第2節『超獣ギガンティックスクランブル』

両葉去らずんば斧柯を用いるに至る【リュムール・エ・ヴェリテ】




 端的に纏めるならば、俺、記憶を失くした一羽の野兎ジンテツ・サクラコは、クレイという妖精を実質上のご主人様として奴隷となって身柄を預けられ、いざ目指せ冒険者プランを快活に実行していたところ、俺がどちゃくそヤバい野良魔物クリーチャーであると知られてしまった為に、この問題をどうにかこうにか解決しようとしてクレイが提案したのが――――


『私の騎士になるの!』


 で、この突拍子もない発言に俺が返した反応は――――


『······なーに言ってんだぁあ?』


 あまりの不意打ちに言語が些かバグった。

 だってそうだろ。今さっきまで俺達は、正体を知られたことに対する策を講じていた。そこにクレイは唐突の過ぎる唐突に、えげつない爆弾を投じた。

 お陰で俺の頭の中は更地だ。


 どうしてくれんだ、お姫様よ。


 現在、俺はベッドに身を預けて、天井を何気無く見つめている。

 なんで見つめてるかって?

 取り敢えず、考える時間が欲しいからだ。ただでさえめんどクセェ問題が集ってるってのに、その上にまた余計なめんどクセェ問題が加わった。

 実のところ、先の話には続きがある。

 俺に騎士になれと進言した後、次いでいい知らせと称し嬉々としてクレイは告げた。


『冒険者への道、私がなんとか短くしてあげる』


 勢いに乗せた風にそう言って、今日の分のパンを置いて出ていった。――――ちなみにホットドッグ。パリッ、と肉から脂が弾けて旨かった。

 悪戯を企んでるような笑顔を浮かべているときは、十中八九下らないことを考えているときだ。

 あまりクレイには頼りたくないんだけどな。が、今のところ俺はまともに動けない。

 クレイが去った後に、奇妙な気配が寮を囲むのを感じた。覚えがある。医務室で意識が回復してからの数日間にも、似たような気配が扉の前まで来ていた。

 そいつと同じ奴等だ。

 鎧がカシャカシャとうるさくて、そいつらが来るときだけは寝たくても寝られなかった。軽くノックを三回、これにタカネが出向いては少し話して追い返す。

 退院するまでに聞いたのは、これの繰り返し。

 内容は大体同じ。まずは野太い男の声から始まる。


『タカネ医師』

『何度も言うが、彼はまだ話が出来る状態でない。起きたらこちらから報せるから、今はお引き取りを願う』


 と、タカネが反発する。だが、鎧の擦れる音は離れてくれない。


『あまりしつこくしないでほしい。患者の傷に障る。何せ、一番の重傷者だ。私が手こずる程にな。わかったら、とっとと兵舎に帰ることだ』

『······わかりました』


 男がそう言うと、カシャカシャ音が離れていく。

 後で、タカネが区衛兵が訪ねてきたのだと教えてくれた。街中を歩き回っている鍍金メッキ鎧を被った奴等だ。

 区衛兵の役目は冒険者とは違って、国の秩序やら民の安全やらの保全と守衛。その為、技能や権力は向こう側にやや天秤が傾いているらしい。

 ご苦労さんなことだ。まさか、退院早々に寮までついてくるなんてな。

 匂いでなんとなく察しがついていた。周りが木とか土だから、鉄の匂いがよく目立つ。

 取り敢えず、動きは静めよう。

 静めて、動いて――――まあ、そうだな――――威嚇してやろう。静かにな。



 ++++++++++



 ジンテツの勘は、的確に当たっていた。


『クレイが、廃寮である筈のカーズ・ア・ラパンに頻繁に出入りしている。』


 誰が言ったのか知らないこの情報が、頭の堅い区衛兵を動かしたのだ。

 冒険者は国民の生活補助を主軸とする人材派遣業。対し、区衛兵は国の秩序と民の安全を保障する警察組織。

 この二つの組織は、表面上は協力的に見えるが、実際のところ、お互いにお互いを愚痴のネタとする程に蔑み合っている。要するに、犬猿の仲なのである。


 依頼の内容次第で報酬が変動する冒険者。

 事件が起きない限り全く動かない区衛兵。

 行動が杜撰で自由度の高さが目立つ冒険者。

 見回りや見張りするだけで金を得る区衛兵。

 口を開けば酒の匂いと悪態の尽きないボンクラ。

 鎧に身を包んでいながらなよなよしているグズ。


 ――――と、挙げれば切りが無い。

 自然と目を合わせいように、双方、特に仕事で関わる以外では極力視界に入れないように努めている。それ程までに、冒険者と区衛兵の仲はよろしいものではない。

 しかしながら、この二組織は利害さえ一致してしまえば、グラズヘイムに属する一領地の抱える戦力として大いに活躍してみせる。

 その時は、今現在、既に実行されている。

 動機は、密かに囁かれているたった一つの疑惑。


『学園ギルドに黒霧の怪物がいるかもしれない』


 疑いの目は、最も新しく移住したであろう奴隷兎ジンテツ・サクラコ。

 魔力が無いのではと思わされる程に薄弱な魔力の持ち主。そうでありながら、輝かしい将来を約束されているだろう次期当主候補の受講生を圧倒する実力と実績。

 極めつけは、先の『灰の森の異変』と名付けられた迷惑の森ミュルクヴィズ騒動では、黒霧の怪物が出現したとされる地点に居合わせていたこと。

