飛び抜けた問題児【クリアン・ラール】~(1)~




 ジンテツに喧嘩を売った猿の獣人ヴァナラ、ハウフィ・アッルマリーハが目を覚ました時には、午後四時を過ぎていた。頭に包帯が巻かれていて、触るとズキズキと痛みが響く。

 


「やあ、起きたかい?」


 声のする方を向くと、虎の獣人ピット・レーザーが座っていた。他にも紫髪のエルフ、エイミー・ゴーシュと筋骨粒々のトロール、キッテルセン・ベルグフォルグが心配そうにしている姿もあった。

 事の顛末は覚えている。無様に敗北を喫した。

 屈辱的な敗北感に、ハウフィは「クソォー!」と喚きながらベッドを殴った。


「奴はどうした?」

「サクラコ君のことか? 彼ならもう帰ったよ」

「クソ! なんなんだよ、あの兎は!?」


 まさか、これ程だったとは。予想外過ぎて、三人の表情が曇る。

 ジンテツが足を踏み入れたと同時に、ただならぬ気配で鳥肌が立った。まるで空気の濁りが浮かび上がったような不思議な感覚がして、四人は即座にジンテツの異常性を見抜いた。


「魔力が少ないのはわかる。だが、それであそこまで凄まじい体術ができるもんかね」


 キッテルセンが驚嘆した。


「言っている場合ですの?! ハウフィさん、あなたまさか手を抜いていたなんてことありませんわよね?」


 エイミーが扇子を口元に広げながら、蔑視を向けて訊ねた。


「馬鹿言え! 殺す気で掛かったさ! なのに······何が起こったのか、全然わからなかった」


 ハウフィが極度の奴隷嫌いなのは周知の事実で、それ故に手を抜くなんてことはピット、エイミー、キッテルセンにしたらありえない筈だった。

 だが事実、ハウフィは倒された。軽くあしらわれた末に。

 ヴァナラの身体能力は、数ある獣系じゅうけい人外の中でも一二を争う程に高い。それこそ、武術と魔術を交えた変則的な動きに惑わされて、初見で掻い潜れるなんてことは滅多に無いという。


「彼は奴隷だ。ならば、相応の前科を持っている。どんな罪を犯したかは知らないが、腕前からして相当な修羅場を潜り抜けていると見ていい。侮っていたのは、私達の方だった」

「······それは、認めざるを得ませんわね」


 ピットの悔恨にエイミーが賛同した。

 そこに「ん?」、とハウフィが首を傾げる。


「気高いゴーシュのお嬢様が、随分と素直なものだな」


 ハウフィの探りに、エイミーは顔を背けた。彼女の頬が赤くなっていて、よりハウフィは疑問符を募らせた。

 代わりに、キッテルセンが溜め息を交えて答える。


「今日初めにテストがあっただろ?」

「ああ、魔術学でな。それが?」


 キャサリン・プラムの受け持つ『魔術学』は、魔法陣を始め、魔術に関する知識を取り扱った学問だ。将来に影響を与える為に価値の高く、個人に箔もつきやすい。

 確実に日常生活に役立つこともあって、多くの科目の中でも群を抜いて人気を誇っている。その分、難解な課題を強いられるため、高度な感性と不屈の精神が求められる。

 今回の授業で出されたテストも、例え首席のエイミー・ゴーシュであっても一筋縄ではいかなかった。

 四重層術式カルテットとは、魔法陣を重ね合わせて構築し発動させる"重層術式じゅうそうじゅつしき"の一種。四つの異なる効果を持つ魔法陣を一つに掛け合わせて描くのは、そう容易なことではない。


