第39話 自分以外の誰かのために

 事の次第をユーゴが話すと伯爵が、私とユーゴの服を合わせたほうがいいのでは、と提案した。ユーゴも元からそのつもりだったようで、自分は白いスーツにしようと思っているのだと言った。

 

「叔父上に持ってこいと言われた時は、着る機会はないと思ったんですがね」

「持ってきてよかっただろ?」


 したり顔の伯爵に素っ気なく頷くユーゴを見て、彼が白いスーツを着たところを想像してみる。


(うん。きっと、浅黒い肌に映えてよく似合うと思うわ)


「素敵。私は地味にして影になっていればいいってことよね?」

「いや、それは違うね。ロクサーヌ」


 近所の中古衣料店に何かあるかしらと考えていた私に、ユーゴがにっこりと笑ってすかさず否定した。しかもこのスーツに合わせたドレスを買いたいから、シルヴィア様の意見を聞きたいなんて言い出すものだから、止めるのにひと騒動だったわ。

 だって、ユーゴが私に贈るって言うんだもの。意味が分からないでしょう。


「今朝も叔母上が言ってただろ。ドレスでもアクセサリーでもねだれって。俺はまだ、そのつもりでいるんだけど」

「嘘でしょ。お詫びの必要はないって何度も言ったじゃない」


 お菓子や小さな花束くらいだったら、ここまで拒否はしないと思うんだけどと小さく呟くと、「それはまた今度な」と言われてしまった。本気で意味が分からない。


「あのさ、ロクサーヌ。単純に、俺が、俺のために、そうしたいだけって言ったら? せっかくなら着飾った君を見てみたい」


 ああ、かなり本気でサロメに腹が立ったのね。想像するだけでわかる気はするけれど。とはいえ――


「意味が分からないわ。恋人でも婚約者でもないのに」


 ただの同級生なのにと顔をしかめれば、なぜか伯爵が吹き出した。


「じゃあシルヴィアのドレスを貸したらどうだい? たくさん持ってきてるだろ」

「ええ、もちろん」

「そんな駄目ですよ。そもそもサイズが合いません」


 シルヴィア様は平均的な身長の上、スタイル抜群なのよ。

 お母様の服だって私が着るためには、主に胸元を詰めるお直しが主流だったのに。


(無理。想像するだけで羞恥で埋まりたくなる)


 なのに、オリスが無責任に「大丈夫じゃない?」などと言い、シルヴィア様に何やら指示をされていたクララさんが、私を上から下までさっと見て頷く。まるで透視されているようなその視線に、なんだかソワソワしてしまった。


「恐れながら、ロクサーヌ様。それは杞憂かと思われますわ」

「クララが言うなら間違いないわね。わあ、何を着てもらおうかしら」


(クララさん、いったい何が見えたんですか?)


   ◆


 その後オリスはどこかへ出かけ、私はシルヴィア様の衣装類が置いてある部屋に連れていかれた。


「あの、シルヴィア様。ユーゴ……様の仰ったことは気にしないでください。今の格好でも、義姉には十分驚きでしょうし」


 そう。実際驚かれることは確実だと思うのだ。

 牧場では動揺したけれど、冷静になってみれば、兄たちに私が分かったとは到底思えない。オリスはともかくユーゴが気づかなかったくらいだから、そこは自信を持っていいと思うの。


「ロクサーヌさん、普段通りユーゴでいいわよ。そんなかしこまらないで。今はガイドではなく同級生なのでしょう? あの子が女の子を連れてきてくれるなんて希少レアなんだから、普段通り、気楽にしてほしいわ」

「いえ、さすがにそれは」

「だめかしら?」


 うっ。お目目キラキラ攻撃ですか。可愛すぎません、シルヴィア様?

