第47話 成人式を行おう

 驚く私の前でお兄様が胸元でせわしなく指先を動かし、最後に私たちの手元を一瞬指差す。それに対してなのか、ユーゴが指で輪を作るよう丸めたり伸ばしたりと複雑に動かして最後に軽く手を振ると、それを見たお兄様が満足したようににっこりと笑った。


(ん? なに今の)


 まるでオリスとユーゴがたまにしていたクセに似ているなと思ったけれど、あまりにも希少レアな兄の笑顔の方に意識を全て持っていかれてしまった。だって正面から私に笑いかけてくれるなんて、何年振りか分からないくらいだったんだもの。


「ジャンさん、それをどこで?」

 ユーゴの質問に兄がニヤッと笑い、兄は私にはさっぱり分からない回答をした。

「商人なのでね。いつか・・・のために」

 そう言って兄は柔らかい視線を私に向け、ユーゴは興味深そうに目をきらめかせる。


(ううっ。また可愛い顔をするぅ)


 自分の気持ちを認めてしまったせいか心臓が強く脈打ち、自分の周りだけ空気が薄くなったような気がする。できることなら手で顔を覆ってしまいたいくらいだ。


 その時だ。

 部屋に入って来たメイド長がタチアナ母様に何か告げると、彼女が判断を仰ぐように兄を見て何かを囁く。サロメだけは聞こえたらしく、パッと顔を輝かせるので嫌な予感がした。

 予定外の来客らしい。


「応接室で待っていただいて」


 そう指示を出したタチアナ母様が振り向くと、兄が深く頷きこちらに向き直る。そしてためらうように束の間視線をさまよわせたあと、一度視線を伏せて息を吐きだした。


「今ここでロクサーヌの成人式を行おうと思うのだが、ユーゴくんも立ち合ってくれるか」

「えっ?」

「もちろんです」


 戸惑いの声をあげたのが私とサロメ。快諾したのがユーゴ。

 タチアナ母様とニーナは「素敵」と声をそろえ、セビーは急いで部屋の外へかけていくと、瞬く間に戻って来た。


「兄さま、これを使って」


 そう言ってセビーが差し出した箱は、成人の儀式用具一式だった。女性らしいデザインの箱は誰にも言ったことがない私の好みにぴったりで、思わず息を飲む。


「母様の勘が当たったわね。見て、これ姉様のよ。準備しておいて正解だったわ」


 タチアナ母様やニーナとハイタッチするセビーを横目に、サロメが兄に文句を言い続けている。でも兄はまったく気にしていない。というか普段私に対してしていたように、サロメの存在そのものが見えていないかのように振舞った。


