ゆったりな兎脚【ヴァン・アリエール】~(2)~
ジンテツを追い返した三十分後、ルージーは自身の執務室で本日二度目の珍事に遭遇していた。
追い返したばかりの野兎と、第二皇女が二人して頭を下げている。厳密には、ジンテツはクレイに頭を押さえつけられ、無理矢理下げさせられている状態だ。
二人の後ろ、執務室の扉の前にはルージーの送り込んだ監視役のエフィーがそわそわとした様子で突っ立っている。
いきなり現れたかと思えば、クレイが「すいませんでしたァァァァ!!」と盛大に謝罪して今に至るのだが、ルージーはなんとなく意図を理解し、面倒臭そうな態度で口を動かす。
「姫殿下、恐れ多くもお訊ね致します。これは一体なんの真似でしょうか?」
これにクレイが凛とした口調で答える。
「この度は、大変お忙しい中、この奴隷兎めが失礼を働いたようで、主人代行として監督責任を感じ、こうして頭を下げに来た次第です。本当に、ほんっとーに、申し訳ございませんでした!」
クレイの王族らしからぬ立ち振舞いは、当然区衛兵の間でも有名だ。冒険者とは水面下の小競り合いが耐えないながらも、クレイは王族だからという他に純粋で分け隔てない性格から例外的に対応している。
稀に度が過ぎて現状のような態度をとることもあるため、ルージーは倦厭しているが。
「はぁ、頭をお上げください。私めなんかに勿体無い。その節に関しましてはとっくに解決し、彼とは和解しております」
「誰が和解したよ?」
と、ジンテツが頭をぐわりと上げると、即座にクレイが耳を引っ張って制裁を下す。
お笑い芸に興味無いルージーだが、二人の主従漫才と言って差し支えないような一瞬のやり取りに呆れ、双眸を閉じて煙草を灰皿に押し付ける。
「まあまあ、とにかくその事に関しましては本当にもういいのですよ。私共は全く気にしてはおりません。それより、他に御用件があるのでしょう?」
ルージーの言葉に、クレイが伺うように顔を上げた。彼女はぽかんとしていた。
次いで、ジンテツがクレイの手を振り払って両手をテーブルにバン! と振り下ろす。左手首には、冒険者であることを示す鉄製の腕輪が嵌められていた。
「そうだ! おっさん、やることやってきたぞ。とっとと話してもらおうか」
「もう、この野兎ったら本当に礼儀を覚えないんだから! 少しは申し訳なさそうにいいなさ――――」
クレイが掴みかかろうとしたところを、ジンテツはそれより速く彼女の長い耳の先端をつね上げた。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――――!!」
「取り敢えず、お前は静かにしてエフィーについてろ。俺はこいつと話をしたいんだ。いいな?」
「ピッ······」
ジンテツに一瞥されて多大な怒気を感じたクレイは、静かに言われた通りにエフィーのところまで退いた。
そして、野兎はルージーに向き直る。
「ほら、話せよ」
「お前、今のを聖王殿下か
「知るか。そんなのどうでもいい。今俺が聞きたいのは、あいつのことだ」
ジンテツは親指を後ろに指した。怯えた様子のエフィーに向けられている。
「ああ、話な。話――――なんの話だっけな?」
「······はぇ?」
ジンテツは憤りを覚えた。
「なんの悪ふざけだ、おい!」
「ちょっと、ジンくん! なんでそんなに怒ってんの! そっちも説明してよ!」
クレイが止めに入るも、ジンテツは素早くテーブルを乗り出してルージーの襟に掴みかかる。そして、白鞘を抜いて首元に突き立てた。
「ジンくん!? それは流石にまずいって! 悪い冗談はやめて、武器をしまいなさい! それで下りなさい! ねえ、聞いてるの!?」
「姫殿下が命令しておりますぞ。野兎殿」
クレイが食い止めようと必死に裾を引っ張っても、ジンテツはルージーから目をそらそうともしない。
白鞘も揺らがない。
「まあ、待て。オレは『やることやったら』とは言ったが、それが『冒険者になったら』とは言っていない」
「引っ掛けたってのか? 下らねぇ頓知に付き合う気はないぞ」
「だから待てと言っているだろう。お前は条件を満たしていない。それだけのことだ。早まった真似をして、姫殿下に迷惑をかけたくないだろう?」