 無理。この目に逆らうなんて。


(そうね。今の私は同級生として連れてこられているんだから、素直に言うことを聞くべきなのよね。たぶん)


 つくづく私って、相手の年齢関係なく末っ子に弱いんだわ。


「わかりました」


 しっかり頷くとシルヴィア様は嬉しそうににっこりと笑い、滔々とおしゃべりを始めた。


「よかった。私のことは実の姉みたいに思ってね。さ、始めましょう。ロクサーヌさんは普段は地味にしていたってユーゴから聞いてるわ。こんなに赤が似合うの女の子なのに。それってやっぱりユーゴと同じ理由? あの子ったら、女の子にチヤホヤされるのが嫌なんてうちの夫にわがまま言って、あんな地味な姿にしてもらったのよ。おかしいでしょう」


 相槌を打つ間もない勢いで話しながら、目の前に色とりどりのドレスを並べていくシルヴィア様。

 自宅じゃないから選択肢が少ないとおっしゃいますけど、お忍びに何着ドレスを持ってきてるんですか?


「家族での晩餐ですものね。華美にしすぎても品がないし、質素すぎてもつまらない。ロクサーヌさんの着ているセットアップも素敵よね。クラシカルな感じがとても似合うわ」


「ありがとうございます。実母の形見を継母がお直ししてくれたんです」


「あら素敵。弟さんといいお母様といい、とても愛されているのね」


 綺麗にほほ笑んだシルヴィア様は、「そんなを不細工だなんて」と苦々しげに呟いた。でもそれに対して、私は思わず苦笑いが浮かんでしまう。


「いえ。それほど間違っていたわけではありませんし」


 もし私が綺麗だったら、サロメは私を妹として可愛がってたのだろうか? 可愛がるまでいかなくても、礼儀正しい親戚でいられたんじゃないか。

 何度もそう自問したことがある。なぜ最初から嫌われていたのか分からなかったから。


 きっと、私が地味で不細工だから嫌い。生理的に受け付けない。そんなところなのだろう。


 でも今過去形で言えたのは、客観的に見た自分を昨日、素敵だと思えたからだ。


「でも私、今の自分はけっこう好きなんですよ」


 すぐに変わるのは難しいけれど、私は変われるんだって知ったから。


「やっぱりロクサーヌさんは素敵だと思うわ。私はね、不細工は心が作ると思っているの」


「心ですか?」


「ええ、そう。どんなに容姿が整っていても、意地悪な人は不細工だと思う。誰しも自分に不満や嫌なところはあるでしょう。でも、悪い点を突き詰めるくらいなら、良いところをしっかり育てて増やしていけばいいと思っているのね。だって、人はだれしも美しさを兼ね備えているんですもの。それを悪意ある言葉でつぶすなんて、私、絶対に許せないの」


 そう言ってシルヴィア様は遠くを見るような目になった。

 こんなに綺麗な人でも不満なんてあるのかしら。

 そんなことを考えていると、私の心を読んだように彼女はいたずらっぽく微笑んで、ぱちんと片目を瞑った。


「私だって、不満なんて言い出したらキリがないわ。とりあえず、もう少し身長が欲しかったでしょう。高すぎるヒールって疲れるのよ。鼻がもう少し高ければいいと何度思ったか。眉も薄いし、まつげも少なめ。兄なんてまつげバサバサなのよ。うらやましくてたまらなかったわ」


 私に気を使ったのかとも思ったけれど、シルヴィア様の後ろでクララさんが小さく頷いたので、どうやら本当らしい。


「でも私は私なりに、自分のいいところをのばす努力を続けてるわ。多分死ぬまでね。自分を好きじゃない私を、夫が愛してくれるとは思えないもの」


「素敵なご夫婦ですね」


「ふふっ。ありがとう。うちの一族って、愛したら一直線なの。大事な人のために努力を惜しんでる暇なんてないのよ」


 すごいなって、素直に感心した。

 私はギヨームを好きだと思っていたし、努力もしたけれど、あれはただの義務感だったのよね。


(私も自分以外の誰かのために、努力したいと思える日が来るのかな)


 脳裏に浮かんだ映像を閉じ込めるように、私は指でそっと唇に触れた。

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