成り行き【ルラシオン】




 遡ること、一時間と四十分前――――。

 クレイ達から一人離れたジンテツは、何をするわけでもなく気乗り気の儘に街中を歩き回っていた。ふと我に返っては、思い出したように『トワル・ド・ヴェトモン洋服店』と『ヒューイット・レザーショップ』へ順に訪れ、それぞれの店長に礼を言ってはまた放浪する。

 市場でリンゴと黒パンを購入しは齧りついて、適当にぶらぶらとほっつき歩き、最終的に並木道のベンチに落ち着いた。

 暇潰しに近くに停まっていた鳩の群れにリンゴ汁で柔らかくした黒パンを千切って分け与え、悠々と時間を食い潰す。

 リンゴも黒パンも尽き果て、最早やることを無くしたジンテツは紙袋をゴミ箱にホールインワンを決め込むと、大あくびをかいて横になった。

 その後、道行く人に見向きもされず、鳩に懐かれて丁度いい止まり木に扱われ、その状態のまま刻々と時間は儚く過ぎ去っていく。

 夕日が差し込み人通りが少なくなってきた頃、一人のクラシカルな装いをした金髪碧眼のメイド――――アリスがジンテツを目にして歩みを止めた。

 眼鏡越しで鳩にまみれたジンテツを見下ろし、挨拶代わりに威嚇するように高圧的な魔力を浴びせる。

 鳩達は驚いて一斉に飛び去ってしまったのだが、魔力に当てられた上にバサバサと羽音もうるさい筈なのに、ジンテツは覚醒しないまま一時間の休眠を過ごし、アリスもただ反応に困って静かに立ち尽くすだけとなった。

 漸く起きて、大きく欠伸をしながら背伸びをしたと思えば、目の前に見目麗しい金髪眼鏡の美少女メイドが立ち尽くしているというのに、ジンテツは全く気にも止めていない様子でのんびり立ち上がってその場を去ろうと歩き出す。


「待ちなさい」


 アリスはジンテツの肩をがしりと掴んで制止した。

 漸く、野兎とメイドは対面する。


「パンはもう無いよ?」

「誰が鳩ですか」

「まったくよぉ、今度は何や?」


 ジンテツが欠伸をしながら訊ねると、アリスは華麗なカーテシーをした。


「御初に御目にかかります、ジンテツ・サクラコ殿。私は、アリス・エンカウント。グラズヘイム第二皇女クレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエ姫専属メイドを務めている者です。以後、お見知り置きを」


 頭を上げて、アリスのディープブルーの瞳とジンテツの黒い瞳がまたお互いの姿を写し合う。


「アリス、メイド――――ああ、あんたがあのアリスか」

「はい。『あの』、アリスでございます」

「そっか、やっと会えたな」


 アリスは、ジンテツを爪先から頭のてっぺんまで目を動かした。


「ええ。こうして対面、挨拶が遅れてしまったことには大変申し訳なく思います。本来ならば、クレイ嬢と共に済ませておくべきでしたのに」

「いいよ、別に。どうせ会うんやったら、早くても遅れても一緒でしょ? ふわぁー――――それより、なんか用?」


 欠伸を交え、首を鳴らしながらジンテツは訊ねた。

 アリスはジンテツの、たらんと力無げに垂れ下がっている耳を涼しい眼差しで見ながら答える。


「特には。偶々見かけて、やっと挨拶する機会ができたのでついでに済ませておこうと思いまして」

「そ。ついでって、何かしてたの?」

「買い物を。もう済ませました。クレイ嬢から急用で頼まれまして」

「ふーん、じゃ」

「お待ちください」


 アリスはまた、歩き出そうとするジンテツの肩を掴んだ。今度はやや強めに。


「なにか?」


 ジンテツは苛立ち始めていた。


「最近、あなたに妙な噂が流れているようですけれど、あれについての真偽を今、お訊ねしてもよろしいでしょうか?」

「訊いて、どうするの?」

「尊重致しますよ。ですので、その左手を腰のものから離してください。別に、取って食いやしませんよ」


 子供を宥めるような優しい語調ながら、ジンテツの耳には冷ややかなものに聴こえた。

 何せ、表情筋が一つも動いておらず、マネキンそのものが喋ったように思えたからだ。尊重するなどと口にしてはいるが、アリスはからは強い警戒心を感じる。

 本人は隠しているつもりのようだが、ジンテツの野性の勘は見逃さない。

 これは脅迫であり、警告だ。

 事を荒立てなくなければ、クレイ嬢に身柄を預けている身であるならば、相応の態度を示してみせろ――――アリスはそう問うているのだ。

 主軸は後者。クレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエにとって、不利益な存在になるのか、ならないのか。

 回答など関係無い。アリス・エンカウントという番犬メイドは、ジンテツ・サクラコという厄介者を鎖で縛る気でいる。

 下手に動けば何をされるかわからない。プレッシャーの圧力だけで言えば、スヴァル・ストライクを軽く越えている。


「いい忠犬っぷりだね。お姫様の奴、とんだ曲者と縁を結ぶ運は達者だな」


 アリスの掴むの力が強まる。


「そんなことを訊いてはいないのですよ、サクラコ殿。私が聞きたいのは、『否認YES』か『是認NO』この二つだけです。今、貴方に許されている言語は、この二つだけなのです。さあ、どうぞ」


