第62話 うん①
ユーゴが待ち合わせに指定したのは舞踏会場裏の入口だった。
舞踏会は午後四時から始まる。
私は卒業生代表として挨拶もあるから、元々みんなより早い時間に入ることになっていたけれど、今はまだ二時。時間のせいか場所のせいなのか、すでに控えていた案内係の女子がいるだけで他に人気はない。
「間もなく殿下もいらっしゃいますので、少しだけお待ち下さいね」
サラッとそんな事を言うので、この子はオーディアの子なのかもしれない。
ここを待ち合わせ場所にと約束したのは一昨日なのに、いつの間に手回ししてたんだろうと驚いていると彼女は、
「ロクサーヌ・ガウラ先輩、ご卒業おめでとうございます」
と、人懐こい笑みを浮かべた。
「ありがとう」
後輩の寿ぎの言葉に、卒業の実感が湧いてくる。
(とうとう学生生活最後の記念舞踏会が始まるんだわ)
見世物のように婚約破棄された時は、こんな風にドレスを着て舞踏会に参加することになるなんて夢にも思ってなかったのに、人生って本当に分からないものだ。
先月までは卒業生代表として挨拶だけしてこっそり帰るつもりだったのに、今はお母様が着せてくれた赤いドレスに身を包み、弟が施してくれたヘアメイクで別人のような姿になっているんだもの。
今の私を見て、これが人前で婚約破棄された地味な駄作令嬢ロクサーヌだなんて、誰が気づくかしら。
ああ。緊張で手が冷たい。
「大丈夫だよ、姉様。会場の中で一番綺麗だって保証する! ほんとだよ。わたしの腕を信じなさーい」
セビーがニカッと笑う。そのお世辞半分、自画自賛半分の言葉に噴き出しそうになった私が小さく頷くと、彼はふと顔をあげて待ち人の到着を教えてくれた。
舞踏会用の服に身を包んだユーゴが目に入った瞬間、あまりにもその姿が素敵で息を飲む。
ドレスの色が自由な女子と違って、男子はスーツもしくはタキシードは黒など暗色系と決まってる。シャツやベスト、アクセサリーで差をつけるくらいなんだけど、それでも卒業生の中で一番様になっているのはユーゴになるんじゃないかしら。もし何も知らないで今日の姿を目にしていたら、なにか夢を見ているのかと思ったかもしれない。今の彼は学園でのユーゴではなく、どこからどう見てもおとぎ話から飛び出してきた王子様だ。
ふと彼の胸元にチーフの代わりに挿された赤い薔薇が目に入り、私の髪にも飾られた同じ品種の薔薇の意味に初めて気づいた。
てっきりセビーがドレスに合わせてくれただけだと思っていたけれど、隣で上機嫌な弟がそんな単純なことをするわけがない。絶対にわざとだ。
(だって、この薔薇の花言葉をセビーに教えたのは私だもの)
いずれ薔薇園のガイドもするだろうと、家族相手に練習をした。この薔薇の花言葉は――【心からあなたを愛しています】。
カーッと熱くなった頬に手を当てると、こちらを少しこわばった顔で食い入るように見ていたユーゴが、ふっと肩の力を抜いた。
「それじゃ、楽しんできてね」
セビーがユーゴに何か囁いたあと「よろしく」と真面目な声で一礼すると、彼は一般客用の入口の方へ振り向きもせずに行ってしまった。いそいそとして見えるのは、待たせているニーナのところに早く行きたいからだろう。可愛いなぁ。
軽く深呼吸してユーゴに手を預けると、彼は気遣うように私の目を覗き込んだ。
「緊張してる、ロクサーヌ?」
「いいえ、大丈夫。楽しみだわ。みんなあなたを見て驚くでしょうね」
「君もね」
ええ、きっと。
うつむくことをやめて、本当によかった。
今、心の底からそう思う。
係の案内で控室に入ると、彼女は「十分ほどこちらでお待ち下さい」と一礼して退室してしまった。
このあと私達は理事や来賓に簡単な挨拶をしてから会場入りすることになるらしい。代表挨拶で早入りって、そういうこともあるからだったのか。
「私が緊張で硬直していたら、代わりに挨拶をお願いね。次席のユーゴ・ヴァレルくん」
「はいはい。絶対失敗しないだろうけど、いつでもフォローしてさし上げましょう。首席のロクサーヌ・ガウラさん」
普段通りの軽口を叩き合い、同時に吹き出した。
一昨日オーディアに戻ってから改めて学園に戻ってきたユーゴを労うと、自宅ではなくフォルカー様の家からだから、タチアナ母様のところから来た私と距離は大して変わらなかったらしい。
それでも色々忙しかったらしく、ユーゴは「間に合ってよかった」と大きく息をついた。
「来賓には、オーディアの王妃様がいらしてるのよね」
つまりユーゴのお母様。
元々妃候補だったアンヌマリー母様を恨んでいるとは思わないけれど、色々知ってしまった今では普段以上に緊張する。
「そうだな。父上も来ると言って煩かったが、さすがに無理だと母に叱られてたよ」
うん。いくら末息子のハレの日でも、一国の王様がふらっと来るなんて、さすがにできないわよね。
「ユーゴのご両親は仲がいいのね?」
彼の柔らかな声にそう尋ねてみると、ユーゴはちょっぴりうんざりしたような顔になった。
「そうだな。父上は母上に頭が上がらないんだ。息子相手にのろけるような、変な親父だよ」
「親父って」
やれやれと肩をすくめるユーゴにクスクス笑ってしまう。おかげで王族の話ではなく、ただ好きな人の家族の話として受け止められたし、なんだかとても救われた気がした。
「そういやフッルムの方でも、王太子殿下が来たいと言って止められていたらしい。息子の入学式まで待てって、妹であるマノンおば上に叱られたそうだよ」
「まあ」
王太子殿下夫妻はこの学園で出会って結ばれたのだという。二人の第一子であるノルベール様が、私たちと入れ替わりで入学することになっているのだ。
(つまりセビーとニーナは、王族と同級生になるのね)
「マノン様って、今日来賓に来られる予定のリベリー伯爵夫人よね?」
「そう。母とマノンおば上は同い年の従姉妹で、学園でも共に過ごしてるからか、今も仲がいいんだ」
「そうなんだ。素敵ね」
確か二人はオーディアに留学していたはず。
その頃お父様はもう少し年上で、修行を兼ねてオーディアにいたのだとタチアナ母様から聞いた。そこでアンヌマリー母様と出会ったのだと。
ずっと年上の大人たちが、私達と同じように共に学んだり恋をしたりした。そんな、見たこともない過去に思いを馳せると、ユーゴが足を組んで膝の上で頬杖をついた。
「なあ。ロクサーヌは、卒業したら何をする?」
じっとこちらを見つめるユーゴの質問に、胸の奥がキリッと痛む。とっさに言葉が出なくてまつげを伏せると、ユーゴが足を組み替えるのが目に入った。
「すぐにオーディアに来てほしいとは言わない。焦って嫌われたくないからな」
のんびりとした彼の口調に顔を上げると、ユーゴは優しく微笑んだ。
「君が何をしてもどこにいても構わない。マメに会いに行くから」
「え……」
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