坂を上る【アンサンブル】




 どこまでも真っ黒な空間。

 退屈な程に静かで、目蓋は開けていると思うがなにも見えない。匂いもしないし、ここは一体どこなんだ。

 なんだか妙な気分だ。ずっとここにいたような、なんとも言えない居心地の良さを感じる。

 俺、この空間にまったく覚えが無いのだが······。

 体を動かそうとするが、手足の感覚が無く声も出せない。めちゃくちゃめんどクセェ状況だな。

 まず、現実でないのは確かだな。ここまでなにも感じないのに現実だったら、それはそれで面倒ではあるが、そうでないと理解できれば取り敢えず安心できる。

 明晰夢ってやつか。

 だとしたら、これはどういう演目なんだ?

 夢は記憶の整理とかよく言うけど、俺みたいなのにもそういうのは機能するんだな。

 そう言えば、見る夢によってこれからのことが予見できるらしい占星術の心得があったっけな。バケモノに追いかけられたり、物を失くしたりすると凶兆だってやつ。――――いや、これは吉兆だったか? 曖昧なんだよなその辺。

 こういう真っ暗闇に拘束された場合はどんなだったっけな? ――――っていうか、明晰夢ってこんな頭を働かせられるのか? いくら夢を夢と認識できてるとしても、意識だけとはいえここまで自在になれるのは、それはそれで現実じゃないのかも疑わしい。

 っていうか、俺って基本、ノンレムだから夢自体そんなに見る方でもないんだよね。見たとしても忘れるし。

 だから、どうでもいい。


 ――――――――


 唐突に、誰かの声が聞こえてきた。微かだが、遠くからこだましたような声だ。

 どこだ? どこからだ?

 どこもかしこも真っ暗で、どこ向いてるのかもわからない。っていうか俺今、首動かせてるのか?


《マダカ?》

『うん、まだ』


 聞こえた。

 前者は女の冷たい声だ。獣のような荒い息が混じっていて、急かしているようだ。

 後から聞こえた方は俺の声とよく似ている。もっと言えば、元から女らしい俺の声をもっと女らしくしたみたいな声だ。先に喋った奴よりは落ち着いていて、一段と透き通った声。

 耳当たりのいい長閑な声だとは思うが、イントネーションが独特だな。音が上がっていったぞ。――――訛ってる? 


《イツマデ待タセルツモリダ?》

『そう、せかさんでも。いまおこしても、ふじゅうぶんやえ。まだ、こたえはでてへんし、ぜんぜんたりひん。いまは、あのこにたよるしかないえ』


 二者が話している最中に、段々と金属が擦れ合ったり、ぶつかり合ったりしているような、耳の痛くなる音が四方八方から響いてくる。

 声の調子からして、二者じゃない。他に誰かいるのか。

 もし何かヤバイのが拘束されてるんだったら、会話してられるような状況じゃないと思うんだが? なんでこんな喧しい状況で平気で会話してるんだよ!?

 目を凝らしても、地平線の彼方まで真っ暗で依然見えない。

 どこにいるんだよ! っていうか、訛ってる方、解読するの面倒だな。どこの言葉だ?


《早クセイ》

『よ~し、よ~し。ええこやさかい、もうちょいまちましょ』


 たりてへん?

 たり······たりて······――――足り?

 足りてないって、なにがだ?

 クソ、状況が掴めない! 俺の周りに、なにがいるんだよ!

 冷静が失くなろうとしていた俺の頭に、静かに柔かな感触が乗っかってくる。感触はゆっくりと、弱々しく動く。

 この感じ、俺は知っている。この心が安らぐ感覚は、ずっと待ち望んでいたような、穏和な心地は。

 撫でられている。俺、今、撫でられているのか······。

 なんでこんな真似をするんだ。俺はなにも知らないんだぞ? 本当になんなんだよ。

 胸がきゅーって締め付けられる。温かい。

 ――――目が、熱い······。


『あんしんし。もっと、まだ、もっと、ぎょうさんながいきせんとな。そやさかい、はよおきなはい』


 目の前が白くなっていく。眩しい光が向かってきて、意識が乖離していく。


『やんちゃすんのもええけど、いちびるんはほどほどにな――――かわえぇ、寝坊助ねぼすけはん』



 ++++++++++



 目が覚めた時には、真っ白な天井が見えた。周囲を純白のカーテンが囲んでいて、独特な苦い匂いがする。


「きっつ······」


 体の節々がじんじんする。

 ゆっくり起き上がって見てみれば、上下麻色の服の下にはミイラ並みに包帯が巻かれていた。動かそうとすると、関節が締め付けられて鬱陶しい。


「なんやこれ? 邪魔くさいな」


 取り敢えず、ベッドを降りる。

 固い上に冷たい床に身震いさせながらカーテンを出ると、隣のベッドにクレイがいた。俺の方を向いてぐっすり寝ている。

 鎧を付けたままで、苦しくないのか? せめて外してから寝ろよな。ベッドが悪くなる。布団も被らずで、まさかこの状態でずっといたのか?

 妖精は温度に強い方でも無いのにさ。――――いや、鎧に温度調整の付与とかあるのか? だったら少し羨ましいな。蒸れないし冷えない。

 そう言えば、と記憶を振り返って、意識を失う直前にクレイの声が聞こえていたのを思い出す。


『また、いっぱい無茶したね······』


 寂しさのこもった嫌な声。

 そうだった。俺、盛大に"陰"をぶちまけたんだった。

 けど、あのときは思いっきり死に際だったんだ。やらなきゃ今頃胃酸でどろどろになっていたんだから、俺は悪くない。――――······悪くないよな?

 オーガンを狩るのに夢中で意識してなかったが、シェリルや他にもかなり見られただろうな。

 折角、お姫様の用意してくれた住処だったのに、こんなに早くバイバイする羽目になるとは。世の中、そう都合のいいように回ってくれないか。

 まあまあいい暮らしはできたと思うし。十分とは言えずとも楽しかったかな。

 せめて弱音を言わせてもらうとすると――――


「一度くらいは、一緒に冒険したかったよ」


 俺はクレイのベッドのカーテンを閉めて、出口に向かった。

 ドアノブに手を掛けようとした瞬間、後ろの方から先に扉が開く音がした。「ふぁー」と欠伸をするような声が続いてきて、振り向くと丈長い白衣を着た麗人って感じの女がいた。

