第59話 それからの三日①

 それからの三日は飛ぶように過ぎていった。



 まずは、イベント盛りだくさんだったあの夜。

 結局男爵には、私に縁談は必要ないということで引き取って頂くことになった。


「あえてロクサーヌとユーゴの友人として報告いたします。ユーゴがロクサーヌにべた惚れ過ぎて、ついに彼女の方が折れました。以上!」


 談話室に戻ると、オリスが止める間もなく大真面目に報告するものだから、恥ずかしさのあまり逃げそうになったけど。

 あわてる私にオリスは、ふわんと人懐っこい笑みを浮かべた。


「なあ、知ってた? ユーゴが話す女の子の話って、君の事ばかりだったんだぜ? 特別なんだろうとは思ってたけど、まさかこんなことになろうとはねぇ。いやはや。参った」


 ニヤニヤして全然参ったようには見えないオリスは、ユーゴに睨まれると両手をあげて口をつぐんだ。


 その後ユーゴと男爵が何か話し合いお開きとなったんだけど、多分男爵は信じていないだろうと思うのよね。でも私は色々考え、わざわざここまで足を運んでくれた男爵にお礼を言った。


 祖父が母をいなかったものみたいに扱ったことには、まだ正直心の整理がつかない。状況は理解できるけど、自分の身内の話となると、まだ消化には時間がかかると思うのだ。

 でも祖父たちが母の遺志を汲んでくれたことも、私を助けようとしてくれたこともたしかで。

 そこには違う思惑があったかもしれないけれど、伯父の乳兄弟だというエイファン様は、むしろ恩人なんだものね。


「エイファン様。なんだか色々ご迷惑をかけてすみません」

「いえ。むしろ役得だと思って首を突っ込んだんでね」


 そう言って「あなたに会いたかったのですよ」と笑うエイファン様は、さすが伯爵のお父様だわというくらいのイケオジっぷりだった。もしこれがどこかの違うロクサーヌ嬢との縁談だったら、そのお嬢様はクラッとしてしまったんじゃないかしら。

 色気って年齢関係ないのねぇと思ってユーゴの将来を想像してみるけれど、悲しくなりそうなのでやめた。先のことなんて考えても無駄だものね。

 タチアナ母様とお兄様は、信じてしまってる感じがするから申し訳ない気もするけれど、セビーだけは真実に気づいているような気がする。なぜかお兄様よりもお兄さんな顔で私を見ている弟は、時々妙に大人っぽくて、私にとってはそれがとても可愛く見える。



 別れ際、オリスが周りが見ていない隙をついて、素早く私の耳元に口を寄せた。


「ありがと、ロクサーヌ。うちの殿下を宜しくね」

「えっ?」


 ほんの数日だけの期間限定だって知っているくせに、なんでそんなことを言うんだろうと不思議に思っていると、オリスは真剣な顔を崩し、クスッと笑った。


「覚悟した方がいいよ?」

「覚悟って……」


(この期間限定が終わった後の事って意味だよね)


 きっとつらい。ギヨームとの婚約解消なんて比べものにならないくらい、ユーゴに会えない日々は苦しいだろうと思う。恋人のふり――ううん、期間限定で恋人になるなんてやめればよかったと思う日も、もしかしたら来るかもしれない。

 でもいいんだ。それでもいいと思って踏み出したんだから。


 小さく笑みを浮かべてオリスに頷く。


「うん。ありがと」

「――ロクサーヌ。髪を切って変わったね。今の君、すごくいいと思うな」


 それはいつもの軽口ではなく本気で感心しているようで、とても嬉しい。


「ナディヤも褒めてくれるかな?」

「たぶん、その理髪師を紹介してくれって言うと思う」

「理髪師じゃなくて私の弟よ」

「えっ、彼が? まだ十五歳だっけ? すごいな」

「でしょ? 舞踏会の時紹介するね」


 なんとなくだけど、セビーとナディヤとは気が合うような気もするのよね。


   ◆


 次の日は最後のバイトだった。


 午前中だけと半端な時間ではあったけれど、実は私が初めてガイドを一人で担当したお客様からのご指名だったのね。とっても光栄。

 五十代くらいのご夫人方で、姉妹での旅行という話だった。最近はやりの女子旅だという。

 今日が半日だけだったのは、妹の方の旦那様が迎えに来るから、一緒にもう一度案内してほしいと言うのが理由だったから。


(お孫さんもいるらしいご夫婦なのに、とても仲睦まじくて素敵だったな)


 お姉さんの方は息子さんのいる町にまだ滞在するということで、案内したのはこの妹さんご夫婦の二人だけ。


「やっぱりロキシーさん、うちの末息子のところにお嫁に来ない? 年も近いし、母親の私が言うのもなんだけど、夫に似て男前なのよ」


 ニコニコしながら、また冗談を言ってくる夫人と、それを穏やかに見つめる夫人の夫に微笑む。


「光栄ですが、実は恋人が出来まして」


 さらっと言ったつもりだったのに、恋人という単語に自分で照れてしまい、頬が熱くなってしまう。

 夫人は心底残念だと繰り返し、旦那様にたしなめられていたけれど、お別れの瞬間まで親戚の娘か何かのように接してくださった。


(ガイドのバイトができてよかったな)


