隅っこに居た低能【アルフォンス・オカルティクス】
はぁ~············――――重い溜め息を吐いて、
アルフォンス・オカルティクスは辟易している。
彼の手にあるのは、上部に『自主退学届』と記された羊皮紙だ。
才能の差、能力の差、センスの差、技術の差、全てに置いて実力はAクラスに及ばない。
分不相応な高望みだった。冒険者稼業は、ただ商人として働くよりも高い収入を得られる。そういう卑しい意志を燃料にここまで食い下がってきたが、遂に限界が訪れた。
壁の外の辺境からやってきた彼にとって、学園はまさに人外魔境でしかなかったのだ。
早くに魔術の難易度に挫折し、試験にはなんとか振り落とされない程度の成績ながら、クラス内では中の下と予想外な崖っぷち。
決め手となったのは、つい昨日に編入してきた黒い
あの野兎は、アルフォンスの理想としていた道を横取りするように、クラスで絶大な存在感と爪痕を叩きつけていった。
女性と見紛う程の眉目秀麗は序の口で、厳格冷徹なプリム先生の顔を青くさせるまでの魔術に対する見識の深さ。
最早、追い付ける自信が無い。そもそも自分には、才能なんてものは無かった。このままここにいても、トンカチで絶望という板に打ち付けられるだけ。アルフォンス・オカルティクスの夢はここでおしまい。
家族にガッカリさせてしまうだろう。だが、アルフォンスは早くも肩の荷が下りて気楽な気分になりつつあった。
そんなとき、彼のもとに背後から近づく背の高い影が一つ。
「お、メガネくんじゃん」
「ひぃー!」
咄嗟に振り向けば、噂をすればジンテツだった。
「お前、どこ行ってもしてるんだね」
なんでここに?! と羊皮紙を隠すように抱え、アルフォンスはそのまま逃げようにジンテツの横を走り去った。勢い余って躓き、転倒。そこにまた、アルフォンスにかかる影が一つ。
「あなた、大丈夫?」
見上げれば、ジンテツよりも到底相手にしてはいけない第二皇女、クレイ=ドゥージエム=フードゥルブリエだった。彼女は心配そうにアルフォンスを見下ろしていた。
「ひっ! だ、大丈夫です。お構い無く!」
クレイは善意からアルフォンスの鞄から落ちたものを拾おうと、腰を下ろす。その瞬間、アルフォンスは何よりクレイが拾い上げた羊皮紙――自主退学届――へ一目散に手を伸ばした。
バシャッと取り上げ、他の教科書類や板書用の羊皮紙も杜撰に鞄に押し込み、その場から走り去る。
記憶する暇もなく寮に帰り、他の住人を払い除けて部屋に入っては慌てて鍵をかけ、一息つく。だが、アルフォンスの胸の中に安堵が灯ることは無かった。
「見られた······まさか、奴に······――――母さん、ごめんなさい」
アルフォンスの実家は、壁外領にある小さな村落に暮らす農民だった。裕福な家庭ではないながらも、気持ちは豊満に、幸福な暮らしをしていた。
だが、そんな日々は唐突に終わりを告げた。
冒険者の活躍によって
そこでも、以前のようにはいかずとも程々な生活を営めていた。しかし欠落した穴は大きく、結局、新生活に馴染むことが出来ず、アルフォンスの母は次第に
アルフォンスは考えた。どうすれば母に楽をさせられるのか、どうすれば以前のように笑顔になってくれるのか。
思案の末にたどり着いたのは、冒険者という職業だった。人々を悩ます苦難苦悩を解決する派遣業者。これなら、短い期間で土地を買い、母と共にいつかの幸せな暮らしを再開させられるのではないか――――と。
アルフォンスの行動力は凄まじかった。仲良くなった本屋から教本を貰い、魔術師に弟子入りして恥ずかしくない程度には習得した。
属性には恵まれなかったものの、簡単な付与や光の玉を見せただけで村民達は大いに沸いた。アルフォンスは、自身の成長を嬉しく思い、励み続けた。
日が経って、ギルドへの編入試験が開始された。アルフォンスは死力を尽くしてこれに挑み、とうとう合格してAクラスという及第点以上の成果を得た。
母にそのことを伝えると、拙かったが母は心の底から微笑んだ。痩せ、薄く白くなっていた肌に生気が戻り、アルフォンスを強く抱き締めた。
壁内領に赴く早朝、母はアルフォンスに合格記念の品を渡した。美しい白い万年筆だ。
アルフォンスは涙をこらえ、母と、移住先の村落の住民達に手を振って壁内領へと足を踏み入れた。
ここから順風満帆の日々が送られる――――
――――そう目を輝かせられたのは、たったの半年くらいであった。
Aクラス。
最優秀人材の魔窟。
数々の異名は伊達ではなく、アルフォンスは編入すぐから周囲との格の違いを見せつけられた。
自分と同い年である貴族の娘は、平然と難解な魔術を発動させた。自分と同い年である筈の平民の息子は、武人顔負けの体格を誇っていた。
人類人外の共和を矜持とする共生国家グラズヘイム。それだけに、ギルドは多種多様の種族が最も集う場所。故に、最も才覚の差が明確に浮き彫りしやすい。
アルフォンスは、学園ギルドを甘く見ていたことを、自惚れていたことを痛感した。
持って半年の挫折。早すぎる諦観だった。それでもアルフォンスを動かしたのは、元の暮らしを取り戻し、母に幸福になってもらうため――――『全盛期は、いつだっただろう』
そう考えるようになった頃には、気づけば、手元には自主退学届が収まっていた。
「ちくしょう······」
振り返って、どれだけ自分が惨めで愚かしい人間であるか、噛み締めることしかできなくなっていた。