 直球。

 相手取るなら簡単だ。だが、今回ばかりは相手が悪い。

 容赦の無い応対に、根っからクレイを支えんとする従者の鑑。ジンテツはアリスを少し面白い奴と認定した。

 その態度を素直に尊重し返して、白鞘から手を離した。


「ピョン。降参だピョン」

「よろしい。では、楽しくお話を――――っ?!」


 刹那、アリスは後方からただならぬ殺意を感じ取った。途端に空気は震え、それが近づいてくる度に気流の強さが増していく。

 すぐさまアリスはジンテツを突き飛ばし、振り返って魔法陣を展開。急襲に対応する。

 鋭い衝撃がアリスの魔法陣に干渉した。

 鋭利な片刃の切っ先、緩やかな曲線を描く刃に殺意を乗せて襲撃してきたのは、白髪朱眼の人兎の少女、シラ・ヨシノだった。凄まじい剣幕を向けている。

 アリスは攻撃を弾いて距離を取った。そして、自身の背後に四つの魔法陣を開いて相手を視界に捉える。


「貴女は、シラ・ヨシノ?!」

「······」


 シラは静かにアリスへ向けて刀を構える。


「アリス・エンカウント。あなたの方こそ、その御方と何をしていた」


 シラの殺気は、尋常ならざる妬み嫉みの憎悪だ。

 お互いに初対面、評判を耳にした程度の認識でしかない。そんな程度の浅い繋がりの二人が衝突させられている要因は、シラの言動からすぐに判明する。


 ――――この二羽、繋がってる?!


 アリス、ジンテツとシラの関係性に疑念が湧く。

 素性の知れない黒霧の怪物に「その御方」と敬服しているような物言い。何も無いわけがない。

 同じ人兎属ワーラビットで、顔立ちや名前の雰囲気からも、二人は同郷なのではと憶測はさらに発展していく。しかし、材料が少ない。

 なにも知らなければ単なる友人で収まるが、そうでないとしたら異様な系図が出来上がる。確かめたいが、解き明かすには最悪の状況だ。


 どうする。正直に話せば沈着するのは容易い。が――――


 シラの殺意は沸々と煮え滾っている様子。周囲の空気が、彼女を中心として渦巻いているのが視認できる。


 マズいですね······落ち着く気配が全くしない――――


 アリスが何を言おうと聞く耳を持たなそうなため、ここはシラからしたら被害者に見られているジンテツから、と一言言って誤解を解いて貰おうとするも。

 

「いいぞぉ~、もっとやれぇ~」


 当の原因は、ベンチに腰掛けてのほほんとした表情で緩やかに二人を煽っていた。ようやく見つけた娯楽を堪能するように、観戦者の立場に回っていたのだった。


 この野兎めが······修羅場の中心にいるくせして――――


 アリスはジンテツを、一ヶ月間口内炎になる呪いをかけてやろうかと内心で舌打ちした。


「ヨシノ嬢、よろしいですか? 貴女は何か誤解をしておられるようですが、私と彼は同じ主を持つ者同士。いわば同僚です。なにより、今先程に初めて顔を合わせたので、貴女が思っているような関係には全くありません。――――というか、なりたくありません」


 まずは事態の収拾を優先し、なんとかシラと和解しようとアリスは弁解を試みた。


「なんか辛辣だな」

原因あなたは黙っていなさい!」


 少なくとも、友愛の情のみでここまでの行動を起こすのは不自然に思える。今の弁明は誤解を解くと同時に、ジンテツとシラの関係性をより深掘りするための問いでもあった。


「そうか。なら、話が速い」


 シラはジンテツを一瞥して答えた。

 理解のある答えに、アリスは内心でホッとした。


「ならば、あなたを脅せば主のもとに行けるということ」

「············へ?」


 アリスの思考が一時停止する。

 この兎娘は何を言っているんだ? その疑問だけが、アリスの頭の中をひたすら迷走している。


「よくも、ボクの大事な御方を! 覚悟ッ!!」


 シラが瞬く間に距離を詰め、白刃をアリスの喉元に伸ばす。

 辛うじて、小さな魔法陣を展開して防ぐ。刃を弾かれて身をよじらせたシラに、アリスは背の魔法陣の一つから魔力の衝撃波を発射。

 地面に着弾して土煙が立ち込める。

 中からシラが駆け抜け、刃を地につけながら急接近し首元へ向けて振り上げる。

 アリスは即座に足元へ魔法陣の一つを移し、高く跳躍した。跳んだ先にも魔法陣を敷いて着地する。


「中々、侮れませんね。東洋の女武人殿」

「そっちこそ。しぶとい西洋の女中さん」


 双方、共にお互いを難敵と判断して体内魔力の循環速度を上げた。

 アリスは魔法陣を六つに増やし、シラは刃に凄まじい風を纏わせ、相手の今後を度外視した態勢をとった。

 六つの魔法陣にそれぞれ魔力の塊が泡立つように充填していき、風の勢いも増していく。

 二者の魔力の波動が擦れ合って、バチバチと火花が散る。――――このとき、ジンテツは「静電気かよ」と小さくツッコミをいれていた。

 本格的にぶつかり合えば、最低でも二人のどちらか、最悪で周囲の街並みも変わる可能性の高い高出力の一撃が放たれようとした、その時――――


「いいや! どうなってるのォォォォォォ――――!!?」


 日頃の鬱憤を晴らそうと密かにジンテツに迫っていたクレイの一声によって、一瞬だけ意識を削がれて貯蓄した魔力が急速に霧散していく。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



「要するに、アリスがジンくんを見かけたので声をかけたところ、それを、こっちの兎のが勘違いをして、なんやかんや喧嘩が始まったと」

「まあ、概ねそんなところだな」

「で? あなたはそれを、止めるどころか黙って観戦していたと」

「ああ。パンを余分に買っておけばよかったってちょっと後悔してる」


 私は、ジンくんから大体の事情を聞いた。

 内容から推し測るに、十中八九、修羅場の中心にいたのはこの野ウサギで間違いない。それをまるで「俺はなにも悪くないよ」というような立ち振舞いで······


「このおバカちん!!」


 制裁のビリビリ平手打ちを与えようとするも、ジンくんは平然と防いだ。――――大人しく受けなさいよ!


