借り手【ボロアー】




 試験を初めて三十分が経とうとしていた。未だにパーティの溝は開くばかりで、快適な環境でない。

 特にピットとシェリルは、あれから口を開くことがなくなった。ハウフィは依然、意識が遠くにいる。

 モーリュの採集は順調に進んで、目標の十五本まであと三本を残すだけとなった。

 黙々と作業をし続けた結果だ。


「一時間半って制限の割には、案外早く終わるもんだな」


 ······························。

 誰でもいいから、俺の呟きを拾ってくれ。寝る分には構わないけど、起きてるときにこの静けさは神経に堪える。

 腹も減ってきたから、余計に滅入る。やっぱり、たった二枚のパンだけじゃ全然足りなかったか。


「あ、キノコだ! ラッキー、パクっ。ウマウマ――――はぁ······なあ、皆々様方ぁ? 少しはお喋りしましょーぜ? 黙っていられたら、息してるのかどうかもわからなくなる」


 ······························。

 もう嫌だ。助けてお姫様。

 あまりの沈黙で、空気に押し潰されそうだ。そんな時、頭の上にツンとした軽い衝撃と同時に柔らかい感触が乗り掛かった。


「サクラコくん」

「リングエルか?」

「はい。先程はシェリルが失礼なことを言って、ごめんなさい。あなたを助けようとしてたのは本当ですから」


 さっきのこと、まだ気にしていたのか。

 自分がやったわけでもないのに、申し訳なさそうにしちゃって。


「別にいいよ。それよりいいのか? 俺のとこにいて」


 おたくの親友さんがものスッゴく鋭い視線を向けてきているのですが?――――って言ったらまためんどクセェ事が起こりかねないから、ここは口に出さない方が吉だな。


「いいんです。ちゃんと許可を貰っていますので」

「許可? 他人と話すのに許可がいるのか?」


 訊くと、リングエルは気まずそうになって口を震わせながら話した。


「彼女の家は、ケンタウロスの中でも種族的にかなり力を持つ一族で、幼い頃から文武を必要以上に叩き込まれてきたんです。その過程で、女の子らしい要素を一切遮断、排除されて、過酷な訓練で心身ともに限界まで追い詰められる日々を送ってきました。今では、戦車令嬢タンク・メイデンと種族内で知らないものがいない程に、高い実力を手に入れてしまいました」

「成る程。察するに、あの冷然とした態度の原因は、その家庭内訓練とやらの反動ってわけね」

「はい。昔は、笑顔の絶えない優しい女の子だったのに······」


 リングエルは悔しそうに声を震わせていた。

 他人の御家事情がどんなもんだろうと、俺には関係無いから知ったこっちゃない。リングエルの話は悲劇的に聞こえるが、それはこいつの早とちりで杞憂かもしれないし、シェリル本人からしたら本懐なのかもしれない。

 取り敢えず俺は、ある程度の一線を越えてないと感じているときは深く首を突っ込まないって決めている。勘違いとかすれ違いとかで、余計な面倒事を増やしたくないからだ。――――っていうか、リングエルの面倒を焼きたがるところ、どことなくどっかの頭の中お花畑の妖精姫を彷彿とさせるな。


「なんで俺にそのことを言うんだ? 今日会ったばかりの野兎にさ」

「なんででしょう······」


 間を空けてからリングエルは続けた。


「なんとも言えないのですけど、サクラコくんなら受け止めてくれると思ったから、でしょうかね? ダメですよね。私にとって、命より大事な友達なのに、他人に頼っちゃうなんて」