自主退学届は、いわば臆病者の烙印を自らの手で自身に押し、表明する愚行の極致。人によっては、最悪永遠の黒歴史としてトラウマになることも少なくない。
アルフォンスのような、夢を夢としか見れなくなったものに関しては、首を千切る思いである。
そんな情けない覚悟を、あろうことかクラスメイトと第二皇女に悟られてしまった。アルフォンスの中で、不確定な予感が不安となって膨れ上がる。
日が経てば忘れてくれるだろう――――今はそれで、平静を保つのがやっとであった。
しかし彼の目の色が変わることになるのは、週の明けた仮試験のとき。奇しくも、黒い問題児と関わることになってである。
++++++++++
アルフォンスは職員室の近くまで来ていた。手には自主退学届を持ち、今日こそは提出しようと意を決して赴いていた。だが、中々あと一歩が踏み出せず、うろうろとするばかりでいた。
彼はいつも、一番乗りで訪れる。復習する時間を惜しんでの習慣だ。それ故に、基本的に廊下はがらんとしているのだが、この日のアルフォンスは二番手だった。
角を曲がれば、ジンテツが先に職員室に向かっていた。格好は受講生服ではなく、藍鉄色のコートに短パンデニムと不揃いの服装だった。
「お、メガネくんだ」
見つかり、咄嗟に隠れる。ジンテツは追ってこなかったので、角からそっと顔を出す。
「や、やあ、サクラコさん。どうかしたの?」
「ああ。これ、前に会ったときに着てたでしょ?」
言ってジンテツは自身の着ている服装を、腰を回して見せびらかした。アルフォンスは、確かに、と頷いた。
「さっきさ、プラムにも見せたんだけどどうにも許可証がいるみたいで。他にも色々と手続きがあって、めんどクセェことしなきゃならんらしいんよね」
「あー、そうなんだ」
途端に、ジンテツはアルフォンスの手元にある羊皮紙に目をやった。
「それ、なに?」
「え? ああ、なんでもないよ。丁度羊皮紙が切れてて、購買で買ってきたんだよ」
「一枚だけ?」
「大事な時期で、あまりお金を使いたくないんだ。それに、これだけで十分だし」
「あっそ」
ジンテツがそう言うと同時に職員室の扉が開かれ、厳然とした幼女教師キャサリン・プラムが出てきた。
「準備が整ったぞ。入れ、サクラコ」
「わーん」
のんびりした返事を返して、ジンテツは職員室に入っていった。キャサリンは続こうとしたが、アルフォンスと目が合う。
「オカルティクス、お前もなにか用か?」
咄嗟に自主退学届を後ろに隠す。
「い、いいえ! なんでもありません」
「そうか」
キャサリンは顔をしかめながらも、職員室に戻った。
扉が閉まるのを見送ってから、アルフォンスは大きく息を吐いた。
「どうしよう······タイミング、逃しちゃったよ」
その後も、勢いを取り戻せないまま時間だけが過ぎていった。
++++++++++
仮試験は、二時限を通して進められる。受講生達は、屋外訓練場に集まっていた。
担当教員は、ブライアンズ・エリュマントスという巨猪の獣人だ。頭の中央にのみ濃いブラウンの髪が束ねられ、背をなぞって垂れている。顔が平たく、口の端からは牙が天を衝こうと伸びていた。
右手にはハルバードを携え、両腰にはファランクスを一振りずつぶら下げている。ファーがついたレザーベルトのみを巻き付けた体には、至るところにおびただしい数の切り傷と。歴戦の猛者とは彼のことだ、と誰もが口にしそうな佇まいだ。
「ファッスーン!――――三十六名。例年に比べれば、まあまあ多い方ではあるな。結構なことだ」
大きな鼻からファッスーン、とトロンボーのような低い音を吹き出してブライアンズが迎えた。
受講生は彼から見て、縦六列、横六列に並んでいる。ジンテツは一番後ろにいた。隣には、そわそわして俯いている灰色のジャージを着たアルフォンス。
「本日、この場にいる諸君等は、冒険者へあと一歩というところまで来ていることと思う。この場ではそれまでに研鑽した技能、能力等を試行する前座だ。諸君等のレベルを諸君等自らで確かめ、更なる発展を目指すのだ」
ジンテツはボーッとしていた。ブライアンズの話をほとんど聞かず、本日の昼食にどんなパンを食べようかと考えていた。
アルフォンスは、時偶にジンテツを一瞥して動向を探っている。先日に自主退学届のことを知られているのかどうか、彼は気になっていた。今はその様子は無いようだが、いつ切り出されるのか不安でならなかった。
ブライアンズの長い挨拶が終了し、話は本題に移る。
「今回の仮試験は限り無く特別なものだ。この訓練で我輩から太鼓判を押されたものは、冒険者採用本試験を受けることを許諾しよう」
本試験とは、受講生にとっての最終地点。すなわち冒険者になるための資格を得る試験のことである。
「諸君等には、今から十分でペアになってもらう。
鼻で鳴らした重低音が受講生達を動かす。
アルフォンスはすぐに慌てた。自分は勉強ばかりで、信頼の置ける相方など一人もいない。周囲を見渡せば、既に三、四組が出来上がっていた。
ジンテツも同胞のシラに迫られていて、ペアが成立しそうな雰囲気にある。
なぜ、ここに来てしまったのか。なぜ自主退学届を提出しなかったのか。自分の臆病さに苛々する。
いっそのこと、抜け出してしまおうか。これ程ごった返しているんだ。一人くらい消えたところで問題は無――――「おい、メガネくん」と軽く、アルフォンスの肩に手が置かれる。振り返ると、気だるげな眉目秀麗の野兎がいた。