「でも、どうせ大した答えじゃなかったんだろ? 二十分そこらで描ける魔法陣なんて、たかが知れている」


 嘲るハウフィだったが、ピットの不穏な表情を見て「おいおい」と動揺が高まる。


「プラム先生は彼のテスト用紙を見た途端に、顔を青くしていた。あんな顔を見たのは初めてだよ」


 医務室が静かになる。


「そう言えば、あの兎、いい足をしてたよな」


 重苦しい空気の中で、キッテルセンが頬を赤らめながら呟いた。それを無視して、ハウフィが見上げて問う。


「“ボロアー„はどうしろって? ピット」


 ピットは苦虫を噛み潰したように強く噛みしめた。

 半年前から、突如として一方的に通信してきた謎の人物『借り手ボロアー』。

 ピット達は最初、不審者として反発した態度を取っていた。しかし、ボロアーが悪戯ではなく、只者ではないと思い知らされることなる。

 ある日、帰宅すると各々に一枚の写真が送られてきた。内容を見た時、全員震撼した。


 ピットは妹と戯れているシーン。

 ハウフィは修行をしているシーン。

 エイミーは犬の散歩をしているシーン。

 キッテルセンはトイレで新聞を読んでいるシーン。


 自分達は既に、いつでも始末できる状況下に置かれていることを覚り、早々に反発するのをやめた。

 ボロアーの正体はピットしか知らなし、指示以外に口外は許されていない。そのため、手短な用事はピットを介して伝えられる。

 ハウフィの見舞いに向かう前に、また通信が来た。


「ジンテツ・サクラコをマークしろ、しかし、命令するまで極力関わるな。と」


 ハウフィは不満げに、「フン!」と鼻を鳴らした。エイミーとキッテルセンも、同じ気持ちだ。



 ++++++++++



 俺は帰路についていた。

 冬は日が落ちるのが早くて嫌だ。ただでさえ色々とあって機嫌が悪いのに、その上、夜は特に嫌な気分になるんだよな。乾いた風が肌につくし、歩く度に落ち葉がくしゃくしゃとうるさいし。とんだ編入初日だった。


「はぁー。パン喰って、風呂入って、寝よ」


 枯れ木の並んだ石畳の道を進んでいくと、『カーズ・ア・ラパン』という学園ギルドから少し離れた無人の寮へと辿り着く。これが俺の住み処。

 四階建てのパールグレー石工建造で、長らく利用されていなかったらしく壁中にびっしりと蔦が張っている。

 一階には食堂や風呂などの公共設備。二階から上は、宿泊部屋が六つ並んでいる。トイレは一フロアにつき二つ、さらに裏手にはガラス張りの温室が直通という中々に豪勢な造りな気がする。

 こういう自然に囲まれていて、ひっそりとしている感じは俺好みだ。あの妖精にしてはセンスがいい。

 鍵を開けて帰宅。――――なんか気配がするな。

 玄関のすぐ横にある棚からマッチをとって、明かりを点ける。すると、気配が奥から迫ってきた。

 取り敢えず、蹴る準備を整える。


「お帰りー! 編入初日お疲れさむぁん!!」


 咄嗟に足を出してみれば、クレイの顔面だった。

 取り敢えず、食堂にて晩飯を摂ることにする。今晩のメニューは、ホットドッグと野菜ジュース。

 細長い肉を、縦に切り込みを入れたパンに挟んだものだ。それと、野菜を粉々に刻んで絞った飲み物らしい。

 どっちもウマイ。


「もー、なんでいきなり蹴るかなー。しかも、顔面に」


 割りと強く蹴ったから、クレイの鼻がパンパンに赤く腫れ上がっていた。

 赤鼻の妖精、変な絵面。


「帰った矢先にみっともない面を見せられたら、誰だって驚いて足を滑らせちゃうでしょ」

「みっともなッ!? はぁ!? もー。いろいろとジンくんの悪い噂を聞いちゃったから、意気消沈してるところを元気付けてあげようと思ったのに」

「じんくん?」


 クレイからもらった野菜ジュースを飲みながら、俺はふと思った。


「ジンくんって、俺のことか?」

「そ。ジンテツって、なんかあなたに似合わないから、ジンくん」


 クレイは笑顔で答えた。


「似合わないって、人の名前を服装みたいに。まあ、いいけどさ。あ、服と言えば」

「ん?」

「訓練? の終わりにさ、翌週の頭に仮試験ってやつをやるらしいから、動きやすい服で来るようにって言われたんだよ」


 言うと、クレイはふむふむと顎に手をつける。


「いや、あなたは入ったばっかりなんだし、早すぎるでしょ」

「でもさ、言われたんだよ。お前も参加しろってさ」

「············は?」


 クレイはキョトンとした。そして、ちょっと待ってよ。と呟いて視線を下ろした。

 なにを狼狽えているだろうか。そう言えば、クレイが俺の噂がどうって言っていたな。


「ジンくん、変なこと訊いていい?」

「なに?」

「今日、Aクラスでテストがあったらしいじゃない?」

「おー、あったな。それが?」

「それで、講師陣が騒いでいたみたいなんだけど、その、ジンくんの回答が、なんていうか······ヤバいって」


 ヤバい?

