第33話 ユーゴ視点⑦

「まったく君は」


 分かっててやってるのか?

 むしろそうであってほしいところだが、九分九厘分かってないだろう。


 俺のことを特別だと言っているも同然なのに、もし俺がそんなことを口にしたら、じゃあ帰ろうと言うに決まってるんだ。だって彼女を見ればせいぜい、戦友じみた学友に特別なものを見せてあげよう的な、少年にありがちなやつに近い雰囲気だもんな。


 しかしだな。

 普段のきっちり髪を編んだロクサーヌならともかく、今は美女だぞ? 間違いなく美女だ。しかも大人っぽくて色っぽい、本音を言えば、これが俺の好みドストライクだったんだと明言できるくらいのいい女だ。

 その美女が誘ってるとしか思えない態度って、本気で勘弁してほしい。


「ねえ、どうしてまた座り込むのよ?」

「ちょっと冷静になりたい」

「意味が分からないわ」

(だろうな!)


 頭の中で地味なロクサーヌを思い出して心を落ち着け、――いや、あれはあれで可憐だったと今となっては思うんだが――、何度か深呼吸をした後、長く息を吐いて立ち上げる。

 同い年なのは変えられないんだから、せめて少しでも頼れる男の雰囲気だけは作っておくべきだよな。


「すまない、待たせた」

「いいけど。何突然カッコつけてるの?」

「気のせいだろ。いつも通りだ」

「うーん、話し方はそうなんだけど。――まあいいわ。行きましょ。こっちよ」


 なぜか腑に落ちないようなロクサーヌが先を歩こうとするので、その手を取って俺の左腕に添えさせる。一瞬彼女がきょとんとしたが、おとといと同じスタイルなので、「ああ、ガイドだからね」と納得したらしい。小さく微笑んだだけで、何も気にしていないように歩きはじめた。


 逢瀬の間を出て、来た道を少しだけ戻ると、ロクサーヌは左の岩陰の方へ俺を引っ張った。その先は数メートルほどの窪みになった行き止まりに見えたが、彼女が何をしたのか、横穴が現れる。


「急いで」


 小さく囁いた彼女に寄り添うよう隣に立つと、入ってきた入り口が閉ざされ、大人が数人立つのがやっとという空間になった。彼女の持ってるランプがなかったら真っ暗闇だろう。


「隠し部屋だな」


 避難中に見つかりそうになった時に備え、一時的に隠れるための空間だ。


「そう。子どもの頃は、ここでお父様が抱っこしてくれたのよ」


 内緒話のような小声でそう言ったロクサーヌが、ふふっと笑ってこちらを見上げるので首筋がかっと熱くなる。いったいなんの苦行なんだ、これ?


(狭いし暗いし、なんかもう、キスぐらいしても許される気がしてきた)


 またもやため息をつきたくなった俺の隣で、ロクサーヌが壁にふれる。彼女が小さな明かりの中でカラクリを操ると、入ってきたのとは別の出口が現れた。しかしまたそこも隠し部屋同様の狭い空間で、行き止まりにしか見えない。


 そこで今度は地面のほこりを払い、ロクサーヌが石畳にしか見えない石板をいくつか動かす。最後に彼女が襟元から出したペンダントをかざすと、そこに隠し戸が現れた。


「ユーゴ。少し重いから開けるのを手伝ってもらってもいい?」

「あ、ああ」


 見つけたものの意外さに驚いていた俺は彼女に頼まれ、その戸についた思い鉄の輪をゆっくりと持ち上げた。その先には予想通り、地下へと続く階段が現れる。


(彼女の父親は、なぜここを知っていたんだ?)


 複雑なパズルを使った隠れ家へのカギは、王家やそれに近しい人間しか知らないはず。昔は作った職人も複数に分けられ、情報を制限し、作った者たちでさえ開け方が分からないと子どもの頃習った。

 国は違うが、オーディアとフッルムは昔から兄弟のような国だ。同じようなものがあってもおかしくない。


 彼女の父親もガイドだから知っていた?

