陽に哭える【コンセルト】




 オーガンとの対峙から十五分程度をかけて、ジンテツ達はビル・ヒューキの監督するパーティと合流した。全員無事で、取り敢えず安堵の空気が流れる。

 受講生達が安息を噛み締めている内に、フェリヌスとビルは離れたところで今までにあった事柄を共有していた。


「そちらは大事無かったか? ビル」

「ああ、問題は、無い。少々、精神が参ったガキが数名程度。あとは、なにかに襲われたということはない」

「そうか。一先ずは、安心してもいい。こっちは、あのジンテツ・サクラコがやってくれたよ」


 ビルは首を傾げた。


「そいつは確か、魔力が少なすぎる上に問題児って有名な人兎属ワーラビットか?」

「ああ。私達は彼を見くびっていたようだ。ここに来る途中に敵と遭遇してな。私ですら足がすくんで動けなかったのに、サクラコは単独で悠々と倒したんだ」


 ビルは目を見開かせ、「信じられない」と言いたげな様子だった。


「気持ちはわかる。私達の世代でも似たような奴がいたが、すぐに学園を辞めてしまった。だが、彼は違う。紛れもない逸材だよ」

「ただの場違いと思って、見ていたんだが。お前がそこまで言うなら、信じてもいいようだな。で、そのサクラコはどうかしたのか? なんだかへたりこんでるようだが」


 当のジンテツは両膝を抱えて縮こまっていた。なにかぶつぶつと小言を呟いていて、なにやらただならない様子でビルは心配していた。


「ああ、実は――――」


 フェリヌスは複雑そうに頬を掻きながら訳を話した。

 先程の話に挙がった出来事の後で、対峙した敵を倒したらその肉体が消滅してしまい、「昼飯がぁ~······」と弱々しい声で嘆いて、そのまま意気消沈してしまったのだ。


「なんだ······その、アホらしい挫け方······。というか、昼飯って?」

「私も、同じこと思ったが、どうやら本人はマジで敵を昼の献立にしようとしていたみたいで」


 言ってるフェリヌスも、改めてなにが起きてるんだ? といった疑念が再燃した。

 その後も、ヴェルゴーニャのことや、ピットのこと、さらには現在見回れている現象についての諸々の情報を報せた。

 ビルは聞く度にコクりと小さく顎を引いて、面相を険しくさせていった。


「知らずに潜入していた野良魔物クリーチャーとほの加担者に、迷惑の森ミュルクヴィズ、臓物の魔獣。解決するには、俺達だけじゃ手に余るな」

「やはり、そう思うか。ストライク嬢がいてもか?」


 ビルは天を少し仰ぎ見て答えた。


彼女あれは曲者だからな。クレイ嬢と同世代で、絶大な魔力大砲のカイン・ナッツレールと肩を並べる【真珠兵団パール】最強の三人。“真珠三卿精トロワ・ペルル„の一角。しかし二人とは違って、掴み所が見えん。シビアな思考の持ち主であるから、ろくでもない決断を下すかもしれない。俺としては、あまり頼りたくないな」


 フェリヌスは渋い顔になった。

 真珠三卿精トロワ・ペルル――――第二皇女クレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエ、カイン・ナッツレール、そしてこの場に無いパーティを監督しているスヴァル・ストライクの三名を総じた敬称だ。

 いずれも同世代で、学園ギルド【真珠兵団パール】の歴史上でも類を見ない好成績を叩き出した優秀な三人。その為、他の区の冒険者からも一目置かれ、立ち位置も通常の冒険者よりも些か有利である。

 中でも、スヴァル・ストライクという霜の妖精ジャック・フロストは、知る人によっては現状【真珠兵団パール】で最強格として推されている。

 普段の性格は明るくて飄々としているが、中身はまるで冷血そのものであると恐れられてもいた。

 なにも、フェリヌスもビルもスヴァルのことを嫌っているわけではない。『スヴァルは苛烈な価値観を持っている』ということを留意しての懸念だ。

 二人共、それなりにストイックな考えを持っているが、スヴァルと比べると甘く聞こえてしまうぐらいに、彼女のシビアさには畏怖を懐かずにはいられないのだ。

 ジンテツ・サクラコは確かな実力を持っている。だが、オーガンとの戦いを一部始終見ていたフェリヌスからすると、余裕から来る奢りよりもどこか自分を奮い立たせているような姿勢も垣間見た気がした。

 それがスヴァルにどう写り、どう聞こえ、どう印象付かせるのか、想像すると怖くて堪らない。

 無意識に、唾が喉を通り越す。


「なにがともあれ、まずは合流を第一に考えよう。話は追ってすればいい」

「そうだな、ビル。もう少し休んだら出発しよう」



 ++++++++++



 受講生達は、それぞれで励まし合っていた。特に動いていたのはリングエルで、オーガンの体臭に侵されてしまった者達のメンタルケアを積極的に行っていた。

 その様子を、シェリルは誇らしい心境で温かい目で眺めていた。時折、別の方へ向くこともある。

 食糧を取り逃してへこんでいるジンテツの方だ。

 シェリルは先程の彼とオーガンの闘いを見て、不可思議な想いに見回れていた。誰もが恐怖し、慄然としていたのに、たった一人、ジンテツだけが立ち向かった。

 言動に勇猛果敢さを微塵も感じなかったが、シェリルは赤の他人に対して初めて、頼もしさを強く感じた。それを見てからは、ジンテツに目をやるときだけどういうわけか心臓が高鳴るようになってしまった。

 頬にも火が灯ったように熱く、視界に入れるとキラキラと輝いて写る。オーガンの毒気がまだ抜けきれていないのかと疑ったが、リングエル含め他に対してはそういった反応にならない。

 ジンテツに限って、そう感じてしまう。


「シェリル、大丈夫?」


 気づけば、リングエルが目の前で飛んでいた。心配そうに目をうるうるとさせて、シェリルを見ている。


「へ、平気······」


 シェリルはリングエルの顔を見れないでいた。

 彼女が親しくしていた野兎を、嫉妬や対抗心から一方的に嫌悪した。あの時は非礼を感じていなかったが、冷静さを欠いていたと段々自覚が芽生え、なんという愚行を犯してしまったのかと強い悔恨が泡立ってきた。


