳が毛深く茶色の瞳には鋭い縦の筋が入っている。目から下を黒い布で隠していて、麻袋を右腕一つで背負っていた。

 私達が脚を止めると、麻袋を放り出して今さっき口にした意味深な疑問を明瞭にした。袋から、エフィーちゃんが出てきた。


「エフィーちゃん!」


 私は呼び掛けた。エフィーちゃんは意識を失っていて、返事が返ってこない。


「ダグ、いつにも増してだらしないわね」


 ダグって、豹男の名前か。


「うるせぇなぁ、クリオ。ちょっと小石をぶつけられた程度だろ? だらしないは酷くねぇか?」

「そもそも小石をぶつけられてる時点で、カッコつけて自称してる『ダガーテール』が聞いて呆れる」


 まさかとは思ったけれど、この二人って······レオナルド・ネメアと同じ最優先討伐対象の、豹の獣人ダガーテールと、虎の人獣クリオ・マカイロドゥス?!

 作戦開始直後に、一挙に大物三名と出会すとか、運があるんだか、無いんだか。――――いや、壊滅的に無い、か······。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る