 テストの問題は、『四重層術式カルテットの構築』だったな。あれはめちゃくちゃに面白かった。

 別々の魔術を組み合わせる重層術式じゅうそうじゅつしきの構築。本来なら二人か、三人体制で組み立てるものを一人でやれだなんて思いきったことをする。

 実戦に向かないから、いい点は得られないだろう。

 それのどこがヤバい? どこか間違ってたか? 式は合っていた筈だぞ? つーか、プラムも変な反応してたな。

 俺は見当がつかず、天井を見上げて唸った。


「単純に思い付いた魔法陣を描いただけ。言われた通りにやっただけだよ。もしかして、支離滅裂な魔術で笑いの的にされてたとか?」

「いや、そんな様子じゃなかったと思うけれど。ちなみに、どんな効果なの?」


 やけにクレイが訝しそうにしている。

 俺も実際に描くのは初めてだったから、この際にプロの冒険者から教示されてみようか。


「名付けるとしたら、次元転向術式陣ってやつかな」

「じげんてんこう?」


 一字一字を拾い集めるようにクレイは繰り返した。


「簡単に言うと、お姫様達がよく物を取り出したり、しまったりで使ってる【収納空間ストレージ】の空間の切除と連結の効果を軸に、魔力の集約を効率的に行うために【疑似精霊エレメンター】で効果の解釈を拡大させる。あとは【転移魔術】で特定の座標を直射して、占星術で用いられる【星巡知覚魔術】で正確に詳細に捕捉する。これで、普通なら干渉しえない別次元と連結して、あっちこっちを行き来することが出来るって訳だ。要するに、異世界に転移する魔術だな」


 説明を終えると、クレイは口をあんぐりと開けていた。絶対に顎、外れてるよな。


「まあ、理論上は可能な筈だが、いざやるにしても成功率は低いし。実際に使ったら、被術者※術をかける対象が耐えられるかどうかもわからないし。発動させるにも、少なくとも精鋭の魔術師十人くらいは要る。そもそも、異世界って概念自体が机上の空論だから、到底実用向けじゃないけど」


 クレイは「マジかよっ!?」と叫んでは飛び上がり、勢いが過ぎて天井に頭をぶつけた。「いったぁ~」と痛みに悶え、頭を抱えながらゆったりと降りてくる。


「おいおい、新しい住み処を傷つけないでおくれよ。ただでさえがたついてるんだからさ」

「いや、私の頭の心配もしてよね!?――――っていうかあなた、スゴいこと考えたんだね······成る程、これは驚く訳だわ」

「なにそんなにキョドってんの?」


 訊くとクレイは大きく溜め息をついた。

 向けられた眼差しからは、なにもわかってないのね、と言うような呆れが伝わってくる。


「その······あなたの考えたその魔術はね、昔々にいろんなところがやろうとしていたことと、まったく同じものなんだよ。失敗続きで、成功の目処が立たないからって廃止しちゃったのだけれどね」

「そうなんだ。他にも思い付きでやる物好きがいたんだな」


 言うとクレイは悶々とした。色々言いたげなところ、どこから突っ込めばいいのかわからないという状態か。

 このままだと息を詰まらせそうだから、取り敢えず野菜ジュースを押して勧める。

 ありがとう、とジュースを飲んだクレイは、気を落ち着かせて話し始めた。


「平然としてるけれど、今のあなたの話を聞いたら当時の研究者達ははっちゃけちゃうよ。特に【曹灰兵団ウレキサイト】の人達にしたら、喉から手が出るほど欲しがるでしょうね。あそこは国内で最先端の研究施設だから」

「でも、昔やっても出来なかったんでしょ。なら、今やったって同じ結果にしかならないと思うけど」

「その時は限界値の二十重層術式ウィゲデットだったんだよ! それをあんたは四分の一の手間で完成させたの! 可能性を何倍にも引き上げちゃったのよ!」

「うるさい。耳がキーンとする」


 クレイがテーブルを乗り上げて騒ぐものだから、取り敢えずまた顔を踏んづける。

 足を離すと、クレイは力が抜けたようになって椅子に仰け反った。天井を仰ぎ見て、疲れ果てているようだった。


「全部納得したよ。それじゃあ実戦訓練をやらされるわ。みんな、あなたのことを認めたのよ」

「そうなのか。あのちび教師といい、受講生といい、終始俺を目の敵にしてたみいだけど」


 しかも、隠す素振りは一切無しという意地の悪さ。


「まあ、いい先生って言ったのは、ちょっと盛っちゃったかも。っていうか、ジンくんにというよりは、ロガさんの奴隷だからかも。プラム先生、ロガさんのことが大嫌いだからね」

「要するにとばっちりじゃんか。はた迷惑な」

「あ、ああ! でもね、でもね! 厳しいのだけれど、プラム先生は講師としての目利きと手腕は、本当に評判がいいから、彼女に認められるだけでも本当にスッゴいことなんだよ!」


