ゆったりな兎脚【ヴァン・アリエール】~(1)~




「サクラコ。お前、冒険者になれるぞ」

「······はぇ?」


 昼飯を喰おうと食堂に向かっているところを、プラムから唐突に呼び出されて来てみれば開口一番に告げられた。

 取り敢えず、鶏肉とレタスのタルタルブリトーをムシャムシャと腹に納める。さっきまで占星術の講義を受けていたから、頭が疲れているのに。


「本来なら、試験を経てその結果を元に資格授与を検討するのだが、それとは別に就任歴三年以上の経歴を持つ冒険者三名の推薦によって同様の処置が為される。サクラコの場合は後者それだ」


 クレイが前に言っていた「なんとか」って、もしやこれのことか。にしたって――――


「誰が言ったの?」

「まずクレイ嬢、あとは先の本試験でお前のパーティを監督したフェリヌス、そして······スヴァル嬢だ」


 す・ヴぁ・る?

 つい昨日、俺が倒しちゃった霜女が?

 フェリヌスはともかくとして、なんで?


「不本意だが、私も聞いたときにはそんな腑抜けた顔をしたよ。まさか、スヴァル嬢までもが篭絡されていたとはな」

「覚えナイよ」


 昨日だって、授業が終わったら気まずい様子でとっとと走り去っちゃったしで、その後は会ってもいない。

 とどのつまり、スヴァルに俺を冒険者にする確かな筋合いは無い筈だ。なのに、推薦した?

 どっちかっていうと、排除の方向性で動いていると思っていたのに。何を狙ってやがるんだか。


「とにかく、資格授与の証書を渡しておく。ギルドセンターの受付窓口にこれを提出すれば、いつでもお前は冒険者になれる。一応、祝ってやる。――――お・め・で・と・う」


 不機嫌そうに睨みながら、プラムは一枚の紙を差し出した。俺は同じ表情を返して受け取り、静かに職員室を出ていく。

 取り敢えず、当初の目的である冒険者にはなれるんだよな。ここに来て三週間くらいか。かなり苦労したな。

 死にかけたり、色々と危うい状況には何度も陥ったりもして、なんやかんや苦境を乗り越えてきたわけだから――――。


「今日のお姫様は一際騒がしくなるぜ」


 だけど、いい食糧メシが喰えるなら目を瞑ってやろ。騒ぎすぎたら頭をかち割ってでも静めたるが。

 それにしても、今日はどこも人気が薄いな。廊下は伽藍がらんとしていて、風が余計に通りやがる。

 監視の目は――――無いな。

 昨日の夜まではびんびんに気配があったのに、今朝起きたらきれいさっぱりに無くなっていた。

 諦めたのか? だったら潔くてよろしいんやけど······。

 そう思いながら寂しい廊下を歩いていると、角から女の人類ヒューマンが出てきた。

 淡い茶色の髪をさらりと伸ばした、気だるそうな垂れ目の女だ。そして、胸元に真珠の輪が為されたメッキ鎧。腰にはハンティングソードを差している。

 顔色悪いし、生気も薄いしで、薄気味悪いな。


「区衛兵······」


 左手を白鞘の柄に掛けて、警戒体制をとる。


「なんか来てるなとは思ってたけど、マジでいたなんてね」


 周りの気配に意識を分散させていたから、こいつの気配だけ覚れなかった。ホンマ、気味が悪いな。

 人気が無いのを狙ってここで粛清しようってか? 暴挙にも程あるだろ。区衛兵、殺伐し過ぎとちゃいまっか?


「で? いま? ここで? やるのか? ん~?」


 取り敢えず睨んで威嚇する。

 歳はクレイと同じくらいのこの女兵。素で気が抜けているようにと見せかけて、腹の中では舐めてやがる。

 そういう態度だ。ハウフィ達から学んだ。

 開戦の準備はできている。


「めんどクセェけど、来るなら来いよ」


 柄を少し引く。

 明確な敵対意識を向けた。手始めにどういう反応を見せるのか、観察する。

 今のところ、目に覇気を感じられない。

 いつ来る、いつ来る、いつ来るんだ。


 ························


 ――――全然来ないんだけど。

 突っ立ったまま、動かないんだけど。


「おい、お前何しにここに――――」


 女から何か聞こえ、そっと近づいて耳を傾けてみる。

 

「うゥー······うゥー······――――」

「ッッッ············!!!」


 まさか――――こいつ······寝てやがる······!!?

