第40話 いつか絶対恩返ししなきゃ

 最終的に私は濃紺色のドレスを選んだ。シンプルな意匠デザインだったし、色も一番地味だと思ったから。シルヴィア様がとても嬉しそうにしていたから、彼女も同じ考えなのだと――――この時は思ったの。



 私の着付けを終え、一歩引いて私をくるっと一回転させたクララさんが、

「できました。いかがですか、奥様」

 と、斜め後ろにいるシルヴィア様を振り返った。


「とっても素敵だわ。完璧よ、クララ」


 その言葉に頷いたクララさんに導かれて鏡の前に立つと、私が着せてもらったドレスは、着る前に受けていた印象とは全然違っていて驚いた。

 このドレスは前合わせのカシュクールなんだけど、襟ぐりが思っていたたよりも深い。なのに、胸元のボリュームが少ーし乏しい私が着ても下品な感じはみじんもなく、むしろ大人っぽい上品さがある。

 この服を着て、仕事に行っていたと言っても違和感がないんじゃないかしら。

 そう思うと、私がドレスアップして帰ったところで違和感がないことに気づいて、少し感動してしまった。

 それに肌触りの良い生地は、見る人にはいいものだと絶対にわかると思う。自分の服には手を抜かないサロメだったら、目ざとくそれに気づくんじゃないかしら。


 上衣はクララさんの手によって作られたひだが繊細で美しく、ウエストの右前で結ばれたリボンのバランスも素晴らしい。スカート部分は、シルヴィア様より背の高い私が着たことでひざ下が全部出てしまっているのにも関わらず、足の形がよく見える絶妙の丈になっていた。

 クララさんが何度も何度も調整を試みていたのは、どうやらこの為だったらしい。


 私がいつも付けているネックレスはお守りだと言うと、それを外すようには言わず、代わりに重ねられるデザインのネックレスがつけられ、髪にも揃いの意匠のピンを付けてくれる。

 それだけで華やかさがグッと増し、シンプルでありながら、まさに盛装というにふさわしい装いになった。


「すごい、です」


 こくんと息を飲み、どうにかそれだけ言葉を絞り出した。今鏡に映っている私の目は真ん丸で、ちょっとだけ間抜けに見えるわ、なんて思いながら。

 でも仕方ないわよね。今までも変わったと思っていたのに、今の姿はさらに別人感がすごくて息が止まりそうなんだもの。

 

(この世には、実は魔法使いがたくさんいるのね。知らなかった)




 シルヴィア様に連れられて、半分夢見心地だったリビングに戻った私は、振り返ったユーゴの姿を見た瞬間、今度こそ呼吸が完全に止まった。


「ュ…………?」


 ユーゴの名前を呼んだつもりだったけれど、声は出せなかった。

 だって白いスーツに黒っぽいシャツを合わせたユーゴの姿は、正直想像以上としか言いようがなかったんだもの。めちゃくちゃ気障きざなのに嫌味がないわ。すごすぎる。本当に、すごすぎる。


(いったい、どこのおとぎ話から飛び出してきた王子様よ? ……って、本当に王子様だったわ)


 これは間違いなく、サロメがお口ポカンになるわね。

 私でさえ、今心臓が大変なことになってるんだもの。平然とした表情を保ってる自信はあるけれど、頬が熱くなってるのは気づかないでほしい。


「どうこれ、気に入った?」

「っ!」


 襟元を親指で少し上げていたずらっぽく笑ったユーゴが私の手を取り、慣れた仕草で中指の間接あたりに小さくキスを落とす。

 ほんっと、美男子の洗練された動きって心臓に悪すぎるんですけど。

 

(とどめを刺すのはやめてほしかったわ。絶対今、私の心臓が一瞬止まったわ!)


 それでも全矜持プライドを総動員して、余裕の表情でにっこり笑ってみる。


「期待以上だわ。とっても素敵ね」


 声が少しかすれ気味になってしまったけれど、私の言葉にユーゴが嬉しそうに目を細めた。


「君も期待以上だ。とても……綺麗、だ」


 ユーゴが私の全身を見た後、落ち着かなげに目を泳がせ、褒め言葉が尻すぼみになった。オリスみたいにスラスラとお世辞は出てこないわよね。うん、ちょっと安心。

 あなたの隣じゃ、たいていの女の子は霞むのよ。自覚があるから気にしないでほしいわ。


 それでも私史上最高に綺麗な姿にしてもらった自信はあるから、へにゃっと頬が緩むのは許してほしい。素敵な服や装飾品って気分が上がるんだもの。


「ふふっ。綺麗なドレスを着せてもらっちゃった」

「いや、ドレスじゃなくて」

「気遣いは無用よ?」


 気分がいいから、変なお世辞はいらないの。


「まったく君は。――まあいい。まだ時間があるから向こうで話そう」


 そう言ってユーゴは伯爵たちに断りを入れ、私の手を引いてバルコニーの方へ進んだ。でもそのままそこに出るのではなく左に折れると、観葉植物に区切られた、まるで小部屋のような空間にすすむ。

