第64話 大人たちの悪乗り

 舞踏会は予想以上の大騒ぎになった。


 卒業生が集まった会場で楽団による開会の演奏が始まり、卒業生代表として私の名前が呼ばれる。すると会場のドアが開いて私が入場する――。

 そんな突然の演出に、同級生たちの目が一斉にこちらに向いた。


(うわぁ。シーンとしちゃった)


 うん。驚くわよね? 私だってびっくりよ。地味女にこの主役みたいな演出、本当に心臓に悪い。悪すぎる!

 でも表情だけは穏やかな笑顔を保ったまま、当たり前みたいな顔で正面を向と、エスコート役のユーゴが、彼の肘にかけている私の手をポポンと叩いた。横目でちらっと見上げると、ちょっと面白がっているようなユーゴの顔が目に入る。


(ああ。注目されることに慣れてるって感じね)


 少しだけ羨ましいような恨めしいような複雑な気分になったけれど、柔らかく細められた彼の目に大丈夫だと励まされ、小さく頷いた。

 そうね。名前を呼ばれて注目されているけれど、確実に視線を集めているのは私じゃなくてユーゴのほうよね?


 そもそも、こんな目立つような演出はなかったはずなのよ。

 ユーゴのほうは分からないけれど、少なくとも私はみんなと同じように会場にいて、ダンスが始まる前に卒業生を代表して簡単に挨拶をする。そんな流れだったはずなんだもの。

 もし私が欠席した場合は次席のユーゴなど、何人かの成績上位者が代理で挨拶する場合もあるくらいの、ゆるっとした感じの役割。


 でもこの突然の演出はこう言ってはなんだけど、いわば大人たちの悪乗りである。


(まさかユーゴが乗るとは思わなかったわぁ)


   ◆


 控室での騒ぎが落ち着いた後、舞踏会前の来賓へのあいさつは簡単なお茶会になった。

 もともとは来賓の方が、卒業生に学園での経験とか思い出なんかを聞く場だったらしいんだけど、今回は完っ全に大人たちが思い出話に花を咲かせ、その中でユーゴと私がいじられる会って感じになったの。


 一番浮かれていたのは、普段キリッとかっこいいおばあさまってイメージの学園長だったかもしれない。


「今期にこんなめでたいものが見られるなんてねぇ」


 そう言って頬を染める学園長先生は、思いのほかロマンティストだったらしい。

 彼女は王太子殿下ご夫妻が入学したときに園長に就任したとかで、二十年近く前の卒業記念舞踏会で、王太子殿下が後の妃ミレイユ様に求婚したのを直接見ていたのだとか。


「とても素敵だったのよ」


 その時の様子を語った学園長は、夢見る乙女のように頬を染めた。

 その後も学園では何度か素敵な求婚劇があったそうで、ユーゴが入学すると決まった時も、あの日のようなロマンスをまた見られるのかもと内心期待していたらしい。


 ユーゴもまさか、そんな期待をされていたとは露ほども思わなかったのでしょう。学園長の話に唖然とした顔をしているのがおかしいけれど、入学してきたユーゴはまさかのもっさり仏頂面男だったわけで。

 学園長も彼の素顔を知っているとはいえ、あえて正体を隠した仏頂面の王子様と、彼を怖がって遠巻きにする女の子たちを見て、今期はそのようなことはないものと諦めていたのだそうだ。


(たしかにまさかよね)


 内心頷いていると、ユーゴのお母様たちが学園長に同意した。


「そうよねぇ。あーんな怖い男の子に平気で声をかける女の子なんて、ロクサーヌさんだけだったわよね? 母親の私から見てもすごいわと思ってたのよ」

「そんなことは……」


 あったかな。……あったわね。

 というかユーゴって、お母様にまで怖いって思われていたのね。


「覚えているかしら。前にここで、ロクサーヌさんにお茶を入れてもらったことがあったでしょう。誰かに似ているなと思っていたんだけど。――そう。あなたがアンネマリー様の……。そうしていると、彼女ととても似ているわ。国も場所も違うのに、学園という雰囲気のせいかしらね。まるで、遠い昔に戻ったみたいよ」


 そう言ってユーゴのお母様であるリル様と、その従姉妹のマノン様が目を潤ませる。二人はオーディアへの留学時、アンヌマリー母様と同級生だったのだそうだ。


 オーディアで共に学生生活を過ごした三人だけど、当時王太子だったユーゴのお父様は、入学式でリル様に一目惚れをしていたらしい。


「殿下の好意には気づいていたのよ? でも私はただの留学生だった。それに殿下とアンネマリー様の婚約はほぼ決まっているような雰囲気だったから、何も気づいていないふりをしていたのよ」


