我道の穂先【テリトワール】




 壁外領でとある依頼の帰り道、妙に胸がざわついていた。

 今日からジンテツくんが冒険者を目指して、学び舎の門戸を潜っているわけだけれど、はたして大丈夫なんだろうか。

 あの性格だから、きっと何かしらやらかしている可能性『大』だわ。それで受講生は勿論、講師の方々をもたじろがせちゃったりして······――――なぁ~んてね! アハハハハハ!


「はぁ~~~······」

「まあ、大きな溜め息で御座いますね。クレイ嬢」


 後ろから冷静に指摘したてきたのは、皇女わたし専属のメイドであるアリス・エンカウント。

 同い年の金髪碧眼の美女で、クラシカルな服装が上品且つお胸も豊かなことで包容力がある――――なんてことは決してない。本人曰く、特別な訓練を受けたデキるメイドとのことで、ポーカーフェイスを崩さない。

 そして、途轍もなく冷厳な性格である。

 東洋には『立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花』という、魅力的な女性を表現した詩文があるけれど。ことアリスに限ってはこっちの方が合っている。


「見ればアサガオ、触ればノバラ、口を開けばトリカブト」

「急に何をおっしゃってるんですか?」

「アリスって毒とかトゲあるよねって話」

「背中からぶっ刺しますよ?」


 ほら、スンゴい尖ってる。そんでもって圧がエグい。

 こんな感じで、ズバリ容赦の無い恐いヒトです。――――ちなみに種族はサキュバス。


「それで、先程の溜め息はなんですか? 最近、何かこそこそとしておられたことと何か関係が?」


 ギクッ!? やっぱりバレてたか。

 今の今までアリスに隠し事なんて通じた試しが無いから、なんとなくそんな気はしてたけれど。


「実は、カルス様から厄介事を頼まれちゃって」

「カルス様から? それはまた、さぞや崇高な御依頼とお見受け致します」


 一瞬、悪寒がした。


「アリス、怒ってる?」

「別に」


 だから圧がスゴいって! 絶対に怒ってるやつだからね、それ!


「それで、御依頼というのは如何なる内容で?」


 ん~、これがなんと言ったものか······と、私は言葉に迷った。ものによっては、アリスの鉄仮面が怒りで歪むまではないにしろ、ネチネチと窘められるかもしれない。

 共犯者なんて言い方は悪いけれど、仲間は多い方がいい。彼女は私よりも優秀な冒険者でもあるから。


「実は、森であるウサギさんを拾いまして」


 とはいえ、懸念が無いわけではない。今も尚、あの野ウサギが暴れてないかと想像するだけで、胸中の警鐘が絶えない。



 ++++++++++



 魔術学ニ科の後も、薬草学、魔石力学、呪術学と流れ作業同然で遣り過ごした。いずれも実践的で興味深かったが、面白いとまでには至らなかった。

 何故なら、どれも森に棲んでいたとき、既に会得していた知識と技術だったからだ。

 基礎、応用、発展。いずれも見覚えがある。だから、収穫はプラスでもマイナスでもなく不要ゼロだ。

 とっくに覚えたことをまたやったところで、退屈でしかない。反復ってやつなんだっけ?

 アカン。大体は一度で決めるようにしているから、いまいちその辺の価値観がわからん。

 加えて、俺が何かする度に周りの奴らが騒ぎやがる。それでいて、一人も近寄りもしないんだから。

 しかもその調子が昼飯時まで続くという。

 狙ってやったとはいえ、広々としたカフェテリアで孤島暮らしは何故だか舌を鈍くさせやがる。お陰でクリームパンの味を楽しめない。

 俺、緊張してやがるな。気に入らねぇ。


「隣、よろしいですか?」


 横から雀のような高くて堅苦しい声がした。

 首を向けると、小柄な白い人兎属ワーラビットの小娘が腰の前に両手で巾着袋を持って立っていた。

 俺と同じ人に近い特徴を持った人獣型。

 白髪は長く、前髪を紫色の花の簪で止めているから額までよく見えた。瞳は硝子細工の様なワインレッドで、クレイに並ぶ別嬪さんだ。――――しかし体型は成長途中の模様。人類ヒューマン換算で十三か、四くらいか。

