日記 2023/9/14

川谷パルテノン

2023/9/14

 日々起こることに丁寧に目を向けるのは結構簡単なことではない。空がいつもより青いかどうかなど実際にはわかってないのだが青いと思えるだけまだ丁寧だ。朝起きて顔を洗う。必ず鏡の向こうの自分と見合うはずだが今日はどんな顔だったかなんて数時間もすれば忘れてしまう。今自分はどんな顔をしているのか。自分のことは自分がよく分かっていると豪語してみても、一日の中で言えば他人の顔を目にしているほうが長いはずである。職務を全うすることに集中すればするほど他の大したことのない日常というのは透明になって視界から姿形を消してしまうのだ。だからこれはきっと気まぐれが招いた事態である。いつもなら見過ごしてきたのが偶然丁寧だったせいで私の目の前には一つ目の熊が立っていた。

 一つ目の熊はその遺憾無く発揮される此処にいるはずのない存在感をもってしてなんとか日常に溶け込もうとする姿勢なのか微動だにせず突っ立っている。ただ私はそれを見つけてしまい、目が合った。周囲を見渡しても私だけがその存在を認知している。破茶滅茶に違和感なのに誰も気がついていない。私は不安になる。瞼を擦ってみるがまだ一つ目の熊はそこにいて一つしかない目でこちらを見ていた。明晰夢、或いは幻、もしくは蓄積された疲労からくる錯覚ならば無視しようとも思えるがそれはあまりにも立体的で肉付きの良い「動物」だった。熊はただ静かにこちらを見つめるだけで、目こそ一つでありながら、本質的には意思を疎通させることが出来ないという人間と動物の関係性を表していた。違和感でありながら妙に現実的である様は私に「ディテールの甘さ」について考えさせることとなる。

 今よりも若い頃、私は今と同じように創作と宣って趣味で物語を書いてきた。今がよく書けているといったわけではないがその頃のものはどれも稚拙で、言うなれば思いつきを並べたにすぎない。しかし自分としてはそれよりも少し先に進んだ地点で書かれたもののほうがより酷いように感じた。物好きがこうじて続けるうちにリアリティラインを意識しだした頃である。私のそれは史実みたいなものに引っ張られて物語がその自由さを失い立ち尽くすほかない状況に陥っていた。素人が畏まったものを書くにあたって面白いとは何かを見失い惰性のまま一応の形を作ってはいたがそこには感傷の余地もない。それでも正しいと思っていた。無論、リアリティを追求すること自体は悪ではなく創作の強度として機能するならば価値あることだと思う。ところがそれを乗りこなせずに遭難するしかなかった物語には今更ながら申し訳なく思う。いつかの若造ならば許せなかった一つ目の熊は別段何かを語ることもなくただそこにいる。しばらくするとどこかへ行ってしまうのだろうけれど、私はそれが悠々とあり得ないままどこまでも在ってほしいと思った。

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