 そして、一人だけ回復が遅いこと。

 これ等の事実も加わって、真相を明らかにするべく区衛兵及び一部の冒険者が調査に乗り出した。

 冒険者は四人、区衛兵からは二人の伏兵が、カーズ・ア・ラパンの周囲の林に張り込んでいる。

 主な構成は、寮から右側二つに冒険者が、反対方向に区衛兵が潜んでいる。

 一ヶ所から溢れる仄かな灯りが消え、冒険者達の緊張が高まる。しかし、区衛兵の方は木の上で身を毛布でくるめ、夜風に凍えながら深い夜が静かに過ぎるばかり。

 二組織は依然、一向に真相を掴めず。



 ++++++++++



 取り敢えず、試験は頓挫してしまったので、しばらくはまたつまらない受講の日々が続くことになる。

 一からやり直しだ。

 次の試験までは少しかかるから、それまで俺はまあまあ大人しく過ごそうと思う。クレイにそうするよう言われたこともあるが、他に気になることがあったからだ。

 退院してから五日が経とうとしているのだが、周囲からやけに視線を感じるようになった。

 アルフォンス曰く、どうやら俺のことが良くも悪くも話題に挙がっているらしい。

 良い方では、危険を省みずに受講生達を逃がす時間を儲けた勇敢な者として。悪い方では、黒霧の怪物なんじゃないのかと訝しく見られている。

 噂の種は区衛兵にあるらしいが、ヤバいな――――めっさ当たっとるわ。勘の鋭さパナいな。

 手を出してこない辺り、まだ見立てが無いってところか。決定的な証拠が無いんじゃさすがに動けへんよな。

 ここ最近は平静を保ってきていたが、何日もピリピリさせられると監視の目が煩わしくて堪らない。三、四人はそれらしい奴等がいることがわかったが、俺から何かしたとしていい方に転ぶ予感がしない。

 ったく、あの肉饅頭の所為で一気に息がしづらくなった。取り敢えず、このムカムカを晴らしたい。

 まあまあ。様々な噂が風に乗って右往左往しつつも、俺はなんとなく過ごしていられているわけだが。

 この生活がいつまで続くのか、今の俺には早急な自然消滅を祈ることしかできないのがもどかしい。

 だが、俺はまだ知らなかった。この世には、目をつけられてはならない奴がいたのだということを。

 俺は完全に気を緩めていた。昼飯を終えての午後の講義、実戦訓練で屋外演習場に来てみれば――――


「ハイハイハーイ、若人共よ! 今日は臨時で、スヴァル先生が戦闘実技を担当するぞー!」


 なんと、あの青髪ロングの美男女スヴァルが講師としてそこにいた。俺だけでなく、他の受講生も動揺している。

 何がどうなってこうなったのか、理解は後回しだ。面倒なのは、あっちから距離を詰めてきたってことだ。

 実技系の講師はほとんどが現役の冒険者だ。だから、予定が合わないとこうして誰かと代わることもある。

 俺が来てから今回が初めてだけど。

 立場を上手く利用しやがって。逃げようもない。

 袋の鼠ってわけかよ。······俺、兎やのに。


「ヒッヒッヒー」


 うわー、めっちゃこっち見てるぅ~。

 来たよー、って気分上々なのが見てとれるぅ~。

 えげつなく無邪気な笑みだな。逆に怖い······。


「あのう、ストライク嬢」


 一人のエルフの女子受講生が手を挙げた。


「こらこらぁ。今のアタシはスヴァル先生だぞ?」

「はい、失礼しましたスヴァル先生。その、担当の講師の方はどうなされたんですか? なんの連絡も無かったので」


 スヴァルは満面の笑みで答える。


「冷え性だって」


 冷風がこの場の受講生全員を撫で回した。


「と、言うわけで、授業を始めましょうか!」


 と、言うわけで、授業が始まりました。

 内容は組手。ただし、今までは魔術で身体能力を補うといった趣旨で行われていたが、スヴァルの場合はそれを含めていなかった。

 仮に魔術が使えなくなった特殊な条件下でも活動できるように、というのが狙いのようだ。

 俺はアルフォンスと組んでいた。正直気が退けていたからシラと組みたかったのだが、熱烈なお誘いを受けて断るのがめんどクセェから、渋々了承した。

 もやしっ子のメガネくんという自覚はあると言い、少しでも弱味を無くしたいと合掌してきたんだ。俺である必要は無いと思ったが、野暮はやめにした。

 相手をしてみれば、物足り無さがあって薄味のスープを飲まされている気分だった。しかしながら、自分で調理し直すというのもまあまあ悪くない。

 アルフォンスの動きは基本に忠実で、中の下くらい。一般人相手なら、焦らなければ普通に通じる。が、アルフォンスはそれだけじゃダメだと納得しなかった。

 ただの矯正が目的だけでないのはなんとなく勘づいていたが、本人曰く俺がやるような軽やかな技を目指しているらしい。


「無理やろ」


 率直にそう言うと、アルフォンスはひどく落ち込んだ。そうして、俯いてブツブツと呪詛染みた自虐を呟きだした。

 だってしゃーないやろ。こればっかりはホンマにどうしようもない。

 俺は人兎属ワーラビットで、アルフォンスは人類ヒューマン。俺が人獣種であるから、構造的に見ても全く無理とまでは言わない。ただし、いかんせんアルフォンスにはいろんな意味で柔軟性が欠けている。

