第58話 素直な気持ちを言葉に代えたら

「だって……嘘、でしょ」


 ありえない。

 そう思うのに、彼は身を起こして呆れたように首を振った。


「心外だな。俺がこんな噓をつく男だと思うのか?」

「思わない」


 考えるより先にそう答えてた。

 ユーゴはこんな、気持ちをもてあそぶような嘘はつかない。でも。


「ありえないんだもの」

「ありえない? なぜ?」

「なぜって……それ、本気で言ってるの?」

「もちろん本気だ」


 一歩後退り、真っ白になった頭の中から懸命に言葉を引き出す。逃げ道を探すように目が泳ぐけど、ユーゴが両腕を伸ばして私を囲うように棚に手をつき、どこにも逃げ場がなくなった。


 ユーゴのほうが背が高いせいで、自分がまるで普通の女の子になったみたいに錯覚する。心臓があまりにも早鐘を打って眩暈がしそうだ。


「逃がす気はないよ、ロクサーヌ。俺は、オリエンテーションで一緒に過ごしたときからずっと、君に惹かれ続けていたんだ」

「嘘よ。そんな素振り、全然なかったじゃない」


 あり得ない、あり得ない、あり得ない。

 小さく首を振る私に、彼は呆れたような顔をした。


「そりゃそうだろ? 君には婚約者がいたんだから、堂々と横恋慕するような真似はできないさ」


 「でも」と反論しようとしようとすると、ユーゴは「もっとも」と言葉を続けた。


「もっとも、自覚したのは今日だけどね」

「何それ」

「君が悪いんだぞ。別人みたいな姿で現れるから」

「それはお互いさまでしょ」

「そうだな。初対面だと思った。おととい君が振り返った瞬間をよく覚えてるよ。すごく綺麗で—―――、一目で惹かれたんだ」


 たしかにユーゴがロキシーを気に入っているのは分かってた。

 すごく楽しそうで、可愛い顔も見せてくれて。


「フォルカー様がそんな風に見てくださってたなんて、考えもしませんでしたわ」


 二日前のようにガイドのロキシーとして彼の仮の名を呼ぶと、ユーゴはひょいと肩をすくめた。


「割と素直に好意を示してたと思うけど?」

「お客様としてですよね?」


 ガイドの顔でにっこり笑うとユーゴの目に熱がこもり、一瞬落ち着いたはずの心臓が暴れ出す。お仕事モードで対応しよう作戦のつもりだったけど、失敗したかもしれない。


「そうだな。正直ロキシーは年上の女性だと思ってたんだ。綺麗だし可愛いし、ロクサーヌと話している時と同じくらい、一緒にいるとすごく楽しくて」

「なんだかすごく褒めてくれるけど、私といると楽しかったの? 学園でも?」


 全然そんな風には見えなかったのに?

 ――言外にそう尋ねると、ユーゴは「実はそうだったんだ」と言って、ニヤッと笑った。


(ううっ。心臓が止まるかと思った)


「叔父上のおふざけに付き合ってよかったと思うよ。ここで君に会えなかったら、自分の気持ちに気づくのはもっと先だっただろうし。その間に君には求婚者が殺到して、俺が駆け付けた時には手遅れだった、なんてことになってただろうな」

「まさか! そんなことあり得ないわよ」

「君は、自分のことがよく分かってないみたいだな」


 そっと頬を撫でられると、体の奥底から震えが走る。でも震えたのは私だけじゃない?


「ユーゴ、震えてるの?」


 目を見開いた私にユーゴは、「そういうのは気づかない振りをしなさい」と、顔をしかめた。


「かっこつかないな、本当に。好きだって自覚したその日に、全力で口説いてるんだぞ。君の反応が怖くて震えもするさ。君は俺以外とデートしないって言ってくれたけど、せめて振られる要素は可能な限り排除できるくらいの時間は欲しかったよ」


 ちょっとやけくそ気味なその声に、ようやく彼の言葉がすとんと落ちてきた。


(鈍いのは私の方だ)


 そう自覚してしまえば、今までのユーゴの言動がすべて違って見えてくる。

 見世物のように婚約を破棄された私のことを、誰かが想ってくれる日が来るなんて想像もしたことがなかった。しかも初めて恋をした相手から想われるなんて、奇跡みたいな出来事だから。


(でもこの恋を叶えてはいけない理由なら、すぐにいくつも挙げられる)


 やっと自分を肯定できるようになったばかりの私には、とても頷くことなどできない。なのにユーゴの気持ちが痛いほど伝わってきてる今は、まるでそれが間違いみたいに思えてしまう。あなたが震える必要なんてないって、本当は私も好きなんだって、この手を伸ばして抱きしめたくなる。


(でも、そんなこと許されるの? 長年不細工だの駄作だのと呼ばれ続けた私が?)


