第49話 成人式のはじまりだ

 基本的に、当主の許可なしで縁談が進むことはない。

 それでも、サロメが勝手に先方と何か約束をしている可能性もある。もちろん断る権利はあるけれど、それは私が成人してるか否かの差が大きいのだ。


 もし、ここにユーゴがいなかったらどうなっていただろう。

 ふとそんな事が脳裏に浮かんで全身が粟立つ。


 もともとこちらに来るきっかけになったのは、ユーゴの言葉に背中を押されたからだ。

 ここに来たから、セビーとタチアナ母様に変身させてもらえた。バイトもできた。

 バイトをしていたから、ピピさんから真実を聞くことができたし、素の姿のユーゴとも会えた。

 何がきっかけなのかわからないけれど、頑なに私を見なかったお兄様が私に笑顔を向けたのは、ここにユーゴがいたからだ。多分それは間違いない。


(ユーゴをきっかけに全てが変わった)


 全身をさざ波のような震えが走る。

 泣きたいような笑いたいような気持になって、思わずユーゴの袖をつまむと、彼が柔らかい声で「どうした?」なんて言うから、それだけで胸がギュッと痛くなる。


(私、相当重症みたいだわ)


「ううん、なんでもない」

 あっさり首を振って見せた後、ふといたずらめいた気持ちが沸き上がり、クスッと笑った。

「ユーゴが魔法使いみたいだなぁと思っただけ」


 子どもっぽいことを言ってしまったなと思うけど、本心だってことはつたわったみたい。ユーゴはぱちくりと瞬きした後、私の頭を引き寄せた。


「俺は魔法使いじゃなくて恋人がいいな」

「っ!」


 こ、この人、本気で私を殺す気かもしれない。

 耳元で囁かれた声の破壊力に心臓が暴れ出す。次の一撃が来たらこれ、あっさり停止してしまうんじゃないかしら?


(この天然タラシめ!)


 オーディアでは絶対、大勢の女の子にこんな思いをさせてるに違いないわ。

 これはフリじゃないって、一瞬勘違いしそうになったもの。

 モテないようにもっさりとするようになったのだって、もしや自業自得から来てるんじゃない?


 すんと表情を消した顔でユーゴを見返すと、彼が「何か、とんでもなく不本意なことを考えられている気がする」と呟いた。


「気のせいでしょ」


 変なこと言うからよと思いながら、カギのかかったドアに目をやった。

 幸い外はまだ静かだ。

 けれどお兄様のいった通り、サロメは私の縁談相手をつれてここへ戻ってくるのだと思う。彼女なら、自分だけが離婚や再婚をするなんて許せない、ロクサーヌも絶対巻き込むって、間違いなく考えてるわ。


 一つ救いなのは、サロメが見栄っ張りなところだろうか。

 他国とはいえ貴族の男性を迎えに行くのに、女主人のようなドレスやメイクに着替えるのは間違いない。絶対私の今着ているドレスやアクセサリーに対抗してくる。

 そして彼女は、男性にいい印象を与えるそういう姿がよく似合うのだ。


 今頃タチアナ母様の厚意でヴァイキングや休息を楽しんでいたメイドたちが、サロメの支度を手伝わされてるのは想像に難くない。

 父の死後、タチアナ母様の身分は伯爵令嬢に戻っている。未亡人になった継母を心配した、彼女のお父様がそうしたのだ。

 だからこそ、ここは実家よりも使用人の数が多いし、質もいい。

 縁談相手の男爵を少し待たせておくことが出来るのも、ここが実家ではなくタチアナ母様の家だから。


 運の悪いメイドに心の中で謝りつつ、できるだけ時間を稼いでほしいと心の中で祈った。


 下手すると祖父くらいの年齢の男性が、こんな軽はずみなことをするのは理由があるはず。

 そう思うと不安で仕方がない。


 私の不安を感じだったらしいユーゴが、少しかたい声で「大丈夫だよ」と言った。


「恋人がいる女性に、無理に迫るような野暮な男じゃないだろう。もしそうなら力づくで追い出す」


 なぜかノリノリで恋人設定を続けてくれるユーゴが徹底してて、それが今度は頼もしくて吹き出しそうになる。追い出すのあたりがすごく真に迫ってるから、私もそれに合わせて「頼りにしてる」と微笑んでみせた。

