勧誘【アンコニュ】




 北の大海に、厳然と浮かぶ島国が一つ。その名を――――"共生国家グラズヘイム"


 元は妖精によって築かれた小国であったが。太古の昔に勃発した空前絶後の大禍『神話大戦』終戦後のこと、初代“妖精皇帝オベイロン„の厚情により、外海から多くの人類人外が迎えられ、文化の一大交流地となった。

 そして数千年以上に及ぶ発展の繰り返しにより、妖精達の国であったこのグラズヘイムは、広大な国土を十三に分割し、現在では“世界最大の共生国家„として名を馳せるまでに至り、末永い人類人外の調和を獲得していた。

 そんなグラズヘイムは、三つの組織によって国政を成り立たせている。


 王族を筆頭にして政治を司る国の核。

 絶対王政機関『皇立政府セラフィム


 国の治安を守る区衛兵達が所属する正義の盾。

 領区保安団体『国防委員ケルビム


 ギルド職務を統括する協会指導者ギルド・マスターの集い。

 協会評議連盟『協議会ソロネ


 これらの三つがそれぞれ、グラズヘイムを支える柱として君臨し、護り続けてきた。

 その内の一つ、国で最も多く活躍しているのが『協議会ソロネ』の管轄である『学園ギルド』。王都を中心として点在する十二の各領地に一つずつ設置された、学園と協会ギルドの共同機関である。

 多くはこの場にて勉学に励み、良識と各業界へと羽ばたく資格を得るのだ。



 ++++++++++



 目覚めると、床についていた。

 覚えのある天井と覚えのある紙臭い空気。いつの間にか寝ていたらしい。

 あ~······頭痛ぇ~――――まるで高木から落っこちたみたいな、頭の中がガンガンとうるさい。

 これ、止める方法無いかな。

 あまりの辛さに気が滅入る。窓から見たお空はまっちろけ。若干青が覗く。


「今朝は曇りか」


 身体が重いわ、目がチカチカするわ、取り敢えずなんか全部がめんどクセェ。指一本動かすのさえ、めんどクセェよ。眠気が絶えへん。


「寝よ」


 取り敢えず横になって目蓋を閉じる。


··················いや、いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、いーやいや、いやいや、いーやーいやーいやーぃーやい、ちょっと待って~?


 違和感に気づいて起き上がって周りを見回す。

 栗色のギャンベゾン姿の妖精属フェアリーの女が、ベッドに突っ伏して寝ている。長い黒髪はクセッ毛で、カゲロウの翅。

 初めて見た気がしない。思い出そうとすると、頭の中でズキッと鐘が鳴りやがる。手をやると、頭の周りに包帯を巻かれていた。

 視線を下ろすと、上下麻色の服が俺の体を包んでいた。なんの動物を使っているのかは知らないが、もふもふしていて気持ちがいい。

 取り敢えず、順々に解きほぐしていこう。

 まずはなんか寝ている妖精属フェアリーの女。俺は多分、こいつのことを知っている。"陰"を出した所為で記憶が曖昧だ。後に回そう。

 次に俺は確か外にいた······と思う。少なくとも、小屋から出たことは覚えている。こいつに運ばれたのか?

 取り敢えず話を聞こうと思ったが、香ばしい匂いがして気が変わった。妖精の近くから匂ってくる。見下ろしてみれば、彼女の横に茶色い紙袋が置いてあった。

 恐る恐る手にとって、紙袋の中身を覗いてみる。淡い茶色の何かがいくつか入っていた。掌に収まるほど小さいそれは、一見すると木材を加工したもののように思えるが、感触が全然違う。

 艶々した触り心地で、鼻を近づけると仄かに甘い匂いがする。特に、焦げ跡かと思っていた黒いところは、一際甘味が強い。

 もしやと思って軽くちぎってみれば、黒く固まったものと共に白いふわふわが現れた。


「これってまさか······パン?」


 本で読んだことがある。

 小麦粉やら卵やらを混ぜてはこねくり回して、窯で焼いたら出来上がるっていう“料理„の一つ。

 こうして見るのは始めてだ。


「これが、パン······」


 俺は感動した。森では材料も道具も無い。だから、一概に料理と呼べるものは本の中にしかない架空の代物としか思えなかった。まさか、パンを手にする日が来るなんて。夢にも思わなかった瞬間だ。