 胸元に白い花弁を七つの線で囲ったような紋様を付けた黒い服を着ていて、より髪の毛の白さが良く映える。右手首には桃色の数珠を通していた。

 腰には一振の刀を差して、鍔は二つの扇が尻を付き合わせているような形だった。


「あんたは?」


 それだけ問うと、小娘はおどおどとしてから、にっこりと微笑んで静かにに名乗った。


「し――――ボクはシラ、ヨシノ・シラというものです。見ての通り、あなたと同じ人兎の娘です」


 初め、咳払いして誤魔化された気がしたが、まあいいか。それよりも――――


どこの言葉・・・・・?」


 俺はシラの言語が気になった。

 種族によって差はあるが、この国の公用語は妖精が発祥の『フランセンシズ語』。次いで世界に最も分布している『大ブリタイン語』。

 このシラという小娘白兎は、どちらでもない言葉を使った。それも、間違いでなければかなり珍しい言語――――極東の島国発祥の『ヒノモトカタリ』だ。


「なんで“鎖国している国„の言葉が聞けるんだ?」


 ひのもとは『極東』と呼ばれる東洋海域でも更に東にあるという小規模の島国なのだが、一年も前から鎖国している。理由は不明。国は変則的な結界に包まれていて、入ることも出ることもできないという。

 世界から隔絶されて、何もかもが謎に包まれている国の言語を扱う小娘。それだけでも怪しさ満点だ。


「それは······。諸事情があって、言えません······」


 シラは目線を斜め下に反らして答えた。

 この感じ。隠す気が無いのか? こういうのって、少しは誤魔化して何がなんでも取り入ろうとするよな。

 なんで隠そうとしない。何が目的なんだ?


「お前、何者?」


 追い詰められたような顔をしてシラは震えた。よく見ると、目が潤んでいて今にも泣きそうだ。

 ······めんどクセェ。

 

「取り敢えず、いいよ。敵意が無いのはわかったから、勝手にして」


 なんか惨めに思えたから、詮索はやめにして許した。すると、シラは満足そうに笑ってひょいと隣に座った。

 巾着袋から自身の胴体と同じくらいのどデカいおむすびを取り出して、リスみたいにむしゃむしゃと囓りついている。マジかよ······。


「それ、腹に収まるのか?」

「え? あ! ま、まあ······はい。もう一つあるので、よろしければ、いりますか?」


 もう一つあるのでよろしければいりますか?

 顔を赤くしながら何を言っているんだ?!


「俺はそんなに喰わない」

「そうですか······」


 残念そうに俯いた。悲壮感が半端ないな。

 見ているこっちがげんなりしてまう。

 紛らわそうとパンを口に詰めていると、目の前にまた妙な連中が来た。――――言うて、それ程妙でもないか。

 紫髪のエルフの女、筋骨粒々のトロール、手足の細長い猿の獣人ヴァナラと、虎の獣人。

 こいつらも俺と同じAクラスで、中央でふんぞり返っていた四人だ。小綺麗な身形と周りのざわついた様子から、受講者の中じゃ相当偉そうな立場っぽい。

 何やら、妙に険しい視線を向けてきているようだ。紫髪のエルフは扇子を口元に広げて、目を背けた。トロールと猿の獣人ヴァナラは明らかに喧嘩腰。唯一、虎の獣人だけは物腰が柔らかそうだ。

