第54話 ちょっと待ってください
自分の独り言をきっかけに、卒業研究で調べた資料やガイドの
私はこの
パラパラと頭の中で資料をめくり、パタパタと引き出しを開けるように、または現れた点と点をつなぐ糸を辿るように、思考の中に潜っていく。
(あ、これだ)
頭の中に、この図が記されたページが光りを帯びたようにフワッと明るく浮かび上がる。
やっぱり私はこの形を知っていた。アイビーはあの人の印だと。しかもこれは三つで一つのセットとして作られたものに違いない。
(でも、どうしてそれがここに――?)
「――サーヌ。戻って来い、ロクサーヌ!」
「ひゃっ」
夢から醒めたように数回瞬き、厳しい顔でこちらを見ているユーゴに少し首を傾げた。
(あれ? ユーゴが美男子になってる)
ふとそんなことを考え、今はこっちが本当のユーゴだったと思い出した。
考え事に集中していたことと、ユーゴのしかめっ面があまりにいつも通り過ぎたせいで、学園にいるときみたいな気持ちになっちゃってたわ。
完全に我に返った私に、ユーゴは小さくため息をついた。
「ロクサーヌ。その集中力は君の美点ではあるが、今はその時ではないと思うぞ」
「ごめんなさい」
思考に没頭していたのはほんの数分だったらしいけれど、お客様の前で石化はまずかったわ。
なぜか少し面白そうにユーゴを見ている男爵に一言詫びを入れ、ユーゴの「何か気づいた?」という質問に頷く。そしてもう一度ピアスと指輪の模様を確認すると、改めて男爵に向き直って口を開いた。
「エイファン様。このほかに首飾りはないですか?」
「首飾り?」
「ええ。これにはもう一つ、同じ意匠の首飾りがあると思うのですが」
指輪とピアスを指さしてそう尋ねると、男爵はお兄様とタチアナ母様を素早く見た。もしピアスについて何か知っているとしたら、この二人のどちらかだと思ったのだろう。でもお兄様は何も知らないと小さく首を振り、タチアナ母様はじっとこちらを見つめたから、私は自分の気づいたことを説明することにした。
「この二点は同じ人が作ったものだと考えました。ピアスは私の生みの母の母、つまり祖母のものだったそうです。指輪はどなたのものか存じませんけど、もとは首飾りを含め、三つで一つのセットだったはずなんです」
「そうなのか?」
ユーゴがあごに手を当て、目をきらめかせる。
「ええ、たぶん間違いないと思うの。ここに特徴のあるアイビーの模様が入っているでしょう? これはちょうど昼にも話した人物を表す印でね。歴史上最後にこの印を使った人物は、――王弟ディディーなの」
「ディディー?」
「うん。そして彼が結婚指輪を贈った相手はただ一人で、その時一緒に首飾りとピアスを贈ったという記録があるわ」
私は荒唐無稽なことを言っているのかもしれない。
歴史上の、しかも王族のものがここにあるなんてと、サロメがバカにしたように笑っているけれど構わない。だって、自分が感じたこと気づいたことを話すことは恥なんかではないもの。
どうせこれはテストでも何でもないのだし、何よりユーゴたちが興味を持って聞いてくれている。せっかくなら楽しく話しましょう。間違いだったとしても、みんなが面白かったと笑えるくらいにはね?