「その、ごめんなさい、リン」

「え? どど、どうしたの?!」

「私、あなた以外に友人がいないし、家の教えに従ってばかりいたからどう他人と接すればいいのかわからなくて、いつも変な態度をとっちゃって······」

「もしかして、サクラコくんのこと?」


 リングエルの問いに、シェリルは間を空けて「うん」と小さく頷いた。

 その瞬間、小鳥は見逃さなかった。シェリルの頬が、確かに赤く染まっていたことに。

 思わず、とんでもない予測と思考がリングエルを掻き立てる。


「それで、シェリルはどうしたいの?」


 訊かれて、シェリルは人差し指を突き合わせながら、可愛らしく小さく答えた。


「あやまりたい······」

「誰に?」

「リン、からかってる?」

「重要だよ? 誰に、なんて謝りたいの?」


 シェリルの頬の赤みが増す。

 未曾有の感情の揺らぎと身体中の熱に戸惑いを覚えながらも、喉の奥に詰まっている声を、絡まった糸を解れさせるように、ゆっくりと――――綴る。


「サクラコに、嫌な態度をとって、ごめん、て······」


 まるで絵に描いたような乙女の不器用な情熱。

 リングエルは確信した。核心を突いてしまったのだと、雷に打たれた衝撃を感じた。

 内心嬉々として叫びたい気分だった。鉄櫃に閉じ込められたような、冷たく無愛想なシェリル・グルトップが、排他的な考えを持っていたシェリル・グルトップが、自分から親しもうとしている。

 親友として、一族の暗い呪縛に縛られていた彼女が、明るい道に大いなる一歩を踏み出そうとしている。

 これを喜ばずにいられるか。

 リングエルは即行、間髪入れずにジンテツのもとへ行って前準備を進めた。彼女の不振な動向を見て、意図に気が付いたシェリルの頭は一気に沸騰した。

 きょろきょろと辺りを見回して、「ウソウソウソウソ······」と分かりやすく動揺を顕にし、その場から動けなくなる。


「シェリル! お待たせ!」


 なにを余計なことを!? と心の中で悶々としながら責めるシェリル。彼女の心境を顧みず、リングエルは袖を咥えてジンテツを強制連行してきた。

 ――――確信犯である。


「俺に話したいことって?」


 何も知らずに巻き込まれたジンテツは、腰を下ろしてシェリルの目線――――少しシェリルの方が高い――――に合わせて訊ねた。

 彼が近づいてきたことで、シェリルの心臓は外界にまで響きそうなまでに心拍数が跳ね上がる。


 鼓動が聞こえていないだろうか、

 変な顔をしていないだろうか、

 変な匂いがしていないだろうか、

 服装はちゃんとしているだろうか、

 さっきの態度を怒ってないだろうか、


 様々な不安が湯水のごとく溢れ出て、シェリルは混乱し、昏倒しそうになった。我慢できず、両手で顔を覆い隠す。

 なぜここまで身体中が喧しいことになっているんだ、と全身全霊で沈着に徹しようとするも、敵わずに意識が遠くなってきた。

 人体に浮遊感を覚え、流れるように倒れていく。しかし、ふわっ、と何かに受け止められた。


「おい、大丈夫か?」


 やけに声が大きく聞こえる。顔を向ければ、お互いの鼻が擦れそうな距離まで、近づいていた。

 間近で見る野兎の端正な顔。中性的で、凛々しく、瞳がなんとも黒真珠のようで美しい。右頬の傷も、艶かしい模様に思える。

 ――――シェリルから、呼吸が消失している。


「牝馬ぁ? 生きてる~?」

「······ハッ、ひゃい!!」


 正気を取り戻して、人体を起こすシェリル。

 羞恥から目をぐるぐると回し、尻尾も落ち着きをどこかに振り落としてしまったようでバタバタと荒ぶっている。しまいにはその地面が掃けた。

 これを見て、リングエルは必死に笑いを堪え、ジンテツはシェリルの尻尾が千切れないか心配になった。


「えっと、余裕無いなら後にするか?」

「あ、待って!」


 去り際のジンテツの上着の裾を、シェリルは慌てて掴んだ。勢いで引っ張ってしまい、拍子にジンテツは倒れて尻を打った。


「いってぇ~、なにがしたいんだ牝馬ぁ~?」


 頭を押さえながら立ち上がるジンテツ。

 また失礼をしてしまったと、シェリルは口を押さえて目を反らす。


「ごめん~」


 押し殺した声でシェリルは謝罪を口にする。


「その、私はただ······」

「取り敢えず、落ち着け。このままじゃまたなんかやらかす。しっかり整えて、ね?」


 シェリルの頭に手を置いて、ジンテツは柔らかな物言いで嗜めた。彼からしたら、今のシェリルは前触れもなく奇行を連発する暴走馬としか思えない。

 その傍ら、何か伝えたいことを必死に引き出そうとして、空回りしているようにも見えている。

 リングエルからシェリルから話があるということで来てみたが、このままではいけないとしてまずは自分をハッキリさせるためにジンテツは言葉を掛けた。

 これを受け、シェリルはまた惚けていた。声を聞く度に、耳が無意識にピクピクと跳ねる。

 他人のペースをほとんど鑑みず、常に我が道を敷いて先へ先へと進んでいく豪胆な態度。まるで野生動物。決して、自分を曲げるようなことをしない。


 ······嗚呼、そうだった――――


 ジンテツ・サクラコの地で行くその姿勢こそ、シェリル・グルトップが望む在り方だった。

 どれだけの理不尽を重ねられても、悉く自力ではね除け、突破する力を備えた戦士。

 もっと早く、こんな強い存在になれれば、こんな逞しい存在に出会えていれば、何か変わっていただろうか。

 シェリルは、心に宿った曇りが晴れていくのを感じた。すると、息が整い、気分は落ち着いていった。

 今なら、言える。と、シェリルは静かに口を開く。


「サクラコ、さっきの非礼を詫びる。すまなかった。私はお前に、私に無いものを感じて、それで八つ当たりしてしまったんだ。お前もお前なりに、苦難を乗り越えようと努力してきた筈なのに、情けない真似をしてしまった。――――本当に、すまない!」