「わたしも一応準備してはいたんだが、せっかくだ、これを使おう」

「ちょっと待って、お兄様。本当に? 今ここで?」

「ああ。いい立会人もいるしちょうどいいだろう」


 そう言って兄はユーゴに笑いかけるし、ユーゴも笑顔で頷くから、恥ずかしさで私の耳が熱くなる。立ち会うということは、ユーゴが身内扱いだってことじゃない。


「ねえユーゴ、意味が分かってるの?」

「もちろん。君の兄上は、俺を認めてくれたらしいよ。恋人として合格だって」

「っ!」


 ユーゴのとんでも発言に、何か巨大なものを飲み込んだみたいに息が詰まる。とっさに否定しようとしたけれど、これはあくまでふりだと思い出して言葉を飲み込んだ。

 いつそんな話になったのかさっぱり分からないけど、兄とユーゴの間では、ちゃんと話が成立していたらしい。意味が分からない。


「ねえ、ここは私、嬉しそうにはにかんだりするところ?」


 ユーゴにそう囁くと、彼は私を見て少し目を丸くした後、私の頬を手の甲でスルッと撫でた。


「いや? その表情で十分だ」


 その声の甘さに勘違いしそうになる心を抑えつけ、自分がどんな顔をしているのか分からないまま小さく頷いた。赤面しないよう頑張っているのに頬が熱い。


「ジャン! いい加減にして! こんなのおかしいわよ。式なんて必要ないじゃない。彼が本当にロクサーヌの恋人ならなおさらだわ」


 小さな声で抗議していたサロメが焦れたらしく、だんだん声が大きくなる。


「男爵以上ならいいんじゃなかったのか?」 

「なによそれ。彼が高位貴族だって言いたいの?」

「まあ、当たらずとも遠からずだろう。もっとも妹を幸せにしてくれるなら、彼が平民でも構わないと思っているけどな」

「はっ! いまさら何よ。さんざんほっといたくせに幸せですって? 不幸を呼ぶ娘を相手に?」


 しつこいまでのサロメの主張に兄がふっと微笑む。


「不幸を呼ぶのはわたしのほうだぞ。知らなかったのか?」


 優しい声音なのに胸をえぐるような響き。

 タチアナ母様が「それは誤解よ」と言ったけれど、兄は静かに首を振って懐から封筒を一通取り出し、中味を広げた。


「ちょうどいい。先にこれを片づけてしまいましょう。ここに来た理由のひとつがこれです。タチアナ母様、サインをお願いします」


 広げられた書面は離婚証明書だった。


「サロメの父親のサインは入っています。もう一人の証人になっていただけますか?」

「ジャン待って! 私聞いてない! なによこれ。どうして父様がサインをしているの! こんな偽物出すなんて!」


 私たちが驚いて声を失う中、サロメのヒステリックな声だけが別世界の出来事のように響く。


(サロメとお兄様が離婚?)


「これは本物だよ、サロメ。成人式は身内だけで行う。つまりおまえは不要だ」

「そんなのおかしいわよ!」

「おかしい? おまえが我が家の事業費や実家からの援助を、どれだけくすねていたか覚えていないのか? 見逃すのは一度だけだと言ったはずだ」


 淡々とそう話した兄は、私たちにサロメのしたことの説明をしてくれた。


 もともと仕事上の政略結婚だった二人だけど、サロメは結婚後間もなくから不特定多数の恋人を作っていたという。兄としてはセビーがいるので跡継ぎ不要と放置していたらしいけれど、だんだんエスカレートしたサロメは男たちに金銭的援助をしはじめ、事業費や実家のお金にも手を付けていたそうなのだ。

 そんな中でも借金を返し終えたお兄様は株をあげ、サロメは父親から相当怒りをかったらしい。離婚はむしろ先方から懇願されたことだと。


「おまえの父君からの伝言だ。『とっとと帰ってきてモージアへ嫁ぐように』だとさ」

「嘘でしょ! 嘘だと言って。あんな砂漠の国冗談じゃないわ」

「相手は相当な資産家だそうだよ。十八番目の妻らしいが、可愛がってもらえるんじゃないか? おまえの実家に大いに役に立つ縁談だということだ。まさか断らないよな?」

「いやっ! ジャン、愛してるの。あなたもそうでしょう?」


 すがりつくサロメは、たいていの男性なら庇護欲を掻き立てられるんじゃないかと思うほどほど儚げに見えたけれど、兄はそれに驚く程冷たい笑みを向けた。


「知ってるかい、サロメ。俺を愛した人はみんな死ぬよ? おまえは健康そうで、長生きしそうだ」


 兄を愛したり大切に思ってくれる人は早世する――。

 それが兄が自身を『不幸を呼ぶ』と言っている理由だった。

 実の両親も引き取ってくれた親も。そしてかつて愛した女性も全員亡くなった。


「わたしは大切な人ほど距離を置いたし、愛されないよう気を付けてきた。だからサロメを責める気はない。ただ、もうお前は不要だというだけだ。もともとこれは、サロメの母親の夢の代わりだったんだ。もう十分だろ?」


「何よそれ」


「おまえの母上はわたしの父上――つまり育ての親を愛していた。死ぬまで。だが選ばれたのは謎の女性、アンヌマリー母様だった。恨みはすごかったそうだね。アンヌマリー母様が生んだ一人娘まで憎むほど。

アンヌマリー母様が亡くなってすぐ、タチアナ母様と再婚したのも気に食わなかったと言われたな。しかしタチアナ母様は伯爵令嬢だ。身分的に文句は言えなかったらしい。

かわりに育ての父にも似ていたわたしに娘であるサロメおまえを嫁がせ、縁をつなごうとした。幸い父は何も知らなかったよ。ある意味鈍い人だったからね。わたしだって、おまえがロクサーヌを虐げている現場を目にするまで何も気づかなかった」


 一気に話した兄が呆然と聞き入る私に向き直り、「悪かった」と頭を下げた。


「父が亡くなるまで、ロクサーヌとサロメは仲がいいと思い込んでいた。意識を向けないよう関心を向けないよう気を付けていたとはいえ、あまりに無関心すぎた。そのせいでアンヌマリー母様への逆恨みを一身に受けさせることになってしまい、本当に悪かったと思っている」

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