「ふぅ~ん」


 リングエルからしたら薄情だと嫌な気分になる返しだが、すがり付かれてもどうこうできるもんじゃないよ。

 俺は聖人君子を名乗った覚えも無いし、そんなめんどクセェ真似をするつもりは毛頭無い。

 俺には、俺の縄張りがある。その外のことなんて、心底どうでもいい。


「リン、戻りなさい」


 シェリルが近づいてきた。

 色気の無い表情、冷ややかな低い声色と調子が寸分とも変わらなすぎて、改めて不気味な奴だ。

 左手を差し伸べて、リンの止まり木を提供している。


「いや」


 リングエルは俺の右肩に逃れて、そっぽを向いた。


「文句を言わない。リンに見てほしいところがあるの」

「イヤです! そんなに言うなら、サクラコくんに失礼なことを言ったの謝って!」


 シェリルの左手が一瞬、僅かにピくついた。それから目の鋭さが増した。


「ジンテツ・サクラコ」

「ん?」

「私はあなたが、大嫌いだ」

「······いきなりどうしたん?」


 シェリルが接近してきた。また妙に空気が重くなる。


「あなた達ウサギは跳ね回ることしかできない。さっきの持論も、まるで理性の欠片もない。低俗で、野蛮な、なんら無益な自尊心だ。聞く価値のない弁論をほざく輩にろくな奴はいない。冒険者の考えというよりも、明らかに野良魔物クリーチャーのそれだ。例え冒険者になれたとしても、あなたなんかと親しくなれない。親しくなりたくない。だから大嫌い」


 今までで一番トゲのある言葉と眼差しだ。

 俺のありとあらゆる箇所に容赦も躊躇もなくぶっ刺してきたよ、この牝馬。しかも嫌に鋭い。

 ただ嫌いならまだわかる。だがシェリルの眼差しと口振りは、どうにもそうとは思えないな。

 原因は俺というよりも、リングエルにあるのか?

 まさか、親友を盗られたみたいで気が立ってるのか?

 だったら尚更、馬鹿馬鹿しい話だ。

 寂しいなら寂しいって言えばいいのにさ。いや、そんな可愛いことができたら移動中に瞑想せずに、俺達と輪を囲んでいたか。リングエルの話じゃとことんその辺を磨り減らされて、無駄に強さを叩き込まれたんだし。

 あーあ、また察しちゃったぜ。まあまあ、とにもかくにもこいつ――――


「邪魔だな」


 そう言うと、シェリルは拳を強く握っていた。

 見ているだけでも重苦しそうな鎧の節々から、装甲同士が擦れあってカタカタと鳴いている。そして眉間にシワを寄せて、わかりやすく怒りが顔に表れている。

 まさに、怒髪衝天といったところだ。


「邪魔なのは、あなただ野兎ッ!」

「シェリル! これ以上は本当に怒るからね!」


 リングエルも、他人の肩の上でピーピーうるさいな。

 太刀打ちしたくないのが、声色と足の掴み具合から把握できる。爪が食い込んで、ちょっとこそばゆい。

 まったく、親友ってだけで変な拘りから面倒事が大きくなるんだよ。こいつの気持ちを汲んでやれとか、そんな達者なことは言わないけどさ、できれば他に火の粉を撒き散らさない穏便な対応くらいは考えようぜ。

 だから邪魔だってんだよ。

 俺はリングエルの頭を手で覆い被せた。


「ちょっと静かにしてて」

「サクラコくん、でも······」


 指の隙間から悲痛な顔を出して訴えてきたリングエルだったが、俺は聴かずに


「俺の事は、俺が片付ける。取り敢えず、こいつの相手は俺なんだ。割り入るな」


 さっきっから黙ってやっていれば、好き勝手に嫌な目を向けてきやがって。さすがに我慢の限界だ。

 こそこそ、こそこそ、隅っこから鬱陶しい。


「一つ言っておくけどさ、俺は甘くないぞ?」

「決闘を受け付ける趣味は無い。だが、グルトップの辞書に『背走』という言葉は無い。受けて立つ」


 言って、シェリルは魔法陣を展開してランスを取り出した。鋭利でよく刺さりそうな、デッカイ爪楊枝だな。

 右手にランス、左手には腕がすっぽり隠れる程の大盾を装備して、臨戦態勢は抜群ってところか。だが、生憎とシェリルは眼中に無い。

 どいつもこいつも、なんで俺ばっかりに構いやがるんだか······めちゃくちゃに、めんどクセェんだよ。


牝馬ひんば、背中貸せぇ!」

「は?」


 シェリルが呆けている間に、リングエルを落とさないように優しく包んで押さえつけて俺は飛び上がった。白鞘を逆手で抜いて馬体に降り立ち、大振りに薙ぐ。

 山勘で振るってみたのだが、どうやら正確だったようだ。俺が叩き落としたのは、四本のダガーだ。

 長さにして人差し指と同じくらいの、場所によっては殺傷力の低い矮小な暗器だ。


「お前の狙いは俺じゃなかったのか? 