 必死で取り繕っているようにも聞こえるが、クレイの甘さは苦味の入る余地が無い。

 馬鹿正直の言葉は、どんな妄言や詭弁よりも信じられる。信じていいと思える。


「わかった、わかった。で、話を戻すけど、仮試験って学生服じゃダメなのか? 先生に訊いたらご主人様に聞けって睨まれちゃってさ」

「そうだね」


 クレイは指を顎につけてうーん、と唸った。


「実仮試験は自分の動きやすい格好で臨むのが普通かな。あー、ジンくん制服以外だとあのギャンベゾンかヒマティオンしか持ってないのよね。じゃあ、明後日休みだし、その間に装備を買い揃えておこっか」

「軽く言ってるけど、いいのか? 金、かかるやろ」

「別にいいのよ。冒険者になるまでは、金銭問題の面倒は見てあげるからさ。必要なものがあるならどんどん言って。その代わり、冒険者になったらきっちりつけを払ってもらうけれどね」


 クレイは無邪気に、愉快そうに笑って言った。


「あ、お風呂は沸かしてあるからね。じゃあ、おやすみなさい」


 そう言って、クレイは寮を後にした。――――なんだか、いよいよ飼われてる感が否めないな。

 俺は風呂を堪能してから床についた。勉強は要らないからやらない。寝る時間が消えて嫌だ。

 目を瞑ると、今日のことがフラッシュバックしやがる。いけすかない講師、空気の悪い教室、つまらない授業。何から何まで俺の肌に合わない環境だ。そんな中で、たった一つだけほんわかしたことがあった。

 シラの存在だ。

 Aクラス、というか【真珠兵団パール】には俺達二人以外に人兎属ワーラビットがいないっぽい。

 だからか、俺としては初めて同属に会えたのが嬉しかったのに。授業が終わって話しかけても逃げられるしで、シラは何がしたかったんだろうか。

 ただの挨拶か? 同属のよしみでというやつか?


「あいつとだけは、仲良くしたいな」


 目蓋が重くなってきた。これなら、すぐにノンレム直行だな。――――と、思っていたが······。


「散歩、行くか」



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 ギルドセンターでお野菜たっぷりヘルシーサンドを買ってから、カーズ・ア・ラパン寮に向かう。

 彼はパン・オ・ショコラを口にしてからというもの、すっかりパンが気に入ったらしい。とはいいつつ、お肉よりも野菜が多い方がいいって言っていた辺り、やはりウサギらしい。あと、あんまり食べる方でもないから、多く持っていくと微妙に嫌な顔をされる。

 それでも、この環境に段々と順応していくジンくんを見るのは楽しいし嬉しい。


「こういうのを“母性を掻き立てられる„って言うのかしら。なんだか照れちゃうなぁ」


 けれど、パンを買う量が増えたから食堂のお姉さんにウフフと含み笑いをされるようになった。この様子だと、絶対に何か勘違いされてるよね。

 あの人類ヒューマンは無口だから、心意を訊いてもスマイルを返すだけでゾクッとする。

 そんなこんな思っているうちに、寮に到着した。

 玄関を開けると、ヒマティオンをはだけたジンくんが座っていた。目蓋を擦って、大あくびをしてだらしのない。――――うん。安定の凶器的美貌だわ。正気を保つのがやっと。なんかキラキラのエフェクトが見えるのだけれど。私は大丈夫かしら······。

 

「あなたは私を犯罪者にしたいの?」

「なに言ってんの?」


 冗談はさておいた、頬っぺたをぶっ叩いて邪念を払う。ジンくんは驚いたけれど、なんの問題もありません。


「徹夜してたの? もう、寝不足は美容と労働の大敵だよ。冒険者になったらそれ通用しないからね」


 わかってる、と気の抜けた返事をしてから、ジンくんは立ち上がった。


「ほな、行くか。パンは歩きながら食うよ」

「ちょっと待てー!」


 私はジンくんの腕を掴んで歩みを止めた。


「なに?」

「もしかしてその格好で行く気?」

「ん? 別になんか問題ある?」

「問題しかないでしょ! 寝間着で外出とか、ごみ捨てならまだしも買い物でそれはナイでしょ!?」


 なにより変な意味で目立つ!