 そういう意味合いで言ったのだが、大それた受け取り方をされたな。

 アルフォンスの性格からして喧嘩すらしたことがないだろうから、この際だから出来る範囲でしこたま刻みつけてやろうと思い、うってつけの技を教えることにした。

 アルフォンスの悪いところは、良識的すぎるところだ。戦闘において、良識であることは別に悪いことではないが、大損することが大抵である。――――って、どこかの武術列伝で書かれていたっけ。

 すなわち、戦闘で勝つコツは常に相手の意表を突くこと。自分の動きを見つつ、相手の油断、隙、意識の範囲外を探り、見つけ出し次第すかさず攻撃する思い切りの良さ。そして、時に相手を精神的に動揺させ続ける狂気の沙汰を備えることを忘れない。

 これを教えたら、アルフォンスは悔しそうに歯噛みしながら顔を青くさせた。その後で、ポツリと呟くような声が聞こえた。


「やっぱりすごいな······」


 なんというか、嬉しい評価とは思えない。


「周りにできて、自分にできないなんてことはざらでしょ。やろうと思えば、なんて意識すれば尚更。適しているか、そうじゃないかで」

「そうかもしれないけれど、僕からしたら出来ないことをさも平然とこなしてしまう人って、どうしても“特別な唯一無二„って思っちゃうんだよね」

「······極端すぎるでしょ。もともと俺はこの世でただ一人やし」

「ん~、そういうんじゃなくて」

「はいはい。言ってる暇があるなら、とっととお前も自分だけの特別を掴んでみせろよ」


 アルフォンスの言葉、胸に少し刺さった。

 特別な唯一無二······――――俺って、何気に記憶を失くしてもジンテツ・サクラコをやっていられてるんだよな。

 どんな咄嗟の動きも全部が全部山勘。俺自身がそう思うよりも速く、身体が動きやがる。

 だけど······そうなると、根底には、誰に教わった訳でもない生き方が填められているってことなんだよな。

 俺の動きも、技も、思考も、誰かに教えられてここまでに仕上がったってことなんだよな。

 俺って、何をして、何をやって俺になったんだ?

 考える暇なら幾らでもあったのに、今更すぎるだろ。


「なんで知りたいんだよ······」

「サクラコさん?」


 アルフォンスの声で我に返る。


「大丈夫?」

「ちょいと考え事してた。次いくよ。今度はちゃんと受け身とれよな?」

「おーおー、頑張ってるね!」


 構えをとったところで、不意に俺の後ろからスヴァルが間に割って入ってきた。


「ヒッヒッヒー。見てたよ、ジンテツ・サクラコくん。お友達を鍛えてあげてるなんて、感心するじゃん!」


 言いながら、スヴァルは俺の両手を包んだ。

 氷みたいに冷たい。距離が近い。

 前から思ってたけど、クレイといい、タカネといい、この国の女って基本的にぐいぐい来るものなのか?


「ちょいちょい、露骨に嫌そうにすんなよ」

「じゃあ、離れろよ。いきなりこの距離感はめんどクセェ」

「おーっほほー、どストレートに言うねぇ。おねーさん、そういうの嫌いじゃないよ?」

「俺は苦手だ」

「そ? 残念。――――ねぇ、クレイ嬢から君のことを色々、オニイサン、めちゃくちゃ強いんだって?」


 スヴァルはまたぐいぐい距離を詰めてきた。

 今の質問、かまを掛けに来ているな。迂闊に答えたら面倒そうだ。


黙秘だんまりか――――スヴァル先生はね、強い奴がいるとついワクワクしちゃうんだぁ? だからさ、だからさ、今ここで私と試合してもらえない? 実戦の見本も兼ねて」

「はぇ? ······もっかい言って」

「今、ここで、私と、試合、して、もらえない、カシラ?」


 スヴァルは、言葉を一つ一つ区切って言った。

 周りがざわめいている。この展開は、確実にマズい。


「拒否権は?」

「ナ・イ・よ♡」


 スヴァルは俺の顎に触れて、艶かしく答えた。

 今、どっかからキャーって小さな黄色い悲鳴が聞こえた気がするんだけど。何を想像した? あいつらにはどう写ってるんだこれ?