「え? さ、サクラコさん?!」
驚きのあまり、大きな声が出た。
「よ、メガネくん。取り敢えず、俺と組も」
「へ? でも、ヨシノさんと組むんじゃ?」
「断った。メガネくんと組みたい気分だから」
アルフォンスは唖然とした。
ジンテツの技量は先日の実戦訓練で周知されている。また、シラ・ヨシノの実力はAクラスの中でもトップクラスに値していることは有名だ。
しかも同胞ともあれば、断る理由なんて更々無いと思っていた。だが事実、ジンテツはシラではなくアルフォンスを選択した。
シラは、橙色の髪を持つ狐の人獣ヴァーグ・ティーヴァと組んでいた。
そして思いの外、早くにブライアンズのファッスーンとけたたましい鼻息が鳴り響いた。
「そこまで。各々、ペアが組めようだな。それでは、二列になって我輩のもとへ並べ。一組ずつにリボンを渡す。渡されたら、適当なところに装着し、待機せよ」
言われるままに列を無し、ジンテツ達は最後尾で白色のリボンを配られた。指でつまめる程度の大きさで、二人共胸元に付ける。
「では、呼び出しがかかるまで各々自由にしていて構わん。その間、観戦するもよし、戦略を立てるのもよし。とにかく、ペアがバラバラにならないように気をつけたまえよ? まずはレッドペアとグリーンペア、ここに。それ以外は観戦席に上がれ」
ブライアンズに呼ばれたペア以外は、早急に別々の行動に出た。アルフォンスも作戦会議を始めようとするが、止める間も無くジンテツが早く動いた。
アルフォンスは急いで追いかけた。
「ちょっと、どこに行くの?」
「寝る」
「は、はぁ?!」
アルフォンスはジンテツの前に出て行く手を遮った。
「ダメだよ! まずは作戦を立てないと! それに、僕達はお互いになにが出来るのかわからないんだし!」
「斬る、蹴る、ぶっ飛ばす、寝る、以上」
ジンテツは早口で答え、颯爽と観戦席に寝転んだ。
焦るアルフォンス。ジンテツののんびりとした態度に、苛立ちが募る。
「何でだよ! 君は冒険者になりたいんじゃないの! なんでそんなにやる気無いんだよ!」
「すー······すー······ほやぁ~······」
「もう、いい! 君がそうするんだったら、僕も勝手にさせてもらうから!」
自棄になって、アルフォンスは静かに勉強道具を整えた。教本を開き、羊皮紙を押さえ、万年筆にインクを付けてカリカリと何かを書き始める。
なんなんだよ。真剣にやってるこっちがバカみたいじゃないか――――
ここまで不真面目な輩は初めてだ。最低限、他のクラスメイトは話を聞くくらいはしてくれる。興味を持たれた試しは無かったが······。
そもそも、このペアで友好になれる要素が一つもない。ジンテツはこの通り我が道を往く非常識兎。そんなものに、一体誰が空気を合わせられるというのか。
なにを以て、自分と組みたいと判断したのかアルフォンスにはまったくわからなかった。
「あらあら、こんなところですやすやとお眠りになられているなんて、随分と余裕そうですわね」
針のように鋭く毒突いてくる冷ややかな口調に、アルフォンスを包む程に巨大な影。横を向けば、Aクラスの中でも優等生としてその名を轟かせる四人のうちの二人が見下ろしていた。
魔女風の格好に身を包んだ紫髪のエルフ、エイミー・ゴーシュ。茶色の毛皮をマントのように巻いた筋骨粒々なトロール、キッテルセン・ベルグフォルグだ。
二人とも、胸元に黄色いリボンを付けている。
「先日は度肝を抜かれましたけれど、お次はそちらがそうなる番でしてよ。私達はハウフィのようにはいきませんからね。精々、覚悟してくださいまし」
エイミーは杖をジンテツに向け、威嚇した。だが、当の野兎は無関心どころか、依然、寝息を立てている。
「このウサギ、ただでさえお父様に関心を寄せられているようで、それだけで不快だというのに――――どこまでこの私に狼藉を働こうと!?」
「おい、抑えろエイミー」
杖を振り上げるエイミーを、キッテルセンが上から腕を掴んで制止した。
「今ここでやっても無意味だ」
「ですが、キット!?」
「気持ちはわからんでもない。だからエリュマントス先生に進言したんだろ? 対戦相手を」
「しん、げん······?!」
アルフォンスが恐々と繰り返して、それに二人が注目する。すると、エイミーは途端に怒りを収め、愉悦に満ちた笑みを浮かべた。
「そう。あなたがサクラコさんのペアですの? こんな外れウサギと組まされてかわいそうに。でもご安心あそばせ。私達の狙いはあなたのペアだけです。だから、あなたには極力危害を加えないと約束致しましょう。その代わり、あなたはなにもしないでくださいまし」
エイミーの後ろで、フッフッフと微笑むキッテルセン。だがこの発言は、ジンテツを狙う以外にあることを意味しているのを、アルフォンスは受け取った。
「そ、そんな······!」
「別に私の言うことを聞かなくてもいいですのよ。その場合は、あなたもご一緒に戯れて差し上げますわ。おほほほほ」
優しいようで卑しい笑みが、アルフォンスの耳をつんざきながら遠くなっていった。
大変なことが起きてしまっているというのに、ジンテツはまだ寝ている。エイミーの言ったことを教えて、その気にさせなければと焦るアルフォンス。
だが、止まる。なぜ、そんなことをする必要がある?