「コイツぅ······」
ジンテツは歯噛みして手を離す。その後すぐに、クレイからお仕置きのチョークスリーパーが執行された。
「本当にあなたって子は! あなたって子は! こんな悪いウサギに育てた覚えはないよ!」
「いやお前に育てられた覚えは無ぇ!?」
「口答えしなーい!!」
今までの不満を全てぶつけるように絞めあげるクレイ。だが、ジンテツは苦にしておらず、あまりの煩わしさに舌打ちして足を引っかけて後ろに倒れた。
床に挟まれたクレイは「ぷぎゃっ!」と小さく悲鳴をあげ、解放された野兎は一人何気無く起き上がって先に部屋を発つ。
目を回しながら遅れて立ち上がったクレイは、ジンテツの行動に苛立ちつつもルージーに向かい、改めて深々と頭を下げた。
「ホントすいません! ホントすいません! ホントすいません! ホントすいません! 彼にはキツく言って聞かせときますので、本当にもう二度とこんなことができないように躾ときますので! 調教しておきますので、どうか見逃してくださいぃー!!」
「姫殿下、色々と問題のある単語が聞こえたので取り敢えず自重してください。あと、謝罪はもうお腹一杯なのでそこまでにしてくださると心が安らぐのですが?」
「はっ! そ、そうですよね? ごめんなさい」
縮こまって、クレイはジンテツを追って部屋を出ようと扉に向かう。その様子を、じっと見送るルージー。
「お待ちを」
「はい?」
「ギルドセンターに戻ったら、お手数ですがあの兎に言伝てをよろしいでしょうか?」
「······はい」
少しルージーから目を離してから、クレイは応じた。
++++++++++
「俺に依頼したい?」
ジンテツはしかめっ面で言った。
ギルドセンターに戻り、クレイから突然告げられたルージー=シモンからの伝言。聞いた瞬間からジンテツは激しく嫌な顔を浮かべ、怒りで彼の周囲の空気は陽炎の如く歪んでいた。
「今度はなんなんだか?」
言いながら、ジンテツは腰を下ろす。
クレイは意外に思った。ジンテツにとって、ルージーに対して抱いている印象は著しく倦厭的だ。なのに、素直に応じようとしている。
恐々としながら、クレイはルージーから預かった羊皮紙をテーブルに広げた。
「依頼の内容は、『ドラグシュレイン区壁外領南西部――――ビルアの街に潜伏していると思われる過激派組織『パーク』の拘束、及び殲滅』だって」
「で? どんな奴ら?」
ジンテツは胡座をかき、腕を組んで訊ねた。
威圧的で、クレイは一々怯えさせられる。
「ルージーさんによると、
「ふ~ん」
ジンテツは羊皮紙を手に取って内容を見通した。
羊皮紙の一番上には、依頼の達成難易度を示す★が三つ並んでいた。――――ちなみに、難易度の基準としては以下の通りである。
星1=【雑用等】
星2=【境地もしくは物品の探索・調査等】
星3=【
星4=【
星5=【
星6=【王族勅命至急特別依頼】
さらに、それから下には討伐対象『パーク』に関する詳細な情報が記載されていた。
『組織は肉食の獣系人外で構成されており、中でもリーダー格三名を優先的に対処してほしい。前文の対象の名、及び種族名を明記する。
獅子の獣人レオナルド・ネメア《男》
虎の人獣クリオ・マカイロドゥス《女》
豹の獣人ダガーテール《男》
尚、命の保証は一切致しませんので、受諾する際は心するよう御注意くだされ。報奨金に関しては後払いでお願いします。準備が完了し次第、こちらから追ってご連絡致します。依頼主署名ルージー=M=シモン』
「――――舐めやがって······あのゾンビ野郎」
一通り読み終えたジンテツはそう悪態をついて、クレイが諌めるよりも早く受付窓口の方へと向かった。
「おい、そこの雌猫」
「あ、ハ~――――イッ!?」
受付嬢を勤める三毛猫の獣人――――彼女の名はセーラ・スポット(25才独身)――――は、ジンテツを見るなり顔が青ざめ、尻尾の先が力無く垂れ下がった。
実は彼女、先程にジンテツの冒険者登録をガイドした受付嬢だった。この時、ルージーにあしらわれたすぐ後だったこともあって、静かな怒りを煮え滾らせていた。