「と、言うわけなので。二人共、わかってくれた?」


 私は振り向いて、アリスとシラに訊ねた。

 二人はベンチに座っているのだけれど、びくびくと震えるエフィーちゃんを挟んで顔を合わせないようにしていた。


「あの~、聞いてる?」

「私は確かに言い聞かせました。私は彼とは何も無いと。それなのに、この暴風兎と来たら問答無用で」

「あぁ、そうなの。で、シラちゃんは?」

「············フン」

「あははは······」


 ダメだ。

 アリスはともかくとして、シラの方は完全に私を敵視している。人睨みされただけで背中がゾワッとする。

 もう、なんでこの野ウサギは目を離すとすぐに厄介事を起こしちゃうんだか。今回は故意ではないとしても、どういう星の下に生まれたらこうなるのよ。本当に······。

 それにしても、なんでシラはアリスに食って掛かったのかしら。と最初は思っていたのだけれど、髪が白い以外は人獣であったり、顔の雰囲気もジンくんに似通っていたりとよくよく見れば共通点が多いことに気づいた。

 人兎属ワーラビットで、同じ人獣型で、さらには男女。しかも武器まで東洋剣。

 ジンくんの説明だと知り合いみたいだから、親近感から暴走しちゃったって感じかな。

 取り敢えず、私はシラに目線を合わせる。


「ごめんなさい。私のメイド、少し人との接し方が苦手なところがあるから、よく誤解されちゃうんだよね。だから、許してくれる? 次からはこうならないように、ちゃんと言っておくから」


 横から「違いますもん」と訴えるような途轍もない圧を浴びせられた気がしたけれど、無視しよう。

 気にしたらひどい目に遭う。


「一つ、訊いても?」


 沈黙していたシラは私を見た。

 いきなりの問い掛けでつい狼狽えてしまったけれど、ようやく反応を示してくれて嬉しい。

 

「いいけれど」


 答えると、シラは立ち上がって、一度アリスに目を向けてから私に戻して、


「あなたがメイドの主で間違いない?」

「そうだよ」

「じゃあ、後ろにいる彼を隷属しているのも、あなたってこと?」

「······え?」


 シラの眼光が鋭くなった。腰に差している東洋剣に左手を掛けていて、明らかに不穏だ。

 あ······――――


「ち、ちょっと待って!」


 私はある可能性を考えていなかった。

 ジンくんとシラに共通点がある。いや、ありすぎる。種族もだけれど、顔立ちや装備も似通っている。

 つまり、二人は同郷でその上、かーなーりー親密な仲なのかもしれない。だとしたら、アリスに食って掛かった理由に納得がいく。

 嫉妬していたんだ。

 そして、シラにとってジンくんは大事な男性ひと。となれば、彼女からしたら私は、突如行方知れずとなってしまった同胞を記憶が無いことをいいことに首輪を掛けている大悪女! 今すぐ滅すべし敵! ヤッベェー!!!


「かか、彼が奴隷になっているのには訳があってね! それに私は預けられているだけで、ジンくんにとって本当のご主人様は別にいるって言うか、なんていうか――――」


 シラから尋常でない怒気をひしひしと感じる。あまりのプレッシャーに両膝が抱腹絶倒している。

 アリスに目をやって助けを乞うも、そっぽを向かれて助ける気を微塵も感じない。――――あのメイドォ~!!

 剣が鞘に擦れる音が聞こえてシラに戻せば、腰元からキラリと瞬く白羽の閃き。

 ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ! ヤバイ! ヤバイって! これ本当に洒落になら無い空気だよ!!


「なんの、権利が、あって、あなたは、尊き、御方を······」


 一歩一歩近寄ってくる度に、シラの口から到底少女が出しているとは思えない低く突き刺すような声がする。


「待って! 本当に悪いようにはしてないから! だから――――」


 シラは耳を傾けてくれずに、東洋剣を掲げた。私はあまりの恐怖に腰を抜かしてしまい、目を瞑った。


 ガキン――――!!


