第65話 はい。喜んで

 いつもは稼働式の壁で隠れている大階段が、今はカーペットが敷かれて華やかな舞踏会仕様になっている。その下までたどり着くとユーゴが私から離れ、来賓のほうへ数歩下がる。


 私はそこで一呼吸を置いてから振り返り、ゆっくりと学園長や来賓、次に保護者などがいる二階席、最後に学生たちに向かって丁寧に礼をした。


(本当はこの階段から登場を、――なんて言われていたのよね)


 回避できてよかったと、ひそかに息をつく。


 だって今は、ただの卒業記念舞踏会。つまり主役は卒業生全員なのだ。ただ挨拶をするためだけに、そんな派手な演出はいらないじゃない。


 これがユーゴ一人だったならなら、彼の正体をばらしたうえで派手派手しい登場をしても、むしろ盛り上がりそうな気もするけれど、残念ながら隣に私がいるのだ。

 ユーゴに挨拶を変わってもらおうかと提案しようかとも思ったんだけど、彼が悪乗りしそうな気がして寸でのところで止めた。


(悪乗りだってわかってても同意したのは、セビーやニーナが喜ぶからって言われたからなんだけど……)


 目立ち度から言えば、ほんの少しマシになった程度だったかもしれない。


(十の派手さが、かろうじて八になったくらいだものねぇ)


 ゆっくりと顔を上げてホールを改めて見渡すと、見慣れた制服姿ではない同級生たちが目に入る。ほとんどの卒業生はパートナー同伴で、相手は同級生だったり婚約者だったり仲の良い後輩というのがほとんどだ。

 もちろん見知った顔も多いんだけど、そんな彼らでさえ、不思議そうな目で私を見てくる男子もいれば、私とユーゴを見比べるようにかわるがわる見ている女子もいた。


(うわ。改めて見ると緊張が増すわ)


 ざわめきの中には、「あれは誰だ?」と言う声も多い。

 もちろんユーゴを指しているらしいものには心の中で同意してしまうけれど、私の姿に驚いている人も予想以上に多かったみたいだ。


「へっ? あれがロクサーヌ?」「嘘だろ?」


 そんな男子のひそひそ声に婚約破棄された時のことを思い出してしまい、少しだけ身がすくみそうになる。女子の間でも私に気づいたことで、嫌な感じでヒソヒソ話をしている子たちも気づいてしまった。


 目立つとこういうことがあるのよねぇと思うけど、もちろん顔には出しません。


(きっと短い髪が珍しいんだわ)


 セビーが整えてくれたヘアメイクは完璧だもの。自信を持たなければ却って失礼よね。


(それに……)


 こちらを見るユーゴのまなざしが、私に更なる幸福感と自信をくれるのを感じる。

 大丈夫。

 私は背筋を伸ばして前を向けばいいんだ。


「ロクサーヌ・ガウラです。卒業生を代表し、挨拶をさせていただきます」


 にっこり笑って、ガイドをしている時のように隅々まで通る声で、まずは同級生に向かって語りかけた。


「学生生活は楽しかったですね。あっという間の三年間でした」


 そう言って卒業生の顔を見れば、何人かが頷き返してくれる。


「大変なことや辛いことももちろんあったけど、かけがえのない日々だったって自信を持って言えます」


 物語を語るように――。

 そんな感じでいくつかのエピソードを添え、先生の名や何人かの学生の名を出していけば、場がどんどん和やかな空気になっていくのを感じた。

 そして先生方をはじめとした全員にお礼を伝え、締めくくる。


「ここから旅立つみなさんの幸運を心から願います」


 最後に大きな声で「みんな、卒業、おめでとう!」と叫べば、会場中がわっと盛り上がった。その歓声の中、楽団の演奏が始まる。記念舞踏会の始まりだ。




 卒業生がそれぞれのパートナーと手を取り合う。

 私も迎えに来てくれたユーゴの恭しい仕草に笑いつつ、その手を取った。


「みんな見てるな」

「そう、ね?」


 ユーゴと踊るのは初めてだけど、すごく踊りやすいなんて感心していると、完璧な王子様スマイルのまま、彼が楽しそうに目を輝かせた。


(ユーゴだって気づいていない皆の反応が楽しいのかしら?)


 心の中で首を傾げると彼がクスッと笑い、私の耳元に口を寄せた。


「君のパートナーが俺でよかったってこと」


(??????)