悩んでいると、ジンテツがようやく起き上がった。
「ふゎー······あー、よぉ寝た」
背伸びし、目蓋を擦っていると、バーン――――アルフォンスが万年筆を叩きつけた。
ジンテツの足本に、万年筆が転がってくる。
「寝ている暇があるんだったら、少しは真面目にやった方が、いいんじゃないかな······」
アルフォンスは目を合わせずに物申した。声は震えているものの、不平不満で爆発寸前だ。
争い事をしたくない一心で、極力コミュニケーションを避けてきた彼であったが、遂に、誰かに向かって怒りを発露させようとしていた。
ジンテツの荒々しさを垣間見て、余計に退いていたアルフォンスであったが、とうとう限界が訪れたのだ。
「あー、はいはい。昨日は柄にもなく徹夜してて。お陰で眠いのなんの」
ジンテツは呑気に大あくびをかいた。
それを聞いて、それを見て、アルフォンスの握り拳が強く締まる。
「なんだよ······。この試験は難しいんだからさ、前みたいな結果がそうポンポンとれる訳じゃないんだから······勉強とか、訓練とか、少しは気を張れよ」
「そいつはできないね」
「え?」
アルフォンスはようやくジンテツの顔を見た。ジンテツは身体を観戦席に預け、上下反転した視界を写していた。そしてその表情は、退屈を覚った無であった。
「なんで一々一々、疲れる真似をしなきゃならないの?」
「それは、忘れないため、だよ」
再び目を足元に反らすアルフォンス。
「なにを?」
「緊張感をだよ!」
声を荒立てるアルフォンス。
「わかんないなぁ。俺は強いから、負けることを考えない。覚えもいい方だから、一度感じたことは中々忘れないんだ。フッ。余計な努力してる暇があるならさ、取り敢えず少しは寝たっていいんじゃないの?」
気楽に答えたジンテツに、アルフォンスはギリギリと歯軋りを立てた。
「なんだよそれ······皆、君みたいに気楽に生きられる奴ばかりじゃ、ないんだ······」
「はぇ?」
アルフォンスが立ち上がった。眼鏡の奥から、情熱的な眼差しがジンテツと対峙している。
「僕は頑張ってたんだ! 二年もここに! 二年もだぞ! それを君は、たった一日で覆した! 気力や努力でもなく、君には才能なんて不平等があったからできたんだ! でも僕には無い! そんなことできない! 意気込みだけで通れる道なんて、そんなのがあるなら
鬱憤を叫び散らした後には、アルフォンスはより息を荒立たせていた。強く握り締めた拳の内は、爪が食い込んで痛みがじわじわと染み出る。
先程のジンテツの「フッ」――――不遜で余裕な態度で嫌味を言われ、鼻で笑われた。アルフォンスはそう思っていた。だが実際のところは、ジンテツが己が記憶喪失であることを自嘲して溢れた苦笑である。
すれ違いではあるが、端から見ればこれは有能と無能の確執の生んだ醜いやり取りにしか見えなかった。
アルフォンスは、自分で言っていて段々と恥ずかしくなってきた。なにを言おうと、無能の主張は空虚に消える。なんの励みにもならなければ、意味も無い。
無益な足掻きである――――ただ、“アルフォンスにとっては„に限れば。
「ケケケ――――」
涙が出そうな目を、声のした方に上げれば、隣に愉快そうに微笑むジンテツがいた。
「やっと、こっち見てくれた」
なんでそんなに嬉しそうなんだよ······――――アルフォンスが内心でそう問いかける。
ジンテツは、徐に足下の万年筆を拾い上げた。
「これ、いつから使ってるの? ん?」
「それは、ここに来る日に、母さんから」
「そうか。じゃあ二年か。随分と使い込んでるね。これ以外、使いたくなかった?」
「どうなんだろ······考えたことも、無いかな」
「そ。じゃあ、そのくらい頑張ってるってことだ」
「へ?」
アルフォンスは、キョトンとした。
「俺はお前の気持ちはわからない。何せ、お前みたいに何かしら抱え込んでるわけでもないからさ。頑張る気持ちも気合いも、挫折したときの悔しさとか悲しい気分も知ったこっちゃない。けどさ、こいつの価値ならわかる」
ペンには、アルフォンスの名前があった。その裏側には、慣れない調子で極細の字が刻まれていた。
――――あなたを信じている――――
ジンテツは彫られた字をなぞり、見えるようにしてアルフォンスに差し出す。
「アルフォンス、お前、まだ頑張っていいってよ」
また怒りが沸いた。なにをわかった風にして、と。だが、すぐに泡となって消えた。
なにをすればいいのかわからなくなってしまった。アルフォンス・オカルティクスの景色が、不鮮明になる。
「ホワイトペア、イエローペア。集合!」
ブライアンズに呼ばれて、ジンテツは背伸びする。
「俺達の番だ。やったろーぜ、相棒」
「待って!」
席を一つ一つ飛び越して降りていくジンテツに、アルフォンスが性急に呼び止めた。
「なに?」
「君は、なんで······なんで、ここにいるの?」
ジンテツは顎に手を付けて、「ん~」と小さく唸って考えた。彼がここに来た理由には、あろうことかジンテツ・サクラコ本人の意思は殆んど含まれておらず、単なる成り行きでしかない。思い付いたのは、たった今。