 ぐっすり······すやすやと······立ったまま······目を開けたまんま······ネ・テ・ヤ・ガ・ルゥゥゥゥゥゥッ!!!??


「······珍獣や······」


 めちゃくちゃ面白れぇ。

 取り敢えず俺は、女兵にちょっかいを掛けることにした。こいつからは面白そうな匂いがプンプンする。


「ほら、起きなはい」


 女の下唇を引っ張って起こす。


「あ~――――あれ?」

「よ。おはようさん」

「はい。おはようございます」


 女は丁寧に頭を下げた。そして、上げてからは頻りに周囲に見回した。


「えっと、私、何してたんでしたっけ?」

「寝てた。いきなり出てきて俺の真ん前で寝た。で、俺が起こした」

「そうでしたか。ありがとうございます」


 女はまた頭をペコリと下げた。

 なんていうか、マイペースな奴だな。


「で? あんた、誰?」

「私は国防委員ケルビムドラグシュレイン区本部所属、エフィー・メラルと言います。あなたのことを尾行しろと命令され、あなたについて回っていました」

「尾行してる相手に尾行してますって言っちゃうん?」

「あ······今の無しで」

「ほな梨を喰いに行くか」

「え?」


 取り敢えず、俺はエフィーの腕を引っ張って食堂に向かった。



 ++++++++++



 クレイは仕事に向かっているようで、帰ってくるまでエフィーとバスケット一杯の梨の切り身を喰うことにした。ちなみに俺の奢り――――クレイから貰ったお小遣い、俺以外に使うのは初めてだな。