 なのにユーゴったら、ほんの少しだけ自信なさげに瞳を揺らす。らしくないわ。


(頼りにしてるだなんて、さすがに図々しかったかしら)


「あー、ロクサーヌは、その、縁談の相手が頼りになる年上のいい男でも、そう思うか?」


 ユーゴの言っていることの意味が分からない。縁談相手に私が惹かれるとでも思ってるの? 相手がどんな人だなんて関係ないのに。


「え? 頼りになってもいい男でも、それはユーゴじゃないじゃない」


 あまりのありえなさに、つい思ったことをそのまま答えてしまった私の前で、なぜか彼の耳がほんのりと赤くなった。なんで照れているのか分からないけど、こちらまでつられて頬が熱くなる。


「そうか」

「うん。えっと、これは変な意味じゃなくて」

「大丈夫、分かってるから。邪魔にならないならこのまま行く」

「そ、そう?……うん。ありがと」


 何が邪魔なのかはわからないけれど、せっかくの厚意に頷く。なんだか胸の奥がむず痒くて仕方がないわ。

 そこにパンパンと手を叩きながらセビーが入ってきた。


「はいはい、そこのお二人さん。イチャイチャするのは後にしてくださいねぇ」

「えー、ダメだよセビー。いいところだったのにぃ」

「でもね、ニーナ、まずは成人式でしょう?」

「そうだった! ロキシー、邪魔してごめんね。こっち、準備できたよ」

「あ、うん」


 二人の会話にさらに熱くなった頬を押さえながら、私は急いで兄の前に跪いた。


(もうっ。イチャイチャなんてしてなかったわ)


 恥ずかしくて、うまく取り繕えない表情を隠すよう、部屋の明かりが落とされてホッとする。そんな私とお兄様を囲むように、みんなが祭事用のランタンを掲げて照らした。

 柔らかな光で、一気に厳かな空気に変わる。成人式のはじまりだ。


「ロクサーヌ・マリーを守り慈しんだ精霊たちよ。この者が無事成人したことを祝い、感謝し、その守護を返還する」


 右手の先で私の額に触れた兄が、その手を大きく円を描くように動かし、最後に天へ向ける。数秒そのままにした後、何かをつかむように手を握ると、兄は再び私の額へ触れた。 誕生から今まで守ってくれていた守護を感謝を込めて天に帰し、今度は新たな守りを付けるのだ。


「ロクサーヌ・マリーの新たな人生に、さらなる守護と幸運を」


 そうして、兄がランタンの火であぶって冷ました針を使い、私の両耳に穴をあける。そこへ私の名前を書いた小さな紙を順にあてると、小さく血の跡がついた。それを小さく折りたたんで、儀式用の箱に入っていたケースに挟み込む。

 これで、大人として新たな守護者との契約が完了した。


 じんじんとする耳に紅玉のピアスを付けてもらった私は、まず兄の前で頭を下げ、兄の手の甲を私の額にあてた。

 次にタチアナ母様、セビー、ニーナ、ユーゴの順に同じことをする。

 最後に「新たな守護に感謝を」と私が言って、見えない守護者に頭を下げ、成人式は無事終わった。


(成人、しちゃった)


 下手をすればずっと先だと思っていた成人式が終わり、ちょっと夢心地になる。大好きな人達のそばでそれが叶ったのが嬉しくて仕方がなかった。

 部屋の明かりがつき、タチアナ母様が「おめでとう」と言って、両頬にキスをくれる。続いてセビーとニーナ、兄が同じことをしてくれた。


「俺もしていいかな?」

「え、ユーゴも?」


 慌てる私の前で、ユーゴがまじめな顔で兄をちらっと見る。どうやら許可を得たらしく、私の両肩に手を置いたユーゴが「おめでとう」と囁き、両頬に柔らかなキスをくれた。


(これはさすがに恥ずかしいんだけど)


 家族やニーナと同じことをしただけなのに、デートの時のキスよりも親密な気がするんだもの。


(心臓が壊れそう)


 その甘さを、部屋をノックする音が打ち破った。

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