 俺が訊ねると、ピットとシェリルが睨み合ったときと同じく拍手が鳴った。そのときと、全く同じ奴が鳴らしたのだ。

 ヴァーグ・ティーヴァ。橙髪の狐の獣人。このパーティで一番大人しく、目立つアクションを起こさなかったから影が薄い地味な男。あるとしたら、

 ピットといいシェリルといい、クラスのトップが近くにいながら、まるで反応を示さなかった。

 奴の細い目は、喧しい程に、煩いくらいに、鬱陶しいまでに、ずっと俺に向いていた。一体何を企んでるんだって、頭の端っこでずっと俺は思っていた。


「よぉやっと、化けの皮を剥がしてくれたな」



 ++++++++++



 ヴァーグ・ティーヴァ改め――――本名、ヴェルゴーニャ・テウメッサ。

 彼は、非公認でギルドを設営している雇われフリーの冒険者だ。

 大半は表立って動けない組織の補助に回ることが多く、特に暗殺等の汚れ仕事を積極的に請け負っている。いわば傭兵に寄った、法をもろともしない本来の意味を保持した何でも屋だ。

 彼の名は、表よりも裏の世界の方に広く伝わっている。密売業者、悪徳貴族、盗賊、凶悪な野良魔物クリーチャー等、そう易々と頼めない仕事を請け負ってくれる事からこの類いからの信用が厚い。であるからして、いつでも、どこからも依頼が回ってくる。

 しかしながら、長々と続けていると時偶に奇妙な依頼をしてくる者もいる。事の始まりは一年前に遡る。

 内容は、【ドラグシュレイン区のミスリル大森林に棲息しているというとある人外の調査】。依頼主は、ローブを羽織っていて顔がわからなかった。

 しかし声からして男なのは明白だった。優しく柔和で、ラベンダーの香りを放つ趣ある印象だ。


『あれは魔力を持たない惨めな獣だ。自ら発した黒い霧に身を隠し、童話の乙女のようにひっそりと暮らしている』

 

 依頼主は語り聴かせるようにそう言っていた。

 この頃は、まだ黒霧の怪物という脅威が浮上する以前。故に、特徴だけを話されたヴェルゴーニャは、最初は特に興味を示していなかった。

 前払いされたやけに高い報酬金も怪しかったが、信用を是とするヴェルゴーニャは依頼を受諾。まずは闇市でブラッドハウンド二十相当の群れを飼い、彼等の鼻を頼りにして一ヶ月で調査を行った。そこで彼が目にしたのは、信じがたい光景の連続だった。

 依頼主が言った通りの、怪物が確かに存在していたのだ。黒い霧を発生させ、姿形は定かではない。

 だが、魔力を微塵も感じず、そこにあるのは本当にこの世のものかと目を疑った。


 あれのどこが『惨めな獣』だ。どう見ても、『怪物』じゃないですか――――


 まるで自然災害が訪れたかのように、ブラッドハウンドの群れを一切の容赦無く逆襲していく姿を見て、ヴェルゴーニャはこれ以上の調査は危険と判断し、離れた。

 依頼主は何を以て自分に依頼したのか、そんな不審だけが残った。

 黒霧の怪物が騒動になり始めた一ヶ月後、噂は裏世界にも少しずつ波紋を生んでいた。そんな折に、再び依頼主が姿を現した。

 今度は、全容を探ってほしいとのことだった。黒い霧に包まれていないジンテツ・サクラコという野兎の、本質が知りたいと。

 ヴェルゴーニャは、依頼主に殺されろと言われている気分だった。そんじょそこらの国の兵士が五十人来ようとも、条件が整えば容易く殲滅できる自信がある。だが、こと黒霧の怪物に置いては話が百八十度反転する。

 あれはとても、手を出していいものではない。野犬に噛みつかれる方がまだマシだと、依頼主にそう訴えた。

 そして返ってきたのは――――


『触らぬ神に祟り無しと言うならば、寄らぬ獣に害は無し』


 要するに、考えの転換だった。

 別段、直接調べる必要はない。その手の話は既に、前回の依頼で済まされた事だと依頼主は言った。

 欲しいのは、人伝のものでも構わないから、黒霧の怪物の詳細な情報だと付け加えた。

 少し考えてから、ヴェルゴーニャは訊ねた。

 前回の依頼もそうだが、なぜ自分で調べたり、表の冒険者に頼まないのか。ヴェルゴーニャが請け負うのは、表では受諾されない暗殺等の法を無視した汚れ仕事。調べるだけなら問題は無い筈だろうと。