 俺よりは頭一つ程度低いが、女にしては背丈も胸もデカいな。クレイよりは······まあ、デカイな。

 腰まで届く黒髪で、楕円形で縁無しの眼鏡を掛けている。白衣の下は黒いセーターと黒いスカートで、靴下もスリッパまでも黒い。

 ――――烏かよ。好きなのか? 黒いの。


「やあ、お目覚めのようだな?」


 女はまっすぐ俺の方に近づいてきた。

 眼鏡の奥は、やはり黒い瞳だった。


「あんたは?」

「私はギオン・タカネ。【真珠兵団パール】の協会守護者ギルドガーディアンが一人にして、専属医師を勤めている者だ。一先ず、よろしく」


 タカネは手を差し伸べた。

 俺はどうにも、この女が不可思議でならない気分でいる。それを感じ取ったのか、タカネは首を傾げた。


「どうかしたのか?」


 この感じ、シラと会ったときと似ているな。


「いや、あんたってさ。前に会ったこと、ある?」

「······クフフ――――まさか、いきなりナンパをされるとはな。たまげたものだ」

「別に、あんたは綺麗な方なんだろうけど、発情してないよ。その気も無いのに誘うかよ」

「ワオ、これはまたクセが強いな。ともかくまあ、お前と話すのはこれが初めて、だな。改めて、よろしくな。ジンテツ・サクラコくん」


 再度手を差し伸べられ、今度は応じる。が、手を繋いだ瞬間にぐいと引っ張られ、視界が暗くなると同時に柔らかな感触に顔が沈む。

 息が、しづれぇ······。


「すぅー、はぁーー――――ん~、生き返るぅ」


 ぶぃー!!? この女、俺の頭に鼻を押し付けて匂いを嗅いでやがる!?

 取り敢えず、腕から抜けて離れる。

 深呼吸! 空気を! 肺に空気をー!


「ふぁー、いきなりなにすんの!?」

「あぁ、すまんな。私は人兎属ワーラビットが大好物で。つい」

「ついって、喰うのか!? 喰おうってか!?」

「だからすまなかったって。ドラグシュレイン区に人兎は少ないから。ん?」

「じぃ~」

「そんなに敵視しなくても。もうしないから」


 だったら露骨に残念そうな顔をするな。


「そう怖がることはないのだよ? まあ、ここを出ると言うのなら、話は別だがな」

「どういう意味?」

「そのままの意味だ」


 タカネの目付きが険しいものになった。

 こいつ、本当に女医師なのか? この気迫、クレイより絶対強いな。

 ただ立っているだけで、何かをしてくる気配は無い。視線で警告を促すだけだ。


「敢えて訊ねるが、ここを出てどうするつもりなのだ?」


 眼鏡をかけ直す素振りだけでも警戒心を刺激される。

 協会守護者ギルドガーディアンって、協会指導者ギルドマスターの次に偉い奴だよな。そうなると、強さも二番手ってことだよな。

 刀は無いし、力は半分も出せない。流石に逃げ切れるビジョンが見えてこないなぁ······。


「安心しろ。手荒な真似はしない。少なくとも、私はな」

「どういうことだ?」


 訊くと、タカネは俺の背後の扉を指さした。


「外には不動のアリスが出入り口を固めているのだよ。出ようものなら、力ずくで阻止されるだろうな」

「アリス?」

「クレイの付き人だ。優秀で容赦が無い。精々、賢い選択をしろよ?」


 タカネは、俺の行動を制止するつもりは無いのか。それ程までに、アリスって奴は手練れということ。

 俺は扉から離れた。丸腰で挑むには些か無謀だ。


「いい子だな。出来れば、そのままベッドに戻ってほしいな。クレイを不安にさせたくないならな」


 めんどクセェ。だが、それは同意だな。

 取り敢えず、俺はベッドに戻ろうとしたが、タカネの横を通り過ぎようとしたところで肩に手を置かれる。


「まあ、起きたばかりでまた寝るのも疲れるだろう。紅茶は好きか?」

「······一杯だけ」

「わかった。少し待っていろ。淹れてくる」


 タカネは奥の部屋に行って、十分程経ってティーカップを二つ、ポットを一つ乗せた銀製トレーを持って戻ってきた。甘く香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。

 カップを渡されて中を見ると、赤茶色の液体に銀杏切りにされた果実が数枚沈んでいた。


「リンゴ?」

「ああ。今朝、手に入れたばかりのものだ。新鮮だぞ」


 タカネが紅茶を飲む。カップを戻して、ふぅーと軽く息つく顔は、頬を赤くして暖かそうに見える。

 けど、俺は飲む気になれない。


「安心しろ。毒は入れていない。そんな無粋な真似でお前を止めようなど、欠片も思っていない」


 タカネの笑みと紅茶を旨そうに嗜む様子に圧され、俺も喉の奥へとカップを傾けた。

 暖かなものが腹に流れ込んできて、それが全体に染み渡っていくなんとも言えない感じ。胸の中で篝火が灯ったようだ。息を吐いた後も、それが続く。


「おかわり、いるか?」


 俺は黙って、空になったカップを差し出した。

 その後、俺とタカネは話し込んだ。

 まずは俺に巻かれた包帯。これはタカネの仕業だった。

 運び込まれたときには既にほぼ瀕死の状態で、全快できるかどうか危うかったらしい。それがほんの数日でひょいと起き上がられたものだからと、冷静に回復速度を驚かれた。

 俺は元々、怪我の治りは早い方だからな。その辺は気にしてない。


「治した礼に抱っこしてもいいぞ。それそれ!」

「蹴っ倒すで」


 一応は恩人だし、こいつの兎好きには追々慣れていくとして。めんどクセェけど。

 それからタカネは、近況も話してくれた。

 本試験の事は、既に学園ギルド中で話題になっているらしい。森で何があったかに関して、ギルドの職員や区衛兵等が学生や引率した冒険者から証言を得ようと努めたものの、未だに目ぼしい詳細を掴めずにいる。

 これの所為で、自然災害だとか、凶悪な野良魔物クリーチャーの襲撃にあったとか。混乱を呼んで、ひそひそと不穏な噂が飛び交っているようだ。

 あながち間違っちゃいないのが、なんとも面倒なところだ。

 しかも、学生が一人行方不明(匿名)であることも、噂に不穏さを加速させていた。

 そいつは多分、いけすかない狐ヴェルゴーニャだろうな。奴の立場を考えれば、当然の行動だ。今頃、どこで何してるんだか。

 ヴェルゴーニャと言えば、奴に荷担したとされるピット、ハウフィ、エミリー、キッテルセンの四人は事情聴取されたそうだ。首謀者がいなくなったことで枷が外れ、揃いも揃って野狐に脅されたと声を荒くしてベラベラと喋ったらしい。

 だが、ピットのみは終始大人し気で、素直に罰を受けると応じた。

 脅されたとは言え、無法者に手を貸したことがさぞかし悔しかったんだろうな。

 学園ギルドも、ピットの思いを汲んで受講資格を一時剥奪し、停学処分を下した。

 あの虎、家で息できてるのかな。

 シェリルやリングエル、シラにアルフォンスといった奴等が見舞いに来たらしいが、意識が無く、話せる状態でないとして面会謝絶にしていたようだった。

 話しているときにタカネはクレイをチラッと見ていたから、通さなかった理由はあのお姫様にもありそうだけど。

 取り敢えず、紅茶を啜って一息つく。そして、これからの面倒事に目を向けることにした。

 色々と落ち着いてはいるようだが、まだ穏やかになれない。俺にとって最も重大な問題は、俺の正体を見られたことだ。

 覚えてる限りだと、あの場じゃシェリルだけに見られていたな。あいつは何を言ったんだ?