 真っ暗な視界で、金属同士がぶつかったような音が耳を打った。目を開ければ、横からジンくんが抜剣して刃を受け止めていた。

 シラはとても信じがたい光景を見たように、大きく目を見開いて静かに愕然としている。


「シラ」

「はい!」

「お前が何に怒ってるのかは別として、お姫様に牙を向けるっていうなら、俺は大人しくしないよ」


 シラの口元が震えている。


「で、でも、この虫女はあなたを――――」

「確かに、俺だってこんな威嚇されたぐらいでチビりそうになってる情けないお姫様に、首を紐で繋がれるのはヤダよ。めっちゃヤッ」


 ウォウッ!! 今の発言はスッゴいぶっ刺さった。


「だったらなぜ?!」

「いい飯を喰わせてくれて、いい寝床に寝かせてくれるから」


 シラは口をつぐんだ。

 苦悶の表情を浮かべていて、信じられないけれど、理解しなきゃって葛藤をしているみたいだ。もしも知り合いだったとしても、ジンくんに記憶が無いのは察しがついている筈だよね。

 複雑なんだろう。シラからすれば、姿形は前のジンくんだけれど、中身はそうでない。だから、眼前に立ち塞がってくる野ウサギにどう向き合えばいいのか。

 ジンくんの方は、全然気にしていないみたいだけれど。


「そう。······では、隷属されているのも」

「最初は気に入らなかったけど、今はなんとも思ってない。寧ろ、感謝したいくらいだね。森の外に引っ張り出されて、めんどクセェけどお姫様なりに色々と考えてくれてさ。とにかく借りっぱなんだよ。取り敢えず、そういうこと。だから、シラが爪を立てることは何もない。――――あと、そこのメイドとは今日初めて会ったから、マジで何もあらへんぞ」


 シラは残念そうに俯いて剣を鞘に納めた。

 力無げな様子だけれど、次に顔を上げたときには柔らかく微笑んでいた。


「そういうことなら、納得致します」


 声の調子が少し高くなって、打ってかわって愛嬌を感じる。

 こっちが素のシラなのかな? とっても可愛らしい。


「驚かせて申し訳なかった。立てる?」


 私は「大丈夫」と返事して、シラの差し伸べた手を借りて立ち上がる。


「事情を知らなかったとは言え、殺気を向けて本当に申し訳ない」


 途端にシラは腰を深く曲げてきた。その様はとても寂しげで、心の底から謝っているのがわかる。

 やっぱり、心根はいいこなんだ。煽てられやすいだけで、誠実ないいこ。


「いや、いいんだよ。シラはジンくんが心配だったんだよね? 誤解が晴れてくれて、良かったよ」

「そう言ってもらえると助かる。アリスさんも、いきなり襲撃して申し訳ない‥‥‥」


 今度はアリスの方に向いて頭を下げた。

 こっちはこっちで、どんよりとした謝罪の念が背面から伝わってくる。そりゃあ、魔力の波動から本気で殺しにかかっていたっぽいし、一歩間違えれば大惨事は免れなかったわけで‥‥‥。自分がひどく惨めに思えちゃうわよね。


「私は別に。もう気にしてはいません」

「アリス、なんか偉そうだよ」

「そうだぞ。アリスだってかなりやる気だったやん」


 私とジンくんで立て続けにたしなめられ、うんざりしたみたいでアリスも立ち上がって頭を下げた。


「こちらこそ、誤解させるような真似をしてしまい申し訳ありませんでした。以後、気を付けます」


 シラの耳が少し上がった。反応までもジンくんと似ている。


「じゃあ、ほとぼりが冷めたところで、これからみんなでカーズ・ア・ラパンに行かない? 仲直りを兼ねてお泊まり会、みたいな!」


 私の提案に、ジンくんとアリスは露骨に嫌そうな反応を示していたけれど、シラが目を輝かせて「行きたい!」と子供みたいに了承したことで決行されることとなった。

 みんなで寮に向かおうとしたとき、ジンくんはエフィーちゃんを連れてどっか行ってしまった。とりあえず、私たち三人は各々の部屋から荷物を持ってくるために一時現住寮へ戻ってから行くことにした。

準備を終えた私は、カーズ・ア・ラパンの場所を知らないシラを案内する。

 もう陽が沈み掛けていたけれど、既にアリスが先に行って灯りを灯してくれていた。外から食堂が見える。

 玄関口を開けると、香ばしい匂いが押し寄せてきた。鼻はピクピクと踊り、口の中は瞬く間に涎が溢れそうになる。


「ボクも手伝う」


 そう言って、シラはアリスの隣に行った。私も何か手伝おうと思ったのだけれど、アリスに「貴女はお待ちになっていてください」と一睨みされて、素直に一人でじっとする。

 日がすっかり沈んだ頃、買い物袋を持ったジンくんとエフィーちゃんが帰ってきた。


「お帰りなさい。エフィーちゃん、その格好は」


 エフィーちゃんは区衛兵の鎧姿から、普通の女の子が着るようなベージュのセーターとグレーのロングスカートに着替えてマフラーを巻いていた。

 そして、蒼白だった顔色も仄かに赤みがあって活力を感じる。っていうか、明らかに慣れない格好で照れている。その横では、ジンくんが得意気にニコニコと。


「ジンくん、エフィーちゃんに何したの?」

「ケケケ。いやぁ、いつまでも鉄臭い成りしてちゃ鼻に障るからさ、前に俺の服を見繕ってくれたデケェ蛾に頼んできたんだよ」

「デケェ蛾って、わざわざメイプルさんのお店まで行ってたの?」

「うん」


 この野兎、また勝手に。しかも理由にデリカシーの欠片も無い。

 ――――知ってたけど‥‥‥。


「エフィーちゃんその、大丈夫だった?」

「······はぃ」


 声、ちっさ! 搾りカスみたい!