 短い間だったけど、すごく勉強になったし発見もあったし、楽しかったわ。




 最後の日報を提出して会長たちに挨拶をすると、なぜかドアの近くでセビーとニーナに捕まってしまった。


「ねっ、セビー。言った通りでしょ。ロキシーってばやっぱり、仕事着のままデートに行こうとしてたわ」


 ぷんすこ怒ってるニーナに椅子に座らされ、仕事のためのきっちりした髪に櫛が入れられ、あれよあれよという間にメイクも直されてしまう。さりげない小物まで追加され、同じ服なのに一気に甘い雰囲気に変わってしまった。

 本当にこの子たちって、魔法使いみたいだわ。


 二人に送り出され、ユーゴとの待ち合わせ場所に向かう。

 すでに待っていた彼と顔を合わせたときはお互い照れてしまって、二人でもじもじしちゃったのが、おかしいやら新鮮やら。胸の奥がくすぐったくて仕方がない。


 ユーゴは今夜帰ってしまうんだけど、今日は私が好きなことをしようと言ってくれたから、また馬に乗せてほしいとリクエストした。


「いいよ。じゃあお弁当を用意してもらって、景色のいいところでピクニックにしようか」

「それ最高」


 おとといサラッと教えた牧場のサービスを提案され、にっこり微笑む。

 今日の約束事としてユーゴが提案したのは、ただの学生として過ごそうってことだけだ。彼の正体も何も考えないで、もしこのままで未来が続くなら何をしたい? どう考える? という、ちょっとしたゲームを楽しもうってことらしい。

 もちろん断る理由はない。


 牧場自慢のレストランのお弁当は美味しかったし、ユーゴが一人で馬で走る姿も見せてもらえて嬉しかった。やっぱり馬に乗るユーゴはかっこいいもの。


「今度から乗馬は俺が教えるから」

「うん」


 こんな風に、叶えられるはずのない未来の約束も重ねていく。

 ユーゴがオーディアで見せたいと言ってくれる、数々の場所や物に想像を馳せ、もう一度秘密の部屋にも行った。


「ここにいたのが自分の先祖だって考えると、とても不思議な感じ」


 昨日入った時とは、また少し違う空間に見える。


「昨夜エイファン様が、サラッと王弟ディディーたちの生存の秘密をばらしてしまったけど、公にされたら学者さんとかが騒がしくなりそうだよね。ここも秘密じゃなくなるのかな?」


 それはそれで寂しいと思うと、ユーゴは「いや」と首を振った。


「君たちだけだから話したらしいよ。今のところ公にするかどうかは、君次第みたいだ」

「ふーん、そうなんだ?」


 ゆうべ、男爵とはそのことを話してたのかしら?



 昔、愛する妻のもとにたどり着いたのは、歴史上戦死したとされている王子ではなく、私の高祖父様ひいひいおじいさま


「ロクサーヌの高祖父母殿たちが頑張ったから、今君がここにいるんだな」


 ユーゴに改めて言葉にされると、資料の中でしかなかった歴史が現実のものとして感じられた。きっと彼は王子だから、こんな感覚を常に持っていたんだろうな。


「なんだか不思議な感じがする」


 自分の両方の手のひらを見つめて呟くと、ユーゴが私の右手を救い上げるように持ち上げ、そこにキスした。


「うん。不思議だし、感謝もしてる。君がここにいるすべてに」


 感謝――。

 この胸の内から広がる温かさはきっとそれだ。

 共に生きることを諦めなかった先祖や両親のおかげで、私は今ここにいる。


 あなたと出会え、共に過ごした日々を、もっと大事にできたらよかったとも思うけど。


(ううん。今だけだって、大事にできるわ)


「ユーゴ?」

「うん?」

「大好き」

「え……あ……、友達として?」


 同じ言葉で私を動揺させたくせに、今は真っ赤になって狼狽えるユーゴにクスッと笑ってしまう。


「素直にそう思ったから、伝えられるときに伝えておこうと思ったの。――好きよ、ユーゴ。本当はね、あなたを好きになってしまっていたの。初恋を叶えてくれてありがとう」


 エズメたちのように永遠ではないけれど、あっというまに膨れてしまった想いを吐き出せてよかった。思い出を作れてよかった。

 彼の肩にスリッと頬ずりすると、ユーゴにきつく抱きしめられる。


「まったく君は」


 そう言って、また何かぶつぶつ言っているのがおかしい。

 促されるままに顔をあげると、抱きしめられたまま唇が重なった。

 それはまるで私を甘やかすような、それでいて、私が彼のものだと言われているようなとても不思議な心地で、私も両手を彼の首に回す。

 ドキドキと早鐘を打つ心臓の音がどちらのものかわからないくらい、きつく抱きしめ合うと、ユーゴも同じ気持ちのような気がして幸せな気持ちが広がった。


(幸せ過ぎると涙が出るなんて、物語の中だけだと思ってたわ)

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