 それを訊くと、タカネの口から予想外の答えが返ってきた。

 黒霧の怪物が出現した、という証言があったらしい。

 俺は思わず、「ん?」と首を傾げた。そして、俺の反応に吊られてタカネも「む?」と疑問符をあげた。


「黒霧の怪物が出た?」

「ああ」

「······はぇ?」


 妙な話だ。俺が闘っているときに、それらしき奴の影すら見なかった。

 なんだろう。この食い違い感。

 待てよ? 思い返してみれば、森に棲んでいたときから違和感があった。

 黒霧の怪物が出たってところは、大抵俺が散歩していた箇所と重なる。特徴が目立つ割りには、どこを探しても見つけられなかったし。カルスに訊いたら、特に危険視している様子が無かった。

 今では、そういう噂すら耳を掠めない。

 まさかと思い、俺は訝しげな目でタカネを貫いた。すると、ハッとなにかを思い出したように顔を強張らせた。ティーカップを掴んだ手が僅かに震えている。


「まあ、監督した冒険者がそう証言したというだけだ。もしかしたら、単なる見間違だろう」


 今の反応で確信した俺は、タカネの右手を引っ張ては後ろに捻り、首の後ろに手を回して押さえて互いの額を擦り合わせて拘束した。

 抵抗しようものなら、即座に右手を捻ってやる。


「お、おお、おま、なにを!?」


 なんでタカネは顔を真っ赤に染めてんだ? 突き離そうと俺の脇腹を押してくるが、全然弱すぎる。

 ふざけてんのか? この烏!


「お前、黒霧の怪物の正体知ってるよね?」

「なな、なんのことだ。さっぱりだ」

「目、反らしたな! なんか隠しとるやろ!」

「この距離感では仕方がないだろ! 離してくれ!」

「構へんで。けど、言うこと言うたらな!」

「言う! 言うから許してくれ! 正直、もう限界なのだよー――――!」


 タカネは涙を浮かべながら吐いてくれた。

 どうやら、クレイから聞いていたらしく、面会謝絶したのもそっちがメインらしい。

 お陰でいろいろ合点がいった。なんであんなに見下されていたのか、奴隷という特殊な手順を踏んだのか。

 それもこれも、俺には魔力が微塵も宿っていないのに加え、ドラグシュレイン区を騒がせる黒霧の怪物そのものであったから。なんで気がつかなかったんだか。

 それと、あんのお姫様。わざと隠してやがったな。もしくは、カルスの要らぬお節介か。

 どいつもこいつも、めんどクセェことを······。

 どっちでもいい。それよりも後始末だ。

 証言者は試験を監督していた冒険者だったな。

 確か、一人はオーガンに喰われて死んで、もう一人のトカゲの方はギリギリ息があった筈。となると、言ったのはスヴァルって青髪の女か。

 なんであそこに居合わせていたんだか。こいつは面倒なことになりそうだ。

 息を整えたタカネから、更なる情報を告げられた。


 黒霧の怪物が出現したが、我々には目もくれず襲撃してきた野良魔物クリーチャーを殺害し、そのまま何処へ走り去っていった。


 かいつまんでだが、スヴァルはこのように答えていたらしい。――――引っ掛かる。

 俺は“陰„――――恐らく黒霧の由縁――――を出すと、めちゃくちゃ疲れて眠ってしまう。だから、事が済んだらその場で意識を失って動けなくなる。

 まともな冒険者からしたら、格好の仕留め時だろうが。あのときはクレイがいたから、なんとか免れた、と思っていた。


「はぁ~」


 一気にどっと疲れてくる。この上無くめんどクセェ事を起こしてしまった。

 クレイの奴はどう思ってるんだか。と思って、寝ているあいつをチラッと覗いてみる。

 それはもう、快適そうに眠っておられる。気楽で羨ましい限りだ。


「そう悲観することはない。あのスヴァル・ストライクが偽証している。それだけでも、サクラコがここにいていい理由にはなるんじゃないのか?」


 タカネは慰めてくれているのだろうか。

 ありがたいが、そういう言い方は逆に怪しく見える。


「スヴァルってのは、そんなに信じれる奴なのか?」


 訊ねてみたら、タカネの目が泳いだ。ズレてもないのに眼鏡を掛け直して、なんてわかりやすい。


「取り敢えず、目は合わせよーぜ?」


 俺はパキパキと指を鳴らした。


「待て待て待て待て! 確かに少し危ういところはあるが、最低限信用できる奴だ! それだけは言える!」

「それだけで俺の警戒心がほぐれると思うか? 半月前まで野生動物だった俺だぞ?!」

「そう言われると、自信を失くすな······」

「おいおい」

「けど、スヴァルはクレイととても親しい間柄だ。他の冒険者よりも一際な。これならどうだ? 信用できるか?」

「なんで商品を売り込まれてる感じなの? 必死すぎやろ。いくらなんでも」


 つーか、あの青髪女ってクレイと仲良しなのかよ。それだと、益々奴の言動の意味がわからん。

 顔パスってやつか? 便利だな、皇女クレイの顔利き免罪符。お姫様ならなんでもありってか!?