ジンテツは、渡しそびれるところだった万年筆をアルフォンスに向かって下から軽く投げ渡し、手で柔らかなものを掴むような動作を二回して、答える。
「メ・ス。ケケケ」
なんとも軽薄で、卑しく、不純な答え。だが答える様は清々しく、受け取った万年筆は、羽よりも軽く感じた。
それは手元からだけでなく、胸の奥からも。
「なんなんだろ、これ······」
アルフォンスはなにもわからない。わからないけれども、嫌な気分ではなくなっていた。
今はただ、ジンテツの背中が温かなものに見える。
「二組とも揃ったな」
ブライアンズを挟んで、ジンテツはエイミーと、アルフォンスはキッテルセンと向かい合っていた。
二組の間で、不穏な空気が捻り合う。
「では、ルールを説明する。制限時間は十分、範囲は結界で限定するから心配しなくとも場外なんてことにはならんからな。とにかく、相手に白旗を上げさせるか、立ち上がれなくなる程に痛め付ければよい」
アルフォンスがビクつく。
「安心しろ、オカルティクス。結界内では、時間が経てば自動的に中にいるものを回復させる効果が出る。故に殺す勢いでいっても別に構わんがな。では、結界を張るが定着までに一分程かかる。最後の会議でも、挨拶にでも当てるといい。双方供、精々悔いが残らんようにな」
ブライアンズは、少々期待しているようにして説明を終え、その場から離れた。
円形のフィールドを包むように、観戦席と隔てる塀から水飴のような幕が上に向かってゆっくり伸びていく。
「辞世の句を詠むなら今のうちですわよ。どうせ、あなたでは私たち二人に手も足も出せないのですから」
初めにエイミーが正面のジンテツを煽った。キッテルセンも、続くようにして「ムン」と力強く息巻く。
「おいおい、これはチーム戦やろ? いいのかなー? 俺だけに構ってて」
不躾に言い返す様を、アルフォンスは横から見ていた。そこにエイミーの声が割り込む。
「あらあら。この短時間で結束が生まれたようですが、残念ながらあなたたちに勝機は微塵もありませんわ」
「ん~? どーいぅーことかな~?」
ジンテツはムカつきながら笑顔で訊ねた。エイミーは野兎へ人差し指を向ける。
「まずはあなた。あなたからは魔力をほとんど感じませんの。まるで一切持ち合わせていないようにね。ハウフィとの試合を見たところ、簡単な魔術すら発動も儘ならないのでしょう。お次に隣のあなた――――」
今度はアルフォンスを指した。
「サクラコさんは知らないでしょうから、特別に教えて差し上げますわ。この方、アルフォンス・オカルティクスは、座学では程々なだけで、実技はまるで底辺なんですのよ」
「へぇ~」
ジンテツは無機質にアルフォンスを見た。
「そう。魔術の腕は試験に通じる程度で、発展途上の兆しが全くない。もっと言うなら、センスが無いんですのよ! オーホッホッホッホ!」
俯くアルフォンス。ジンテツの前で自身の実力の無さを暴露され、恥ずかしくて顔を合わせられない。
高らかに嘲笑するエイミーは、続けて言う。
「魔術を使えないウサギに、見る聞くしか能がない
事実。紛れもない、現状。
エイミーの言うことは全て正確であり正当。この組みは、どうしたって何もかもが欠けている。
幻聴か、周囲からもヒソヒソと陰口が聞こえてくる。
「マジかよ」
「あーあ、あの組だったらもう少しは楽に倒せたかもしれないのに」
「アタリを引かれちまったな」
「どっちかと組まなくて良かった」
「何々、低能と無能のペアなの? お似合いじゃん」
「賭ける? 二人のジャイアントキリング」
「無理だろ。相手はゴーシュとベルグフォルグだぜ? やるだけ無駄」
「あいつら、終わったな」
アルフォンスは腸から熱いものが登ってきている気がした。それは喉にまで達し、手で口元を塞ぐ。
「さあ、あなた方はどうやって私たちを倒すおつもりなのでしょうねぇ? オーッホッホッホ、オーッホッホッホ!!」
アルフォンスの我慢が限界に達し、足元がふらつく。
底無しの谷に、落ちている気がした。だが、何かがアルフォンスを引っ張り上げる。
横に目を向ければ、ジンテツが立てよと言うように襟を掴んでいた。
「で?」
「······は?」
エイミーは眉間にしわを寄せる。キッテルセンも同様の反応をされ、ジンテツはアルフォンスを掴んだまま静かに呆れた風の溜め息をつく。
「低能と無能のペア、いいね。ああ、ああ、いい、いい。うん、悪くぁ無ぇ。悪くぁ無ぇが――――――――気に喰わねぇなぁ」
ジンテツの瞳孔が鋭くなる。
彼の放つ言い知れない圧迫感に気圧され、エイミーとキッテルセンは一瞬身体が固まった。
二人の反応を見てジンテツは愉快そうに微笑み、アルフォンスの頭に手を置く。
「安心しろ、俺らが強い。取り敢えず、勝つぞ」
「っ! ······うん!!」
軽い口調ながら、アルフォンスには激励に聞こえ力強く頷いた。
結界が定着し、ブライアンズの鼻息がゴング代わりのラッパとなって轟き、試合が始まった。
「わけのわからないことばかり――――キット、ちゃっちゃと終わらせますわよ!