「何も、難しいことは言ってないんだよサクラコくんサクラコくんサクラコくんサクラコきゅ~ん?」

「手ぇスリスリするな。肌がピリピリしやがる」

「えー、いいじゃーん。こんな美人な教師が誘ってるんだよ? 断るなんて、紳士としてどうかな~?」

「俺は戦士だよ。とにかく、サンドバッグ係なら他を当たって。俺のは手本どころか教科書に載せようもないんだから」

「別にいいよ。アタシがしてほしいのは、表現だから」

「表現?」


 そ。と短く返事してから、スヴァルは受講生達に向いた。


「はいはーい、皆さ~ん! 今からスヴァル先生とサクラコくんで試合を行いまーす! 皆さんの格闘技能はとても、それはそれはとっっってもいい! いいんだけどね? キレが足りてない。基礎ばかりを留意するあまりに、応用力がなっていません。基礎を忘れないことは、別に悪いことではありませんが、お遊戯していたいならそれでもいいよ」


 空気が冷めた。けど、さっきの冗談とは雰囲気が全然違う。受講生達がまるで洞穴で踞るネズミみたいに震えている。

 露骨に馬鹿にされているのに、誰一人として反抗の意思を示そうとすらしない。どうやら俺は、まだスヴァルの底を知らなかったらしい。


「皆さんがここにいる理由は、盗賊やら山賊やらから身を守る為、いずれは冒険者となって凶悪な野良魔物クリーチャーを倒す為が大半だと思うんだよね~。けどね、スヴァル先生はね、その程度では皆さんの大成は見込めないと思うんですよ、わかる? そんなんじゃ氷河期を生き残れないよ? フッ、どいつもこいつも、生き残ろうって必死さも、強くなろうって熱さも何も感じない。アタシはね、熱さには弱いんだけどさ、不思議と寒さを感じるよなんでなんで、なんでかなぁ?」


 スヴァルの足元から霜が立っていく。段々と広がって、地面を薄氷が覆っていく。

 同時に受講生達の吐く息も白く染まってきていた。


「そこのサクラコくんは、ここに来る前は大自然の秘境に身を起き、過酷な日々を送ってきたそうな」


 誰から聞いた? 俺の経歴はどうにか誤魔化したってクレイ言ってたよな? 当てずっぽうか?

 ん? 待てよ?


「教えてあげましょうじゃない。他人の為に殺されることの、虚しさと厳酷さってヤツをさ。ねぇ? ジンテツ・サクラコきゅ~ん」


 一見すると、意識の高い講師が受講生らを鼓舞するために急遽催したエキシビションマッチのようだが――――実際のところ、スヴァルは見事に俺を追い込んでみせたのだ。

 核心に迫る噂に巻かれている現状、多くの目を引き付ける場で設けられた実戦訓練。この二つの要素を掛け合わせれば、逃げようの無い舞台で、拭いようの無い真実が露呈されるというシナリオが成り立つ。

 要は、俺が黒霧の怪物と呼ばれている由縁であろう“陰„を自然な形で引き出させるのが魂胆か? それか単なる常軌を逸した講師プレイ?

 どっちでもいい。――――いや、どっちもアカンやろ。

 タカネの奴は、クレイとスヴァルは親しい仲とか苦し紛れに言っていたけどさ、それが本当かどうか怪しく見えてきた。

 クレイからしてもスヴァルという女は苦手意識があるようだし。俺もあいつの目がどうにも気に入らない。

 素面しらふでやり過ごせるか? やり過ごすっきゃないよな。監視の目もいやがるし、ここで逃げたら変に怪しまれる。

 取り敢えず、俺は了承した。

 スヴァルは受講生達をしっしと遠ざけて、ドーム状の結界を展開し簡易的な闘技場を儲けた。半径は5メートル程度。

 当然ながら、外からはっきりくっきりと見られている。せめて、声は遮断していてほしいものだ。


「ルールはそうだね。どっちかが泣くまでにしよっか」

「なんでもええわ」

「もう、つくづくつれないな~。ここまで来たら、スヴァル先生も流石にメンタルキツいよ。アゲてこ、アゲてこ?」

「言ってろ」


 全然掴めない。精神統一が巧いな。

 取り敢えず、白鞘を抜いて構える。


「得物、要らないのか?」


 スヴァルはずっと丸腰だから、気になって訊ねてみた。すると、スヴァルはニヒヒと不適な笑みを浮かべた。


「いい質問だね。今時、武器に魔術を付与することがセオリーだとされているけれど、そんなのは所詮、汎用性の高さからなる流行。アタシみたいなのには、そのスタイルは性に合わなくてね。自然体でガンガンいこーぜってね」


 余裕な態度だ。

 スヴァルは確かジャック・フロスト。『霜の妖精』と称される翅を持たないタイプの妖精属フェアリー

 妖精属フェアリーの特徴は、属性魔術が秀でていることだ。日常的に行使される一般汎用魔術とは異なり、属性魔術は文字通り個人に宿った属性を用いる魔術だ。

 そもそも属性とは、言うなれば当人の個性の一つ。遺伝や環境と、特に定理や仕組みはまだ解明されていないが、要するに生まれてから魔術の知恵を身に付けるまでで形成された人格や経験に由来してるんだとか――――『古今東西、魔術のあれやこれ/自然との一体化』より。

 霜の妖精となると、考えられるのは【氷結】。


「さて、始めよっか」


 言ってすぐ、スヴァルは突撃してきた。

 本当に得物や暗器を使わないようだ。握り締めた拳と脚を氷でコーティングしているあたり、こいつの自然体スタイルとやらは徒手空拳か。

 遠距離ぶっぱ型じゃなくてよかったよ。やり易い。

 俺はその場から動かず、正面からスヴァルの正拳突きを白鞘で受け止めた。意外にも力強く、衝撃に押された地面を少し擦った。


「ひょろ長い割には、中々尖った一撃出しやがる」

「あちゃー、崩れないか。早々に締め上げてやろうと思ったの、に!」


 スヴァルの鉄拳が追撃してくる。

 攻撃する暇は与えないってか。とことん追い込んでやるって、明るい顔で宣言しやがって。


「上等だよ」


 スヴァルの徒手空拳は基本の型を用いていたが、アルフォンスなんかとは比較できない程に鮮やかな完成度だった。綺麗で、流麗で、精度レベル速度テンポ繋ぎパターン勢いキレ、いずれも大口を叩けて当然の、納得がいく強さだ。