 深々と頭を下げるシェリル。その声はとても穏やかで、目には涙を浮かべそうになっている。


「私は精進するしか許されなかった。それ以外にできることがなかった。だから、私は他が持っていて当然のものが不足してしまった。言い訳をして見苦しいと思うが、私はこうとしか弁明できない。本当に、自分でも飽きる程に情けない」


 リングエルにすら話していないシェリルの弱音が、次から次へと吐露されていく。

 ジンテツは、ただただ清聴していた。


「許してくれとは言わない。これはただの自己満足だ。勝手ですまないが、本当に申し訳ない態度をとったと、痛感している――――」


 だから、とシェリルは顔を上げた。涙で潤ったブラウンの瞳が綺麗な、どこにでもいる少女の表情かおを。


「ジンテツ・サクラコ、お前を、『好き』だと思わせてくれ!」


 一世一代の、シェリル・グルトップにとって、最初で最後の甘い戯言。

 肯定も否定も聞き入れる。傷つく覚悟も十二分。

 シェリルは気づいていないが、自身の奇行があまりにも目立つから、既に周囲から注目されている。男達はハンカチを噛み締める思いで羨み、女達は当人達よりも顔を紅潮させて恥ずかしがった。中にはあまりに眩しい光景に、目が眩んで倒れる者も。

 期待が高まるは、ジンテツの回答。

 受講生達の間でBクラスの頂点に君臨する“戦車令嬢タンク・メイデン„と名高い孤高の人馬騎士シェリル・グルトップからの熱い告白。

 これに対して、愚者の中の愚者、我が道の開拓者である奴隷野兎ジンテツ・サクラコはどう応えるのか。

 計り知れない展開が、ページを捲る。


「――――そ。いいんじゃないの?」

「え············?」


 キョトンとするシェリルの頭に優しく手を置いて、ジンテツは告げる。


「俺には、お前の言ってることがほとんどわからない。何に悩んで、何をどうしたくてそう口に出したのかなんて、正直興味は無い」

「············」

「けれどさ――――」

「っ!」

「自分の道は自分で作るものだ。それに沿うか逸れるかも自分次第。気に食わないなら別の道を作るのもありだし、他人に敷かれた道、わだちを行くのもまあまあ悪くぁない。だからって、それで自分を見失うのが一番気に入らないし、めんどクセェ。――――取り敢えず、勝手で上等。まだまだ、お前の道は終わってないんだろ? なら、好きにしなさいよ」


 鎖が千切れる音がした。涙で視界が定かでないのに、とても世界が眩しく見える。

 胸の奥底から、炎が燃え上がるような、熱い何かに心を強く打ち鳴らされた気がする。

 体が浮き上がるようだ。

 今すぐ野山を駆け回りたい気分だ。

 ずっと、ずっと言って欲しかった言葉。

 誰の口からでもいいから、ずっと聞きたかった言葉。

 肯定でも、否定でもない。

 自分の在り方に導いてくれる言葉。

 ようやく、聞くことができた。


「······ありがとう······」


 シェリル・グルトップの熱烈なイベントは、不明瞭な形で終わりを告げた。

 野次馬にはこのやり取りが理解できないものが多くいたが、シェリルの感慨無量な様子を見て、本人にとってこれ以上ない反応だとなんとなく受け取った。

 それ故に、野暮を働く者は皆無だった。

 リングエルはとても驚いていた。謝罪したいと言っていたのに、まさか熱烈な愛の告白までするなんて夢にも思わなかったからだ。

 驚愕もしたが、同時に嬉しくもある。

 親友がやっと、強い感情を表に出してくれた。これだけでも嬉しかったのだが、それだけでなく、シェリルに打ち込まれていた杭が全て抜けたようで、多大な安心感から涙を溢した。



 ++++++++++



 後、シェリルの勇気ある行動に影響されて、受講生達はこぞってジンテツに寄って集った。

 彼に関する噂の真偽や、先んじてパーティに勧誘するなど、友好的に接するものが続々と現れた。ジンテツは狼狽し、面倒臭そうにしながらも対応した。

 その余所で、ヴェルゴーニャとピットが二人して微笑ましい様子を眺めていた。


「おかしな景色ですね。そうは思いませんか? ピットくん」

「······」

「あるときは、誰もが恐れる怪物。またあるときは、類い稀な人格で人々を惹き付ける野兎。こうも落差のある人物は、中々見られません。かくいう僕も、それに魅了された一人なんですけどね」


 ピットは依然沈鬱なままで、ヴェルゴーニャの言葉を聞いてもぱっとしない気分だった。

 脅されたとは言え、隣にいる狐と共謀してジンテツに迷惑をかけた。後に同士になるかもしれないのに、どうしようもない裏切りだと、自責の念で溢れていた。

 ここに至るまでに、幾度とジンテツの凄さを見せつけられて、より自分がいかにろくでもない奴なのだと強く知らしめられた。


「まだ、何かをさせるのか?」


 ピットが久しく口を開けた。弱々しく、力の無い声だった。


「もう、これ以上は付き合えない。君の欲している成果ものはもう、十分に得られたのではないか?」


 ヴェルゴーニャは顎を触って、不適な笑みを浮かべて答えた。


「そうですね。予定より大きく狂ってしまいましたが、要望以上の結果は得られましたかな。よってあなた方はお役御免。大変お疲れ様でした。そこのお猿さんや、エルフとトロールくんにも伝えておいてください」