 ギルドセンターには初めて来たが、教室とは比べ物にならない程にいろんな奴等がいるな。

 屈強なゴブリンに、老いた魔術師ウィザード、エルフの子供もいれば猟犬を連れた人類ヒューマンもいる。酒と飯の匂いが飛び交っていて、呼吸するだけで腹が減りやがる。

 気のせいか? 俺とエフィーの周りに変な間がある。

 加えて、区衛兵がここに来るのが珍しいのか、やけに視線を感じるな。そして、ひそひそと小うるさい。

 けど、梨が旨いからなんでもいい。噛むと容易くほぐれて、果汁が口一杯に広がる。咀嚼してるときのシャリシャリが気持ちいいんだなこれが。


「えーっと······」

「エフィー、喰わないの?」

「······はい。お構い無く」


 エフィーは縮こまって言った。

 俺は少し腹が立って、梨を強引に押しつける。


「いいから喰っとけ。顔色悪いんだし、たんと喰え喰え。ほらほらほら」

「で、では、お言葉に甘えて」


 エフィーは梨をそっと両手で受け取り、小さく齧りついた。――――ネズミかよ。


「旨いか?」

「はい。美味しいと、思います」


 奇妙な返事だな。

 旨いだろ。この梨。


「あの、なにも聞かないんですか?」

「ん? なにもってなにを?」

「その、監視してる理由とか」


 エフィーは気まずそうに視線を落として訊ねた。


「なんとなくわかってる。だから訊く必要無いでしょ」

「············」


 どうにも気になるな。

 ただぼんやりとしたエフィーの態度や言動というより、もっと表面上にあるのが途轍もなく気になる。

 存在感だな。それが気になるんだ。

 寮の周りで何人か張っていたのは、気配を感じたからわかっていた。だが、このエフィー・メラルという女区衛兵の気配だけはほとんど感じなかった。

 今こうして面と向かっていても希薄だ。

 香水で誤魔化しているが、微かに肥料みたいな独特な苦い匂いも微かに鼻孔を擽る。


「お前、ちゃんと寝てるのか?」

「え?」

「きちんと寝てるのかって訊いてんの。肌は青白いし、目の下の隈も濃い。まるで死体が歩いてるみたいだぜ? 今にもぶっ倒れそ」

「心配、してくれてるんですか?」

「別に。飯を囲うのにお前みたいな面した奴が一緒じゃ飯が腐っちま······う、だろ······」


 エフィーの持っていた梨が、みるみる茶色く変色していき、ボロボロと塵となって跡形もなく崩れた。起点は、エフィーが齧った箇所からだ。


「ごめんなさい」


 エフィーは暗い顔になって言った。


「お前、ゾンビか」

「······はい」


 ゾンビ――――死霊系人外は生骸属アンデッドに分類される蘇った死体。

 最も知られている生態として挙げられるのが、噛んだものを仲間にするという感染増殖力。だが、発見例は意外にも多くない。

 死霊系人外は局所的で成り立ちも特殊な存在だから、中々お目にかかれない。まさか、こんな日の当たる場所で遭えるなんて、思ってもみなかった。

 見たところ、魔術的に生み出された傀儡じゃなさそうだな。意識がハッキリしているあたり天然物だ。

 そして、こいつが俺の監視に宛がわれた理由も、なんとなく理解した。


「まったくさ。区衛兵の連中、俺をなんだと思って」

「ごめんなさい······」

「なんでエフィーが謝るんだよ。嫌なら嫌って言えばええやろ」


 言うと、エフィーの顔に影が増した。


「できたら、やってましたよ。でも、私は下っ端なので」


 さっきから気に入らねぇ面ばっかりしやがって。

 ああ、ダメだダメだ。めっさむしゃくしゃしてきた。


「よし。お前の上司をシバきに行こか」

「はい······――――えっ!?」


 残りの梨を鷲掴みにして口に押し込む。自棄喰いせずにはいられない。あと、エフィーにも何個かぶちこむ。

 俺は自分がいかにおかしな存在なのか、まあまあ理解しているつもりだ――矯正する気は無い――。だから監視させるにも、相応の猛者が来るものだと思っていた。

 死人が相手じゃ俺は気配を覚れない。だから勘を見誤っていた。その点の塩梅は評価してやるさ。

 だが、『だが』、だよ――――。

 エフィー・メラル。こいつ、何から何までめんどクセェ奴だなぁ。ああ、ほんっっっとーに、めんどクセェ!

 一体どこのどいつがエフィーに命令しやがったんだか。取り敢えず、ケツをぶち蹴りまくってやるよ。


「待ってください! あなたは区衛兵から大変警戒されています! その、事は起こさない方が······」

「············」


 エフィーが性急に俺の前に立ち塞がってきた。通り抜けようとすると、反復横跳びして追い掛けてくる。

 どちゃくそ邪魔やな。蹴っ倒すか。


「ジンくん? どうかしたの?」


 脚を構えようとしたら、後ろからクレイの声がして振り向く。マジで本人がいたから急いで脚を下ろす。

 大丈夫か? 俺が蹴ろうとしたところ、見えてへんよな?


「えーっと、プラム先生からジンくんが冒険者登録できるようになったって聞いたのだけれど······その人となに、してるの?」

「お姫様······お前って、出てくるタイミングつくづく悪いよな。マジで悪いわぁ。うっわ~」

「なんでいきなり責められてるの私!? それでその区衛兵は誰なの!? あなたまたなんかやっちゃったの!?」


 取り敢えず、クレイを交えて席に戻る。そして、斯々然々と端的且つ簡潔にエフィーのことを説明した。

 核心に触れるようなことは言っていない。言った方がクレイは協力してくれるのだろうが、あいつに余計な面倒を働かせたくない。――――あくまで山勘だし。

 話を聞いたクレイは苦汁を飲まされたような顔をしていた。平和ボケな第二皇女様からしたら、さぞ我慢ならない事情だろうな。


「ん~、やっぱり目をつけられてたか~。ちくしょー」


 歯をギリギリと鳴らしながらクレイは言った。

 俺も気持ちは同じだ。


「なあ、お姫様。今、区衛兵を仕切ってるのって誰なんだ?」

「えっと、長官が長期周回に行ってるから、今の区衛兵をまとめているのは確か、副長官のルージー=シモン伯爵だったと思うけれど」

「シモン?」

「うん。人類ヒューマンで、協会指導者ギルドマスターを除けば現状ドラグシュレイン区で一番偉い貴族の一つ、シモン家の当主だよ。何度か、話をしたことがあるのだけれど、結構冷たい印象だった。丸腰なのに、ナイフを突きつけられているみたいだった」