キッテルセンの肉体が膨れ上がった。クラウチングスタートの構えを取り、全速前進する。
一歩一歩踏む度に地面が割られ、まさにキッテルセンは肉弾戦車となっていた。
「アルフォンス、これ使って。二十七ページな」
「え?」
ジンテツはアルフォンスに手帳を渡した。表紙が無く、曇った透明の装丁に収まっている。
「これは?」
答える前に、アルフォンスを突き飛ばしてキッテルセンの突撃から逃がした。ジンテツは正面から衝突を受けて、軽々と吹き飛ばされて墜落。
「サクラコさん!」
「軽いな。ちゃんと肉食ってるのかい? さてと、次は君だ。悪く思うなよ」
キッテルセンは標的をアルフォンスに変えた。彼に向き、クラウチングスタートを構える。
アルフォンスは魔術を使おうとするが、突然のことが連続して混乱して魔力を練れなかった。なにより、キッテルセンの突撃を諸に喰らったその後の自分を予想してしまい、戦々恐々となって冷静でいられなくなっていた。
落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け――――
何度も自分を奮い立たせようと努めるも、一向に良くならない。キッテルセンの準備が整い、もうダメだと目蓋を閉じる。
「二十七ペェェェェェェジッ――――!!!」
ジンテツが性急に立ち上がって叫んだ。頭から血を流しながらも、重厚な視線を向けて促す。
アルフォンスは衝動的に慌てて手帳を開く。そこには、魔法陣が描かれていた。とても複雑に絡み合っていて、一目では効果がわからない。
「キット! なにしていますの! 早く仕留めてしまいなさい!」
「わかってるよ!」
エイミーに急かされ、キッテルセンはじわじわと歩み寄る。
「アルフォンス、そのダルマに手ぇ翳せ! あとは超魔力を込めろ!」
言われるままに、アルフォンスはキッテルセンに向けて右手を翳し、ただ魔力を込めることだけに集中した。
すると、アルフォンスの掌から魔法陣が展開し、極太のオレンジの光線が放たれた。
「それ、魔導書か!?」
キッテルセンは両腕を前に出して、光線を防ごうとする。だが――――
····································
――――なにも、起きない。光線は照射されただけで、キッテルセンにはなんら影響が無い様子だった。
「ふっ、なんですの? ただの目眩ましではありませんの」
「ああ、そうみたいだな。今のでどう打開する気だったんだ?」
キッテルセンは自身の無事を確認すると、膨れ上がった剛腕を掲げる。
アルフォンスの目に涙と共に浮かび上がったのは、父母と幸せに暮らしている時の情景だった。
結局、どれだけ頑張っても······無駄じゃん······――――
観念し、膝から崩れ落ちたアルフォンスに、キッテルセンは躊躇無く腕を振り下ろす。
「ナイスだぜ、メガネくん」
澄んだ声が耳に入ったその瞬間、キッテルセンの巨躯が一瞬にして消えた。そこには横からすらっとした左足が伸びていて、辿ればジンテツのものだった。
「サクラコ、さん······?」
「上々。流石、俺達」
ジンテツは柔らかな笑みを浮かべて、アルフォンスを見下ろした。
「なんですのッ! 一体何が起きたんですのッ!?」
傍観していたエイミーは確かに直視していた。自身の魔術によって強化されたキッテルセンが、ジンテツによって蹴り飛ばされるところを。
キッテルセンは起き上がる気配が無い。白目を剥いて、完全にノックアウト状態だ。
「ありえない! ありえませんわ! 私の
エイミーは凄まじい形相でアルフォンスを睨んだ。
問われた本人も、一体全体何が起きたのかてんで理解できていない。
彼は単に、ジンテツの言う通りに行動しただけ。すると、すんなり魔術が発動した。滞りなく円滑に。
アルフォンス自身、今までで一番の手応えだったことにいたく驚いていた。
心当たりがあるとすれば、ジンテツが渡してきた手帳のみ。今一度、二十七ページに記された魔法陣を見てみれば、アルフォンスははっとしてジンテツを見た。
「おいおい、エルフ。そう責めてやるな。メガネくんは
ジンテツが、エイミーの視界から逃がすようにアルフォンスの前に立って言った。
「あなた、なにを言って······――――あぁっ!」
一瞬、困惑するエイミーだったが、直前にキッテルセンが口走った「それ、魔導書か!?」を思い出し、すぐに驚愕して顔を青くさせた。
魔導書とは、様々な魔術が記録された媒体を差す。これを作るには、途方もない時間と魔力が要求されるという。その存在価値は、たった一冊でも金貨五千枚超。
まさに伝説級の代物。
「ありえませんわ! だって、あなたには魔術を使えるほどの魔力すらない! そんな無能が魔術を記録するなど、できるわけがない!」
魔導書はたった一冊の制作だけでも、全ての魔力を使い切ってしまうとされている。それ程までに身体への負担が凄まじく、中には廃人となってしまった哀れな魔術師の事例も数多く残っている。
挙げ句に、作られた魔道書のほとんどが粗悪品で、字は歪んで全然解読できず、軽く擦っただけで紙が塵に還ってしまい、内容も糞もない有り様だった。
天性の魔術師ならともかく、薄弱過ぎるジンテツの魔力では到底為し得ない。謂わば、未知の計算式を0から構成し、成立させ、それを一晩で数百と書き出した比類無き神業――――には代わり無いが、実際は魔力が無いからこそ叶ったとも言える、逆説的反則である。
その事に気づくわけがなく、アルフォンスとエイミー、競技場にいる全員が目を疑うしかなかった。