 シラといい、ええ加減にして欲しいわ。


「なんか用?」

「舐なめてんじゃねーぞ! 綿毛野郎!!」

「はぇ······?」


 突然、猿の獣人ヴァナラが喰い気味に罵ってきた。真っ赤な顔から火を出そうな勢いで、凄まじい怒りを感じる。

 なんだっていうんだか? 俺とこの猿は完全に初見だ。何かしら因縁をつけた覚えは微塵も無い。ここに来るのも初めてなんだから。


「ハウフィ、いきなりそんな口を利くな。困っているだろう」


 虎の獣人が手を出して諌めた。すると、忽ちハウフィと呼ばれた猿の獣人ヴァナラは不満そうに引き下がった。

 この四人の中、引いてはAクラスで一番偉いのはこいつか。


「食事中にすまないね」

「まったくだ。なんなんだ? お前ら」

「この野郎······」


 またハウフィが噛みつく。そしてまた、ピットが肩を掴んで止める。


「連れがすまない。彼は最近、不良に絡まれて機嫌が悪いみたいなんだ」

「おたくの猿が不良っぽいけど?」

「アハハ······そうだね」


 虎の獣人が苦笑していると、横から三度目の猿が「オイッ!」と雷を落としに来る。


「ピット! こんなクズにへこへこすんな! だからレーザー伯爵家の格が落ちんだろうが! 少しはドッと構えることを覚えろってんだ!」

「やっぱ貴族の出か」

「お前は黙れ!」


 ハウフィ、なんでそんなに態度キツいん? えげつないで。


「そんなムキにならなくても。いや、エテ公ならムッキーってか? ケケケ」


 プフッ! とトロールとシラが噴いた。

 ハウフィの赤面に血管が浮かぶ。


「ふざけンなよッ!! 俺はお前が気に入らねぇんだよ! 毛玉野郎!」

「はぇ?」

「俺はな。奴隷が大嫌いなんだよ! 許されたと勘違いしてすり寄ってくるろくでなしが! お前みたいな礼儀知らずを見てるとムカムカすんだよ! 皇女様の推薦だか何だか知らねえが、何しに来やがったんだ!」


 成る程。そういうことね。

 俺が奴隷・・だからこいつはムカついているわけね。奴隷っていう、ただそれだけの理由でハウフィってエテ公は俺に噛みついてくる。他の傍観者も大体同じ理由か。


「下らねぇな」

「なんだと?!」

「万事、大抵は『つまらない』と思うけどさ、中でも『下らねぇ』と思えるやつって、まとめてマジでクソどうでもええよな。だって、面白味が毛程も無いんだから」


 相当癪に障ったようで、ハウフィは歯をキリキリと軋ませていた。


「野兎ごときが減らず口を······! よし、わかった!午後は戦闘訓練がある! そこで俺とお前で勝負だ! 精々、今日限りの気ままな学園生活を楽しむことだな!」


 そう言って、ハウフィは去っていった。エルフとトロールも追いかける形でいなくなり、残る虎の獣人は重い溜め息を吐き散らした。


「本当にすまない。もう一回謝らせてくれ。本っ当にすまない」

「別にええわ。あんた、結構苦労してんでしょ」

「ええ。まあ、でも。幼い頃からの付き合いで、よくわかっていますから。私はピット・レーザーだ。よろしく」

「······うん」


 虎の獣人ピットは、最後まで友好的な姿勢のままにして急いで去っていった。

 いろんな奴がいるんだな。


「面倒な輩に目を付けられてしまいましたね」


 シラが心配そうになんか言っているが、この小娘白兎はハウフィが突っ掛かってくる度に、なぜか戦意を向き返してたからね。なんなら、一番危なっかしかったからね。なんかもう、俺見向きするの躊躇ってるからね。


「そうだね」


 お前も中々に面倒そうだよ。



 ++++++++++



 学園ギルドでは、冒険者三大要素と呼ばれる指標が評価の基準となる。『魔力』、『技能』、『知能』、戸籍登録票にも明記されるこれら三項目が、冒険者に就きたいのであれば重点的に引き上げなければならない。