 口外しないようにと前置きしてから依頼主は答えた。どうやら、宗教組織に所属しているようで、表立って行動するには制限過多な身の上であるらしい。

 訳ありなのは何となく察していたが、そういうことなら仕方がないと納得して依頼を受諾した。

 ヴェルゴーニャが目を付けたのは、ドラグシュレイン区で最も情報が集まる場所、第十二号学園ギルド【真珠兵団パール】。

 受講生として潜り込み、安全且つ円滑に黒霧の怪物に関する情報を収集していった。概ね、前回の依頼で入手したものとほとんど変わりなく、プラスマイナス続きで進展は難を極めた。

 より広い範囲で情報を得るために、『借り手ボロアー』として壁沿いの区画で娼婦をたらし込んだり、またピットを始めとしたAクラスの上流階級グループも脅迫したりして制御下に置き、手足と目耳を増やした。

 そこまでして変化が起きたのは、潜入してから十ヶ月後のことだった。

 Aクラスに、新たな仲間が加わった。最初は無関心のヴェルゴーニャだったが、教室の扉が開かれた途端、平静を保つことに心血を注いだ。


 黒髪黒眼で背の高い人兎属ワーラビット――――ジンテツ・サクラコ――――黒霧の怪物――――ナゼだ?!


 皆からしたらただの野兎にしか見えなかっただろう。だが、全てを知っているヴェルゴーニャからすれば、ジンテツ・サクラコは異形でしかなかった。

 奴は野良魔物クリーチャーの筈だ――――という疑問はジンテツの両手首を見てすぐに解消された。

 隷属輪具スレイブリング。これの意味するところは、誰かの管理下に置かれているということ。そしてここへ来たということは、冒険者になろうとしているということ。

 怪物が冒険者になる? 不可解な疑問が、ヴェルゴーニャの頭を混乱させた。

 恐れながらも、ピット達に合図を出して刺激するように指令を出す。奴隷となっている以上は、と現時点での警戒レベルを計測しようとして試みた。

 結果は、超注意。

 身分を廃棄したような態度に、覇気が込められた一挙手一投足。ヴェルゴーニャの脳裏に、依頼主の言葉が過る。


『触らぬ神に祟り無しと言うならば、寄らぬ獣に害は無し』


 直接的に接触しなければ、楽な仕事だと錯覚していた。まさか、黒霧の怪物から迫ってくるとは誰が想像できただろうか。予想外にも程がある。

 ヴェルゴーニャの学園生活は、四六時中ひやひやするものに変貌した。不要な騒ぎで依頼が頓挫しないよう、ピット達には極力手出ししないように努めさせ、水面下での情報収集を加速させる。

 彼が集中していたのは、ジンテツを管理している者についてだ。黒霧の怪物を手懐けられる程の力を持つ者となると、候補は限られてくる。

 高い権力を持つ貴族か、ギルドの幹部である協会守護者ギルドガーディアン相当の冒険者か、自分と同じく怪物を狙っている裏の者か。

 思考するヴェルゴーニャに、ふとジンテツの気配が過る。まさか壁沿いにまで来るとは思っても見ず、即座に身を隠す。

 ガラスが割れる音がして、窓からそっと外を覗く。ジンテツは向かいの酒場に向いていた。隣に、妖精の女を連れている。

 クセッ毛の黒髪でカゲロウの翅を生やした妖精の少女。グラズヘイムの第二皇女、クレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエ。

 これまた、信じがたい光景だった。

 クレイという存在が、甘ったるく寛容で、庶民的で日常的であるのは知っていた。だとしても、怪物と皇女とは一体どんな偶然が生んだ組み合わせだろうか。


 お伽噺でしか成り立たないでしょ!? そんなもの!