「よし、シバきに行こか」

「ちょいちょいちょいちょい!!? ジンくん、待ちなさい!」


クレイが俺の腕を掴んで止める。


「なんだよ」

「まさかとは思うのだけれど、兵舎に殴り込みに行く気?」

「いや、殴りには行かない」

「え、そうなの?」

「ああ。殴りには行かない」

「なら、いいのだけれど――――」

「ちょいとシモンって奴のケツを蹴っ飛ばしに行ってくるだけだ」

「やっぱりダメ! 行かせてなるものですかー!!」


 クレイがコートの裾を掴んで必死に止めてくる。だが、俺は構わず区衛兵の拠点である兵舎まで向かって歩みを進めた。

 ギルドセンターは横に広がった城みたいな感じだったが、兵舎はまるで幅の大きい塔だ。

 道中で周囲の奴らがドン引きしていたが、後ろを見るとクレイが途中から引き摺られているみたいになって、「ぶぎゃぎゃぎゃ」と変な声をあげていた。そのさらに後ろには、あたふたしているエフィー。

 しつこい――――進行を続けて、着く頃には力尽きてようやく手放した。

 なんだかんだ連れてきちまったが、口を挟む元気を無くしたのなら結果オーライ。

 兵舎の玄関の両端には、門番のように佇む二体のガーゴイルが槍を持って構えている。他にも、周りには多くの区衛兵が彷徨いていて、どいつもこいつも俺を見るや否や鋭い眼差しを向けてくる。


「おい、見張り」

「ん? 君は?」


 向かって左の奴が訊ねた。


「俺はジンテツ。取り敢えず、副長官出せ。話がある」

「副長官? ああ、シモン伯爵に御用ですか」


 今度は右の奴が喋った。


「そーだよ。いるなら出せ。すぐ出せ。おら出せ」


 門番ガーゴイルコンビはお互いを見合い、同時に呆れ果てた風な溜め息を吐いた。そして、指を鳴らす。

 周囲の区衛兵達が反応して早急に俺を取り囲む。


「副長官は御多忙の身だ。お前のようなチンピラに構ってやれる余暇は無い」

「退いてくれるのならば、見逃してやっても構わん。だが、まだ噛みつこうと態度を改めないのならば――――」


 右、左と喋り、最後に二体は息を整えて――――


「「区衛兵われわれの務めを阻害する不届き者として、鋼鉄の独房にぶち込まれて貰う!」」


 門番ガーゴイルコンビに同調して、俺を囲う区衛兵達も槍を構えた。並々ならない敵意を感じる。


「ジンくんさん、もういいです。これ以上は本当に――――」


 エフィーの声も不安がたっぷりだ。――――っていうか、エフィーの奴、今俺のことを『ジンくんさん』って呼んだ? なんか、色々と中途半端でちょいとむずむずするんだけど。


 まあいいや。

 取り敢えず、こいつらの意思はよくわかった。どいつもこいつも、なんでこんなに邪魔したがるんだか。

 いや、いい。こいつらはこいつらのやりたいようにやっているだけ。こいつらなりにしなきゃならないからしてるんだから、だから、まあ、いい。

 区衛兵も俺が邪魔だからこうして、邪魔してるのは俺だから邪魔をする。いいのさいいのさ、悪くァねぇ。

 悪くァねぇからよォ――――


「取り敢えず、退け!」


 俺は区衛兵の包囲を飛び越え、強行突破しようと門番の間を走り抜けようと突っ走る。

 ここで左右から槍が伸びてくるから、寸でのところで踏みとどまって停止。腕を交差させて槍を掴み、引っ張ってガーゴイル同士の頭をぶつけさせる。

 はい、解錠。ざる警備め、ザマァ~みろい。

 舌を出して区衛兵やつらを嘲ったら、玄関口を潜って閉じて閂をかける。はい、これで増員しない。


「あ、お姫様とエフィーそのままにしてきちゃった。ま、いっか。死にゃあせんでしょ。それよりも、取り敢えずだ」


 肺一杯にたっぷり息を吸い込んだら、天井をぶち破るどころか雲を取っ払って空が割れるレベルでバカみたいに吠える――――


「ルージー=シモォォォォォォン!! お前の汚ぇケツを蹴りに来たぞ!! 出てこいやァァァァァァ!! ウガァァァァァァァァァァァァ――――!!!」


 と、盛大に呼び込んではみたものの。応え、出てくるのはそれらしくない区衛兵やつらばかり。

 副長官様はシャイな引きこもりかよ。


「取り敢えず、どこまで行けばいんだっけ?」


 一階は広間になっていて、中止に剣を掲げた女神の銅像が立っている。見上げれば、何層にも階が重なっていてもうわけわからん。

 ぞろぞろと区衛兵が集まってくる。一人一人を相手にするのはめんどクセェ。

 取り敢えず、どう探し出したものか。


「まあ上だよな。偉い奴は高みの見物を決め込むって相場は決まってるし」

「止まれ! 手を上げて膝を着け! これ以上の進行は侵略行為と見なす!」


 瞬く間に、入る前よりも鉄壁というような包囲陣が組まれていった。近くにいる奴らは盾を構えては隙間に槍を潜ませ、上階から見下ろしてくる奴らはボーガンを向けて狙いを定めている。