 冒険者の力はこれら三要素に起因し、それで確立された上下関係は絶対であるのが暗黙の了解だ。

 正しく、“弱肉強食の摂理„のように――――。


 午後の空は快晴。空気の寒さは程々に、『闘技場』と称される屋外円形訓練所の砂利は固く結束している。

 そこに対面する二体の雄。

 片や、Aクラス一の武闘派ファイター。実践訓練においては暫定首席の成績を誇る暴れ猿、ハウフィ・アッルマリーハ。

 不満で眉間にシワを寄せ、相対している不遜の極みに沸々と怒りを募らせている。

 片や、本日からAクラスに入った新入生ニューフェイス。経歴は一切不明。実力も計り知れない。故に得体が知れない奴隷野兎ジンテツ・サクラコ。

 彼は黒いギャンベゾンを着ていて、その動きにくさに不快感を覚えていた。加えて、妙に騒がしい傍観者、妙に苛立っている相手。何もかもが鬱陶しいと思える。

 この二者は、ハウフィの宣言通り戦闘訓練のパートナーとなった。周囲は二人の一戦に注目している。

 主旨としては、ハウフィによる洗礼。奴隷の身分でありながら、上を敬うことを知らない畜生への心身に苦痛を伴う躾。早い話が虐待だ。

 周囲からはハウフィへの歓声が上がる。

 わかりきった見世物と思いながらも、彼等からしたらアリを意味もなく踏みつけたり、カラスに石を投げたりすることと同じ児戯。

 何も命までは取るまい。そう高を括っているが、ハウフィはそうではなかった。

 奴隷という存在そのものに並々ならない怒りを懐く彼は、ジンテツに明確な殺意を向けていた。


「よう? そんなに気ぃ張ったら疲れるでしょ。少しは抑えろよ」

「気にすんな。俺は元々これくらいでやってる」

「あっ、そーかい。ま、勝手にし」


 余裕な態度。ハウフィはそれが気に入らない。

 まるで何も失うものが無いと言うような、清々しいまでの佇まい。飯を喰らうときや、便所で用を足すときと同じ様に。物を盗むときも、犯すときも、誰かを殺すときも、心を乱すこと無く平然とやるのだろう。

 奴隷とは、穢い手で救いの糸を掴み取った者がなれる卑怯者の冠。社会復帰が見込めると判断されていながらも、その実どう寝首をかこうか虎視眈々と狙っている。

 事実、五年も人格者を装った奴隷が引き取り手の聖職者を切り捨てたという事件が起きている。その奴隷は国一の監獄である学園ギルド【黒曜兵団オブシディアン】に収容され、終身刑となった。