これによって、真正面からジンテツの凄絶な怒気に当てられて、心の平穏をぐちゃぐちゃに掻き乱され、軽くトラウマとなってしまっていた。
セーラは涙を溜めて、今すぐにでもこの場から逃げ去りたい思いでいる。
「ななな、なんでしょう······?」
弱い声で訊ねる。すると、ジンテツはバンと依頼書を叩きつけた。
それだけでセーラは「ひぃー!!」と短く叫んで、全身がピンと張る。
「これ、受ける」
「は······ひゃい······」
白目を向いて意識を失いそうになりながらも、セーラは震える手で受諾印に判を押す。そして、ジンテツが依頼書を持って離れると、「きゅ~」と鳴いてパタリと倒れた。
「行くぞ、お姫様」
「う、うん」
クレイは内心でセーラを激励しながら、ジンテツの後をついていった。
「ジンくん、何をそんなに怒ってるの? ずっと怒ってるよね?」
恐る恐るクレイが訊ねる。
ジンテツは答えず、ただ足の進みを速くした。そのままカーズ・ア・ラパン寮へ戻るのかと思いきや、ギルドセンターの入り口を抜けたところで右に向いた。
「で? お前もまだ続けるの?」
クレイもジンテツが声をかけた方に目を向ける。エフィー・メラルが立っていた。
「はい······命令ですので。終わりと言われるまでは。それと、三日後の早朝五時、兵舎前に集合とのことです」
ジンテツは舌打ちした。
「取り敢えず、寝る」
そして寮へ帰った。
クレイは、なんとも言えない気分になった。ジンテツの奔放さはわかっていたつもりだが、ここまで荒ぶり、暴走した姿は初めて見た。
きっかけは決定的にエフィーの扱われ方。
話を聞いて、ルージーに思うところがあるのはクレイも同じだ。だが、ここまでジンテツを悩ませるとなると、気になって気になって、いたたまれなくなる。
クレイは、ひっそりとジンテツを追おうとするエフィーを呼び止める。
「ねぇ、エフィーちゃん」
「姫様? なんでしょうか?」
「行きつけの喫茶店が近くにあるのだけれど、これから一緒にどう?」
第二皇女からのお誘い。
区衛兵としてここは任務を重要視し、離れるわけに行かないと躊躇するエフィーであったが、相手が相手ということもあって断るわけにもいかず、そう迷っている内にクレイに手を引かれていた。
エフィーが連れてこられたのは、古風なアンティークが多く置かれている喫茶店だ。文字盤に太陽が描かれた柱時計、クリスタルの目を持つ木彫りの猫、壁には華やかな森林の風景画、カウンターでは
クレイとエフィーは、奥にある街の景色がよく見える席で向かい合った。彼女等以外に客は二人しかいなかった。
「いきなりごめんね。付き合ってもらっちゃって」
「いえ、別にお構いなく」
さて、とクレイはメニュー欄を開く。
「何か食べたいものとかある? ちなみに、私のおすすめはこのアップルパイとかかな。これに渋みを利かせた紅茶を付けると、疲れが溶けるみたいになくなって心が安らぐのよ」
「は、はぁ~······では、それで」
「うん。わかった」
クレイは天井から垂れている蔦を軽く引っ張った。すると、天井の灯りから小さな緑色の光が一つ分離し、二人のもとに寄ってきた。
光の正体は、背中と腰から翅を生やした体長十センチメートル程度の小人だった。
「これは、
「そ。ここを営んでるご夫婦ね、翅が動かないみたいで。それで
「へぇ~」
クレイが
「あらら、エフィーちゃん、ダメだよ。
「す、すいません。その、可愛かったので、つい······」
そう言うと、
この行動に意図が読めず、首をかしげる。
「可愛いいって言われて、嬉しくなっちゃったんだね。今なら触ってもいいよ、だって」
「では」
エフィーはそっと、今度は場所を選んで顎の下を緩やかに撫でた。
「くすぐったいみたい。喜んでる」
満面の笑みでクレイが言う。
「気持ちがいいところに悪いのだけれど、そろそろ働いてもらっても構わないかしら?」
料理が来るまでの間、クレイはエフィーと話をしようと話題を探す。が、何から手をつければいいのかわからず、そのまま沈黙の時が過ぎ去って、
アップルパイが1ホールとダージリンティー、クレイのテーブルにはバターチップスが加わっている。
