第50話 色気の養成所でもあるのかしら

 最初、通常よりも少し強いノックの後、気を取り直したような柔らかいノックになる。その音に束の間時が止まったように、皆が動きを止めた。


「お待たせ。お客様をお連れしたわよ」


 ドアの外から感じのいい声でそう言ったのは、予想通りサロメだ。

 今ドアの外で完璧な淑女の笑顔を浮かべる彼女がありありと想像できて、瞬間的に背筋がぞわっと寒くなる。


(まるで初めからその役割があったみたいに言うのね)


 あたかも女主人のような顔をして、客人を案内してきたのだろう。


「来たか」


 兄がため息をついて首を振るのが目に入り、私はなんだか不思議な気持ちになった。だってこんな面倒そうなお兄様、今まで見たことがなかったんだもの。

 いつも真面目に丁寧に、兄はサロメを尊重しているように見えたから、裏切られたという気持ちが強かったのかもしれない。実際驚く程裏切ってたわけだし、私が兄の立場ならやりきれないと思う。借金を返す気だってなくすんじゃないかしら。


 なのに兄はやり遂げた。

 単純にサロメと別れる為だったのかもしれない。けれど今日の兄を見ると、彼の性格的にも自分の為だけではなかったのだと思う。――というか、むしろ兄は、自分のことをもう少し大事にした方がいいんじゃないかしら。

 何度も愛する人を失ったせいで、家族からでさえ愛されることを拒絶しなければいけないなんて、絶対何とかしなきゃいけないことだと思うもの。

 なんだか生まれて初めて、兄がごく普通の人に思えた気がする。


 サロメの声にどよんと空気が重くなった部屋で、ユーゴがしかつめらしく顔でぼそっと口を開いた。


「ふむ。あの図太さは、今後見習う点があるかもしれないな」


 あまりにも真面目にそう思っているみたいな声に、ニーナとセビーが吹き出す。

 驚いた私がユーゴを見ると、彼が「あそこまでいくと、むしろ呆れるほどすがすがしいよな」と言って器用に片方の眉をあげてみせるから、私も軽く吹き出してしまった。


「もう、ユーゴってば」


 ――そういえば、前にもこんなことがあったわね。


 たしかあれは私たちが一年生の時だ。共に学園祭の係になったとき。

 最初のお客様が、あまりにも強烈なお客様だったのよね。各クラスから一人ずつで係が四人もいたのに、その方がお帰りになった後、私達はどっと疲れてしまったの。一人目でこれじゃあ、最後まできちんと対応できるか不安でもあったから。

 そのときユーゴが同じようなことを言ったのだ。もちろん今みたいな茶目っ気はなしの、もそっとした言い方だったけど。


 あの時はユーゴ以外全員が声なき声で、『傲岸不遜が服着て歩いているみたいなあなたがそれを言う?』って叫んだと思うんだけど、一瞬の間のあと皆で大笑いしてしまった。

 おかげでリラックスできたのか、最後のお客様まできちんと対応することができたのよ。


(今思えばあれって、疲れた皆をなごませようとしてくれたってことよね)


 いまさらながらそんなことに気づく。

 だって今も部屋の空気が明るく変わり、無意識にこわばっていた私の肩の力も自然と抜けたもの。


 思えばその後の来賓の中には、オーディアの王妃様がいらしたんだったわ。お茶を出す程度しか接していなかったけれど、フッルム出身の王妃様はとても気さくで、綺麗な方だったことを思い出す。

 ユーゴが少し緊張しているみたいで、珍しいこともあるものだなんて思ったんだわ。まさか彼のお母様だなんて夢にも思わなかったし。


 そんな懐かしいことを思いして一気に心が楽になった私は、ドアを開けるために立ち上がったセビーをとめ、代わりに対応することにした。そんな私の隣に、ユーゴが当たり前みたいに立ってくれる。


「俺も行こう」

「うん、ありがとう」


 少し緊張しながら頷くと、ユーゴが意を決したように私の二の腕を軽くつかんだ。


「ユーゴ?」

「あのさ、さっき言ったことを覚えてる? 俺を信じてって」


 その言葉に私は素直に頷く。

 何か驚くことがあっても、はじめから承知していたような顔をするってあれよね?