 生温い。赦されざる者には、然るべき厳罰が下されなければならないのだ。

 己の快楽の為なら平気で周りを弄ぶ。奴隷となりながらも、野心はそう簡単に無くならない。いつだって、牙を剥き出しにできるときを待っている。

 この野兎だって同じだ。どうせ、ろくでもない理由で自ら身を貶めたのだろう。

 優れた面をひけらかして、優越感に浸って、なんて意地の汚い。奴隷という自分の置かれた立場を改めて認識させなければ、いつまでも付け上がる。

 ハウフィは身の丈ほどの棒を振り回して威嚇した。


「急かしおる」


 ジンテツは訓練用の木剣を手にしていたが、円柱の持ち手、直線状の武器、ずっしりとした木材の重み、白鞘と異なる感触に不満を覚えていた。

 軽く振るうと、より重みが増して本調子が出ないと確信。即座に適応しようと最適な解を探す。


「その女みてえな面、ぐちゃぐちゃにしてやるよ!」


 ハウフィから攻める。軽いフットワークで急接近し、旋風を巻く棒を左半身を狙う。


火流棍術かりゅうこんじゅつ折鶴三連おりづるさんれん】!」


 宣言と違い、頭、横腹、脛を攻撃したハウフィだった。出だしから容赦の無い猛攻に、周囲は舌を巻いて歓声をあげる。

 だが、すぐに仰天させられる事態が発生。頭への初撃からジンテツが全ていなしたのだ。

 達人の域に達したハウフィ自慢の目にも止まらぬ棒の軌道が、彼には一瞬も逃していなかった。


「マジ、かよ······」

「何を驚いてやがんだ? 早よ切り替えな」


 ジンテツはハウフィが離れるよりも早く、棒を掴んで引き寄せた。「うお!」と短く声をあげた直後に、腹に一閃を走らせる。

 ハウフィは魔力を巡らせてダメージを抑えていたが、それでも衝撃だけで意識を飛ばされそうになった。


「ざっけんな! 強化魔術グロウアップ剛腕三倍アームド・スリー】【瞬速四倍ブースト・フォー】!!」


 そして、二人による武の宴が展開された。

 腕力と速度を向上させ、烈火を裂く勢いで苛烈に荒ぶるハウフィの棍術と、整然と流れるように対処するジンテツの剣術。

 講師はこの闘いを大いに感心した。

 ハウフィの技の完成度は元より、ジンテツの対応力もまた凄まじい。やや拙い箇所が多く、武器に不慣れなのが紙一重で垣間見えるのに、それを苦にしていない。

 そう思わせるのは、ジンテツの足捌きが巧みであるからだ。まるで舞い踊るように軽やかで柔軟。

 踏むというよりは摺り足。それでいて、細身の体躯で繰り出されるしなやかな剣術。

 的確にハウフィの『突』、『叩』、『絡』からなる変幻自在の手数を見切り、翻弄されることなく受け流し、隙あらば懐へ滑り込んですかさず反撃。

 ただ反射神経がいいだけでは収まらない。

 軽快且つ俊敏な動きは、荒々しく流麗。奇しくも、見惚れる程の武の高みへと至っていることが窺える。

 ハウフィは気が気でなかった。自分の攻撃が一つも当たらないのだ。

 それだけではない。ジンテツには頭の上から尻尾の先に至るまで、少しも魔力が介在していない・・・・・・・


 ――――純粋な身体技能のみで互角以上に渡り合っている、だと······?!


 驚愕と焦燥。

 技能や知能はともかく、魔力は確実に勝っている筈なのに、この果てしない差はなんだ。まるで子供のチャンバラに付き合わせているようだ。――――そんなわけが無い!


「火流棍術【隼然蛇蝎しゅんぜんだかつ絶閃ぜっせん】!」


 俊敏に足をくねらせながらの突き上げ。相手には草葉から蛇が飛び出すかの如く、蠍が尾を突き出すかの如く、空を切る一撃。火流棍術最速の技だ。

 これにまた、軽量化と速度上昇の魔術を付加することで弓や大砲を容易く凌駕する“閃光„へと化かす。

 狙いはジンテツの首。木剣を阻もうと構えるも、貫いてきて即座に首を反らして頬を掠める。

 ジンテツは木剣を手離した。次に彼が手中に納めたのは、ハウフィの棒。がしりと掴み、猛攻を止める。


「中々やるじゃねーか。姫様や協会守護者ギルド・ガーディアンのお墨付きも伊達じゃあねぇわけだ」

「どうでもええわ。こんなままごとみたいなお遊びに、いつまで俺は付き合っていればいいんだか」

「まだ口が減らねぇか!」


 ハウフィが飛び蹴りをして、ジンテツは腕で受け流して双方の間に空白ができる。


「そんなにマジの殺し合いを所望か? なら、やってやるよ!」


 ハウフィは棒を捨て、【収納空間ストレージ】から本来の得物である金箍棒きんこぼうを取り出した。両端に金の筒が付けられており、先端の小さな面には火属性の魔法陣が刻まれている。