 きっちりしてるな。俺一人を相手にこんな大掛かりに盛大なお出迎えしてくれちゃって、ちょこっと滾ってはしゃぎたくなっちゃうでしょうが。

 乗ってやる。

 やってやる。

 まずは、大人しく腰を落として抵抗の意思を無くす――――と見せかけて、俺の態度に安心し注意力が低くなって生じた綻びを見つけ、それに向かって走り出す。

 揺らいだ盾の上手に足を掛け、高く飛び上がる。足場が不安定だから、思っていたよりも高さは稼げていない。三階まで行きたかったが、二階の半分までしか届かなかった。

 想定の範囲内なんやけど。

 壁を駆け上がって三階の手摺を掴んで越す。

 区衛兵はまだ動揺している。ボーガンの引き金を引くまでには若干の遅延ラグがあるな。

 この一瞬一瞬を、巻き上げるように慌ただしい区衛兵の波を走り抜ける。

 現在位置は三階廊下。上階に行くには、玄関から正面に向かっている階段を上がる他方法は無い。

 当然、そんなことはしない。区衛兵が多く集まっている。流石にあれはぶち抜けない。

 だから、また内側に飛び出しつつ、際に上の枠を掴んで上階へ転がり込む。

 あ、誰かの顔を蹴っちゃった。まあいいか。仕方がない。やむを得ない犠牲ってやつだ。

 後は同じことの繰り返し。壁や天井を足場にして区衛兵の網を掻い潜り、好機が見えれば上階の廊下へアクロバティックに移動する。

 二分くらいしたら、勝手がわかってきた区衛兵が段々と増えて対応し始める。

 廊下を飛び出ると、ハーピーや鳥類の獣人が妨害してくる。が、問題無い。軽やかに攻撃を躱して、あわよくばそいつらも足場にしてより上へと足を伸ばす。

 また、魔術を使って妨害する区衛兵も現れた。植物を操ったり、床を柔らかくしたりする。

 少し面倒なだけで問題ない。植物は白鞘で切り崩せばいいし、軟化した床も壁に得物を刺して攻略。

 さらには身体強化して俺に着いてくるビッグフットまでいた。他の区衛兵とは違い、胸元に勲章を着けている。これには少し驚いたが、取り敢えず攻撃を避けまくって一階の広間に放り出す。

 流石に区衛兵。ここまで来るとまあまあ面白そうな奴が出てくる。だが、そんな程度で止まれる程、俺という野獣は簡単じゃない。

 アカン、なんか楽しなってきた。止めたきゃ。もっと手応えのある奴を寄越せや寄越せェー!

 そうして、十分後――――幾多の妨害を難なく押し通り、最上階の如何にも偉そうな奴の居そうな部屋の前に到着。

 区衛兵達は草臥れたみたいで、誰一人として俺を追ってこなくなった。揃いも揃って、息を荒くさせながら嫌悪と憎悪を同居させた目で睨んでくる。


「こんなていで兵隊やってられるものかね。俺は心配だよ。楽しかったけど。――――取り敢えず、やっとこさご対面だ」


 肩と首を回してから、「ほい」と重い扉を蹴り破る。

 真っ青のカーペットが一面に敷かれた、タバコ臭くて噎せ返る空間だった。匂いの素は、部屋の奥にある柏机の上に置かれた吸殻が山のように盛られた灰皿だ。

 暖炉からパチパチと赤い火が光を伸ばしていて、若干の蒸し暑さが煩わしい。

 机のまた奥には、座り心地の良さそうな革椅子に気力の薄い面をする銀髪の人類ヒューマンの男が腰掛けていた。

 うっすら髭を生やしていて、髪が肩まで伸びている。こんな蒸し暑い部屋で鎧ではなく黒いコート姿とは、寒がりかよ。


「おい、そこのきたねぇおっさん、事務かなにかか? ここにシモンって奴いる?」


 おっさんの目が俺に向いた。

 エフィーよりも生気を感じない。こいつもゾンビなのか?