 カリカリしている茶色の外皮にちぎるとふわふわな感触。特徴からして、クロワッサンってやつか。

 白い生地に収まっている黒いのは、これまた文明の成した逸材、チョコレートだ。

 未体験をぎゅうぎゅう詰めにしたような宝箱が、俺の手に収まっている。


「······いいのか? 食って、いいのか?」


 唾液を喉に片して、いざ、口に招き入れる。

 もしゃっ、もしゃっ――――パリパリ、と生地が破ける感触が歯に伝わってくる。同時に、コリコリとしたチョコの固い食感と甘味が、柔軟な生地と共に広がっていく。噛む度にそれらがぐちゃぐちゃになり、されどより味が混ざって咀嚼が飽きない。堪能して、喉に通してもまだ、余韻が騒がしい。


「ウんメェ~!」


 今まで、果物や野草、たまに襲いかかってきた敵の肉を剥いでは焼いて食い繋いできたが、中々どうしてこの充実した幸福感。今までに、感じたことのない感覚だ。

 美味しい。

 旨い。

 甘露。

 これが文明の御業みわざというやつか。けしからん。誠に、けしからんえこいつは······。


「これは、やめられないよ」


 気がつけば、俺は紙袋が空になるまで喰っていた。森で食べていた木の実とは違ったいやらしい甘味と香ばしさに、俺の舌と腹が満たされる。

 勝手に喰っちまったけど、置いてあったんだから仕方がない。だから、俺は悪くない。


「ん、う~ん······」

 

 妖精属フェアリーが動いた。目を擦りながらゆっくりと身を起こして、若い葉っぱのような翡翠色の清んだ瞳と目が合う。


「ああ、やっと起きた。よかった」


 女は俺を見て、胸を撫で下ろした笑った。

 安心しきった口調に親しみのこもった笑顔から察するに、敵対意思は無いようだ。無防備が過ぎる。

 そもそも、誰だっけ?

 

「もう三日間も寝っぱなしだったから、心配で眠れなかったよ。ふわぁ~」


 にしてはぐっすり寝息を立ててたよな?――――いや、そこじゃない。――――三日間も寝ていたって、俺がか?

 俺は疑問を解消するべく、取り敢えず声をかけてみる。


「なあ」

「ん?」

「あんた、誰?」


 そう訊いた途端、女の笑顔と空気が固まった。


「えっと、覚えていらっしゃらないので······?」

「知らん」

「即答ッ?! ショックぅ~······」


 うるさいな。パンで和らいでいた頭痛がぶり返した。

 取り敢えずは苅って黙らせるか?


「では、改めまして。私は、クレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエ。あなたの味方だよ」


 妖精は自身の胸に手を当てて自己紹介した。

 途端、鐘を鳴らしたように頭痛が響いた。そして、脳裏から記憶が湯水の如く涌き出てくる。


 『クレイ=ドゥージェム=フードゥルブリエ』

 『あなたの味方だよ』


 ――――これらには聞き覚えがある······――――そうだ。そうだそうだ、そうだ! 森に入って来た冒険者だ。カルスの側にいた深傷を負った女妖精。

 俺は急いでベッドから飛び退き、窓から出て距離を置いた。そして身を屈めて、臨戦態勢を取る。


「ちょっ、そんなに警戒しないでよ。私は敵じゃないから! 言ったでしょ? 味方だって」


 女はひどく焦っていた。「どうしよ、どうしよー!」と繰り返し、頭を抱えて慌てふためいている。

 そう言えば、カルスも「敵じゃない」と叫んでいたな。少なくとも、危険は無いんだよな······。


「あァーーーー!!」


 突然、女は窓に乗り上がって空っぽの紙袋を指差して見せつけてきた。


「これ、食べたのあなただよね?! 私のパン!」

「ッ······?」


 取り敢えず、俺は軽く顎を引いて肯定する。女は嬉しそうに「うん、うん!」と首を強く縦に振った。

 まさか、あのパンに毒を仕込んで――――!?