「ディディーが結婚指輪を贈った相手は、女優のエズメです。公には愛妾とされていますが、彼女はディディー唯一の妻でした」
ガイドでは語らなかった部分も踏まえ、私は二人のロマンスを語った。
王弟という立場から、エズメを妻にできなかったディディー。でも政治の駒として政略結婚の話が出ていたことはあまり知られていない。なぜなら彼は王位継承権を早々に辞していたからだ。
庶民に人気の王子だったという。
気さくに庶民の生活に混ざって、大衆演劇も楽しむ王子。それは王子の母親が、貧しい地方貴族の娘だったせいだと言われている。
そんな娘が侍女見習いとなり、王に見染められて愛妾となり、生れた王子。そんなディディーは強い後ろ盾もなかったうえ、母親は彼が幼い頃に亡くなった。
愛嬌の良さは、彼の武器だったのだろう。
庶民の中の方が息をするのが楽だったのかもしれない。
でもだからこそ、唯一の人に出会えた。
エズメは最初、彼の正体を知らなかったらしい。
しかし知った後もすべてを受け入れ、心から愛した人のそばにいるために努力した。
マナーを学び、何を言われても美しい笑顔を絶やさなかった。
時代的に、愛妾という立場に納得していたのかもしれない。彼の愛を疑っていなかったから。
ディディーのほうは己の出自から、二人の結婚は簡単に認められると思ってた節がある。王の許しはすぐに出るから、小さな結婚式をあげようと約束していたという記録があるからだ。
この指輪は、そんな頃に作られた。
作ったのは、ディディーの友人でもある細工師見習の青年。伯爵家の八男で、その手先の器用さから、その頃選ばれることの多かった騎士でも教師でもなく、庶民の師に弟子入りして職人の道を目指したもの好きだと言われている。
ディディーの希望を聞きながら作られた指輪は、ディディーの目の色の宝石を内側に埋め、アイビーの模様を入れてある。王家の人が普通花を自らの印にしているのに対し、彼がアイビーという葉を自らの印にしたのは、彼の母親が好きだったからということともう一つ。アイビーには不滅の愛という意味があるからだ。
そして揃いで加護としてのピアスと、良い縁を紡いでいけるといって当時流行っていた首飾りが作られ、エズメに結婚の贈り物として贈られた。
「細工師の青年は、この
岩に彫ってあった「永遠の愛」は、もしかするとこれに対する答えだった気がする。
「二人の死後、この三点の行方がどうなったかについては、記録がありません。時を経て、バラバラだったものが二つここに揃ったなら、もう一つも近くにあるのかも? ――――そんな風に思ったんですよ」
公には、二人は離れ離れのまま亡くなったことになっている。当然、二人が実は生きていたという秘密は、ここでは私とユーゴ以外は知らない。
だから私はそう締めくくった。
もしかしたら、エズメたちが路銀のためにアクセサリーを少しずつ手放し、それらが巡り巡って私のおばあさまや、オーディアの誰かの元にたどり着いたのかもしれない。もしくは二人が向かった誰にも見つからない土地が、オーディアの事だったのかもしれない。
そう考えるとワクワクする。
ユーゴも同じように感じたのか、秘密を共有するようにかすかに目を細めたから、こっそりと微笑み返した。
(やっぱりユーゴを選んでよかったわ)
束の間しんと静まり返った部屋で、最初に動いたのは男爵だった。彼は髭の生えたあごをしばらく撫で、やがて小さく首をふってクスッと笑った。
「驚いたな。ロクサーヌ嬢の母君は、あなたを産んで間もなく儚くなった。そうでしたね?」
「はい」
そんなことまで知ってるんだ。
呑気にそんなことを考えていると、男爵は改めて私のことをじっと見てにっこりと笑った。
「首飾りはあなたの叔父君がお持ちですよ」
「叔父ですか? 父は末っ子だったはずですが」
父方の親戚とはそれほど交流はないけれど、お父様に弟がいないのは間違いない。
「いえ。アンネマリー様、こちらの発音だとアンヌマリー様の弟君のほうです。この指輪は伯父君からですね」
「えっ?」
私と同時に驚きの声をあげたのはお兄様。
思わず顔を見合わせてしまったけど、お兄様もアンヌマリー母様の兄弟のことは知らなかったみたい。タチアナ母様を見ると、肯定するように小さく頷くから呆然としてしまった。
「ちょ、ちょっと待ってください。アンヌマリー母様は、オーディア出身なんですか?」
「その通りです」
「え、それじゃあ、この指輪は本当に成人祝い?」
まさかという気持ちで指さすと、男爵が頷く。
「はい。女児が受け継ぐものなので、本来三点ともアンネマリー様がお持ちになるものでしたから、当然受け継ぐのは娘のロクサーヌ嬢だと」
「え? ちょっと待ってください。意味が分からない。男爵がなぜ、アンヌマリー母様の兄弟のお使いを?」
自分の言葉とは裏腹に、点と点を結んだ先に導き出された答えが見える。
(まさか。そんなまさか)
「アンヌマリー様。本名イーダ・アンネマリー・ジオラス・エフル様のご息女、ロクサーヌ様。ご祖父様であるエフル伯爵が、あなたに会いたいとご所望です」
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