 ヴェルゴーニャの言葉を聞いて、ピットは重くのし掛かっていた錠が崩れ落ちた気がした。

 信じられず、半信半疑の眼差しを向けた。


「なんですか、その目は? 言っておきますけど、僕なんかでも契約を重んじるくらいのプライドはありますよ」


 プイッ、と外方を向くヴェルゴーニャ。その細々とした目は、ひっそりとジンテツを写していた。

 依頼主がどんな成果を望もうが、これでようやく解放される。ジンテツの瘴気にも似た魅力に狂わされる心配は無くなると、次なる課題に集中できるとして安堵した。

 ここからどう逃げようかと考える傍ら、ヴェルゴーニャには一つ気になることがあった。それは、迷惑の森ミュルクヴィズが未だに消えないことだ。

 ヴェルゴーニャは、この森自体が臓物の魔獣オーガンの構築した結界のようなものだと推察していた。

 実際に対峙し、オーガンの一言一句からそうとしか捉えようがない。

 ここは奴の餌場。時折、異次元から干渉して食糧を回収する網であると。だとしたら、未だに森が解けないのはおかしいと疑問が湧いた。

 時間がかかっているのか。

 それとも――――。


「まさか、ね」


 嫌な予感がしてならない。

 念のため、ヴェルゴーニャは地面に手を置いた。魔力の波動を地中に流して、異常が無いかを調べた。すると、何かが当たった。

 細かった目が開く。ヴェルゴーニャは予感を確信して、フェリヌスとビルの方へ急いだ。


 待てよ。僕は今何をしようとしている? まさか、いや――――


 ヴェルゴーニャは寸前でジンテツ達を見て、再びフェリヌスとビルのもとへ足を運んだ。


「なんだ?お前の処遇は追って伝え――――」


 フェリヌスの言葉を手を出して遮り、ヴェルゴーニャは声の震えを押さえながら言う。


「すぐに移動することを推奨します」

「何かあったのか?」


 ビルが訝しげに訊ねた。


「先程、地中に向けて魔力を発信させたところ、奇妙な感触がありました」

「それは、一体なんだ?」


 フェリヌスが眉を歪ませた。


「わかりませんが、対象は途轍もなく巨大で、どんどん近づいてきています。即刻、この場から離れた方がよろしいでしょう」


 疑念が湧く二人だったが、ビルが同様に地中に魔力を流して表情を曇らせたことで、信憑性が増した。

 動きは遅いが、大きさにして十メートルに及ぶ巨大な蛇のような気配が感じ取れたのだ。今は深いところにいるが、確かに何かが一直線に向かってきている。

 このまま悠長にしていればぶつかってしまう。


「フェリヌス、号令をかけろ。今すぐここから退避する」

「わかった。――――総員! 移動の準備を! 速やかにだ!」


 フェリヌスの指示に一斉に反応して、受講生達は慌てて腰を上げ、動けない者を背負い、準備を疾く完了させる。


「よし! では、行こう。先頭はビル、最後尾は私だ。皆、何があっても離れないように」


 斯くして、大きくなったパーティは移動を再開した。合流する前までとは一変して、快活な雰囲気を漂わせる。見ていて、フェリヌスとビルは遠足の引率をしている気分になった。

 多人数になったことで気が大きくなっている。パニックになれば、十二人をたった二人で統制するのは厳しい。今はこれで都合がいい。

 だが、隠し通すことは出来なかった。二人から微かに漏れ出ている警戒心を、ジンテツは見逃さない。

 フェリヌスのあげた声から、ただならない状況に陥っているのは確かの筈が、周囲に耳を傾けてみるも敵の気配は感じられない。


「サクラコ、どうかしたのか?」


 シェリルが訊ねた。


「なんだかなぁ。どうにもすっきりしないんだよな~」

「何か気になることでも?」

「何て言うか、さっきの肉団子」

「それは、オーガンか?」

「うん、そいつ。斬ったときにさ、なんか思ってたより柔らかかったんだよね」


 ジンテツを思い返した。

 ほぼ一方的な蹂躙と言って差し支えなかったオーガン戦。切り札の“陰„を出さずに済ませられたのは幸いだったのだが、それを差し引いても手応えのなさ驚いていた。

 最も印象的だったのが、オーガンの意外な肉の柔らかさだ。骨も無ければ、筋も無い。

 まるで具のないパンを噛ったような手応えの無さ。容易く木々を薙ぎ倒していたのが、あまりに脆すぎる。


「私たちからすれば、易々と斬っていたようだが?」

「俺も、こんなもんかって最初は思ってたよ。けど······」

「けど?」


 ジンテツの目が、深刻そうに険しくなる。


「あいつの消え方、デカくなる前の虫と似てなかった?」


 この一言で、シェリルにも不穏な予感が伝播した。仮にそうであったとしたら、この状態はかなりヤバい。

 警戒心を強めたシェリルは、そっと左腕に大楯を備えた。とその時――――


「待て!」


 先頭のビルが叫んでパーティを制止。良からぬ気配が彼の背筋を凍りつかせ、足元に魔力で構成したナイフを付随させて突き刺す。

 ビル・ヒューキは『畑荒らしビルヴィス』。

 この人外の特性は地下一定範囲内の状態知覚。先程はあまりに深すぎて魔力を通していたが、今回は直接足裏に伝わってきた。

 うねうねと、うねうねと、何かが地下で蠢いている。

 さっきは蛇のように這いずり回っていたが、奇怪なことに膨らんでいるみたいだ。想定よりも、追いつくのがずっと早い。


「退けェー!!――――【震衝クエイク】!」


 ビルは足元に両手をつけ、魔法陣を展開。そして、一気に魔力を押し流して地中に多大な衝撃波を響かせた。

 これにより、小規模の地震が発生。パーティの足を崩し、木々を大きく震わせた。


「ビル! いきなりどうした!?」

「フェリヌス、道を変える! 今すぐ下が――――」


 言いかけて、ビルの足元から巨大な肉塊が直上へ飛び出した。空高くから赤と黄色の液体が降り注ぎ、一気にパーティは恐怖の色に染まった。

 悲鳴を上げ、腰を抜かし、散り散りになって逃げ惑う。フェリヌスがまとめようと声を張り上げるが、阿鼻叫喚に掻き消される。

 ジンテツは率先して前に出向き、シェリルとヴェルゴーニャがついていく。

 先頭に躍り出ると、ドクン、ドクンと脈動する肉塊がゆらりとその先端を下ろしてきた。


「やっぱり生きてやがったか。“食材„」


 挑発的に言うジンテツに向かって、呼応するように輪状の口が開いて「キシャァァァァァァ!!!」と、甲高い咆哮をあがった。黄色い粘液とビルのものだろう血と悪臭が飛び散り、心底不快感を煽られる。


