第41話 深夜の鐘が鳴るまでは
「そろそろ迎えが来る頃だ」
そんなユーゴの言葉に首を傾げつつ、私が考えていた時間よりも遅めに外に出る。間もなくタチアナ母様が寄こしてくれたらしい馬車が現れると、御者の隣からニーナがピョンと飛び降りてきたので驚いた。
「ニーナ、迎えに来てくれたの?」
「うん、そう。きゃあ、ロキシー綺麗! 素敵! ユーゴ様も! うんうん。やっぱり迎えに行くって強引に押し通して正解だったわ」
満面の笑みで私たちを交互に見ていたニーナが、口元に手を当ててフフッと笑うのが可愛いなんて思ってたんだけど、次の言葉に私は硬直してしまった。
「ロキシーのドレスはユーゴ様の目の色ね」
「えっ?」
あわててユーゴを見れば、彼がふいっとそっぽを向く。どうやら彼はそのことに気づいていたらしい。
「え、ちがうの。これは偶然で」
本当にたまたまだと主張しようとして、ふと、これを選んだ時のシルヴィア様の反応を思い出した。
あれは地味なドレスだから納得したのではなくて、私がユーゴの色を身に纏うことに嬉しそうだったんだ、と。
「わかってるって、ロキシー。た・ま・た・ま、選んじゃったのよね?」
「そうよ」
分かってるって言いながら、絶対分かってるの意味が違うように聞こえるんだけど。
「ユーゴ様のピンの琥珀もいいアクセントだと思います。ロキシーの目の色ですね」
(えっ、ピン?)
ニーナの発言に彼の襟元を見てみれば、たしかに琥珀をあしらったピンを付けている。もしかしてさっき『気に入った?』と聞いたのって、これの事だったの? え、違うわよね?
どう反応していいか分からずオロオロしていると、ユーゴが私の頭に一瞬手を乗せ、軽くクシャっと撫でた。
「行こうか」
「え、ええ。そうね」
(なに今の。なに? なんなの?)
あまりにも親密な感じに目を見開く。しかも困ったことに、それが全然嫌ではない。
騒ぐ心臓を抑えるように胸に手を当てると、ニーナが意味深で大人っぽい笑みを浮かべる。彼女が『見て』とでも言うように流した視線の先には、耳の赤くなったユーゴの顔があった。
顔は見えてないのに妙に可愛く感じて、それがなぜだかすごく――切なかった。
馬車に乗って二人きりになると(ニーナは再び御者台だ)、ユーゴがしばらく何か考え込んだ後、
「万が一君に例の縁談の話が出たら、俺が力になれると思う」
なんて言うものだから、私は首を傾げた。
「どういうこと?」
「場合によっては恋人のふりをすればいいってこと。俺に爵位はないけど、相手が男爵ならなんとかなると思う。叔父たちが力になってくれるってさ」
「それは、ありがたい話だけど」
正確な正体は未だに明かされてないから、私も知らないことになっているけれど、伯爵の親族とお付き合いをしているという線で諦めさせるという意味だろうか。
(たしかにユーゴに爵位はないのだろうけれど)
「あなたと恋人のふりなんて無理よ。ふりをしたところで、すぐバレるわ」
(だって私じゃ釣り合わない)
もう少しで零れ落ちそうだったその言葉は、すんでのところでどうにか飲み込む。きっとユーゴなら、そんなこと聞きたくないと思ったから。
でも私は容姿も身分も、彼に見合うものを何一つ持っていない。
そんな私が王子様然とした美男子の隣にいても、サロメはきっと鼻で笑うだけだろう。普段のユーゴであっても、結局はそうなる。私のせいで、ユーゴがバカにされるのは我慢ならない。
「どうして。デートはうまくいってただろ。美術館でも似合いって言ってもらったし、おかしくはないと思うんだが」
まさか本気で言ってるの?
「管理人さんはロマンティストだから」
「だからなんだ? それともずっと、仕事のつもりで俺の隣にいた?」
「そんなことない。――誰にも秘密な場所を見せてあげたじゃない……」
最後は俯いて蚊の鳴くような声になってしまったけど、ユーゴが満足そうに頷いたのが目の端に映る。
そのまま私の隣に移動してきた彼が、私の手に自分のそれを重ねた。
「絶対うまくやる。意にそわない結婚なんてさせない。君は幸せになる権利がある」
「ユーゴ」
その真剣な声に顔をあげた私が目を見開くと、ユーゴが微かに目を細め、甘やかに微笑んだ。
「それとも、本当に恋人になろうか?」
そのかすれた声に、胸の奥が引き絞られたように痛い。
これはただの冗談だって分かってる。ユーゴは私を励ましてくれているだけだって。
でも、ほんの一瞬だけ夢を見てしまった。
卒業後も彼の隣にいる私を。王子様になったりもっさりしたりする色々なユーゴと、笑ったり怒ったりする未来を。泣きたいほど幸せな光景が一瞬だけ浮かんで、泡のように弾けて消えた。
「バカね」
だからちゃんと流してあげる。
冗談を本気にして戸惑わせたりしない。
(だってあなたは私に、本当の身分を明かしてない)
明かして言えることでもない。だからこれは質の悪い冗談だ。
あの婚約破棄がなければ、何も気づかないまま卒業してたのに。
せめてこんな風に会うことがなければ、学園で最後に笑って、もしくは文句を言いながら、普段と同じように別れたはずなのに。
気づきたくなかった。気付いちゃいけなかった。
(ユーゴが王子様じゃなくて、本当にただのユーゴ・ヴァレルだったらよかったのに)
私が思ってた通りの男の子だったら――。
(ううん、多分それでも、私は何も言えなかっただろうな)
予想もしなかった一日を振り返り、これは魔法のような出来事だと思った。
魔法を何重にもかけられた私は、深夜の鐘が鳴るまでは王子様の隣にいるお姫様でいられるのだろう。
そう考えると不思議と慰められる。
もっとも、私がこんなことを考えているなんてことがバレたら、絶対ユーゴにバカにされると思うけどね。もしくは嫌な顔をされるかな。
「ユーゴがこんなに世話好きだなんてしらなかったわ」
「世話好き? 俺が?」
「世話好きでしょ? こんなに力になろうとしてくれるなんて、正直とても感動しているわ」
「言っておくが、誰にでも力を貸すわけじゃないぞ」
眉根を寄せたユーゴがあまりにもいつものユーゴで、私はクスッと笑った。
「そうね。でも感謝してる。あとで絶対お礼をするからね」
「何してくれるの?」
「うーん。まだ思いつかないけど、してほしいこととかあるなら後で教えて」
「分かった。万事うまくいったらね」
そう言って頷いたユーゴの笑みが一瞬獰猛に見え、私は笑顔を保ったまま、変な汗が背中を流れるのを感じた。
なんだろう。まるでユーゴの視線に一気に絡めとられたような――。
(あれ? 私、何か間違った――?)
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