クレイが切り分け、食事が始まる。
「ん~、焼きたてサクサク~! リンゴも芳醇で、これに紅茶を付けると本当に止められないのよね」
一口、二口とアップルパイを頬張り、ダージリンティーを流し込む。クレイにとって、この庶民的ながらも贅沢な感覚が堪らなく至福なのである。
温かな熱に頬を赤くし、柔らかな甘味と優しい渋味に顔が蕩けそうになり、さながら日向ぼっこを嗜む猫のようにうっとりとしている。
「エフィーちゃん、どう? 気に入った?」
エフィーは、鼠のように小口でちょろちょろと味わっていた。
「はい。とっても美味しいです」
「よかった! バターチップもどう?」
言いながら、クレイはバターチップの入った籠をエフィーの方に押した。
芋を薄く切って油で揚げた後、溶かしたバターを絡めたお菓子だ。塩もまぶしてあるので、これも一度味わってしまえば、歯応えの心地好さも合間って手と口が休まらなくなってしまう。
エフィーは、躊躇している様子だった。
「ほら、あーん」
辛抱できず、クレイからエフィーの口にバターチップを押し込む。口の中から、パリパリと聞き心地のいい咀嚼の音が漏れる。
「どう?」
「ゴクン――――美味しいです」
エフィーの顔が柔らかくなり、笑みが見えた。
「ごめんね。こんなことさせてる場合じゃ無いって、わかっているのだけれど······」
「え?」
「さっきも言ったけれど、ジンくんを止められなかったから。仮の主として、本当に情けない」
「そんなことはありません。寧ろ、私が上手く立ち回れなかったからで、姫様に非は」
エフィーは両手を出して大袈裟に謝罪した。まさかこのようなことになるなんて、と内心は自虐で一杯だ。
だが、クレイは朗らかな笑みを浮かべて彼女の手を優しく包み込んだ。エフィーは不思議そうなものを見るように顔をきょとんとさせた。
「ううん、私が杜撰だった所為。私がちゃんとジンくんを見ていれば、あなたに余計な重圧を掛けさせることにはならなかった。卑怯だけれど、ここに付き合って貰ったのも、彼に代わって謝罪をしたかったからなの」
そんな······――――エフィーは息が詰まったような思いに苛まれた。
「本当にごめんなさい。でも、勘違いしないでほしいの。ジンくんは変わっているけれど、根は親切で他人に合わせるのが不器用なだけなの。依頼されたからにはきちんとこなすから、ジンくんのことも私に任せて欲しい。だから、その······」
「大変申し訳ありませんが、見逃すわけにはいきません」
言葉の途中で、エフィーが口を挟んだ。彼女の目は、自身の皿にある腐り始めたアップルパイに向いている。
「姫様が頭を下げる必要は最初から無いんです。これは私に預けられた案件なのですから、責任を果たすべきなのは私だけなんです」
「でも、あなたは新入りなのよね?」
「はい。配属されて、三ヶ月程になります」
「三ヶ月って、まだ研修を終えて間もないじゃない?!」
エフィーは口をつぐんで俯く。
本当はわかっているのだ。自分が、如何にどれだけ不当な扱いを受けているのか。
気味が悪い、空気が不味くなると陰で揶揄されるのには慣れている。自分が如何に異質な存在なのかも理解している。
食べ物を口にすれば忽ち腐敗させ、無意識に肉体の限界を振り切って怪力を暴発させ、また意識が遠くなることも屡々。挙げ句の果てには、エフィーの感覚器官はあやふやに機能している。
疲労を感じないものの、気温には敏感に反応する。しかし、他者の温もりは感じない。香水で誤魔化しきれない程の死臭を常に漂わせる。
ゾンビはその性質から、『蘇り損ない』『この世で最も中途半端で醜い人外』と忌み嫌われている。
そんな自分に対して、怒ってくれたり寄り添ってくれるもの達がいるのは正直ありがたい。感慨無量だ。
だが、エフィー・メラルには譲れないものがある。例え尊き王族の命令であろうと、阻止されたくはない。
「姫様のお心遣いには大変感謝しています。けれど、私には私なりに役目を全うしようという気概があります。ですので、私は嫌でもやめるつもりはありません」
「······」
今度はクレイの口が閉じた。