「ミツ、ケタゾ、憎キ、下手物ガ!」

「その気色悪い声、別個体ってわけじゃなさそうやね」


 ジンテツは気さくに返した。横では、シェリルが右手にランスを携えている。


「コレホドマデニ、私ヲ痛メツケタ食物ハイナイ。不快ダ、不快ダ、究極二不快ダッ!!」


 肉塊――――オーガンは、一度人型になったときより五倍はある図体を荒ぶらせ、かつてない怒りを体現してみせた。これに対し、ジンテツは嬉々として微笑を浮かべて白鞘に手を掛ける。


「俺も、お前に会えて嬉しいよ。取り敢えず、それが嘘偽り無い、ガチでガチの成体、だろ?」

「アア、正真正銘。アノ時ハ確カニ抜カッタ。見誤ッテイタノダ。私ハイツダッテ喰ラウ側。私ヲ喰ラオウナドト吠エル食物ガ存在スルナド、夢ニモ思ワナカッタ。故二野兎、オ前トイウ下手物ハ、全身全霊ヲモッテ腸二収マッテモラウゾォ!!」


 オーガンの発する油臭い匂いによって、パーティは恐慌状態に陥り、半ば壊滅している。

 これでは逃げようにも逃げられない。

 どちらにしろ、ジンテツに敗走するという選択肢は無い。むしろ仕留め損なった獲物が、大きくなって自ら現れてくれた。この実状に、ジンテツの腹はぐぅーっと要求の音を鳴らす。


「さっき誰かからクッキーを渡されたっけ。あれ、味がしないがまあまあ旨かったな。けど、全然足りなかったなー!」


 抜刀。ジンテツは速やかにオーガンに飛びかかって刃を振り翳す。


「取り敢えず、お前はデミハンだァー!」


 精一杯振り下ろすも、スカッと空振った。オーガンは長い口を大きく振るって、ジンテツを頬張ろうとする。だが、横からシェリルが大楯で殴ったことで防がれた。


「一人で突っ走るな! あれは流石に厳しすぎる!」

「牝馬······」


 シェリルに手を引っ張られ、二人並んでオーガンに向く。


「妙ダナ。オ前ハ覚エテイルゾ。野兎ト一緒二イタ馬肉メガ、ナゼ恐怖ノ匂イニ屈シナイ?!」


 シェリルはランスの先端をオーガンに向けて答えた。


「恐怖? ああ、確かにさっきまでの私は、びくびくするだけのポニーだった。だが、わかったんだ。何を恐れ慄くことがあるのかと。私の道は私で作る。お前程度の輩に、臆してなるものか! そこを退け、食材風情が!!」


 シェリルは両前足を大きく上げ、強くドンと踏み込んだ。彼女の顔は活気づいていて、恐怖のつけ入る隙が一切見当たらない。強く、槍のようにまっすぐ鋭い目付きが、オーガンの肉体を突き破らんばかりに貫く。

 そこへ、チクチクと何かがオーガンを刺激した。見れば、太股に八本のダガーが刺さっている。

 ヴェルゴーニャの仕業だ。彼は、自慢気にダガーを指と指の間に挟み、にやけている。


「お手伝い、必要ですか?」


 ジンテツ達が答える前に、オーガンがヴェルゴーニャに触手を伸ばす。しかし、突然魔法陣が展開して守られる。

 ジンテツとヴェルゴーニャが振り向くと、ピットが両手を翳していた。


「ありがとうございます」

「わかっていただろうに」


 ヴェルゴーニャの礼に不満を溢しながらも、ピットは魔法陣で防いだ触手を押し返した。


「サクラコくん、私にも手伝わせてくれ。償いには、及ばないだろうが······」


 ピットは虚しそうに眉を八の字にして懇願した。

 ジンテツは、面白いものを見たように口角を上にして告げる。


「気が済むまでやったれ!」


 顔色が一気に明るくなり、両腕に備えた籠手に魔力と気合いを込めるピット。拳を突き合わせ、準備万端といったところだ。


「ドイツモ、コイツモ、所詮ハ余リアル塵芥二過ギナイ雑魚共メガ! コノ私ヲ、喰ラオウナド、図々シイノダァァァァァァ!!」


 オーガンの肉体が、ぶよぶよした塊から段々と変わっていく。腕、脚、胴、いずれも太く強靭なものへと膨張し、完成したのは推定七メートル級はある首の無い巨人となった。

 表面の体液がギラギラと照り、胸に当たる部分には醜悪な大口が大小無秩序に牙を揃えている。

 首が生えている筈の胴のてっぺんからは、六本の触手が出現し、体の所々には青い筋が浮き上がり、ドクッ、ドクッ、と鼓動が喧しい。

 まさに臓物の魔獣と呼ぶに相応しい、醜くおぞましい形態へと、オーガンは変貌したのだった。


「さて、食糧調達第二ラウンド。取り敢えず、始めるでェ!」


 ジンテツの掛け声と同時に、シェリルとピットが仕掛ける。

 二人共、オーガンの両足を狙っている。ピットは右足を殴ろうと拳を、シェリルは左足を貫こうとランスを構える。


「小癪ナ!!」


 シェリルとピットが攻撃しようとした寸前に、オーガンは高く飛び上がった。

「待っとったえ!」と、ジンテツが先回りしていて、隙だらけの背中を袈裟斬りにかける。

 痛みに怯んだところで、さらに踵下ろしで地上に叩き落とす。


「ナイスですよ! 【糸張バインド】」


 オーガンが起き上がる前に、ヴェルゴーニャが魔法陣を強いて動きを封じた。そうして完全に無防備となったところに、シェリル、ピットがそれぞれで高威力の技を繰り出そうと魔力を込める。