 だが、ここで一つ、ヴェルゴーニャの疑問が解決する。ジンテツを管理下に置いているのは、クレイの可能性が高いと。

 奴隷を有する人柄ではないのは明白。通常ではあり得ない筈だ。そうなれば、必然的に後ろ楯の存在がいる可能性が浮上する。


「へへへ。それはそれで、また考えるものではありませんな······」


 幾度も経験した非常事態に比べれば、今回の依頼は飛び抜けて危険で過酷な案件だ。

 早く終わらせたいと思っていたヴェルゴーニャであったが、ただならない状況が連なったことで遂に獣のさがが刺激され、イカれていった。

 危機的状況に突然『悦』を見いだしたヴェルゴーニャの行動は、今までにない衝動に突き動かされた。クレイのメイドのアリスに見つかってしまうなど誤算がありつつも、調査を進めていった。

 次に目を付けたのは、ジンテツの編入初日から友好的に接している東洋の人兎、シラ・ヨシノだ。同時期に編入した彼女は普段、誰にも話しかけないし、こちらから話しかけても短く返すだけ。そんなヨシノが、まるで息を吹き返したように初々しい反応を見せた。

 振り返ってみれば、あれもおかしなことだった。

 仮試験でも、ジンテツと組みたそうにしていた辺り、同胞だからという理由とは別に親しくしようとしているのがよくわかった。

 断られたところを誘い、なんとかジンテツの情報を引き出そうといくつか質問してみれば、睥睨された。

 結局、まともな情報を得ることが叶わないまま、今日を迎えてしまった。偶然にも同じパーティとなり、千載一遇の好機であると共に危機一髪の窮地に立たされた。

 ジンテツの様子から警戒されていると思い、不用意に近づくのは断念した。

 幸いにも、ピットとハウフィが共にいたため、なにもしなくてもトラブルを起こしてくれた。ここで一悶着が悪化すれば何よりだったのだが、まさかBクラスの主席シェリルが妨害に入るとは少々予想外だった。

 しかし彼女の態度を見て、これもまた利用できそうだとヴェルゴーニャは一つ手を打った。

 駒はリングエル。シェリルと離れた隙を狙い、先程の一悶着でジンテツが傷ついているかもしれないと唆し、近寄らせた。

 予想通り、リングエルに釣られてシェリルはジンテツと対峙した。これならば、意識の外から仕掛けられる。

 我ながら自殺行為だと思いつつも、ヴェルゴーニャは限界を試さずにはいられなくなっていた。

 衝動を止められず、高揚のままにダガーを投げた。そして、全て叩き落とされ、今、馬上のジンテツと向かい合う。



 ++++++++++



「よく、わかったものですね。なぜお分かりになられたので?」


 ヴァーグの口調はえらく落ち着いていた。挙動も余裕を持っていて、大人しくしている。

 なんだろうか。こういうシチュエーションって、ヴァーグからしたらバレたらヤバい最悪の状況の筈だよな。なのに、なんで嬉しそうに微笑んでいるんだ?


「お前、ずっと俺のことを見てたよな?」

「はあ······。僕としたことが、視線で覚られるなんて初歩的なミスを。お恥ずかしい」

「あと、ずっと尻尾がざわついてたぜ」

「え!?······思っていたよりも、気が滅入っていたようですね。ひやはや」


 ダガーからは変な感じはしない。毒とかは仕込んでないな。俺を見てたわけだし、狙いは俺だよな。


「なんで、シェリルに投げたんだ?」


 ヴァーグは固まった。

 あ、まずい。リングエルを下ろすタイミング、どうしよう······。


「おい、野兎、いつまで私の背中に座っているつもりだ? 早く降りないか!」

「阿保! 暴れんな! ぶぎゃしゃッ!!」


 シェリルが荒ぶって、振り落とされた。

 顎を強打したが外れてない。


「この牝馬······いきなり何しやがんだよ」

「それはこっちの台詞だ!? 貴様は、いい、今私に何をしたのかわかっているのか?!」


 シェリルの顔が真っ赤に染まっていた。

 この牝馬、さっきから何を騒いでいるんだ?――――あ、そっか!