「この世を生きるのは面倒だ。大変面倒で叶わねぇ。酒は呑むだけで頭を狂わせるし、タバコを吸えば肺を腐らせる。楽しいことは長続きしないものだ。その理由は、楽しいが続けば心の寿命が縮む。だからオレは宴も祭も楽しまない。下らないことを下らないと正面切って言う。――――お前はどうだ? その辺の茂みや岩の陰に転がってる糞みたいなお前は、この瞬間までにどれだけ楽しんだ? この世の全てを舐め腐るお前という毛玉は、どのように楽しんでるんだ? 教えてくれよ。とっくに朽ち果てたオレは、どうやったら淀み無く楽しいを味わえるんだ?」


 まるで全てを諦めているようなどんよりとした重苦しい声で、眠そうになる話を畳み掛けられて俺は瞬きをした。そのほんの一瞬で、おっさんは俺の前から消えた。

 そして、突然に俺の後ろに現れた。

 霞に巻かれたような気分だった。俺は初めて、自分の勘を疑った。

 俺の勘はまだ、おっさんの意識を正面の机に感じている。実体は、確実に俺の背後に立っているのに。


「汗をかいているのか。確かにここは蒸すからな。オレも背中が痒くて堪らない。が、オレは寒いのも嫌いだ。だから、一度着けた火はよっぽどの事が無い限り消さねぇーんだ」


 後ろに向かって上段蹴りをぶちかます。当たらなかった。そこにおっさんがいなかった。

 すぐに下を見ると俺の腰より低い姿勢になって、両手にナイフを逆手で持っていた。


「お前、右利きか」


 おっさんのナイフが、俺の腹を貫こうとする。寸前、俺は咄嗟に白鞘を右手から放して左手で受け取って防ぐ。

 押し合いは俺の勝ち。ついでに追撃して顔面を蹴り飛ばす。――――だが、俺の爪先は鉄塊に衝突したような痛みを得た。


「いっつ――――」

「センスはいい。純粋な格闘戦ならお前に部があるだろうが、ことが全て蹴り一発で解決できると思うなよ」


 おっさんは俺を見下して嫌味ったらしく言った。

 声の調子、喋り方、動き。短命な人類ヒューマンにしては出来すぎだな。

 ついでに魔術も。単純な防御付加だろうが、くっそ硬い。


「痛ぇだろ? どんな気分だ? さっきまで楽しくはしゃぎ回っていたのに、途端に終わりを告げられるのは」

「つくづく気に入らない面だな。あんたモテないだろ」

「そうだな。人外ならまだしも、同じ人類ヒューマンからもあまりいい顔を向けられた覚えはない」


 言いながら、おっさんは懐から手のひらサイズの革袋を取り出して口に傾けた。匂いからして中身は酒だ。

 こんな状況で暢気に酒を呑んでいやがる。


「自慢の糞野郎の顔だ。この面で酒呑んで嫌味を吐いて、お前みたいな粋がる奴等を何度も折ってきた。武器こいつの次に便利な商売道具さ」

「ウラァ!!」


 のんびり語っているところをすかさず不意打ちする。だが、難なく受け止められる。

 次いで次いでと攻撃を重ねても、おっさんは怯むどころか酒を含んで余裕綽々としな態度を一向に崩さない。

 壁内領に来てからというもの、色々と馬鹿げた奴は何人も見てきた。中でもこのおっさんは飛び抜けている。


「散々好き勝手に暴れ回ったんだ。もう十分だろ」


 おっさんの瞬間的な動きについていけず、足を薙ぎ払われて体勢を崩したところに、白鞘のある右手を掴んで背中で体当たりを食らわせられる。

 胸骨を押し潰されるような苦痛に襲われ、床に転がされる。


「おっさん、ヨガでもやってんのか!? 鮮やかすぎるだろ!」

「これでも武道大会で五連覇を成し遂げた少しスゴいおっさんだからな。生半可な体技うごきじゃ通じねぇぞ」


 ナイフを使わなかったのは得物無しでも絞め殺せるってアピールか? ったく、どこまでも臭いおっさんだ。


「あんた、いい性格してるぜ。惚れ惚れするよ」

「フッ。お前が女だったら良かったんだがな。そしたらさぞいい鳴き声を聞けただろうによ」

「ケッ! ガキ生ませられなくてやるよ。俺、顎には自信があるんだ」

「久しぶりだな。そんな口を叩く若造は。将来が楽しみだぜ。――――つっても、死ぬまで豚箱生活になるだろうが」


 俺とおっさんはお互いに本気で殺る気になり、得物を握る手を強める。


「お前も、大概気に入らねぇ面してやがるな」

「まあな」


 ゴングの代わりに暖炉の火が弾け、同時に刃を振るわせる。