「"付与魔術エンチャント刺突特効スティンガー】"!」

「"強化魔術グロウアップ剛腕十倍アームズ・テン】"!」


 シェリルはランスなよる攻撃力を、ピットは剛腕の攻撃力を跳ね上げさせた。

 目映い光が二人の武器から発せられ、一斉にオーガンへと振りかかる。


 ドーン!――――森からけたたましい撃墜音と、爆煙が昇る。


 シェリルとピットは、確かに手応えを感じた。これで仕留められたと、確信した。

 だが、ランスが、拳が、その場から動かない。


「まずい! ピット、籠手を外せ!」

「わかった!」


 シェリルとピットは同時に武器から手を放して、大きく距離をとった。すると、二人の武器は瞬く間に土煙の中に飲み込まれていった。

 大きな影が立ち上がり、腕を振るって煙を薙ぎ払う。姿を出したオーガンの肉体には、ランスと籠手が取り込まれていた。


「マズイ、マズクテカナワン! 生ノ肉ガ欲シイ! 生キタ肉ヲヨコセェーッ!」


 戻ってきたジンテツとヴェルゴーニャも、オーガンの状態を見て顔を強張らせた。


「まさか、武器を喰らうなんて······」

「あちゃあ、直接触ったらヤバい奴だったか」


 四人は認識を改めた。

 オーガンはただの肉塊ではなく、肉体そのものが口腔であると。刀やランスと、武器で接していたためにこの厄介な特性に気づくのが遅れてしまった。

 しかし、とジンテツは自身の足元に目を向ける。さっき蹴ったときは、なにも感じなかった。靴の裏を取られた感じもない。捕食までには刹那に間があると察する。


「ドウシタ? 今更私ノ能力チカラ二気ヅイテ、怖ジ気ヅイタノカ?」


 挑発的な物言いで、オーガンが煽る。「ソッチガ来ナイナラ」と、姿勢を低くして、両腕を交差させた。


「根コソギ喰ラッテヤルー!!」


 転がりながらの突進。なんの変哲もない突進。しかし、オーガンの特性が知れた以上は、ただ転がってくるだけでも十分な驚異。

 四人は散り散りになって回避した。

 オーガンが通った後の地面は大きく抉れていた。


「マジかよ······全身口とか、めんどクセェこの上無いで?」

「まったくですね。しかも、あれは恐らく“魔式„ですよ」


 ジンテツは、今しがたヴェルゴーニャの口にした単語の意味がわからず、「ましき?」と首を傾げる。


「簡単に言えば、魔術の上位互換のことですよ。魔術はしようし続けると次第に身体に馴染んでいくようで、やがては魔法陣を展開せずとも魔術の行使が可能になるといいます。しかも、いくらか手間が省けるのでその分発動速度は倍近く早くなり、効果も増大します」

「マジかよ······」


 ジンテツは苦笑した。


「それだけでも厄介なのに、話によれば並みの魔術が通用しないものまであるらしいですよ。奴のはそれかもしれませんね」

「マジかよッ!?」


 ジンテツは仰天した。しかしすぐに切り替えて、「ほな、お前らも俺と仲間だな。魔術通用しないんじゃ、使えないも同じだし」と挑発的に返した。

 これにヴェルゴーニャは絶句。

 清々しい暢気さに、一瞬苛々するものを感じた。だがジンテツの言い方はある意味的を射ているため、返す言葉が見つからない。

 二人が話している内に、べちゃっべちゃ、と粘着質な音が聞こえた。オーガンが戻ってきている。

 再びジンテツ、ヴェルゴーニャ、シェリル、ピットの四人が並ぶ。


「で? 魔術が効かない魔式に、なんか対抗できる手、誰か思い付く。俺はそもそも魔術使えないから無し!」


 両腕でバッテンを作って即座に無能宣言をするジンテツ。

 他三人は理解していたが、口に出されて言われると尚余計に絶望感が増してくる。そこに、ピットがハッと何かに気づく。


「先程、グルトップくんの盾で防いだり、サクラコくんが奴を蹴っていたが、無事か?」


 ピットに言われて、シェリルは指摘された盾を見たが、ジンテツは見なかった。彼は既に捕食までにかかる間には気づいていた。

 しかし、シェリルの言葉で見解がはずれる。


「少し溶けてる。ジンテツの方は?」

「······平気なんだけどなぁ」


 今一度、ジンテツは靴の裏を見てみる。なんら被害は無い。


「防げるのは精々、刹那の間だけ。付け入る隙があるとしたら、そこくらいですかね」

「容易く打ち破られた以上、時間稼ぎも儘ならんぞ!」


 シェリルが弱音を吐いたと同時に、、オーガンが戻ってきた。肉塊の至るところに、崩れた木々の残骸が刺さっている。――――否、オーガンに含まれている。

 ぐしゃ、ぐしゃ、と押し潰すような咀嚼の音が、より不快と不安、勝機の無さからくる焦りを掻き立てられる。


「ドウシタ? モット動ケ! 動イテ、逃ゲテ、抗ッテ、震エテ、ヨリ肉質ヲ高メテクレヨ!」


 オーガンの語調は、高揚していて余裕がある。シェリル達の様子を見て、改めて上下間系が確立されたと思って生じた優越感で、奮い立ち、勢いが昇るばかりで、気分上々となっている。

 それを体現するように、オーガンの肉体は波打って奇々怪々な動きを見せた。

 勇猛果敢な戦士であろうと、一騎当千の豪傑であろうと、百戦錬磨の猛者であろうと、一度恐怖に染められてしまえば、途端に地に転がる肉塊に同じ。

 喰われるだけを待つ、それしかできない食物へと成り果てる。

 天と地の差を思い知らされれば、尚の事、牙は緩んで爪は柔らかくなる。

 オーガンを見た者は、誰であろうと嫌悪を、不快を、恐怖を懐深くに焚き付けられた。何人にも、オーガンに対する感情は一房に同じにしかならない。

 目を見開き、口元を震わせ、心身を強張らせ、汗を止まらず流し続ける。

 その筈が――――何故か、野兎はまるで動じない。

 目を鋭くさせ、口元は不動で、心身は緩みきり、汗はほんの一滴も流れていない。

 数多くの獣の中でも、被食対象筆頭の食物が、この場の何者よりも堂々としている。

 それだけが、オーガンの癪に障り続けていた。


「野兎、オ前ダケハヤハリ好カン!」

「あ?」

「オ前ダケガ、ナゼダカ私ハ緊張スルノダ! タカガ食物、タカガ食物デシカナイノニナゼダ!? 不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快不快――――」