 頭が痛ぇぜ。まったくよ。

 何を思って偽証したのかわからないのが怖い。だが、取り敢えずは首の皮一枚繋がったと考えていいかもしれない。

 同時に、スヴァル・ストライクにとんでもない弱味を掴まされてしまったがな。これからは、息の詰まる日々を送りそうだ。

 あんまり、敵が増えなければええんやけど‥‥‥。


「はぁ~。疲れた。寝る」

「おう、そうか。じゃあ、おやすみ」

「あん」


 タカネがティーセットを片付けていく音を背に聞きながら、俺は寝ていたベッドに戻って目蓋を閉じた。目の前が暗くなると、腹から背に流れ落ちるように疲労感が無くなっていくの感じがする。

 ああ、これこれ。喰うときは腹の深いところに、とっぷり飲み込んでいく感じが良くて、寝るときは極上なしっとり感。――――俺も中々気楽な奴だ。


「あ、そう言えば、結局昼飯喰ってないやん。··················ま、いっか――――すー······すー······ほやぁ~――――」



 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎



 眠りから覚めて、私は背伸びしてからジンくんのベッドを覗いた。


「まだ寝てる」


 仕組みはわからないけれど、ジンくんは深い眠りにつくと髪の色が白くなる。シーツよりも透明感があって、雲よりも鮮やかな純真無垢の宝石のような真っ白。

 シラのよりもキレイだ。

 森で看ていたときもそうだった。カルス様に訊いても、“影の異能„と同様に詳細が不明。


「やっぱり、白い方が似合ってる」


 不意に、ジンくんの黒髪には何処か違和感を感じさせられるものがあった。東洋民と言えばよく目にするのは黒髪黒目なんだろうけれど、彼の場合はそうじゃないのではと思ってしまう。どうしてもだ。

 意識の有無がわかりやすいが故に心が苦しい。

 もう三日も目覚めていない。彼以外にも三人の患者がいたけれど、一日で完治した復帰にまで至った。

 ジンくんだけ時間がかかっているのは、タカネ先生曰く魔術が効きにくい体質らしく、治癒魔術が捗らないからだそうだ。

 薄々、そうなんじゃないかと思っていた。魔力が微塵も無いんじゃ、他者の魔力に働きかけて回復機能を促進させる治癒魔術はまず通用しない。

 そうなると付与魔術による恩恵サポートも受けられないし、逆に負荷魔術による妨害デバフにも影響されない。そして彼自身、身一つで魔術を全く使えない。


「まるで、この世の理から嫌われてるみたいじゃない······」


 私は、これからのことに不安を懐いた。

 ミスリル大森林で起こった異変は、可能な限り世間に知られないよう隠すことになった。少なくとも、ギルドは協会指導者ギルドマスターの意向なので私達はそれに従っている。けれど、区衛兵は諦めが悪いから徹底して調べる方針をとるだろう。

 区衛兵達には悪いけれど、多分、何も出てこないと思う。

 ジンくんが戦っていたあれを倒したと同時に、結界が壊れたのと同じ波動を感じた。

 一瞬で終わったからよくわからなかったけれど、透明な骨っぽい奴が結界を張った主だ。私の攻撃で完全に消滅してしまったみたいだし、どれだけ探ろうとも真実に辿り着くことは叶わない筈だ。

 異変の方は事実上の一件落着。けれど、まだ落ち着けない。

 ジンくんの正体を、よりにもよってスヴァルに見られてしまった。これはかなりマズイ。

 調査が終わった後で弁明しようと思っていたのに、中々二人きりになるタイミングを図れず、区衛兵と調査するし、終わったら情報部の方に向かっちゃうしで、何も話せなかった。けれど、不思議なことにスヴァルはジンくんのことを黙っていてくれた。

 ほんの一瞬だけ私はホッとした。でも、これがスヴァルの怖いところでもあると、再び不安になった。

 彼女は冒険者の中の冒険者だ。危険には敏感だし、普段は気さくだけれど切り換えが早い。ストイックというか、得たいの知れない冷静さを備えている。

 長い付き合いの私でも、時々アリスよりもわからなくなる。彼女のことだから、慎重に観ているのかもしれない。


「はぁ、憂鬱。あなたの所為なんだよぉ~?」


 前髪を指でスリスリと弄っていると、ジンくんが寝返りをうって私の方に向いた。拍子に布団から肩が出た。

 だらしないから、ゆっくりかけ直す。そのとき、ジンくんの左手が布団の下から伸びてきた。

 まるで遊び疲れた子供みたいに、気持ち良さそうに寝ている。こんなのを見ちゃったら、説教する気が失せる。

 ジンくん、私が来た時にはもうボロボロだった。黒霧の怪物になったのも、そうせざるえなかった状況だったからだろうし。とは言え、このままではかなりまずい。

 負傷者のリストは概ね片手で数えられる程度。黒霧の怪物の目撃情報が出ている以上、区衛兵は絶対にジンくんを逃さない。

 意識がずっと戻らないから、タカネ先生の計らいで面会謝絶となっているけれど。――――ちなみに、私は実質上のジンくんのご主人様ということで特別に通してもらっている。

 今のところはなんともないけれど、スヴァルの言動が気になる。


『アタシ以外にも、野兎くんの正体を知っている子、いると思うよ。少なくとも、一人はね』

『隠すのが長引けば長引くほど、余計に野兎くんを縛る鎖がキツくなる。クレイ嬢がよかれと思っていても、実のところはクレイ嬢が一番彼を苦しめているんだよ。その事に気づいてるの?』


 正直、かなり響いた。

 今日みたいなことが起きれば、必ず誰かが勘づく。今は大丈夫なだけ。その次、その次となっていく度に、ジンくんの居場所は狭くなる。

 昨日だったか、スヴァルの言葉が証明されるように、シェリル・グルトップというケンタウルスの女性が、昨晩、いきなり訪ねてきた。

 彼女は試験の際、ジンくんと同じパーティを組んだとのことで、黒霧の怪物になるところを間近で目撃したらしかった。何を言われるかつい身構えちゃったけれど。


『サクラコは、大丈夫ですよね』


 と、医務室の扉を心配そうな目で見つめるだけで、特に危害を加えようという気配をまったく感じなかった。

 頬っぺたを赤くしていた気がしたのだけれど、あの反応はもしかして――――他にも、いつかの慌てん坊の人類ヒューマンアルフォンスくんと、ジンくんと同じ人獣種の白い人兎属ワーラビットのヨシノさんも来た。

 私は安心したと同時に、嬉しかった。少しずつだけれど、彼を心配してくれる人がいるんだって。


「確かに、変な魅力は感じるのよね。何があったんだか。はぁ、別件がなければ私が監督したのに。寝坊して見送りにも行けてないしで······私はお母さんか!?」

「ん~······」


 私は咄嗟に両手で口を閉じた。

 ジンくん、寝起き悪いから無理矢理起こすと蹴ってくるんだよね。洒落にならないくらい痛くて、頭の中でなにかがシェイクした気がしたわ。

 静かにしていれば、本っ当に、静かにしていれば、貴族にいてもおかしくないくらいに、見目麗しいウサギさんなのに――――どうしてこうも、勿体ない性格になってしまったのかしら······。親の顔が見てみた――――と思うのはやめておこう。ジンくんに悪い。