「これ、私の大好物なんだ。パン・オ・ショコラって言ってね。まさか、全部食べちゃうなんて、少し予想外だったけれど······」


 女は笑顔のままだが、少し残念そうにしていた。

 よっぽど、喰いたかったんだな。――――ん? 喰いたかった? なら、毒は無いのか? 大好物って言っていた辺り、まさか一緒になって喰おうとしてってことなのか? ······“„に?!


「もしかして、分け合いたかったのか?」

「え! いや、ううん。別に、そう! 別にいいんだよ! うん! それでいいの! はーいッ!」

「めっちゃ動揺しとるがな。目、泳ぎすぎ」

「だから大丈夫なんだよ!――――それより、全部食べてくれたってことは、それだけ気に入ってくれたってことなんだし。でしょ?」


 またも窓に乗り上げて訊ねてきた。

 やけに期待している感じの目の輝き様に、俺は警戒を解いて「ああ」と答えた。すると、女はここへ来て一番にこやかになった。


「嬉しい。よかった!」


 こんな変な奴だったのか。森で会ったときは、負傷していたこともあって結びつかない。

 しかも、敢えてなのか本気マジなのか、鈍い。殺意とまではいかなくても、少しは敵意を向けていたつもりなのに。こいつはそれをガン無視してやがる。

 まるで危険を知らない純真無垢な子供、いや、それよりも幼気だ。この警戒心の乏しさは、無知蒙昧な赤子の方がよく浮かび上がる。


「あ、ごめん! いきなりこんなこと言われても、わけわかんないよね。アハハ······」


 落ち着いた女は、顔を赤くしてゆっくり窓から降りていった。

 寄ったり離れたり、騒いだり静かになったり。何がしたいんだか、言っている通りわけがわからない。

 ここまで来ると、なんだか阿保らしくなって気が抜ける。


「はあ、調子狂う。あんた、とろくさいとか、性格が面倒とか、よう言われるでしょ」

「急に何! 前者はよく指摘されるけれど後者は少しヒドすぎない!?」

「キーキーうるさい。取り敢えず、話、聞かせてくれる? 俺をここに置いてる理由と、ここから俺をどうするのかさ」


 観念というよりも諦観。気力が失せた。取り敢えず、俺はベッドに戻る。

 クレイと名乗るこの妖精属フェアリーによると、デリーとメイザースという二人組の悪党と戦っていたところを俺とカルスに激突。その後、なんやかんや一悶着あって俺はデリーに捕まえられた。――――ここまではなんとか思い出せた。その後は"陰"を出してしまったからよく覚えていないが、二人は俺が倒したらしい。

 俺が捕まってからの話をしているときのクレイは、なぜだか目を合わせてくれず、歯切れが悪かった。

 俺を恐れているのか。二の腕を擦りまくって、何をびくびくしているのやら。


「森は?」

「消火が終わって、今は兵や冒険者が協力して緑化活動に励んでるわよ。カルス様も落ち着いているし。いい感じに一件落着ってところね」


 敵を倒すことは出来ても、あの大火を収めるのは流石に無理だった。クレイがいなかったらと思うと、耳の毛がぞわぞわする。


「成る程な。取り敢えず、感謝するよ。ありがとう」

「とりあえずって。礼を言うのは私の方だよ。私がヘマしたから、あなたとカルス様を巻き込んじゃった。ごめんなさい」


 やんちゃそうなのに、これまた違った印象だな。誠実っていうやつか。

 正直、驚いた。こいつはこいつで頑張っていただろうに、俺はそれを知らずに痛めつけた。それには怒りを覚えないどころか、事の全ては自分に非があると頭を下げている。

 クレイの性格は分かりやすい。言動の一つ一つ、一挙手一投足が真っ正直だ。

 性格診断は趣味じゃないが、こいつは呆れる程のバカだ。妖精は頭が回るし、知恵もある。総じて賢い。なのにこのクレイという妖精は、まるで頭の中がお花畑でも広がっているようだ。