当の制作者であるジンテツは、「血ぃ、邪魔」と煩わしそうに額の血を拭き取って、自身の耳を掻いている。
「ったく、どいつもこいつも、出来る出来ないで決めつけやがって。やれちゃったんやさかいに、それでええやろ」
「······は???」
ほとんどがエイミーと同じことを思った。
周囲の懐疑的な反応を見て、ジンテツは肩を竦める。
「アルフォンスに渡したやつは特別製でな。一番最初に使った奴の魔力を憶えさせて、魔導書本体に所有権を刻み付ける。加えて、触ってる間は【魔力増強】と【
ジンテツはアルフォンスの頭を優しく撫でた。それから、エイミーに鋭い眼差しを向ける。
「俺は確かに魔術を使えない。ほんなら、誰かに使って貰うしかないよな? そういうことだ。ちなみに、筋肉ダルマにやったのは【筋肉軟化】と【軽量化】、あと【衝撃耐性無効化】の
ジンテツのプレゼンテーションが終わった。
終始、楽しそうに話していた野兎を見て、アルフォンスはあることを思い出した。
それは先程、ジンテツの不真面目さに対して怒り心頭になって責め立てたときの彼の返事だ。
『あー、はいはい。昨日は柄にもなく徹夜してて。お陰で眠いのなんの』
まさか、とアルフォンスは立ち上がってジンテツを呼ぶ。
「もしかして、徹夜してたのって······」
ジンテツは左目を閉じて小さく舌を出した。このふざけた返事から、アルフォンスは全てを察した。
いつ頃から製作に取り掛かっていたのかはともかくとして、何よりもアルフォンスにとってこれ以上無い希望の星が降りてきたのだ。
「さてと、アルフォンス。今度は百八ページを開いてみ」
「あ、うん!」
アルフォンスは迷い無くページを捲る。そこには、二十七ページよりも複雑な魔法陣が記されていた。
蜘蛛の象形図を中心に、亀甲模様が描かれている。外側には四つの星があり、それぞれ線が引かれて菱形を成していた。
「ふざけるな! ペーパーテストならいざ知らず、こんなことで私があなた達を下回るなんて、あっていいわけがないんですの! 【
エイミーが自棄糞に光弾をいくつも射出。
「めんどくせぇなぁ!!」
ジンテツが白鞘を抜刀して、悉く切り捨てた。
「準備はいいかい、アルフォンスくぅん?」
「うん!」
背後から力強い返事を聞いて、ジンテツは退く。既に、アルフォンスは魔法陣を展開していた。
「そんなもの、この私には通用しませんわよ!」
エイミーも対抗して魔法陣を展開。
撃ち終わったところに、有無を言わさず反撃を与えようという寸法を企てていた。
「先生は悔いないようにって言ったんだ。盛大に
「うん!」
アルフォンスが意気込むと、魔法陣が強く光り出した。そして真っ白な極太の光線が撃ち放たれ、そのままエイミーを彼女の展開した魔法陣ごと包み込んだ。
結界に亀裂が生じ、目映い光と共にパリーンと簡単に破裂し、周囲は衝撃と眩しさで頭を伏せる。
エイミーは目を開け、周囲の景色を窺った。痛みを感じないところから自分は無事で、アルフォンスの魔術は不発に終わったと高を括って盛大に笑う。
「へ、オーッホッホッホー! やはり低能は低能、無能は無能でしたわね! どんな強力な魔術を使うのかと思えば、なんの影響もありませんわー! どうです!」
エイミーはこれで勝ったと思っていた。だが、二人の様子を見てすぐに違和感を抱く。
ジンテツは腹を抱えて、必死で笑いを堪えている様子。アルフォンスに至っては、顔を赤くしていてエイミーから目を反らしている。
他にも、妙な視線を感じて周囲を見渡す。同様だ。
誰もが顔を赤らめ、呆れた様子で目を背け、嘲笑している。特に男衆は目を大きく見開いて注目していた。
「皆様、なんですの? なんで、揃いも揃って挙動不審なんですの? ねぇ!」
ブライアンズは額に手を当てて、「フゥー」と重く鼻息を吹いた。それからエイミーの名を呼び、下を指差した。
目を向ければ、なんとエイミーの着ていた服が消滅し、下着姿となっていたことにようやく気づく。
「ひっ······イヤァァァァァァァァァァァァ――――!!」
カァーっと顔を紅潮させ、エイミーは自身を抱いて座り込んだ。
「見ないで! 見ないでくださいましィ! うぇーん!」
大粒の涙を噴出させるエイミーの泣き声が、競技場を広く駆け巡る。
ブライアンズは困り果てながらジンテツ達に向く。その目は、なにをしたと問い掛けているようだった。
ジンテツは笑いが落ち着いてから答えた。
「ああ、これ? ぐふふッ、安心しなよ。ケケケケッ、服は分解しちゃったけど、後でちゃんと元に戻るし、保温状態で風も引かないからさ。ケゲッ、ゲヒャヒャヒャヒャヒャヒャァー! あー、たまんねぇ!!」
呆れてどう物を言えばいいのかわからず、取り敢えず場を収める為にも判定を進めるブライアンズ。
「キッテルセン・ベルグフォルグは意識途絶。エイミー・ゴーシュ、続けられそうか?」
「こんなのでできるわけがないでょう! 早く着るもの持ってきてください! うわーん! もうお嫁にいけないぃー!」
エイミーのギャン泣きを鬱陶しく思いながら、ブライアンズは手を挙げた。
「イエローペアの続行不可を確認。よって、ジンテツ・サクラコ、アルフォンス・オカルティクスら、ホワイトペアの勝利ッ!」
見事なまでのジャイアントキリングに、(主に男達の)歓声が上がった。
因みに、エイミーの服は半日後に元に戻った。
++++++++++
本日最後の講義が終わるまで、仮試験の話題が騒がれた。アルフォンスは、今まで目もくれなかったクラスメイト達から、次々に押し寄せられてとても落ち着かなかった。だが、それがとても嬉しかった。