 小さなテーブルと、庭を見下ろす形で大きなソファがひとつ置いてあるだけのそこは、リビングと同じ部屋でありながらお互い姿が目に入らない、そんな感じになっていた。

 二人きりだけど二人きりではない。そんな風に気を遣ってくれたのだろう。紳士だわ。


 ユーゴは私を座らせると隣に座り、すでに用意してあったポットからお茶を注いで私に勧めた。自らふるまってくれるなんて予想もしなかったからびっくり。


「あのさ、話があるって言っただろ?」


 美味しいお茶と窓の外の景色を楽しんでいると、ユーゴが言いにくそうに話し始める。でも私が首肯したあとも、なかなか続きを話そうとしなかった。


(ユーゴが王子様であることを知ってるって、こちらから打ち明けたほうがいいのかしら)


 彼があまりにも言いにくそうにしているので、ついそんなことを考えてしまう。

 だってね、それが許されるのは今だけじゃない。

 同じ学園生の立場なら、相手さえ気にしなければという条件付きとはいえ、身分差を気にせず接することが出来る最後の機会なんだもの。

 伯爵とトーマのように長く続く友情も羨ましくはあるけれど、なぜかそう考えると胸がチクッと痛む。


(もともとユーゴはユーゴで、友達というカテゴリではなかったから、かな)


 心の奥で違うって囁く声がするけれど、私はあえて耳をふさいだ。それは聞いてはいけない声だから。


「えっとさ。ロクサーヌは、トーマのことをどう考えている?」

「えっ、トーマ?」


 予想の斜め上の質問に、不覚にも数秒パチパチと瞬きを繰り返した私は、もう一度「トーマの事?」と言って首を傾げた。え、なんでまた?


 でもそれに対してユーゴが真面目な顔で、

「好きだって言ってただろ?」

 なんて言う。

 なぜそんなことを聞くのだろうと不思議に思いつつも、正直に答えようとした私は、そこで少し考え込んでしまった。


 だって正直に話してしまうと私、実はブラコン願望ありなんじゃないかって、白状してしまう感じじゃないかしら。それはちょっと恥ずかしいような。


「ロクサーヌは彼に……恋をしてる?」

「へっ?」


 思った以上に大きな声が出てしまい、あわてて私は自分の口を手でふさいだ。

 冗談を言ってるのかと思ったけれど、ユーゴの目は真剣そのもので、茶化せるような雰囲気ではない。


「どうしてそんなこと」


 体の奥が冷えていくような変な感覚のまま私が尋ね返すと、ユーゴは皮肉気に口元をゆがめた。


「いや。前の婚約者とはあんなことがあったし、トーマはいい男だから、君が新しい恋を始めてもいい頃なんじゃないかって。――なんとなく、そんなことを思ったんだ」


 ユーゴが真剣そのものでなかったら、私は多分噴き出してしまったと思う。

 代わりにリビングの方から小さく、伯爵の「おい」という声と、シルヴィア様がそれをたしなめる声が聞こえた。


 つまり、ここの会話は思い切り筒抜け。――というより、みんなで耳を澄ませているような雰囲気だ。別にいいんだけどね。


「あの婚約解消については、もう全然気にしてないわ。むしろ頑張ってねって思ってるの」

「頑張って、だって?」

「うん。このあたりは後でゆっくり教えてあげる」


 長い話になるからと理由を話し、「気にかけてくれてありがとう」と微笑むと、ユーゴはどこか納得のいかない顔をしつつも頷いた。


「で、トーマの事だっけ。私が彼に恋愛感情を持ったことは一度もないわ。ニーナのお兄様で、ニーナが羨ましいと思うくらい、理想のお兄様だとは思ってるけど」

「お兄、様?」

「そう。お兄様。実の兄は私に無関心すぎるからね。面倒見のいいお兄様って憧れるのよ」


(ね、フォルカー様。トーマはいい男よね?)


 向こうで頷いてるであろう伯爵が見えた気がして、心の中でそう言った私の前で、ユーゴが大きく息をついた。


「なんだ。そうなんだ」

「ええそう。それに新しい恋なんてありえないわ」

「そう? なぜ?」

「だって私、ギヨームに恋をしてたことなんてないんだもの」


 きっぱり言い切ると、虚をつかれたような顔をしたユーゴが噴き出したから、私もつられて笑ってしまった。


 なぜか彼が、

「障害になるものは早めに排除しなきゃいけないと思ってたけど、そうか」

 などと不思議なことを言って一人で頷いているけれど、ユーゴは意外と世話焼きだったのねと、意外な一面になんだかおかしくなる。今回夕食に付き合ってくれることも、実際そうだものね。


 いつか絶対恩返ししなきゃ。


「ユーゴ、そろそろ時間じゃないか?」

「あ、そうだな。ロクサーヌ、そろそろ行こうか」

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