 普通に強い。オーガンよりも強い。

 背丈の高さからリーチが長いし、振りを利用して勢いを付けた一撃一撃が強烈。体の使い方も上手いな。

 その上、手足の氷のコーティングも固い。ずっと防御し続けているけど、ヒビすら入ってない。

 どんだけ頑丈なんだよ。

 こんなの、盾攻撃シールドバッシュと何ら変わらない。一見猛攻を受けているようにも感じつつ、些細な隙が垣間見える。

 わざとか?

 適当なところでぶっ倒れてやろうと思っていたがやめよう。隙を晒してきて誘われたまま防戦一方ってのも癪だし、ちょっとは楽しんでもいいよな? 

 さて、どうやって崩したろうか。やっぱり、脚か。

 いや、腰辺りの守りが緩い――――白鞘を構えると、スヴァルは突然大きく距離を開けた。


「危ない危ない、今アタシの腰を折ろうとしたね。悪い子だ」

「ちっ、バレた」


 勘が鋭いな。


「ヒッヒ。そんな怖い目をしないでよ。これはあくまで演習。実戦を想定してだけど、そんなにマジになられたら、ねぇ?」

「一々うるさいぞ、お前」

「まあまあ、そんな寂しいこと言わないでよ。準備体操はさっき終わったから」


 俺は首を傾げた。

 手加減していたとしても、スヴァルの動きは達者な腕前だ。それで準備体操とか、このカチコチ女――――まあ、それは俺も一緒なんだけどー。


「上等だよ。マジでやらなきゃ手本にならないだろ? 暖まったんなら、とっとと本題に入ろうぜ」

「······へぇ、言うじゃん」


 スヴァルの声が低くなった。顔も、笑みを浮かべながらも、目が鋭くなっている。


「スヴァル先生、君みたいな生意気なオトコノコは大好物だよ。調教しおしえ甲斐があってさ」


 俺は刀の柄を握る手をぐっと強めた。


「いいですか、皆さーん? 魔術戦において、最も有利な戦法は速さです。体を操る速さは勿論、武器を扱う速さ、敵を認識する速さ、頭の回転の速さ、そして魔術を発動させる速さ。戦況は展開次第で幾らでも変幻する。それについていく対応力の速さも、とにかく動きが速いことが重要です。焦りは禁物。一歩遅れたとしても、彼のように防戦一方な状態に陥っても拮抗させれられれば及第点です」


 足元からパサパサ、と軽い崩壊音が聞こえた。目を落とすと、芝についた霜が増大して固まっていくのが見えた。

 それだけじゃない。

 結界にも、透明な膜が下から這い上がっていく。パキ、パキキと周囲から絶えず異様な音が聞こえてくる。

 凍っているのか。スヴァルが何かをした素振りは見受けられなかった。魔法陣すら開いていない。

 ってことは、まさか、スヴァルのヤツは――――


「それでは、ここからが問題です。もしも、相手が覆しようのない技量を持っていて、実力が自身と雲泥の差であった場合、自身には無い己の身一つで戦況を打開できる程の能力を相手が持っていたとしたら、どうしますか? 例えるならば、魔法陣を介さずとも魔術を行使する――――"魔式ましき"を使え、自分に有利な展開に持ち込まれてしまった場合、あなたならどうしますか? 仔兎ボーイ♡」


