第53話 これは結婚指輪ですね

 男爵が縁談相手ではないと言い出した時、私の頭に最初に浮かんだのはユーゴだった。ライナー・ヒュー・オーディア殿下であるユーゴならば、御仁と言われてもおかしくないから。でも心の中の冷静な部分が、それをすかさず否定した。


(バカね。そんなことありえないのに)


 自覚したばかりの恋心が見せる幻想は、甘くて痛くて情けない。

 本当の縁談相手がユーゴだったら。そんなあり得ない期待をしてしまった自分が恥ずかしくて、ちょっぴり落胆した心を奥の方に押し込んだ。


 焦ったようにこちらを見るユーゴに微笑み、(分かってる)と目で合図する。こちらの気持ちを見透かされたように思えて胸がシクシク痛むけど、顔にはきっと出てないわよね。


(分かってるよ、ユーゴ。心配しなくてもだいじょうぶ。異国の王子様を恋人役にしているだけでも不敬なのに、そんな大それた勘違いなんてしないわ)


 それでも、エイファン様が縁談相手ではないということにホッとしたのは確かだ。

 だってサロメの態度があまりにも失礼すぎたせいか、エイファン様が完全に私の味方になっているのをひしひしと感じるんだもの。もしも男爵の騎士的正義感が強すぎて、まかり間違ってこの場で求婚なんてことになったら困るじゃない。


(だってエイファン様は、おとぎ話のような騎士エレミス男爵だわ。そんな方が私に求婚なんて、絶対あってはいけないことだと思う)



 初対面であるエイファン様が爵位名を名乗らなかったにもかかわらず、私がすぐエレミス男爵であることに気づいたのは、彼がピピさんの話に出てきた女性に関係する人物だったからだ。


(この方が伯爵令嬢という身分を捨てたお姫様を、愛する方の元へ送り届けたという騎士様なのね。わあ、なんだかすごい)


 お名前をうかがってすぐの感想が、こんな感じだったんだもの。

 ピピさんが憧れたというその令嬢を、逆サンドリヨンなんて表現していたからかもしれないけれど、まるでおとぎ話の世界から現実に人が飛び出してきたのを見たような、とても不思議な感じがしたのだ。


 男爵の前でユーゴが王子であることを認めたことにも、正直言えば少しだけホッとした。約束のおかげで驚くふりをしなくても済んだし、こんな時なのに、これでお互いの秘密が全部なくなったんだって思ったの。秘密の大きさが全然違うのにね。



 無意識につまんでいたユーゴの服をそっと放すと、エイファン様がこちらを振り向き、「誤解をさせてしまいましたね」と微笑む。

 そんな男爵に、タチアナ母様が改めて椅子を勧めた。


 改めて彼が腰かけ、その後ろにオリスが控えるように立つ。

 すると男爵が少しだけ申し訳なさそうに、私の家族以外は出てくれないかと言った。


「突然押しかけてきて不躾なのは承知しているが、家族が揃っていると聞いてね。これはいい機会だと思って来たのですよ」


 オリスが男爵の後ろで眉をあげるのを見て、それを教えたのはフォルカー様だと分かる。ユーゴがこっそりと、さっき伯爵たちが慌ただしくしていたのは、男爵を迎えるためだったらしいことを教えてくれた。


(理由は分からないけれど、男爵が探していた「誰か」が私だったってことよね?)


 不思議な偶然だけど、伯爵と男爵の関係は――と考え、ようやくフォルカー様の結婚前の苗字を思い出した。シルヴィア様と結婚して伯爵になったフォルカー様の旧姓は、エイファン。つまり男爵はフォルカー様のお父様なんだわ。どうりで似てると思った。


 一つ目の疑問が解けたところで、この場に家族のみいることを希望した男爵の言葉に、ニーナが席を立つ。

 でもサロメは頑として出ていこうとしない。

 馬車の支度が出来たと呼びに来た下男が困っているけれど、お客様の前で強引に追い出すのもためらわれる。どう見ても野次馬根性丸出しなんだけど、まだ書類を提出していないから、離婚は成立していない。だからサロメはまだ私の義姉で、この場で共に聞く資格があると言うことらしい。