 よかったと思ってくれるのは嬉しいけれど、正直さっぱり意味がわからない。

 私が不思議そうにしてるのが面白いのか、ユーゴがニヤッと笑って得意げに周り見た後、何かに気づいたようにくいっとかすかに顎を上げた。


(見ろってこと?)


 踊りながらその意味深な視線を辿ってみると、そこに意外な人の顔が見えた。


(あ……。ギヨームとピピさんだ)


 会場を見下ろせる二階席は卒業生が招待している家族や友人のほか、抽選で当たった人もOBなども入ることができる。ギヨームはOBではないけれど、もともと私の婚約者として招待券があったはず。特にそれを取り消してもいなかったんだけど、まさか来ているとは思ってもみなかったわ。


 一瞬、自分が婚約破棄した哀れな女の子を見に来た? ――なんて意地悪なことを考えてもみたけれど、私はすぐにそれを否定した。

 彼の性格上、きっと私は欠席していると踏んで、もしくは何も考えず、ただいい機会だから人脈を広げに来た。そんなところが正解だろう。


(それにしても、人ってあんなに間抜けな顔になれるのねぇ)


 こちらを見ているギヨームは、ポカンと口をあけて目も真ん丸にしている。

 あの人こんな顔してたんだなと思うのと同時に、彼と結婚するつもりだったのが遠い過去……いえ、むしろ夢だったようにさえ思えた。


 彼の隣には、いつかのように少女のような姿のピピさん。

 彼女も別の意味で驚いたような顔をしていたけれど、私がさりげなく見ていたことに気づいたらしい。彼女もそれとなくユーゴのほうを指した後、自身の耳元に触れて彼のピアスに気づいていることをアピールした後、にっこり笑って見せた。

 私がユーゴにピアスを上げたことに気づき、特別な人だと分かったらしい。


『ね? あなたにピッタリな人は現れたでしょう?』


 そんなピピさんの声が聞こえた気がして、小さく頷く。

 

『ロキシーさん、幸せにね』


 そんな声が聞こえるようなウインクをして、彼女は甘えるようにギヨームの腕に抱き着き、誰かを見つけたとでもいうように彼をどこかへ連れて行ってしまった。


(ピピさんもね)


 絶対孫がいるようには見えない魔性の女を見送りながら、彼女の幸せを心から願った。


「あの野郎に、ざまあみろって思った?」


 おかしそうなユーゴの言葉に小さく首を振る。


「思わないわ」

「なぜ?」


 不思議そうな彼の目を見て、私はふんわりと笑った。


「決まってるじゃない。今私が、すごく幸せだからよ」


 ユーゴがハッと息をのみ、見る見るうちに耳が真っ赤になる。

 その様子に胸をときめかせていると曲が終わり、彼が私の前で跪いた。


「ロクサーヌ・マリー・ジオラス・ガウラ嬢」

「はい」


 時間が止まったように会場が静まるなか、けっして大きくないユーゴの低くて滑らかな声が響く。


「ユーゴ・ヴァレルこと、オーディア国第三王子であるライナー・ヒュー・オーディアがここに誓う。あなたを愛し、慈しみ、必ず幸せにすると」


 それは求婚の定型文なのかもしれない。

 それでも彼の真剣な眼差しに、胸と目の奥がじんわりと熱くなった。


「――ロクサーヌ、俺と結婚してくれますか?」


 私の答えを知っているはずなのに、どこか不安そうに王子様ではない話し方をした彼を安心させたくて、私は精一杯微笑んだ。


「はい。喜んで」


 彼の手を取ると、わっと歓声が上がる。

 ユーゴの正体に驚く声や、プロポーズに興奮した周りの声の中、ユーゴに手を引かれた私は彼の胸にそっと手を当て、彼だけに聞こえるようその耳に口を寄せた。


 ますます赤くなった彼に何を言ったかって?

 それはね、――――二人だけの秘密です。


   ◆


 ――セビー視点――


 姉が王子の求婚を受け入れた。

 その様子を見て号泣している幼馴染のニーナにハンカチを差し出すと、彼女はえぐえぐと泣きながら、何度も「よかった」を繰り返した。


「よかった。未来が変わった」――と。


 自身の未来を見たことがあり、それを変えたいのだと言っていたニーナが、の姉ロクサーヌの未来が見えたと言ったのは、長期休みで姉が来る数日前のことだった。

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