閑話/或、妖精姫ー幻想の起点ー【アン・ブロンシェール



『私は王族と血の繋がりが無い。』――――そのことに気がついたのは、十歳のときだった。

 父や兄、アリスは温かく接してくれていたけれど、それ以外の要人や召使いからはどこか複雑そうな雰囲気を感じた。

 病死した母なんて露骨でひどかった。いつも冷たい眼差しを向け続けて、まるで「お前はどうしてここにいる?」と、険しく問い掛けられているみたいだった。

 そんな無愛想な雰囲気が、疎外感に拍車をかけた。

 劣等感は膨れ上がって、いつからか華々しく、キレイに見えた筈の城や街の景色が色褪せていく。

 出所の知れない存在という不安と不信からストレスを感じて、どこにいっても安心できない。頭が石像になったみたいに重く感じたり、腹痛も起こすようになった。

 そんな私を気に病んで、当時、教育係として仕えていたタカネ先生の提案で、療養を兼ねた旅行に行くことになった。行き先には、『ひのもと』と呼ばれる極東の島国を薦められた。

 あまり乗り気ではなかったけれど、居心地の悪い城から出られればなんでもよかった。とはいえ、引率のアリスと他数名の召使い、護衛の存在があってか、差程気分はよくならなかった。

 宿泊先の旅館に着いても、景色を眺めるばかりで殆んど部屋から出ない日が続いた。独りで広々とした畳に寝っ転がって、天井の模様を眺めて適当に時間を食い潰す。

 何も考えず、何も思わないで。

 しばらくすると、模様が目玉に見えてくる。その眼光が母を彷彿とさせ、首を横に向けて逃げる。

 その繰り返し。その繰り返し。

 時折、外を眺めれば、旅館を周囲や、町のあちこちでサクラの花弁が軽やかに舞っている。それでしか心の安らぎを得られなかった。

 そう鬱々として、日陰で怠惰を貪っていた私は、偶然に高階層の窓から“それ„を目撃した。

 旅館の庭園を歩く、真っ白ななにか。それは不規則に置かれた石の道を一歩一歩飛び伝って、竹垣の向こうに消えた。

 どうしてか無性に気になった私は、探しに出た。召使いたちには用を足しにいくと伝えて、旅館中を駆け回る。

 旅館の従業員たちの目を掻い潜って、人気の無い迷宮のような廊下をひた歩き、上から見えた石の道に来れた。そそくさと石の道を渡って、竹垣の扉をそっと開けて入る。一階建ての平屋がぽつんとあった。

 サクラに隠れていて見えなかったようだ。

 旅館は明るい暖色の木材が使われていたが、この平屋はどこを見ても黒い。庭には色取り取りの花が咲いていて、まるで小さな楽園のようだった。

 見とれていると、カツン! と頭上から木が打ち付けられるような音がした。恐る恐る振り向けば、窓から見かけた真っ白ななにかが屋根に腰掛けていた。

 そして“それ„は、私をじっと見下ろしていのだ。


「あぁ······」


 私は思わず息を漏らした。

 “それ„は、ウサ耳を生やした人類ヒューマンといった見た目をした、途轍もなく麗しい純白のウサギだった。

 風になびく長い白髪は水面のように陽光を反射して、右目は前髪で隠れていたけれど、左目の紅瞳は熟したリンゴよりも澄んでいた。薄い肌色からは、触れてもないのにやわやわなのがわかる。

 私とそう変わらない年の子供だろうに、明確に逸脱した存在感。まるでお伽噺に出てくるような幻想的な美貌に圧倒され、全身から力が抜け落ちて、思考は止まり、呼吸をするのも忘れていた。

 後のことは憶えていない。気づいたときには、布団の中で悶えていた。


 ――――知らない······あんなにキレイなの、私、知らない······


 動悸が収まらなかった。熱は跳ね上がっていたけれど、不思議と苦しくなかった。

 それどころか、幸福感に満たされていた。


 ――――もう一度、もう一度でいいから、会いたい!


 それから私は、何度も何度もあの平屋に赴いた。その度に、白いウサギさんは座っていた。

 待ってくれているみたいで嬉しかったけれど、距離を縮めるには時間を擁した。勇気を持って一歩を踏み出しても、二歩目が中々出せなかった。すると、ウサギさんの方から手を掴んでくれた。

 嬉しくも、気恥ずかしさで心臓が破裂しそうだった。

 白いウサギさんはとっても寡黙で、私が何を質問したり話したりしても、しわ一つ浮かなかった。つまらなかったのかなって悄気ると、肩に手を回して優しく抱き締めてくれた。頭も撫でてくれた。

 私は泣きそうになった。今まで、こんなことをされたことがなかったし、一番身近にいたアリスすらやらなかったことだ。戸惑いよりも、嬉しさが込み上げてきた。

 そんな泣き顔になった私を見たウサギさんは、無表情ながらすんごい狼狽えて、あまりの焦りように着物の袖をバタバタさせていた。おかしな動きで、私はつい腹を抱えて笑ってしまった。

 そして理解した。白いウサギさんは、優しいんだと。

 それが底無しで天井知らずなお節介焼きであると知らしめられたのは、一緒に町に来たときだ。

 大泣きしている赤ちゃんに変顔をして泣き止ませたり、喧嘩をしていた人相の悪い人類ヒューマンと粗暴なオーガの間に迷わず割って入り、茶屋に誘っては仲裁し仲直りさせた。

 それを見ていた周囲の人類人外の刺々していた空気は、瞬く間に一変して温和になった。

 なんて絶大な影響力なのだろう。きらびやかな笑顔に満ちたこの空気が心地よく、その中心で悠々と、堂々と息吹く白いウサギさんの強かさにまたしても目を奪われた。

 帰国の際、見送りしてくれなかったのは寂しかったけれど、そのときには私の体調は既に快復していた。そしてなにより、白いウサギさんとの出会いを通じて、私は“幻想„に目覚めたのだった。

 私も傍にいるだけで誰しもを安心させられるような存在になりたい。そして、皆が不満を覚えず笑い合って過ごせる平和な世界を築きたい。

 その為にはなにをすればいいのか。私は、帰国してすぐに父王と兄皇子に力強く願い出た。


「私、冒険者になる!」





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