 馴れ初めを話す母親の話に、ユーゴが苦笑する。

 今も息子相手に惚気けるというお父様らしいから、当時も異国の令嬢に懸想する王子様の気持ちは周りにバレバレだったのかもしれない。

 そう考えると、婚約者候補だったアンヌマリー母様も複雑だったのではと思うんだけど――。


「今思い返すと、彼をけしかけていたのはアンヌマリー様だったのよ。ね、エフル卿」

「えっ?」


 ユーゴのお母様に母の旧姓を出されて驚くと、後方にいた五十代くらいの男性が苦笑する。

 実は彼は、昨日私が最後にガイドした夫婦のご夫君のほうだったんだけど、あのときは違う名前だったし、ここで顔を合わせても軽く会釈をしただけで、あとは知らないふりをしていたのね。


 なんだ、家名が同じなだけかと思ったんだけど、エフル卿の次の言葉に私は目を丸くした。


「妹はロザリー嬢の弟――今の家名はガウラだったか? 彼一筋だったから、とっとと候補から外れたかったんだろう。待ちきれずに駆け落ちまでしてくれたしな」


(アンヌマリー母様のお兄様!!)


「伯父様……でしたか」


 ユーゴも知っていたのかと思い彼を見ると、小さく謝罪されてしまった。

 そうよね。自国の貴族なら知っている可能性は高いのよね。


 伯父がガイドのお客様だったのは本当に偶然だけど、エイファン様とは別口で、私を見るために王妃様に同行させてもらっていたらしい。

 妹の駆け落ちの手助けをするために、乳兄弟であるエイファン様に頼んだのも伯父だということは聞いていた。妹に弱いお兄さんだったそうで、ガイドの時も私を見て、「もしや?」と考えていたらしい。


 ずっと疎遠だったことを、伯父はとてもすまなそうに謝罪した。


「父は真面目な人だからね。周りがどう言おうと、けじめをきっちりつけないわけにはいかなかったんだよ」


 アンヌマリー母様が駆け落ちをしたことで、フッルムの公爵令嬢だったリル様とオーディアの王太子が婚約することになった。事実はそれだけだけど一大スキャンダルだったことは確かだし、当時は私が考える以上に裏ではいろいろなことがあったのだろう。


「しかしまあ、かつて破られた結婚の約束だけど、その子供同士が結ばれるのは不思議な縁だね」


 伯父の言葉にハッとすると、ユーゴが同意するように小さく頷いた。


 私の父は結局爵位を継ぐ前に亡くなったから、今の跡取りは兄になっている。

 でも私がオーディアのエフル伯爵の孫であれば、きっと色々なことがスムーズに進むのだと、そのことに初めて気がついた。


(爵位の継げない五男だったお父様が親戚筋であるガウラを継ごうとしたのは、もしかして母や私がいずれ、おじいさまに会えるようにするためだった?)


 私が気付いたことをユーゴも察したのだろう。

 それでも彼は、私次第だと囁いた。私が伯爵の孫であることを公表してもしなくても、何も変わらないと。


(そんなはずないのに)


 ふと、一昨日の彼の言葉を思い出す。

 期せずして懸念がなくなったというようなことを言っていたユーゴ。


(あれは、まわりを説得できるだけの材料が揃ったってことだったんだ)


 ハッとした私に、少しだけユーゴが気まずそうな顔をする。

 きっと彼はこの短い時間にいろいろ考え、行動し、可能な限りの準備をしてくれたんだと感じ、胸がキュッと苦しくなる。


(なのに待ってくれるつもりだったのね)


「オーディアに来たら、父にも会ってもらえるかい?」


 伯父の問いに、つい最近まで存在も知らなった祖父に会うことを考え、自分の気持ちを整理するように睫毛を少しだけ伏せる。

 きっとみんながいろいろ考え、幸せを模索しながらもそれぞれ苦しんだ。

 こちらを見る大人たちの視線にそう感じ、私はユーゴの手をそっと握る。彼の気遣うような視線に大丈夫だと答え、ふんわりと微笑む。

 私を尊重してくれる彼に、恥ずかしくない自分になりたい。


「ユーゴと一緒なら」


 そう答えた私に伯父がほっと目元を緩ませた。


「君に会えたらうちの息子たちも喜ぶな」

「奥様自慢のご子息ですね」

「妻に縁談は忘れるように言っておくよ」


 からかうような伯父の言葉にユーゴがギョッとする。完全に冗談なんだから、威嚇するような目になる必要はないんだけど――


(少し嬉しいから、まあ、いいか)


   ◆


 そんな独占欲丸出しのユーゴを見たせいか、そろそろ卒業生たちが会場入りを始めるという頃に学園長はじめとした大人たちから、「ある提案」があがった。その手始めがこの演出なのだ。


 花園のように華やかに装った学生たちが左右に分かれ、その間をユーゴにエスコートされた私が歩いたんだけど、女子の目は完全にユーゴにくぎ付けだったと思う。

 だってホ~ッとこぼれたみんなの息が、振動のように会場を揺らすのを確かに感じたもの。


 何人かの友達が私に気づいて、「可愛い」とか「いいね」と小さく合図を送ってくれるけど、その全員から「隣にいるのは誰なのか後で説明しなさい」と目で訴えられたのは予想通りだ。

 うん。私だってそうするわ。こんな素敵な人、そうそういないでしょう。


(でもね、正体を知ったらもっと驚くから!)

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