 鳴れない服装だから緊張しきっているのが見て取れる。


「ジンくん、あまりエフィーちゃんを困らせちゃダメでしょ」

「でも可愛いでしょ?」

「うん、カワイイ。カワイイよ。さすがメイプルさんだと思うよ。めちゃくちゃ愛でたいよ」

「ならええやん。廃墟にも花を添えたら、見映えだけでも少しはマシになるだろ」

「ジンくん、言い方!」


 電撃拳骨をくれてやろうとすると、ジンくんはお手洗いの方へそそくさと逃げていった。私はエフィーちゃんを椅子に座らせて隣に陣を張った。

 夕食には、冬野菜とチキンのソテー。揚げパンにシチューと川魚の刺身とポテトのバターあえ、アリスとシラが協力して作った豪勢な料理が長テーブルを彩り豊かに染め上げた。ドリンクには果汁三十五パーセントのブドウジュース。

 今回はアリスとシラの共同製作ということもあって、食べたことのない味付けが印象的だった。どうやら、極東産の調味料を用いたらしい。

 鶏肉にはまろやかな甘味があるし、揚げパンの方も香ばしい。極めつけは川魚の刺身だ。焼いてもいない生ものなのに、臭みが全く無い。シラがしょーゆっていう茶色い液体に浸けて食べるのがいいって奨めるからそうしてみれば、柔らかな食感に染み込むしょっぱさが刺激的でとても美味しかった。

 私たちの食文化に海産物が無いことも無いのだけれど、精々、干すか焼く、あとは煮込むくらいのものしかない。けれど、東洋域では生のままで食べるのは普通のことみたい。さらには『寿司』という握ったお米に刺身を乗せて食べるというものもあるらしい。

 聞くところによるとその料理は、今のところ極東でのみしか普及していない。シラがそう解説してくれた。また、彼女はグラズヘイムの料理に対して関心を示していた。


「こっちは調味料が豊富で驚かされた。塩、胡椒や油は似たものならあるけど、まさか牛のお乳を取り込むなんて思い付きもしなかった」

「そちらの国では、酪農業を行っていないのですか?」


 シラの隣に座っていたアリスが訊ねた。真顔だったけれど、興味津々そうだ。


「大体は食肉用。鶏は卵も使えることがわかったから、それぐらいかな」

「お米というのは、稲からとったあの黄金色の小さな実のことでよろしいですか?」

「合ってる。釜に水と入れて炊き上げる。すると、ほかほかでふっくらとした白い米ができあがる。東洋だとこれを主食としている。お茶にもできるから、汎用性が高い」

「成る程。大変興味深いですね」

「そう言えば、こっちの米は少し細長い。それにパラパラサラサラとしていて、実をそのまま白くしたような印象」

「それは恐らく、そちらが炊き上げているのに対し、こちらでは鍋で茹でていますから」

「なるほど。食文化とは底知れない。どんどん新しいものが得られる」

「まったく同意見です。貴重なご意見を戴けて、いい勉強になりました」


 昼間は剣幕を浮かべてバチバチやり合っていた二人だったのに、何事もなかったように仲良く話している。内容が内容だから、私はあんまり追いついていけない。

 アリスがあんなに楽しそうにしているのは久しぶりに見た。真顔だけれど。

 シラはちょいちょいジンくんの方をチラチラと見て、反応を伺っているようだ。まあ、彼はあまり食べ物に拘りを持っていないようだから、いつも通り美味しそうに食べている。


「ジンくん、どう?」

「ん? 何が?」

「シラの作ったご飯だよ」

「ああ、旨いよ。味付けとか、なんかが合って妙なくらい舌によく合う。なあ? エフィー。旨いよな?」

「あ、はい。美味しいと思います」


 エフィーちゃんが答えたとき、私はシラの方に目を向けた。顔を紅く染めて、気恥ずかしそうに俯いていた。

 あの反応、とっても嬉しそう。なんだか、私も嬉しかった。

 食事を終えた私達は、お風呂に入ることにした。皿洗いをジンくんに任せたのだけれど、アリスとシラが手伝おうとしたところを、「ゆったりどうぞ」とおばあさんみたいな朗らかな表情で譲られたことで、二人は従ってくれた。



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 東洋の女性は、包帯を下着代わりにしているという習慣があるらしい。また、下は一枚の布を結んでいてとても質素であるというのも本当だった。

 私の知る下着は、柔軟性があってスッキリとした布地をフック状の金具で結んだもの。柔らかくて着心地が良く、着けやすい。シラのは時間かかりそうだし、今度いい下着屋さんを紹介しようかな。


「えっと、お姫様」

「クレイでいいよ。なに?」


 着替えている途中にシラが呼んだ。なにやら、視線をやや下に向けてもじもじしている。


「この国の女性は、皆揃ってお胸が大きいのが普通?」

「え? なんで?」


 と、口にした後で私は思い出した。

 前にも、異国から来た女子に似たようなことを訊かれたことがある。その子は、特にアリスの方を気にしていたような‥‥‥そのときはあまり詮索しなかったわね。

 今思えば、二人の悩み――――というか、何を気にしていたのかがわかる。


「シラって、いくつ」

「今年で十八になる」

「え? 私より年上?!」

「え? ボクより年下?!」


 シラの体型は私と比べて断然幼く、低くても十三、四くらいだと勝手に思っていた。――――というか、そうにしか見えない。

 こうしてみると、背が低いながらかなりアスリート体型だ。頭から足にかけて直線的で、ご飯の後なのにお腹がほとんど膨らんでおらず、スラッてしていてとっても綺麗。正直、見惚れる。

 けれど、お世辞にも胸は豊かさがあるとは言えず。かといって全く無いということもなく、精々片手で包んでも隙間ができる程度。第二次成長期入りたてといった具合だ。

 対して、私は平均的(資料調べ)なサイズで、アリスはというとメロンの領域。ちなみにエフィーちゃんは着痩せするタイプらしく、アリス程ではないにしても大きかった。これには私も驚いた。

