第42話 ユーゴ視点⑧

(バカね、か)


 けっこう本気だったんだけど、簡単に流されてしまった。

 もっとも、頷いてもらえるなんてまったく期待していなかったが……。いや、嘘だ。本当はかなり期待していた。


 たしかに冗談だと思われても仕方がない言い方をしてしまったけれど、本当は婚約を申し込みたいのを寸でのところで踏みとどまったのだ。

 まだできない。今はその時ではない。

 その前にやらなくてはいけないことがあるのだから。


(それにしてもロクサーヌ、綺麗だな)


 ニーナが言った通り、ロクサーヌが俺の色を身に纏っていることに気付いた時は、息が止まりそうだった。おかげでうまく褒められなかったのが悔やまれる。

 彼女が何も考えていなかったのは分かったけれど、はたから見れば俺たちが特別な関係に見えるのは間違いないと思ったし、ニーナに指摘されて真っ赤になるロクサーヌも可愛かった。


 さりげなく彼女の手を握ったまま、窓の外に流れる景色を見るふりをする。


 ロクサーヌは縁談相手のことを年齢や爵位程度しか知らないようだが、俺は彼を知っていた。

 オーディアのカール・エイファン男爵。

 俺の叔父フォルカーの父親だ。


 相手がカールだと知ったのは偶然だ。

 昨夜俺が酔っぱらって寝てしまったとき、俺さえ知らなかったロクサーヌのフルネームを聞いた叔父が、それに気づいたのだという。父親が会いたがっていた女性だと。


 カールはがっちりした体躯の大男で、髪は少々薄くなっているが、ひげが似合う偉丈夫だ。武骨な割にどこか甘い雰囲気があり、六十近い今でも女性の人気が高い。

 彼が妻を亡くして十年以上たつのだし、息子たちが全員巣立ったのだから、新たな伴侶を得るのは何ら不思議はない。

 ――しかし、それがロクサーヌとなると話は別だ!


 ロクサーヌは俺とだけデートをすることに頷いてくれたし、トーマのことは理想の兄だと言った。元婚約者には恋をしてなかったとも。


 しかし、まだ油断はできない。

 祖父と孫ほどの年の差だとはいえ、彼女がカールに惹かれない保証はまったくないのだ。カールは間違いなく年上のいい男・・・・・・だから。


(ロクサーヌを大叔母上と呼ぶなんて、絶対ごめんだぞ)


 今日叔父が忙しくしていたのも、オリスが来ていたのも、もとはと言えばロクサーヌとカールが原因だった。


『ロクサーヌが何者であっても、必ず婚約を申し込むつもりだから』


 そう宣言した俺に、叔父は『だろうなぁ』と、のほほんと応えるので気が抜けた。てっきり彼は父親の味方だと思ったのだが、それとこれは別らしい。しかも俺の気持ちは、俺自身が自覚する前からバレバレだったと。

 だったら言ってくれとも思うが、それを否定していたのは俺自身だったことを思い出す。

 我ながら愚かすぎて情けなくなるな。


『あとな、ユーゴ。ロキシー嬢は、はじめからおまえだって気づいていたらしいぞ』


 口止めされてたから内緒なと笑う叔父の言葉に、ガイド初日からのことを思い出し、なんだかふつふつと笑いがこみ上げてきた。ロクサーヌはどこにいても、どんな姿でも、やっぱりロクサーヌなんだと。


(やっぱり好きだな。あきらめるなんて無理だ)


 まだ遅くない。

 だから問題を片付けに行く。

 彼女の弟は俺に、『本気で姉様が欲しいなら、しっかり守ってくれるよね』と囁いた。年齢よりも大人っぽい眼差しは、むしろ彼の方が保護者みたいに見え、どれほどロクサーヌを大事にしているのか分かる。


(もちろん守るさ)


 ロクサーヌに視線を向けると、彼女も反対側の窓の外を眺めている。

 初対面のセビーにさえ一目で見抜かれた気持ちを知った時、いったい君はどう思うのだろう。それとも気づかないふりをしている?


