第57話 頭の中が真っ白
ユーゴが私のためにすごく頑張ってくれているのは分かるし、感謝もしてる。
(でもさすがに今のはやり過ぎだわ)
ショックで目の奥がジワッと熱くなる。唇を噛んで涙を堪えると、私は皆に断ってユーゴを部屋の外へ連れ出そうとした。
セビーとオリスが驚いた顔でそれぞれついてこようとしたけれど、五分で戻るからと断る。今他の人がいたら、きっと冷静に話せない。
「でも、こんな時間に二人きりにさせるわけにはいかないだろ? いいですね、殿下」
「あ、ああ」
オリスに諭されたユーゴが了承し、私も渋々頷いた。
今オリスは男爵の従者として来ているけれど、本当の役割は第三王子であるユーゴの従者なのかもしれない。セビーもホッとしたみたいに頷いた。
「図書室で話すわ。ドアは開けたままにしておくから」
「俺は廊下に立ってる。それでいい?」
「うん。面倒をかけてごめんね」
「いいさ。友達だろ?」
ナディヤという彼女がいなかったら、大勢の女の子たちを虜にしてたであろうオリスの明るい笑顔を向けられ、私も少し笑みを浮かべた。
「ありがとう、オリス」
図書室に入り、大きな本棚の影にユーゴを押し込むと、我慢していた涙がポトポトと零れた。
泣くつもりなんてなかったのに、どうして今日は、感情がうまく制御できないの。
「――泣くほど嫌だった?」
ユーゴの傷ついたような声に、ハッと顔を上げる。
「違う、そうじゃないの」
ユーゴが悪いわけじゃない。これはあくまで私の問題だ。
「みっともないところばかり見せてごめんね」
なんとか笑顔を浮かべてみるけど、今の私、とんでもなく不細工だろうな。こんなに綺麗にしてもらえた日くらい、可愛くできたらいいのに。
こっそりと深呼吸をしてユーゴに向き直る。
彼の少し乱れてしまった青みがかった黒髪も、今は困ったように少し下がった眉や口元も、綺麗な深い青色の目も、全部を焼き付けるように見つめる。
あまりにも私の心臓の音が大きくて、ドクドクという音がユーゴにも聞こえてしまいそうだ。
(このかりそめの恋人は魅力的すぎて、あまりにも罪作りだわ)
「私ね、学園で馬術や剣術の授業を見るの、好きだったんだ」
全く関係のない話題を出したせいでユーゴが怪訝な顔をするけれど、私はそのまま話を続けた。
「ちょうど教室から見えるじゃない? 先生には叱られてしまうだろうけど、今思えば楽しみにしてたのよね。ユーゴが馬を走らせるのも、剣をふるった時も、かっこよくてね。普段ユーゴを怖がってる女の子たちも、時々小さく歓声を上げてたのよ。知ってた?」
「いや、気にしたこともなかった」
「ユーゴらしいわ」
あまりにも彼らしくて、クスッと笑ってしまう。
「あのさ――ロクサーヌもそう思ってくれてた、なんてこと、ある?」
「うん」
ためらいがちな質問に素直に頷くと、ユーゴは表情を変えないまま耳だけが真っ赤になる。それが可愛く見えて、胸がキュッと痛くなった。
ユーゴ相手にこんな気持ちを知るなんて想像もしなかったのに、今は彼に恋をしてなかった頃の自分がうまく思い出せない。
「だからね、今日、一緒に馬に乗れて楽しかったわ。とてもとても、楽しかったの。すぐからかってくるから、ずいぶんたちの悪い王子様だと思ってたけどね?」
あえて軽い調子で言って肩をすくめると、ユーゴは「俺の正体を知ってたの?」と聞くのでまた頷く。緊張でこくんと喉が鳴ってしまったけど、頑張って次の言葉を紡いだ。
「昨夜仕事終わりに偶然、フォルカー様たちの本名がサインされた書類が一瞬見えちゃって……」
「まいったな」
本来私が知るべきではないことだった。
だから申し訳ないと頭を下げると、クシャッと前髪をかき上げたユーゴが、おどけるように目を上に向けた。
「あの叔父上の悪筆を? あれを一瞬で読むなんて嘘だろ?」
「え、そっち?」
廊下からオリスが噴き出すのが聞こえる。ニヤリと笑ったユーゴが、改めて私に小さく微笑みかけた。
「ロクサーヌは、この姿でも最初から俺だと気づいてたって叔父から聞いたよ。何もかも承知して、気づかないふりをしてくれてたんだな」
「黙っててごめんなさい」
「いや。つくづく自分の鈍さに呆れてるところだ」
我ながらこんなに鈍いとは思わなかったとぶつくさ言うユーゴは、やっぱり私の知っているユーゴでホッとする。
「ユーゴは別に鈍くないよ。私はあなたに、ただ一人の男の子としてこの休日を楽しんでほしかったの」
「ああ。想像もできないくらい楽しかったよ。ガイドの君も、デートも冒険も、一生忘れられない」
低くかすれた声が優しく耳朶をくすぐり、じっとこちらを見る青い目に囚われる。
私も一生忘れないわ。
「嬉しい。でもだからこそ、こんなことに巻き込んじゃいけなかったって、心の底から反省してるの。ユーゴが世話好きだなんて思ってなかったけど、そばにいてくれて心強かったよ。本当にありがとう」
「だから俺は世話好きじゃないって」
尻すぼみに「君の為だったから」と言うのが聞こえ、自惚れたくなる気持ちを抑えつける。まだ学生生活が残っていればよかったのに。
「ねえ、ユーゴ。卒業して学園を去ったら、あなたはライナー・ヒュー・オーディア第三王子殿下に戻るでしょう。沢山の縁談が来るのは想像に難くないし、こんなに素敵な男性を、ご令嬢方がほっておくわけがないわ。きっと、あなたの愛を得るために競い合うでしょう」