 ばんなそかな······――――。

 挑発的な笑みに、挑発的な謳い文句。

 何から何まで俺を煽るための演出。

 黒霧の怪物を誘い出そうとして用意した撒き餌。

 あまりにもわかりやすすぎる甘い誘惑。

 何がしたくてこんなことをしているんだろうか。

 清々し過ぎる。多分、俺は今笑ってるんだと思う。

 あまりの可笑しさにテンションがバグっちまっているかもしれないし、下らなすぎてつい失笑しちまっているのかもしれない。

 ていうか、どっちでもいいし。

 確か、オーガンのときにも"魔式"って単語を聞いたな。

 あのときは拍子抜けだったけど、スヴァルはどうだろうな。

 少なくとも、今までの冗談よりかは悪くぁねぇ。

 いいぜ。ノッてやるよ。しかし残念なことに、怪物は来れないけどな。

 取り敢えず、俺だけ縛りプレイで堪忍しとくれよ? スヴァル・ストライク先生。

 その代わり、全身全霊でケダモノを演じてあげるからさぁ。


「······おいでクァモン······」


 俺は手の平を上に向けて、優しく撫でるように、甘やかすように、潔く招いた。



 ++++++++++



 同じ頃、結界の外では誰もが出ぬ汗をかいていた。

 スヴァル・ストライクの名は、受講生達の間でも有名である。彼女が来れば、空気が凍てつき、窓ガラスが曇る。しかし彼女の気さくな態度が、同時にその事を忘れさせる。

 極地でなければ発現しない類いの稀少な属性【氷結】を宿すスヴァル・ストライクは、味方である限りは皆口を揃えて、快く安堵の息を白く染める。

 だが、立場が反転したとき、忽ち息はおろか全てを白に覆い尽くされる。


 “静かなる災害„


 “小さな氷河„


 “冷血の戦闘令嬢„


 スヴァル・ストライクを表す名は多く、それ程までに彼女という霜の妖精は敬われ、畏れられている。

 その異称は――――群青の淡水真珠フレッシュパールこと“氷血嶺ブルー・ブラッド„。


「サクラコくん、大丈夫かな」


 アルフォンスが心配そうに声を震わせて呟いた。

 真相までとはいかずとも、ジンテツの実力を知る数少ない証人。この状況に本人以上に危機感を懐いていた。

 そして、ただならない不穏さを感じているのは他にも複数人いる。ジンテツを監視している冒険者達だ。

 彼等彼女等もまた、スヴァルの暴挙に焦っていた。

 受講生達の中には区衛兵も紛れていたが、スヴァルの発した冷気に耐えかねて一人こっそりと離脱した。

 予期せぬ邂逅から始まり、スヴァルの個人的な疑念と興味によって展開されたこの状況。

 霜の張った結界の中では、壮絶な駆け引きが本格的に開始され、苛烈な勝負が繰り広げられていた。

 ジンテツの刃とスヴァルの氷拳がぶつかり合う。しなやか且つ俊敏な彼女の動きに、野兎は柔軟に対応するという拮抗状態が続いている。

 お互い、自然の中に身を置いていた者同士。剣と拳の間には、本能的な調和が、筆舌しがたい共和が成立していた。

 双方、一旦距離をとって落ち着く。

 スヴァルが腕と脚をぶらぶらさせてから、息継ぎするように口を動かす。


「一歩進めば薄一枚の葉を喰らい、二歩進めば草原は氷原に、三歩進んで氷花ひばなが弾け、四歩を踏んだら全ては零の腹の中――――霜の妖精と言えば、この詩が有名だね」

「吟遊詩人ギルギー・タヂクの手向け詩編『白景はっけい』の出だしだな」

「そ。人類ヒューマンでありながら、人外と友好的な関係を持とうとした物好きな放浪の徒。アタシの地元じゃそう通ってる。まったく偉いよね~。めっちゃ下らねーけどさ」


 ジンテツは疑問符をあげた。


「いやいや、タヂクって『みんなダイスキ! 世界の偉人ベスト1000』に載ってた奴だろ? 人類ヒューマンじゃこいつ以外にはあと二人しかいなかったぜ」

「君は無駄に博識だね。っていうか、あれ全部読んだの? 確か七百ページくらいあったよね?」

「七百七十七が二巻だ。表紙抜きで」

「うーわ······」


 二手、三手と衝突して、スヴァルはまた調子を柔らかくして喋る。


「アタシってさ、共生とか共存にぶっちゃけ興味は無いんだよね。毎日楽しければさ、それだけで十分だから」

「······」

「君もそうなんじゃないの? ?」


 ジンテツは切っ先を向けるだけ。返事をする素振りは無い。


「おいおい、軽い質問をしただけだろ? スヴァル先生さびしーよ」


 スヴァルは余裕そうに笑みを向けて振る舞っているが、内心では残念がっている。ジンテツの反応が予想外だからだ。

 スヴァルがジンテツに抱いた印象は、『不思議で面白そうなヤツ』。これまでに多くの人類人外と相対し、その大半は等しく『つまらないヤツ』だった。

 飽くなき冒険心から北方にある故郷の村落を発ち、紆余曲折を経てグラズヘイムに行き着いた。

 ここでの暮らしは、精々温暖であったり、出会う種族が増えた以外は、故郷以上に興が欠けている。

 刺激が欲しくて、熱狂に餓えていて、退屈が絶えないのが憂鬱。

 別に遣り甲斐が無いわけでもない。他人と触れ合うのは楽しいし、悪党をとっちめるのも気分がいい。

 しかし、足りない。――――故に、スヴァル・ストライクは期待していた。

 親友クレイがどこからともなく連れてきた、未曾有の爆弾。

 劇的な日常を夢見る少々過激な少女だったスヴァル・ストライクにとって、ジンテツ・サクラコはまさに未知の領域。初めて、『故郷を出て良かった』、そう思える相手に遭遇してしまったのだ。

 決して逃がさない。折角見逃してのだ。

 ジンテツ・サクラコと遭遇しているこの一瞬一瞬を、惜しみ無く噛み締めたい。


「ねえ、仲良くしようぜ? クレイ嬢ばっかり構っててズールーいー!」

子供ガキか、鬱陶しい!」


 飛びかかるスヴァルを躱し、ジンテツがカウンターで下から切り上がる。軽々と回避された。


「当たれよっ! たーく······」

「やーだよ!」


 スヴァルの反撃。地面を滑走し、ジンテツが立て直す前に仕掛けていく。


「"Kー1=ケー・ワン撃拳ナックル】"!」


 スヴァルが唱えると、彼女の拳に更なる冷気が加わった。そして拳が振り下ろされ、避けた地面から遅れて氷柱が出現した。体を大きくのけ反ったところに、構わずスヴァルが猛襲する。