エフィーの穏やかな表情からは本気の覚悟が伺え、また何を言おうとも彼女の意志を貶すことになってしまうと気づいたからだ。目の前の女兵士の瞳には、確かな信念からなる光が小さく煌めいている。
クレイは大きく溜め息をついて、椅子の背もたれにドスッと背を預けた。
「わかったよ。もうなにも言わない。けれど、本当に辛くなったら言ってね? 私、というか、ジンくんなら何とかしてくれるかもしれないから」
「姫様は、随分とあの方を信頼なされているのですね」
クレイは持ち上げたティーカップを止めた。
「······そうだね。――――ごちゃごちゃしてて危なっかしいけれど、不思議と彼の言動には何故だか安心させられるんだよね。変な感じだけれど」
言われてみれば、とエフィーはジンテツとの対話を振り返る。
自分をつけていた相手を煙たがる素振りをすることなく、軽快に食事に誘われて、少しの会話でエフィーの用途に気づき、単身で兵舎に乗り込んだ。
無謀極まりない愚行と誰もが思うだろうが、エフィーはジンテツの行動に複雑な心境でいた。
「姫様」
「ん?」
少し間を空けて、エフィーは声の震えを隠すようにゆったりと言葉を紡いだ。
「もっと、ジンテツさんのことについて、教えて貰えませんか? 話せることだけでもいいので······その、彼を知ることが私の
エフィーの照れながらしたおねだりに、クレイは嬉しそうににこにこと笑顔を浮かべる。
「長くなるわよ」
「はい、お願いします!」
そうして、二人はしばらくの間、談笑に花を咲かせた。子供がはしゃいでいるような和気藹々とした空気に、店中の
すっかり話し込んで、喫茶店を出る頃には一時間が経過していた。日はまだ夕焼けにも差し掛かっていないが、そろそろ帰宅することにした。
歩き出そうとして、途端に何かをひらめいたクレイはエフィーに振り向く。
「そうだ! エフィーちゃんも寮においでよ!」
「え? いいんですか?」
エフィーは遠慮するつもりでいた。皇女の部屋に上がるなど、あまりに恐れ多い。
「いいのいいの。きっとジンくんも歓迎してくれるよ。それに間近で監視できるしで、損は無いでしょ?」
「え? 寮って、そっち?」
「よし! そうと決まれば行っちゃオー!」
クレイはエフィーの手を掴んで、返答を聞かずに走り出した。
今夜はアリスと時間も合うし、ご馳走を頼んじゃおっかな――――
ウキウキになって歩いていると、偶然にもクレイは付近の並木道でベンチに腰掛けたジンテツの後ろ姿を見かけた。大声で呼び掛けるも、まったく返事が無い。
「もう、別に聞こえてないわけでもなしに、ガン無視とはけしからんわね。まだご立腹なのかな? ヒッヒッヒ、後ろから首に静電気を流しちゃお」
「姫様?」
「ねえ、エフィーちゃん。今から二人でジンくんを驚かして差し上げましょ、ね?」
「は、はい?」
困惑するエフィーを置いて、クレイは悪戯な笑みを浮かべてゴミ箱、街灯、茂みと物陰に隠れながら静かに接近する。
なんとかバレずに、ジンテツの背後にある銀杏の木の陰に潜んで、好機を伺う。
いざ、悪戯を実行しようとする瞬間、クレイは暴風に「ビャァ!!?」と吹き飛ばされた。起き上がると、途轍もない二つの魔力の波動を察知した。
それはもう、どろどろとした戦意のせめぎ合いというような、他者の介入を一切許さないというような、どす黒い感情が渦を巻いて空気を震わせている。
クレイはこれに似たものを知っている。それを感じたのは、演劇会を見に行った際の修羅場シーンだ。
一人の男を二人の女が取り合うという、ありがちながらも演者の迫真の熱演によりリアルすぎる感情の災禍を目に焼き付けられた。お陰でトラウマとなり、演劇を一切見なくなった。
魔力の渦はジンテツの向く方から感じ、恐る恐るそちらに目をやると、二人の女が睨み合っていた。
右側にはクレイのメイドであるアリスが背に魔法陣を六つ展開していて、左側には見知らぬ白髪の人兎の
「いいや! どうなってるのォォォォォォ――――!!?」
クレイの仰天してあがった叫び声は、周辺にいた鳩の群れを空へと駆り立てた。
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