「なんであなたってこう、はちゃめちゃが過ぎるのかしらね」


 ジンくんは、いろんな意味で特異だ。普通なら誰しもが持っているものを持っていない。

 それでも、私達が考えつかないようなことを考え、行動しないようなことを事も無げに行動している。

 正に、野生動物。

 そんなジンテツ・サクラコの、異常な魅力。

 なんで、なんで見放せないんだろ。


「お前は嫁になったら尽くすタイプだな」

「ひゃっ!」


 不意に声がして振り向くと、ニヤニヤしているタカネ先生がいた。


「先生、いきなりなんですか! ジンくんは起こすと怖いんですよ、マジで」


 ひそひそ声で私は怒った。


「すまない、すまない。クレイが珍しい顔をしているから、つい」

「だからって······」


 取り敢えず、ジンくんから離れてタカネ先生と向かい合った。


「もういいのか?」

「これ以上は、私の胃が持ちません」

「そうか」


 このひと、根は真面目なのだけれど変にお茶目なのよね。昔からこういうところに困らせられる。


「で、そろそろ訊いていいか?」

「え?」

「なぜ、あの人兎属ワーラビットを冒険者にしようと思ったんだ? ロガから話を聞いているが、相当元気の有り余っているわんぱく兎らしいじゃないか。あの惨たらしい有り様を見て、私にしても手綱を持ち続けられるかわからない。それは、クレイ自身も理解していないわけでもないのだろ?」


 タカネ先生の見立ては、的を得ていると思う。ジンくんは私なんかに繋がれていて、平気でいられるような野獣じゃない。

 だから不思議なんだ。未だに懐いているようには思えないし。


「その顔は、『自分でもわかっていない』てところだな」

「えっと、なんといいますか······」


 カルス様に言われたのもそうだけれど、ジンくんを見た瞬間に妙な感覚になったんだ。まるで初恋の相手に再開したような、身体中がビビっとした。

 話を聞いていく内に、衝動的に彼を逃したくないって思ったんだ。実のところ、はっきりした理由は無い。

 カルス様が契約してまでジンくんの身を案じていたのに、私はとんだ自分勝手な薄情者だ。


「無理して考える必要は無いのだぞ。クレイみたいなタイプは、当初と現時で定まらなくなりやすい。まあ、あまり褒められたものではないのだがな。どうせ、後先考えずに行動した結果なのだから」

「ぎゅ~」


 直に言われると息苦しい思いです。


「ま、漠然としていていもいいんじゃないか? とも、私は思うがな」

「それは、どうしてですか?」

「最初に何も無いからだ。これからを楽しむ、そうやって生きて、いつかになって振り返って、後悔して、浸って、それでまたこれからを繰り返す。ぐずぐずしているように聞こえるかもしれないが、案外気楽になれるものだ。もしかしたら、あの兎もそれを期待してお前についていく気になったのかもな」