 確かに、これじゃあ周囲との格差を嫌でも気にしてしまう。それに、シラの体には大きな傷痕があった。左肩から胸を過ぎて、お腹までかかった鋭利な刃物で斬られたような大きな裂傷痕。

 とても痛々しく、女の子がつけていいような傷じゃない。


「なんか、ごめんなさい。色々と」

「うぅ~」


 現実から目を逸らすように、シラは簪を抜いて涙目を前髪で隠した。

 お風呂の入り方にも文化の違いがあった。どうやら東洋にはシャワーが無いらしく、シラは勝手がわからない様子でいた。

 東洋では桶に湯を貯めて浴びるようで効率が悪い。

 やり方を教えると、驚きながらも未体験の仕様にうきうきした様子で堪能してくれた。石鹸に関しては、似たようなものならあると言ってすらすらと使いこなしていた。

 訊ねたら、「企業秘密」と口元に人差し指を立ててはぐらかされてしまった。

 湯船に浸かったときには、艶っぽく息を吐いた。掌に湯水を汲んでは前髪を掻き上げて、広いおでこが露になる。ジンくんも静かにしていれば中々なのだけれど、シラもかなりの美形だ。

 童顔なのにこの艶めかしさはなんなんだろ?


「ボクの顔になにかついてる?」

「いや、別に。綺麗な顔だなって思って」


 そう言うと、シラの顔が暗くなった。


「どうしたの?」

「ボクよりも、サクラコくんの方がよっぽど麗しいと思う」

「確かにジンくんも美顔な方だけれど、シラだって中々可愛い顔をしてると思うよ? 東洋って顔の整った美形が多いって聞くし。ね?」


 アリスは「そうですね」と素っ気なげに、エフィーちゃんは「は、はい」と拙く続いた。

 ダメだ。ろくなフォローができる人材がいない。スヴァルがいたら円滑に回るのに。

 幸いにも、シラは不機嫌そうになっていなかった。けれど、自身の切り傷を物憂さに指でなぞった。

 私は思わず、目で追ってしまった。


「気になる?」


 シラと目が合った。咄嗟に顔を逸らそうと思ったけれど、彼女の問いかけに聞き入ってタイミングを損ねてしまった。


「これは、大事なものを守ろうとして負った名誉の負傷。だから、そんなに嫌なものではない」


 突いちゃいけないとばかりに思っていたのに、こうも柔らかに、和やかに笑うシラは初めて見た。

 めちゃくちゃ可愛い。

 今だけは、動物としての白兎を眺めているような気分になった。それだけ、シラにとっては純真な心持で話したということ。強がりじゃなくて、本心から誇らしくて自慢なんだ。

 これも東洋の価値観なのかな。名誉の負傷だなんて、まるで生粋の戦士みたい。

 シラには悪いけれど、そういう物々しい考えはあまり好意的に受け取れないかな。


「その大事なものというのは、サクラコさんのことですか?」


 急にエフィーちゃんが訊ねた。シラは一度目を閉じてから、もう一度開いて答えた。


「違う。とても似ているけど、彼とは非であるもの」


 湯船の熱か、その人のことを思い浮かべているのか、シラの顔が赤くなっていた。

 一体、どういう意味なのだろうか。

 お風呂でさっぱりした後は、そのまま就寝しようと思って収納空間ストレージから四人分の寝袋を取り出す。

 私、アリス、エフィーちゃんの三人はシャツとズボンを揃えたパジャマなのだけれど、シラは白地の装束を一枚のみと寒そうだったのでブランケットを一枚余計に贈呈する。シラは遠慮がちな態度ながら、受け取ってくれた。

 配分と配置が終わったところで、丁度風呂から上がってきたジンくんに「一緒にどう?」と誘ってみたのだけれど、彼は「蹴っていいならいいよ」と物騒な断り方をしてきたので少しムカッとした。

 ちなみに、ジンくんの寝相が悪かったところなんて一度も見たことない。いつも綺麗にベッドと布団の間に収まっている。


「もう、一人だけ男だからって遠慮しなくてもいいのに」

「彼なりの配慮なんでしょう。もしくは、難を逃れたという方が正しいのかもしれませんが」

「それどういう意味?」


 と、振り返ると、アリスは自分の寝袋を引っ張って、まるで私から逃げるように距離を置いた。――――なんで?


「なんだか、変な感じです。こうして、集まって寝るなんて」

「エフィーちゃんって、こういうことはしないの?」

「あまり友人がいないので······」


 区衛兵は、冒険者と違って与えられた役目がはっきりしている。場合によっては休みたい日でも休めないから、中々休日が取れないなんてこともまあまああるらしい。

 気の毒だけれど、皇女だからって私にも介入できないことはある。冒険者と区衛兵に関する政策は、兄が大半を立案し実行させた。だから、二組織のどうこうの権利は兄の方が強い。