「"Kー2=ケー・ツー貫脚フット】"!」


 今度は右足の踵落とし。振り上げたスヴァルの上には、身の丈程はある巨大な杭状の氷塊が一つ。

 スヴァルは満面の笑みを浮かべて、「さあ、どうする?」と挑発しているようだった。

 ジンテツは刹那の思考で、速やかに回避を選択肢から排除した。頭よりも、体を動かすことに費やすためだ。

 そして、装填が完了したスヴァルは間髪入れずに右足を振り下ろす。


「――――っざっけんなっ!」


 これにジンテツが対した手段は、バランスが崩れたのを利用し、白鞘を突き立てて後転しながら左足でスヴァルの右足を蹴り払う。

 衝突――――スヴァルの一撃は薙ぎ払われ、拍子に氷塊も砕けた。


「マジ······?! あんな不安定な態勢でアタシの蹴りを押し切るとか、体幹どうなってんの?」


 その上、一瞬感じたヒビが入ったような尖鋭な衝撃と痛みが、じんじんとスヴァルの脚に響いている。


「ケケ、スゲェやろ」


 舌を出して煽るジンテツ。野兎は、ようやくスヴァルが焦りを見せてくれたことにご満悦な様子だ。

 しかし、不満はまだ残っているようで――――


「つーか、あんたの魔式ヤツもめんどクセェよな」

「ああ、"氷原惨岳武カラコルム"だよ。概要は、シンプルに冷気を操る。以上、説明終わり!」


 飄々とした態度であるが、スヴァルは内心では平常を保てていない。心臓はバクバクとうるさく、肌がざわついて鳥肌が立っていた。


 思っていた以上に強いなー。今のは完全に確キルの流れでしょ。マジでどうなってるの? 霧を出していないでこの強さとか······狩人アタシの目を狂わすなんて、コワおもろ! どーしよ、アタシの血、スゴい沸いてきてるよ。さてさて、どうやってその厚い毛皮を剥がしてあげようかな~。見たいな~。黒霧――――