 確かケンタウロスが他者を背に乗せるのは信頼しているときか、繁殖期のときくらいなんだっけ。


「安心しろ。乗り心地はよかったが、別にその気は無い」

「ヒッ······黙れ!! それより、さっきからなんなんだ! 何が起こっている! 説明しろ!」

「待って、シェリル!」


 リングエルが俺の髪から出てきて止めた。

 話なら、あいつにしてもらうか。


「ピット、お前何してんだ?」


 ピットはヴァーグの近くにいた。細目狐が何かアクションを起こせば、すぐに止めるなり騒ぐなり妨害できただろうが。

 ピットは俺の言及から目を背けて、気まずそうに顔を青くしている。

 これはあれだな。動きたくても動けない状態にあるパターンだ。多分、脅迫でもされたのだろう。小説で似たようなシチュエーションがあった。

 現実にも起こるもんなんだな。


「はあ、まあいいや。その反応で大体察した。お前はなにも言わなくていい。シェリル、取り敢えずお前の相手は後でね? 面倒だけど」


 本当にめんどクセェ。本試験の内容が採集ってだけでもめんどクセェのに、なんでパーティメンバーが暴れ出すんだか。ホント、めんどクセェよ。


「で? ヴァーグ、お前、何が目的なんだ?」


 編入してから、たまに妙な視線を感じていた。初めは物珍しさに対する、好奇の眼差しだと思っていた。

 意識するのが面倒だし、面と向かう度胸の無い奴と構ったところで余計に疲れる。それにすぐに収まるだろうと思って、相手にはしなかったんだけどな。

 まさか、視線の主がヴァーグだったとは。驚き桃の木山椒の木ってな。


「目的ですか? さて、なんだったでしょうね」


 取り敢えず、俺は白鞘の柄に右手に持ちかえて、刃先をヴァーグに向ける。妙な真似をしたら、すぐに飛び掛かって押さえてやる。


「一年前、そう一年前でした。サクラコくん、きみを見つけたのは。とある依頼主から、きみを探してほしいという依頼から始まりです。今の今まできみを意識しない日はありませんでしたよ」

「愛の告白ってヤツか? そういう趣味は否定しないけど、生憎と俺にその気は全然無い。そもそも、そういうのよぉわからんし」


 依頼?

 陰から俺を探っている奴がいるのか。それも一年前って、俺が森に棲みついてからずっとか?

 ヴァーグは何者だ。冒険者なわけないよな。


「ご安心を。僕だって、別に恋慕を向けているわけではありませんよ。しかし、それに似た、畏怖、でしょうかね? きみがクレイ姫と出歩いているところを見て、俄然、僕の中できみに対する意識が変貌したんですよ」

「へぇ、どんな気持ち?」

「畏怖、であることに間違いないありません。ただ先程にも言ったように、恋慕に似た、筆舌に尽くしがたい畏怖です。恐れ多い敬服とはこの心境を差すのですかね? 僕は今、限りなく清々しい気分なんですよ。わかりますか?」

「知らへんわ。全然」

「僕はね、サクラコくんに興味が沸いたんですよ。紅茶を飲むとき、どの茶葉ならば僕の舌に合うのか。それを考えるように、僕はきみの異常性を徹底的に確かめたくなったんですよ」


 表情を覚らせないためか、ヴァーグは顔に左手を覆い被せ、崩れないように右手で肘を支えている。

 顔を隠したところで、声から感情が読み取れる。俺の耳は伊達に長いわけじゃない。


「取り敢えず、お前が攻撃したことに変わりないわけだし。チマチマと説教ぶちまけたり、説得するのもめんどクセェ」

「さっぱりしてますね」

「くどいのは嫌い。それだけだよ。単純明快、安易はシンプル・イ最良ズ・ベストってな。気長に生きるには、これに限る」

「成る程、野性的ですね」


 白鞘を握り締めて、俺は一番気になることをヴァーグに訊いた。


「取り敢えず、お前は俺の“敵„か?」



 ++++++++++



 ジンテツの問いに、ヴァーグ――――ヴェルゴーニャは小さく身震いした。自身でも何を血迷った行動に出ているのか、と嘆きながらも、それとは別に歓喜している自分がいることもまた自覚していた。

「お前は俺の“敵„か?」――――もしも、この問いに首を縦に振ったならば、寿命が著しく削り取られること間違いない。

 ヴェルゴーニャにとって、気配を気取られることよりも、標的の気配に圧倒されることを危惧すべきこととしている。気配を気取られたのならば、算段を組み立て直せば如何様にも対応できる。だが、圧倒されれば、如何に立て直そうと成功への道筋は途絶える。