 けれど、今夜ぐらいはガン無視しても文句は言われない。ここは、存分にイケない夜更かしを覚えさせちゃおう。


「じゃあ、今日は記念日だね。初めてのお泊まり会記念日」

「······そうですね」


 青白くも、エフィーちゃんの顔が生き生きしているように見えた。とっても嬉しそう。


「お泊まりのお供がこんなクレイ嬢で大変申し訳ありません」

「アリスっ!? 何を突然謝ってるの!?」

「だって、クレイ嬢は寝相が悪いので」

「え、そーなの!? じゃあ、ジンくんが遠慮したのって」

「ええ。貴女様から逃げたのですよ。――――チッ。然り気無く逃げやがって」


 え、舌打ち?! なんか、ショック······。

 その後も、アリスの私弄りやシラの東洋文化の解説、これまでに相手にしてきた野良魔物クリーチャーの話、最近合った面白い出来事等、ガールズトークが湧きに湧いた。

 魔術の話となると、食事のときのようにアリスとシラがまた熱く語り合った。

 魔術マニアからしたら、東洋の魔術体系に興味が尽きないのだろう。私もそれなりに面白味は感じてはいるのだけれど、勢いについていけずまた置いてきぼりにされてしまった。

 二人の世界から隔絶されてしまったところで、エフィーちゃんが寝間着の袖を引っ張ってそっと話しかけてきた。


「あの、一つ訊きたいことがあったんですけど、よろしいでしょうか?」

「うん。なに?」


 エフィーちゃんはもじもじしていた。何か訊きづらいことなんだろうか。

 私は彼女の手を優しく掴んだ。


「大丈夫だよ。なんでも訊いて」

「で、では――――なぜ、姫様は冒険者になられたのですか?」


 ああ、なんだ。そんなことか。

 私の身分を知っていれば誰しもが懐くことだろう素朴な疑問。他国からしたら、信じられない光景にも写る。

 現に、自国の一兵士が訊ねてきた。それ程までに、王族が冒険者をやっていることはかなり珍しいことなのだ。

 基本は国民への奉仕活動だし、場合によっては命にかかわることもある。それでも、私が冒険者をやっている理由は至極単純明快。

 大まかに言えば、子供っぽい理由だ。


「最初は、兄上への憧れかな」

「皇太子殿下への?」

「そ。あの人って、この国はおろか世界からも注目されているじゃない。世界最強の人外――――“聖王„なんて呼ばれてさ」

「はい‥‥」

「だから、ちょっと悔しかったりするんだよね。劣等感っていうか、なんていうか。あの人の活躍を耳にする度に、胸の奥がいつもざわついていた」


 兄――――正しくは義兄である皇太子トマス=ジーロフィクス=フードゥルブリエ。

 グラズヘイムの歴史上、初代妖精皇帝オベイロンに匹敵する程の力を持って生まれた男。あまりの強さに誰もが畏敬の念を覚え、付けられた異名は“歴代最強ジ・エターナル„。

 国内で数々の功績をあげ、その影響力は国の外にまで轟いて、果ては自ら海外に赴いては同盟を結んでお互いに不利の無い条約を締結してグラズヘイムを発展させた。

 今では、世界最強の人外に与えられる称号“聖王„を冠するまでに至り、彼が赴いた他国では長引いていた内戦が終息し、犯罪発生率も急激に低減したという。しかも、人類人外の仲を取り持って共生国家への足掛かりを提供し、独裁政権に縛られていたとある帝国を政治的に造り変えてしまったとも聞く。

 実績、人望、他国からの信頼。いずれも申し分無い。その上、彼以外に現妖精皇帝オベイロンの子息がいないから、次期皇帝の座も確立している。

 既に婚約者もいて、そのお釣りが出そうな順風満帆さが正直羨ましい限りだ。そして、誇りでもある。

 国民にとっても、子供だった私にとっても、兄は敬愛すべきヒーローだった。私の得た幻想の基盤であり中核。私の辿り着きたい幻想への身近な見本。


「私はね、兄みたいに世界を造り変えたいの。今でも人類と人外が不仲の国は多い。共生国家と銘打っているのも、グラズヘイムを含めてたった三つしかない。私は、頑張ればもっと増やせると思うんだよね。みんなが幸せになれて、笑顔でいられるような、そんな世界にするのが私の幻想ゆめなの。その為には、間近で人と人との繋がりを見て、感じて、学ばなきゃならない。で、最適解だと思ったのが、冒険者だったってわけ。――――ちょっと回りくどいけれどね。あはは······」


 答えたとき、エフィーちゃんは目を見開いていた。とても驚いているように見えた。

 正直、そんな反応をされるとこっちが恥ずかしくなってくるのだけれど。


「意外?」

「いいえ。ただ、なんと言いますか、自分が思っていた以上に、姫様は姫様なんだなと」


 エフィーちゃんは、私よりも照れくさそうにしていた。


「ウフフ。エフィーちゃん、それどういう意味」

「あ、すいません! 決して馬鹿にしているというわけでは!」

「わかってる。アリスから同じことを言われてたから」

「は、はぁ······。叶うと、いいですね」

「ありがとう」


 確かにアリスは同じことを言っていたけれど、エフィーちゃんの動揺とは違って彼女のはすっと受け入れてくれるような感じだった。

 スヴァルや兄トマスも嬉しそうに同意してくれた。そう言えば、ジンくんだけは他の人と全く違う意見だった。

 抱え切れないならさ、勿体無いから俺に全部くれ――――まさかあんな風に求められるなんて。予想外だった。

 もしかしたら、ジンくんも私と同じなのかな。だとしたら、とってもとっても嬉しい。



 ++++++++++



 食堂の明かりが沈んでから二時間。

 寝静まった四つの寝袋の内の一つから、人影が這い出てくる。傍らに置いてあった眼鏡をかけて立ち上がったアリスは、音を立てないように注意して移動し、玄関から外に出た。

 夜風が寝間着を越して肌を撫でてくる。冷える体を、魔術で体温を上げて暖め、きらびやかな星空を眺めている野兎の隣に立つ。


「差し当たっては、貴方のことを少しは信用致しましょう」


 アリスは空を見上げて言った。

 