 一方的に好意を告げようとしたときにはなかった、この想いへの恐れと震えが全身を走る。

 そのときユーゴの耳に光るピアスが目に入り、ピピさんの声がよみがえった。


『彼が成人してすぐに、思い切って猛アタックしたわ。妹分じゃイヤだってね』

『ああ、この子はこの先いいご縁があるって確信したの』

『絶対あなたを大切にしてくれる人は現れる』


(ピピさん。それはユーゴだったって、そう思ってもいいですか?)


 なんて図々しいという自分の声を、ぎゅっと抑えつける。


 ただの同級生じゃ嫌だなんて言っちゃダメなのに。

 ユーゴにずっと私を見てほしいなんて、そんなこと思っちゃいけないのに。


「ユーゴ」

「まだ振るなよ。俺のことをちゃんとみてから結論を出してくれ。絶対大事にするから。誰よりも幸せにするって約束するから」


 甘い言葉を絞り出す彼の声も表情も真剣で、整った顔のせいかとても怖い顔になっている。

 学園でのユーゴとは全然違うはずなのに、それはあまりにも見慣れた感じで、私の中からすーっと何かが消えていった。

 

(以前の私には戻りたくないって思ってたじゃない。私は、私が憧れるような人たちに近づきたかったはずでしょ)


 ドアの外からオリスの咳払いが聞こえる。そろそろ戻れと言うことだろう。

 ユーゴが「もう少し待て!」と言い、そのやり取りに、ありふれたはずの学園での日常を思い出した。


(そっか。まだ私たちは、卒業してしまったわけじゃないんだわ)


 そう気づいたら、自然と口元に笑みが浮かんだ。

 身分を考えなくてもいい日々は終わっていない。あと数日でも、まだ彼と私は対等なんだ。


「ねえ、ユーゴ・ヴァレル」


 学園での名前を呼ぶと、彼が棚についた手をはなして身を起こし、コクッと頷いた。

 彼はいつだって真面目に私の話を聞いてくれる。考えがまとまらなくて支離滅裂な時だって、決して結論をせかしたりはしなかった。だから私は、安心して必死に言葉を紡ぎ出す。


「私は、あなたを案内してきたおとぎ話のような世界の、ずっとずっと外側にいると信じていたの。ジョエル七世に見染められたコレットや、王弟ディディーに見染められたエズメが、どんな気持ちで飛び込んだのかを知ることは一生ないと思ってた。だから……」


 だから怖いと――、唇から小さく零れた素直な気持ちを、ユーゴは間違いなく拾い上げる。


「じゃあさ。もしも俺がただのユーゴ・ヴァレルなら、君は飛び込んでくれた? あのもっさり不愛想男でも?」


 その冗談半分みたいな口調の問いに「うん」と頷くと、ユーゴはハッと息を飲み、片手で顔を覆ってしまった。彼の耳がまた真っ赤で、それが息が止まりそうなほど愛おしいと思ってしまう。


「あのね。あなたが許してくれるならなんだけど、――あなたがユーゴ・ヴァレルでいられる間だけ、恋人のふりを続けない?」


 ほんの数日でもいい。

 あなたの隣に立ちたいと、心の底から思ったから。

 でもユーゴは熱を帯びた目で「ふりは余計」と言った。


「俺がライナー・ヒュー・オーディアに戻ったら嫌?」

「ううん。あなたにはあなたの立場があるし、それを大事にするべきだと思う。ただ私が、王子様の横にはふさわしくないだけ。でも、ただの同級生なら……同級生、なら、ね? 私は、……ユーゴとお付き合い、してみたい」


 最後は蚊の鳴くような声になってしまったけど、素直な気持ちを言葉に代えたらもういっぱいいっぱいで、両手で顔を覆ってしまう。

 どうしよう。恥ずかしくて消えてしまいたい。


「あー、んー、言いたいことは色々あるが」


 顔を隠したままの私を、何度か咳払いをしたユーゴが引き寄せ、耳元に吐息がかかる。


「ふりじゃない。卒業までは恋人・・・・・・・。いいか?」


 期限を確認するよう強調された言葉に必死で頷くけど、この人本気で私を殺す気じゃないかしら。つけたばかりのピアスのそばに、何か柔らかいものが触れたのは気のせいよね? そうよね?


「殿下ー、まとまりましたね。いい加減戻りますよ」


 しびれを切らしたらしいオリスが外から声をかけてくれなかったら、なんだか少し、怖いことになってた気がする。

 小さく舌打ちしながら身を起こすユーゴを見ながら、呆然とそんなことを考えていた。いつもだったら舌打ちなんて注意するところなのに、今のはまるで、いたずらを咎められた男の子みたいなんだもの。


 でも次の瞬間私を見つめ、

「チャンスをくれてありがとう。絶対後悔させない」

 そう言って笑うユーゴは大人の男の人の顔で、私はただただ、意味も分からず頷くことしかできなかった。

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