「んなこと言ったってさぁ~。俺、これ以外無いぜぇ?」

「ギャンベゾンはどうしたの? 昨日着てたよね?」

「あれはぁ? なんかやだ」

「なんかって何が!?」

「ああいう厚い布を着て動き回るのはさ、なんか嫌なんだよ」

「じゃあ、制服は?」

「あれぇは、所々に縛られてる感じがするから苦手。昨日と一昨日は仕方なく妥協してやった」

「なら今回も! 今回も妥協して? 試着してそのままお買い上げなんてことも出来るからさ! それまでの間だけ、ね? ね?」

「うるさいなぁー、もわぁ~。わかったよ。着替えてくるから少し待ってろ。あーもー、めんどクセぇ」


 どっちがだよ! と言っている間に、ジンくんは階段を上がっていった。

 戻るまで、椅子に座って待つことにする。


「前言撤回、あれは母性も父性もありはしないわ。どっちかっていうと、世話の焼ける弟だよ。この先、大丈夫かな?」


 協調性は皆無。テストの回答と言い、ジンくんには驚かされてばかりだわ。しかも、早々に仮試験も。

 あれは冒険者になる前段階。採用試験を通過する為の本格的なテストだ。たった二日で誘われるなんて、滅多にあることではない。っていうか、多分初めてかもしれない。

 それだけでもスゴいのだけれど、彼の噂はすっかり多くの受講生や冒険者に知られてしまった。仕事を終えて帰ってきた私の耳にも、即座に飛び込んできた程だ。


『Aクラスにえげつない受講生が来た』って――――。


 テストの解答はまだいい。問題なのは、その他の授業態度だ。


『Aクラスの優等生をぶちのめした』

『黒板を蹴り一つで割った』

『講師を相手に説教をした』

『すぐ女を一人誑かし、侍らせている』


 たった一日で武勇伝デキすぎだろ!

 優等生をぶちのめした?!

 黒板割ったって?!

 講師に説教?!

 女を侍らせてる?!

 いずれも冗談では済まされないよ!?


「由々しき事態だけれど、まだ急ぐ程のレベルじゃない。冷静に、冷静によクレイ、ふぅ······」


 そう。あくまで噂程度で、大きく騒がれていない。Aクラス、というか【真珠兵団パール】のみんなには、本当に申し訳ないことをしたわね。

 あまりに罪悪感が収まらず、テーブルに頭をつけて祈るように謝罪する。


「猛獣をぶちこんじゃってごめんなさい!」


 思っていたよりも、ジンくんの暴れようは私の予想を遥かに越えていた。黒霧状態ならまだしも、日常的にあれじゃコミュニケーションもくそもあったもんじゃない。

 だから、この買い物で協調性を身に付けさせよう。

 実際に街中の暮らしを見せて、ジンくんに協調性を肌身で感じ取ってもらうの。

 よーし、ガンバるぞ!


「なんでガッツポーズしてるの?」

「ふぁッ!」


 振り返ると、制服姿となったジンくんが立っていた。


「え?! いたの!?」

「いるよ。俺の住み処だもん」

「だとしても声をかけてよ。驚いちゃったじゃない」

「かけたでしょ」

「かけたけれど、もう少し柔らかく出来ないのってこと。あなた、気配を感じにくいんだから」

「············」


 ジンくん不満げな顔になった。


「用意は済ませたぞ。はよ行こ」

「そうだね。じゃあ、行きましょうか」


 大丈夫だろうか······。不安と心配に押し潰されそうな胸中、私達は寮を発った。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 ドラグシュレイン区壁内領――――グラズヘイム第13番領地ドラグシュレイン区の中心。

 他の区とは違って、石畳の通りに木組みの家屋が並ぶ庶民的な出で立ちだけれど、屈指の住みやすさを誇る。

 ここで区長以上に特別強い権力を持つのが、我らが【真珠兵団パール】の協会指導者ギルドマスターであるハンムラ・ウィン・フロディというおじいちゃんエルフ。

 誠実で聡明な彼を支える形で配置されているのが、中級以下の貴族なので、独り善がりな体制を取る愚か者はこの壁の中にはいない。だから領民は気兼ねなく、ノンストレスで暮らしやすいというわけだ。