 ヴェルゴーニャは降りる島を逃してしまったのだ。黒霧の怪物を目撃した一年前の時点で、手を引くべきだった。

 なぜ、それができなかったのかは、ヴェルゴーニャ自身にも定かではない。ただ、何かを刺激され、蝶が花を吸いに来るように、夜虫が光に集まるように、ヴェルゴーニャはジンテツから漂う魅惑の瘴気のようなものに惹き付けられた。そうとしか、言い様の無い気分でいる。

 最早、逃げ道など無い。後ろを振り向けば、即座に背中を刺される。

 回避すべき結果。わかりきった選択肢。

 だが、ヴェルゴーニャはとち狂った誘惑に完全敗北したことを潔く認めた。


「イぇ~ィス!」


 照明を浴びる舞台上の大スターのように、ヴェルゴーニャは大きく仰け反り、両手を広げた。

 その指と指の間には、ダガーが一本ずつ。左右合わせて、計八本の凶刃が控えている。

 迎え撃つは、直進してくる黒い軌道。切っ先を伸ばして、ヴェルゴーニャの喉を貫こうと迫るジンテツ。

 刃と刃が弾け合う。

 ジンテツの粗い剣術を、ヴェルゴーニャのダガーが反らす。反らす。反らす。

 ジンテツが前に出れば、ヴェルゴーニャは後ろに下がって威力を軽減させる。

 内心で小賢しいと舌を打ち、ジンテツは途端に手を地につけて足を薙ぐ。狐の態勢が崩れ落ちたところに、みぞおちに強烈な右中段後ろ蹴りが炸裂する。

 地を転がるヴェルゴーニャを、ジンテツが追走。追い付いたところで白鞘の一閃が降りかかる。が、ヴェルゴーニャは防ぐ。


「黒霧無しでもこの強さ。きみはやはり、素晴らしい!」


 このヴェルゴーニャの賛辞を聞いて、ジンテツは思考をシフトした。

 こいつを負かして、嗅ぎ回っている依頼主の情報を聞き出そうという方針から、完全排除へと切り換えることにしたのだ。


 周りの奴らに正体を知られるのは面倒だ。だったら、知っているこいつは徹底的に排除しなないとな――――


 鍔迫り合いを、峰を押して中断させ、ヴェルゴーニャに向ける意識を敵意から殺意へと瞬時に変えて、白鞘の握り具合を強める。

 外野、リングエルから「やめてください!」と制止を促されるも、二人は聞き入れない。

 リングエルからしたら何が起こっているのかわからず、混乱するしかない。

 一方、シェリルはピットに向いていた。事の流れを整理し、冷静に分析して、ジンテツに問われた彼の反応から、ヴェルゴーニャと不穏な繋がりがあると見抜いたからだ。

 狐は兎が止めている。その隙に真実を聞き出そうと、ピットに迫る。


「ピット・レーザー、説明して貰おうか」


 シェリルはピットの襟を掴み上げて訊ねた。


「あの狐とどんな繋がりだ?」

「それは······」


 ピットはおどおどとした様子で目を背けていた。


「何を震えている? 何をそんなに怯える必要がある?」

「シェリル、今はサクラコくんとティーヴァくんの喧嘩を止めないと!」


 頭の横で騒ぐリングエル。


「リン、あれは喧嘩じゃない。少なくとも、私の目からはそうは見えない」

「え?!」


 シェリルも混乱していた。先程まで睨んでいた相手に守られた。かと思えば、今度は唐突に戦闘が始まった。

 急展開の連続で、まだ追い付けていない。辛うじて理解できたのは、攻撃してきたヴァーグとピットに何らかの繋がりがあるということ。またはその疑いが、ジンテツの口から示唆されているということ。