 それを地面に当てて擦ると、忽ち火花が散る。


「アッルマリーハ! 正式武器の携帯は許可していないぞ!」

「うるせぇ! こんなチャンバラやったところで、なにになる! ましてや、こんな魔術も使えない毛玉野郎ごときに、この俺が弄ばれるわけがねぇんだよ!」


 個人の優劣を明確に決定付けるのは、世間一般的には魔力の格差だ。出力、密度、濃度、いずれも天秤が傾いた方が勝利するという一目瞭然の条理。

 実際、この訓練は魔力による身体強化をメインにしている。だが、ハウフィでなくとも客観的にジンテツが魔力を少しも練っていないことは察知されている。

 この事から、魔術が使えないと結論付くのは容易である。故に、ハウフィが憤らないわけがなかった。

 自身は魔力を練っているのに、相手はそうでない。なのに、一向に距離が縮まらない。やっとこさ届かせられても薄皮一枚が精々。――――実にふざけている。

 それは例えるならば、プロのアスリートがキャリア差十年のアマチュアに劣っているという圧倒的屈辱。

 ハウフィが火流棍術に入門したのが五歳のとき。それから十二年の幾年月、仕合で負けたことは一度も無い。

 まさに天才。既に幾人かの現役冒険者からパーティにスカウトされている。近い将来は【真珠兵団パール】最強の戦士だって夢ではない。

 だからこそ、実力も道徳心も明確に自分以下であるこの野兎に、負けるわけにはいかないのだ。


「火流棍術・秘伝【幻魔陽炎シャドウ・フレア】!」


 先端の魔法陣を起点に、金箍棒の両端が燃え盛る。宛ら、ファイアーパフォーマンスを思わせる芸当。

 ジンテツは感心して小さく「おお」と声を漏らした。


「串刺しにしてやるよ!」

「やなこった!」


 丸腰のジンテツは、新体操のような動きで軽快に避け続けた。淵まで追い詰められて、ハウフィ渾身の炎の突撃が炸裂する。当たろうとしたその時、ジンテツは即座に飛び上がっては淵を足場にして横を通り抜けた。


「この野郎······冒険者じゃなくて、サーカスやった方がいいんじゃねぇーの?」

「ヤだね。鞭で打たれて芸を仕込まれるなんて、御免だよ。つーか、サーカスならお前の方が性に合っとるやろ? よっ! ふぁいあーぱふぁーまー! ケケケ」

「どこまでもおちょくりやがって! 【噴火剛球プロミネンス・ノック】!」


 灼熱の金箍棒を振るって手鞠程度の火球をいくつも生み、打ち出す。着弾すると爆発した。

 変わらず冷静に、淡々と避けて凌ごうとするジンテツであったが、やはりちゃんとした得物でないとやりにくい。木剣では耐えられんだろうし、都合よく白鞘が飛んでこないかと想像する。


「ん?」


 ふと、足に何かが触れた。手探りで掴むと、馴染みのある感触に笑みを浮かべる。

 火球がジンテツに着弾。空気が爆ぜ、これで仕留められたかとハウフィは期待したが、埃に一閃が走る。


「道具は大事にするもんだな。ケケッ」

「チッ!」


 舌打ちするハウフィ。だが、ジンテツの得物を見て、すぐに不適な笑みを浮かべる。

 それは野次馬達も同様で、野兎のボロボロな刃に誰もがざわついた。


「まさか、そんなガラクタでやろうってのか? いい加減に、冗談はやめろよ! 魔力もねぇ奴が、余計に醜態をさらしたところでなにになるってんだ! あァ?!」

「お前、なんでそんなにキレてんの? 俺、お前になんかした? してへんよな? とばっちりが過ぎるでしょ」


 ジンテツがそう答えると、ハウフィは怒りで拳を強く握り締め、身体を震わせ、ガリガリと歯が軋んだ。


「魔術も使えねぇ雑魚が! お前みたいな奴が、なんの役に立つ?! なんの為になるってんだ?! あァ?!」


 理不尽。一方的な暴虐的傲慢。

 いかにも力任せで稚拙な暴論に、ジンテツは耳が腐ったものかと思い耳穴を小指でほじくり回した。――――異常は無し。非常に残念極まりない。

 クレイから聞いていた様とは、まるで別物で幻滅した。実力さえ伴えば、何者も寛容に迎え入れてくれる。

 奴隷だから、無力だからと侮られている。

 基準値は理解している。だが、着眼点が甘い。

 魔力というのは、ジンテツからすれば所詮は魔術に費やすだけの運動エネルギーに過ぎない。それが無いというだけで、まるでいい年して縄跳びもまともに出来ない音痴と蔑む彼等彼女等の訴え。

 筋違いもいいところだ。


「なんだ? 俺が何か間違ったことでも言ってるってのか?」


 何を言おうと、どうせ弱者の僻みだ――――とか思われそうだな。

 そんなにひねくれた考えではないけれど、箱庭で育った弊害で価値観が偏るというのは、頭の病気の中でも正すのが厄介な部類だ。解決法は実に単純なのに、中々治りやしないのだから。

 ――――ああ、本当にめんどクセェわ······。


「魔力は水や鉱石と同じ、汎用的な資源だ。違うとすれば、よっぽどの異常が起こらない限りは実質無限であるということくらいか。だから“魔術„という技能が広まった。普及しやすかったんだよ――――だけど、ここからがお前達の頭が足りてないところ」

