第63話 うん②
「ポカンとするロクサーヌはなかなか希少だな」
ユーゴはクスッと笑ったけど、余裕のある口調とは裏腹に、彼は落ち着かなげに再び足を組み替えた。
「何度でも口説きに来るよ」
「で、でも……」
「何年かかっても君を手に入れる。希望を捨てる気はないんだ。なにせ君も、俺を好きだと言ったんだからな」
そうだろ? という風に首をかしげる彼に一瞬目をそらしかけ、でも結局コクッと頷いた。視線で焼け付くような気がして首まで熱い。
ユーゴの手が伸びて、広い襟ぐりでむき出しの肩から首を羽のようにそっとなで上げられる。そのまま頬に当てられ目を覗き込まれると、月夜のようなユーゴの深い青色の目の中に私がいた。
(ああ。私はもう、ユーゴの中にいるんだ)
なぜかストンと納得した。
一日会えなかっただけで寂しかったのは私だけではないと、本当に彼は私と共に生きていきたいのだと、唐突に、でも深く信じることができた。
「俺は、今までの君が、あの元婚やっっ……野郎のために努力をしていたことはよく分かってる。正直気に食わないけれど、あれは今の君を作った肥やしの一つ程度には認めてもいいと思っているんだ」
「肥やしって」
すごーく嫌そうにギヨームを野郎だの肥やしだのと呼んだユーゴに呆れたものの、頭の中で反芻してみると妙に納得し、思わず吹き出してしまった。
「な、なるほどね。うん、確かに少しくらいは、こ、肥やしになったかも」
クスクス笑うと、ギヨームから婚約破棄をされたときの光景が目に浮かぶ。でも不思議なことに、彼にしなだれかかっていたピピさんの顔は思い出せても、ギヨームの顔はハッキリ思い出せないことに気づいた。
少し首を傾げると、ユーゴが「どうした?」と聞いた。
「あ、うん。本当に肥やしになっちゃったみたいでね、顔もよく思い出せないなって思ったの」
我ながら薄情かもしれないと苦笑すると、彼は「むしろ全部消し去ってしまえばいい」と顔をしかめるので、今度こそ笑いが止まらなくなってしまった。
この先私は本当に、元婚約者のことなんてまったく思い出すことなどなくなるのだと思う。
「ユーゴのおかげだね」
ユーゴに背中を押してもらって、たくさんの魔法使いに助けられた。私もいつか、誰かの魔法使いになれるだろうか。
「……オーディアに戻ったら俺は騎士になるよ」
かすかに赤くなったユーゴに、私は「うん」と頷いた。
きっと立派な騎士になる。
いずれ団長にならなくてはいけないと言う彼は、絶対に努力を惜しまないから。
「王位継承権は遠いけど、それでも妃にはそれなりに苦労をさせることがあると思う」
「うん」
きっとそうね。
素直に頷いた私に、ユーゴは束の間ためらう様子を見せたあと、膝の上でギュッと拳を握った。
「俺は君のそばなら、実力以上の力が出せる気がするんだ。頑張ることが苦にならないし、多分……楽しい……」
ああ。私もそうだったかもしれない。
ユーゴに負けたくないって思ってたけど、楽しくもあった。
「ロクサーヌ」
「うん」
「今度は俺のために頑張ってみないか? 俺は、何があっても絶対君の味方になる。君を悩ませるものや苦しめるものは、俺が全部排除する。俺が負けるのは君だけだ」
悩みながら口にしたと思われる言葉は少しかすれていた。もしかしたらセビーに何か言われたのかもしれない。でも私は、ただ私をお姫様のように守ると言ってもらうよりも、彼の隣に立てる資格があると言ってもらえたように思えてグッときた。
「私には負けてもいいの?」
「むしろ君以外、誰が俺に勝てると?」
尊大な口調にクスクス笑う。笑ってるのに涙が出そう。
「オーディアで、君の生母ゆかりの地を見に行くのもいいんじゃないかな。いくらでも案内するし。もしためらう理由が君の祖父でも、こんなに可愛い孫娘に会えないなんて不幸なジジイだなって言ってやればいい」
「ジジイって」
王子様、口が悪いわ。
でも……うん、そうね。いつかこの複雑な気持ちを整理しなければいけないなら、先延ばしにする理由はないのかもしれない。
アンヌマリー母様は悪い娘じゃなかった。貴族としては駄目だったかもしれない。でもただ一人の男性を愛した普通の女の子。