 そう言って、タカネ先生はジンくんの寝るベッドを見た。慈愛に溢れていて、どこか切なそう。


「お前から見たら、あの野兎は不可思議でならないかもしれないが、私からしたらクレイにもヘンテコな魅力を感じているのだぞ」

「ヘンテコ!?」

「フフ。だから、そう難しく考えずに、疲れない程度にゆっくり坂を上ればいい。何せ、お前達はまだ若いのだからな。滾れ滾れ」


 タカネ先生は、含み笑いしながら奥の事務室へ行った。最後の一言が、どことなく嫌味ったらしく聞こえたけれど、少し心が軽くなった気がする。


「あれ?」


 いつの間にか、テーブルに一つのティーカップが置いてあった。中身はリンゴの果肉を浸した紅茶だ。

 その下には小さな紙切れ。


『難しい顔はお前に似合わない』


 つい、プッ、と吹き出してしまった。そして私は、紅茶をぐっと喉奥に流し込んだ。


「ごちそうさまでした。ジンくん、またね」


 熱が身に沁み入るのを感じながら、私は部屋を出る。扉の横にいたアリスを連れて、これから私のしたいことを提案した。

 無表情ながらアリスは不満そうにしていた。けれど、文句を言うことなく、静かに私の後ろをついてくる。

 取り敢えず、一度寮に戻ってからね。


「起きたら、ジンくん驚くだろうな」


 これからを楽しみにしながら、私は羽を軽やかに動かした。



 ++++++++++



 早朝。すっかり傷が無くなって、俺は晴れて医務室を出ることになった。

 包帯の拘束から解かれ、体に多少の鈍さを感じつつも、中々どうして腕を回せば自由がましましに感じる。

 何日かぶりの窓越しでない日光と外界の空気を、体の内外でたっぷりと味わう。


「うん、めっちゃ冬、めっちゃ冷える」


 服と防具は、買った店が修復や似たようなものを送ってくれたらしい。

 心なしか、前よりも着心地が良くなっている。あとで派手蛾と細っこいドワーフに礼を言いに行こっと。

 取り敢えず、カーズ・ア・ラパン寮に帰る。何日も放っておいたから、そろそろ埃が沸いている頃だ。

 巣穴は大切にしないとな。

 道中で、パカ、パカと蹄の音が聞こえて、その方に足先を変える。ギルドの正門に人馬の影があった。

 近づくと、正体が判明した。シェリルだ。


「よ」


 俺が挨拶すると、シェリルは顔を赤くした。

 右頬に湿布が張ってある。


「やあ」

「こんなところでなにやってるの? 肩に下げてる麻袋それは荷物か。どっかにお出掛け?」


 訊ねると、シェリルは気まずそうにして目を泳がせる。

 口も何かを言いたげに震えているが――――ああ、これはタイミングが悪かったってやつか。めんどクセェな。

 取り敢えず、俺はシェリルに背を向けて、来た道を戻ることにした。


「あ、待ってくれ!」


 俺は足を止めた。今のシェリルの声は、今までのあいつからは感じなかったものだ。

 振り向いて、距離を戻した。


「なに?」

「その······あぁ······」


 シェリルは俯いて思い悩んでいる。

 歯切れが悪くて、何がしたいのかわからない。


「左腕、大丈夫か?」

「え、腕?」

「あの時、蹴っ飛ばして退かしたから」


 興奮のあまり手っ取り早く逃がしたつもりが、タカネの話では負傷していたらしい。原因と言えばあれしか思い付かなかったから、変にざわざわしていた。


「あ~。まあ、別に大事無いぞ。少しヒビが入っていたが、それだけで······」

「あー、そ」


 シェリルは腕を回してみせた。見た感じ、強がっている印象は無い。本当に大丈夫っぽいな。

 タカネ先生の治癒魔術の技量には感謝だな。


「サクラコの方は、どうなんだ? かなり、酷かったと聞いていて······」


 一瞥しながら、シェリルは訊いてきた。

 あまりに深刻そうな様子で、口だけじゃ足りないと思った俺は腕を回してみせた。

 シェリルは安堵したように溜め息をついた。

 それからまた俺をちらちらと何度も目を向けてくる。また、何かを喉につっかえさせてら。


「シェリルー! お待たせ!」


 リングエルが飛んで来てシェリルの肩に止まった。彼女も小さな鞄を肩に掛けていた。

 俺の存在に気づくと、リングエルは驚いた。


「お、おはようございます、サクラコくん!」

「おー」

「これは、その······」


 翼を広げて、誤魔化そうとしているリングエルに俺は首を傾げる。

 これから二人が何しようとしているのかはなんとなく察しがついてはいるが、いかんせんリングエルが挙動不審になる理由がわからない。

 俺の態度を見て、シェリルに顔を向けた。で、目を反らされた。


「もしかして、言ってないの?」


 リングエルが小さな声で訊ねると、シェリルは軽く顎を引いた。すると、呆れた様子でリングエルは額に翼を当てた。


「サクラコくん、この前は、ありがとうございました!」


 リングエルが深々と頭を下げてきた。

 はて、なんかしてやっただろうか。


「その、あの化け物に食べられそうになったところを助けてくれたと、シェリルから聞いて······」


 俺には心当たりが無くて首を傾げたから、リングエルも不思議そうに疑問符を浮かべた。

 "陰"を出したときのことはほとんど覚えていない。けど、そうしたんだとしたら理由は一つ。


「別に礼を言われたくてやった訳じゃないから。あいつに嫌がらせしたかっただけだから。そんな畏まなくていいよ」


 返すと、リングエルは困ったような顔になった。


「どうした?」


 なんか、二人共さっきから言いたいことがあるのに、無理に口をつぐんでいるように見える。シェリルに至っては、目も合わせてくれなくなった。

 数秒の間、冷たい空気のみが肌を掠めて、またもリングエルが口を開く。


「その、私達は今からここを出て、旅に出ようかと思いまして」

「旅?」

「はい······」

「それはそれは、唐突な決断だな」


 なんでまた、そんな決断を?


「あなたでも、そんな目をするんですね」

「······? どんな、顔してる?」

「なんと言いますか、寂しそうな目をしています。初めて見た気がします。サクラコくんが、ちゃんとした感情を表しているところ。ね? シェリル」


 リングエルはシェリルに首を向けて言うが、牝馬の奴は自身の束ねた茶髪で顔を隠している。

 なにしとんのやら。

 刹那、目が俺を向いた気がする。見えた限りで、うるうるしていた。

 リングエルは俺に向き直って、申し訳なさそうな雰囲気を醸し出した。


「別に、冒険者になることを諦めたわけではありません。ただ――――」

「リン、その先は私に言わせて」


 シェリルが遮った。パカ、パカ、一歩ずつ近づいてきて、逆にリングエルは少し下がった。


「旅に出るって言い出したのは、私。リングエルは、気を遣ってくれて、ついてこようとしてるだけ。理由は、もっと広い世界を見たくなったから」

「広い世界?」

「ああ。私は、サクラコと会って、景色がうんと変わった。それで、思い至ったんだ。家の教えに囚われ続けてきたから、今までに気づかなかったことがこの世には沢山あるんじゃないか、と」

「······そのほっぺ、家族にやられたのか?」


 訊くと、シェリルは湿布を張った右頬に手を添えて、微笑んだ。


「まあな。父にこっぴどく叱責された。けど、後悔はしていない。あなたのお陰だ」


 シェリルは頬から手を離して続けた。


「あなたの姿を見て、私は固執することを忘れられた。言われるままに野を駆け回るだけで終わるのではなく、道端に咲いている花を見つけるように、今まで見逃してきた小さな何かを見つけられるんじゃないかと、期待できるようになったんだ。――――少し、寂しいが······」

「う~ん」

「ん? どうした?」

「シェリルってさ、笑うと案外綺麗だよな」

「············――――ふぃぇ!!?」


 シェリルは顔を真っ赤にした。胸を押さえて、息が滅茶苦茶荒くなっている。

 情緒大丈夫か?

 横のリングエルは必死に笑いを堪えている。


「どーどー、大丈夫か?」

「あ、ああ······まさか、サクラコの口からそんな、そんなくちを······うぅ······――――私はやはり、あなたのことが嫌いだ!」

「そーかよ」


 にこっと笑ったり、むすっとして憎まれ口を叩いたり。顔は良くなったが、相変わらずわからない奴だな。


「頼むから、少しは目線を合わせてくれ。慣れてないんだ······もー」


 ··················――――一瞬見えたシェリルの紅頬に免じて、ちょびっと前言撤回。

 取り敢えず、とっとと本題を済ませよう。


「一つ、訊いといていいか?」

「な、なんだ?」

「なんで言わなかったんだ? 俺が黒霧の怪物だって」


 これだけは確かめないとならない。でないと、どうしたって俺の気が済まない。

 答え次第によっては、こいつの道は俺が閉める。


「やはり、あれはサクラコだったのだな」

「······」

「叶うならば、見間違いであって欲しかった。だが、どうしてもそうでしかないのだな」


 シェリルは、随分と哀しそうな顔になった。

 こいつが、俺でどんな理想を思い描いていたのか知ったこっちゃない。問題なのは、俺にとって害となり得るか否か。――――シェリルのこの反応からは、害意を微塵も感じない。それどころか、もっと温かいものだ。


「深く詮索するつもりはない。どうせ、あなたらしい下らない理由があるのだろう」


 口調は冷たく、態度も険しい。だが本質は全く違う。

 俺は憶えている。っていうか、最近クレイで知った。

 この感じは、“親しみ„ってやつだ。

 悪くぁねーか。シェリルにその気が無くて、頑張る方法を自力で見出だしたわけで。

 取り敢えず、放って置いてもいい。


「まあ、そうやね。お前らがどこでどう頑張ろうが、何を励もうが、俺はここでぐーぐー昼寝をするだけだ。精々、乗り心地を良くして来なよ」


 言うと、シェリルとリングエルはお互いに顔を見合わせ、同時に大いに笑った。

 そして、拍子に目尻に溜まった涙を拭ったシェリルは、何もかもが抜けきったような純粋な笑みで――――


「誰が乗せるか、バーカ!」


 と、清々しく悪態をついて、リングエルの「じゃーね!」を最後にギルドの正門を駆け出していった。

 軽快な調子で、馬蹄が石畳を打ち鳴らしている。パカラパカラが、段々と薄れていく。


「ええな。うん。取り敢えず、これはええ」


 俺は少し余韻に浸った後、今度こそカーズ・ア・ラパンへと歩を進めた。



 ++++++++++



 寮に着いて、玄関口の鍵を開けて入る。手触りも、重みも、随分久しぶりに感じるな。――――で、早速匂うぜ。煩わしい侵入者の匂いがよ。

 何度も嗅いだから、そう焦る必要は無い。どうせ、留守の間に面倒を見ててくれたんだろうし。


「ちょいと粗削りだが。ま、いっか」


 また余計な借りを作ってしまったな。取り敢えず、部屋に戻ってだらけるとしよう。

 医務室のベッドも心地好かったが、いかんせんふかふか具合が足りない。寝るならやっぱり、優しく抱擁するようにゆったりと身を沈めるくらいの快適さを備えているに越したことはない。

