第52話 ユーゴ視点⑪

 意外なことに、俺がカールに 「許す」と答えたあと、驚いたような声をあげたのはタチアナとサロメだけだった。


 タチアナは小さな声で「まあ」といった後、問いかけるようにロクサーヌを見たが、すぐになんでもない顔に戻る。


 招き入れられたカールたちに続き、ずうずうしくも部屋に居座ろうとしたサロメだけが、「はっ?」と醜く顔をゆがめたのが目に入ったが、俺を含め全員がそれを無視した。


 タチアナが先程、

『そう言えば、サロメさんに帰りの馬車を用意してなかったわね』

 と、使用人に指示を出していたから、ここで馬車を待つ置物のような何かみたいな扱いなのだろう。敵に回してはいけない人を怒らせるとこうなるんだな。


 それに負けじと、美しい笑みを浮かべて媚びを売り始めるのにはある意味感心するが、それを視線のみで切り捨てると、サロメが真っ赤な顔をして黙り込む。

 存在だけでも不愉快だが、ロクサーヌが少し留飲を下げたように微笑みかけてくれたから、少しだけホッとした。


 もしかしたらロクサーヌは俺の身分を知っていたのだろうか?

 それとも、学園生である間は態度を変える必要はないと思ってくれただけか。


(ロクサーヌの表情を見ると、「今はただの同級生だから」と、言ってるように見えるんだよなぁ)


 おそらく約束を守ってくれているだけだとは思うが、態度が変わらないのがありがたいような、卒業までの限定だと切り捨てる準備万端だと言われているような……。


(いや、切り捨てなんてさせるか)


 本当なら俺の身分をロクサーヌに明かすのは、もう少し準備が整ってからにしたかったが仕方がない。こんなことなら、ここに来るまでに打ち明けておけばよかった。とは思うものの――


(もしそれで、彼女の態度が変わってしまったら?)


 そんな臆病風に吹かれた自分が恨めしい。

 しかし今は、ただの同級生、もしくはオーディアの貴族の甥程度では、カールに太刀打ちできる気がしないのだ。なりふり構っている余裕などない。


 勘が鋭いニーナは、俺のことをそれとなく察していたように思う。

 叔父でさえ彼女の家族に本当の身分は明かしていなかったのに、なぜかそんな確信がある。

 セビーは分からないが、感情を面にあまり出さないロクサーヌの弟だし、兄のジャンもそんな感じがするから、彼もそうなのかもしれない。もしくは空気を読んだだけか。

 動じないところが、さずが兄弟だと感心する(実際はイトコらしいが、三人とも本質はそっくりだと思うぞ)。


 そんな中でロクサーヌの前に跪いていたカールは彼女の手をとり、恭しくその甲に口づけた。


「カール・エイファンです。ロクサーヌ嬢」


 爵位であるエレミス男爵ではなく姓名だけを名乗ったカールは、眩し気にロクサーヌを見つめると愛し気に、「我が姫君」と呼んだ。

 まるで最愛の女性に再会したかのように――。


 思わずカッとしてロクサーヌを奪い返したくなるが、戸惑った顔をした彼女が、まるで通訳してほしいと言うようにこちらを見るので、スッと怒りが引く。


(カールはフッルム語で話してたよな?)


 まるで意味がわからないという顔をしたロクサーヌは珍しいが、優しく彼女をカールから引き離すと、素直に身を寄せてくれた。


 ロクサーヌにとっては、この場を逃れるためにしている恋人のふりかもしれない。でもこの自然な仕草は、俺達が積み重ねてきた年月を感じ、希望が持てるように思うのだ。

 無意識なのか、俺のジャケットの裾を指でつまむ仕草さえ可愛くてたまらなくて、心の中でぐっとこぶしを握る。オリスが何か言いたげに左眉をあげたが無視した。


「カール、我が姫君とはどういう意味だ?」


 なんでもない風に問いかけるが、それに答えたのはサロメだった。


「まあ素敵! 運命の出会いですのね! ロクサーヌよかったじゃない。とっても素敵な相手で羨ましいわ」


 妹の幸運が嬉しくて仕方がないと言った風に振舞うサロメに、セビーが思い切り顔をしかめる。しかし、誰かが声を発する前にカールがサロメに歩み寄り甘やかに微笑むと、サロメの頬に朱が差し、大きく目を見開いたまま硬直した。

 まさにさっきロクサーヌがするのではないかと、俺が恐れた反応だ。


「サロメといったかな? いやあ、あんたのおかげでようやく姫に会えて感謝しているよ」


 ニヤッと笑ったカールのツッコミどころ満載な言葉に、今度はサロメが違う意味で硬直し、次いで得心がいったようににっこりした。どうやらロクサーヌを姫と呼んでいることで、さっきカールが言った殿下呼びも、あだ名か何かだと思い込んだらしい。


「ねえユーゴ。今エイファン様、すっごく皮肉を言ってなかった?」

「言ってたな」


 こっそり尋ねてきたロクサーヌに小さく頷く。

 サロメはあの笑顔と軽い調子の話し方に惑わされているようだが、どうやらカールはサロメを敵認定したようだ。


(まさか、ロクサーヌのために?)


 ここへ来るまでに何か吹き込まれたのかもしれないが、カールはそれだけで物事を判断する男ではない。おそらくロクサーヌと顔を合わせ、彼女の反応とサロメの態度から、二人の関係を瞬時に理解したのだろう。

 ロクサーヌもそれに気づいたらしい。まるで意味が分からないと言いたげな顔をしているが、奇遇だな、俺もだ。


 しかしサロメは機嫌よさげに微笑むと、品を作ってカールを見あげた。


「そう仰っていただけて光栄ですわ。縁談を勧めた甲斐があるというものです。ロクサーヌにはもったいないくらい」


 どうせなら私が欲しいわ――


 そんなサロメの声が聞こえそうなほど、彼女の目が妖しく光る。

 もっともカールはそれに気づかないふりをし、大袈裟に笑い出した。


「ああ。そう言ってもらえて光栄だが、とんでもない。縁談の相手はわたしではないんですよ、お嬢さん」

「えっ?」

「わたしはただの使者でね。ロクサーヌ嬢に会いたいと切望していたのは、別の御仁だ」


 まるで、ロクサーヌを見染めた高貴な人物がいるかのような物言いに、サロメの顔がサッと強張る。

 しかし逆に、ロクサーヌのこわばっていた肩の力が抜けたのが分かった。


(ロクサーヌ。あれは俺の事じゃないぞ)


 万が一にも勘違いさせてはまずいと思ったが、言い訳をする前にロクサーヌに苦笑されてしまった。わかっているらしい。なぜかショックだ。


(しかし、カールが使者になるような相手とはいったい?)

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