その証明は、きっと私。
「じゃあね、もしあなたのお母様が私を気に入らないと仰ったら?」
ギヨームの母親は、最初から私が嫌いだった。そしてギヨームが味方をするのは私ではなく、いつも母親のほうだった。それが当たり前だったと話すと、彼は心底不思議そうな顔をした。
「意味が分からん。婚約に例え政略的な意味があったとしても、望んで得たなら、婚約者のほうが大事だろ?」
「そう? 親も大事でしょ?」
「それとこれとは話が別。親を思う気持ちと愛する女性が同じ次元のはずがない。振り向いてもらえるだけでも奇跡なんだからな」
「――ユーゴにとっても奇跡なの?」
「あのな。奇跡を信じてなきゃ、こんな必死で口説けるか」
少しヤケ気味に早口で言ったユーゴに、拗ねたような顔で睨まれてポカンとし、ついポロッと本音をつぶやいてしまった。
「あなたに跪かれて頷かない女性がいる?」
「他人事みたいな言い方」
「う……ごめんなさい」
たしかにその通りだ。
心の底からの本音だけど、とても失礼なことを言ってしまった。
するとユーゴはおもむろに立ち上がると、「じゃあ試してみるか」と言って、私の前に跪いた。そして狼狽える私の左手を取り、中指の関節に口づける。
「なんだか物語に出てくる騎士のようだわ」
ドギマギして軽口をたたくと、彼は「騎士だからね」と言ってニヤリと笑った。
「ロクサーヌ」
「えっ、あっ、うん」
「今日のパートナーになってくれてありがとう」
告げられた感謝の声は柔らかく、私は彼に手を取られたまま「うん」と頷いた。胸がいっぱいで自然と笑みがこぼれてしまう。
「君のことが好きだよ」
「うん。私も好き。大好き」
声がかすれるけれど、手も震えるけれど、素直な気持ちを真っすぐに伝えた。
だって、こんな気持ちになるのはあなたにだけだもの。
なぜか視界が滲んでしまうけど、ユーゴが一瞬目を見開いて軽く咳払いするのがおかしくて、私の笑みが深くなる。
「えっと……」
「うん?」
「ロクサーヌ」
「うん」
「恋人でいられるのが今日までなら、明日からは婚約者にならないか」
「うん」
「やっぱりまだ……ん? 今頷いた? 頷いたよな!」
「うん」
小さく震えて言葉が紡げないけれど、もう一度しっかり頷いた私の前でユーゴの表情が抜け落ちる。
その時軽いノックと私とユーゴに呼びかける声が聞こえると、彼がすごい勢いで振り返り、「少し待て!」と大声で告げた。
「五分、いや、三分待て」
「え、ですが、あの」
「いいぞ、ユーゴ。三分な」
戸惑う係の子の声に被せるよう、オリスの気楽な口調が聞こえ、ドアの外が静かになった。
「ロクサーヌ」
まるで生死を分ける瞬間のような目をした彼が、すがるように私の手をキュッと握る。ギュッと寄せた眉も、食い入るようにこちらをみる目もこの上なくかっこいいのに、あまりにもユーゴが可愛くて愛しくて、私は空いている方の手を伸ばして彼の頬に触れた。
「ずっとユーゴの隣りにいてもいい?」
「それは、俺の妻になってくれるって意味でいいんだよな?」
友達じゃないよな? と、付け足す彼に、私はもう一度頷いた。
次の瞬間ユーゴが私を抱きしめようとしたんだけど、薔薇が潰れるので慌てて押しやる。それに不服そうにした彼も薔薇に気づいたようで、「セビーの薔薇を潰すわけにはいかないな」と軽く指先で触れたあと、私の唇に触れるか触れないか程度のキスをした。
改めて跪いた彼から求婚の言葉と指輪を渡されると、蹴破るように開けられたドアからオリスたちがなだれ込み、大歓声をあげて祝福の言葉をかけてくれた。
どうやらドアの外には思いの外野次馬が多かったらしい。
飛び込むように抱きついたナディヤを受け止めると、なんとオーディアの王妃様や、他にもどなたか分からない貴族の方々が入ってきて呆然としたんだけど、私と同じく目を丸くしたユーゴと顔を見合わせ、次の瞬間二人で吹き出してしまった。
今この瞬間、私は、世界で一番幸福だと断言できるわ。
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