 その証拠に、街には至るところで小妖精ピクシーが色取り取りの光を発した舞っている。豊かな土地には彼らという隣人が多く棲んでいるのだ。

 壁外領には国内最大の港町もあるから、輸入品が多く売られている。グラズヘイムの掲げる『調和』を象徴する領地、それがこのドラグシュレイン区だ。

 私とジンくんは、中央の噴水広場に来ていた。

 噴水は観光名所の一つで、水瓶を携えたアゲハチョウの翅を生やした妖精の青銅像が立っている。初代妖精皇妃ティターニアの像だ。

 小妖精ピクシーが一番多く集まっているから、いつ来ても神々しい姿を見られる。待ち合い場所としてもいい目印だし、定番のデートスポットとしても有名だ。


「取り敢えず、ここから南に行ったところに洋服屋さんがあるから、そっち行きましょうか」

「うん」


 ジンくんは妖精后妃ティターニアの像をずっと見ていた。位置関係は丁度、朗らかで優しい笑みと向かい合う形になっている。


「どう? この国を創った最初の王様のお妃様だよ。キレイな御方でしょ」

「うん」


 ジンくんの返事は気が抜けていた。

 興味があるのやら、無いのやら。いや、あるにはあるのかしら。カルス様は好奇心が旺盛だって言ってたし。

 それにしては、注目っぷりが凄い。


「どうかしたの?」

「いや、似てないなぁって。何処となくだけど」

「プッ、くくく――――!」


 聞いて、私は笑いを堪えるのに必死になった。


「なんだよ」

「ごめんごめん。クフフフフフ!」


 これ以上笑ってると、ジンくんの機嫌を損ねかねないから、早く押さえよう。

 彼になら説明してもいいかな。

 周囲の様子を見ながら、ひそひそ声で教えてあげる。


「ここだけの話、私と王族は血が繋がってないんだもん」


 ジンくんは眉を潜めて、頭に疑問符を浮かべた。

 当然の反応だよね。


「国って、世襲制だよね?」

「そう。でも、私はそうじゃない。養子なの」


 答えると、ジンくんは静かになった。

 まだ納得がいっていないみたい。


「現妖精皇帝オベイロンである義父ちちが、海外の紛争地帯で赤ちゃんだった私を拾ってくれたの。一応第二皇女って身分をもらってるけれど、私には王位継承権無いから」


 ジンくんは周囲の人々を見渡した。


「国民は知らないんだよな。よく隠し通せてるな」

義母はは、現皇帝の奥さんは病気でもう死んじゃったんだけれど。生前も寝込みがちで、あまり城から出る方じゃ無かったから」

「人知れずこさえててもわからないと。さぞ、騒がれただろうな」

「アハハハ」


 それはもう、ギョッとされた。祝われたりはしたけれど······かなり気苦労が絶えなかった。

 苦悩も散々あった。でも、嫌じゃなかった。兄上を始め、いろんな人からサポートを受けて今ここにいる。

 そう思うと、秘密にしているのは気が引けるけれど、みんなのために頑張りたいって思える。


「いいのか? 部外者の俺に話しちゃって」

「まあ、いいんじゃない? ジンくん、こういうのすぐに忘れそうだし」

「あっ、そ」


 素っ気ない反応。こんなだから話しちゃったのかも。

 歩きながら談笑――――というよりかは、ほとんど私の一方的な世間話――――をしている内に、いつの間にか目的地に着いた。

 好奇心が旺盛な割りに、ストライクゾーンが掴みにくい。ここから巻き返せればいいのだけれど。


「『トワル・ド・ヴェトモン洋服店』。ドラグシュレイン区で服を買うなら、ここでなきゃね。仕事も早いし、高いけれどその場でオーダーメイドを作ってくれるの」

「へぇ~」


 ジンくんは呆気に取られた様子だった。

 無理もない。私も、初めて店の外観を見たときもこんな感じのリアクションになった。

 お店は二階建てのコテージ程度の大きさで、蔦みたいにそこかしこに白い糸が張り巡らされていた。自己主張が高く、この様相だけで入るのが憚られてしまう。


「なんだか、経営してるようには見えないんだが。っていうか、店なのか? 家じゃなくて」

「二階がお家らしいわよ。大丈夫。見た目はこんなんだけれど、店主は悪い人じゃないから。っていうか――――“蛾„なんだけれどね。さあさあ、レッツゴー!」


 ジンくんの背中を押して店に入れる。カラカラン、と玄関口の小さな鐘が鳴り響く。

 店内はがらんとしていた。外とは違って糸は張っていない。

 左右と中央には棚が置かれていて、そこに色取り取りの布の束が並べられていた。見上げれば、高い天井から小さな宝石が吊るされていて、キラキラと店内をきらびやかな雰囲気で包んでいる。 

 最高に奇抜。スンゴく斬新なデザイン。

 ジンくん、驚くのはまだ早いよ。


「メイプルさーん! いますかー! メイプルさぁーん!」


 メイプルさんはここの店主だ。呼び掛けると、上から人一人は詰め込めそうな巨大な白い繭が降りてきた。

 糸がほぐれ、中から巨大な影が段々と起き上がる。そして、最後に盛大に繭を破り捨て、大柄な蛾が現れた。


「ふぁ~いッ! アタクシの名前をお呼びになられたのはだーあーれぇーぃ?」


 全体的にピンクとミルキーな色合いで、カシスのような大きな目、オレンジ色の触覚は葉っぱの筋を象っていて、明るい黄色の羽毛。動く度に金色の光の粒が舞い散って、まさに歩くゴージャス。そして、胸が大きすぎて掛けている水色のエプロンが今にもはち切れそう。細枝みたいな腕が四本、で唇にが黄色くて、首には羽毛と同じ黄色の髪の毛を巻いている。