かつて、ここまで誰かに称賛されたことがあっただろうか。振り返れば、村落の皆と比べても凄まじい勢いだった。
魔導書を見せてくれと何度もせがまれ、中には譲ってくれとまですり寄る輩も現れた。それはアルフォンスが断る前に、他のクラスメイト達に止められた。
騒ぎは早くに終息したものの、アルフォンスの手は未だに興奮で震えていた。
信じられない。僕が――――
授業が終わってから、仮試験で勝利したペアのみが集められ、各々に本試験への受検許可が降りた。
これといってろくな成績を挙げられなかった自分が、首席レベルの二人に勝っただけでなく、本試験への足掛かりも掴んだ。
けれど、それは独力ではない。勝因の全ては、ジンテツにある。彼に渡された魔導書。これが全てを変えた。
夕日の茜に染まった教室には、アルフォンスとジンテツの二人しか残っていなかった。
影のかかったアルフォンスから反対側に、ジンテツがいる。鞄の中身を確認して、帰る準備をしていた。
ふっ、と我に返って、アルフォンスは魔導書を手に取る。
「サクラコさん、これ返すね」
「ん? ああ、あげる」
ジンテツからあっさりとした返事が来て、アルフォンスは戸惑った。
「え? でも」
「言っただろ。最初にそれを使ったやつが所有権を持つ。もうお前のものだよ。どんなに離しても、戻ってくるから」
魔導書の所有者はお前だ。それだけで、アルフォンスが納得する訳がなかった。魔導書を持つ手は退かない。
「でも、これが無かったら僕は勝てなかった。これを持っていた、これを作った君と組んだからこそ二人に勝てたんだ。皆は僕がスゴいと思ってるみたいだけど、これを使ったときに初めてわかったんだ。この魔導書は、君にとって“努力„の結晶なんだよね?」
ジンテツは静かに聴いていた。アルフォンスは一度口をつぐんでから、頭を下げて続けた。
「偉そうなことを言ってごめん。僕は、悔しくて悔しくて、君に八つ当たりしちゃったんだ。こんなんじゃ、僕はダメだよね。自分のことばかり考えてるようじゃ、こんなのは受け取れない。君に返すよ。僕にこれを持つ資格を与えられても、使う資格は無い······」
努力、努力と言いながら、自分は半ば諦めかけていた。才能が無い。センスが悪い。座学以外に能が無い。だが、実際はそんなことはなかった。
短い間ながら、自身とジンテツを比べて、才能に関係なく途轍もない差が生じていることにも気づかされた。
エイミーの発した仰天の発言――――
『だって、あなたには魔術を使えるほどの魔力すらない!』
これを聞いた途端に、アルフォンスの価値観が翻ったのだ。
魔術を使えないことは、この世界では致命的なことだ。日常生活に置けば常に不便を強いられ、力関係に置けば簡単に天秤が傾く不公平の起点となりうる。
だから皆が皆、日頃から努力を欠かさない。使える術を増やす為に。限られた力量の範囲で、誰よりも有利を獲得するために。
けれど彼はどうだ。ジンテツ・サクラコには魔力が無い。どうしようと、皆から距離が離れるばかりだ。
覆しようもない不利を、延々と続く雑草の垣根を、彼という野兎はワイルドに切り開いた。
ジンテツは確かに天才だ。想像もできない努力によって、『天才』という呼び名、印象、実体を強引に掴み取った本物の猛者だ。
到底、為し得られることではない。故にアルフォンス・オカルティクスという努力家擬きの凡才には、他人の努力を借りることしかできなかった。それが、とてもとても自分で赦せない。
「そ。大層な言い分やな」
「実際、そうじゃないか。僕は、勉強しか取り柄がない。だから、ガリ勉らしく地道に行くよ」
魔導書を持つ手が伸ばされる。
ジンテツはアルフォンスの顔を見た。満足感に満ち溢れていて、微塵も未練が感じられない。だが、ジンテツは魔導書をアルフォンスの胸に軽く押し返した。
「俺は頑張ってる奴を見てると、気分が良くなんの」
「え?」
「お前が頑張る理由はどうでもいいが、そのままでいてくれた方が俺は嬉しい。メガネくんなら、頑張り屋なアルフォンスなら、
ジンテツが教室を去って、アルフォンス一人だけとなった。日は深く沈んで、帳が段々と降りてくる。
魔導書のページを何気無く捲る。裏表紙に届くまで見通して、閉じる。
ざっと三百ページを越える複雑な魔術の集合体。
片手で持てる程軽いながらも、この手帳からは計り知れない努力の重みを感じる。
持っているだけで励まされている気がする。
『アルフォンス、お前、まだ頑張っていいってよ』
ジンテツに言われたことを思い出す。
あのときはふざけた態度に反発していて、言葉の意味がわからないでいた。けれど、今ならわかる気がする。
万年筆を取り出して、母の文字を見る。
誰かに赦されるものではない。赦してもらうものではない。他者からも、自分からも、『信じて』もらう為に、誰もが力を身に付ける。
いつかあの背中に追い付けるようになれたら、どれ程清々しい景色が見れるだろうか。想像したアルフォンスは、深く深く息を吸って、溶け込ませるように吐いた。
「母さん、僕、もう挫けないよ」
魔導書に自身の名前を書いて鞄にしまう。その際に、中身で何かが手に触れた。
引き出したものを見て、アルフォンスは微笑む。
「これはもう、要らないや」
+++++++++
無人となったAクラス。
夜闇の隅のゴミ箱に、くしゃくしゃに丸まった自主退学届が棄てられていた。
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