彼奴きゃつの狙いは、恐らくは野兎の方。私は利用された。理由はわからないが」

「そんな······じゃあ」

「ヴァーグ・ティーヴァは、潜伏していた野良魔物クリーチャーの可能性が高い」


 シェリルの断定的な推測に、リングエルは開いた口が塞がらない。信じたくはなかったが、それを裏付けるようにピットの表情がより青くなっていた。


「なんで、なんでそんなことを!」


 今度はリングエルが問うた。涙を浮かべている分、シェリルよりも悲痛さが痛く突き刺さってくる。

 ピットの口が微かに隙間を開けていた。あと一押しだ。


「ピット・レーザー、このままではあなたは殺人未遂の共犯者だ。そうなれば、あなたの家族はさぞ様々な方面から叩かれまくることだろう」

「············ッ!?」


 ピットの目が大きく見開いた。


「レーザー家は、グラズヘイムの貴族の中でも有力な家系と聞いている。そんな家から犯罪の片棒を担いだ愚息が生まれたとなれば、末代までの恥となろうことは目に見えているだろう。もう一度訊く。なぜだ? なぜ、野兎を狙う? ヴァーグ・ティーヴァとは何者だ?!」


 強く揺さぶりながら、冷徹な口調で再度訪ねるシェリル。彼女にとっても、これは恥を偲ぶ行いだった。

 シェリルは先程、ヴェルゴーニャの投げた凶刃からジンテツに救われた。たったさっきまで、睨んでいた相手に助けられたこの事実を、惰弱を赦さないシェリル・グルトップは受け入れられなかった。

 しかも、狙ってかジンテツがピットからヴェルゴーニャを離したように見えた。今も、ほとんど移動しないように立ち回っている。

 まるで「俺が相手にしている間に、真相を聞いておけ」と、命令されているようだった。

 ジンテツに執った態度を非礼とは思わないが、ここで動かなければ自分は野兎以下の惰弱な存在となってしまう。そんな危機感がシェリルを動かしているのだった。


 なんとしてでも、ピットの口を割らせてヴァーグ・ティーヴァの正体を吐き出させ、吐き気を催す屈辱を払拭しなければ――――


 だが、ピットは歯を軋ませるばかりで一向に口を割らない。


「時間の無駄だ。あとは区衛兵に――――」


 気絶させようと大楯を掲げた瞬間、奇妙なことが起こった。突如、視界が薄暗くなったのだ。

 照明をつけていない部屋のように、陽光の明るさが急激に弱くなった。

 今日の天気は快晴。風は無く、雲の量は二割と、曇りに至らない程度の筈だ。

 シェリルは上を見た。木々の枝を越えた空は、今にも雷が走りそうな曇天が漂っていた。

 仄かに黒い天井は、不気味にうねり回って、口を開けたように見えた。そして、その場にいる者達全てを喰らおうとして、口は段々と近づいてくる。


「クソがーッ!!」


 横からジンテツの声がしたと思えば、視界は暗転した。



 ++++++++++



 ―――――五分前―――――



 ミスリル大森林の最奥にて、安眠していたカルスに一筋の異変が木々を伝って、静電気のように弾けた。

 額を指で小突かれた程度の衝撃だが、森の報せはそれ以上の不穏を訴えていた。


「これは······」


 カルスにとって、今起きている異変はとても懐かしく、そして拭いようの無い不安を塗りつけた。

 理由はわからない。それこそ自然的であり、偶然も必然も成り立たない突然の現象。

 カルスからしたら取るに足らない事物だ。彼女にすれば、単に庭を横切られる程度のもの。森に害を与えるものではないそれに、構う道理は微塵も無い。

 だが、今度の場合は勝手が違った。

 カルスは異変が起きる原因を知らない。だが、異変に見回れた結果は知っている。

 生物が一度、それに足を踏み入れるものならば、徹底的に排除する。

 自由気儘に游泳する異変は、止めどない暴虐無比の濁流。

 異変の名は“迷惑の森ミュルクヴィズ„。突如現れては、霞のように消えていく森に似た『ナニか』。

 そこに生息する生命はたった一つ。ただ顕現し、ただ霧散するのみの現象に君臨するのは、肉の鎧を纏った抗体のみ。

 生じた方向は、南西部。現在、ジンテツ達が試験を受けている最中の領域だ。


「伝えなくては! ジンテツに!!」


 カルスは急ぎ、分身体を派遣する。

 だが、時既に遅かった。

 ジンテツ達がいたところには、もくもくとした雲の帳が降りていた。

 カルスは焦った。


「どうしましょう――――そうだ、あの方なら!」


 ひらめいたカルスは、森の外に向かって駆け出した。





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