第36話 教えてあげるつもりだったわよ

 呼ばれた声に振り替えると、そこにいたのは予想通りニーナだった。そして隣には、何やら複雑そうな顔をしているセビーもいる。


「あら、ニーナ。偶然ね。ふたりで遊びに来ていたの?」


 目をキラキラさせながら駆けてきたニーナに笑いかけると、彼女は私とユーゴを見比べた後ぺこりと頭を下げた。

 私が気楽に返事をしたことから、今は仕事中ではないと思い至ったのだろう。


(それに、ユーゴとは昨夜会っているってことだしね)


 そう考え、ハッとする。


(ちょっと待って。ニーナはウィッケ伯爵の子息フォルカーとして彼と会ってるの? それとも本物のフォルカー様の甥ユーゴ、もしくはヒューとして? え、どっち?)


 内心焦ったけど、ニーナの方から、


「こんにちは、ユーゴ様」


 と言ってくれたのでホッとする。うん、ユーゴでいいのね。了解です。

 とはいえ、彼が王子だということまで知られているのかまでは不明だから、私は知らないふりを続けようと思う。


「やあ、ニーナ。昨日は世話になったね」

「いいえ、とんでもない。家族みんな喜んでました。また遊びにいらして下さいね」


 ニコニコとそつなく挨拶を交わしたニーナが私を見て微笑むと、数歩後ろに控えていたセビーを手招きする。それは言葉にするなら、『ここは私に任せてね』と言った感じかしら。ニーナは時々とても大人っぽくて、妙な安心感があるのだ。


「セビー。この方は大きなお兄様のお友達の甥御様よ。ユーゴ様、私の友人で、ロクサーヌの弟のセバスチャンです」


 あえて曖昧にしたとわかるニーナの紹介に、まずユーゴが右手を差し出しながら、「君がロクサーヌの」と言った。少し声が弾んでいるから、セビーの可愛らしさに納得したのでしょうね。うんうん、そうでしょうとも。


「はじめまして、セバスチャン。ロクサーヌの友人のユーゴだ。学園では、一度も君の姉上の成績を抜けなかったんだよ」

「……どうも。セバスチャンです」


(あら珍しい。セビーがご機嫌斜めだわ)


 おととい知り合った客ではなく私の友人だと自己紹介したユーゴに、セビーはささっと握手をして離れる。普段人当たりのいい弟の稀有な態度に、ニーナが苦笑した。


「実はですね、さっき私たちも美術館の湖に行ってたんです」


 にっこり笑ったニーナが、なぜかうっとりした顔で私の方を見る。


(えっと、ニーナさん。他の女の子はユーゴの方にそんな顔をしてると思うんだけど?)


 幸か不幸か、ユーゴをナンパしてくるお嬢さんはいなかったけど、隣にいる私でさえあちこちから視線を感じたのだ。なのでニーナの視線はとても不思議なんだけど、隣にいるセビーがますます不機嫌になるのが分かり、背中の方がヒヤッとして首をかしげる。


「姉様、この人を洞窟に連れて行ったでしょ」


 視線はユーゴに固定したままセビーがそんなことを言うので、一瞬弟が秘密の部屋について気づいていたのかと思った私は、次の瞬間、不覚にも頬が熱くなってしまった。


「ユーゴさん、クーレの前で姉様に告白した? それともまさか逢瀬の間でプロポ」

「せ、セビー! 何もないわよ。そんなことありえないからね」


 そのあたりの伝説は教えてないとセビーにコソコソと囁いたけど、不思議そうなユーゴには、ニーナが親切に教えてしまいましたわ。


「へえ」


(ユーゴさん、笑顔が少し怖いですよ?)


「ロクサーヌ、俺はそんな説明はされていない気がするんだけど、ガイドの手を抜いたということかな? まさかそんなことはないよね」


「いやだわ、そんな。別れる時に教えてあげるつもりだったわよ、もちろん。将来のデートで役に立つかもしれないでしょう?」


 にーっこり笑って本当のことを話せば、ユーゴは「ああ、なるほど」とあごを撫でる。

 なぜ彼がお怒り気味だったのかも、何に納得したのかも分からないけど、ニーナの目がさらにキラキラし出したので、この件にはもう触れないようにしようと決めた。

 セビーも毛を逆立てた子猫みたいになってるけど、ほら落ち着いて。


 なぜかバタバタした雰囲気がようやく落ち着くと、ニーナが私に声をかけた理由を教えてくれた。

 どうやら彼女たちもお兄様たちを見掛け、遭遇しないようにと心配してくれたらしい。


「でも姉様。今夜はうちに帰ってきた方がよさそうなのよ。兄様から話があるんですって」


 通常モードに戻ったセビーの女言葉に、ユーゴが面白そうな顔をする。

 変な顔をしたら足を踏むべきかしらなんて考えていたけれど、どうやら杞憂だったみたいだ。


「お兄様から話ねぇ。縁談の件かしら」


 卒業したらいったん実家には帰る気ではいたものの、信用されていなかったのかもしれない。


「本当はね、今夜はタチアナ母様とセビーを誘って、ユーゴと一緒に夕食でもって計画していたのよ。あなたたちを紹介したかったの」


 楽しいはずの夕食が、胃の痛いものになるのは残念で仕方がない。

 さすがのサロメでも、こちらの家でまで、私になんだかんだと理由をつけて食事をとらせないなどの嫌がらせはしないだろうけど。


 一気に気持ちが沈んだけれど、ユーゴと食事をと聞いたセビーが、なにやらパッと顔を輝かせた。


「じゃあ、ユーゴさんをうちに誘ったら? ユーゴさん、うちでごは」

「何を言ってるの、セビー。迷惑でしょ。食事は明日の昼にでも」

「いや、よかったら招かれたいな」

「ユーゴ」


 さっき私が泣いてしまったから、彼は騎士道精神を発動してしまったのかもしれない。

 でもさっきとは打って変わってセビーがニヤッと笑い、なぜかユーゴと握手をしなおした。そのまま彼の耳に口を寄せてセビーが何かささやくと、ユーゴが虚を突かれた顔をした後、こくりと頷く。何を言ったのかしら。


「あ、私もご一緒したいなぁ」


 次いで手をあげて可愛く笑うニーナに、セビーが「もちろん」と頷いた。


 なぜか私の意見は誰も聞いてくれず、今夜は不思議な晩餐になるようだった。

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