 それ故に信じてもいいと思ったのかもしれない。こういう良くも悪くも純粋な奴が、俺は嫌いにならない。

 取り敢えず、クレイの頭に手を置いて言う。


ツラ、上げなよ。俺に他人の旋毛つむじを見る趣味はない」

「お······怒ってない?」

「ちっとばかし」

「ひぃ!」

「けどさ。俺は面倒臭がりだから、あんまり怒らないようにしてるんだよ。無駄に疲れるしな。それに害意があったなら話は別だが、そういうんじゃないんでしょ?」

「······うん」

「そやったら赦す。清算は済んどるし。手、大丈夫?」

「あー、うん。この通り。平気だよ」


 妖精の手は綺麗だった。手もだが、全身が綺麗すぎる。傷跡一つ残っていない。

 治療魔術で治したのか。だとしたら凄まじい練度だな。

 一通り把握し終えた。取り敢えず、本題に入ろうか。


「で、なんの用?」

「むっ······?!!」


 一瞬、クレイはギクリと全身を強張せた。

 こんなにも図星をさされて露骨に反応するとか、絶対に嘘つくの下手だぞ、こいつ。


「えっと、どーしてそんなことを訊くのかな?」

「勘」


 そう答えるとクレイは顔を青くした。

 かなり渋るな。それだけ面倒な御用があるようで。

 あまりに口を開かないものだから、クレイの頭に両側からぐりぐりと拳をめり込ませる。クレイは「ぐぎゃァァァァァァ!!」と、面白い悲鳴をあげた。

 気が済んで一度解放する。


「急になにするのよ!」

「なんも言わへんさかいに、抉じ開けようとしただけだろうが」

「だからって、加減してよ! 頭がへこむかと思ったじゃない!」


 たん瘤のできた両側頭部を押さえながらクレイは喚いた。


「なんなら、へこませてもよかったかもな。そんなくしゃくしゃ頭じゃわからないだろ」

「うぅ······ヒドイよ」

「んで、答えてくんない? なんの御用があって、ここにいるんだ? 一応言っとくけど、今俺はお前を信頼している。ほら、言いな。第二皇女様」



 ++++++++++



 めっちゃ緊張するー! 見た目も動きもキレイなのに、言動が全然予想できない。

 私が事前に考えたファーストコンタクト――正確にはセカンドコンタクト――が完全に無駄じゃん。もう跡形も無く破綻しちゃったじゃん! もー!

 半ば混乱していたからとはいえ、レディ相手にあそこまで殺意マシマシに吹っ掛けてくる、フツー?!

 初対面で躊躇なく手を踏んづけてきたから何と無く思っていたけれど、この野ウサギさん、扱いを少しでも間違えると誰彼構わずに噛みついてくる。

 あまりに容赦が無さすぎる。

 挙げ句に着替えさせている時に気付いてしまったのだけれど、まさかまさかの男性だったなんて! 色々と反則過ぎるでしょ! お陰で妙な敗北感が胸の内に燻ったよ! チクショー!!

 ジンテツ・サクラコ、予想外な暴虐さと意地の悪さを絶え間なく見せてくる野ウサギ。底の知れない野蛮さと、身分をガン無視する容赦の無さ。

 正直、魅惑的ではあるけれど、ちょこっと苦手なタイプだ。

 いやいや。弱音は吐いていられない。こういう相手には、弱味だけは絶対に悟らせてはならない。

 恐いけれど真正面から挑むしかない。彼の気性を理解した今、ここからはほとんどノープランだ。


「あなた、冒険者にならない?」

「はぇ?」


 目を細めて訝しまれた。藪から棒にこんなことを言われたら、そんな反応になるわよね。


「カルス様から頼まれたのよ。あなたに森の外に連れ出してほしいって」

「カルスが? 本当に?」

「そう、だよ······」


 私はカルス様とある契約を交わした。

 それは『ジンテツ・サクラコの暮らしを保証すること』。代わりに、カルス様は『焼失した分の樹々を木材として贈呈すること』を引き出してきた。

 精霊にとって『契約』という言葉は命より重い。そこまでしなくていいと言っても、カルス様は聞かなかった。仕方がなく、了承することにした。

 彼のことは大体知らされている。記憶が無くて、魔力を微塵も宿していないことも。

 カルス様が知っていること全て。そんでもって、この野ウサギさんがかの悪名高き“黒霧の怪物„であることも実際に目にした。

 ちなみに本人は自覚していないらしく、知らせないまま接してほしいとのこと。

 善悪の境は無いけれど、雰囲気からして悪い輩ではない。本来なら区衛兵に突き出さなきゃいけないのだけれど、何よりも純粋故に心の良し悪しに敏感な精霊が一年もの間擁護していたのだ。