 オーガンは、その身体をまたしても変異させていった。両腕を地につかせ、途端に膨張させていく。

 足は歪曲して肉食獣を彷彿とさせる強靭な脚となり、胴から一本の管が伸び、大きく膨らんで、長い口へと変態を遂げる。

 原形を廃して、完結。

 最恐最悪の形態へと、オーガンは自身を凶悪な怪物へと強制的に進化させた。


「フカイダァァァァァァァァァァァァァ――――」


 けたたましい咆哮が辺りの空気中の魔力を揺るがす。

 耳を塞いでも、鼓膜を打ち破ろうとする強大な怒号に、シェリル、ヴェルゴーニャ、ピットはとうとう諦観を先にしていた。

 勝てない――――

 魔力を効率的に増強させる方法に、『食事』が挙げられる。

 森羅万象に魔力が宿っている。なれば、捕食することで栄養のみならず、魔力も摂取できるのは当然だ。そして、より多く食せば許容量が増加し、魔力値が上昇する。

 この法則が成り立っている以上、オーガンという生命体は生態系の頂点に君臨していてもおかしくない。もし同じ世界に棲息していたならば、今頃絶滅している種が数多くいたかもしれない。

 さらに、魔術の範疇から飛び抜けた魔式を扱うとなれば、これに勝るものは数少ないだろう。

 相手にするには、あまりにも桁違いであった。

 シェリルの手から大楯が離れようとしたその時、一筋の光が目に写る。ジンテツの携える、白鞘の刃だ。


「なあ、お前ら? 揃いも揃ってなんで間抜けた顔してん?」

「「「············!?」」」

「あー、もしかしてビビってるの? あー、そー。そっかぁ~」


 ジンテツは平然としている。目の前にいる怪物に対して、なんとも思っていない様子でいる。

 シェリルが言葉を出そうとするが、喉に引っ掛かって中々出せない。

 ジンテツは一歩、二歩、三歩と前に出る。そして、肩に置いていた白鞘かたなの柄を強く握り締め、オーガンを敵に送る険しく鋭い眼差しを向けた。


「さてと、めんどクセェけど取り敢えず、お前は俺がぶっ殺す。で、お前を昼飯にする」

「マダ、ソンナ大口ヲ叩クカ? 私ニハ、オ前タチノ言ウ魔式ヲ備エテイル。コノ肉体全テガ胃袋二直通スル! ドレダケ強大ナ力ヲ用イヨウトモ、残ラズ喰ラッテヤル!」

「············――――で?」


 ジンテツは退屈そうに目を細めた。その態度に、オーガンも、シェリル達も呆気に取られる。


「お前がどれだけ強くて、面倒な力を持ってるからなに? お前がなんでも喰うからなに?」

「ナンダトッ?!」

「何度も言わせるなよ、めんどクセェ。お前が俺を喰うんじゃなくてさァ、俺がお前を喰うんだよ。最後にお前が俺の胃袋に収まるのが正当な摂理なんだよ!」


 全員が思った。

 その自信は一体どこから湧き出ているのか、と。無茶無謀なのは火を見るより明らか。

 オーガンは怒った。根拠の無い自信を滾らせ、恐怖の色を微塵も感じさせない強い眼差し。

 何より気に入らないのは、依然として断固、捕食者の立場を譲ろうとしない徹底さは“正気ガチ中の正気ガチ„であること。

 オーガンは、怒りのままにすかさず猪突猛進。

 ぶつかる前にジンテツは、「邪魔!」とシェリルからヴェルゴーニャ、ピットと横の茂みに一蹴してオーガンの軌道から外し、飛び上がる。

 手応えがなく、周囲を見回すオーガン。上から殺気を感じ、向ければジンテツが刃を振り下ろすところだった。横にステップして回避。

 舌打ちしてから、ジンテツはすぐさま切り返してオーガンの首元に刃を伸ばす。

 捕らえた! と思ったのも束の間。オーガンは刃を咥えて受け止めた。

「コイツっ!」と驚きを引っ込めてジンテツが蹴り飛ばそうと試みるも、オーガンはそれを許さず首を振り回してジンテツの重心を崩落させた。

 何度も地面に叩きつけ、その度に野兎の悲鳴が短く鳴り、血溜まりが増えていく。最後に投げ飛ばした。

 ジンテツの口からは血と唾液が混ざり合って垂れ落ち、頭を打ったようで頭からも流血している。意識が遠くなりかけた。


「ちくしょぉ······」


 声も絞り出したくらいに弱い。


「ククククク、所詮ハコノ程度。如何ニ吠エヨウトモ、喰ワレル運命デシカナイノダ! タダデハ喰ワン、ジックリト味ワッテヤル。マズハ喉ガ渇イタ、『ジュース』ヲ貰オウカ」


 オーガンはジンテツを手中に収めて天に掲げ、力を緩やかに強めていった。締め付けられ、ジンテツの口から弱々しい呻き声と赤い液が絞り出される。

 口に流し込むことで、より勝利の甘美に酔いしれるオーガン。大口の端が歪み、まるで笑みを浮かべているようだった。


「下手物ダト思ッテイタガ、中々ニ美味ダ! 苦シイカ? 苦シイダロウ。モット味合ワセテヤル。ソウシテ、私ヲ堪能サセルノダ!!」

「かはっ‥‥‥!」


 引き続き、ジンテツを握り締めて血を絞り出す。満足して舌鼓を打ち、次に両手で持つ。


「サテ、今度ハドウシテクレヨウカ。オ前ハ肉付キガ甘イカラナ。内臓ヲ掻キ出スカ、四肢ヲ一本一本千切ッテシャブリツクシテヤロウカ」


 ジンテツにはもう意識が無くなっていた。例え起きていたとしても、得物は手から離れてしまっていて抵抗は容易ではない。

 その最中に、茂みの中でシェリルの目蓋が開く。蹴られた際に腕を痛めたようで、左腕を押さえながら起き上がる。そしてジンテツの現状を目にして、固まった。


「決メタ! 内臓ヲ引摺リダシ、四肢モ千切ッテソノ中ニ詰メテヤロウ」


 ダメだ、ダメだとシェリルは駆け出そうとする。だが、脚が動かない。助けなければならないのに、恐ろしくて足が前に出ない。

 やっと出会えた見据えるべき憧憬が、途絶えてしまう。最悪が間近に差し掛かっているというのに、なぜ足は向かうべきとところに向かおうとしない!?