 いや、彼女の父親は商人だ。ガイドではないはず。

 もとは子爵家の五男だったと聞いている。今の王家と同じくらい古い家柄だったらしいが、彼女の家に爵位はない。


 ゆっくりと階段を下りていき、下にたどり着くとロクサーヌが壁にランプをかける。するとランプ下に設置してある反射板で、やわらかな光がうっすらとその空間を照らし出した。


「これは……」

「すごいでしょ」


 ロクサーヌが部屋に複数あった発光石に明かりをつけると、想像以上の広さのある空間は大きなベッドが鎮座する完全に寝室だった。かなり古いし、子どもは上ることもできなそうな高さのベッドは、広さだけなら大の男が四人は横になれるだろう。


「あの、ロクサーヌ、これは……?」


 ドッドッドッドッと心臓が激しく脈打つ。

 

 しかし部屋の奥にいたロクサーヌはその先にあった戸を開けてのぞき込み、俺に手招きした。ギクシャクしながら彼女のまで行ってそこを見てみると、かなり古びた台所のようなものがある。


「こっちにキッチンもあるのよ。その奥が浴室。バスタブはないけどね。今も湧き水が出てるし、空気も通るようになってるし、今開けるわけにはいかないけど、窓もあるのよ。で、あっち側がリビングにあたる部屋かな。定期的に手入れされてるらしいから、思ったより綺麗よね」

「う、うん」


 口の中がカラカラだ。

 なんなんだ。この別荘のようなホテルのような空間は。

 これは、本格的に誘われてるのだろうか。


「どう?」

「どうって……なにが?」


 すっかり思考が停止し、彼女が説明していたことを聞きそびれたらしい。のろのろと答えた俺に、ロクサーヌは眉を寄せた。


「だからね、ここがエズメが幸せだった証拠、なんだけど」

「え?」


 ほんの少し強めに言われたことでハッとする。

 よく見まわせば、昔生活していたらしき形跡があるだけで、今使えるものではない部屋だ。それはずいぶんと古風で、言うならば博物館じみた雰囲気だということに気づいた。

 それと同時に、彼女が婚約を破棄された際、あの男が最後に言った言葉も甦った。


『君はその御大層な貞操を死ぬまで守ればいいさ』


(うわっ、俺なんてことを。ロクサーヌが誘惑なんてするはずないじゃないか)


 彼女は、王子である俺に迫ってくる他の女みたいなことをするはずがないのに。

 急いでのぼせ上った頭から邪念を振り払い、神妙に清らかな心で彼女に向き合うと、ロクサーヌは「聞いてなかったのね?」と少し戸惑った様子を見せながらも、改めて説明を続けた。


「エズメもディディーも死んでなかったの」

「えっ?」

「もうっ、そこも聞いてなかったのね」

「す、すまない。ちょっと物珍しさに気を取られて」


 しどろもどろで苦しい言い訳をしてみれば、彼女はパッと表情を明るくし、わかると深く頷いてくれた。


「そうよね? じっくり見たくなるわよね! かくされた歴史の一部ですもの」


 戦死したと言われていた王弟ディディーは、生きてエズメのもとにたどり着いた。

 たどり着いた時は生死の境をさまよう状態だったが、エズメの献身的な看護と人々の助けを借りて、無事生還したという。

 エズメが煙のように消えたというのは、トリックを使った偽装だったらしい。


「ここで体を回復させたディディーは、ほとぼりが冷めた頃エズメを連れ、誰にも見つからない土地へ去っていったそうよ。でもこれは、当時の関係者の子孫だけが知る秘密なんですって」


「それをお父上から聞いたのかい?」


「そう。正確には母から聞いたことらしいわ。兄弟の中で私だけが知る権利があるって言われたから、女児に伝える話だったのかな。私の想像だと、実母はエズメの侍女の子孫あたりじゃないかって思うの。

 でもここへ連れてきてもらった当時は、継母を実の母同然に慕ってたこともあって、実母の話を聞くのは裏切りのように思っちゃったのよね。耳をふさいだ私に困ったお父様は、十八になったら改めてここで話そうって言ってたの。――まさか、それが叶わないなんて思ってもいなかったわ」


 一瞬泣いているように見えたが、ロクサーヌは軽く目を伏せた後、ひょいと肩をすくめた。


「十八になったら来ようと思ってたけど、一人で来る勇気はなかったの。どさくさに紛れて付き合わせてごめんね」

「いや。かまわないよ。――でも、俺でよかったのか?」


 ――大事な思い出に付き合う瞬間に、立ち会ったのが俺で。


「もちろん。さっきも言ったけど、あなたは秘密を守ってくれるって信じてるから。お父様にも、連れてきていいのは一人だけって言われてたし。なら、偶然居合わせたユーゴが、きっと最適だって思ったのよ」


「光栄だ」


 俺を信じてくれたことも、彼女が選んでくれたことも、驚く程誇らしかった。

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