 ならば、私は仲間を騙してでもこの野生動物を保護して、カルス様の祈りに応えなければならないのだ。

 だからお願い。食いついて。


「理由は?」

「え?」

「冒険者にする理由だよ。いくらカルスの頼みでも、伸るか反るかは俺が決める。根っ子まで引きちぎりたいって言うなら、それ相応の理由を引っ提げてみなよ」


 ジンテツは静かに威嚇してくる。

 あの夜程のプレッシャーではないけれど、これはヤバすぎる! 相手にしているのはぴょんぴょこかわいいウサギさんの筈なのに、クマさんに睨まれている感じだよ!?

 けれども、話を聞く気があるのは僥倖だ。カルス様に言われた通り、名前を出したら従順になった。

 いけるかもしれない。勢いのままに突っ込む。


「まず、あなたは『冒険者』って職業にどんなイメージを持ってるの?」

「外から来ては無遠慮に森を歩き回ってる邪魔な奴」

「なんかごめんなさい」


 思わず謝罪してしまった。冒険者になってここまで悪い評価を受けるのは初めてだわ。

 ヒドすぎる偏見ね。なんて思ったけれど、野生育ちならそんなものか。

 まずは悪印象の払拭からしておこう。


「冒険者っていうのはね、家庭的な雑用から悪者退治までいろんな分野に対応する人材派遣業だよ。元々は、戦争とかで流浪の身になった傭兵が始めた代行業とか介護とかが基盤になっててね。それが積み重なって、今では国民に欠かせない大きな組織になったってわけ」

「要するに、幅広く活躍の場が多く設けられるけど、その分求められるスキルも多い。上手く嵌まれば遺憾なくそれらを発揮できるから、俺みたいな暇を持て余している奴にはうってつけと」

「あ~、うん。そう。そうですね······」


 理解が早くて大変助かるのだけれど、そんなにさらっと纏められると私の方がバカだと思えてくるのはナゼでしょう?


「そう不安になることもないよ。私の見立てなら、あなたならほんの半月くらいで立派に冒険者としてやっていけると思うわよ」


 ただし、問題を起こさなければね。


「別に不安は無いよ。言い分は理解した。聞き足りない部分は、実際に入って学んだ方が手っ取り早い。けど、少しばかり買い被りすぎてない?」

「っていうと?」

「あんたは俺をどこまで知ってる?」


 ジンテツは私の目を窺うようにして訊いてきた。

 ここで、カルス様に言われた注意点を思い出す。

 彼女が言うには、ジンテツが第一とするのは自身の身がどれだけ軽くなるかということ。つまりは、自主的ならともかく他者から圧力をかけられることを激しく嫌う。それでいて提案事になると、まず自身の理解度について問うてくるだろうからそれを加味しつつ、個人的な評価を取り繕わずに答えた方がいい。