 その瞬間、断定した。何の雑じり気の無い、最大限最高級の『ぶっ殺したい』って感じ。

 俺は知っている。このおっさんが刃に込めてるものを。

 日頃の行いから刻み付けた、こいつの中で渦巻いているものを、俺は知っている。

 白鞘を振り切ろうとした瞬間、俺の体は微細な"陰"を発生させ、手遅れな全身全霊をぶつけようとした。

 ――――だが、おっさんの言う通りに楽しい時間は唐突に終わりを告げた。何処からともなく俺達の間に現れた、ぼろ雑巾のようなローブを羽織った茶色いモジャモジャによって。


「はーい、双方そこまで――――」


 モジャモジャは、俺とおっさんにクナイを向け、制止を促した。いきなりの事で俺は動きを止めていたのだが、おっさんは直ちにナイフを懐にしまい込んだ。


「サクラコくん、君も武器を納めたまえよ。あと、その黒いのも」


 モジャモジャは顔を俺に向けて言った。

 敵意を感じない。身なりからして区衛兵ではない。

 取り敢えず、俺は渋々白鞘を鞘に納めた。


「ありがとう。――――で、どうよ、シモン伯爵。は」


 あ? このモジャモジャ、今何て言った?


「真摯だな。ふざけているが、俺があと数年若かったら今頃くびちょんぱだろうな。まったく、優秀な曲者を手元に置けてるなんて、羨ましい限りだぜ」


 おっさんこと――――ルージー=シモンは、自分の首にトントンと軽く手を当てて答えた。


「あんたにそう言って貰えて、として嬉しい限りだぜ。ワッハー!」

「待て待て待て! あんたら、まさか俺を嵌めたのか?」


 俺の問いに手を挙げたのは、ルージーの方だった。


「嵌めたと言うか、お前が兵舎に入ってきたときまではオレも本気だったさ。だが、お前が部屋に至る前にこのフラワード卿が来て、いきなり査定してほしいと頼み込んできたのさ。寧ろ、こっちが嵌められたと思っていた」


 ん? ん? んんん?

 ルージーから聞き捨てならない名称を聞いてしまった。取り敢えず、モジャモジャに歩み寄る。


「おい、モジャモジャ。お前、名前何つったっけ?」

「ん? ああ、そうだったそうだった。顔合わせんの初めてだったな。おじちゃんはロガ・フラワード。ジンテツ・サクラコ、お前の本当のご主人様だ。よろしくね!」


 モジャモジャは、顎の無精髭をスリスリといじくりながら名乗った。


「そうか。お前が······」

「ん? どうした?」


 俺は間抜けたモジャモジャの腰に両腕を回して、勢いよく仰け反って床に頭を打ち込んだ。ロガは「ぶごファッ!?」と痛快な悲鳴をあげた。


「イテテテテ――――いきなり手痛いこって、この仔兎が······」


 モジャモジャ――――ロガは頭を押さえながら起き上がって、笑顔で眉間に皺を寄せた。

 おかしいな、頭をかち割る勢いでやった筈なのに。ピンピンしてやがる。

 別に丁度いいか。今ので募らせていた苛々を全部発散できたわけじゃないから、反撃を続けることにした。

 取り敢えず、こめかみ目掛けて左足を蹴りあげる。見事に命中してロガは気絶した。


「うし、取り敢えずこいつは終わり。次は、お前だ。呑んだくれ」

「······なんだ?」


 ルージーが倒れているロガから俺に目を移したところで、俺は刃先をルージーの喉元に向ける。


「俺に見張りをつけたのはお前か?」

「だったらなんだ?」

「なんでエフィーをつけたんだ? 適任者ぐらいざらにいただろ? なんでよりにもよって、なりたての雛を当てた?」

「············――――」



 ++++++++++



 ロガが起きた頃には、ジンテツの姿は無かった。

 部屋には、カーテンに身を隠すように寄りかかって、煙草を吹かしながら窓外を見下ろすルージー=シモンと、横になったままで放置されているロガ・フラワード。

 灰皿の灰はテーブルに溢れている。

 ロガの指がピクリと微動し、意識が戻って目蓋が開く。こめかみを押さえながらゆっくりと起き上がる。


「いちちちちちち。あんの子兎、容赦無さすぎるだろ――――で? どうだった? うちの期待の新星は」


 ロガは自慢気に笑って訊ねた。

 ルージーが窓から見ているのは、不平不満な様子で兵舎を去るジンテツの背中だった。クレイとエフィーを左右の腕に抱え、姿が見えなくなる直前にもう一度振り向いて睥睨してくる。