 身長2メートル20センチの巨躯にして、何よりも美を愛するドラグシュレイン区の誇る天才ファッションデザイナーだ。


「メイプルさん、こんにちわ」

「あんらぁ~、クレイちゃまじゃありませんのぉ。ご機嫌麗しゅうございまーす!」

「ジンくん、紹介するわね。彼女はメイプルさん。見ての通り、種族は蛾の蟲民インセクターよ」


 ジンくんは固まっていた。メイプルさんのインパクトが凄まじくて、思考が停止しているみたい。


「それでそれでぇ~? 今日はどういったご用件でぇお越しになられたのでぇ~?」


 上下二対の手をすりすりさせながら、メイプルさんは顔を下ろして訊ねてきた。ジンくんの両肩を掴んで、メイプルさんに差し出す。


「この人兎属ワーラビット、ジンくんに服を見繕っていただけませんか?」

「おっす」


 ジンくんを見たメイプルさんは、目を大いに輝かせた。興奮のあまり、四本の腕でジンくんをギューっと強く抱き締めた。


「あーらまぁ~、カゥワイィーウサギさんだことぉ! スラーッとしてて、けんれど少し細いですわねぇ。ちゃんと食べてますの?」

「あー、はいはい。食べてます、食べてますから放してくれますかね?」

「あら、ごめんなさい。そーれーで、どういうものにいたしますの? うちは何でも揃っておりますのよぉ~。コットン、ウール、リネンにシルク。繊維が嫌なら革もご用意できましてよぉ~」

「そうだね······」


 ビビっていたと思っていたけれど、どうやらジンくんは平気みたい。少し驚いただけで、メイプルさんになんら引け目を見せていない。

 適応力高いなー。小さい頃にここに来たことがあるけれど、当時の私は人見知りがひどくて終始怖がってたんだっけ。だから、服のことは兄上に任せたんだよね。今は全然大丈夫だけれど。


「その前に、お姫様から聞いたんだけど。注文したらすぐに造り上げるって話、マジ?」


 ジンくんが険しい目付きで訊ねた。

 余所にいるのに圧がスゴく伝わってくる。


「おーっほっほっほぉ! この薔薇のロージー・メイプルに嘘八百など虚飾に同じ。無用な評判だけで、アタクシという女は成り立ちませんの」

「騙されたと思ってやってみろってか?」

「うっふ~ん」


 メイプルさんの目に火が着いたように見えた。

 ジンくんもやる気になって、左の棚に向かって歩いて、青がかった黒い生地に手を伸ばした。


「上は、この藍鉄色を使ってくれるか? 俺は蒸し暑いのがあまり好きじゃないから、通気性が高く、軽いやつがいい。下はなるべく柔らかい素材で頼みたい。俺は速く動くぞ。それと、上には下着も欲しいな。こっちは白でいい。できそう? そうそう、上の方には頭巾を付けてくれよ。こいつは重要だ」


 メイプルさんは、ウフフ、と快適そうに笑った。


「まあ、容赦も妥協も許さなそうな御注文オーダー。こんなにもお熱が滾るのは、聖王様以来ですわ。流石、クレイちゃまのご紹介のお客様。今後ともご贔屓していたたく思いますわぁ」

「わかったから。早く仕事に取りかかってくれ。他にも行くところがあるから」

「はい、ふぁ~い! たーだーいーまッ!」


 高揚したまま、メイプルさんはジンくんから生地を取り上げ、二階へ飛んでいった。高笑いが店中に響いて、金色の粉が降り頻る、降り頻る。


「はぁ、うるさいメスだな」

「ああいう明るいところがいいんだよ。確かに、見た目からうるさいかもだけれど」

「で? どうする? 速いっつっても少しは時間がかかるんだろ?」

「出来上がりましたわよー!!」

「「速ッ!?」」


 一分もしないうちにメイプルさんが降りてきた。

 四本の細い腕にはそれぞれ、右上に裾の長い藍鉄色のコート、右下にデニムのショート、左下にら白いタンクトップにトランクスパンツをハンガーに掛けて下げている。――――ん? トランクスパンツ!?


「お客様、いかがでしょうか?」


 甘い声を漏らして、ジンくんに服を手渡した。

 ジンくんは呆気にとられた表情で、手の中で服の触り心地を確かめた。


「まあ、いい。いいとは思うんだけどさ、パンツは頼んでへんよ?」


 ジンくんが指摘すると、メイプルさんは高笑いして返した。


「勢いのままに、ついでにお造りしましたの。ご安心あそばせ、素材は上の下着と同じものですので、肌触りは保証致しますわ。なんなら、早速そちらの試着室にて着てみてはいかがでしょう。むしろ着ていただけませんか? アタクシ、それを来たお客様の晴れ姿を見たくて堪りませんのォ!!」