 まさしく、野性の反骨精神ね。扱いが厄介だ。

 こういう輩は自分の力に絶対的な自信を有している。慢心とも取れるけれど、彼の場合はデリーとメイザースとの戦闘を見ればそれだけで上辺でないのは一目瞭然。

 なにより、『取り繕わず』とある辺り、物事の本質を粗雑ながらも選り分けられる“理念„を持ち合わせているとも汲み取れる。

 難しいけれど、こういう人物なら相手をするのは得意だ。どんなに性格が意地汚くても、真正面から見てくれる人は言葉をちゃんと受け取ってくれるから。


「あなたは悪い奴じゃない。良い奴とも言えないけれど、どちらかと言えば優しい方。正直危なっかしくて怖いけれど、嫌いじゃないわ」

「······なんでだ?」


 目付きが少し柔らかくなった。もう一押しかな。


「あなたって結構、面倒見がいいでしょ? 去年より森の空気が生き生きしてる。これまたカルス様から聞いたのだけれど、あなたが世話をしているのよね? 立派だよ」


 これが、私なりの『ジンテツ・サクラコ』という野ウサギさんの認識。

 適当ではない。カルス様の療養もだけれど、ここ北東の森から植物の状態や動物の気性が穏やかなだったのだ。明らかに誰かの手が加えられている。

 近くに集落が無い北東の森でも、この心安らぐ空気は偉大な自然の力でも厳しいと思う。

 それに小屋の中も、棚の本が逆さまで並べられているのが、読みにくくないのかなって気になったけれど、これは『倒す→開く』と速やかに読めるよう工夫しているんんだとわかって感心させられた。

 多分、居心地を良くしようとしたのが、奇しくもその他に幅広く影響を与えたのだろう。

 カルス様以外の森の動物達も好評が多い。集落の方々からしたら、罠が空だったり畑の食べ物がいつの間にか無くなっていたりと、まあまあ被害に遭っているみたいだけれど。それもまた、動物達の身を思っての行動――――なんて理由だと思っていたけれど、本人としては散歩の邪魔だとかで撤去しただけらしい。

 集落の住民達からしたら散々な理不尽ね。

 図らずもこんな環境を整えられるものはそうはいない。しかもほぼ一人で、魔術も使えない身で。

 とても最恐の怪物だなんて思えない。そう呼ぶのは、彼に恐れ慄いた何も知らない・・・・・・敵だけ。そうでない者からしたら、森を護ってくれる守護者。

 恐怖と尊敬は方向こそ違うけれど、本質は同じものだと私は思う。どちらも、常軌を逸した力を持っているからこそ、高く高く祀り上げられる。あとはその力をどう扱うかで決まる。

 熟慮、というか事実から言って、ジンテツ・サクラコは自力で居場所を整え、周囲を良い環境に変える為に力を使う。だから私は、冒険者を勧めたのだ。


「きっと、あなたなら誰かの為に動いて、多くの人の役に立てる。私も、カルス様もそう信じてる。それに私には夢、というか“幻想„があるから」

「幻想?」

「うん。私がいるというだけでみんなを安心させられて、いろんな人類人外が幸せに暮らせる世界を作るの!」


 子供の頃からずっと胸に懐いていた。これを聞いた人は、大抵笑っているのだけれど······――――ジンテツはちっとも反応しなかった。人物画みたいに表情に動きが無い。そういうのが一番不安になる。


「えっと······なんか、リアクションしてくれないかな?」

「············――――はぁ。期待はしいひんといてよ?」


 かなり間を開けて答えてくれた。


「それって······」

「ああ。ついていったる」


 しんみりとした様子なのが引っ掛かるけれど、とりあえずは説得には成功した。

 これならカルス様も喜んでくれるだろう。


「じゃあ、誘いにはオッケーってことで。了承して貰えて早速なのだけれど~······」

「今度はなんだよ? まーた、他にめんどクセェことしなきゃなの?」


 嫌な予感を察したみたいで、ジンテツは眉をひそめた。

 そう。お察しの通り問題はここからなのだ。


「森の外に城壁で囲われた街があるでしょ? 冒険者をやるとなるとそこで暮らすことになるのだけれど、住民になるには戸籍登録する必要があってね。そのとき、出身地や個人の魔力を記録する必要が······」