「ええ。大丈夫。ちゃんと信じてる」


 だからニッコリ笑うと、ユーゴは少しかたい笑顔を見せたあと振り返って、皆に軽く会釈をした。なぜかそれにニーナが「大丈夫よ、ユーゴ様」とエールを送ってくれるから、ユーゴもかすかに笑って頷く。


「ありがとう。君はやっぱりいい子だな」


 どうやら王子様スマイルを向けられたらしいニーナが、ポッと赤くなるのがめちゃくちゃ可愛い。

 ああいう、女の子らしい素直な反応ってうらやましいなと思いながらドアを開けると、そこには予想通り、笑顔のサロメと二人の男性が立っていた。


 案の定着替えもしていたみたいだけど、サロメの着ているのがタチアナ母様のドレスだと気づいて息を飲む。しかもウエストを必要以上に絞って胸が半分こぼれそうなほど襟ぐりをあける着こなしをしているせいで、上品なドレスが台無しだ。

 確かに似合う着方ではあるけれど、あまりにも図々し過ぎて言葉も出ない。


 女主人として私の後ろに立っているタチアナ母様の様子を見たかったけど、ぐっと我慢して、なんでもないふりをした。


「おまたせしてすみません」


 わざとお姉様とは呼ばなかった。もう姉ではないから。

 言外に、「最後にメイドの真似をされたんですか?」という皮肉を込めたことに気づいたのかサロメの頬が一瞬こわばったけど、彼女は穏やかな表情を崩さず口を開いた。


「男爵様。こちらが妹のロクサーヌですわ」


 可愛いでしょうと言わんばかりのサロメの紹介に、私はゾッとしつつも反射的にスカートをつまんで軽い礼をする。サロメの後ろに立っていた予想外の人物に、なんの反応を見せなかった自分を褒めてもいい気がするわ。


 サロメの後ろにいたのは男性が二人だ。

 最初に目に入ったのは男爵と呼ばれた大きな男性ではなく、その後ろにまるで従者のように控えていたオリスだった。


 ユーゴの言ってたことってこれだったのかしら?

 男爵様とオリスはどういう関係?

 そんなことを疑問に感じつつも、オリスも私も初対面のような顔をする。


 ついで男爵と呼ばれた男性を見ると、その圧倒的な存在感に思わず息を飲まずにはいられなかった。

 もしかして騎士なのかしら。

 前情報が正しければ、彼は六十歳くらいのはずだ。でも日に焼けてがっちりした体躯のせいか、とても若々しく見える。しかもどこかで会ったことがあるような気がして、内心首を傾げた。


(誰かに似てる気がするんだけど、誰だっけ)


 タチアナ母様が中へと声をかけてるけど、男爵も私をじっと見たまま微動だにしない。 目が輝き感極まったような顔で、決して小さくない私を見下ろすほど大きな男性に、少しだけ落ち着かない気持ちになる。


(なにこの、野性味あふれる色気駄々洩れのおじさまは!)


 フォルカー様ともユーゴとも違う、にじみ出るような男の色気ってこんな感じ?

 こちらを見る目が、いわば孫を見るような視線なのによ?


(絶対この方、私みたいな小娘に結婚を申し込むような人には見えないわ。縁談自体が間違いじゃないかしら)


 絶対若い頃は女の子を泣かせてきたわね!

 なんて思うけど、今だってすごくモテそうな感じだ。

 でも食い入るように私を見る視線には、決して色めいたものはなく、私以外の誰かの面影を探しているような気がする。それが私の心のどこかに引っかかり、私も何か答えの糸口がないかと彼の様子を観察した。


 それはほんの一、二秒のことだったけど、はたから見ればきっとじっと見つめ合う形になってたのだと思う。サロメがなぜか不快そうに顔をゆがめたのが目の端に見えた瞬間、ユーゴが自分のものだと言わんばかりに私の腰に手をまわして引き寄せたことでハッとした。


(わ。事実は全然違うけど、あやうく恋人の前で他の男性に見惚れる尻軽女の図になるところだったわ)


 ようやく彼らが部屋に入ると、男爵は勧められた椅子ではなく私の前に跪いた。


「やっとお目にかかることが出来ました。ロクサーヌ嬢」


 そう言っ他男爵に穏やかに微笑まれてドキッとする。


(――あ、誰かに似ていると思ったらフォルカー様だわ。伯爵が笑った時と雰囲気がそっくり)


 ユーゴといい伯爵といい、オーディアの男性には色気の養成所でもあるのかしら。

 そんなことを呆れるように考えつつ、「どこかでお会いしたことが?」と尋ねると、彼は少し寂しそうに首を振った。


「いえ、はじめてですよ。突然このような形で会いに来ることになった無礼をお許しいただきたい」


 男爵がタチアナ母様とお兄様に丁寧に謝罪すると、私の横にいる、普通であれば不審な目で見てもおかしくないであろうユーゴに優しい目を向けた。


「まずはロクサーヌ嬢に自己紹介をすることをお許しくださいますか、殿下」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る