 スヴァルは、今までに無いくらいに興奮していた。ジンテツの能力を改めて確認し、昂るままにギアを上げる。だけど、とスヴァルは息を整える。


「ねえ、野兎くん。一回さ、“例のアレ„を出してみてよ。結界の表面霜で曇ってるし、見えっこないよ」

「あ?」


 ジンテツはスヴァルの意図に気付いて、不機嫌そうに目を鋭くした。


「そうかえ。やっぱり、そういう魂胆かよ。ったく、どっちが冷たいんだか」

「ん~?」


 スヴァルは首を大きく傾けた。瞬間、一際濃密な意識の波動を感じ取る。

 これはよく覚えのある感触だ。

 獣が威嚇する際に発する、尋常でない危険信号。肌がざわつき、心拍数の上昇が手を当てなくてもわかる。


「残念だけど、その誘いにだけは乗れないな」

「そっかぁー。それは本当に残念だな」

「取り敢えず、ぼちぼちいくで!」


 今度はジンテツから突撃する。剣先を下に向けて、凍てつく大地に轍を刻む。

 スヴァルはじっと構えた。今度は無意識に氷のコーティングを分厚させ、無数の突起を生やし攻撃的に変形させた。迎え撃ち、一つ一つの剣筋を丁寧に受け流す。

 隙が生じればすかさず氷柱を叩き込む。ジンテツはもろともせずに巧みな剣と脚捌きで牽制も不意打ちも払い除け、掻い潜り、スヴァルへの強襲を継続する。


  おかしい――――スヴァルが思った。


 ジンテツの剣はめちゃくちゃながら、芯を感じさせるいい剣だ。しかしながら、先程までとは何かが異なる。スヴァルをそう感じ取った。

 何かがおかしい。何かおかしい筈なのに気づけない。

 自然に移り変わってきている。

 落ち着くために、お互いに距離を取らせようとしてスヴァルは氷柱を放った。だが、ジンテツは距離を取るどころか、氷柱を切り捨てて急接近してきた。

 速い。考える間も無く、スヴァルの首に刃が伸びる。


「ぎぃ!?」


 辛うじて避ける。頬を掠め、手を当てれば血が付いていた。

 その後も、ジンテツの快進撃は続く。

 詰めたり開けたりを繰り返し、スヴァルの距離感を瓦解させていき、さらにペースを速くしていく。

 柔軟に、しなやかに、攻めの手は激化し、追って追ってスヴァルを苦しめる。避けるのがやっとだ。

 氷のコーティングの体積を減らして、的を小さくする。だが、なんら意味が無かった。

 ジンテツはすかさず間合いを詰めて、肩を掴んでそのまま流麗にスヴァルの姿勢を崩し、腹に膝蹴り、怯んだ隙に右腕を拘束し背後に回って片羽交締めを掛ける。

 このままでは意識を落とされてしまう。焦ったスヴァルは足元から氷柱を伸ばして脱出した。


「今のはなによ? 肩を押さえられたとき、身体から力が抜けたんだけど? どんな手品?」


 今の技術には覚えがある。というか、今さっきまでスヴァルが用いていた基本の型だ。

 ジンテツは、序盤の戦況に巻き返リピートしていたのだ。しかも、立場を逆転させて。

 よくよく見れば、ジンテツの動きはどことなくスヴァル自身に酷似していた。

 体型が近いからというだけでは、再現するのは決して楽ではない。しかし、ジンテツは実際に、スヴァルは彼女ができなかったことを平然とやってのけた。


 違う――――


 スヴァルは、ジンテツのポテンシャルを完全に見誤っていたことを、ここへ来てようやく気づく。

 彼の動きは確かに自身のもの基盤としている。だが、違和感の正体はそれではない。

 それはまだ、序の口に過ぎない。

 真の意味での違和感は、摸倣ジンテツの動きが本家スヴァルの動きよりも圧倒的に洗練されていたこと。成り代わったように、技能を制していたことだ。

 綺麗で、流麗で、精度レベル速度テンポ繋ぎパターン勢いキレ、いずれも大口を叩けて当然の、納得がいく強さ。

 スヴァルにとって何よりの自慢は、同じジャック・フロストから見ても天賦の才と羨まれる体の柔らかさだ。腰を捻ってからの前屈で両手を踵につける一発芸が、昔から得意であった。

 故に、体の柔軟性に限ってはスヴァルの専売特許であると、冗談の有無に拘わらず言い放ってきた。そして、しなりによって可能となる、鞭を彷彿とさせる徒手空拳が自他共に認める驚異であった。

 猛攻を受けながら、ジンテツの様相からスヴァルは昔のことを思い出した。

 幼少期、グラズヘイムに来る前に遭遇した、スヴァルにとって数少ないトラウマ。吹雪の中で、丸い赤い光が二つ並んでいた。それがじっと、幼いスヴァルを見下ろしている。

 現実に目を戻せば、ジンテツの目はまっすぐ、スヴァルに向いていた。黒い瞳は鋭く、宛ら、獲物を追いかけるオオカミのよう、爪と牙を剥き出しにして飛びかかってくる凶暴なオオカミのよう。

 美々しく、猛々しい獣をスヴァルは見た。

 その一瞬の間、気が抜けて足元を滑らせた。加えて、ジンテツの猛攻に圧されてバランスが崩れる。

 そして、好機を見逃さなかった野兎にそのまま押し倒され、両腕を膝で押さえつけられて首元に刃が向く。


「はぁ······はぁ······」


 スヴァルの荒い息が結界内を静かに響き渡る。


「ヒヒ、久しぶりだよ。こんなにドキドキしたのは」

「······」

「それで、アタシをどうするの? 脅してもいいよ。アタシさ、今変に清々しい気分だからさ、何されても反抗する気起きないわ。多分」

「············」

「君になら、何されてもいいのかも。煮るなり焼くなり好きにしていいよ。あ、本当に煮たり焼いたりしないでよね? 言われなくてもわかるかもだけど、アタシ、熱には弱いんだから」

「············」


 ジンテツは静かに立ち上がった。スヴァルから退いて、へたりと胡座をかいて座り込んだ。


「なあ、なんで俺のことを言わなかったんだ?」


 スヴァルは彼の行動に疑問を抱きつつも、寝たまま朗らかに答えた。


「三つ。一つ目は、君のご主人様がロガ・フラワードだったから。みんなが手を出してこない大抵の理由ははこれだよ」

「そいつ、そんなに偉いの?」

「まあ、偉いっちゃ偉い方かな。って、会ったことないの?」


 ジンテツはいじけるように「ない」と答えた。


「ははっ。あの人らしい――――二つ目は、興味本位。これは病気みたいなものかな。アタシ、とにかく冷めてるの嫌いなんだよね。熱があるから冷ますんだし、冷めるから熱が要る。世界はもっとこう、入り雑じっててなんぼでしょ。共存共栄とか別段興味無いんだけど、それで面白くなるならまあ賛成。だから君みたいな奇妙で奇天烈な存在にはつい目が行っちゃう。衝動的に動いちゃう――――ちなみにクレイ嬢がその筆頭」

「ケッ、違いない」


 今の反応に、スヴァルは好感を抱いた。


「でしょー! で、三つ目は二つ目に少しかかるんだけど、その筆頭があなたを大事そうにしてたから」

「はぇ······?」

「なにその反応? クレイ嬢だったら、その辺の事情はきちんと言ってるもんだと思ってたんだけど」

「············」


 ジンテツは呆然としていた。彼の表情を見て、スヴァルと眉をひそめる。


「マジ? 本当になんもないの? 君たちってどういう関係?」

「どういうって、どういう関係なんだろうな」

「マ・ジ・カ・ヨ――――いや、クレイ嬢のことだから扱いを持て余してる可能性も無いこともないだろうけど、それにしたってあの態度は······」


 スヴァルはいつかのクレイを思い出した。黒霧から現れたジンテツを、優しく抱き止めるだけでなく、詰めていけば慈母のように甲斐甲斐しく守ろうとする姿勢。

 あれでなにもないとは、少々心配になってくる。

 そんなスヴァルの様子を見て、ジンテツの耳が跳ねる。


「おい、それはどういうことだ?」


 訊いた瞬間に結界が崩落。粉微塵となって霧散し、外界に二人の現状が晒された。

 受講生達は揃いも揃って唖然し、講義の終了を告げる鐘の音が、高らかに寂しく空気を揺らす。





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