 その際のジンテツの目から、並々ならぬ憤りが伝わってきた。


「あんたにしちゃ、随分な珍獣を拾ってきたんじゃないか? オレを前にして、いや、あれだけの騒ぎを起こしておいて、何の恐れも抱いていない。獣ってのは、一度酷い目に遭った道には二度と来ねぇなんて話があるが、デマか?」


 国の治安を保証するのが区衛兵の使命。故に、何よりも法を重要視しているし、そんな彼らは時に法そのものとして立ち振る舞う。

 そんな、法律が堂々と歩き回っている正義の拠点に正面切って突撃してきた。野良魔物クリーチャーはおろか、頭の足りない野生動物でもやろうとしない。

 ロガはルージーの言葉が滑稽に聞こえ、失笑する。


「いやいや、それはあいつが格別だからよ。とは言え、のルージー=シモンがそう言ってくれるなら、エフィーちゃんを前に出させた甲斐があったってもんだぜ」

「やっぱりお前か、フラワード卿」


 ルージーは、エフィーに細工を施し、彼女の行動を介してジンテツのことをほとんど寝ずに監視していた。もしも彼女に何かあれば、その瞬間にジンテツに何かしらの不穏を示す反応となる。

 また、同時に彼を野良魔物クリーチャーとして討伐する口実にもなり得る。ゾンビである故に、

 ジンテツはエフィーの用途に勘づいて兵舎に乗り込んできたのだった。ただし、この暴挙は彼の気分ではなくロガの意地汚い策略である。

 もとより、エフィーをジンテツの前に出させる予定はまだ無かった。それなのに、彼女は勝手な行動に出た。

 否、出させられたのだ。この“狂言廻師マッド・テラー„ロガ・フラワードによって。


「いやぁ、偶々、本当に偶々ジンテツをつけてるかわいい兵士がいたから、つい"影憑き"で茶々入れちゃったよ」

「この埃溜まりが」


 てへっ! と自身の頭をポカンと小突くロガ。

 この態度から、ルージーは事情聴取は見込めないと判断。即座に話を切り上げることにする。


「もう深くは詮索しない。手札を捲られた上に、盤上も好き勝手に散らかされちまったからな。これ以上何をしても損しかしなさそうだ」

「ニヒヒ――――」


 悪戯に満足したような笑みを浮かべるロガ。

 しかし、にこやかだった表情はすぐに沈着する。


「で、何か訊かれただろ?」


 一服してから、ルージーは面倒臭そうに答える。


「なんでなりたての雛を当てたんだ? だと――――」


 聞いて、ロガは笑いを堪える。

 対し、ルージーは虫の死骸を見つめるような、虚無感の充満した目になった。

 どういう思考回路で、エフィー・メラルという兵士こまの立ち位置を察し得たのか。何も知らないクセして、まるで自分の事のように怒気を放って――――。

 今更考えても、憶測は馬鹿馬鹿しいと止める。

 ただ、三分にも満たない殺り合いの中で、ルージーはジンテツから尋常でない何かを感じ取った。獣が威嚇しているような、危機感を煽られるような、人類ヒューマンにも人外にも無かった不可思議な感覚、気配。

 これも、今更考えたところで何にもならないと切り捨てる。

 一服吸って、鬱憤を蹴散らすように煙を吐く。


「ったく。人間様に獣共ケダモノどもの胸の内なんざ伺い知れるかってんだ」

「まあまあ、そう言ってやるなよ。悪童ガキも獣も同じでしょうが」


 ロガの反論に、ルージーは重苦しい様子で息を吐く。


「同じで堪るもんか。図々しいんだよ。どいつもこいつも」

「かったるいねぇ~。で? どう答えたの?」


 この問いには、ルージーは日光に照らされた天井を見ながら無気力にタバコを咥える。


「やることやってからここに来い」


 ルージーの履いている革靴の爪先に、灰が落ちた。





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