考えなくても、その光景は目に浮かぶもの。
私がそれを見ずに済むのは、ある意味幸運かもしれない。
(それでもこれから毎日、新聞で彼の情報を探すんだろうな)
「ロクサーヌ……」
「なのにあんな、誰も信じないような嘘をつくべきじゃなかったのよ」
相手がエイファン様じゃなかったら有効だったかもしれない。
求婚するとまで言ってくれる恋人がいる女の子相手に、縁談なんて無駄だと思うでしょう。
何か反論しようとしたユーゴの唇に指先を当て、私は彼の言葉を止めた。
不敬だよね。でも今だけは許してほしい。
「もしもね。ユーゴが、本当にただのユーゴ・ヴァレルだったら」
「うん」
「もしフリじゃなくて、本当にユーゴが私の恋人だったらきっと……」
もしも、そんなことが現実にありえたなら。
「さっきの言葉に、違う意味で泣いたかもしれないわ」
あなたはもうすぐ会えなくなる人だから、精一杯本音を言葉に代えていく。
伝わらなくてもいい。
自己満足でしかなくてもいい。
ただ、伝えたい。
「違う意味って?」
なぜか怖がってるようなユーゴの声が、ちょっとだけ可笑しい。私の言葉に怯える要素なんてどこにもないのに。
「バカね」
(一番バカなのは私)
「恋人からの言葉なら、嬉しい涙に決まってるでしょ?」
軽い調子で言いたかったのに、笑顔を浮かべたつもりなのに、声に涙が混ざってしまった。
ハッと息を飲んだユーゴが私の手を取り、もう片方の手で私の頬を撫でる。
(王子様って、たらしの要素もあるのかしら)
ユーゴは本物の恋人じゃないのだから、もう十分だと伝えようと思ったのに、真摯にこちらを覗き込む青い目から目をそらせない。
一瞬のような、長い時間がたったような気がしていると、ユーゴが何か考えるそぶりを見せた後、固く結んでいた唇を開いた。
「ここに来るとき、お礼をしてくれるって言っただろ?」
「ええ。してほしいことが決まったの?」
「実は最初から決めてたんだ」
「そうなの?」
私にできることなんて限られてるけれど、精一杯お礼をするつもりで次の言葉を待つ。何を言われるのか、正直想像もつかなかった。
「ああ。今夜、君を悩ませるものを排除できたら、オーディアに来てくれるよう頼むつもりだったんだ」
そうね。ずっとそんなことを言ってくれてたわね。
わざわざ実家を訪ねてくれるくらいには、私のことを考えてくれてたんだものね。
祖父のことがなければ、一も二もなく頷いたと思う。
母の故郷だと知った今は、一度はこの目で見てみたいと思うから。
でも母を勘当した祖父に会うことを拒否して、ユーゴの友人としてオーディアに行くというのも、それはそれで図々しいものがあるんじゃないかしら。
そんなことを考えていると、なぜかユーゴがガクッと下を向いて重い溜息を吐いた。それは私に呆れたり怒ったというのとは少し違ってて戸惑っていると、顔をあげた彼が難しい表情のまま、私の頬に当てていた手を髪へと滑らせた。
それは普段のユーゴとも、王子様なユーゴとも違って、ますます変な感じだ。
「ユーゴ?」
「なあロクサーヌ。オーディアにおいで」
「うん、いつか……」
「いつかじゃなくて、卒業したらすぐ」
ずいぶん強引だけど、彼の目は真剣で息を飲む。
「もしかして、私のガイドの腕を見込んで頼みたい仕事があるとか?」
半分冗談で思いつく可能性を聞いてみると、「なんでそうなる」と否定されてしまった。
「離れ離れになったら、君を口説くのに時間がかかってしまうだろう。本当はしっかり口説いて正式に恋人になって、すべて準備万端整えたところで求婚したかったのに!」
「はっ?」
やけくそ気味に早口でまくしたてられ、文字通りポカンとした。
自分が何を言われたのか反芻してみるけど、あらゆる単語が自分と結びつかないんだもの。
お礼として、私にオーディアに来てほしいは理解した。
恋人とか求婚とか言ってたけど、盛大に聞き違いをしているのは間違いないと思う。可能性としては――
「もしかして、ユーゴにも意にそわない縁談が来てるの?」
「はあ?」
「縁談除けに私が必要ってことであってる?」
それなら十分、してもらったことのお礼になるわよね。私程度じゃ心もとないだろうけど、気心知れた学友という点では十分理由になるのかも。
ユーゴには幸せになってもらいたい。
いつか現れる本命を見るのは複雑だし、本音を言えばその前に逃げてしまいたいと思うけど、王子様として生活しているユーゴを見れば、この気持ちも整理できるはず。
「ロクサーヌ。一人で何か納得してるようだが、全然違うぞ」
「違うの?」
「俺はっ」
ユーゴがグッと歯を食いしばると、疲れたというように大きく息を吐きながら私の肩に額をつけた。
「ユーゴ?」
「……きだ」
「え?」
「俺はっ、君のことが好きなんだ」
絞り出すような低い声が私の全身を震わせ、頭の中が真っ白になる。でも私の表情は通常運転だったのだろう。少し顔を上げ、上目遣いに私を見たユーゴが苦い笑みを浮かべた。
「まったく信じてないって
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