(ロクサーヌ。してほしいことは決まってるんだ)


 無意識に軽く握っていた手に少し力が入る。その手を少しだけ握り返してくれたのが愛しくて、なぜか涙が出そうな気がした。


   ◆


 彼女の継母の家は、以前は別荘として使われていたらしい。

 とても居心地よさそうだとロクサーヌに感想を述べると、小さい頃かくれんぼをした窪みなどをこっそり教えてくれた。可愛いな。


 迎えに出た使用人に手を振ったニーナが、勝手知ったるといった様子で先頭に立ち、先に食堂へ入る。


「ロキシーとお客様を連れてきましたよ」


 その言葉を合図にロクサーヌと共に入り口をくぐると、そこにはセビーと、緑色のドレスを着たサロメ。クリーム色のドレスを着ている小柄な女性が、おそらく継母のタチアナだろう。その前に立っていたのがロクサーヌの兄、たしか名前はジャンだったか。


 ジャンは俺たち、というより、ロクサーヌを見て心底驚いたような顔をした。それは例えるならば、失った宝物に再び会えたかのような表情で、とても妹に無関心な兄には見えない。

 それがなぜか少し不快で、俺はロクサーヌの腰に手をまわし、そっと自分の方へ引き寄せる。彼女も芝居中だと思ったのか、素直に俺に寄り添った。


「おかえりなさい、ロキシー。一緒にいるのがユーゴさんね。あらあら。全然もっさりしてないじゃない」


 ニコニコと悪気のないタチアナの言葉に思わず吹き出す。ロクサーヌはビクッとしてこちらをうかがっているみたいだが、俺の話を家族にしていたなんて嬉しい驚きだ。


「夫人、お招きに感謝します。ええ、もっさり・・・・は学園限定なんですよ」


 しれっともっさりを強調し、「騒がれたくないので」と言い放てば、彼女は、

「わかるわ。なかなかお目にかかれないくらい、いい男ですものねぇ」

 とにっこり笑った。いい男と言いつつ、お気に入りの無機物を目にするようなさっぱり感が、珍しくも好ましい。

 なるほど、ロクサーヌが慕うのも理解できる、面白くて可愛い女性だ。


 セビーは俺と目が合うと、いたずらっぽく口の端をあげた後、親し気に小さく手を振った。以前から知り合いだったかのように振舞う気らしい。


「いらっしゃい、ユーゴさん。ちょうど料理が揃ったところですよ」


 ニコニコした顔は愛らしく、たしかにロクサーヌが会えばわかると言っていたことに、改めて納得する。彼は母親似のようだ。


 次いでサロメに目を向けると、前回とは彼女の様子が全く違った。

 口元に穏やかな笑みを浮かべた姿は淑女そのもので、誰かに意地悪をするどころか、虫一匹殺せないような顔をしている。しかし食い入るようにこちらを見ている潤んだ目も、紅潮した頬も、そしてあきらかに媚びを売る上目遣いも、すべてが隠せてはいない。こちらの身分を知らない分ぶしつけすぎる点をのぞけば、あまりにも見慣れた反応だ。

 そんな彼女がススッとこちらに近寄り、目はこちらを向いたまま、ロクサーヌに親しげに話しかけた。


「ロクサーヌってば、なかなか帰ってこないから会いに来ちゃったわ。素敵なお友達ね。はじめまして。私はロクサーヌの姉で」

「いえ、二度目ですよ」


 何も知らなければ、サロメは優しい姉にしか見えないだろう。しかし、笑えるほどに彼女はロクサーヌを見ず、俺の顔ばかりを見ている。今のロクサーヌを見たら、絶対そんな反応はできないはずなのに。


 サロメを言葉の途中で制して事実を伝えると、彼女は不思議そうに瞬きをした。


「前にも会ったことが?」


 なぜか少し青褪めているが、以前会ったときの俺の姿を思い出したのだろうか。


「ええ。休暇に入ってすぐ、ロクサーヌに会いに行ったときに。残念ながら彼女もご主人も留守で、あなたがもてなしてくれたじゃないですか」

「あ、あら。そうだったかしら。最近忙しかったからよく覚えていないわ。ごめんなさいね」


 本当に覚えていないのか、微妙な反応だ。目を泳がせたサロメが挨拶を促す体でジャンの後ろに隠れる。ロクサーヌもかすかに首をかしげているが、最後に彼女のジャンに挨拶をし、風変わりな夕食が始まった。

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