第32話 ユーゴ視点⑥

 誰がそんなことを!

 そう言いかけ、分かり切ったことだと思い直した。

 あのサロメって女と元婚約者。そうに決まっている。


 しかし最後のつぶやきは無意識だったのだろう。ロクサーヌは聞こえてないよねというような表情をした後、空気を換えるように明るく笑った。


「ユーゴの前だと、つい色々話しちゃうのよね。変なこと聞かせてごめんね?」


 気にしないでくれると嬉しいと微笑んだ彼女に、何も気づいてないふりで頷くと、ロクサーヌがホッとしたように肩の力を抜いた。


「私は多分仕事をする方が向いてるのかも、なんて思うのよ。昨日のお客様にも私でよかったって言ってもらえてね、嬉しかったんだ」


(嬉しかっただって? まさかだろ)


 どうやら俺は疑わし気な顔になっていたらしい。

 だが、そりゃそうだろう。俺は昨日、彼女があの愚かな婚約者を奪った女といるところを見てるんだから。

 それがこっちの仕事をキャンセルしてまで、臨時でガイドをしなくてはいけなかった相手だって?


 彼女の磁石式のピアスを見せてくれた時に、ようやくあの顔をどこで見たのかを思い出し、そんな女のくれたものをロクサーヌに持たせられるかと思ったのだ。


 俺の反応に戸惑っている彼女を見ると演技ではないように思うが、さっきも嫌ではなかったと言っていたし、もしや誰だか気づいていなかったのだろうか? きっとその方がいい。

 だったらここは、彼女の気持ちに寄り添うべきだろうな。


「そうか。よかったな」


 つい普段のユーゴ口調になってしまいつつもそう言うと、ロクサーヌは「ありがとう」と微笑んだ。その顔はとても綺麗で大人っぽく、少しだけ目のやり場に困った。


(これは、俺が自覚したせいだけじゃないよなぁ)


 ロキシーがロクサーヌだと気づく前から、彼女を特別綺麗だと思ってたんだから。

 この空間で猛烈に今、二人きりだということを意識してしまう。


 しかしロクサーヌはそんなことなど全然気にしていない様子でポケットから懐中時計を出すと、時間を確認して小さく頷いた。


「さて、そろそろ時間かな」

「時間?」

「そうよ。エズメが幸せだったか確かめに来たんでしょう」

「そうだったな」


 すっかり忘れていた。

 しかし彼女の明るい表情とは裏腹に、それを知るのは正直怖い気もする。

 俺の中では、幽霊になっても愛する男を待っているエズメが幸せだったとは、到底思えないのだ。


 彼女についてくねくねと複雑なルートを歩いて行くと、突然少し開けた場所に出た。自然の光が差し込むその空間は、岩で作られた小さな部屋のようにも見えた。

 左手にある平たい岩がベンチで、その隣にあるのが小さなテーブル。

 そこに座ると差し込んだ日に照らされて、居心地がよさそうにも見えるのだ。


「ここはね、逢瀬の間と呼ばれているわ。王弟殿下が堂々と城を訪ねていけない時、エズメとはここで会ってたと言われてるの。今の季節はこのくらいの時間が一番素敵なの」


 そのまま彼女に誘われて柔らかい日差しに照らされた岩のベンチに座ると、座り心地よく加工されていることが分かる。


「ねえ、ユーゴ、ここを見て」


 笑いを含んだ声でそう言ったロクサーヌの指す方を見ると、落書きのようなものが目に入った。岩を何かで削ったもののようだ。


「永遠の愛?」


 くすぐったくなるような言葉と共に描かれていたのは、可愛らしい女性と勇ましい男性の顔。そして二人を囲む永遠を表す印。

 簡易的ではあるけれど、これはもしや。


「エズメは絵の才能もあったみたいね。彼女、こっそりこんなものを掘ってたのよ」

「ロマンティックではあるけれど、エズメが幸せだった証拠とは言えないんじゃないか?」


 ついほのぼのとした空気を壊してしまい、唇をかんで口をつぐむ。せっかく彼女が素敵なものを見せてくれたのに、何を台無しにしてるんだ。


 しかし彼女は、「やっぱりユーゴだなぁ」とクスクス笑う。


「他の人はこれで納得してくれるのよ。あなたも言った通りロマンティックですもの。でもユーゴは簡単に信じないと思ったんだ」

「どうせロマンティストではないさ」


 少し不貞腐れた言い方になったが、彼女はまったく気にしてないと言うようににっこりと笑った。


「そんなあなたに特別ツアーです」

「またガイド?」

「ええ。でも本当に特別なガイドよ」


 ロクサーヌが人差し指を唇に当て声をひそめるので、俺も神妙な気分になる。

 しかも彼女が、


「誰も、連れて行ったことがないの」


 と言ったので、知らず固唾をのんだ。


「誰も?」

「ええ。さっきも言ったけど、父に連れて行ってもらったところでね、本当に秘密の場所なの」

「そんなところに俺を連れて行ってもいいの?」


 嬉しいような怖いような複雑な気持ちで尋ねると、ロクサーヌは「いいの」と囁いた。


「ユーゴなら秘密を守ってくれるもの。でしょ?」

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