 ジンくんが一歩退いた。

 私も、ここまでメイプルさんの押しの凄味は感じたことがない。


「おいおい、この蛾女王さん大丈夫か? 複眼が怖い」

「だ、大丈夫だよ。メイプルさんのこれは通常運転だから。それに、私も早く見てみたいな」


 そうか? と淡白に呟いてから、ジンくんは試着室に収まった。カーテンが閉じられ、私はどっと疲れた気分になった。


「なんか、すみませんね。注文が多くて」

「構いませんわよ。アタクシ、久しぶりに熱くなれましたから。こちらこそ、やりがいを感じさせて感謝致しますわ」

「そんな! 本人からしたら、ほぼワガママみたいなものだし」

「誰がワガママ言ってるって? お姫様」


 む~ん、地獄耳なのね······。


「おーっほっほっほぉ! 衣装に拘りがあるのはいことですわ。自分がどうなりたいか、どうしたいのかを明確にするには、普段から身に付けているものに拘りを持つことに限ります。流石、クレイちゃまのお連れになられたお客様。とても好ましい性分で、アタクシ、感激致しましたわ。あそこまで詳細な御注文オーダーをしてくださる方は、近頃めっきり減りましたから」


 好印象なようでよかった。

 ジンくん、本当に誰にでも容赦が無いから、態度の一つ一つにビビってしまう。けれど、そういう別け隔てない気構えがジンくんのいいところなのかな。


「終わったよ」


 ジンくんの声がして、試着室のカーテンがばっと開かれた。


「うわー!」

「まあ!」


 私とメイプルさんは一緒に見惚れた。

 全体的に暗いイメージだけれど、どことなくクロヒョウのような陰鬱な野性味を感じさせる。

 上のコートはジンくんの華奢な体型に見事に填まり、彼の細く長い腕がはっきりしている。注文通りフードが付いていて、耳用の部分が可愛らしい。

 デニムも丁度いい。太股の露出加減がどことなく艶かしいけれど、ジンくんに気にしている様子は無かった。むしろ、解放感が伝わってくる。

 とても素敵な格好だ。――――けれども······。


「寒くないの?」

「おお! 取り敢えず、問題無いよ!」


 ジンくんはサムズアップを出して答えた。心なしか、上機嫌に見える。


「おい、蛾。気に入った。これにする」

「コラッ、呼び方!」

「これ着たまんま帰っていい?」

「おーっほっほっほぉ! よろしくてよ、お客様。ではでは、御支払はこちらに」


 メイプルさんは下の両手を伸ばしてきた。


「このお姫様が払う」

「では、クレイちゃま。こちらに」

「は、はい!」


 私はメイプルさんに代金を渡して、ジンくんと合流しようと思ったけれど、彼は先に外に出ていたみたいだった。

 急いで出ると、目の前で人類ヒューマンの青年が転んでいた。栗色の髪でメガネを掛けていて、【真珠兵団パール】の制服を着ている。鞄を肩に掛けていて、転んだ拍子に教科書や羊皮紙が散らかしたみたい。

 私は拾うのを手伝おうと駆け寄った。


「あなた、大丈夫?」

「ひっ! だ、大丈夫です。お構い無く!」


 男の子は真っ先に私の拾った羊皮紙をバシャッと取り上げた、それから他のものも拾ってはさっさと鞄に押し込み、逃げるように走り去っていった。

 かなり切羽詰まってる様子だったけれど、本当に大丈夫なのかな?


「おい」


 ジンくんの声だ。

 男の子の行った方の逆から聞こえてきた。


「終わった?」

「うん。終わった、けど。ジンくん、さっきここを男の子が通らなかった? メガネをかけた人類ヒューマンなんだけれど」

「ああ、通ったというか、そいつ多分、俺から逃げた奴だな」

「······ジンくん、何かしたの?」


 訊ねると、「えんや」とジンくんは肩を竦めた。


「一応、クラスメートだからさ、暇潰しに声をかけてみたんだが、俺の顔を見たら急にあわてふためいてさ」

「そう······」


 なんだか、納得がいくようでいかないような、妙な違和感を感じる。


「そう言えば、俺が声をかけるまで、あいつ何か見てたな」

「何かって?」

「さあ。隠すようにしてたからよく見えなかったけど、紙っぽかったような?」


 違和感の正体がわかった気がする。あの男の子、他に落ちているものがあるのに、私の拾った羊皮紙を迷わず手に取った。あれに何か秘密が?


「なあ、それより早く次行こう。次は防具だ」

「あ、うん」


 私は気が気でならなかったけれど、ジンくんが止める間も無く先を行ってしまったから、結局後を追えなかった。

 あの男の子は、一体何を思い詰めていたんだろう。





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