 個々人の魔力には絶妙な差異がある。出身地はともかくとして、魔力を測定するとなると誤魔化しは絶対に通じない。

 ジンテツには例外的に魔力が無いから、下手したら私の紹介でも野良魔物クリーチャーと判断されかねない。そうなれば、冒険者になるどころかおたずね者だ。

 しかも、先日の騒ぎでまた黒霧の怪物が注目され出している。バレれば牢獄行きは免れない。

 それだけは絶対に避けなきゃ。


「一応、一つだけ対策が考えているのだけれど······怒らずに聞いてくれる?」


 そう言うと、ジンテツはベッドから立ち上がって鍔の無い東洋剣を手に取った。


「ムッシュー? 一体全体なんの真似でしょうか?」

「『怒らず』ってことは、今からお前は俺が怒るようなことを言うってことだよね? だから怒る準備をした」

「······で、言って、怒ったら?」

「斬首」

「極端ッ!! アンサーのリスクが極端すぎる!!」

「安心し。峰打ちでやるさかいに。マジで首は飛ばんて」


 言いながらジンテツは抜剣して、近くに置いてあった蝋燭に振った。すると、蝋は忽ち折れた。


「······マジ?」

「マジのろん。ほら、言うてみ言うてみ」

「カァ~······」


 ジンテツの目は凄まじく冷めていた。

 こんなにも期待も何も無いような空虚な眼差しは、専属のメイドを思わせる。彼女も皇女わたしに対して容赦が無くて、何かしら不愉快なことがあると鞭を打ってきそうで恐い。――――実際に振るわれたことは無いけれど······――――これは本気のやつだわ。うん。覚悟を決めなきゃいけないやつだわ。

 私は一度深呼吸をしてから答えた。


「私の奴隷になって――――びゃふん!?」


 間髪入れずに叩き込まれた。雷が直撃して頭が割れるような痛みに涙を流しながら、治癒魔術をかける。

 念の為にひっそりと魔力で身体強化していたのに、丸っきりガン無視してきた。やっぱり魔力が通じてないのね。――――反則過ぎるって······。


「何を言い出すかと思えば。いっちばん、下らねぇ答えを出してくれやがったな?」

「一応、言い訳をさせていただくと······これ、ロガさんっていうまあまあ偉い冒険者に提案されてね。奴隷になれば、商標で代用できるかもって話で」

「だとしてもだ。俺は縛られるのは嫌いだ。首輪つけて、檻に入れられるなんざ、御免だね」


 やっぱり不満はそこか。

 世間一般では、奴隷というのは生物の在り方としては最底辺の身分。地域によっては、散々酷使されて最後はゴミみたいに無情に捨てられてしまう。

 けれども、グラズヘイムではそんな扱いはタブーだ。


「こっちでいう奴隷は、元は野良魔物(クリーチャー)だったのだけれど、更正に成功して社会復帰できるとみなされた模範囚だけがなれる特別報酬? みたいなやつなの。だから、悪い意味は特に無いんだよ」

「どのみち、腫れ物やん」

「そう言われると庇えないわね。でも、大丈夫。生活は保証するわ。身元引受人にさっき言ったロガさんが、監督責任被譲渡者には私がなる。美味しい食べ物、温かい住処に、ふかふかなベッド。その上、冒険者になれば収入を得られて今以上に平穏・・な暮らしを送れるわよ。気が向けばいつでもここに来られるし」


