第37話 もしかしたら

 なぜか私が置いてきぼりにされているような?

 そんなことを考えていると、目の端に転びかけた子が見えて、とっさに助けに走った。一緒にいたお母さんがぐずる下の子に気を取られたせいで、あやうくはぐれるところだったようだ。気付けて良かった。


 何度も若い母親に頭を下げられながらみんなのところに戻ると、何やら話し合いが終了したところらしい。


「じゃあ姉様。わたしはいったん帰るけど、姉様は遅めに帰って来てね。遅くよ。もちろんユーゴさんと一緒にね。夕食の時間ギリギリくらいでいいと思うわ」

「ええ、わかったわ」


 予定外の客を招くとなれば、色々と準備も必要になる。タチアナ母様はお客様が好きだから喜んでくれる気がするけれど、使用人の方が大変だものね。

 私が頷くと、セビーは意味深な視線をユーゴに向けたあと、ささっと私の髪とメイクを直してくれた。でもみんなで何を話していたかは教えてはくれないらしい。

 姉様淋しい。


 なぜかずっとお目目キラキラだったニーナが、去り際に私とユーゴを見て小さく黄色い悲鳴を上げたけど、深く考えないことにする。

 うん、考えたらいけないような気がするんだもの。


本当は、彼の唇を拭いているところとか見られてないわよね? あの時は周りに誰もいなかったわよね?


 ――なんてことを確認したいけれど、藪蛇になりそうだから。


 きっと、なんにでも笑ってしまうお年頃だからよね。間違いないわ。うん、気持ちを切り替えましょう。


「ユーゴも内緒話の内容は教えてくれないの?」


 ちょっぴり拗ねた気持ちでユーゴを見ると、なにやら考え込んでいた様子だった彼が私を見てふわっと微笑んだ。


「んー、盛装してきてくれ、だってさ」

「盛装?」


 なぜ?


「君の家に行ったとき、兄嫁殿に会ったことは話しただろ?」

「ええ」

「君に会うつもりだったから、学園での姿で行ったんだ」


 ユーゴが、サロメがしたであろう蔑むような視線と話し方を真似して見せる。

 サロメはもっさりとしたユーゴを見て、下に見てもいいと判断したに違いないわ。

 いくら私のことが嫌いだからとはいえ、初対面の相手になんてことを。


「ごめんなさい」

「君が謝ることではないよ。で、セバスチャンたちがそれを知っていたかどうかは知らないけれど、今夜は兄嫁殿が目をむくくらいの男前として登場してくれ、だってさ」

「目をむくくらい……」


 瞬間、今のユーゴの圧倒的存在感に、目も口も大きく開けっぱなしになるであろうサロメの姿がありありと浮かび、思わず吹き出してしまった。


「やだぁ、面白いかも。でもユーゴは、今のままでも十分すぎるほどの美男子だと思うわよ?」


 サロメに衝撃を与えるのには十分すぎるくらい。

 ユーゴに見惚れてくれたら、私の存在なんて秒で忘れてくれそう。


(あら、それっていいかも)


 うんうんと頷いていると、ユーゴは口元を抑えて「まったく君は」と呟いた。こんなこと聞きなれてるだろうに、耳まで赤いわ。



 その後、私たちはいったん彼の滞在しているホテルまで戻ることにした。


「伯爵様たちはお部屋にいらっしゃるの?」

「ああ、たぶん」

「じゃあ、あとでホテルの部屋まで迎えに行けばいいかしら。ロビーの方がいい?」


 私は着替えもないし。かといって借りた部屋に戻っても落ち着かない。どこか適当に歩いてお兄様たちにばったりも嫌だし……。どう時間をつぶそうかしら。


「だからそれは普通、俺の役目だと思うんだがな」


 呆れたように「まだデート中だろう」と言われ、すっかり終わった気になっていた私はあいまいに頷いた。


「話があるんだ、ロクサーヌ。君も一緒に来てくれ」



 ホテルまでの道中、ユーゴは何か考え込むように一言も話さなくなってしまった。

 もっとも私としては、普段のユーゴに戻ったくらいの認識だ。学園での彼は無口だし、かといって気づまりではなく。それは今も同じ。

 途中馬車が危ないと思ったのか、さりげなく立ち位置を変えてくれたユーゴの気遣いに、私は小さく微笑んだ。


 もしかしたら彼は、私に身分を明かすのかもしれない。――彼の真剣な横顔に、ふとそんなことを思った。


   ◆


 伯爵一家が借りているのは、ホテル三階南にあるスイートだ。

 ドアを開けても廊下が続き、その先がリビングになっていて、寝室が三つというつくりらしい。テラスからはホテルの庭園が見下ろせると、以前ホテルのオーナーである会長の奥様が話していた。


(しかも今そこに泊まっているのが、オーディア現王陛下の妹シルヴィア様と、その夫であるヴィヴロン伯爵でしょう。ユーゴのことはいったん置いておくにしても、なんだか胃が痛くなってきた)


「ユーゴ、話ならロビーでもいいんじゃない?」


 部屋でくつろいでいるなら、絶対変装といてるでしょう。

 そのことに気づき、怖気づいた私が部屋のドアの前でそう言うと、まだ何か考えている様子だったユーゴがあっさりとドアを開けてしまった。


「ロクサーヌ、入って……。あっ、心配するな。誓って不埒なことはしない」

「そんなこと、全然心配してないわよ」


 なによ、不埒って。


「そこは少しは心配してほしかったところだよなぁ」

「意味が分からないわ」


 こっちは緊張でそれどころじゃない。

 おかげで兄やサロメに対する不安や心配が吹き飛んでるから、ある意味感謝かもしれないけど――。


「緊張し過ぎて手が冷たいわ」

「なんでだよ」


 クスッと笑ったユーゴが私の手を握る。その大きくて暖かい手に、不覚にもホッとしてしまった。こんな風に手が冷たくなった時、手を握ってくれるのはタチアナ母様やセビー以外ではユーゴが初めてな気がする。


「わ、本当に冷たいな。大丈夫か? 初対面じゃないのに」

「お客様として会うのと同級生の家族じゃ別でしょう」

「あー、同級生……。まあ、いいか」


 なぜか苦笑したユーゴが私の手を引いたまま奥へ進もうとするから、あわてて手を放す。彼の影に隠れるよう一歩下がると、ユーゴは柔らかく微笑んで私の頭を一回撫でた。その表情があまりにも大人っぽくも優しくて、私の胸の奥がキュッと甘くうずき左手で胸元をぎゅっと握る。


(ねえ。どうして私にそんな顔を見せるの?)


 逃げたいと思いながら、ユーゴのジャケットの裾を右手で軽くつまむのと同時に、彼がリビングへ続くドアを開けた。


「お、ユーゴ、どうした? フラれたのか?」

「あらいやだ。もう帰ってきたの?」


 ほぼ同時に伯爵夫妻の声が聞こえる。

 でも中には思った以上に人の気配があり、私は内心首を傾げつつも肩から力が抜けた。


「フラれてませんよ。――ロクサーヌおいで。改めて紹介する」

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