 いや、まずは風呂に入ってからだな。湯船でさっぱりしてからのベッド・インは、俺流快眠への適当な道筋だ。沸かさなきゃいけないのがめんどクセェが。


「そうと決まれば、いざ極楽浄土へ、いやいや泉なんだから浄泉じょうせんだろ、なんつって。ケケッ――――上手くあらへんわ。全然上手くあらへん」


 のんびりとつまらないセルフツッコミを呟きながら、脱衣室に到着。あと数秒で至高の憩いへ。

 というわけで、引き戸をスッと軽快に開けた先。湯気で曇っていた景色が晴れた途端に、俺の頭の中は一瞬にして突風に拐われるかの如く吹き飛ばされた。


「あっれ~······???」


 その光景は、森に棲んでいたときに読んでいた小説『あやしきは』の一節を再現したようだった。


『真冬の朝、一人の少女が瑞々しい肢体に雫を這わせていた。

 跳ねた長い黒髪は露の付いた葉っぱのよう、翡翠の瞳は陽光を通した葉桜のよう、背から伸びた蜉蝣かげろうの翅はハープの琴線を照らしたようだった。

 温かな瘴気を放出するそれは、正に、妖艶なる春の化身と呼ぶに相応しい。わたしは思わず、その実りへおもむろに手を伸ばす······。』


 うん、まんまこれだ。

 そう言えば、これって後はなんやかんやあって交尾にもつれ込んだんだっけな。


「えっ······―――?!」

「··················はぇっ?」


 女が俺を認識した。同時に俺も現実に戻る。

 真っ裸の妖精は、驚いたまま固まってしまった。取り敢えず、俺はゆっくりと浴室を出て引き戸を閉めた。


 ん~‥‥‥なんや、アレ???


 扉を開けたら、風呂場にの妖精って展開、現実的にあるものなのか?

 んなもん、そういう叡知の詰まった小説でしかあり得ないシチュエーションだろうが。

 『現実は小説より奇なり』って最初に唱えた奴、天才かよ。

 いやいやいやいやいやいや、そもそもここは俺の住宅、俺の巣穴、俺のプライベート空間だよな?!

 ここまでの道筋を鮮明に思い出す――――。


「うん、合っとる」


 いや待て待て待て待て。

 ここには俺しか居ない筈だろ? クレイがそう言ってたやろ?

 だとしたら、今のは幻覚? ディリュージョン??

 まあ、そんなとこだろう。

 そんなとこなのか?!

 待て、待つんだ俺。取り敢えず、落ち着こう。

 多分、完治したばかりで少し疲労が残ってるんだ。だとしても、脈絡もへったくれもあらへんがな!

 そう思って、再び引き戸を開けてみる。


「············いっ!!?」

「あぁ、はい、整いました」


 そして、再び扉を勢いよく閉める俺。

 検査結果――――紛うことなき完全現実リアル・オブ・リアルやったわ!!!

 なんつう異常事態だよ! なに、新しい住人!? っていうか、今度は洗いざらいになっていたっていうか、さっきの状態から動いてなくね? ずっと固まってたのか? 俺と目があった時点のまま、一時停止しとったんやけど?!

 ちゃうちゃう! しっかりしろ! 侵入されてんだぞ! 縄張り侵されてるんだぞ!?

 取り敢えず、得物を取れぇい!!――――······と、奮起しようとしたところで、俺は改めて全裸妖精の特徴を脳内に思い起こして確認した。


 妖精の女。

 跳ねた黒髪。

 翡翠の瞳。

 蜉蝣かげろうの翅。


「はぇ? ちょっと待って~よぉ?」


 よくよく考えてみたら、これ等の特徴ってお姫様じゃね? なんでわざわざ寮の風呂に?

 んー、訊こうにも今は気まずいから少し時間を置いておいた方がいいかなって――――なるかァァァァァァ!!

 あいつにはしこたま訊かなアカンことが仰山あるやろがい! 頭お花畑のくせして俺に隠し事をするとは、ええ度胸やないか!

 一発、シバいてやる。それで泣かして、二度と秘密だなんて大層な態度を取れんようにしたるわ!

 なんせ俺のことは俺のこと。納得したことならいざ知らず、蚊帳の外に放り出されたみたいでなんかヤダ!

 ここは、俺の、ナワ・バリ・ダー!!

 意を決して、三度みたびドアを開ける!


「お姫様、お前ぇ――――」

「いい加減にしてよー!!」

「ぶぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ――――!!?」


 瞬間、眩い稲光りと、鼓面が破けたような轟音と共に顔面にえげつない一撃が駆け抜けてきたように炸裂した。俺は部屋の外まで吹き飛ばされて意識を失った。

 起きたときには、俺は自室のベッドに寝かされていた。目を端っこにやると、いつものキャソック姿のクレイが背中を向けていた。なにやら慌てている様子だ。

 少し首を傾けて伺うと、耳元に掌サイズの魔法陣を展開して誰かと【通信】を交わしているようだ。


「もう、退院してたならしてたって、事前に連絡してくださいよ、タカネ先生!――――サプライズって、確かにある意味サプライズでしたけれど、仕掛けるにもタイミングと言うものを――――『すまん』で許されるなら区衛兵は要りませんて! 何を笑ってるんですか!? もしもお嫁に行けなくなる展開になったらどうしてくれるんですか?!――――え? ジンくんなら優しくするだろうって······ふぁ!? なんてこと言うんですか!! ませてません!!――――かぁ~、もー知りません!! むんッ!!」


 魔法陣を閉じて、クレイは重い溜め息をついた。【通信】の相手であるタカネの声は聞こえなかったが、頬を膨らませているあたりなんらかの悪ふざけに巻き込まれたってところか。