 尚もジンテツの眉間にはしわが寄っている。けれど、さっきよりは和らいだ。平穏な暮らしにピンと来ている。

 案外、耳は動かないものなのね。


「どう? 魅惑的じゃない?」

「それを決めるのはお前じゃない。一日だ。一日、猶予が欲しい」

「ぱっとしている割りには、優柔不断なのね」

「環境が変わろうってんだ。備えくらいはいるやろ?」

「まあ、確かに。ごもっとも。じゃあ、明日の朝。北の街路に馬車を置いて待ってるから。その時まで、またね。――――助けてくれて、ありがとう」


 私は静かに小屋を出た。そのとき、「うん」と小さく頷く声がした気がするけど、

 森から出るって話したとき、少し意外なリアクションだけれども、とりあえずは御納得戴けたようで何より。

 誰だっていろいろと考えるには時間が必要なんだし、一日くらいそっとして彼の中で気持ちが纏まるならいつまでも待ってあげる。

 それにしても、魔力を微塵も宿していないなんて、何かに呪われているのかしら――――なんて思ってたのだけれど、そんな感じは全くしなかった。

 カルス様は彼が周囲で嫌な目で見られると危惧している。私もそう思う。

 きちんと、サポートしてあげなきゃ。


「ん~······頭のズキズキ、今日中に引いてくれるかしら」



 ++++++++++



 クレイがいなくなって、半日くらいが経った。空は晴れて、茜色の光が窓から入ってくる。

 冒険者になるなんて想像もつかなかったな。森から外の生活も然り。縁が無いものだと思っていたのに。


「悩んでいるのですか?」

「······カルスか」


 壁の組み木をかき分けてカルスが入ってきた。この小屋はカルスの生んだ樹木で出来ているから、腹の中も同じだ。だからと言って――――


「扉から入ってこいよ」

「うっ! すいません······」


 カルスの肌は潤っていて、髪もドレスも緑色と出会ったときよりも若々しく見える。


「元気そうだね」

「お陰様で。冒険者の方からは定期的に治療を受けていましたし。不届き者の仕込んだ毒もすっかり抜けて、この通り。ぴんぴんしています」


 言いながらカルスは軽く一回転した。


「さてと、先程の続きです。何を迷っているのですか?」

「迷ってる、ね······」


 多分、混乱しているんだ。今までに無かった変化に、どう対応していいのかわからない。

 言われるままに流されて、果たして大丈夫なのだろうか。何か裏があるのではないか。勘が働きまくって、つい決断力が欠けちまってる。


「もしかして、心配してくれてるのですか? 森のこと」

「············」

「もしそうならば、ありがとうございます。けれど、その必要はありませんよ」


 カルスは隣に腰掛けてきて、俺の手に優しく重ねた。


「正直に言えば、あなたにはここに居て欲しい。けれど、それ以上に自由でいて欲しいのです」

「俺がいなくなっても大丈夫?」

「侮って貰っては困りますね。これでも神に次ぐ神聖なる人外、精霊なのですよ? それを抜きにしても、この大森林から野ウサギがたった一羽いなくなった程度で、枯れはしませんて」


 優しげな笑みで、穏やかな口調で、強かな言葉を紡ぐカルス。

 こいつにとって俺は他の動物と変わり無い。要はいつかは巣立つって話。今がその時ってやつだ。

 もう、ミスリル大森林は俺の居場所じゃなくなる。この胸に穴が空く感じが寂しいってやつか。――――······無くなっちゃうんじゃ、新天地を探さなきゃな。

 寂しい? 阿保抜かせ。寧ろこれはいい機会じゃないか。本の情報からしか得られなかった外の世界に飛び出すんだ。そして、俺だけの縄張りを作る。

 冒険者には興味は無いし、めんどクセェが気に入った。

 翌日、言われたところに来るとクレイが仁王立ちして待っていた。その勇ましい笑みは「やっぱり来た」、とでも言っているようで自信に満ち溢れていた。


「来てくれると思ってたよ。嬉しいわ」

「そいつはよかったな」

「なによ。クールぶっちゃって。やっぱり、寂しい?」


 引け目を感じると途端に顔を暗くするクレイ。

 そんなにころころ面相を変えられたら、俺としても反応に困るんだよな。まずはこいつの空気に適応しないと。


「別に」

「そう。それじゃあ、はい‥‥‥」


 目を反らしながら、クレイは一組の鉄製の腕輪を渡してきた。

 隷属輪具スレイブリングだ。これを装着して少しでも魔力を練ろうとすると、忽ち手首を絞めつけられるんだっけ。

 東洋の大国“華膳かぜん„の伝奇『西天玄参』に出てくる猿王美昊えんおうびこうって傾奇者の猿神が、坊さんからの戒めでこんなのを付けさせられていたな。

 重くはないが、思っていた以上に窮屈だ。――――そりゃそうか。だって俺は実質的にこいつの奴隷になるんだから。首輪じゃないだけマシと思えばいい。


「さてと。いこか」

「まって。一応、聞いておきたいのだけれど、あなたって服はそのヒマティオンしかもってないの? 荷物とかは?」


 視線を上下させながらクレイは訊いてきた。

 なにやら、怪訝そうな眼差しだな。


「寒さにも暑さにも強いし。替えはカルスに頼んでたからね。これ以外は無い。荷物も同様。俺にはこれがあれば十分だ」

「そう。わかったわ。じゃあ、行きましょ」


 悩ましそうにしていたクレイだったが、すぐに切り返して俺を馬車のところに案内する。舗装された道に出て、森と平野の境目に堅牢なケンタウロスが引いている馬車が見えてきた。

 クレイが先に乗って手を差し伸べてくる。俺は掴み取って、馬車へと足をかけた。





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