「貴方は一見すると、クレイ嬢に対して少々意地悪に接している。まるで、拘束されたことを根に持っているかのように。ですが、本質は全く違う」


 ジンテツは静かに白い息を吐いた。


「クレイ嬢はわかりやすい。たったの一言二言対話をすれば、全容がすぐに知れる。貴方のような方なら、それくらいお見通しでしょう?」


 アリスの推測に、ジンテツは応答せず。


「クレイ嬢は甘い。従者わたしからすれば、常にハラハラドキドキが絶えません。頭がそこまで回る方でもないので簡単に騙されるし、嘘を吐くのもド下手、さらには疑いはするも信じるまでの転換が早い。正直、危うすぎる」


 アリスはずっと、ジンテツを査定していた。他の女性陣と会話をしている際も、頭の隅では常に彼の安全性と危険性を測り、境界線を引くことに徹していた。

 クレイの対応ぶりは勿論のこと、シラとエフィーも判断材料の一つとして組み込んだ。その結果は、アリスからしたら不承不承な合格。


『ジンテツ・サクラコは、人畜無害ではないにしろクレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエにとって、最低限不利益な存在ではない』――――と。


 眼鏡の後ろで目蓋を下ろして、アリスはしょうもないと悔やしがっていた。仲間と容認しても、個人としてはまだ気を許したつもりはない。


「自分で言うのもなんですが、私は良くも悪くも印象通りのメイドです。なので、度々クレイ嬢についていけない時があります。もどかしくて、不甲斐なくて仕方がありません」


 ジンテツは暢気に大きく欠伸をした。

 聞いているのか、聞いてないのやら。アリスは溜め息を挟んで続ける。


「貴方は、私が手を焼かされているクレイ嬢に手を焼かしている。誰もが頭お花畑のお姫様に当てられている中、貴方というケダモノだけは繋がれない。最低限の恩義を懐きながらも、それ以下に扱わず、それ以上も受け付けない。躾られない飼い兎――――飼い兎なんて表現、クレイ嬢が聞いたらお叱りを受けますね」


 自身の口が緩んでいるのが感覚でわかり、然り気無く手を温めるようにして覆い隠すアリス。どこか安堵している自分がいることを不思議に思った。


「それでは、おやすみなさい」


 風が吹いて、寒さが増したのを期にそろそろ寝袋へ戻ろうと寮に歩み出したところ、ジンテツがようやく口を開く。


「なあ、『騎士』ってなんだ?」

「······」


 アリスは立ち止まった。そして、ジンテツに振り向く。


「今、なんと?」

「この間さ、お姫様が俺のことを騎士になれとかなんとか言ってたから、気になっててさ」

「······なぜ、それを、私に、訊く、ので?」


 カクカクと固い口調でアリスは言った。あまりに唐突且つ衝撃的な問い掛けに対応しきれず、様々な感情が整理されることなく混濁している。


「なんとなく」


 なんとなくで他人の心をかき乱さないでほしい――――アリスは静かに苛ついた。クレイにもだ。

 何をどう頭をねじ曲げればそんな提案が思いつくのか、過りはしても挙げる道理がアリスにはわからなかった。

 確かに、ジンテツのことは取り敢えず容認する態勢でいる。これに嘘は無い。しかしながら、『騎士』にまでできるかどうかとなれば話は別だ。


 まずは、落ち着きましょう。ええ、早まった見解は余計な混乱を招くのみ――――


 アリスは私情を整理してから改めて考察した。

 疑問の形態からして、ジンテツが自身で口にした『騎士』という言葉に対して興味はおろか、“深い意味„すら理解していない模様。虚言を吐いている様子も感じられない。服に染み付いた汚れを拭いたいという程度の、単純な関心。

 そうなると、受け入れ難いがクレイ本人が『の存在に相応しいと認めた』ということになる。

 いくら頭の中お花畑であろうと、流石に軽率が過ぎる。となれば――――アリスはこんがらがった感情を辛うじて操作し、平静を拾い上げて答える。


「『騎士』というのは、法定特別爵位のことですよ」

「爵位? ってことは、貴族なのか?」


 ジンテツはアリスの方に向いて訊いた。


「確かに爵位としていますが、厳密に言えば少し違います。グラズヘイムにおける『騎士』、というのは護衛専門の役人を差します。そして、辺境伯以上の爵位に赦された特権で、該当する貴族のみ雇用することができる。とはいえ、雇用するにも任ずる側、任じられる側双方に『条件』がありますけれど」


 説明を聞き終えたジンテツは、ふぅ~んと理解したように息を吐いた。


「一応付け加えておきますと、『騎士』に任じられた者は主のとなるので、貴方が何か不祥事を起こせばその責任はクレイ嬢が問われることとなります。――――逆に、貴方に何かあれば、何かをした側に責の天秤が傾きやすくなるので、なっておいた方が色々と都合が良くなると思いますよ」

「そ」


 ジンテツは素っ気無げに返した。

 アリスは疑問が晴れて気が済んだのかと拍子抜けに思い、されどまた何か声をかけられるのではないかと警戒して、逐一振り返りながら寮に戻り、結局何事もなく寝袋に収まった。





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