 あの女医。急に抱きついてくるわ、悪質なイタズラを仕掛けるわ、見た目の割りに一々子供っぽさが混じってやがる。

 クレイがでかくなったらあんな感じになりそうだ。旨い紅茶を淹れてくれる以外は、ホンマにやめてほしい。

 俺が欠伸をすると、クレイはようやく気づいてハッと振り返って咄嗟に俺の前まで来ては跪いた。


「ジンくん、その、ごめんね! いきなり殴ちゃって······。さっきのは、なんていうか――――」

「ええわ。痛ないし。諸悪の根源もわかってる。後でお返ししたるわ、あんの雌烏ゥ······!」

「ほ、程々にしてあげてね?」


 クレイの語気が弱い。お互いにハメられたとはいえ、俺に攻撃したことが相当に堪えているな。

 無理も無いか。クレイって、ビターチョコで塗り潰せないレベルの甘々お姫様だ。

 親切なのはいいことだが、いざってとき、やむを得ない事情のときは、例え仲間にも容赦なく手を出せるくらいの切り替えの早さは持ち合わせていてほしいものだ。

 かといって、それを平気でやられたりするのはちょっと嫌だな。ああ、めんどクセェ。


「あのタカネって医者、いつもそういう調子なの?」

「いや、あのひとはなんていうか、いつもはピシッとしてるのだけれど、最近はなんだかウキウキと言うか、ペースがおかしくて」


 通常時からあれじゃ俺もキツい。酒の匂いが少しもしなかった辺り、余計にたちが悪いな。


「でも、悪く思わないでね? タカネ先生はグラズヘイム全体で見ても、凄腕の治癒魔術の使い手だから」

「さっきまで手酷いを受けたばっかりで言われてもなぁ~」

「あはは、だよね~······」


 クレイは肩をシュンと落とした。

 いつになくへこたれているな。前に買い物に出掛けたときよりも空気が重い。

 こんなんじゃ怒るに怒れん。今さら、ぶり返すのもめんどクセェし。切り換えも利かない。

 ホンマ、めんどクセェな。


「裸を見られたくらいであんな過激にならんでほしいわ」

「うん······へ?」

「別に見られても減るもんは無いんだし、気にするだけ阿保らしいんだよ」

「······ふぅ~ん??」

「つーか、なんで俺の許可無く風呂入ってんだよ。今言うけど、お前、香りが強いの使っとるやろ? ああいうの、結構残るんだからな。鼻が使い物にならなかったらどうすんだよ!」

「悪かったわねェェェェェェ――――!!!」

「ぶぎゃッしやァァァァァァァァァァァァ――――!!!??」


 またも、クレイは突然拳に雷を纏わせて殴り掛かってきた。刹那の速さで反応できなかった俺は、脳天が二分するようなクリティカルヒットを喰らった。

 冗談抜きで頭がかち割れると思った。

 さすがに速すぎるな。女の拳骨は怖いって話はマジだったんだな。超クソ痛ぇ。


「もう、女の子相手に言っちゃいけないことを次から次へとと······! 私だって、頑張ったんだから! 掃除くらい出来るんだから! いつでも帰ってきていいようにって! 仕事に行く前に埃を掃いたり、水拭きしたり、終わったらお風呂でさっぱりしてから······またお見舞いに行こうって······ぐすっ、うぅ······」


 怒っている途中から、クレイは泣きそうになっていた。声が震えていて、怒りの他にも恐怖やら、悲しみやらが感じ取れる。

 こいつなりに気を遣っていたのか。こんなだだっ広い寮を、こいつ一人で?

 ホンマやとしたら荒削りなのも納得がいくし······――――いや。そもそも、こいつに嘘をつく器用さも無いか。

 俺はクレイの頭にポンと手を置いた。


「よくできました」


 森に棲んでいたとき、コボルトの母親が泣きじゃくる我が子にこうやって頭を撫でて宥めていた。

 見様見真似だが、怪我をした動物にこれをやると頭を擦りつけてきたな。牡鹿のときはめっさ怖かった。

 しかし、クレイは余計に大泣きしてしまった。それで何度も拳を振り下ろしてくる。

 トントン、と俺の胸板を叩く衝撃は途轍もなく弱い。だがまあ、悪い気はしなかった。


「ぐず――――もう、心配してた私がバカみたい」

「俺は死なへんて。心配するだけ無駄に疲れる」

「むぅ。励まし甲斐の無い」


 そうむくれながら、クレイは魔法陣から茶色い紙袋を取り出して差し出してきた。なにやら甘い匂いがする。

 手に取って中身を取り出すと、上面にチョコがたっぷりと塗りたくられた細長いパンだった。


「エクレアだよ。私が一番好きなパンで、中々手に入らないんだからね。特別だよ······って、聞いてる?」

「あま、ウマ、あま――――もがもが!」

「はぁ······。気に入ってくれた、かな?」


 俺はモグモグしながら親指を立てた。


「よかった――――っ······」


 なにやら、クレイは膝に頬杖をついて悩ましい顔になった。

 旨い飯を喰ってる時に浮かない面を見せられるとは、いい度胸だな。エクレアに免じて赦してやるが。


「どしたの?」

「ジンくん、実はちょっとまずいことになっちゃって」


 この空気は、考えられる難問はただ一つ。


「スヴァルって奴にバレたんだろ? タカネ先生から粗方聞いてるよ」


 俺はタカネから聞いたことを話した。だが、クレイの空気は晴れなかった。

 人差し指の先同士を付き合わせて、焦れったい。


「そっちもなんだけど······。騙してて、ごめん!」


 ······はぇ?


「カルス様に口止めされて仕方がなかったとはいえ、私はあなたに誠実じゃなかった。だから······本当に、ごめんなさい!」


 クレイは、性急に立ち上がって頭を深々と下げてきた。――――あぁ、なんだ。そっちか。

 初めて話をしたときも、こいつは自分の不甲斐なさを頭を下げて詫びてきたが、あの比じゃないな。

 誠実じゃないとかなんか勝手に泣きを入れているが、俺にはとっくにどうでもいいことだ。

 寧ろ、そうじゃないでしょ。


「別に、騙しとらんやろ。嘘を吐くのと真実を隠すのは全然違う。それに、お前なりに気を遣ってのことだってことはわかっとるし。謝んでええ」


 そう言うと、クレイは顔を反らした。向こう側で「えへへ······」と嬉しそうにしているのがめっちゃ聞こえた。

 それでいいんだよ。脳ミソわたあめ姫が。

 取り敢えず、この話は終いにして、二人で解決策を練ろうという話題に移す。少しして、クレイが自信満々に「はーい!」と子供っぽく快活に、大きく手を挙げた。


「私に名案があります!」


 えぇ、クレイの名案~――――???

 正直、あんまり頼りにしたくないんだけど、今のところ俺もいい案が思い付きそうも無いから、取り敢えず――――。


「······聞いたるわ」

「今の間はなにかな? そしてその妥協感満載の『聞たるわ』はなにかな?」

「別に。それより早く教えてくれよ」


 急かすと、クレイは腕を組んで鼻を高くした。


「フッフッフ、私の考えた名案。それは――――」

「······」

「あなたが私の“騎士„になるの!」

「······――――······――――······――――······――――はぇ?」


 思わず、瞬きが止まらなかった。

 今、こいつなんて言った?





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