「あァ?」


 ハウフィの怒りなど全く意に介さず、ジンテツはこの場の全員に聞こえるように声を張り上げる。


「感情を糧としてまじないをかける“呪術„、星の動きから未来の事柄を予測する“占星術„と、魔術に限らずこの世には多種多様な“手段„がある。一概に、魔術のみを優遇してそれ以外を排斥するとか、愚考・・ってやつなんじゃないの?」


 それは根底からの魔術文化の否定に他ならなかった。先人達の築き上げた文明の利器、奇跡の派生、神の恵みを、まるで付属品と隔てるような言葉の数々。

 呪術も占星術も、魔術から枝分かれした文化であるが、多くは一子相伝で外聞に伝わりにくい。故に、結果的に魔術が最も身近な技能として世界に浸透した。

 それを『愚考』と吐き捨てる暴挙を、一部を除いて赦さぬものなどいなかった。


「よーくわかった。つまり、お前はこう言いたいんだな? 魔術が使えなくたって、冒険者として上手くやっていけるって······」

「その辺は自由に受け取って。ま、“持ってない側„の俺が今ここに立ってるんだ。ゼロやあらへんのは確かでしょ。俺はここを縄張りにするって決めたんだ。とやかく喚き散らかす下らねぇ雑草は、根刮ぎ苅り尽くしてやる。そんで、俺は平穏な暮らしってやつを送るんだよ」


 野兎の余裕綽々とした態度。自信に満ち溢れた野蛮な思想は、ハウフィに生涯一の憤怒を叩き出した。

 最早、彼には加減も、容赦も、躊躇も無くなった。

 目の前にいのは敵だ。そう言い聞かせ、火流棍術の“最大奥義„の構えを取る。


「そこまで啖呵切れんなら、逃げるなよ。絶対にな!」

「······上等や」


 ハウフィは棒を深く、腰を低くした。

 遊び半分では済まないと危惧した講師がすぐ様止めようとするも、ジンテツに睨まれて引っ込んだ。

 これより先は、誰にも手出しできない。そう確信して、せめて結界を張って余計な被害が出ないように努めることにした。

 ジンテツは「しゅぅぅぅ······」と息を吐いて構えた。それは単に剣を両手で携えるわけでも、半歩引いて刃を向けるわけでもなかった。

 少し脱力させた直立不動。これがジンテツ・サクラコにとっての迎撃態勢だ。

 依然、魔力の巡りは微塵も感じず。


「どこまでもなめ腐りやがって――――火流棍術・奥義【爆裂果敢ばくれつかかん】!」


 先に動いたのはハウフィだった。金箍棒全体を炎が螺旋を描き、これに穿たれれば肉が抉れて焼き果てる。

 野良魔物クリーチャー以外で使うつもりは無かった。だが、魔術を侮辱した罪は重い。

 現代における、武術と魔術双方の粋を交錯させた御技を以て理解させてやるのだ。

 魔術こそが至高。魔力こそが世界の全て。

 持たざる者は持たざる者らしく、奴隷ならば奴隷らしく、許された範囲で黙って惨めに矜持していろ。その気が無いのならば――――吠える価値無し!


「死にさらせぇェェェェェェ――――!!!」


 猛烈な一喝と共に制裁の一突きが放たれる。

 これに対し、ジンテツはまず左足を大きく踏み込んでから、スナップを利かせて思い切り白鞘を振り上げた。

 砂埃が巻き上げられる風圧で、炎は四散し、金箍棒は両断。

 怯み、無防備となったハウフィの肩、腿、顎と立て続けに峰打ちして宙に浮かせ、最後に得意の上段回し蹴りを顔面に畳み掛け、勢いに乗せて地面に叩きつけた。

 ハウフィは白目を剥いて動かなくなった。顔中が腫れ上がり、地面には亀裂が入っていた。


「取り敢えず、こんなもんか」


 時間にして四秒弱。

 結果は火を見るよりも明らか。しかし、声援もブーイングもなく、誰一人として声の出し方を忘れたように、闘技場は寂然としていた。

 こうして、問題児ジンテツ対優等生ハウフィの仕合は、前者の勝利で呆気なく幕を閉じた。同時に、ジンテツ・サクラコという獣が新天地の足掛かりを掴んだ。





 

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