「むしろ、無関係な男友達がここにいる方が変じゃありませんこと?」


 サロメがニッコリ笑ってユーゴを示すと、エイファン様が一瞬面白そうに目を光らせた。


「いいえ、サロメ。ユーゴが出ていくなら、私も出ていくわ」


 サロメが言っていることは正しいけれど、今はユーゴにそばにいてほしい。彼が一緒にいないなら話は聞くつもりはない。


 以前の私だったら絶対言わないわがままだ。でも、約束もなしに団らんのさなかに押しかけて来たのは男爵だもの。これくらい言ってもいいはず。

 少し震えていた手の上にユーゴが手を乗せ、「そうだな」と言い、タチアナ母様たちも同意してくれた。




「さて。どこから話しましょうか」


 そう言ってエイファン様は膝の上で手を組むと、何かを懐かしむように目を細めた。


「まず殿下。確認ですが、ロクサーヌ嬢とは学園での同級生だと伺っております。間違いないですか?」

「ああ、そうだ」

「なるほど、そうですか。ではロクサーヌ嬢は、ちょうど成人されたということですね」


 半分確認するような口調の男爵に私が頷くと、彼は「ちょうどよかった」と懐から小箱を取り出した。

 まさか指輪かと思って身構えるものの、なぜかエイファン様は、ユーゴと私の間あたりで箱を開いて見せる。中に納められていたのはまさに指輪でぎくりとするものの、そのデザインに私は何度か瞬きをした。私は以前、これをどこかで見たことがあるように思ったのだ。


 一見シンプルな金の指輪に宝石の類は一つもついていない。でもよく見れば細かい彫刻が施されていて、かなり凝った作りであることが分かる。それでも最近の流行の意匠ではないことは、その手のことに疎い私にもわかった。


「あの、エイファン様。これは?」

「ロクサーヌ嬢へ、成人祝いの贈り物です」


 あっさりとそんなことを言われても、普通、はいそうですかと受け取る女性はいないと思う。綺麗に磨かれているとはいえ、この指輪はアンティークだ。

 サロメが鼻で笑ったのが分かったけれど無視無視。


「直接見ても構いませんか?」

「ええ、もちろん。これはあなたのものですから」


 誰からとは言わないけれど男爵の口調に、これは預かって来たものだと分かった。もしかしなくても、私に会いたがっていたという誰かのものに違いない。


「じゃあユーゴ。指輪を取って見せてくれる?」


 エイファン様の許可を得、でも私は手を出さずユーゴに頼むと、彼はあっさり頷いて箱から指輪をとり、私がよく見える位置に持ってきた。

 二人で全体の細工を見た後、内側も見る。そこには予想通り、平たい石が埋め込まれている。


「やっぱり」


 小さく呟くと、薄く笑っているサロメ以外が、何か分かったのかというように私を見た。


「これは結婚指輪ですね」

「結婚指輪?」


 ユーゴの低い声に、サロメがプッと噴き出す。

 でもそれも無視して私が口の端をあげると、ユーゴも何か気づいたのか、再び指輪を見つめた。この感じ、クラス合同の研究授業を思い出すわ。


「これは、かなり古いものだな」

「ええ。内側に宝石を付いているでしょう。これはフッルムで昔流行ったものなの。オーディアの方は分からないけれど、同じように流行ったのかもしれないわね」


 そう。これはまさに、私の卒業研究の資料にもあったものだ。ただし、コレットではなく、その少し後の時代のもの。

 先を促すようなエイファン様をチラッと見て、それが正しいと理解する。


「なんでわざわざ内側に石を?」

「お守りだからよ。おそらくこれを贈った人は、ユーゴみたいな深い青色の目をしていたんだと思うわ。離れていてもあなたを守りますという意味ね」

「なるほど?」


 短く言ったユーゴが私の姿をざっと見るから、思わず頬が熱くなる。

 たしかに今着ているドレスの色はユーゴの目の色だけど、勘違いしそうになる視線は止めてほしいわ。

 こっそり深呼吸をしてドギマギしてしまったのを隠しながら、右手を胸元にあてる。ユーゴに指輪を箱に戻してもらうと、改めて私はエイファン様に向き直った。


「これは、どこか由緒ある家の家宝に見えます。私には受け取れません」

「ただの祝いの品だよ?」


 そう。エイファン様は一言も結婚指輪だとは言っていない。でもどこか面白そうにしているのは、これが何なのか、私が気づくかどうか見ているようにも見えるのだ。ユーゴが差し出している指輪の箱を受け取ってくれないのは、たぶんただの意地悪ではないと思う。

 ユーゴが触れても問題ないと、彼が考えているのは間違いないから。


(あれ? そういえば)


 ふと頭に浮かんだものを確認したくて、私はあわててさっき兄から受け取った箱を開け、ユーゴにも指輪の箱を開けてもらった。ピアスと指輪の違いはあるけれど、どちらも似た意匠のアンティーク品。

 その一部に小さく同じアイビーの模様があることに気づいたのだ。

 小さなアイビーは、よく見ないとそれとは気づかないようなデザインに紛れ込んでいる。時代的に大量につくられたものとは考えにくいけれど、デザイナーがあえて同じようなモチーフを使い続けるのは普通だ。

 となるとこれは――


「同じ人が作ったもの?」

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