 シェリルは焦った。焦って、焦って、無理矢理にでも足を動かそうと、手で持ち上げようとまでした。だが、足は一向に地面から離れない。


「なんで、なんで私はこういうときに限って!」


 目を背けたくなる現実を前にして、動けなくなってしまうんだ。――――目に涙を浮かべ、うちひしがれるシェリルの前を、二つの影が走り去るのが見えた。

 一つは、見覚えがある。白地で毛先が黒い羽毛。シェリルにとって、大事な小さな友達。


「リングエル、私がかかったら、速やかにジンテツを回収して逃げろ!」

「わかりました!」


 リングエルと、フェリヌスだった。


「四人のお陰でなんとか受講生達を結界に避難させることができた! 勇敢だったぞ! 後は、冒険者わたしに任せろ!」


 左右に曲剣を構え、フェリヌスが先行する。それぞれの刃に魔法陣を通して、ジンテツを掴む両腕を切り離し、その隙にリングエルが細い足で捕まえ、全身全霊で羽ばたく。


「ナニ!?」

「お前の相手は私だ、バケモノめ!」


 オーガンの目がフェリヌスに向く。しかし、すぐにジンテツを連れて離れるリングエルに戻る。


「興味無しか、覚悟! 【伝播する斬響ヴェイブレッド】!」


 得意な魔術を曲剣に施したフェリヌスは、オーガンを強襲。これで終わりだ、と勝利の念願を込めて振り下ろす。


「オ前ハヌルイ」


 オーガンが腕を横に振るってフェリヌスを捕食。静かに、柔らかに、フェリヌスの身体はオーガンの肉体に飲まれていった。食べ終える直前に尻尾が切れて、トスンと虚しく地に落ちる。


「ク、折角ノ余韻ガ萎エテシマッタ。マア、イイ。蜥蜴ノ柔ラカイ鱗ハ滑ラカナ感ジガ堪ラナイカラナ」


 再生した手で尻尾を拾い上げ、飲み込む。意識をリングエルに戻して、それに向けて手を翳す。


「コソ泥メ」


 手を軽く握り締めて、切り取られた自身を呼び込む。

 ジンテツに巻き付いていた手がうにょうにょと動き出してリングエルを捕まえた。きゃっ、と短い悲鳴が上がってから、一瞬にしてオーガンの本体へと運び込まれる。

 ジンテツとリングエルをくるんだ球が、無慈悲に、醜悪な口腔にばくんと、赤い飛沫が周囲に散らばる。


「え······?」


 シェリルは一連を、見ていることしかできずにいた。


 今、何が起きた? 何が、奴の口の中に入っていった? 奴の口からはみ出ているのは、誰の右腕だ······?


 茂みの中から覗ける視界は広くない。だが、オーガンが肉の球体を食したとき、全てが終わった気がした。


「リン······?」


 シェリルの感じる気配の中から、リングエル・カラドリウスが完全に消滅した。


 リングエルの姿が見えなくなってしまった。

 リングエルの声が、聞こえなくなってしまった。


 同時に、オーガンの口元から鉄の輪っかをはめた右腕が見えた。それが飲み込まれたことで、憧憬へと続く道が途絶えてしまったことにも気づく。

 その時ようやく足が動いて、シェリルは大楯を左手に、力無くオーガンの前に姿を現す。


「クク、勢イガスギテ一口デ喰ラッテシマッタ。シカモ、雑味モ含ンデ、ン?」


 トン、トン、と固い何かが軽く当てられる感触に疑問符をあげたオーガンは、腰元を見た。目に輝きを失ったシェリルが、無気力に盾で小突いていた。

 覇気もダメージも一切感じない。

 繰り返し繰り返し、煩わしい程にトントンと、敵に盾を小突き続ける牝馬の姿が、情けなくあったのだった。


「フン、ナントモ歯応エノ無サソウナ食物ダ。ダガ、丁度イイ。運動シタ後ハ腹ガ減ル。オ前モ、逃ゲタ他ノ食物モ、一匹残ラズ喰ライ尽クシテヤル」


 シェリルの大楯がズブズブとゆっくり沈み始める。瞬く間に肘から先を取り込まれ、あと一歩進めば底無しの暗闇に落ちる。

 ――――――――シェリルの視界が黒く揺らぐ。

 時を同じくして、オーガンが突如、腹に異常を感じ始める。口からは黒いモヤが漏れ出し、呻き、苦悶する。


「ナンダ! 私ノ中デ、何カガ暴レテイル! クゥ······ナンナノダ、コレハ······コレハァッ――――!!?」


 オーガンの腹が段々と膨れ、必死に押さえ込もうと両腕で自身を抱く。

 だが止まらない。収まらない。オーガンの腹の中で蠢く何かが死に物狂いで抗い続けている。

 現状をひどく憂い、いたく嘆き、途轍もなく憤っている。

 それは生きることを何者よりも謳歌する。故に、死ぬことに何者よりも毛を逆立てる。

 邪魔するものは、全知全能の神だろうと、完全無欠の仏であろうと、勧善懲悪を推す英雄だろうと、唯一無二の聖人君子であろうと、知りもしない彼方の親類縁者であろうと、脳内お花畑な一国の第二皇女であろうと、その腹をかっさばいてでも生を掴み獲る。


「ゴルゥアァァァァァァァァァァァァ――――!!!」


 オーガンの腹を引き裂いて、血と肉片と共にどす黒い衝撃と爆煙が噴出する。

 悲鳴をかき消す咆哮をあげるは、身体から黒霧を発生させる正体不明の生命体。かつて、ドラグシュレイン区を恐怖のどん底に突き落とした最恐の野良魔物クリーチャー


 ――――“黒霧くろぎりの怪物„、ミスリル大森林南東の森に出現。





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